【九死に】津波のエピソード【一生】

このエントリーをはてなブックマークに追加
82名無しさん@お腹いっぱい。(広西チワン族自治区)
俺も書きますね。

地震当日に俺は朝大宮から新幹線に乗りました。
俺は埼玉在住で、出張で仙台に向かい早めのお昼を仙台の人と済まし、
多賀城まで車で送ってもらいました。(その人の好意で)多賀城は別の業者さんに会うためで、待ち合わせの時間までしばらくあったので海が見たいなと思ってたので
海の近くに降ろしてもらったのですが、景色いいわけでもなかったので何か時間つぶすとこ(本屋とか)ないかとブラブラしてました。
相手から連絡くるまえに地震が起き、収まった後もあまりの強烈さにその場に立ちすくんでました。
携帯はつながらず、初めてきた土地な上に業者さんと連絡もついてないのでどうしたらいいか右往左往してました。
連絡もつかないし、携帯の充電も気になりとりあえず駅に向かおうかどうしようかあてもなく歩いてたら…

何かありえないところから水が来ました。

鳴っているサイレンと、津波が何とか言ってるのはわかってましたが、
周りにいる人達が逃げてるとかでもなく、それほど気にせずにいました。
それよりどうするか(逃げるではなく業者さんとのこと)に意識がいってましたので、
水が来たときは(一気に来たわけではなかった)何で水が?位にしか思ってなかったです。
とにかく水を避けようと、水が来た方と反対に歩いてたらそちらからも水が来て、
近くにいた人から初めて津波が来たことを知りとにかく水のなさそうな方へ向かいました。
でも水があきらかに大量に後ろからきたので走ったのですが、あっという間にひざまで浸かり、なんとか近くのビルに逃げ込んだのですが、
3階に登った時にはすでに1階が水で浸かっておりとにかく上(5階建)に行き難を逃れました。
外は異様な速さで水が流れてて、ハンドルにしがみついた人がいる車などが何台も流されてて、
いろんな破壊音と悲鳴とともに人も数人流されていく光景をただ見ているだけでした。
津波が収まった後はあちこちから助けを求める声が聞こえてて、50m位先の小屋みたいな屋根の上で
呆然としている老人も見えました。引いてない水のため自分も身動き出来ず、助けが来るのを祈ってました。
夜は寒さを何とかすることで精一杯で、一緒にビルにいた女性(30代後半位)は全身濡れていたため
ガタガタ震えだした時は女性に性的目的がないことを言い、やむなく体をくっつけあい壁の隅で寒さをしのぎました。
翌朝小屋の上の老人が倒れており(寝ている感じではなく)まったく身動きしてなかったので
息絶えたのかと思ったら自分等の(逃げ込んだビルには自分と女性のみ)身の危険を再認識しました。
逃げ込んだビルは事務所が2軒だけで、どの部屋も鍵がかかってましたので飲み物も食料もなかったです。
水が次の日の午後には引いたのでビルを後にしその後偶然駅で業者さん達に遭遇、震災対応で東京に行くという方の車に乗せてもらい帰ってきました。
半分パニックになってたので記憶あいまいなとこもありますが、流されていく人の光景や津波後の悲鳴や遠くに見えていた火事、
目の前で寒さに震え会話もろくに出来なくなっていた女性に翌朝お礼を言われた事、
助けてあげれなかった小屋の上の老人、ビルから駅に向かう途中で見た数々の遺体。

ほんとに夢だったらいいのにと何度も何度も…