■■9月1日は、「防災の日」■■

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訓練しろよ。
2地震雷火事名無し(京都府):2011/08/13(土) 19:13:20.14 ID:lZXmUC470
防災の日だけ訓練してもダメだよ
3地震雷火事名無し(関東):2011/08/31(水) 10:44:18.52 ID:7QnDXi8xO

(*^_^*)
4地震雷火事名無し(チベット自治区):2011/08/31(水) 10:46:46.03 ID:xd3pApY50
防災の火に関東に巨大台風直撃

シャレにならねえwww
5地震雷火事名無し(関東):2011/09/01(木) 09:13:43.05 ID:EaiEYw/HO

どこも訓練
6地震雷火事名無し(大阪府):2011/09/01(木) 13:01:06.02 ID:r6aCei3/0
帰宅難民・混雑を再現=防災の日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110901-00000023-jijp-soci.view-000
7地震雷火事名無し(熊本県)
「朝鮮人、隊をなして石油・爆弾使い放火」
(小樽新聞 大正12年9月3日号外第一)
「朝鮮人、各所暴動検束数千名」
(小樽新聞 大正12年9月3日号外第三)
「朝鮮人、横浜〜王子放火」
(大阪朝日新聞 大正12年9月3日号外)
「朝鮮人、爆弾・放火・王子横浜で軍隊と衝突」
(荘内新報 大正12年9月3日号外第十八報)
「朝鮮人、屋根から屋根へ放火 婦人凌辱 略奪」
(新愛知 大正12年9月4日号外)
「朝鮮人浦和高崎に放火検挙 爆弾所持し唯氷峠列車爆破自白」
(名古屋新聞 大正12年9月4日号外第二)
「朝鮮人、殺人虐殺凶悪ぶり 進行中の列車に爆弾投げつける」
(福岡日日新聞 大正12年9月4日号外)
「朝鮮人、爆弾・掠奪・鮮人・銃殺」
(小樽新聞 大正12年9月4日号外第一)
「朝鮮人捕縛 爆弾其の他押収。軍隊が治安維持に出動したため、不逞鮮人は爆弾を携帯しながら各地方へ退散、鎮圧鎮静化へ」
(九州日報 大正12年9月4日号外第三)
「朝鮮人暴挙は完全取締を遂行」
(大阪毎日新聞 大正12年9月4日号外第二)
関東の地震なのに、報道は地方のものばかり、とお気付きになられる方もおいでのことと思います。
大正時代のことです。
当時、新聞社は、東京に一局集中していました。
この頃の新聞は、活版印刷といって、一文字ずつ文字を手作業で拾って並べて新聞紙の印刷をしています。
東京にあった新聞社は、ことごとくこの活版印刷のための活字ケースが地震発生によって倒れ、活字が散乱
し、印刷機能が停止してしまったのです。
さらに大火によって東京日日新聞・報知新聞・都新聞を除く13社がすべて焼失した。
最も早く復旧した東京日日新聞が9月5日付夕刊を発行するまで、首都における新聞報道は完全に麻痺して
しまっていたのです。
このため、地方新聞の支局員が、関東大震災の模様を取材し、それを地方にある自社新聞印刷所に連絡し、
これが各地での号外となったわけです。
号外記事の見出しを見ると、震災後の混乱の中で、在日朝鮮人たちが屋根から屋根へ放火したり、略奪、
暴行、婦人凌辱等、悪さの限りを尽くしていたことがわかります。
さらに在日朝鮮人たちは、爆弾まで使って放火、略奪を繰り返し、あげく、軍隊によって鎮圧された、とある。