なんか色々予告されてるみたいなので、今のウチに書き込んどきます。
やっぱり川澄・能登。
誕生日の話。
能登麻美子が川澄綾子からの本当のプレゼントに気付いたのは、3月30日を過ぎてから一週間後のことだった。
最も尊敬する先輩、そして、最も心を許せる姉のような存在の、川澄綾子。
その彼女の誕生日をどうしても一緒に過ごしたかった麻美子は、
仕事終わりに待ち合わせをし、綾子の部屋で、翌朝の仕事までの短い時間ではあったけれど、
その時間を二人きりで大切に過ごした。
綾子へのプレゼントは、シルバーの指輪。
出会った頃から同じ指輪を付け続けている綾子に新たな指輪を贈ることはおこがましくて、
今までは何となく敬遠していた。
しかし、綾子と出会ってからもう5年が経つ。そろそろ新しい指輪が一つくらい増えてもいいのではないか。
綾子の新しい指輪は、どうしても自分が一番最初に贈ってあげたかった。
綾子の新しい指輪は、自分が贈ったものでなければ、嫌だった。
そんな思いで、麻美子は綾子のちょうど30歳となる誕生日に、
今までは躊躇してきた指輪を思い切ってプレゼントした。
綾子からのお返しのプレゼントは、以前ラジオの収録の際に約束した新しいポータブルプレイヤーだった。
最近まで使っていて遂に故障したCDプレイヤーを、
ディスクも、プレイヤー本体も、更にコンパクトにしたような、録音もできるというMDプレイヤー。
CDプレイヤーと基本的な操作感覚が近いため、機械に弱い麻美子でも直感的に扱うことができてとても重宝している。
4月の上旬。
仕事から帰って夕食を済ませた麻美子は、
音響監督に手渡されたCDを綾子からプレゼントされたMDにダビングするため、パソコンの電源を入れた。
Windowsが起動するまでの間に、部屋からヘッドホンを探し出して耳にかける。
綾子からのプレゼントには、そのMDプレイヤー本体のほかに、3枚パックの録音用ディスクがあった。
その内の1枚は綾子の家で綾子のレクチャーを受けながら使用して、
約一週間経った現在では多くのお気に入り・仕事用の楽曲が容量一杯まで入っている。
どれを残して、どれを消去するか取捨選択するのが面倒だった麻美子は、
まだ2枚残っている新しいディスクの内、1枚をMDプレイヤー本体にセットした。
ディスクの回転音が微かに響き、次の瞬間、オートスタート機能により何かの再生が始まった。
「ありゃ?」
新品の空のディスクだとばかり思っていた麻美子が首を傾げる。
ガサガサと衣擦れのような雑音が数秒間続いた後に、
聞き慣れた優しい声がヘッドホンから流れてきて麻美子は目が点になった。
「えーーー、能登麻美子さん。
川澄綾子です。
驚いたかな? ごめんね。
いま、自分の部屋で、これを録音しています。
麻美子にどうしても言っておきたいことがあって、でも面と向かっては恥ずかしいので、
こうしてこっそり、メッセージを贈りたいと思います。
えーーー、私はいま、29歳です。
麻美子がこれを聴いている時の私は、もう30歳になっていると思います。
でも、いまこれを録音している私はまだ29歳の川澄綾子です。
明日、麻美子が家に来てくれて、一緒に誕生日を過ごしてくれます。
麻美子からのプレゼントは、私が思うに・・・多分指輪かな?
この間、アフレコの合間に、さりげなく私の指のサイズを聞いてきましたね?
あれ、ものすごく不自然だったぞ麻美ちゃん?
あー・・・でも、こんなこと言って、指輪じゃなかったらごめんね。
何でも嬉しいよ。
えっと、ちょっと話が逸れました。
えっと・・・これから30代を迎えるに当たりまして、
20代の今の内に、やっぱり一度、麻美子にはきちんと話しておきたいというか、
知っておいてほしい私の気持ちがあります。
でもなかなか言い出せなくて、何年も経ってしまって。
いい区切りなので、思い切ってこういう形で伝えたいと思います。
もし麻美子がこれに気付かなかったら、それはそれでいいかなと思います。
でももし気付いてくれたら、最後まで聴いてくれると嬉しいです。
何年か前の話ですが、私はあんまり仕事が手につかなくて、休んでいた時がありました。
麻美子にも、事務所の人たちにも色々迷惑をかけてしまって、あの時は本当にごめんなさい。
でも、あの時、仕事は増えていくけど、
どうしてもそれが本当に自分がやらなくちゃいけない仕事なのか分からなくて、
私は私なりに一端距離を置きたかったんです。
あの時、みんな、私のやりたいようにやればいいよって、言ってくれました。
今は休んで、またできそうになったらやればいいし、
ほかの仕事に就いてもいいんだし、気負わなくてもいいよって、言ってくれました。
それは、それで、とても嬉しかったんです。
嬉しかったんですけど、なんだか寂しいなって感じることもあって。
素直に感謝して、素直に休養することができませんでした。
・・・いや、正直に言うと、嬉しくありませんでした。
休ませてもらっておいて、こんなことを言うと酷い人間だと思われるかも知れませんが、
休んだら休んだで、ああ・・・私って休んでいいだ、休んじゃって良かったんだ、
このまま辞めちゃっても、あの人たちはいいんだって思えてきて。
ぜんぜん、休んだ気がしませんでした。
休ませろって言ったのは、私なのにね。
でも、これはね、いま思い返してみて、ようやく言葉にできたことで。
あの時の私は、なんでこんなに良くしてもらっているのに喜べないんだろう、
なんでやる気が起きないんだろうって、イライラしていました。
すごく、責めていました。自分を。
そんな時、麻美子だけは、ストレートに声優辞めないよねって言ってくれました。
ごめんね、綾ちゃんごめんねって。
顔を赤くして、俯いて、指を絡めたり伸ばしたりして落ち着かなくて、涙目で。
あの時の麻美子の姿は、今でもはっきり思い出せます。
・・・あの時まで、知りませんでした。
私にプレッシャーをかけないように、
気持ちを奮い立たせるような激励は事務所から止められていたこと。
みんなそれを守って、私に接してくれていたこと。
でも麻美子だけは、約束を破って不安な気持ちを話してくれました。
いつになってもいいから、辞めないでねって言ってくれました。
綾ちゃんがどう思っているかは分からないけど、
私は綾ちゃんと仕事の話ができなくなるのは辛い、それは困るって。
綾ちゃんと同じ仕事をしていたいって。
私が綾ちゃんと一緒にいたいって。
いま、またラジオの話も来てるんだよって。
綾ちゃんと一緒にやりたいからOKしたんだよって。
麻美子。麻美子、覚えていますか?
あの時、私の欲しかった言葉はそういうことだったんです。
辞めないでほしい、いてほしい、一緒に仕事をしてほしいって、
そんな風に、私は求められたかったんです。
麻美子に言われるまで、本当に、気付きませんでした。
私は、麻美子のその言葉が本当に嬉しかったんです。
私も、また麻美子と一緒に仕事ができるって知って、嬉しくて。
私にはそれができるんだって思うことができました。
帰る場所があるんだって。
麻美子が待ってくれているんだって。
凄くほっとして、イライラがスゥーッて引いていって、
やっと自分の気持ちが分かったんですよ。
ああ、私はやっぱり、声優を続けたいんだなって。
私は、ずっとこの仕事を続けたいんだなって。
当たり前ですよね。
この仕事を続けたいに決まっていたんです。
仕事が辛いんじゃなくて、仕事ができないことが、辛かったんですね。
だからどんな仕事でも、流れを止めちゃ駄目だったんです。
麻美子のおかげで、私はとても早くそのことに気付くことができました。
麻美子がいなかったら、私の復帰はもっとずっと遅くなって、
戻っても、こんなに長く続けることはできなかったと思います。
周りの人の言葉通り、言われるままに違う仕事に就いて、
きっと泣いていたと思います。
能登麻美子さん。
いま、29歳の私から、改めて、もう一度お礼を言わせて下さい。
ありがとう、麻美子。
私はあなたに助けられました。
私はもう一度、声優になることができました。
明日、一足先に私は30歳になります。
麻美子から貰った、声優としての30代です。
だから、今度は私が、麻美子の20代を支えていけたらなと思います。
何ができるのかは分からないけど、とりあえず、今まで通り付き合ってくれると嬉しいです。
お姉ちゃんぶって、麻美子といろんなことを話したいです。
もっと麻美子のことを知っていきたいと思います。
だからこれからも、川澄綾子をよろしくお願いします。
ええっと・・・それでは、明日の晩、会いましょう。
麻美子がこれに気付くのは、いつでしょうか。
ドキドキです。
顔に出さないように頑張ります。
えーーー、ご静聴、ありがとうございました。
川澄綾子でした。
愛してるよ!麻美!
まる!
えーーー、能登麻美子さん。
川澄綾子です。
驚いたかな? ごめんね。
いま、自分の部屋で、これを録音しています。
麻美子にどうしても言っておきたいことがあって、でも面と向かっては恥ずかしいので、
こうしてこっそり、メッセージを贈りたいと思います・・・」
リピート機能が働いて、麻美子の耳元に再び綾子からのメッセージが流れ始めた。
ヘッドホンに手を当て、その声を大切に包み込むように首を傾げる麻美子。
その瞳から、一筋の小さな涙の粒が静かに頬を伝った。
「もう・・・綾ちゃん・・・」
携帯電話を手にし、メールの画面を呼び出す。
「どこにいる?」
一行だけの短いテキストを送信する。
それだけで、綾子からの着信はすぐに返ってきた。
ヘッドホンを首にかけ、そっと電話に出る。
「あっ麻美? どうしたの? 今ねえ、普通に家にいるから大丈夫だよ」
何でもない様子の、明るい綾子の声が耳元から流れてくる。
それが先ほどのメッセージの声と重なり、胸が熱くなって上手く返事ができない。
「・・・麻美? 麻美どうした?」
「ごめん、いま・・・いま聴いた」
「いま、聴いた・・・? 麻美ごめん、意味が、よく・・・」
「MDの、綾ちゃんから貰ったMDの・・・いま聴いたよ」
「あっ・・・はい。あ、そうなんだ。うん。どうだったかな。引いて・・・ないよね。
別にあの、そんな真面目に受け止めなくていいからね」
「真面目に受け止めるよ、もう・・・。綾ちゃん、遺言じゃないんだから、大げさ。
私泣かして、どうするんだよ・・・」
「ホントに? そんなストライクだった?」
「ストライクだった! もう!」
「やー、三十路が近くなってくるとね、なんかいろいろ考えちゃうんだよ。
何か記念に残したいなって思って、それで。
ホントにね、麻美がいてくれて助かったなって思ってる。それは大げさなことじゃないよ?」
「また、そうやって泣かそうとする・・・。
やっと、ちゃんと綾ちゃんにおめでとうって言える気がするよ。誕生日、おめでとう綾ちゃん。
ちょっと遅れちゃったけど」
「うん、ありがとう」
「ねえ、今からそっち行っていい?」
「いいよ。うん。麻美仕事は?」
「ある。あるから、朝くらいまで・・・平気?」
「もちろん。私は午後からだから」
「ありがとう。じゃ行くね。ちょっと待っててね」
「うん、待ってる。じゃあね」
「あ、待って!」
「んー?」
「私も愛してるよ、綾子!」
照れ隠しにすぐ電話を切って、早速綾子の部屋に行く支度を始める麻美子。
その晩、綾子の部屋の明かりは、夜遅くまで消えることはなかった。