【我慢比べ】山下俊一教授3【海図のない海】

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79名無しさん@お腹いっぱい。(福島県)
悲劇のヒーローにでもなった気分なんでしょうか、この人は。

最初から火中の栗を拾う覚悟だった -
長崎大学大学院医歯薬学総合研究科長・山下俊一氏に聞く◆Vol.3
(m3.comに登録が必要)http://www.m3.com/iryoIshin/article/138641/
先ほども言いましたが、最初は、白黒を明確にしなければいけない。
これは危機管理の原則です。それをしなかった、できなかった、誰も。
理由は簡単です。現地の災害対策拠点が崩壊して、最初の1週間、ほと
んど何も情報がなかった。福島県は、「原発安全神話」の中で生きてい
たので、何かあった時にまず国に聞く。しかし、国に聞いてもタイム
ラグがあったり、別のところから情報が出てきたりして、現場は混乱の
極み。そうした中で、誰も火中の栗を拾おうとはしなかった。

 結局、誰も動かなかったので、私が福島に行ったわけです。最初は3月
20日、いわき市を訪問しましたが、体育館で罵倒されながら話した。翌
21日の福島市の会場にも何千人も集まりましたが、同じような状況だっ
た。でも私は、皆の不安や不信がよく分かった。本来なら東電や政府が
言うことを、私が話しているわけでしょう。誰かに不安や不信をぶつけ
たい、投げかけたいという思いだったのでしょう。全く不条理な被災を
したわけですから。まさに被害者。

 だから我々は聞くしかない。でも我々が聞いても、皆の不安は解消さ
れない。安心を期待しているわけだから。後で非難されることを覚悟し
ながらも、「心配は要らない」と言わなければいけない。その覚悟を現
場で誰かが持っているかと見たら、誰もいなかった。私は福島に行く前
に、(長崎大学の)学長に、「福島に行くということは、バッシングを
受けることですが、いいですか」と聞いています。

 ――最初から、非難を受けることを覚悟されていた。

 はい。