【平成18年6月23日(金)の高尚で役立つ日記を投稿しておこう。】
今日も暑い中で忙しい日を送った。
訓練は今月末で終了するが、当日は俺も参加して、お世話になった講師方にお礼の挨拶を在校生には別れの挨拶を告げる。
せんじくが社労士の試験勝負を放棄したが、それはそれでも構わない。
だが、せんじくの口実で「悠さんには受験資格がないので勝負になりませんでしょ。」と言われる恐れがある。
そこで、大阪工業大学の卒業証明書の写真を以下の写真集に公開している。(19時〜4時まで閲覧・使用禁止)
http://n.pic.to/2e55x http://h.pic.to/69w1j http://q.pic.to/42i35 当時の大阪工業大学の偏差値は58(現在49くらい)だった。
俺は偏差値63(現在60くらい)の大阪府立市岡高校を卒業してから大阪工業大学に入学し、卒業した。
俺の時代では、卒業と同時に将来の進路は考えていなくともバブル景気の影響上、就職は簡単に決まったのだ。
所謂(いわゆる)学歴社会だったので、なるべく良い大学に入学して卒業すれば良かっただけなのだ。
入学生は134単位を4年間で収めて卒業だけを狙っていた。年間の学費も110万円も掛かり、国立大学と比べれば割高だった。
だが、バブルが弾けて日本全国の多くの企業に大きな爪跡を残す結果となったのはお前等でも分かるだろう。
その結果、どこの企業も現在のバブル景気になっても求人を増やすには、現存の社員に過酷な労働時間・日数を強いて、それでも無理
なら仕方無く新規雇用に出て来る程度だ。 その新規雇用は臨時であり、1カ月更新すら多い。
しかも臨時でも終業時間ギリギリまで使い、それでも無理なら新しい者を雇う。
だから、どこに行っても過酷な労働時間・多日数労働は避けられない状況にあるのだ。
しかも出来る者を雇えるとその者に限界労働時間一杯まで作業を押し付けられる。
高尚な俺は、こんなアホ社会からオサラバすると腹を決めたので、今後無職を続けて行く。
そう切り離すと気分が非常に楽になった。昨夜は秘書検定のクサパン女共やあゆりに八つ当たりをした。
又、親友の24歳OL ◆Yw2l5Bi7Kgにまでに八つ当たりをする所だった。俺はもう働く事はないだろう。
これからは2チャンネルで高尚な日記を投稿する職に就く事にする。