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名無し検定1級さん:
不動産鑑定士朝倉幸治郎
【練馬一家5人殺害事件】
1935年3月9日秋田生まれ。6人姉弟の長男。
1950年4月、幸治郎は秋田県立秋田高等学校夜間部に入学。
昼間働いていたわけでもないのにあえて夜間部に入学したのは、学力の問題があった。
国語を担当した教師によると、幸治郎は漢字がほとんど書けず、判読するのに苦労したという。
1954年4月、日本大学法学部法律学科に入学。
父親が日大出身の斎藤源司に頼み込み、斎藤のコネで裏口入学させてもらったらしい。
日大に入学して最初の前期試験で、カンニングで1ヶ月の停学。
1961年9月10日、父親の遺産をめぐって、親戚と争いとなり、傷害と殺人未遂事件を起こす。
秋田署に自首。
1962年8月7日、幸治郎は殺人未遂・傷害で懲役3年となる。
翌1963年5月から約2年間、千葉県習志野刑務所で服役。
1965年5月出所、杉並区成田東に移り住み、新宿にあった不動産鑑定所に勤務しながら不動産鑑定士になる勉強を始めた。
この不動産鑑定所は学校も経営しており、日曜日に講義があった。
朝倉は真面目に受講。
1971年10月、不動産鑑定士の第2次試験に合格。11月不動産鑑定士補
1975年3月10日、不動産鑑定士登録
1976年8月15日、自宅に株式会社「東洋不動産鑑定所」を設立して、不動産鑑定業を開始した。
裁判所や国土庁から依頼されたあまり金にならない仕事も引き受け、事件の少し前に表彰されている
1983年6月27日、不動産取引のトラブルから、子供を含む一家5人を殺害、死体を切断。
死体を遺棄する前に現場に踏み込んだ警察によって逮捕(犯行当時48歳)
85年12月東京地裁で死刑判決。
96年11月最高裁が上告を棄却、死刑が確定
2001年12月27日 死刑が執行された。66歳