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地震雷火事名無し(静岡県):
たとえば火力発電、あるいは交通事故、鉄道や航空事故の方が、事故による死者を含む被害者が遥かに多いという理屈で原発を推進する者がいる。
確かにそうだろう。しかしその視点ははなはだインスピレーションに欠ける幼いものだ。
けして火力発電の事故がましという事ではない。だがもしも火災等が起きたら、被害と復旧の想像はある程度できるものだ。問題はそんな事ではない。
根本的問題は、福島の原発事故が今後どの程度でどのような、どんな範囲で、いつまで被害が生じるのか、全く分からないのだ。
そんな手におえぬものは安全だとか危険だとか議論する以前の問題なのである。実用化以前の次元である。
だから福島原発事故がどのような被害となり、損害を生じるものか、海外はかたずを呑んで注目しているのだ。
つまり日本はかっこうの人体実験の場になっているわけだ。被害の形が見えてきて、そしてそれがたとえばアメリカに及ぶものと判明したら、アメリカは容赦なく損害賠償を要求してくる。
当然大事故を繰り返したら、現代にふさわしくない国家としての評価に甘んずることになる。
もしも今後中国や韓国で原発事故が生じ、風に乗り波に乗り被害が日本の国土へ及んだら、当然賠償させなければならない。
そんなこと続けていて良いのか?科学的にも人道的にも、原発は手放さなければならないし、世界的普及も抑えなければならない。