レズ声優出張所Part5

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私と麻美子が総理大臣の演説で「その事」を知ったのは、麻美子のマンションであった。
去年の秋の東京大震災の影響でアニメの本数が急激に減り、私も麻美子も結構暇になっていた。それでもレギュラー番組がある分だけ他の声優よりはマシだったけど、仲間の中には震災で亡くなった子もいて業界全体が暗い雰囲気に包まれていた。

日本列島が一年以内に沈没する――。
余りの途方もない話に私も麻美子も二の句が告げなかった。
やがて、政府から住んでいる自治体単位で全国民の退避が計られて世界中の国に一時引き取られて移住先を探すことが発表された。
ただし、それでは東京周辺の自治体の負担が大きくなりすぎるために、地方出身者は3月末までに出身地に戻って地元の家族とともに退避する方法が認められていた。

187185:2006/07/13(木) 23:37:16 ID:qutRJFlg
「綾ちゃん……私、綾ちゃんと別れるなんて嫌だよ。アフリカでも北極でもいいから綾ちゃんと一緒の国に行きたい……」
麻美子は半べそでそう訴えた。
しかし、私はピシャリと言った。
「麻美、あんたは金沢に帰りなさい。あなたは長女なんだからお父さんやお母さんを助けてあげないと駄目じゃないの」
「でも、金沢には弟たちが帰る筈だから、私はやっぱり綾ちゃんといたいよ……」
麻美子はそう言うとついに泣き出してしまった。
私はハンカチで麻美子の涙を拭ってあげながら、ゆっくりと諭した。
「麻美……私だって麻美とずっと一緒にいたい……。でも、着の身着のままでみんな散り散りバラバラになってしまったら、もう探すことも会いに行くことも難しいと思うの。
麻美が今家族のところに帰ってあげなければ、麻美の家族はずっとバラバラになってしまうわ。そうなったら、麻美のお父さんとお母さんは一生麻美の事を心配しながら生きていかなければならないし、麻美だっていつか後悔するわ。
私だって麻美を無理やり家族と引き離して自分だけ幸せになろうとしたら、結局麻美を悲しませてしまって私も絶対後悔するような気がするの……」
後のあたりは私もすっかり涙声になってしまっていた。
「……麻美……私達、どこの国に行っても絶対声に関わった仕事をして行こう! そしたら、きっと私と麻美をどこかで引き合わせてくれるような気がするの。だから、私はさよならは言わないよ……」
最後の方は私も麻美子も泣きじゃくっていてお互いに言葉になっていなかった。

188185:2006/07/13(木) 23:38:01 ID:qutRJFlg
3月30日、東京駅の上越新幹線ホームはラッシュアワー顔負けの混雑ぶりだった。
既に富士山と浅間山が噴火して東海道新幹線と中央線、長野新幹線は使用不可能になっていて、上越線も武尊岳噴火と利根川のダム決壊によって在来線は使用不可能となっていた。恐らく、上越新幹線が走れるのもここ数日であろうと言われていた。
麻美子が金沢に帰れる機会はもう今日がギリギリのタイムリミットだった。
「綾ちゃん……誕生日に何もしてあげられなくてごめんね……」
旅行鞄を抱えた麻美子は涙声で言った。
「ううん……麻美が私のために今日まで帰郷を伸ばしてくれていたのを知っているから、私はそれだけでも嬉しいよ……」
私は麻美子を抱きしめながら言った。
でも、本当は麻美子をこのままずっと抱きしめていたかった。
退避計画の発表が進むにつれて具体的な場所自体は不明なものの、太平洋側から退避する私と日本海側から退避する麻美子が全く違う場所に移住することになるのがはっきりしてきたからである。
ひょっとしたら、今日が私と麻美子の永遠の別れになる事も考えられた。
「麻美……」
不意に私はそう言って、そのまま麻美子の唇に自分の唇を重ねた。
「綾ちゃん……」
麻美子もまた私の体を強く抱きしめる。
本当にこのまま時が止まってくれたら、もしそれが無理だとしても日本が沈下を止めてくれたらどんなに良かったのだろう……。
189185:2006/07/13(木) 23:39:47 ID:qutRJFlg
しかし、
『まもなく、新潟行きとき号発車いたします。お乗りになられる方はお早めにお願いいたします……』
私と麻美子の体がびくっと震えた。
次の瞬間、麻美子は私の体を離して電車のドアの内側に立つと、
「綾ちゃん……」
とだけ言って、口をつぐんだ。
「……」
私はそれ以上何も言えなかった。
これ以上言ったら自分の中で何かが壊れてしまいそうだった。
シャーッツ
ドアが非情にも閉まり、二人はあまりにも厚い壁で隔てられた。
走り出す新幹線。
ドアを叩く麻美子。
私はそれを見た瞬間、
「麻美……、麻美子……!」
私は絶叫してそのまま蹲ってしまった。
私は麻美子を守ることも二人の世界を守ることも出来なかった自分の非力を呪った。

日本列島はそれからわずか半年後に海の中に姿を消した――。
190185:2006/07/13(木) 23:40:44 ID:qutRJFlg
あの日から25年の月日が流れた。
日本列島からの退避後、家族とともにオーストラリアの開拓地に住居を割り当てられた私は偶々声優時代の私を知っていた地元担当の日本政府職員の勧めによって日本人コミュニティ向け放送局のアナウンサーとなっていた。
声優とアナウンサーの違いに戸惑いを覚えることもあったけれど、時には映画やラジオドラマの声優もやることがあり、それが内外の他の日本人コミュニティの放送局においても流されることもあった。

けれども、あれから私と麻美子が出会うことはなかった。
彼女がどこの国にいるのか、生きているのかどうかすら不明だった。
一部の国では地元の人との生活格差による日本人虐殺事件の噂も伝えられており、それは公然の秘密となっていた。

そんなある日、いつものようにニュース番組を終えると、現地のスタッフから、
「ミス綾子、お客さんだよ。何でもあなたをおいかけてグルジアから来たそうだよ」
グルジア? なんでそんな所から?
私は首を捻りながらも客人のいる応接室に向かった。
191185:2006/07/13(木) 23:41:34 ID:qutRJFlg
そこには初老の日本人女性が座っていた。
初めて見る顔……違う、自分が良く知っていた顔だ!
「ま、麻美……?」
「綾ちゃん、綾ちゃん、麻美子だよ!」
「麻美っつ!」
私は年甲斐もなく勢いよく彼女を抱きしめた。
「25年……25年もずっとあんたの事を探していたんだぞ……」
「ごめん、綾ちゃん……いやあ、とんでもない山奥に移住させられて、地元の男性と結婚しちゃったものだから……」
よく見れば、麻美子の手はすっかりゴツゴツしたものに変わっていた。
私の知らないところで麻美子はどんなに苦労したのだろうか?
私の目に涙が浮かんでくる。
「でも、偶々日本語版の『ローマの休日』で綾ちゃんがヘップバーンの声を吹き替えているのを見て調べてもらったんだ……」
「そうなんだ……」
私は麻美子の話を訊きながら頷く。
「でも綾ちゃんはすごいよ。本当に約束を守ってくれていたんだね……」
麻美子の話を聞きながら私の心は25年前のあの日に戻っていくのを感じていた。