火事場泥棒にご注意を

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1名無しさん@お腹いっぱい。(広西チワン族自治区)
火事場泥棒高梨真人(20)にご注意下さい
2名無しさん@お腹いっぱい。(広西チワン族自治区):2011/03/17(木) 19:55:11.01 ID:Q7RFzabAO
age
3名無しさん@お腹いっぱい。(広西チワン族自治区):2011/03/17(木) 19:58:40.65 ID:sSROvdTtO
高梨を警察に通報すれば動いてくれる?こいつだけは絶対に許さん、人間の屑や
4名無しさん@お腹いっぱい。(広西チワン族自治区):2011/03/17(木) 20:03:00.43 ID:Q7RFzabAO
今すぐには無理でも、復興して落ち着いてきたら警察も動いてくれるはずです!
5名無しさん@お腹いっぱい。(関東・甲信越):2011/03/17(木) 21:30:03.06 ID:lQBjkE3tO
写真とって警察に見せれば後々必ず動く
6名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/03/17(木) 22:33:33.31 ID:mfQ6CAp70










          このひと 泥棒なんですか?








     
7 忍法帖【Lv=8,xxxP】 (神奈川県):2011/03/20(日) 19:59:35.91 ID:nFwmblWv0
女も
8名無しさん@お腹いっぱい。(広西チワン族自治区):2011/03/20(日) 21:16:21.78 ID:STQxQggVO
晒しage
9名無しさん@お腹いっぱい。(宮城県):2011/03/20(日) 21:19:33.51 ID:lwQUw9OH0
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/o/m/a/omasoku/71717.jpg
http://blog-imgs-37-origin.fc2.com/o/m/a/omasoku/0315jquakess06_slideshow.jpg


【動画】被災地ではのどかな略奪が横行
http://www.youtube.com/watch?v=018lyN_sztM


【mixi】宮城県大河原商業高校の高梨真人(20)が被災地での自らの窃盗行為を自慢 保険金詐欺も計画
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1430560.png
10名無しさん@お腹いっぱい。(内モンゴル自治区):2011/03/21(月) 01:15:37.67 ID:P3I3ZJX+O
age
11名無しさん@お腹いっぱい。(広西チワン族自治区):2011/03/21(月) 07:25:55.57 ID:DPTnYaPVO
高梨真人まだ捕まらんのか
12名無しさん@お腹いっぱい。(茨城県):2011/03/21(月) 07:39:51.30 ID:fKoU7R//0
見かけたら殺してもいいという法律をつくるべきだろ
13名無しさん@お腹いっぱい。(catv?):2011/03/21(月) 14:28:10.94 ID:FZgivJo60
AGE
14名無しさん@お腹いっぱい。(宮城県):2011/03/21(月) 20:29:53.56 ID:rUdrhyF50
hage
15名無しさん@お腹いっぱい。(東日本):2011/03/24(木) 22:16:13.31 ID:n5gbzbJE0
http://american.naturum.ne.jp/e1186721.html

この度の震災に関して、
とあるブロガーによる、非常に興味深く且つ斬新な所感。
これは絶好の機会とばかりに、被災地における『火事場泥棒』を推奨www
16名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府):2011/03/24(木) 22:49:31.42 ID:cSNtEp8x0
とうとう日本も本当に「戒厳令」が必須の国になっちまったな。
東海南海トラフ大地震が来る前に「戒厳令」の法的準備をした方が良いぞ。
東京、名古屋、大阪は間違いなく暴力と略奪の渦と化す。
中心部は特に余所者ばっかだからな。義理も仁義も無いところはやばいぞ。
自衛隊、警察、893が集まってる地域はたぶん大丈夫だろうけど・・・。
17名無しさん@お腹いっぱい。(東京都):2011/03/25(金) 00:03:47.14 ID:TrywbuCl0
test
18名無しさん@お腹いっぱい。(北海道):2011/03/31(木) 14:19:29.38 ID:p/HUUg33O
19名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県):2011/03/31(木) 14:40:28.83 ID:HXN1ACA40
神奈川県警察本部に代理通報をお願いします
大船警察署管轄城山住宅で活動している公安が
一般市民を対象に殺すと脅したうえで犯人と殺人集団暴行事件を起こしています

公安は同じ手口で全国で犯行を犯していて共犯をつくる手口にたけています
3月31日14時30分「なんとかするから、もう少し黙っていてくれる?」と内部に共犯を増やす工作をして
事件隠蔽を謀っています

直前まで被害者が襲われていました
20名無しさん@お腹いっぱい。(東京都):2011/03/31(木) 15:46:39.74 ID:GAWSRyZZ0
オラァ高梨真人出てこいや!!!
21名無しさん@お腹いっぱい。(東京都):2011/03/31(木) 18:19:40.94 ID:GAWSRyZZ0
逃がさん
22名無しさん@お腹いっぱい。(埼玉県):2011/03/31(木) 18:26:33.78 ID:xNdWMNcu0
チョンとシナを追い出せ
23名無しさん@お腹いっぱい。(愛知県):2011/03/31(木) 19:45:12.96 ID:tvWrok3F0
高梨真人 悪い奴か
24名無しさん@お腹いっぱい。(東京都):2011/03/31(木) 20:55:21.50 ID:jBulrGIy0
浮上
25名無しさん@お腹いっぱい。(秋田県):2011/04/01(金) 11:49:01.47 ID:NRVAZ2ej0
実際に物品を取っていく人には注意してください。

それ以外に、火事場に乗じて自らの集団の利益を図らんとする大変危険な輩には十分注意してください。
こいつ等の口車に乗ると国を滅ぼすよ。
特に暴力装置には十分注意してください。大概マスコミが世論を誘導するので特に注意。
自画自賛している奴は絶対に心をせよ、必ず下心がある。
26名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/01(金) 12:58:15.47 ID:lGXYTelB0
元ソフトバンクの選手が火事場泥棒で捕まったな
倒れて垂れ下がった電線を盗んだって 
27名無しさん@お腹いっぱい。(東京都):2011/04/01(金) 19:13:01.62 ID:DnO4kF7C0
浮上
28名無しさん@お腹いっぱい。(宮城県):2011/04/01(金) 20:44:40.49 ID:sYP9lfX50
高く転売できるAV家電や、現金等は基本的に中国人系の窃盗団が中心。
被災民の中には、やむにやまれずガソリンや灯油を盗ってしまう人がいる。

…なんか複雑だ。
29名無しさん@お腹いっぱい。(福岡県):2011/04/01(金) 20:55:14.06 ID:q0VA9SGf0
アメリカ軍に警備してもらおう、奴らは容赦ないからな。
火事場泥棒には古い弾丸の在庫処理にちょうどいい。
30名無しさん@お腹いっぱい。(dion軍):2011/04/02(土) 21:18:39.49 ID:hqPdiusC0
欧米メディアは日本人を買い被り過ぎだな。
火事場泥棒に走る土人が結構多い。
被災したコンビニやATMで窃盗・荒らしが頻発。
東北人は人がいいなんて真っ赤なウソ。
民度の低い蝦夷がどっこい健在。
31名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/02(土) 21:54:55.98 ID:Yp1aiqRU0
>>30
ばあか。
これが東京だったら醜い争いが見れた。
西日本だったら殺し合いがあった。

東北では個人主義、利己主義に走ると生きていけないんだよ。
32名無しさん@お腹いっぱい。(宮城県):2011/04/04(月) 13:55:18.85 ID:OCP3pXw60
33名無しさん@お腹いっぱい。(新潟・東北):2011/04/04(月) 21:47:14.35 ID:jU+zBhbdO
なんだこの下膨れは
34K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:46:55.24 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
35K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:48:14.90 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
36K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:49:19.95 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
37K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:50:25.23 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
38名無しさん@お腹いっぱい。(大阪府):2011/04/08(金) 12:51:05.26 ID:ovB7EgV10
おい、K5
他にもスレあるってここじゃないぞwwwww
39K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:51:28.70 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
40K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:52:30.35 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
41K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:56:00.54 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
42K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:57:02.07 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
43K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:58:05.54 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
44K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 12:59:08.07 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
45K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:00:10.22 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
46K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:01:13.43 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
47K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:02:17.46 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
48K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:03:20.83 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
49K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:04:24.69 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
50K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:05:26.94 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
51K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:06:29.84 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
52K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:07:33.34 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
53K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:08:36.47 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
54K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:09:38.92 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
55K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:10:40.62 ID:BH1vBuJH0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
56K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:21:01.29 ID:WWHKM3O00
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
57K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:22:03.54 ID:WWHKM3O00
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
58K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:23:05.31 ID:WWHKM3O00
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
59K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:25:08.41 ID:3gFxDvA10
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
60K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:26:10.72 ID:3gFxDvA10
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
61K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:27:12.38 ID:3gFxDvA10
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
62K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:29:19.03 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
63K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:30:49.87 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
64K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:32:25.24 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
65K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:33:26.51 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
66K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:34:27.91 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
67K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:35:29.13 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
68K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:36:31.17 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
69K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:37:33.11 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
70K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:38:35.14 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
71K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:39:36.94 ID:zueuQvgZ0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
72名無しさん@お腹いっぱい。(愛知県):2011/04/08(金) 13:42:59.41 ID:Z3Ifa1840
K5いいかげん死ねよな
73K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:49:54.88 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
74K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:50:56.91 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
75K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:51:58.96 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
76K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:53:02.57 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
77K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:54:04.71 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
78K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:55:06.11 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
79K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:56:07.12 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
80K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:57:08.13 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
81K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:58:09.75 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
82K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 13:59:11.77 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
83K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:00:14.40 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
84K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:01:15.95 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
85K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:02:17.95 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
86K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:03:19.38 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
87K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:04:20.45 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
88K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:05:23.12 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
89K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:06:24.62 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
90K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:07:25.87 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
91K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:08:28.32 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
92K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 14:09:30.37 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
93名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/08(金) 14:50:01.51 ID:STU/VAmp0
>>92



> 悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。

> 彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。

                  ↑

            激しく矛盾してなぁ〜〜い?





  
94名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/08(金) 14:51:17.21 ID:STU/VAmp0
>>23
>>32


     それだれ?


 
95名無しさん@お腹いっぱい。(内モンゴル自治区):2011/04/08(金) 14:53:27.18 ID:tt8lmiysO
生きてる価値無いぜ?K5…
( ̄。 ̄)y-〜〜
96K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:00:15.51 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
97K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:01:17.60 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
98K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:02:20.16 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
99K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:03:21.68 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
100K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:04:23.84 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
101K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:05:25.85 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
102K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:06:28.27 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
103K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:07:31.26 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
104K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:08:32.66 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
105K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:09:34.40 ID:PZUwLi0g0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
106名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/08(金) 15:29:51.06 ID:STU/VAmp0
>>23
>>32


     この人だれ?







107K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:42:38.51 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
108K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:43:39.62 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
109K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:44:40.60 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
110K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:45:42.33 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
111K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:46:44.45 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
112K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:47:45.85 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
113K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:48:46.99 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
114K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:49:48.74 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
115K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:50:50.82 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
116K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 15:51:53.09 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
117K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:00:08.97 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
118K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:01:10.37 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
119名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/08(金) 16:01:28.80 ID:STU/VAmp0
>>23
>>32


     それだれ?
120K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:02:11.50 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
121名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/08(金) 16:02:12.03 ID:STU/VAmp0
>>23
>>32


     それだれ?
122K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:03:12.53 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
123K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:04:14.71 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
124K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:05:16.21 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
125名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/08(金) 16:05:23.72 ID:STU/VAmp0
126K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:06:18.24 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
127K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:07:20.34 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
128K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:08:22.47 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
129K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:09:23.71 ID:Yxcgg3pl0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
130名無しさん@お腹いっぱい。(山形県):2011/04/08(金) 16:15:28.75 ID:STU/VAmp0
>>23
>>32


     それだれ?
131名無しさん@お腹いっぱい。(宮城県):2011/04/08(金) 16:37:58.72 ID:R4xd+ukQ0
>32
>32


で、だれ??
132K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:39:19.25 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
133K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:40:31.64 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
134K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:41:36.69 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
135K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:42:39.06 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
136K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:43:45.16 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
137K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:44:48.85 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
138K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:45:51.83 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
139K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:46:54.31 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
140K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:47:55.62 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
141K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:48:58.97 ID:1XV6zCE50
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
142K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:54:47.99 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
143K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:56:16.50 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
144名無しさん@お腹いっぱい。(catv?):2011/04/08(金) 16:56:33.73 ID:DQNGYfO00
AKB48 21stシングル
「Everyday、カチューシャ」劇場盤(5月25日発売) ユーザー抽選購入申込み開始について
http://www.kingrecords.co.jp/akb48/kokuchi27.html

東北地方太平洋沖地震により、被害に遭われた皆様に謹んでお見舞い 申し上げます。
一日も早い復旧、復興を心よりお祈り致します。

 AKB48 21stシングル「Everyday、カチューシャ」劇場盤 (品番:NMAX−1111)を、2011年5月25日(水)に 発売致します!!
この「Everyday、カチューシャ」劇場盤CDのユーザー抽選購入申込み ですが、『AKB48 21stシングル「Everyday、カチューシャ」劇場盤 抽選購入申込みフォーム』にて、下記内容により開始致しますのでご案内申し上げます。

*こちらの劇場盤でも、AKB48として活動させて頂いている 「誰かのためにプロジェクト」の一環として、その収益の一部を、 東北地方太平洋沖地震の義援金として
寄付させて頂きます。

●商品名:AKB48 21stシングル
  「Everyday、カチューシャ」劇場盤(数量限定商品)
  *通常盤Type-A、Type-Bとは別ジャケット仕様
◆「Everyday、カチューシャ」劇場盤 発売記念大握手会参加券  1枚付き
◆メンバー個別 総選挙ポスター風生写真 1枚付き
  (生写真はランダムでお付けします。)
●発売日:2011年5月25日(水)
●定価:¥1,000(税込)
■「Everyday、カチューシャ」劇場盤の曲目リストなどの商品スペック情報は、 キングレコード公式HP内のAKB48ページにある 「New Release」(下記URL)をご参照下さい。 http://www.kingrecords.co.jp/akb48/index.html
●「Everyday、カチューシャ」劇場盤

発売記念大握手会(東京ビッグサイト)について   今回の大握手会は、下記3日間、東京ビッグサイトにて開催決定!!
*2011年7月2日(土)
*2011年7月3日(日)
*2011年7月10日(日)

*メンバー指名個別握手会です。

★AKB48メンバー全員(1〜12期生)が参加致します!!
   *12期研究生にとっては、待ちに待った初めての大握手会です!!
★SDN48メンバー全員(1〜3期生)が参加致します!!   
   *3期生にとっては、初めての大握手会です!!
★NMB48メンバー全員(1期生)が参加致します!!   
   *NMBメンバーが初めて大握手会に参加します!!

『「Everyday、カチューシャ」劇場盤発売記念大握手会』の 各日程の参加メンバー詳細につきましては、
コチラhttp://www.kingrecords.co.jp/akb48/21st_castinglist.htmlをご参照下さい
145K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:57:22.24 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
146K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:58:26.96 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
147K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 16:59:35.04 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
148K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:00:38.85 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
149K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:01:41.45 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
150K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:02:42.88 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
151K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:03:44.51 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
152K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:04:46.58 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
153K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:05:48.73 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
154K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:06:53.03 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
155K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:07:56.60 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
156K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:09:00.56 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
157K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 17:10:04.35 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
158名無しさん@お腹いっぱい。(神奈川県):2011/04/08(金) 17:41:14.53 ID:EsX+g1Z+0






日曜日にTagajo、宮城県の店の外
http://i.usatoday.net/news/gallery/2011/n110311-tsunami/JAPAN13A-10pg-horizontal.jpg

物資運搬のボランティア活動も足滑らしたら大怪我しそうな命懸け作業だったんだ





159K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:00:35.15 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
160K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:01:43.70 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
161K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:03:02.71 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
162K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:04:07.51 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
163K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:05:12.01 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
164K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:06:16.13 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
165K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:08:48.54 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
166K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:09:54.93 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
167K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:11:02.18 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
168K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:12:05.05 ID:U9p1tjaG0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
169K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:52:41.24 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
170K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:53:51.36 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
171K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:54:55.51 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
172K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:55:56.69 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
173K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:56:58.91 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
174K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:57:59.95 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
175K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 18:59:01.03 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
176K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:00:02.09 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
177K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:01:03.88 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
178K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:02:06.10 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
179K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:03:08.72 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
180K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:04:10.95 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
181K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:05:13.21 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
182K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:06:15.50 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
183K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:07:18.11 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
184K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:08:20.49 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
185K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:09:21.85 ID:Jecyvaw80
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
186K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:42:25.82 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
187K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:43:27.18 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
188K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:44:27.89 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
189K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:45:28.88 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
190K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:46:30.29 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
191K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:47:31.69 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
192K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:48:33.66 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
193K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:49:35.78 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
194K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:50:37.76 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
195K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 19:51:40.09 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
196K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 20:00:57.65 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
197K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 20:01:58.98 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
198K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 20:03:00.67 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
199K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 20:04:02.20 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
200K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 20:05:03.12 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
201K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 20:06:04.07 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
202K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 20:07:05.16 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
203K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?):2011/04/08(金) 20:08:06.94 ID:pZLPkUFT0
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る
204K5 ◆ZrPJFvslEyUG (catv?)
ネットイナゴ=悪霊の本質(スウェデンボルグの解説から抜粋)

悪霊は、善とは何かを理解している。 しかし、悪とは何かをまったく理解していない。
彼らは、霊にも人間にもさまざまな悪事をするが、それが悪事だとはまったく思っていないのだ。 なぜなら、彼らは悪なるものが存在していることさえ気づいていないからだ。
彼らは善とは何かを知っていると言ったが、彼らの善とは、実は悪なのだ。
たとえば、他人を支配するのが好きだとか、他人の嘆きを見て喜ぶといった心情を、 霊になっても浄化しきれていない霊がある。その霊にとっては、他の霊や人間を苦しめることは嬉しいこと、喜ばしいことである。
そして、自分にとって嬉しいこと、喜ばしいことが、彼らの善なのだ。
彼らの中では善悪が逆転している。 このような形で善を理解している彼らに、悪などは当然存在しないことになる。 人間を苦しめることは、彼らにとっては嬉しいこと、喜ばしいことであり、 それが彼らの善なのであって、悪ではないのである。

この世にいろいろなタイプの悪人がいるのと 同様に、悪霊にもいろいろなタイプがある。
なかでも、もっとも凶悪で、大きな不幸や災難、苦しみを人間に与えるのは、 復讐の悪霊というべきタイプである。
この世の人間に対して復讐の念を 燃やす悪霊は実に多い。
復讐心は、普通の人間の世界では、公然と口にしたり、行動に移したりするのは許されていない。
それだけに、人間だったときの彼らの心の中に積もり 積もって、それが霊界に行っても浄化されないためかもしれない。 彼らは復讐のことを“喜び”と呼んでいるくらいだ。

彼らに見舞われた人間は 不幸のどん底に落とされる。彼らはさまざまな手を使って復讐の喜びを果たすが、 対象にした人間をひどい病気にして、その身体を破壊するぐらいでは 満足しない。
その人間の心まで狂わせて、愚行や悪行を行なわせる。 彼らは悪のテクニックにも長けているので、最初は善霊のような顔をして 近づいてくる。
私も、善霊だと思ってつき合っていた霊が復讐の霊だったと 知ったときには、彼らの詐術の巧みさにびっくりした経験がある。
霊の世界で聞いたところでは、彼らは集団をつくって行動しているという。
復讐の念に燃える悪霊は数えきれないほどいる。
だから彼らは、自分たちだけの団体をつくっているというわけだ。
彼らの団体の内部統制はしっかりしていて、同じ団体の者どうしでは互いに 傷つけ合うことはないのだという。
悪霊の特徴は、さまざまなテクニックを使うことである。
悪霊がやってくるときには、地獄の光景とでもいうべき恐ろしいビジョンが 見えてきたりする。
しかし、これは比較的単純な悪霊の場合で、たいていは少し悪知恵があり、 美しいビジョンを見せて人間を誘う。
(略)
悪霊はこのほかにも、恐怖のビジョンを自在につくり出して、恐怖に おののかせたあとで、自分の思うとおりに人間を操ろうとする。
また、恐怖だけでなく、人の心をかき乱すことで人間を不安にしたり、 逆に信じ込ませて安心させたりして、人間を自由に操ろうとする。
彼らはそれを、類いまれな演技力や創作能力を使って行なう。
彼らの演技力や創作能力には、どんな名優も劇作家もかなうものではない。 彼らは人間にはない才能を持っているからだ。
彼らの演技力や創作能力の中でも、特に目立つのはウソやでっち上げを 自由自在に行なうことである。
彼らは、あることないことをまことしやかに でっち上げ、それを真実らしく語る