☆思い出してホローリくる家族との思い出☆

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しさん@HOME
ふと思い出すと、じんわりくる家族との思い出ってありますよね。

ちなみに私は母と兄と三人で近所の公園にプッチンプリンを持って散歩に
行ったことを思い出すとじんわりします。
2名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 03:26:23 O
ホロホロ鳥って鳴き声がホロホロホロ…だからなんだって。
3名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 03:38:46 O
仕事が忙しくて、休日にも父親がいないのが普通だったうち。
父親がガラス切って手作りの万華鏡を作ってくれたっけなぁ。
すごく上手で、模様もよく見えた。
しかしおとうやん、うちには祖父母が買ってくれた既製品の万華鏡も
5本くらいあったんやけど。
4名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 05:35:54 O
そんなもんない。
5名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 06:04:10 O
低学年の時、海水浴をしていて足が届かないところまで(浮き輪をして)
来てしまい、戻れなくなってしまっていたら、兄が手を引いて泳いでくれた。
いつも喧嘩ばっかりしてたので、とても照れくさかったなぁ・・・。
6名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 09:15:44 O
中学に入ったすぐくらいは成績も優秀でまじめだったんだけど、次第に
悪い先輩やら友達やらとつるみ始めたと同時に反抗期がきたようで、
親に対して色々と口汚いことを罵ったりしていた。中2のあるひ、万引き
で捕まって、父は一言も口を聞いてくれなかったけど、
母が私の部屋にきて「この手が悪かったんだね」と
手をつないでいっしょに寝てくれた。もう絶対に母を悲しませるようなこと
はすまいと堅く心に誓った。涙がいっぱいでた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

が、しかしのど元過ぎれば熱さも忘れ、大学生になり、ろくでもない男に
ひっかかり、アヘアヘ暮らしてしまいました。
7名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 10:41:56 O
大人になると親の気持ちとかがわかって、ホローリーするよね・・・
8名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 11:43:08 O
私「ねえねえ今まで私があげたプレゼントの中で一番嬉しかったのって何」
母「んーそーだねー。アンタが5歳くらいのときに、野っ原から花つんできて、
  お母さんおたんじょうびおめでとうってくれたヤツかなー」
今はまだ親不孝してるけど、ごめんよ母ちゃん。
100万倍にして借りは返すからね。
9名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 14:39:20 O
お正月に家族が集まったときに。
父親が私にかずのこを食え食えとうるさくしていた。
なまものは苦手な私がキレて「しつこい!いらないっていってるでしょー!!」
と怒鳴ったら、弟がとても静かに、
「お前が食えばパパが嬉しいんだから、一口食えよ」と言った。
その雰囲気に圧倒されて父親の箸からぱくりと食べてしまった。
・・・結婚していつのまにかオトナになっていたバカ弟に・・ショック・・。
父親も、弟に庇われてちょっと言葉を失っていた・・。
10名無しさん@HOME:2008/05/06(火) 21:05:09 O
5−6才の頃、自転車売りのお豆腐やさんにお使いで買いに行き、
帰り道、転んでボウルに入れた豆腐を道にぶちまけてしまった。

グチャグチャになった豆腐をかき集めてボウルに戻し、
「絶対怒られる」と思い泣きながら家に帰った。
けれど母は泣き顔の私と豆腐を見て
「あら、これじゃダメねぇ。。」と言っただけで一言も怒らなかった。

普段はヒステリーで怒ってばかりいた母だったので意外だった。
今もそれを思い出すと何故か泣きたくなる。
11名無しさん@HOME:2008/05/07(水) 21:03:51 O
小学校2年くらいの時、母と弟と三人で寝ていたら
何でもない日なのに弟が抱っこしてもらっていた。
うらやましかったので近くにいったらぎゅっとしてくれた。
子供が急にかわいく思えた瞬間ってやつだったのかなと今思う。
12名無しさん@HOME:2008/05/08(木) 00:35:52 0
5人兄弟の2番目で上とは年子、下に2個離れでゾロゾロいる甘えにくい状況の中、
甘え下手な性格の自分も加わって、あまりストレートに甘えた記憶がない。

覚えてるのは、6才くらいの頃。
何きっかけか忘れたけど、母と二人っきりでガレージのいすに座っていて、
「なぁ、おかあさん。ぎゅーってしてくれへん?」と突然お願いした。
「ええ?wなに言うてんのあんたは?w」と母は笑ったけど、
ぎゅーっと抱きしめてくれた。

ただ抱きしめてもらっただけなのに、涙が出るくらい嬉しかったこと、
なんで泣きそうなんやろ?と不思議だったこと。母の「もうええか?」という優しい声とか覚えてる。

あと、母のものすごい乾燥肌を兄弟で唯一引き継いだ私。
冬になればかかとがわれて、靴の中敷まで血がつくというのが普通だった小学生時代。
小学生なのにかさかさでしわしわの手をしていて、よくからかわれていた。

夜中にもぞもぞした感覚があって薄目を開けると、母が眠った私のかかとに
一生懸命クリームを塗りこんでいてくれた。
そういえば母は私のために高い保湿剤なども買ってくれていた。
自分のものは化粧品一つ買わないのに。


今私も母になって、母の気持ちも少しわかるようになって、
もう20年以上前のことを思い出して胸が熱くなる。
13名無しさん@HOME:2008/05/08(木) 01:59:09 O
小学生の頃、学校に凧上げ遠足という行事があった。
凧は用意された道具で自分で作り、絵も描く事になっている。
私の父が手先が器用なので、凧作りと絵をたのんだ。
当時私は小学2年生。
凧の絵はキティちゃんとか可愛い絵を期待してた。

そして凧が出来上がり、どんな絵かワクワクしながら見ると、コテコテの歌舞伎絵だった。
当時はスッゴクショックで学校に持って行くのが恥ずかしくて嫌だった。
でもそれしかないから、嫌々持って行った。

凧の絵のコンテストがあり、父が作った凧が最優秀賞に見事選ばれた。

やっぱり当時は最優秀賞に選ばれても複雑な気持ちだった。

今考えれば、最優秀賞に輝いても当然と思える程、父が描いた絵は素晴らしいと思える。

ドラえもんがいたら昔にタイムスリップお願いして、当時の自分を叱ってやりたい。

当時はわからなくて、嫌な態度とってごめんね。
お父さん有り難う。
14名無しさん@HOME:2008/05/08(木) 08:56:03 O
昔、兄と毎日のように喧嘩していたら
父が突然泣き出した。
「おまえら兄弟が仲良くしてくれなくて悲しい。」
今まで父の泣く姿など見たことなく、自分はものすごい親不孝者だと
罪悪感にさいなまれた。
15名無しさん@HOME:2008/05/08(木) 09:17:35 O
ちょ!
>>6!涙返せ〜W
良いお母さんだね。真面目に生きたげて。

私のホローリ。
出産したてで情緒不安定の中、里帰り中だったので
家に居た兄が「DSやる?」と誘ってくれた。
母のDSは兄が持ち、私は自分の(兄が結婚式の日にプレゼントしてくれたW)
を持って、一緒に子が寝てる間ゲームした。
私は兄に気を使わせるのが嫌なので、いつも元気なフリをしていて
その時も明るく遊んでたのに。
ゲームの後にふざけてピクトチャットでお絵かきしりとりしてたら、
何回かしりとりした後の兄の板に、「がんばれ」って突然
言葉が書かれてた。
え?
って思って兄を見たけど兄は画面見たまま次の絵を書いてた。

どういう意味だったんだろ。聞けなかったけど。
でも思い出すと今でも涙出る。
娘は1歳。
可愛い盛りの娘はたまにしか会えない兄にもとてもなついてます。
16名無しさん@HOME:2008/05/10(土) 16:50:27 O
うちのじいちゃんはひよこまんじゅうが好きで、昔それを持って映画に
連れて行ってくれたことがあった。

先日病院にお見舞いに行った時に、ひよこを持っていったらとても
おいしそうに食べてくれた。
88歳で呆け気味で、私のことも思い出すのに時間がかかるみたい
だけど、嬉しかったなー。

これからお見舞いのたびにひよこを持っていこうと思ったよ・・・。
17名無しさん@HOME:2008/05/10(土) 17:00:28 O
仕事が忙しくて、休みの日にも持ち帰って家でやっていた。
娘が部屋に入って来た時、「遊んで欲しいのかな?」と思ったが、仕事に集中していたので無視していた。
ところが娘は「ぱぱ、おしごとがんばってね」と言い残して部屋を出ていった。
私は仕事を放り出して娘と遊びに出かけた。
18名無しさん@HOME:2008/05/10(土) 22:44:47 0
父は大きな声で怒鳴る人だった・・・
ある日も母といつものように夫婦喧嘩をした後
私をおんぶして外へ出た・・・
真っ暗な夜だけど
星がいっぱい、父が私に言った。
『あの星はね、ここに住んでるとこよりも大きいだよ。
すごく大きいだよ』
けんかばかりする父に少し癒された・・・
大きな声さえ出さなかったら私も怖いものしらずに
のびのびできたのに。

19名無しさん@HOME:2008/05/13(火) 11:13:28 O
私の祖父はかなりの頑固ジジイ。
私は覚えてないんだけど
まだ私が赤ちゃんの時、かなり夜泣きがひどかったらしくて
母は祖父に、夜中に泣かすな!うるさい!ってよく言われて
真冬の寒い夜中、外で私をあやしていたと聞いた。
ただでもそんな頑固ジジイが後半は
ボケ出して母はさらに苦労している。
そんな母を尊敬してます。
20名無しさん@HOME:2008/05/13(火) 13:43:32 0
私は鍵っ子だった。
いつも家に帰るとオヤツを作って待っていてくれる母親がいる
友達が羨ましかった。
ある日、家に帰ると珍しくお母さんがいた。
オヤツにホットケーキを作ってくれていた。
その日、私は学校で苛められてとてもイライラしていて・・・
つい「こんな変な形のホットケーキいらないよ!」って
捨て台詞はいて部屋に閉じこもったんだよね…
その後でものすごく後悔したんだけど、素直になれなくて
謝る事もできなかった。
この前の13回忌に姉にその話をされた。
それまで全く忘れていた出来事だった。
お母さん、本当にごめんなさい。
もう一度だけホットケーキ焼いてください。
あの時私は本当は嬉しかったんだよ すごく食べたかったんだ
変な意地張って本当にごめん
21名無しさん@HOME:2008/05/13(火) 19:59:16 O
中学生の頃、夏休みに自分で一週間の少年キャンプに申し込んで
参加した。結構スパルタっぽいとこだったんだけど
なんだか自分を鍛えたかったから。

母が終了日の解散場所に1時間半かけて迎えに来て
嬉しそうに手を振ってた。

「最後まで一人で成し遂げたかった」自分は
「なんで迎えに来たの、一人で帰りたかったのに!」とムクれ
帰り道、口をきかなかった。母は「そんな事言ったってお前・・」と
泣きそうな顔して「ごめんね」と呟いてた。

あの時はせっかく迎えに来てくれたのに
ヒドい事言ってゴメン。反省してる。
22名無しさん@HOME:2008/05/14(水) 20:44:33 O
うちの母、青森出身。小学3年の時に、
母にみてもらいながら「青」の漢字書き取り練習してた。

母は「青」のあとに「森」を書いて
「これで”青森”っていう字になるのよ。ちょっと難しいかもね」と笑った。

中卒で東京に出てきて苦労した母、きっと故郷を思い出していたのだろう。
その時のなんとなく遠くを見るような目をしてた母に、子供心にも何かを感じて
その時の場面は「青森」という漢字と共に鮮明に記憶に残っている。
23名無しさん@HOME:2008/05/15(木) 08:48:20 O
親父に肩車されて銭湯に行く。
もちろん親父は下駄をカランコロン鳴らして歩く。
空にはぽっかりと満月が浮かんでる。

俺「なんでお月様がずっとついて来るの?」
親父「お前と友達になりたいんだろ・・・」
俺「そっかー!」
24名無しさん@HOME:2008/05/15(木) 14:19:12 0
>23
あなた今詩人になってない?
25名無しさん@HOME:2008/05/16(金) 10:03:18 O
母のへそくりをネコババした思い出・・・
26名無しさん@HOME:2008/05/16(金) 12:15:10 0
それされました。
いつかネコババしたのお財布に返してくれてたらホローリ。
27名無しさん@HOME:2008/05/18(日) 16:14:45 O
私が小学校低学年の頃、父親と近所の喫茶店にブルーベリーヨーグルトを食べに行ったことがある。

2回くらいしか行った事は無いと思うのだけど、父はいつも「あの時は楽しかったな〜」と言う。
28名無しさん@HOME:2008/05/19(月) 09:47:09 O
夜遊びして帰ると父親が必ず私の部屋の前で
酔っ払って寝ている。すごいウザっ!て思った
けど心配してくれたんだね。パパりん。
29名無しさん@HOME:2008/05/19(月) 11:11:09 0
小学生低学年の頃、休みの日に父と駅前のデパートを散策してたな。

特に買い物もなく、不器用で堅物の父との会話が楽しかった訳ではないが、
ソフトクリームをよく食べさせてくれたことを思い出す。
 
父はかなりのケチでもあるのに、子供にはアイスを食べさせてやりたいと思ったんだなぁ…
30名無しさん@HOME:2008/05/20(火) 09:27:35 O
母は私を産む前に1回流産している。
そのことを聞いた9歳くらいの私。
「でも、それで私に会えたんやからええやん」などと
歯の浮くような台詞をいってのけた。
今ならとても言えん。
何か思い出すと、母への感謝の気持ちとともに
ちょっと自分にも感動する。
31名無しさん@HOME:2008/05/21(水) 11:13:28 O
学生の頃バイトで生活していたのでお金が無かった。
7000円の中古自転車を買ったとおばーちゃんに言ったら
後日果物とかを宅配便で送ってくれて、その中に7000円の
入った封筒が下の方に入ってた。
32名無しさん@HOME:2008/05/21(水) 11:27:33 0
父、母、三姉妹の家族構成
農業で回りは田んぼばかりで
買い物に行くにはバスで1時間という田舎。
当時、買ったばかりのレコードプレイヤーで
聴くのは子供の大好きなアニソンばかり
ほぼ無趣味の父がある日突然LPレコードを買ってきた
わくわくする子供達、だけど・・・大人の女性の歌しか入っていなくて
ジャケットには半ヌード写真(背中とケツが見える程度のもの)
ひどく落胆したし、そのヌード写真がいやらしくって父が心底嫌いになった。
母が大層怒って、後日そのレコードは子供向けアニソンLPに交換されていた
子供達はとても喜んでいたけれど
今考えると、父が可愛そうで・・。
普段何の娯楽もなく、朝から晩まで田んぼで仕事
たまの息抜き、趣味さえも子供中心にさせられて
母親は結構きつい言い方をする人だったしなぁ。
時々激しい夫婦喧嘩もあって、今なら父の気持ちもわかるような
気がするよ。

33名無しさん@HOME:2008/05/26(月) 09:43:06 O
わしは修学旅行で逝った東映太秦映画村で
300円で売ってた仏像のミニチュアを家族5人分(1500円)買って
2500円(旅行の小遣い4000−1500)を着服した。
父ちゃんは「こんなモン要らん」と言って捨てた。
母ちゃんは1個仏壇に飾ってくれた。
姉ちゃんは一応「ありがとう」と言って引き出しに仕舞い、
その後仏像は陽の目を見ることはなかった。
妹と弟は最初の数日間だけ人形代わりに遊んでいた。

ホローリした?
34名無しさん@HOME:2008/05/26(月) 09:46:27 0
数あるお土産の中からなぜ全員に仏像を?
35名無しさん@HOME:2008/05/26(月) 21:33:54 0
安いけど高そうに見えるから!に1票
36名無しさん@HOME:2008/05/27(火) 07:19:03 O
俺は父、母、姉の四人家族。一家揃っての楽しかった思い出がほとんど無い。なぜなら、両親が共働きで皆の時間がバラバラだったから。特に、四つ離れた姉が中学生になる頃、母親の暴力や夫婦の不仲が原因で、更に一家がバラけることになる。
姉は高校を辞めて家を出て行き、数年後、両親は離婚。俺は母親と実家に残り、二人で暮らすことになった。今思えば、その時間を大切にすればよかった。
大学に入り、別居して四年目の春。姉から電話があり、母が倒れたとの事だった。倒れて五日目、意識が戻らぬまま母が肝硬変で他界した。50歳だった。
両親が離婚してからずっと、「また四人でテーブル囲って、おかんのすき焼きでも食いたいなぁ。」って思ってたんだ。そんなの叶いゃしないってわかってたけどさ、最後に四人集まったのが死にそうな時って切ないよな。せめて笑顔で会いたかったよ。
少しの間だったけどさ、二人でパチンコ行ったり、ポケモンやったり、買い物ついでにスクラッチやったりり、楽しかったな!!いっつも心配かけてごめんな!
ありがとうねおかん!
37名無しさん@HOME:2008/05/27(火) 11:25:02 0
ホローリというか、思い出すとプチ号泣になっちゃうんだけど。
17年前に母を亡くしたんだけど、死んじゃう3日くらい前、病室でベッドに
付き添っていた私、ちょっとベッドに突っ伏してうとうとしてたんだ。
で、ふとなんか頭に感じて目が覚めたんだけど。
そのころにはもうモルヒネの影響で一日中うつらうつらしかしてなかった母が
すごい勢いで私の頭なでてんの。もう何回も何回も。
黙って泣きながら頭なでられてたよ。
そのずっと後に生まれた娘の頭をなでてるときにはいつも思い出して泣いちゃうんだ。
38名無しさん@HOME:2008/05/28(水) 08:49:54 O
父は仕事の関係で単身赴任をしており気付くと小学校高学年から思春期の頃
ほとんど家にいなかった。
ところで、家には不思議な座布団があった。
兄の学習机用だったのだが、無地のオレンジ色座布団に、マジックで
飛んでいるウルトラマンと、ロゴが描いてある。微妙に違うが割と上手だった。

長年謎だったのだが、大人になったある日親に聞いてみた。
あの座布団なんだったの?
母が、あれは ウルトラマンが好きだった**(私の兄)が幼い時
お父さんが描いてあげたのよ。けっこううまいでしょ。と少し
誇らしげに答えた。

父は存命しているがすっかり白髪のおじいさんになってしまった。
若い頃は家も顧みず働き尽くめの日々だった。
とてもしつけに厳しく、女の私でも自分の過ちを認められなければ
叩かれた。今思うと かなりやさしく叩いていたはずだが、
めったに父と会えなかった私には父は畏怖の対象であった。
そんな父の意外な一面。不器用な愛情表現。
いまだに その座布団を思い出すと鼻の奥がツーンとして
涙目になってしまうのだ。
39名無しさん@HOME:2008/05/28(水) 12:20:26 O
>>31
ええばあちゃんや!
健在か?
40名無しさん@HOME:2008/05/31(土) 23:06:59 O
いい話多いなあ
41名無しさん@HOME:2008/06/02(月) 03:38:19 O
高一のクリスマスにプレゼントをもらった。
それ自体は毎年だったんだが、なぜかその年姉もプレゼント渡したんだ。母に。
したら父だけプレゼントなくて、ちょっと寂しそうだったんだ。
その年の年末、初めてバイトをしてたんだが、父のその顔見てバイト料は父に何か買おうと思った。
で、プレゼント買ったんだが、とっくにクリスマスは終わってるしなんか気恥ずかしいしで母経由で渡したんだ。
したら母、自分もプレゼントあげたんだと。寂しそうなの、母も見て気にしてたんだと。
なんだよもう仲良しだよ。プレゼントも軽く被っちゃったよ。

そんな父は私に、サンタが実在すると小6まで信じさせた経歴を持つ。
ありがとう父ちゃん。
42名無しさん@HOME:2008/08/27(水) 04:48:19 O
携帯からで失礼します

中二ぐらいの頃の話です

うちは家族がおかんと姉ちゃんしかいません。
だから、ちょっと貧乏でした。
ちょうど思春期真っ只中な時期に貧乏なのが恥ずかしいってゆう気持ちがあり、ちょっと反抗的でした。

その頃よく姉ちゃんと口喧嘩していて、ことあるごとに衝突していました。
中二の秋のある日、いつものように口喧嘩していました。
姉ちゃんが俺のする事にいちいち口を挟んでくるのが嫌で、俺は姉ちゃんじゃないから口出すなって言いたくて、「他人なんだから関係ないだろ!」って怒鳴りました。
43名無しさん@HOME:2008/08/27(水) 04:50:20 O
続きです

そしたら、急に姉ちゃんの顔が鬼のように恐くなり、胸ぐらを捕まれて壁に押しつけられました。
年齢が五才上の姉ちゃんの力は強くてかなり痛かったです。
「いってーな!!」って怒鳴りながら姉ちゃんを睨みつけたら、鬼のような顔のままボロボロ泣いてました。
びっくりしてたら、姉ちゃんに「他人なわけねーだろ!!家族なんだよ!!わざわざ他人なんかに口だししねーよ!!家族だから心配なんだろ!!大事な弟なんだよ!!」って怒鳴られました。
そこで自分が言ったことを理解しました。
その瞬間、涙が溢れ出てきました。
44名無しさん@HOME:2008/08/27(水) 04:51:37 O
止めたくても止められなくて、声にならない声で謝りました。
しばらく二人で大泣きしてました。
思えば、普段は憎まれ口を叩いてたけど、本当に辛いときはいつも助けてくれてました。
小さい頃もおかんが仕事でいないとき、ずっと一緒にいてくれてました。
姉ちゃんも『おかん』でした。

そんな姉ちゃんも今月結婚しました。
旦那さんと一緒にいるときとても幸せそうでした。
姉ちゃんが幸せになってよかったです。
シスコンって言われても、俺は姉ちゃんが大好きです。

長文失礼しました。
45名無しさん@HOME:2008/08/27(水) 09:13:16 O
でっでんしゃのなかで…なみだが………
46名無しさん@HOME:2008/08/27(水) 15:25:35 0
えぇ話や・・・
母様と姉様大事にね〜。
47名無しさん@HOME:2008/08/27(水) 15:54:57 O
小学5〜6年生のときの話。
夜中に両親が喧嘩して、母が家を出ていった。
子供を起こさないよう小さな声で言い争いをしてたんだけど、
夜更かししてこっそり本を読んでいた私は気づいてしまった。
ちなみに鈍い妹は隣で爆睡w
翌日は日曜日なんだけど、たまたま課外活動でお弁当がいる日。
お母さんいない…お弁当いるのに、どうしよう!?帰ってこなかったら…
と不安になった私は、起き出して父のところへ。
疲れた顔をした父に、「お父さん…明日、課外でお弁当がいるの」と言うと、
父がお弁当箱を探してくれた。買ったばかりのくまの形したやつ。
朝になってもやっぱり母は戻らず、父は私に
「お父さんがちゃんとお弁当作ったからな」と、くまの弁当箱を持たせてくれた。
母が家を出たという不安を抱えたまま学校に行き、お昼を迎えた。
お弁当の中身は、焼いた魚肉ソーセージに醤油をかけただけのものと、
しょっぱくて形の悪い卵焼き。そして白いご飯、それだけ。
でも、すごくすごくおいしかった。

夕方、家に帰ったら母が戻っていた。すっかり仲直りしていた。
お父さんがお弁当作ったんだよ、おいしかったんだよと言ったら
父はもちろん、二人とも嬉しそうだった。
あのときの父の顔と、お弁当の味は一生覚えていたい。
48名無しさん@HOME:2008/08/27(水) 17:01:48 0
うちの母は口うるさい。いまだに説教されること多々な私(汗)

言われるのは自分が悪いのに、当時の私はそれがわかっていなかった。
大学に入ったのをきっかけに、無理やり自宅を出て一人暮らしを始めた。
出る時は仕送りのことで母とケンカになり、私も意固地になって
がむしゃらにバイトばかりし、一度も帰らなかった。
卒業後もバイト生活をしていた。
そんなある日、私宛に現金書留が来た。差出人は母だった。
お金の間から、メモ書きみたいな紙切れが一枚出てきた。
「辛かったら帰ってきていいんだよ。お父さんも心配してるよ。」

メモを見た時、私は声をあげて泣いた。
母の手紙は今でも大事に持っている。私の宝物になった。
49名無しさん@HOME:2008/09/04(木) 17:32:57 0
小学校受験に失敗して、中学校受験に臨んだ私。
本番に弱い私は滑り止めも全部全滅。
最後の本命校受験の前日。両親からのプレッシャーと緊張から頭がおかしくなりそうに
なりながら、帰宅したら机の上に母親からの手紙が置いてあった。
「もし、明日の試験が残念な結果になったとしても全然気にしなくていい。
●●がどこの学校に行こうとどんな職業に就こうと●●が、パパとママの命より大切な
宝に代わりはないのだから。だから気楽な気持ちで頑張っておいで」
読んだ途端、大声で泣いてしまった。
思いっきり泣いたら、気持ちが軽くなり、受験にも全力を出し切ることが出来てなんとか
合格できた。
あの手紙がなかったら合格できなかったと20年経った今でも思う。
50名無しさん@HOME:2008/10/05(日) 14:30:01 0
小学生の頃、母親の出張に付いて、県庁所在地の街へ遊びに出かけた時の事。
(恥ずかしながら、家は母親が大黒柱だった。)
何の気まぐれかその日に限って、「汽車wに乗って行こう。」という事になり、汽車に乗る機会が
めったにない自分は興奮していたんだと思う。母親がその日どうしても必要な書類を駅に置き忘れてしまい、
途中で引き返して、結局車で行くことになってしまった。

その事は自分でも失敗談として記憶はしていたんだけど、数年前に帰省してその駅の近くを通りかかった時、
不意に母親から「こんな(上記)の事あったの覚えてる?」と聞かれた。多分笑い話になるんだろうなと思った
自分は少し無愛想に「覚えてるけど、なんで?」と返した。

そうしたら、母親が目を真っ赤にして涙声で「あの時はごめんね。。。」って謝ってきたんだ。
母親の記憶では自分の事をひどく叱ったとなっていて、子供だった自分を傷つけたと。とトラウマになってしまい、
その後も駅近くを通るたびに胸を痛めていたらしい。
その話を聞いて、驚くと同時に自分まで泣きそうになってしまった。(恥ずかしくて誤魔化したけど)
51名無しさん@HOME:2008/10/08(水) 22:19:17 0
汽車?
>>50は戦前生まれの人なの?
52名無しさん@HOME:2008/12/04(木) 18:09:16 0
あげ
53名無しさん@HOME:2008/12/06(土) 10:26:32 O
3人で海によく行った
夜中から出発して朝焼けをみて海入ったり、途中で花火大会があるのを車から見たり、星を見たり。
途中コンビニでお買い物する。
コンビニがまだ割と珍しい時だったから、これも楽しかったな。
小さい車に3人で、ほんわかワクワク
楽しかった。
54たいr:2009/01/13(火) 21:42:22 0
このスレいいな
55名無しさん@HOME:2009/01/22(木) 13:05:10 0
子供の頃、飼っていた老犬が死んだ時、
兄が中学生、私が小学校高学年、弟は小学校入学前だった。
兄が物心ついた時にはすでに成犬だったというその犬は、私達にとっては4人目の兄弟のような存在で、
とてもショックで悲しかった。
3人で裏山に埋葬することになったのだが、余りにもメソメソしている私達に向かって父が
「そんなに泣いてばかりいたら、マル(老犬の名前)が安心して眠れんだろう」
と言ったものだから、3人とも必死で泣くのを我慢。
しかし、幼い弟は我慢しきれず、穴を掘る間もずっと涙をぽろぽろ零していた。
白い布に包まれたマルの遺体を埋葬し、重たい気分で家に帰ると、祖母がたらいに湯を沸かして待っていた。
とても寒い日で、指先が痛いほどかじかんでいたので、3人でたらいに手を入れて、ぼんやりしていると、
祖母が弟の手をとり、丁寧に洗いながらこう言った。
「○○(弟)は悲しいから泣いたんじゃない。手が冷たくて、痛くなって泣いたんだ。」
それを聞いたらもう、なんだか我慢できなくなり、私も兄も泣き出してしまった。
「3人ともよく我慢したな。これでマルは安心して眠れるよ。幸せな犬だね。」
祖母はそう言いながら、3人の手をかわるがわる洗ってくれた。
結局、祖母に手を洗ってもらいながら、3人で号泣した。

昨年、祖母が亡くなって兄妹弟3人揃った時、 こんなことあったよねーと話していて、
3人してホロリとしてしまった思い出です。
56名無しさん@HOME:2009/02/11(水) 16:31:19 0
辛いね
57名無しさん@HOME:2009/02/12(木) 05:32:49 0
3、4歳の頃、いつも夕暮れになると今は亡き祖母が
散歩に行こう、と行って手をひいて、国道沿いの道を歩いてくれた

橋を渡ったところに、小さな月見草が咲いていた
それをしばらく眺めたら、また手を引いて、橋を渡った
毎晩毎晩、連れて行ってくれた
せせらぎと月明かりと、手の平の温かさ、優しく語りかける声
ささやかだけど、嬉しかった、幸せだった
親の愛を知らない私を大切にしてくれた、たった一人の大人
あなたと暮らした宝石のような2年間
その思い出だけで生きて来られました
ありがとう
58名無しさん@HOME:2009/02/12(木) 09:57:26 0
・゚・(つД`)・゚・

幸せになれよ
59名無しさん@HOME:2009/02/25(水) 16:46:47 O
仕事に行く前に見るんじゃなかったOTL
元々一重ではれぼったく目つき悪いのにいっそう悪くなった
でもいいや仕事頑張ろうって気になったよ
行ってくる(/_;)/~~
60名無しさん@HOME
あの日お母さんが作ってくれたハンバーグ
あの日お母さんが作ってくれたコロッケ