元東京電力副社長
元自民党参院議員
35年生まれ。 57年東京電力入社、89年取締役原子力副本部長、97年副社長。議員在職中は国土交
通副大臣などを務める。10年から東電顧問。
私は1997年に東京電力副社長を辞し、翌年の参院選に自民党から立候補して当選しました。
2期務める中で、原子力発電を推進し、エネルギー政策基本法の成立に尽力しました。
私はあくまでも経済界全体の代表として立候補したのであり、「原子力村の使い走りとして国政を
やってきた」などというのは、失礼千万です。2期目の出馬の際に開いた1万人集会では、当時の東
電社長のほか東芝会長、日立製作所社長、三菱重工業会長もねじり鉢巻き姿で駆けつけてくれた。経
済界を挙げての「草の根選挙」だったと思います。
当時の私の秘書5人のうち1人は東電を退職した人で、残る4人は、交代で3年ずつ東電を休職し
て来てくれました。東電の社長に「いい人がいたら推薦してください」とお願いしたんです。ほとん
どが海外留学組で、優秀な方々でした。東電は給与を負担しておらず、国家公務員としての秘書給与
に加え、私の事務所で東電の給与との差額分を補填していました。
そもそも、「原子力村」という言葉自体が差別的です。政治家や官庁、原発メーカー、電力会社が
閉鎖社会をつくっている、という意昧でしょうが、原子力産業はさまざまな分野の知見を結集しなけ
れば成り立ちません。それを「ムラだ、ムラだ」とおちょくるのは、いかがなものか。
それに、2005年に閣議決定された原子力政策大綱をつくる際には、使用済み核燃料再処理の是
非を白紙段階から検討しました。政策大綱が原子力業界だけの思惑で左右されるのであれば、ここま
でオープンな議論は不可能だったはずです。原子力行政が独断的、排他的ではないことの証拠です。
専門家養成のため、原子力業界が大学に研究委託や研究費支援をするのも、「癒着」ではなく「協
調」です。反原発を主張する国公立大の研究者は出世できないそうですが、学問上の業績をあげれば、
意見の違いがあっても昇進できるはずです。ですが、反対するだけでは業績になりません。反原発を
訴える学者では、2000年に亡くなった高木仁三郎さん以外、尊敬できる人に会ったことがない。
そもそも「反原発」の学問体系というものがあるのでしょうか。
福島第一原発事故について「津波の想定などリスク管理が甘かった」と言われます。忸怩〔じくじ〕
たる思いですが、東電や原子力業界だけで勝手に想定を決めたわけではなく、民主的な議論を経て国
が安全基準をつくり、それにしたがって原発を建設、運転してきたわけです。「東電をつぶせ」など
と大声で叫んでいる人もいるようですが、冷静な議論が必要です。事故は国と東電、業界全体の共同
責任だと思います。 (聞き手・太田啓之)