「原発の町が、なして荒れとるかって? おめな、一回炉心サへえってみれ。
原発のなかなんてな、ありゃ、人間が入って働くとこでねぇべ」
いきなり、こう力説したのは、5、6人の地元農民を連れて定検作業に従事する吉田直己さんだ。
39歳。人出しの“親方”である。双葉町の彼の自宅―――
「原発の仕事つうのは、普通の作業と全然違うんでねの。定検は放射能を浴びることが仕事だべ。
ンだ。日当つうのは、被曝賃よ。ンだがら、仕事は土方や百姓に比べりゃ楽なのは当然なんだ。
定険を一回やるど、体ぁなまっちまって、土方としては使いものにならねべ。
だがら、原発労働者は人間の屑だっていわれる」
彼はビールで唇をぬらして、言葉をついだ。
「みんなサ、目先の日当もらわなきゃなんねがら、上辺は平気な顔してるげんども、
そんなもんでねぇべ。内心は、放射能浴びたこと、すっごく気にしてるべ。
胃が痛い、胸が痛いというと、もしや?と腹ン中で思うだ。ンだ、おっがねんだべした、やっぱし。
実際、ガンだ、白血病だってくたばってるのが、ごってりいるもんな。ここだけの話―――」
その不安を振り払うように、労働者は毎晩酒を飲まないでおれなくなるという。
『原発のある風景』(柴野徹夫 1983年発行)より抜粋