【原発事故対応】アイデア求む 考察スレ 1Bq

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548地震雷火事名無し(東日本)
>>547つづき
総理が2時間、事故現場を止めてしまったのは事実だが
ベントを遅らせたわけではなかった。
「事実」というのはいつも、フクザツに入り組んでいるものだよね。馬鹿は単純化して大騒ぎし、悪党がそれで金儲けしたりする。

引用
 12日早朝(午前7時すぎ)に菅さんがこちら(フクイチ)に乗り込んできたときは、本当に驚きました。
しかも、ヘリコプターで来て免震棟で会うなり、
「何をやっている。ベントはどうなっている。早くするんだ!」
 などと怒鳴り散らすのです。総理にそこまで言われると、さすがに皆、引いてましたね。吉田所長は、
「とにかく、どんなことをしてでもやります。決死の作業で、命かけてでも絶対に何とかします」
 と答えてました。

 1号機が水素爆発を起こしたのは、ベントが遅れたせいだと指摘されていますが、現場としては、近隣住民のことが気になっていました。
ベントをすれば放射能がまき散らされる。近隣住民の避難状況はどうなのか、放出される範囲は広範囲にわたるので、現場としては、かなり深刻に考えていました。

 それに、自動でベントを開閉する装置がダメになっていたため、手動で動かさなくてはならない状況だった。
当時、1号機のリアクター(原子炉)建屋はかなりの放射線量が予想されていました。

そんな危険な場所に誰を行かせるのか。本当に決死の作業なのです。

 この「早朝視察」について、吉田所長は周囲に、無念そうにこう言ったという。
「言い訳になるかもしれないけど、菅総理がフクイチの現場に来たことで、そちらにばかり目がいってしまい、

2時間ほど『ベント』などの指示が出せなかった。
当時は、すべて私が指示して動いていた。それが止まったことで、周りも動けなくなってしまった」

 東電が6月に公表した報告書によると、吉田所長がベントの準備を指示したのが12日午前0時6分のこと。
そして東電が、ベント実施を菅首相、海江田万里経産相、そして原子力安全・保安院に申し入れ、了承される。
ところが、午前2時24分には、現場の放射線量から

『作業可能時間は17分』と報告され、

午前4時半ごろには、余震による津波の可能性から
『現場操作の禁止が指示され』た。

ベントに向けた状況が、いかに困難だったかがわかる。

 さらに、午前8時27分になって、
原発立地町である大熊町の一部住民が、『まだ避難できていない』との情報が入る。
避難終了を待って、ようやく作業員が現場に向かったのが午前9時4分。
格納容器圧力の低下を確認できたのは午後2時半になってからのことだった。

 そして午後3時36分、1号機で水素爆発が起きた−−。

つづく