進化生物論的な見地からの言語・思考

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C)原「音素」確立時代
組み合わせ規則に基づく記号表現がいっそう進むと、社会集団がもっている弁別的な音声の総数
(仮に30としましょう)は元の意味を失って、単なる構成要素になると推論します。
AB=「獲物がいる」、ABC=「まだ早い、待機しろ」、ABCD=「いまがチャンスだ、襲え」
というような具合。品詞はまだ発生していないでしょう。語も十分に析出されているとはいえません。
構成要素となる弁別的な音声は「音素」と似ていますが、厳密にはそうは言えません。
「キィー」とか「グワー」とか、サウンドスペクトログラフの声紋分析によってしか判別しない音声を
「音素」とは呼べません。音素は、調音点はどこか、調音様式がどうか、というように記述可能です。
しかし、この方式により、多くの概念を切り分けるか、創出するかして、無限の音声で充当することが
可能になります。それから、非常に重要なことですが、この段階に至ると、「内言」の可能性が生まれます。
音声記号は、情報伝達の役割ばかりでなく、主観の内省・思惟の道具としても使われるようになるでしょう。
音声記号を媒介として、内面で手持ちの概念レパートリーを利用して、分析・反省・予測・合理的な判断なども
可能ではないでしょうか? 「心」の誕生の問題と深くかかわってきます。