おはようございます、沢山の温かい言葉を見て少し前向きになりました。
娘は昨日、設備の整った病院へ転院しました。点滴のチューブだらけで
時折ひよひよと言う弱い声を上げているのを見て、トメや旦那がと言うより
守ってあげる事が出来なかった自分が情けなくて、泣けてしまいます。
トメは日曜日の朝、恐らく7時頃に家を出ました。トメ友と美味しい豆腐料理
を出す店に行く約束があったらしく「豆腐なら孫も喜んで食べる」と連れ出し
たそうです。トメは昔常識の人で、赤ちゃんには多く服を着せたがるし、食べ
物も大人の物を噛んで与えたがる人。移動中、空腹で泣きだした娘に
缶ジュースや緑茶を上げたそうですが、当然スプーンや哺乳瓶でないので余り
飲まず。泣き声も弱くなったから、眠いのだろう程度に考えたとの事。
娘に着せていた服は肌着、オーバーオール、さらにフリースマント。
気温が上がって来てもそのまま移動を続け、お店に着く頃にはぼんやりして
いたそうです。トメ達があやしても反応がないので、さすがにおかしいと
お店の人に病院を訪ねると、育児経験のある若い奥さんが「これは大変だ」と
救急車を呼んで、その間に水分を与えようと色々してくれたそうですが
もう飲み込む力も無かったと聞いています。
連絡は病院からでした。トメは始め「嫁が子供を押し付けて来た」と言って
私との連絡が取れない様な口振りだったそうです。医者が預かる時に言われた
授乳時間は?と聞いても答えられないし、連絡先を言おうとしない トメを
不信に思い「本当にこの赤ちゃんは、あなたの孫なのか?命も危ない状態だし
このまま答えないのなら警察に連絡する事になる」と言ってくれたので、
夕方にようやく連絡がついたという訳です。
旦那と一緒に病院へ行きましたが、旦那はトメの相手をし、そのまま自宅へと
送り返しました。私は医師から説明を受け、集中治療室に入っている娘と
少しだけ面会を許され、検査の出来る病院への転院説明を受けて帰宅しました。
帰宅は夜も随分遅くなってからだったのですが、旦那は自宅にいませんでした。
それで携帯に連絡すると「トメが荒れているから、今日はこちらに泊まって
そのまま会社へ行く。明日詳しく話そう」と言いました。こんな状況でも、
まず トメ。娘の事は明日で平気な人なんだと、もう絶望的な気分でした。
私は自分の最低限の荷物と仕事道具、子供の持ち物をカバン3つに押し込んで
家を出る準備を済ませました。
朝一番に病院へ行って会計を済ませて、転院先で入院手続き。
一度自宅に戻り、転院先の病院を調べて一番近いホテルを予約。
それから荷物を持って出ました。その間に、こちらへ書き込みをしました。
2ちゃんねるを見ている旦那への、当てつけもあったと思います。
私は実母は病死し、小学生の時は祖父母との生活。中学から父と一緒に暮らす
様になりましたが、高校の時に今の再婚相手との交際が始まり、大学入学時は
「卒業するまでの学費と生活費は面倒をみるから、その後は独立してほしい」と
言い渡され、新しい家族との交流は一切ありません。もし実母が生きていたら
助けて貰えたんだろうなぁ、と考えると寂しくなったり、その一方で1人で
今までもやって来れたという変な自信や虚勢があったり。