今年亡くなった旦那のばあちゃんも微ねらーだった。
ばあちゃんのこと大好きだった。自分のばあちゃんより。
10人の孫と12人のひ孫に囲まれていつも幸せそうにニコニコしてたよ。
同居ではなかったけどトメとうまくいかなかったのもばあちゃんのおかげで解決して、
今はトメともすごくいい関係になった。
最初トメのためにプレゼントしたPCはトメは全然使わなくて、興味持ってたばあちゃんのものになった。
デイサービスのイベントで撮った写真をPC画面で見たい!から始まって、
メール、ネット、イベントのお知らせまで作るようになってた。
「ばあちゃん歳間違ってない?w」ってくらい。
ブログやりたい!ってあたりから体調が悪くなって実現しなかった。
葬式のあとトメ宅で、仕事の急用でPC借りたときに専ブラ見つけてびっくりした。
書き込みログは一つだけだったけど。「なんだそれw」、みたいなやつ。
誰かが使ったのかな?と思ってトメに聞いたら、
入院するまではめったに人に触らせなかったし、入院してからも誰もばあちゃんの部屋に入ってないって。
あとで聞いたら誰にも内緒って約束で、うちの旦那に専ブラ入れてって頼んだらしい。
なんのへんてつもないレスだけど、ドキドキしながら書き込んだのかなーなんて思ってしまった。
家庭板や育児板のほかに意外な板のスレもお気に入りにあったよ。
ばあちゃん勝手に見てごめんね。でもかっこよかったよ。ほんとすごい。
来年中学の娘の花嫁姿も見たいって言ってたばあちゃん。
今日のばあちゃんのレスでうちのばあちゃん思い出して泣いてしまった。ありがとう。
大トメ世代ばーちゃん、長生きしてね。
あんたのレスで泣いた
>>73 そんなかんじだよね。
だから、長男と結婚して同居していた嫁が
長男亡き後に独身だった次男と結婚してそのまま同居継続とか。
>>58 R・A・ラファティの『900人のお婆さん』を思い出したw
今日はいらっしゃらないのかな?
ついでに質問をひとつ。
祖母が、「昔の夏はこんなに暑くなかった」と
言っていたのですが、そんなに昔とは違いますか?
祖母は既に亡くなったので聞けず、
もう一人の祖母は100歳近くで健在ですが、
産まれてこのかた沖縄の人間なので、
「昔からずっーと暑い」としか言いませんw
釣りだろ。
#ばぁちゃん
こんな分かり易い釣りには引っ掛かってスレ立てまですんのにエネスレの相談者はすぐネタ認定して叩くんだなwww
やっぱチュプって馬鹿www
酉は「#ばぁちゃん」だよwwwwwwwww
いいなあ。うちのばーちゃんは88歳だ。
ばーちゃん+ばーちゃん実娘(私の母)+私の父(子供は全て独立)で
くらしてるけど
もう足腰弱いし目も耳も弱いよ。
母曰く世話とかいろいろ大変になってきてるとのこと。
うちのばーちゃんも貴方くらい元気なら
私と一緒にネットやれたのにwとかは思う
とりあえずお前の応援なんかなくとも元気だとは思いますが
お元気で!w
>>74 いや、案外IEではガンガン書き込んでたのかもしれない。
でも人大杉UZEEEEEEEEEEEEEEEってなって専ブラ入れたのかもw
携帯で野暮な事は言いなさんな
こんばんは。
目に悪いからって娘に携帯取られちゃってる間に鳥バレしちゃったみたいね。
不快に思う人も居るみたいだし、申し訳ないけど名無しに戻ります。
皆ありがとう。楽しかったです。
質問にちゃんと答えられなくてすみません。
ええええええ残念無念
また
ばあちゃん、気が向いたらまた来てね。
88 :
74:2008/09/02(火) 19:42:37 0
>>82 あ、そうか。自分がIEで書き込むなんて初期しかやってないから気づかなかった。
意外とハードユーザーだった可能性もあるのか。
まじすげーなばあちゃん。
ちなみにばあちゃんは88歳で亡くなりました。
>>84 大トメ世代ばあちゃん。こちらも楽しかったです。ありがとう。
お元気で。
また気が向いたら書き込んでね。
ばあちゃん、元気でね。
又気が向いたらかきこんでね。
うちのばーちゃん多分同い年の92だよ。
小泉(当時の首相)はかわいいねぇと (*´д`*) 頬染めてたり、
最近の女の子のスカートは膝上何センチじゃなくて股下何センチじゃなと名言をのこしてたけど
2年前に脳梗塞で倒れて私の事も覚えてないよ
消えますと言いつつも、また来て欲しいw
いや、マジで来て欲しい。
色々お喋りしたい。
92 :
名無しさん@HOME:2008/09/14(日) 21:57:58 O
ばあちゃん、帰って来て(ノ_<。)
ばあちゃんはみんなの心の中に
十四年前に亡くなった祖母がもし生きていたら、ばあちゃんの二つ下になる。
だからなおさら老いても携帯を使いこなし、顔文字まで入れられるばあちゃん
の若々しさにはびっくりだよ。
いつまでも好奇心を忘れない、出来ればそういう歳の取り方をしたいものだ。
80代のおじい様が作っている、浅草六区のHP拝見したことあるけど
当時の思い出満載で、面白い上に勉強になるよー。
先日義伯父(70over)にお会いした時「気球ネット」の話を聞いた。
私が浅学なだけだが、戦争関連でそういうものがあったとは知らなかったので
大変興味深かった。
年寄りの話は聞いておくものだな。
つか、自分も結構年寄りなので、近所の子供達にはリアル「岸辺のアルバム」の
目撃談とかはしているw
96 :
名無しさん@HOME:2008/09/17(水) 10:24:56 0
>>95 お年寄りの手芸系ブログ見つけて、楽しく読んでるんだけど、
「急に更新止まったらどうしよう…」とか考えると何か悲しくなってきて、毎日見るのが怖い。
いや、絶対考えすぎなんだけど。
97 :
名無しさん@HOME:2008/09/17(水) 11:32:07 0
なんだよ、90代のばあちゃんが常駐してるスレかと思ったのに
>>78 ばぁちゃんではありませんが…
30年前には
日中30度を越した「真夏日」は、夏の間で2・3日ぐらいしかなかったような記憶アリ@関東
>>98 15年前の超冷夏(米不足でタイ米輸入した年)の翌年から
異様に暑くなった気がする
昔、夏休みの日誌(夏休みの友とか、その手のやつね)で
毎日天気と気温つけたもんだが30℃超えなんて滅多になかったね。
最高気温をつけてたわけじゃないけど、もしあの頃
「きょうのきおん:36ど」なんて書いてたら
友達に笑われるか嘘つき呼ばわりされるか
あと、先生に叱られたりしたかもしれないな。
そうだね。
33の私が小学生の時、「今日30度以上あるらしいよ!」「げーーー!!」
といった会話をした覚えがあるから。
昔の頃のイメージのまま、クーラー無しで夏を過ごそうとして
お年寄りが具合を悪くするんだろうなあ。
>>95 わかる〜。
夫の大叔父が撃沈した戦艦乗りだったことを知って、
夫側の法事が楽しみになったよ。大叔父のお送りはつねに我々w
旧帝海軍オタ夫婦なので、知ってる戦艦だったから夫婦でびっくり&wktk。
うちの亡き祖父は戦争が嫌で逃げ回った人だから、視線の違いが面白い。
>>101のような戦争を知らない人に(いや、自分も実体験はしていないがw)
ちゃんと話してくれる大叔父さんであってほしい…。
その祖父がいるから101が存在するのにさ。
悲惨さを本当に身にしみて背負ってる人ほど口が重いんだよね。
ちょっとかじった程度の人ほど美化して語りたがる…。
ばあちゃんの戦争時代の節約料理術もっと聞きたかったなあ。
>>101 そういう特殊なことは、あなた方夫婦の間だけで盛り上がってて下さい。
―と、つい書きたくなってしまった。
人の命がかかっていたことなんだから、wktkなんて不謹慎過ぎるよ。
夫婦で楽しんでいる分にはいいけど、
他の方にそれを理解してもらおうなんて思わない方がいい。
ヲタは空気を読めないんですよ。
金八先生で赤木春江が話してた「特攻隊」の話を思い出した。
戦争の話は、当事者であれば語りたくないものかもね。
祖父ももう九十歳過ぎてて、かつては戦勲で勲章を貰ったぐらいの人だけど
何を聞いても教えてくれなかった。
普段は朗らかで優しいお爺ちゃんだったのに。
きっと色々辛いことがあったんだろうなあ、と察するしかない。
聞かれてもないのにしゃべる人と、聞かれても全くしゃべらん人がいるみたいだな
戦争の話はともかく
厳しい時代の話は聞いてみたかったな。
今後、私達だって厳しい時代を生きるかもしれない。
そういうときの知恵袋は、厳しい時代を生きてきたおばあちゃん達だ。
衣食住の節約術は役に立ちそうだね。
特に食べ物は昔より味も向上しているから、節約するにしても使いようで
それなりに美味しく料理出来ると思うし。
上品下品はともかく、ネット学芸会リレーは当人達が夢中になればなる程イタイとは思う。
112 :
名無しさん@HOME:2008/12/24(水) 11:16:49 0
90代ばあちゃんはやさしい。
90代じいちゃんは頑固。
おばあさんの知恵袋はかなりのものよ
115 :
名無しさん@HOME:2009/03/27(金) 13:36:15 0
良スレはけーんかとおもたのに・・・残念。
私のひいばあちゃんは明治生まれ。
店をやってたばあちゃんを助けて家事一切を引き受けながら
子供(私の母と叔母)を育てあげたうえに
ひ孫(総勢6名)が産まれた時には産褥期の孫の面倒まで見てくれた。
毎日規則正しく生活し好き嫌いなく食事をし唯一の楽しみは
昔ながらのキセル煙草。
今思うと時代劇にしか出てこないようなキセル煙草セットを傍らに置いて
食後の寛ぎ時間なんかにプカプカやっていた。
里帰りで集まったひ孫達が悪さをすればキセルの背中で頭をポンと叩いて一喝。
誰の叱責よりもよく効いた。w
そしていつものように翌日の朝食の下ごしらえを済ませたある日。
身の回りもきちんと整えてからの入浴中に心不全でポックリ逝った。
享年96歳。
急を聞いて深夜から集まった親族達に翌朝出された食事は
ひいばあちゃんが下ごしらえしてくれたもの。
みんなで泣きながら食べたのを覚えている。
私はその時まだ5歳ぐらいだった。
もう少し長生きしてくれたらもっと色んな話を聞けたのになぁと
今でもよく思い出すよ。
>>116 ばあちゃんかっこいい!
うちの母方のおばあちゃんも80歳突入したけど、
山の中の家も2軒しか残ってなくて一番民家の上流だから川水w
てなトコで未だに畑をしながら一人で暮らしてる。
自分は遠くに住んでいるから、何かあったらと思うと心配だよ(´・ω・`)
腰も90ぢ曲がっちゃってるし、足も弱いのにいつも家もきれいにしてて、
おばあちゃんすごいと思う。
インターネット、うちのばあちゃんも使えればいいのになぁ。
でも今は電話があるだけほんと助かる。
早く会いに帰ってご飯を作ってあげたい。
> 一番民家の上流だから川水w
飲み水が川水って言いたかった。
119 :
116:2009/03/27(金) 15:50:30 0
個人的修正
× みんなで泣きながら食べたのを覚えている。
○ みんなが泣きながら食べていたのを覚えている。
だな。私はポカンとしてただけだ。5歳だったから。w
>>117さんのおばあちゃまも
元気で長生きされますように!
>>116 長生きしてぽっくり死んで残した物は翌日のご飯か。
最高だね。かくありたいわ。
今の時代では難しいかもしれないけどね。
うちのばあちゃんもポックリ
じいちゃんの一周忌に合わせて、じいちゃんとばあちゃんと
連名できるお位牌を葬儀屋さんに買いに行った日の翌朝
私ら家族が気付いた時には、お布団の中で意識不明
眠るように逝くってこういう事なんだと思った
母が言ってたけど、ばあちゃんの一番凄い所は、ご近所に
「嫁最高。優しくて、頭が良くて、働き者」と
ほめまくっていたらしい事
それが巡り巡って母の耳に入るようで、同居嫁姑でちょっと
引っ掛かるような事があっても、「家族なんだから」と
思えるようになったとさ
追記
連名のお位牌をばあちゃんが選んだ事とかを友達に話したら
「夫婦の縁ってあるんだね」と言ってたが
実は、じいちゃんとばあちゃんは、よくこんな大声が
出せるなという位、凄い口ゲンカをするびっくり夫婦
だったんですw