622 :
名無し検定1級さん:
28日の予告先発
◇セ・リーグ
巨人・沢村−中日・吉見(秋田)
ヤクルト・石川−広島・前田健(神宮)
DeNA・三浦−阪神・久保(横浜)
◇パ・リーグ
日本ハム・武田勝−西武・岸(札幌ドーム)
ロッテ・グライシンガー−楽天・永井(QVCマリンフィールド)
ソフトバンク・摂津−オリックス・木佐貫(ヤフードーム)
[ 共同通信 2012年8月27日 15:31 ]
623 :
名無し検定1級さん:2012/08/27(月) 19:17:34.21
石井が現役引退表明「自分の中で納得」…広島
歴代11位の通算2430安打を放った広島の石井琢朗内野手(42)が27日、広島市のマツダスタジアムで記者会見し、プロ24年目の今季限りでの現役引退を表明した。
石井は会見で「チームの編成上、そろそろ来季の構想とかある。僕がここで先延ばしするのもチームのために良くないと思った」と話した。
野手コーチ兼任の今季は出場28試合にとどまり、42歳になった25日に球団に引退を申し入れた。球団はコーチ就任を要請している。
3月のオープン戦で自打球を右足甲に当て、思うように走れなくなったという。
「今、こういう(引退表明の)会見をしているのも悔しい。(普通は)悔いはないと言って辞めていくけど、(僕の場合は)悔いだらけだと思う」と現役への未練も口にした。
石井は1989年にドラフト外で大洋(のちの横浜、現DeNA)に投手として入団。91年オフに野手に転向した。
98年にチームの38年ぶりの日本一に貢献した。2006年には投手で勝利した選手としては元巨人監督の川上哲治氏以来2人目の2000安打を達成。
09年から広島に移籍し、今季は野手コーチ兼任だった。
石井琢朗内野手「僕の中ではプレーヤーとしてはとっくに終わっていたと思う。今こういう会見をしているのは悔しいが、記録のために現役にこだわるのはチームのためにならない。
一時的な感情で決めたわけじゃなく、自分の中では納得している」
624 :
名無し検定1級さん:2012/08/27(月) 19:18:47.86
広島・野村謙二郎監督「チームが苦しいときに力になってくれた。選手の立場として自分のことをやりながらも、若い選手にアドバイスしてくれた」
広島・前田健太「(石井)琢朗さんが来てからチームが明るくなって、強くなった。まだできるんじゃないかと思う。CSを制覇して送り出せれば最高ですね」
◆石井 琢朗(いしい・たくろう)1970年8月25日生まれ、栃木県佐野市出身。
42歳。栃木・足利工高から投手としてドラフト外で89年に大洋に入団し、同年10月に初先発でプロ初勝利。
内野手に転向し、98年には横浜の38年ぶり日本一に貢献。06年に2000安打達成。
09年から広島に移籍した。通算2410試合出場で2430安打、670打点、358盗塁、打率2割8分2厘。
ベストナイン5度、盗塁王4度。投手では通算1勝4敗。174センチ、78キロ。右投左打。
625 :
名無し検定1級さん:2012/08/27(月) 19:19:29.24
渡辺会長、将来の巨人監督候補にイチロー&松井…ラジオ番組出演
巨人の渡辺恒雄会長(86)が26日、ニッポン放送『テリー伊藤 サンデーのってけラジオ』に出演し、
将来の巨人の監督からWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表監督まで持論を語り尽くした。
テリー氏の直球の質問を、渡辺会長は堂々と打ち返した。話は多岐にわたり、レイズから戦力外を受け浪人の身となった松井、さらにはヤンキースに移籍したイチローにも及んだ。
「40歳超えて頑張っている人もいるけれど、38であれだけ頑張っている松井は、相当なもの。でも(選手としては)限界でしょう」と言いながらも、
将来、巨人の監督に就任する可能性については「想定の中には入りますよね。人気もあるし、貫禄、カリスマ性がある」と話した。
さらに、イチローについては「あれだけの人間は野球界に何人もいるとは思えない」と絶賛。松井とどちらを巨人の指導者として招きたいかと聞かれ、笑いながら「僕はイチロー」と答えていた。
2013年に行われる第3回WBCの日本代表監督には、前中日監督の落合博満氏(58)を推した。
「落合君しかないじゃないですか。だって他にいますか?」と笑い飛ばし「中日をあれだけ強くしたし、軍師としての采配力は一番。前回は中日(の監督)でWBCで選手を出さなかった。
その点で反発はあるらしいですけど、たくさんのOBの中から選ぶのであれば、僕は落合君だと思う」と語った。
ならば巨人の監督候補にもなるのかと鋭い質問が投げ込まれたが、これについては「ジャイアンツの監督というのは生え抜きじゃなきゃダメという過去のしきたりがある。
それを勝手にぶっ壊すわけにはいかない」とやんわり否定した。
626 :
名無し検定1級さん:2012/08/27(月) 19:21:43.03
落合博満氏、和歌山滞在中に救急車で救急搬送!何が起きたのか?
次期WBC代表監督の最有力候補と見られている野球評論家の落合博満氏(58)に異変が起こった。和歌山県太地町の「落合博満野球記念館」に滞在中、救急車により隣町の大病院に緊急搬送されたのだ−−。
8月16日午後2時頃、太地町役場の消防担当に、「落合記念館で人が倒れた」という119番通報が入った。
すぐに救急車が駆けつけた。太地町の医療関係者がいう。
「その患者は激しいめまいと痙攣を起こし倒れたとのことでした。さらに顔面麻痺があり、意識も朦朧としていたので、救急隊員たちは脳卒中の可能性が高いと判断し、近くの総合病院の脳外科に搬送した」
記念館から総合病院までは車で30分程度。脳卒中ならば一刻の猶予も許されないという状況の中、救急車はけたたましくサイレンを鳴らしながら猛スピードで病院を目指した。
医療関係者が続ける。
「搬送中も痙攣は収まらず、隊員はずっと患者に声をかけ続けた。呼びかけに応じていたので命に別状はないと思われたが、最悪、体の左右どちらかに麻痺が残るのではないか、という話も出ていたようだ」
本誌が入手した情報によれば、この救急患者こそ記念館に滞在していた落合氏本人だというのである。
もともとこの記念館は、この地をいたく気に入りシーズンオフのたびに静養に訪れていた落合氏が、1993年に所有していた別荘を改築し設立したもの。
2階の喫茶店からは熊野灘が一望でき、盆や正月には落合氏本人が家族と共に訪れるのが慣例となっている。
一報を聞いた記者は、落合氏が搬送されたという和歌山県新宮市の病院に急行した。すると病院の駐車場には、『落合博満野球記念館』のロゴが入ったバンが停まっていた。
病院のエントランス付近ではなく、わざわざ広大な駐車場の端に車を停め、記念館の職員らしき若い男性が、辺りを警戒しながら小走りに病院内に駆け込んでいく。
太地町の住民がいう。
「小さな町ですから、あの落合さんが脳卒中の疑いで運ばれたらしいという噂はすぐに町中に広まりました。病院にはいつも記念館の車が停まっているし、みんな“ああ本当なんだ”と噂している。
ここは落合さんにとって第二の故郷も同じ。無事ならいいんですが……」
627 :
名無し検定1級さん:2012/08/27(月) 19:23:21.21
そして、倒れてから1週間後、8月22日の13時頃だった。記念館付近の取材を行なっていた記者の前に、病院に出入りしていたものと同じ落合記念館のロゴが入ったバンが現われた。
車のドアが開くと、その中からピンクのポロシャツを着た落合氏本人と信子夫人がそろって現われた。
落合氏は、顔を覆うほどの大きなマスクをつけていた。普段の落合氏は、変装でマスクをつけることはない。
声をかけた記者に対し、落合氏は、「何しに来た?」とぎょろりと凄むようにこちらを向いた。
−−落合さんが入院されたと聞き、飛んできました。
落合氏は一瞬答えるのをためらったように見えたものの、両手を大きく広げてこういった。「誰が入院した? 元気だぞ。誰から聞いた? デタラメだ」
落合氏は記者のほうは見ずにどんどんと別荘に向かっていく。
−−救急車がこちらに来たことも確認しています。
「人違い、人違い」
落合氏はそれ以上喋りたくないといった様子で歩を進める。
すると、割って入るようにして信子夫人がこう答えたのである。「救急車? あっ、そ、それ私!」と自分を指さしてニッコリと微笑んだ。
−−(搬送されたのは)奥さんだったんですか?
「そう」
そういってふたりは、従業員らしき若い女性が迎え入れる別荘の中に入っていった。いきなり「それ私!」と答えた信子夫人。記者には、落合氏の病状を隠そうとしているようにしか見えなかった。
本誌はその後も病院関係者を徹底的に取材した。するとある関係者から絶対匿名を条件に次のような情報が寄せられた。
「病院に運ばれたのは落合さん本人で間違いありません。顔面麻痺の症状から脳卒中が疑われ脳外科に搬送されました。出血はなく脳梗塞が疑われたのでしょう、最終的に神経内科での治療となりました」
※週刊ポスト2012年9月7日号