【原発】原発情報2542【放射能】

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903地震雷火事名無し(北海道)
異聞風聞
デモに見る路上の民主主義
 首相官邸の主が最も恐れるのは党内の造反でも、野党の攻勢でもない。
原発再稼動に抗し、日増しに高まる国民の声だ。
 東京・代々木公園で開かれた16日の「さようなら原発10万人集会」。
17万人(主催者発表)の群衆の中に身を置き、デモの列にも加わって、そう感じた。
 もっと民主主義を!
そんな思いに駆られて一人一人が東京から、福島から、北海道から…全国からやってきた。
 「デモのない社会」とされた日本で、60年安保闘争以来という抗議行動が起きているのはなぜか。
主役はかつての組合や学生から、ごく普通の市民に代わった。
人々は集会やデモで自らが主権者であることを確認し、社会を変えようとしている。
 「これ100円ショップで買ってきたんです」。
デモで隣を歩く女性から声をかけられた。
見ると造花のアジサイ。
ブルーや薄紫。
そう言えば、中東民主化の「ジャスミン革命」に倣って、日本の抗議行動を「あじさい革命」と呼ぶのだそうだ。
 ギターを手にした中年男性が米国の反戦フォーク歌手ジョーン・バエズの曲をつまびくと、
「再稼動はんたあーい」のシュプレヒコールに交じって歌声が周りに広がった。
組合の旗もあるが、子の手を引く若い母親や家族連れ、若者が目立つ。
車椅子の老人も。
手作りのプラカードや小旗を掲げて沿道の人たちに脱原発を訴える。
 炎天下の都心を行進。
流れる汗をぬぐう。
塩分補給にと見知らぬ女性から塩あめを差し出され、ありがたく頂戴した。
 コース沿いの小公園で、子供たちと母親のグループが木登りや水遊びの真っ最中だ。
デモの行列に手を振るのを見て、外遊びの自由を奪われた福島の子供たちを思い、胸が痛んだ。
 集会では道内から駆け付けた人たちの顔も。
「脱原発をめざす北電株主の会」メンバーで、札幌市の小林善樹さん(78)は「すごい人の数。大飯原発が再稼動しても諦めない世論を感じた」という。
「反原発 岩内原発問題研究会」の旗ざおを持っていたのは後志管内岩内町議の佐藤英行さん(62)だ。
 あちこちで「やあしばらく」と声を掛け合う姿があった。
 デモは「動く集会」であり、「社交」の場でもある。
そこには直接的な民主主義があり、市民社会に不可欠な要素だー評論家の柄谷行人氏の指摘を思い出した(「政治と思想」)。
 呼び掛け人の一人、作家の瀬戸内寂聴さん(90)が言った。
「私たちは税金を払っている国民。言い分があれば、言葉に出し、体で表現していいんです。たとえ相手が聞かなくても言い続けましょう」
 「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」の作家、大江健三郎さん(77)は約750万人分の署名の一部を首相官邸に届けた翌日、
あざけるように政権が原発再稼動を決めたと言った。
「私らは政府に侮辱されている。そんな政府のもくろみを打ち倒さなければならない」
 2人の言葉は抗議行動の意味や市民の思いを凝縮している。
 この国は民主主義国家ではなかったのか。
集会やデモに参加する人は国民のほんの一部でも、背後にはその何倍、何十倍もの民意がある。
それを直接行動で示すことに意義がある。
 戦後を代表する政治学者の丸山真男(1914~96年)は、「議会政治をきずくには」と題した小論で、
国民による政治参加の手段としてデモの役割の重要さを説いた(60年)。
 「あらゆる権力は国民が監視している姿勢をくずしたら、必ず腐敗します」ー議会の外にある社会の力で議会を突き上げ、
国会の中と外の風通しをよくしろと主張した。
平和的な市民集会やデモによって主権者たる国民が言葉を発し、行動することは民主主義の原点なのである。

>>898
休養じゃなくてそのまま北海道に移住してもいいんだよ!
と言っても今福島に残ってる人の耳には届かないんだよな・・