>>184 それは、大部分の科学者が見落としてる重要な問題なんだけど、ごちゃごちゃ書いても
頭の硬い人には理解されないと思うから、一番端的で分かりやすいことだけ書いとく。
さすがに「脳の活動=心(クオリア)」とまで言う人はあまりいないか単に思慮不足なんだろうけど、
大体の科学者は脳や神経の活動が心的現象を引き起こす原因だと考えてると思う。
でもね、ここで言う因果関係は自然科学が描いてきた因果関係とは全く異質なものなんだよ。
科学的描写の全ての因果関係は、物質やエネルギーなど何にせよ、時空的に連続な作用・被作用の
関係で描かれてきた。でも、例えば痛みというクオリアを例にとると、
何らかの神経の活動が「痛み」をもたらす関係が時空的に飛躍してる。
「痛みがある」ということの必要条件は、「ある神経の活動」かつ「それが『自分』であること」
なのに対し、科学的に描写される説明にはその「ある神経の活動」という条件しかない。
ここに3人の人間の脳があり、そのうち一つの脳に痛み刺激が伝達された。
ここで、「なぜこの痛みを感じるのは『私』で他の2人ではないのか?」
という問いには、科学は何の回答も示せない。
つまり、この自己性という条件だけは、絶対に科学が描写しえないものなわけ。
量子力学が観測問題で「観測する自己」の位置付けに困惑してるようにね。
自己性は裏を返せば他者性になり、この繋がりが社会性というものになる。
だから、この意識の問題は、哲学から社会学までの様々な分野で探求されるテーマなんだよ。
文化系にも科学者の知見は必要だし、科学者ももう少し頭を柔らかくして包括的な理解に努めてほしい。