【原発】原発情報3230【放射能】

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632地震雷火事名無し(三重県)
 清が「清兵の大挙して入韓すべき」を声立して朝鮮政府を脅し日韓間の交渉を妨害していたことが発覚したため、 7月
19日に日本は朝鮮政府に、清兵の撤去と朝鮮の独立に抵触する清韓間条約の破棄を求めた (なお、清に対して、日本
は当初から日清両国の助力による朝鮮改革を求めていたが、清は拒絶していた)。回答期限の過ぎた7月23日に京城へ
向かった所、朝鮮兵との戦闘が起き、日本軍が景福宮を占領し、開化派を中心とした金弘集政権が誕生する。朝鮮国
王は改革を拒んだのは閔族及び清の李鴻章や袁世凱等の意見によるもので国王の意志ではないとし、7月24日に「新政の勅諭」「大院君に政務委任の勅諭」「閔族処刑の勅諭」を下した。

 7月27日に改革の中心機関として軍国機務処が設置され、次のような改革が進められた。
1.中国の年号の使用を止め、開国紀年に変更。  2.宮内府と議政府の分離。
3.六曹(吏曹、戸曹、礼曹、兵曹、刑曹、工曹)を八衙門(内務、外務、度支(財務)、軍務、法務、学務、工務、農商務)に再編。
4.科挙の廃止。
5.封建的身分制の廃止。
6.奴婢の廃止。
7.人身売買禁止。 
8.拷問の廃止。 
9.罪人連座法廃止。
10.早婚禁止。  
11.寡婦の再婚を許諾。  
12.財政の改革。  
13.租税の金納化。
14.通貨の銀本位制。
15.度量衡の統一。

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