血液型と性格は関係あるの?

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「日本人の原型を探る」 湯川秀樹・司馬遼太郎 対談(抜粋)

湯川  日本とか朝鮮とか、あるいはアジアのあっちこっちの血液型の調査がありまして、古畑(種基)さんという
えらい学者、この方がお調べになったものすごい統計があるんですよ。古畑さんはそれを変なところへ使おうとな
さらんけれども、私は少し教えてもらった。それはおもしろいことがあるのや。どういうことがあるかといいますと、
いまおっしゃった瀬戸内海沿岸、それから畿内、大阪、京都、奈良、それから滋賀県、このあたりはA型の割合が
多いのや。日本全体にA型が相当あるんですけれども、さきほどあなたがおっしゃっている日本の北のほうはB型
がわりあい多い。ところが、アジア周辺を見ますと、A型の多いというのは、あまりないのやね。ひじょうになぞみた
いな話ですけれどもね。それで朝鮮を見ると、任那が昔あった地域、そこにA型が多い。それから北へいくとB型が
多くなる。中国自身はどうかというと、あまりA型がない。湖南省以外はA型が少ないらしい。くわしい話はよします
が、ずっと西へいってヨーロッパへいきますと、典型的な北欧人、イギリスとか北欧とか、あの辺はものすごくA型
が多い。というのは不思議でね。周辺にあまりそういう地域がない。ところが、それは先ほどもおっしゃった北のル
ートではなくして、シルク・ロードか知りませんけれども、チベット、ネパール、あの辺が日本人に似ているというで
しょう。その系統が一つある。これはどこへつながるかというと、瀬戸内海から畿内へある程度つながりそうで、も
っと前に北まわりがありまして、このほうは古くて、これはあなたがおっしゃる縄文やな。とすると、多少ものがわ
かってくるような気がする。それからもう一つ、瀬戸内海の南側に太平洋がありまして、沖縄から鹿児島、土佐、
紀州、それからずっといって、安房、上総までいくわけですけれども、その辺はO型が多い。私はO型ですが、先
祖は紀州です。それは縄文とも弥生とも、ちょっとちがう感じやな。私は土佐はあまりよく知りませんけれども、紀
州人というのはある程度知っております。それから房総、つまり千葉県ですね。あそこは紀州からいった人がたく
さんある。さらに東北の太平洋側までずっといっておりますけれども、それがまた一つの系統みたいにみえるわけ
や。しかし、もともとB型の多いあなたのおっしゃる北まわり、それがまずあって、それからO型が比較的多いという
のはどこからきているのか知りませんが、だいぶん南方系やな。それからこんどは弥生文化をになっている瀬戸
内海、畿内系がもう一つあってというふうにみると、だいぶ日本の昔がわかるような気がするのや。そういうことを
歴史家に言うても、すぐ賛成も反対もなさらんけどね。

司馬  ディテールへ入ってゆくと、ひょっとしたらそのパターンをくずすかもしれませんけれども、しかし、おもしろ
いな。黒潮の洗っている地帯がO型ですね。薩摩、土佐、熊野。われわれは日本歴史のなかで、薩摩がになって
おるパターンと、土佐と熊野と、同じに見ますね。熊野人というのは、だれでもみなごつごつしている。そしてなに
か豪快な感じがする。たとえ文人を出しても、佐藤春夫のようなぐあいになると。まるで岩石のような顔をしておっ
て、何を言い出すかわからんところがあるとか、それから容易に人と同化しないとか(笑)。土佐人にもそれがあり
ますが、薩摩人は少しちがうとはいうものの、たいへん剽悍な民族を感じさせますけれども、それが房総、安房の
国のほうへいって、黒潮はちょっとひっかかるだけで沖のほうへいきますから、あとはO型でなくなるわけで、日本
の歴史をつくる骨幹みらいなものをO型がにないますけれども、たまたま私はA型なものですから・・・・・・、そうしま
すと、A型が――ちょっと飛躍して――弥生人だといたしますと、われわれがもっている伝統的な美意識は、簡素
であるとか、シンプルとか、すがすがしいとか、清らかとかいわれて、それがいまだに日本の芸術のささえになっ
ているし・・・・・・。