原発への思い複雑
福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の事故を受け、双葉町の町民約1250人が
さいたま市中央区のさいたまスーパーアリーナへ集団避難してから5日が過ぎた。
町に帰れるめども立たない中、月末には埼玉県内の別の施設への移動が予定されるなど、
町民らは不安な日々を過ごしながら、原発への複雑な思いを打ち明けた。
第1原発の関連会社で働いていたという横山直之さん(28)は
「町民はみんな表だっては言わないが、心のどこかで(原発には)反対していたはず。
恩恵は半年に1度、各世帯に1〜2万円が配られたことぐらい」と突き放す。
一方で、隣にいた横山さんの父藤夫さん(64)は「町民は仕事など何らかの形で原発に関わっている。
もし原発がなかったら町は確実につぶれる」と複雑な表情を見せた。
夫が原発関連会社に勤務している女性(47)は
「原発は町の柱だった。住民の雇用や町の発展には欠かせなかった」とした上で、
「今回の事故で原発イメージが悪くなるのは分かるが、町民は危険性も分かっていたはず。
全てを否定することはできないのでは」と問い掛けた。
一方、別の女性(43)は「国や町からは『原発は安全』と言われ、完全に信じていた。
『ご都合主義』と批判されるかもしれないが、今はとても原発を評価する気にはなれない」とうつむいた。
地震発生時に第1原発内で勤務中だったという50代の男性は
「仕事で第1原発に戻らなければならないかもしれないので、個人的な考えは言えない。
大げさだが(原発と町は)良くも悪くも運命共同体のようなものだった」と硬い表情で話した。
同町の井戸川克隆町長は21日、同アリーナで原発について、
「東電が今後どのような対応をするか分からないが…」と前置きした上で、
「これまで原発城下町として何千人も 働いてきたが、これからは自立することも考えなければ」
と、異なる町づくりの可能性の可能性も示唆した。
[時事通信社] (2011年3月24日配信)
http://i.jiji.jp/jc/v2?id=20110311earthquake_15 「行ってもらうことになると思う」。福島県双葉町から
さいたまスーパーアリーナ(さいたま市)に避難する男性の携帯電話に
勤務先の社長から連絡があった。
長期化が予想される福島第1原発の復旧作業。
現場への“帰還”を求める連絡は、原発事故の影響で福島県外に避難を余儀なくされた人々にも及んでいる。
スーパーアリーナに避難する40代の男性に電話があったのは23日。
社長は「手伝ってくれないか」と懇願した。会社は東電が「協力企業」と呼ぶ下請け会社。
男性は近く、第1原発に戻るつもりだ。
「覚悟はしている。仲間が現場で戦い、交代を待っている。今すぐにでも行ってやりたい」と話した。
一方、6号機で働いていた別の40代の男性にも下請け会社の勤め先から連絡があった。
日当8万円という条件で既に職場に戻った同僚もいる。でも男性は会社の要請を断った。
妻と2人の子どもに引き留められたからだ。どれくらい被ばくするのか分からないことも気にかかっていた。
「行ったら、その後仕事ができなくなってしまうかもしれない」と話した。
第1原発には29日時点で東電などの作業員419人がおり、中でも下請けの56人は、
被ばくの危険性がより高い現場で難作業にあたっている。
http://hatsukari.2ch.net/test/read.cgi/news/1301442324/