無職・パラヒキ・パラプーの身内を持つ人のスレ38ヒキ目
仕事は地震で休みになりましてw。
明日から通常どおりです
>>402 メンタラーっていうのかな、自分の親と違って
マトモに自分の現状を見て、話を聞いてくれて、
しかも現実的に意味のあるアドバイスをくれる人と
偶然知り合いまして。
僕の場合、中学・高校とめちゃくちゃイジメに遭い不登校になったんですが
端的に言えばイジメを存在しないものとか、簡単に自力解決できるって
思い込んでる親と、現実との板ばさみになってたわけです。
「強く、堂々と立ち向かうんだ」なーんて、現実には大して価値が無い
テレビか小説のキメ台詞を言ってるだけなのに
「子供の問題に手を差し伸べている人間的な自分」に酔ってる父親。
よく父親に「今日こそ学校へ行け!」とたたき出されました。
でも学校へ行けば、イジメ集団に人間便器させられたり(食糞とか飲尿とかね)
先生にばれない様、真冬でも必ずプールで水浴びさせられたり。
家に帰って事実を話しても、そんな現実聞きたくないとばかりに
「断固として立ち向かわないお前が悪い!明日こそ学校へ行け!」の
繰り返し。
中学は学校も事実認定を嫌がったのかそのまま卒業させられて、
父親に無理やり高校入試へ連れて行かれて底辺の工業高校へ入学して、
でも同じ中学からそのまま来てる元同級生が多かったのでイジメは変わらず。
出席日数が10日しかなくて、そのうち5日間は体育館で人間便器やらされてたな。
最後の日に家に帰ってから、無様に泣きながら一から現状を父親に
説明していっしょに解決策を考えてもらおうとしたけど、
「まだお前はそんな弱腰で!はっきりいやだと言うんだ!毅然とした態度が大事なんだ!」
などと相変わらずの理想論を叫ばれました。
翌日、勇気を振り絞って言ったっけ。俺はこんなことをされるために学校にきてるわけじゃない、
警察にも言う、先生にも言うからって。
もちろん、前歯全部折られるくらいの袋叩きにあって、女子生徒も見学の上で
全裸で人間便器。あれで、本当に誰も信用できなくなったよ。
紫色に膨れて捲れあがった口とか親に見られたくなくて、自分の部屋に入って泣いた。
半ヒキ?はそこまでで3年、完ヒキはそこからだったと記憶してます。
それから10年以上は、今で言うSADS、明らかな対人恐怖だったと思います。
何年もの間、やはり僕に原因があるとか、僕の対処が悪いと言い続ける父親と
お前が甘やかすからおかしくなるんだと父親に罵倒されながらも僕をかばってくれる母親と
たまに深夜に僕の部屋の窓に向かって「ウンコマン?まだ生きてるのか?」と
信じがたい罵声を浴びせる元同級生達に囲まれて、トイレすら行かない狂った毎日が続きました。
同級生達の罵倒は初め自分も幻聴だと思ってたんですが、見かねた近隣の人が
警察に通報してくれまして、悲しい事に現実だってわかりました。
もちろんその間、父親だけでなく親族からも、このスレでたまにあるような
かなり辛らつな言葉を投げられ、それが元で自殺も図ったりしましたが。
28の冬に、自殺しようと家出したんです。その歳で家出なんて言うと
このスレの人達からは失笑されるでしょうけど、実はそれまでバスの乗り方一つ
誰にも教わってなくて、僕一人だけでは隣町にすら行ったことなくて。
ただ、服装がちょっといわゆる「かわいそうな人」状態で
たまたま着いた駅を歩いていたら浮浪者がいると通報されまして、
交番にご厄介になったんですが、ここでお世話になった警察官が
脱出のきっかけをくれました。
初めこそ明らかに仕事上という感じで話を聞くだけで自宅に強制送還されましたが、
正月に年賀状を下さったんです。年賀状なんて小学生の時に
貰ったきりだからあんまりうれしくて、またこっそり家を抜けて
(ヒキっている間は、なぜか外出しているのを知られるのが恥かしかった)
交番へ行き、キョドりながらお礼を言って。
その後、その方とはお仕事の合間にお邪魔して、世間話したり
人生相談したり(笑。そのうち、色んなことを教わるようになりました。
自分の父親が実にあいまいな言葉でごまかしてきた、
生きる技術の実態っていうか、人間関係を作る、維持する、具体的方法ですね。
それと、今だと何て恥かしいことだろうと思うけど、今の2chでもあるような
ヒキだけど今さら聞けない常識スレみたいな会話も沢山しました。
社会機能なんて言葉、その方から初めて聞きましたし、
心療内科に行く事もその方から勧められて対人恐怖の治療もしました。