太ももに縫い針を刺されたもんだ‥
331 :
名無しさん@HOME:04/03/28 05:22
お前らの家庭って・・・恐すぎ。
あれだ、子供に対していい気になってるだけかと。
しつけをしている自分が好き、みたいな。
まぁ教養ない奴がやることだな。俺には関係ねーけど、こんな奴が世の中居るなんて嫌だな。
虐待って思ってないだけ悪質かも。
幼い頃から父の気に障ることがあるとどんな些細なことでも激しく殴られ続けた
そんな私は消防から立派なヤンキーになりささくれた生活をしていました
でもある日気が付いた。子供に手を出す香具師なんざ所詮小心者だ、と。
中学3年になって高校行くかどうかもう決めないと、ってときだったので
とっさに猛勉強してそれなりに進学し、大学も祖父に行かせてもらった。
ちなみに父親には高校のときに反撃し、それ以来私の機嫌を伺う暮らしをしています
暴力で支配しようと思うから支配されるんだよ。
実の娘が怖いなんて情けない男だけど、死んだときは葬式出してやるか、
としか思ってないのにね、こっちは。
333 :
名無しさん@HOME:04/03/28 15:12
母に股間を蹴られて降伏した。なのに、腰を叩いてくれなかった。
悔しいです。
やっと読み終わった〜
お灸とかはほほえましいが、なかなか壮絶なお家もありますですな。
>291、好きだw
神社の木に縛られそうになったことはあったが、
ひどく罰をかせられた記憶はない。
だからろくでもない人間に育っちまったんだろうか…?
ここでひどく躾けられた皆さんは、
結局その後 巧く
怒られた事を反省できて
その後に生かせたのだろうか?
335 :
名無しさん@HOME:04/04/05 14:30
>>332 アンタ偉いよ!
だが父親を許してはだめだ。
虐待を認めることになる。
336 :
名無しさん@HOME:04/04/05 16:37
子供の頃の怖いお仕置き、それはやいとでした。2歳の誕生過ぎに鍼灸院で
ちりげに下ろして貰った治療用の虫きりやいとが、幼稚園から小学校卒業頃
までは、お仕置きやいとに替わり、悪戯が過ぎたり、親の言い付けを守れな
かった時は、その都度母に馬乗りになって押さえつけられて、ちりげやいと
を据えられました。治療で据えられていた時は、米粒大の艾で3乃至5壮宛
でしたが、お仕置きやいとに替わった途端、小豆大から大豆大と艾も大きく
なり、数も7乃至10壮宛と増やされて据えられました。何時も大声で泣き
喚き、許しを請いましたが母が決めた数を据え終わるまでは決して許して貰
えませんでした。当時(昭和40年代前半)はまだ近所の家でも子供達はお
仕置きやいとを据えられていましたので、やいとの痕を見られても恥ずかし
くは有りませんでしたが、お仕置きやいとは子供達にとっては恐怖でした。
私も小学6年生の終わり頃には、此れに懲りて悪戯もしなくなり、言いつけ
の守れる良い子に変身しておりました。このちりげやいとの痕は、今では肌
色ですが真丸で真中が少し凹んだ1円玉位の大きさに成長し仕上がっていま
すが、お風呂に入って時々この恐怖の灸痕を鏡で写して見ては郷愁に浸って
います。
338 :
名無しさん@HOME:04/04/06 21:08
子供の頃のお仕置きの定番はやいとだった。
本当にやいとは子供にとって熱いより痛いのが我慢の限界を
はるかに超えていた。それでも親に押さえつけられているので
どうにもならず背中に大きなやいとの痕が残った。
水脹れやカサブタが取れるまで約1ヶ月背中に傷みが残った。
友達や同級生でも背中にやいとの痕がある子が多かったので、
子供に対してやいとはごく普通のお仕置きだと思っていた。
今の子はやいとのお仕置きがなくなっただけでも随分と
幸せであると思う。
>>335レスくれたのに亀でスマソ
私は偉くないです。環境を考えなかったら今の30代で大学出はフツーですもん。
どちらかというとハンデを背負ったと思う心の狭い人間です
父親の虐待は許すつもりはないですが仕返しする気は起きません。
父親が死ぬときに悲しむことができないと思うのですが
自分の娘にその程度にしか思われない彼が今一番みじめなんじゃないかな?
自分で気が付いてるかどうか知らないけど。興味ないしw
スレ違いなのでさげておきます
340 :
名無しさん@HOME:04/04/09 08:38
341 :
名無しさん@HOME:04/04/12 08:11
あげ
友人も虐待されてたそうですが(殴る蹴る等、打ち所が悪ければ死んでたと言っているので
そこから力加減を推測)
「散々虐待されたから今、こんなにうたれ強い常識を身に付けた自分がいる。最近はみんな虐待しないから
クソガキだらけなんだ」と虐待擁護派です。
虐待されて生きてる私は強い=虐待されて死ぬやつは淘汰されるべきその程度の存在
という考え方のようです。
ニュースを見ては「バカがまた死んだ」とか言ってます。
怖いよう。。。そうでも思わないと本人がやっていられないのかなあ。
私も親から虐待されてましたが、どうにも上記の彼女とはうまく話ができません。
>>342 あなたの友人が子供を産まないことを祈ります。殴られすぎてホルモン分泌しまくり
「殴る蹴るに耐えたアテクシは選ばれた人間なの」ってことでしょ?
っていうか、友達やめたら?虐待を受けていないあなたは甘チャソなんでしょ?
>ニュースを見ては「バカがまた死んだ」とか言ってます。
こんな人間と一緒に私だったら居られないがね。
344 :
名無しさん@HOME:04/04/13 13:51
>>342 そいつは虐待で頭が壊れてるね
子供は産まんでほすいがケコ−ンの予定はあるのか?
その友達には
345 :
名無しさん@HOME:04/04/15 08:38
あげ
346 :
名無しさん@HOME:04/04/15 16:09
虐待家庭で育ち、結婚もしない、子供も生まない
選択をした私を自分ではまともじゃない人間だと
卑屈に感じています。
私も普通の女の人生歩きたかったです。
347 :
名無しさん@HOME:04/04/15 21:45
>>346 おいくつだか存じませぬが、自分の人生をアフォ親の為に限ってしまうのは
やめなされ。親になることに嫌悪感を抱いているのはわかりますが
もう少し気楽に生きなされ。気のおけない友人と楽しく過ごしなされ。
一人でゆっくり過ごす休日も(・∀・)イイ!
親の呪縛を解けば考えも変わります。
結婚についてはするのが正解かどうかもわからないが
それより『親のせいで〜』と一生ひきずるの(・Д・)イクナイ!
自分の為にがんがれ。
348 :
名無しさん@HOME:04/04/15 21:49
349 :
名無しさん@HOME:04/04/16 12:53
>>347さん、348さん。
ありがとうございます。
350 :
名無しさん@HOME:04/04/20 22:02
あげ
351 :
名無しさん@HOME:04/04/20 22:36
子供の頃 大きなダンボールを見ると、入ってみたり 基地にしたりして
遊ぶのが好きでした。ただ 子供のする事なのでダンボールを切ったり
貼ったり、果ては飽きてボロボロにして放置、を繰り返していました。
そして いつも後始末は母で、かなりムカムカ来ていたんでしょう
ある日のこと、押入れの片付けのために用意していたダンボールに
いつものように入ろうとした瞬間、「うおおおんどりゃー!」
聞いたことも無い母の奇声でした。我慢に我慢を重ね「プチッ」と
来たんでしょうか?
般若のような顔で 突然ダンボールに蓋をして
私、「(泣きながら)ママ!何すんのよー」
母、「そんなに好きなら、このまま川に流してやる!」
大泣きして謝って許してもらいましたが、お仕置きにしては
恐ろしかったです。今、仕事で大きなダンボールとか見ると
不覚にも 涙が出そうになります(長くてスンマセン)
352 :
名無しさん@HOME:04/04/20 22:45
小学生の頃、髪の毛を後ろで縛ってたんだけど
ウチの母親は、私のその髪の毛をつかんで、壁に頭を打ち付けてた。
泣き叫びながら「やめてーごめんなさいー」って言ってた記憶がある。
でも痛さのせいなのかどうなのかわからないけれど
いつも途中で記憶がなくなって
気づくと、畳の上にベタっと倒れてた。
蹴られるのも怖かったけど
体ごと振り回されて、首が痛くなるこっちのが怖かった。
353 :
名無しさん@HOME:04/04/21 07:15
ウチはおかあさんがいなくて、お父さんとおばあちゃんと
お姉ちゃんと私の4人で暮らしていたが
そのおばあちゃんから、学校から帰ると、掃除洗濯ご飯の支度まで
色々言いつけられてとてもいやだった。
でも逆らうと、手にお線香押しつけられて
泣き叫ぶと「お前の母親みたいになるといけないから、こうしてしつけてやってるんだ」
て怒鳴られてました。
ある時、お友達のところに遊びに行って遅くなったら、家の鍵がしめられていて
「入れてよ」とドアをたたきながら必死に泣き叫んでいたら。
中から鬼のような顔したおばあちゃんが出てきて
「うるさい!お前のようなやつは外でいぬとくらせ。約束も守れないやつは
お前の母親と同じ畜生なんだから」といわれて水かけられたことも
ちなみに手の皮膚はかなりひどいケロイドになって
一年中手袋してる様な状態だったので、大人になってから必死にお金貯めて
直しました。
>>353 嫁イビリしたりなくて孫にも手をかけるとは…
うちの婆も私は初孫なのにもかかわらず女の子なのでわりとひどい仕打ちを
受けました。体に傷が残ることはされなかったが、コンクリにブン投げられたり
蹴られたり…今になっても思い出すのはなにかにつけ
「お前の母親が駄目だから」「母親に似て駄目な子供だ」
と言われ続けて育ち、すっかり自分に自身のない大人になってしまったよ。
>すっかり自分に自身のない大人になってしまったよ。
これは私も一緒。
「小さい頃の体験」の持つ影響の大きさだね。
356 :
名無しさん@HOME:04/04/24 15:35
喧嘩や悪さをした時、手や棒でお仕置きされている時、
“オキュウ”と言われるのが物凄く怖かった。
それは死刑判決を受けたようなもので、お仕置きの最後に
裸でうつ伏せにされて母が馬乗りになって背中にお灸を据えられた。
痛くて暴れようとしても動くことができず、それこそ全身に痛みが走った。
背中には“オキュウ”の判決を受けた数だけ跡が並んでいる。
357 :
名無しさん@HOME:04/04/27 11:17
今の時代だったら、訴えてやったのに。
358 :
名無しさん@HOME:04/04/27 12:33
今からでも訴えてやれば?
お灸の後が残ってんなら
十分証拠になるでしょ。
359 :
名無しさん@HOME:04/04/27 20:55
ウーン確かに今の子供にお灸の跡があったら虐待でしょうね。
でも、40〜50代ぐらいのおじさん、おばさんは周りにも
お灸の跡がある人がたくさんいたのでその時代は虐待でなく
お仕置きとして認められていたのでしょうね。
それでもお灸は子供にとって物凄く辛いお仕置きでしたね。
360 :
名無しさん@HOME:04/04/28 11:14
蹴りレンチャン、、
361 :
名無しさん@HOME:04/04/28 16:10
おもらしするほどぶたれたYO!
362 :
名無しさん@HOME:04/04/28 23:21
>>361 (・∀・)人(・∀・)ナカーマ
両手DEエンドレスビンタだったYO!
363 :
名無しさん@HOME:04/04/30 20:51
お仕置きの時、全裸にされて木に縛り付けられた。
田舎だったので人は滅多に来なかったが、見られたらどうしょうと、
何時もビクビクしていた。
幸い1回も見られたことはなかったが、下の毛がはえた以降も
全裸で縛られた。親は何を考えてお仕置きをしたのか今でも理解できない。
364 :
名無しさん@HOME:04/04/30 21:37
ggg
>>362 ビンタがひどくておもらしした?
あたしはビンタで床は鼻血とおしっこだまりだったYO!
もちろんビンタだけじゃなくて棒でぶたれたり蹴られたりグーで
ふっとばされたり・・・
おもらししなかったことなんかなかったYO!
366 :
名無しさん@HOME:04/05/02 01:46
小3の時、スカートめくりをした男子は、担任の先生(♀)がウエストがゴムの
フリーサイズのスカートを作って来て、翌日それをはかされて始業時間から
終業時間まで1日スカートの刑にあいました。
体育服を忘れたら、男子はパンツ1枚、女子はシミズとパンティ姿でした。
給食着を忘れたら、翌日は始業時間から終業時間まで1日給食当番の
格好で過ごさなければなりませんでした。
ヒステリックな女史は教師には向きません。
367 :
名無しさん@HOME:04/05/02 14:57
グーパンチをお腹にされてオシッコがバシャッって感じで床に飛び散った
368 :
名無しさん@HOME:04/05/06 11:11
age
369 :
名無しさん@HOME:04/05/07 12:32
俺もわけわかんない事で肉体的にも精神的にも虐待された。
我ながら愛に飢えた惨めな少年時代を過ごしたと思う。
今は優しい嫁さんと出会い幸せに過ごしているが、両親には
憎しみしかない。
で、中学生の時ちょっと精神的におかしくなっちゃったんだよ俺。
それで親父が俺を本気で精神病院に入院させようとしたんだよね。
けっきょく近所や親戚に体裁が悪いってことでナシになったんだけど。
当時は産れてきてスイマセンの心境だった・・・
俺が精神的におかしくなったのは両親の異様な虐待が原因だとわかったのは
20代になってからだった。あの時精神科医に診てもらうべきだったのは
俺じゃなく、俺を血祭りに上げてニヤニヤしてた両親だったのだ。
本当の自分をとり返すにはそうとうな時間がかかる。
371 :
名無しさん@HOME:04/05/07 17:56
>>370 がんがれ!
いい人生の伴侶に出会えてよかったじゃないか。
その時点であなたは救われてるよ。
私も両親に対する憎しみは消えそうにもないが
自分の家庭を持って安らぎの場を見つけたよ。
親の事は見捨てていいと思うよ、自業自得さ。
虐待されて塞がれていた自分は捨てて
嫁さんと一緒に新しい自分を見つければいいよ。
過去は消えないが未来は自分で創れるよ!
両親の不仲、浮気、私への暴力(殴る蹴る口や鼻から出血)は
日常茶飯事だったよ・・・
それでも外では何ともないふりをして生きてきたけど、
とうとう壊れてしまって病院通い。PTSDだよ・・・
日々の辛さと通院の日々、薬漬け。。。
どうしてこんな目にあわなくてはならないのか・・・
発病したのが結婚後だったから夫には迷惑をかけっぱなし。。。
まだ完治の見込みはないけど優しく見守ってくれる夫のためにも
がんばる・・・
でもこのことはいまだに親には恐ろしくて言えない・・・
過去の痛みと、治療の辛さ、必ずいつかは復讐してやる・・
>>371 ありがとう
俺が立ち直るきっかけになったのも、大人になってから
あなたみたいな理解者にたくさん出会えたからなんです。
本当にありがとう。
374 :
名無しさん@HOME:04/05/10 01:30
皆さん親に苦労掛けられてるんですね(/_;)
375 :
名無しさん@HOME:04/05/10 02:30
仏壇の前で一晩中正座。それも電気を消されて真っ暗。
376 :
名無しさん@HOME:04/05/10 03:08
仏様も一緒になって泣いてくれてたよ。。。
377 :
名無しさん@HOME:04/05/12 14:18
age
378 :
名無しさん@HOME:04/05/12 23:40
悪さをした覚えはないのに、私に腹を立てたオバに蔵の中に入れられた。
土壁にゴツイ鉄の扉を閉めると叩こうとわめこうと蔵の外に聞こえない。
夕飯のとき私が居ないのでオバが思い出して救助された。
オバはすっかり忘れていたそうで、みんなから叱られた。
379 :
名無しさん@HOME:
お仕置きじゃないんだけど、
父親が戦争教育に異常に熱心な人で、
姉が小1、私がまだ幼稚園の頃に「原爆展」に連れて行かれた。
子供の目から見ると、ケロイドの写真とか
溶けてドロドロになった弁当箱とか、
お化け屋敷よりも怖くて怖くて、最後には2人して泣き叫んでた。
私よりそれなりに思考力もあった姉の方がダメージがひどくて、
それからしばらくの間、夜になるとうなされるたり、
熱が出たり、不眠になったりとかなりかわいそうだった。
私にも子供が出来たらちゃんと戦争について話したいとは思うが、
映像を見せるのは小学校高学年からにするつもり。