>>754 723 :名無しさん@お腹いっぱい。(チベット自治区) :2011/04/08(金) 20:27:40.62 ID:HaqJf7B60 (1 回発言)
>>670 当時すぶぬれになってエンガチョされた苦い記憶を持つ身として、
興味をおぼえてほんのちょっと検索してみました。
ご紹介の記事では、63年東京の年間(セシウム137)を52ミリキュリーと
していましたが、
66年12月30日輪島では1日1平方キロあたり5600ミリキュリー
67年1月1日の米子でも3700ミリキュリーとか。
(セシウム137ではなく「雨水による全β放射能降下量」なので
測定のしかたも測定対象もちがうし、
地域や季節からみて「雨」ではなく「雪」だった感じがするし、
雪は雨よりずっと多くのチリをくっつけて降ってくるだろうとか、
いろいろあると思うから、比較で何か言える数値ではないですが、
見た目に「多い!」と思える数字というだけならかなりのインパクト)
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/about/hakusho/wp1966/ss1010402.htm (原子力白書昭和41年版参考資料 上の数字は(2)a表で見た)
回答者の方も推測しておられるように、
63年の東京と比べたら1日で1年分の3倍
66年の輪島と比べたら1日同士で30分の1(数字の見た目は)
なので、「核実験時代は桁違いに多かった」とおおざっぱに言うこともできるし、
「63年の東京と比べたら今の方がとても多い」と言うのも正確、
ということだろうと思いました。