以前、3のくせに「2get」と書き込んでしまい、
「2000万年ROMってろ!」と言われてしまった者です。
言われた通り2000万年間、沢山沢山ROMりました。
猿から人類への進化…
途中、「ガットハブグフーン?」と書き込んだジャワ原人に反論しそうになったりもしましたが、
言いつけを固く守り、唇を咬んでROMに徹しました。
そして現れては消えていく文明。数え切れないほどの戦争…生と死、生と死。
2000万年経った今、晴れて縛め(いましめ)を解かれた私(わたくし)が、
2get出来るチャンスに今っ!恵まれました。
感動で…私の胸は張り裂けんばかりです。
卑弥呼女王、見てますか?
義経様、清盛様見てますか?
信長様、秀吉様、家康様 見てますか?
それでは、2000万年の歴史の重みと共に、
キーボードを叩き壊すほどの情熱をもって打ち込ませていただきます。
2get!
えっ
あらまあ
6 :
名無しさん@HOME:2009/12/08(火) 09:56:39 0
こんな日本にも本当の意味での特権階級と言うのがあるんです。
明治以前から、または維新後に閨閥作りをしてきた日本のエスタブリッシュメントとよばれる家があるんです。
伝統文化から宗教、企業、財閥、にいたるまでさまざまな支配層がいるんです
7 :
名無しさん@HOME:2009/12/08(火) 12:38:12 0
爵位持ってた家って、今はどんな風になってるんだろ?
一般家庭みたいに落ちぶれた家あるのかな?
8 :
名無しさん@HOME:2009/12/08(火) 13:17:47 0
そりゃいろいろだよ。普通にサラリーマンやってる旧華族も一杯いる。
そういや良子皇太后の兄嫁はぼろいアパートで一人暮らしの挙げ句ひっそり亡くなったんだった。
>>8 まじで?
可哀想に…
お嬢様だと生き抜く術が長けてそうにないしねぇ
なんとかしよう、人に負ぶさろうなんぞ思わずに
ひっそりと死にそうだよな。
再婚相手が自分の旧華族で皇后の兄の未亡人というステータスを利用するのがイヤで離婚したそうだ。
離婚してからは付添婦や家政婦をして母親の世話をし、働けなくなってからは生活保護も受けてた。
亡くなった当時は週刊誌にアパートの部屋の写真が載ってたけど、本当に何も無い部屋だった。
お気の毒なことだとは思うんだけど
そういう立派な身の処し方をなさる御方がいらしたと知ってなんかほっとした。
そういえば徳川のどなたかだったかの回想録で
終戦後の混乱期が人生で一番楽しかった、とあったのが印象的だった。
世が世ゆえ国語教師などして家族を食べさせていたんだけど
自分のこの手だけで妻子を養ってることが誇らしくてたまらなかったそうな。
13 :
名無しさん@HOME:2009/12/08(火) 19:33:13 O
14 :
名無しさん@HOME:2009/12/08(火) 19:37:53 O
ク
ソ
ス
レ
た
て
ん
な
華族は富裕税に困って娘を成金に嫁がせたりしていたんですよね。貧乏が怖くてもう恥も外聞もプライドも全てすててしまってたのでしょうね。
でも旧華族の子孫は大抵未だに財産家が多いみたいね
16 :
名無しさん@HOME:2009/12/09(水) 00:07:21 O
鹿鳴館の華で有名なご婦人は誰?
小佐野日出子さんも貴婦人中の貴婦人
19 :
名無しさん@HOME:2009/12/13(日) 04:55:46 0
他殺だか自殺した皇女板よね?
ラストエンペラーの弟と日本人皇族のお嬢さん。
あいしんかくらえいせいさん
21 :
名無しさん@HOME:2009/12/24(木) 23:12:17 O
ほしゅ
22 :
名無しさん@HOME:2009/12/25(金) 22:19:26 0
がぶりえる姫
大奥といえば「徳川の夫人たち」
歴史考証には難あるかもだけど、当時第一級のエンタメ小説だと思う
伊勢の尼寺の門跡が将軍に見染められて寵姫にして大奥取締---
なんてハーレクインも真っ青の展開w
24 :
名無しさん@HOME:2010/01/19(火) 17:23:25 0
age
25 :
名無しさん@HOME:2010/01/26(火) 20:13:17 0
!
>23
フジテレビの「大奥」でやってた。
27 :
名無しさん@HOME:2010/02/03(水) 01:01:24 0
大奥で働いてる町娘の様な人達は、大奥勤めってことで良縁に恵まれたの?
みたいだよ。
大奥に勤務経験があるってことは
・本人が見目良く技芸有り
・親御さんにお金と有力者へのコネがある
ってことの明らかな証明だから、仲人さんも張り切ったろうね。
まして花嫁衣装にとやさしいお局さまが打ち掛けでもお下げ渡しになった日には
お嫁さんを貰った家だって鼻たかだかに出来るってもんだわ。
29 :
名無しさん@HOME:2010/02/03(水) 20:50:53 0
ダイナミーック
30 :
名無しさん@HOME:2010/02/03(水) 23:14:10 0
ドラマで見た感じでは、大奥で働いてる女性って、当時としては偉く年取ってからの結婚にならない?
あれは一生勤め前提の、いわば官僚だからね。
行儀見習いでお勤めする女性は「部屋子」という私的な使用人になるのが普通だと思う。
使用人と言っても掃除や洗濯や炊事をするわけじゃなく、
遊び相手をしたり習い事したり、女子校の寮生活みたいな感じだったらしいよ。
上役の前で気をつかって官僚仕事すませて自分の局に帰ってくると
かわいいキャピキャピのお嬢さんたちが
「ご主人さま、お帰りなさいませ!」と出迎えてくれるわけですね。
高級ペットみたいなもんだろか。躾けするとこまで含めて。
33 :
名無しさん@HOME:2010/02/04(木) 14:28:26 0
女の世界だから、陰湿でドロドロなのだろうと言うのと
女子校でありがちなレズ話みたいなのも多そうだ。
やはり大奥勤めの女子って、お琴弾けたりお茶お花出来たりなのだろうか?
下働きはそうでもない。
井戸から水汲んだり、薪運んだり、
力仕事も全部女子だから、そんなにお嬢さんじゃない子も働けた。
それでも大奥から戻ってから、中でどんな仕事してたかは詳しく説明しなくて良いし、
見よう見まねで礼儀作法もそこそこできるようになってるから、
箔がついて割といい所にお嫁にいけたらしい。
と、杉浦 日向子のエッセイで読んだw
35 :
名無しさん@HOME:2010/02/04(木) 15:11:07 0
その部屋子や下働きの娘は若いうちに家に戻れたの?
良いところから嫁に〜って話がわんさかだったのだろうか?
ふと、現代だと宝塚出身が似てるかなと思った。
宝塚出身ならちょい歳くっててもお見合い話多そうだからw
普通は数年のお勤めで家に戻れた。
下手に上役に気に入られた方が、
なかなか手放してくれなくて戻りにくかった。
そこそこ可愛がられて、でも気に入られすぎないのが一番かなw
お勤め中も年に一度くらいはお暇をもらって家に帰れるから、
その時にお見合いだのなんだのあったらしい。
32様
でも躾のなっていない気の利かない若い娘に
あきれてまた疲れてイラッっとなる女性官僚
・・・そんな感じの今の私OTL
あっ官僚じゃありません民間です
昔の女性は生理のときどうしていたのでしょうか。
原始の時代には女性だけで隔離されて足の間に藁をおいたとか、
江戸時期の女性はキュッとひきしめてトイレのときに一緒に出していたとか
聞きましたが、そううまくいくものではありませんよね。
ふんどしみたいのをしていたのかな?
戦国時代はいつ襲撃されて焼け出されるか分からないから、タンポンもどきなものがあった、と何かで読んだよ
日本書紀の時代にも海綿詰めてたんじゃなかったっけ
木の衝立?の上に鏡を置くのってなんていうんだろう?
分かりづらくてごめん。平安時代からあるタイプで江戸時代劇でもよく見た。
黒い漆塗りので、上流階級の女性が化粧用に使うの。
ああいうの欲しいんですけど、言葉がわからないから探せないのです。
日本のお姫様は暇だったのかねえ。
暇だったらしいよ。
仕事してる子どもの困ってる顔がおもしろいって
いちいち呼びにやって困らせることしか娯楽がないぐらい。
大奥について書いた本にのってた。
いずれ罰せられるのも分かってて
たまのお出かけの際に駕籠を芝居小屋に入れさせて観劇した姫さまもいるぐらいだからね。
ヒマでヒマでしょうがなかったんじゃないかな。
ずっと座ってばかりだから膝もおかしくなりそうですよね。
正座なんて10分以上できない。
和宮の小説かな
トイレも一人でしゃがめないので召使が抱えるようにして
畳の上に便器置いてしてる描写があった
49 :
名無しさん@HOME:2010/03/30(火) 02:16:54 0
栄養も偏ってそうだしねぇ。
脚気になってたと言うし。
そういう不健康なのに昔の人は憧れたのですよね。
立ち上がっただけでよろめくような、そんな女性を。
西洋wでも手に血管の浮き出るような青い線を描いたといいます。
トイレで座るのもできないのでは、上で話題に出ていた生理をトイレで
するような筋肉もないような気がしますが・・・
トイレにいけないようでは現代ではイジメに近いなあ。
昔のお姫様はあまり食べれなかったのかな。自由になったのは衣装だけなのかな。
52 :
名無しさん@HOME:2010/04/02(金) 04:30:36 0
>>51 和宮様御留だと思う(和宮の小説はそれしか読んだことないし)
にせ和宮になる娘がしばらくは和宮と同じ生活をして身代わり練習するんだけど
厠に行かせてもらえず、和宮のおまるで人前でしなくちゃいけない辛さを書いていたような
しかもそのおまるに出たものをまじまじと女官に観察される
和宮は少ししか物食べなくて出るものも少しなのに
にせ娘はモリモリ出た自分の排泄物を恥じる描写まであったような
だから食べ物も控えるようになる
こうしてだんだん「姫さま」らしくなっていく…みたいな
最後には狂人になるやつねw
コンコンチキチ〜コンチキチ〜
吉宗に愛されたと聞く 竹姫に興味がある
どんなお姫様だったのかな?
たしか吉宗が正室にしたかったらしいけど
怖いお局様に反対されて泣く泣く別れさせられたんだよね
吉宗が30代の後半で、竹姫はまだ20歳前後だったらしい
>>56 竹姫は五代将軍徳川綱吉の養女
血の繋がりはないけど
系図の上では八代将軍の徳川吉宗の「大叔母」にあたる
大叔母っても年は吉宗公より遥かに下
吉宗としては竹姫を御台所に迎えたかった
っていうか
既に二人は出来ちゃってて竹姫は吉宗の愛人状態だった
しかし御台所にということになると当時大奥の実権を握っていた天英院が許さない
天英院は六代将軍の御台所だったお方
将軍ともあろうお方が系図の上では大叔母にあたる姫を御台にとは何と不届きな!と
とうとう吉宗公と竹姫を引き離すために竹姫を島津藩に輿入れさせる
でも輿入れさせるまでいろいろと苦労があったみたい
なにしろ将軍吉宗公のお手つきだもの
某乙女ゲーをやってから北条政子に注目
頼朝の愛妾に嫉妬して屋敷を壊させたとか
娘、大姫が婚約者を殺された事を嘆き、衰弱していくのを心配する様とか
史実以外にも一人の人間としてのエピソードが多く残っていて興味深い
>>56 吉宗が32才で将軍になったとき
竹姫はまだ12才だった
その年じゃいくらなんでもまだでしょう
5年位して吉宗が37,8才で、竹姫が17才の頃に手をつけたんでしょうね
竹姫は24才で島津に嫁いでるから、それまでの7年間が吉宗の夜のお相手だった
お姫さまの召し上がったお菓子が気になる
でも出されたものを食べるだけで、好きなものは食べれなかったかな
にしても過疎ってるね。ここ。違う板に同じような内容のスレがあるのか
私はけっこう気になるけどなあ
お姫様の私生活
>お姫様の私生活
気になるよねえ
私は食べ物以上に、あの髪に差してるぴらぴらの「かんざし」みたいなのが気になるし憧れる
お姫様だけでしょ?あんな綺麗なぴらぴらしたの両サイドに垂らしてるの
花魁もたらしてなかったっけ?
花魁はもっと大ぶりという意味ですか?
にしても>63のサイトきれいだねー!一万円台ならスカート我慢すれば
買えるんだぜ・・・!!
でも(ry
確かに大ぶりだよねえ、花魁のかんざしは
で、このサイトのかんざしは2番目のがお姫様っぽくてぴらぴらが綺麗だ
お姫様ってかんざしも綺麗だけど、内掛けの色も赤い金糸銀糸で綺麗だよねー
大奥のお局様は青色とか紺色とか地味目だけどさ
66 :
名無しさん@HOME:2010/04/29(木) 19:26:32 0
昔も明るい色や華やかな模様は若い子用で
おばちゃんは地味で渋めの着ていろっていうのがあったのかねぇ
うわ!何をするあqwせ
江戸時代もやっぱり髪型や着物の模様、簪の形などに流行があったらしいよ。
ドラマだと大奥の女性たちはみんな髪を結い上げているけど、
実際は大奥ができてからしばらくは髪を垂らしていた。明暦の大火以降、結うようになった。
(江戸城にも火が燃え移り、避難する途中で髪の毛に火がついたりして危険だった)
>>60 当時は砂糖が大変に貴重で、とりわけ白砂糖を使ったお菓子は高価だったので
ご進物、贈答、献上に使われたりしていたらしい
http://www.hato.co.jp/history/period5.html 現在の和菓子とあまり変わらないみたいね(羊羹なんかは秀吉の頃からあったらしい)
あとは水菓子(果物)。紀州藩では名産の蜜柑を毎年お歳暮として大奥にも贈ってた。
姫様の私生活
・鼻をかんだあとの紙や切った爪は捨てずに、後で侍女が地中に埋める
・体を洗う際の糠袋は上半身用と下半身用が別々にある
・髪を洗うのは年に数回(毎日侍女が櫛で丹念に梳く)
・髪結いや化粧をしながら朝食(何時間もかかるからすぐに昼食の時間になる)
・一日に何度も着替える
・実の兄弟姉妹でもめったに顔を合わせない(広い御殿内に離れて住んでいるため)
・結婚相手を勝手に決められてしまう(生まれる前から決まってる場合も。ほぼ100%政略結婚)
※裕福でない公家の姫の場合、大名家や旗本の側室になることもある