>>755 でも現代人に猿の遺伝子(赤毛、RH因子等)が混入してるなど信じられますか?
猿の遺伝子が表現型として発現しているのですよ!?
いや、ちょっと待てよ、犬は手(前足)2本と足(後ろ足)2本あるから人間と同じ形をしている。
トカゲでもいい。足4本に指5本が生えて頭もあるし退化したが尾骨もある。
人はトカゲと同じ形をしている。だから死産した胎児はトカゲに似ている?
何十億年待ったところでトカゲがヒトに進化することなどあり得るでしょうか?
あり得るかも知れないしあり得ないかも知れない。
あり得るとしても進化論のような一本道の話ではあり得ないと思うんですよね。
あるとすれば遺伝異常。ただし全くの偶然による遺伝異常で生き延びられる確立は天文学的に低いと思われニキビ。アミノ酸からDNAが組みあがるくらいのインパクトが必要。
とはいえ、小進化や亜種の文化までは否定しない。しかし、亜種間交配では遺伝異常といえるほどの異常は発生しにくいと思われ。
これら亜種よりも更に離れた分化した種の遺伝子が<<何らかの方法で>>組み込まれることにより奇形が発生、奇形が固定化(安定化)し、元の種と交配をすることで大進化が起こるのではないだろうかであるかどうかなど、思われ。
<<何らかの方法>>とは自然に起こりうるのかどうか。起こりえないなら神の手の存在も意識せざるをえなくなってくる。マラドーナが神の手を使ってでゴールを決めたように。
通常ならあの背の低い男がヘディングで決めるのは少し無理があった。そこで彼らは反則技として手を使った。誰にも分からないように。
つまりヒトにマカク猿の遺伝子が入っているのは反則技を使ったのかということ。すなわち、神の手の存在するかどうかである。
しかしこれもヒトを基準に考えるからおかしいのかもしれない。つまり、進化論が正しいならヒトはヒトの誕生以前はいなかった。つまり、類人猿はヒトから進化したとする立場からは、類人猿もヒト発生以前には存在しなかったことになる。
すなわち、爬虫類やげっ歯類の世界である。つまりトカゲとネズミを交尾をして霊長目の祖先が発生したと考えねばならない。
つまり、そんなことが起こり得るだろうか、という問いかけである。しかし、ネズミもトカゲも、その種では進化の頂点に達した種類であるからして、両者が交配するとい
>>756 だからさ、進化と進歩をごちゃ混ぜにするなよ。
それに、現代の進化論は一本道の進化なんて主張してないよ。
おまいさんの認識のママだと、いつまで経っても現代の進化論を理解できないよ。
>>747 >もしもこんな難問を進化論が解決してくれるのなら
創造論は全く何も解決してないから全く説得力がないね。
創造論は、創造者がどのようにして誕生したかを説明できない限り全く説得力がない。
進化によって創造者が誕生したのならいいけどさ。
うのは想像しづらいかもしれない。すなわち、表現型が極度に違っていると、視覚的に無理ではないか?との疑念が頭をよぎるのである。しかし、その内実は、遺伝子の違いは、これはごく僅かだ。
しかし、つまり、すなわち、それでもそれが実際に起こったと考えるしかないのであるからしてでもまたなかなかにおける。
ヒトもトカゲも牛も犬も、頭があり足が四本あり尾があるという点では皆同じ形をしている。この部分の遺伝子は共通であるはずだ。
問題は、中身だ。恒温・変温、脳容積、農耕増など。つまり、トカゲ、ヒト、犬を分けている要素は体温、農耕増ということになる。
これをパソコンに例えてみる。生物の外形をハードウェア(PC筐体)とすると、これらの要素はソフトウェアということになる。
コンピュータプログラムを組んだことのある方ならわかると思うが、プログラムを完成させるには、試運転とデバックの繰り返し作業になる。
プログラムする言語には文法もあるし、そのうえデバックが必要。(上級者になればデバックなしで完成することも可能。つまり、ソフトウェアにとっての創造者、神である)
ランダムにキーボードを叩き続けてプログラムが出来上がっていた、などという事態が有限の時間に起こりえないのはプログラムを経験した者であれば簡単に分かる。
もしあるとすれば、他人にパソコンを操作された場合だけである。さもなければ、パソコン本体が壊れるか、キーボードが故障するかである。(種として孤立。巨大化した恐竜やシーラカンスに相当)
ただし地球が誕生して数十億年。これを有限の時間とするか無限に近い時間とするかが難しいところだ。
長い時間、緩慢な変化が、神の存在(DNAの奇跡的混合)の認識を困難にさせているのかも知れない。
カエルは両生類であるが、幼生は魚類のようなものである。成熟するにしたがって爬虫類のように変化する。カエルの祖先は魚類と考えられる。
トカゲの幼生は未熟なトカゲである。トカゲの祖先は未熟なトカゲであり、成熟するに従って猛々しく変化する。
類人猿の幼生は未熟な類人猿(ヒトに似る)である。類人猿の祖先はヒトに似た生き物であり、成熟するにしたがって野蛮な風貌を持つようになる。
どれも、野生の世界(弱肉強食の世界)で生き残るのに合理的な方向へ変化する。物理的に強いか(攻撃力)、物理的に逃げ足が早い(防
防御力)かである。
これらから生物の進化(小進化)とは、弱肉強食の法則に支配されていることがわかる。
ここで、コンピュータの話に戻ろう。
コンピュータのプログラムには必ずといっていいほどウィルスが存在する。これらウィルスは、ソフトウェアの弱点をついたものだ。
パソコンをインターネットにつなぐにはポートが必要であり、ポートが必要であるからDDos攻撃なるものも存在する。(あまり詳しくはないが)
生物の行動はプログラムに例えることができる。
さあ、ここで、なぜ子供を育てるのか考えてみたい。ヒトの場合においては見た目が可愛い、泣き声が可愛い、などなど、本能と区別がつかないような要素が多いので説明は難しい。
動物の場合はどうだろうか。動物の世界では違う種類の動物を育てる行為はよく見られる。これを説明するのも難しいだろう。しかしある動物は子供の泣き声や匂いで判断するのだという。
視覚の発達したヒトにおいては主に視覚で判断するのかもしれない。犬や猫が可愛いから育てる。成犬よりも匂いが少ない(臭くない)というのもあるのだろうか。
さて、ここで本題に入りたい。自然界において未熟な(物理的に脆弱)ヒトが進化して生き残ってこられた理由は?
授乳本能と生殖本能と防衛本能以外を喪失してしまった奇形生物。
これらが親となる生物に保護されて生きるのであれば、その形態はどのようなものであってもいいはずだ。親となる生物に似ている必要はないということ。
これらはコピーという意味での親の遺伝子を引いていないのだから、親にしてみれば育てるメリットはないはず。それなのにエネルギーを投入して育ててしまう。
ヒトのような弱い生物は、言ってみれば、生物の授乳本能というプログラムの弱点を突いたウィルスのような存在ではないのか???
これらのことが可能であるなら、他の多くの生物種に見られる「物理的に強い方向への進化(変化)」や自然界の掟である「弱肉強食の法則」に縛られない奇妙な状態ということになる。
もしこんな生物がいるとするなら、幼生の期間が長ければ長いほど、そして幼生の特徴を多ければ多いほど、生き残るのに有利ということになるだろう。通常の自然界の掟には縛られない奇妙な生物。それがヒトではないのか。
ヒトは犬や牛から奇形生物として誕生した。
保育本能というプログラムのバグをついて、育ててもらうことができた。
ある日、この奇形生物同士が出会い、繁殖した(生殖本能はヒトにもある)。
三行で済ませられるところを長々とすみませんでした。^^;
ただし、この考え方でも、不可解で到底納得できないような点もたくさんあることが分かる。
ヒトは幼生であればあるほど生き残る確立が高いということは、弱肉強食の掟に反することになる。
親の保護下から出たあとの生存は難しいものになるはずだ。
さらに、ヒト(ヒトの祖先)の繁殖は、親となる生き物の数に左右されることになる。
ここで殊更に「幼形
生物は進化しない。畸形化した奴がたまたま生き残っているだけだ。
ただし、この考え方でも、不可解で到底納得できないような点もたくさんあることが分かる。
ヒトは幼形であればあるほど生き残る確立が高いということは、弱肉強食の掟に反することになる。
親の保護下から出たあとの生存は難しいものになるはずだ。
さらに、ヒト(ヒトの祖先)の繁殖は、親となる生き物の数に左右されることになる。
ここまで殊更に「幼形」に拘るのは、現生人類の特徴である「知能」の出現が、野生界で生き残ることと全く結びつかないからだ。
「子供の頃は幼形であったが、成長にしたがって生物としての特徴を備え生命力を増していった」というのであれば、それは親となる動物となんら変ることのない特徴だ。
「生命力を増すが、親とは違う方向に向かう」ということであっても、親と生存権というニッチを争うことになる。
このようにして生き残る生物があるなら、言ってみれば親をも食らうようなバケモノの出現であって、親となる生物は生き残れないはずだから、したがってそのようなバケモノは出現しないことになる。
「ヒト(ヒトの祖先)は幼形の奇形であるから生き残ってこられた」ということなのであれば、ヒトの祖先は徹底的に幼形でなければならないのだ。
これが、生き残ること(知能を獲得すること)と、全く結びつかない。過程を想像するのを非常に困難にさせる。
知能を獲得した現代人であっても、ブタや狼に育てられたのなら、ブタや狼にしかならないことは幾つかの例で分かっているのだ。
これらの事例は、人が人になるためには教育が必要、ということを示唆している。
この進化の方向性を考えることが難しいのなら、逆にして考えてみない?
人は、教育を与えられた人から、突然誕生した。
一部の人は野生化して、サルやゴリラになった。
・・・これなら、進化論とも矛盾しないし、全ての問題を解決することができてしまう。
つまり、人は、宇宙人の子である。創造者は存在する。(生物と宗教とごっちゃにしてしまって悪いけど)
>>764 たまたま生き残ることが可能なら、学問など不要ということになる。
あなたはここに書き込む資格はない。
なんとか説明を試みようとするほうが遥かにマシ。たとえそれが下らない落書きにしか思えなくても。
さて、「ヒトの祖先は幼形」だったならば、ヒトの祖先は多くの生物に受け入れられる可能性が高くなる。
考えられるヒトの祖先の特徴とは、「徹底的に幼形」であることは既に述べた。
ところが、徹底的に幼形であるから多種の生き物に育てられる可能性はあるのだが、それが故に親となる生物の保護下を離れると生き残るのが難しくなる。
ここで、奇形であるヒトの祖先がキツネから生まれ、イヌに育てられた場面、またその反対の場面を想像してみよう。
ヒトの祖先の幼生が遺棄され、違う種類の親に拾われ育てられる。
親生物はある日ムラムラしてしまってヒト祖先の幼生と交尾をしてしまった。イヌ人間、キツネ人間の誕生である。
ヒトの祖先にとって生き残ることは「徹底的に幼形」である必要があるから、幼生時には徹底的な幼形は保たれ、成長するにしたがい親の特徴を獲得することになるだろう。
ある日、突然、イヌ人間とキツネ人間が出会い、恋愛をして、夫婦の契りを交わし、入籍をしてしまった。
すると、どんな子供が生まれるだろうか。
イヌとキツネがそのまま交尾しても、運がよくて不能な中間型が生まれるだけである。
「生殖本能」を欺く性質があればこそ、異種間交尾は可能になる。下品で申し訳ないが、イヌが人にさかりをつけるのも、なんとなく納得できる。(これのどこが学問なんだ?)
で、何処からのコピペ?
ヒトが生物の本能を欺くウィルスのような存在であることは既に述べたとおりである。
とするなら、ヒトという生物の輪郭や範疇はあいまいなものとならざるを得ない。
そうであるなら、ヒトの祖先は、決まった形をとらない奇形生物であったとすることができる。
ところが、ヒトは、ヒト科ヒトという分類上に厳然として存在する。
生物を分類する定義はいくつかあるが、ヒトとその他の生物で大きく異なる点は、「知能」があるかどうかである。
ヒトの祖先は野生生物のニッチに入り込むウィルスのような存在であったが、その中から「知能」を獲得したものだけがヒトになったのではないだろうか。
自然界で生き残ることは、他の生物のニッチを奪うことなのであるから、自ずと他の生物との競争が生じる。
ヒトが誕生した後の世界を想像してみたい。身体的に脆弱であるヒトは、棍棒やヤリを持って野生生物に相対することになるだろう。
この作業には論理が必要になる。動物に襲われるかもしれないと認識し、そこから武器が必要になると認識し、したがってヤリを作る。
カラスが引っ掛け棒を使って倒木の隙間に隠れた幼虫を引き上げたり、車が通るであろう場所に胡桃を置く。
これらの行動から、単純な作業については必ずしも論理は必要ではなく、本能で済ませられる可能もあることはあるのだが。
ヒトは様々な物を発明し製作してきたことは、ヒトには論理・思考回路があることは確かだが、石器時代あるいはその前くらいまで時代を遡っていけば「本能」と「思考回路」は曖昧なものになるかも知れない。
「思考」は「本能」から独立した要素に思えるが、「思考」すること自体が実は「本能」に依っているのかもしれなかったりする。
野生動物が獲物の先回りをして待ち伏せをしたりするなど、一見「論理」が必要に見えることも、「本能」や「経験による記憶」で説明することが可能かもしれない。
あるいは、「経験による記憶」に、ほんの少しの「本能」が組み合わさって「論理」が組み立てられるのかも知れない。
もしそうであるなら、ここでもまた、ヒトとその他の生物の境界が曖昧になる。ヒトの知能は、その他の生物と断絶しているわけではないことになる。
ヒトの場合は、脳の容量が極端に大きいことにより、その他の生物には不可能であろう複雑で高度な事象を「思考」することができ
る点は大きく違う。
考えを進めてみる。
ヒトは「脳が巨大化」したから複雑な思考が可能になり、学問を生み出し、ついには自然を理解するまでになった。
その理解によって様々な文明の利器を発明して生活が改善され、高度な武器兵器を作ることにより、より安全になった。
これは事実だとしても、腑に落ちない点がある。
自然界の法則に則って生き残るのであれば、ヒトは「物理的に強い
る点は大きく違う。
考えを進めてみる。
ヒトは「脳が巨大化」したから複雑な思考が可能になり、学問を生み出し、ついには自然を理解するまでになった。
その理解によって様々な文明の利器を発明して生活が改善され、高度な武器兵器を作ることにより、より安全になった。
これは事実だとしても、腑に落ちない点がある。
自然界の法則に則って生き残るのであれば、ヒトは「物理的に強い」方向に向かわなければならないはずだ。
先住の猛獣と格闘するにしても、獲物となる大型動物を狩るにしても、「物理的な強さ」が必要になる。
それはゴリラやチンパンジーを見ても一目瞭然だ。
ここで「ヒトは知能を発達させたから、武器を作って生き延びた」という論法を持ち出したとしても、疑問は解決しない。
石器などのように、単純な武器道具の製作については「本能」に依っている可能性があることは既に述べた。
と、するなら、石器程度についてはチンパンジーと同程度か少し多いくらいの脳容量で済む。
しかしヤリくらいになるとそれよりも遥かに大きな脳容量が必要になる。
ここに乖離が存在する。
ヒトは「論理」を獲得するために「脳を巨大化」したのだとしたら、その進化の方向性は、すこし引いて見てみると、自然界の法則とは全く無関係に見えるのである。
分かりやすく言うと、「脳を巨大化」させることは「論理の獲得」につながり有利なのだが、「論理の獲得」が有利などということは後付けの説明でしかなく、したがって「脳の巨大化」も全くの後付けの説明でしかないという点だ。
もう少し噛み砕いて言うと、「脳を巨大化」させると有利になり生き残れるなどと言うことは、当時はまだどの生物も知らなかったということ。
だから、言葉上の綾になるのかもしれないが、「ヒトは大脳を進化させて」生き残ったという説明は、それ自体で完結しており、外部との関係性が無いに等しい。
なぜ「大脳を進化」させたのか、その理由をなにも説明していない。
説明されない理由はどこにあるのだろうか。
「突然変異」や「偶然性」を持ち出さなければ、説明できないのである。
遺伝子工学の発達により、都合の良い「突然変異」はあり得そうも無い、という考えが主流になりつつある。
「偶然」で片付けられるのなら学問は不要であり、何も説明していることにならな