私は今、感動と感激そして素晴らしい空間の中に立っています。
心の奥底からわき上がる皆様に対する感謝と熱い思いを止めることが出来ません。
カウンドダウンが始まってからかなりの時間がたちました。
いよいよ今日がこのガウン姿が最後となります。
思えば右も左も分からない青年が力道山の手によってブラジルから連れ戻されました。
それから38年の月日が流れてしまいました。
最初にこのリングに立ったときは興奮と緊張で胸が張り裂けんばかりでしたが、今日はこのような大勢の皆様の前で最後のご挨拶が出来る ということは本当に熱い思いで言葉になりません。
私は色紙にいつの日か闘魂という文字を書くようになりました。
そしてある人が燃える闘魂と名付けてくれました。
闘魂とは己に打ち勝つことそして闘いを通じて己の魂を磨いていくことだと思います。
最後に私から皆様にメッセージを贈りたいと思います。
人は歩みを止めたときに、そして挑戦をあきらめたときに年老いていくのだと思います。
この道を行けばどうなるものか危ぶむなかれ。
危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。
迷わず行けよ。行けば分かるさ。ありがとう!
803 :
名無し検定1級さん:03/11/29 01:59
新井清光先生がそんなこと言うか?
闘う旅人、アントニオ猪木。
今、相手のいないリングにたった一人でたたずんでいます。
思えば38年に及ぶプロレス人生。
旅から旅への連続であり、そして猪木の精神も旅の連続であった。
安住の場所を嫌い、突き進んでは出口を求め、飛び出しでは次なる場所に歩を進め、ドン底からの新日旗揚げ、世界王者とのストロングマッチ、大物日本人対決、格闘技世界一決定戦、IWGP、巖流島、人質解放、国会に卍固め、魔性のスリーパー。
決して人生に保険をかけることなく、その刹那、刹那を燃やし続ければよいという生き様。
猪木はこの後の舵をどの方向にとろうというのか。
ひとりひとりのファンの胸には今、どんな闘いの情景が写し出されているのか。
猪木は、すべての人間が内包している闘う魂をリング上で代演する宿命にあった。
しかし、この瞬間をもって猪木はリングから姿を消す。
我々はどうやって火を灯していけばいいのか。
物質に恵まれた世紀末、商業主義に踊る世紀末、情報が豊かでとても心が貧しい世の中、一人で闘うことを忘れかけた人々。
もう我々は闘魂に癒されながら時代の砂漠をさまよってはいられない。
我々は今日をもって猪木から自立しなければならない。
闘魂のかけらを携えて、今度は我々が旅に出る番だ。
闘魂は連鎖する。
1943年2月20日、鶴見に生まれしひとりの男の子。
姓名、猪木寛至、闘魂の火ダネ。
貴方を見続けることが出来たことを光栄に思います。
燃える闘魂に感謝。ありがとう、アントニオ猪木!