別に男子禁制のイベントにしたこと自体はたいした問題じゃないの。つーか結構男子いたし
問題は百合萌え(百合スキー)のヲタの人達のまぁ大雑把な共通認識として、
百合とビアンは違う、別な領域だ、という意識がもうずいぶん前からあったのね
ビアン側だって百合と一緒にされちゃイヤだろう、というヲタ側の意見も筋が通ってみえた
これは昔はやった分類論とか以前の問題で、それらを一緒に考えるか分けて考えるかは個人の自由だけど
現実問題作品・作家の傾向から明らかな違いを指摘できるのは事実なわけです
百合の語源からいえば、薔薇から派生してビアンの代名詞として使われていた百合というコトバが
ポルノに剥奪されたたことで使われなくなり、その後、いつのまにかオタカルチャーの間で使われるようになっていた
つまりビアンが捨てたものをオタが拾った形になってたわけで
ところが今回百合スキーイベントがビアンスタイルで開催されて、
ビアン側は百合萌えとビアンの差は意識しない(もしかしたら意識したこともない)ということが明らかになった
わたしたちは百合である、という宣言もあった
いってみればビアンが再び百合を使いますよ、ってことです
これはビアン側がアメリカの百合スキー集団Yuriconが百合とビアンを区別なく扱っているのを見て、
逆にそのコンセプトが気に入ったということらしいんだが
この事実をどう捉えるべきかは正直未整理で今の段階ではよくわからない
いずれにしても大半の百合萌えのスタンスは今後も変わらないとはおもうんだが
百合とビアンの境界に少し考える余地がある領域がひとつできた、という感じ