尾崎豊 2011‐2012ー虚実の彼方へー

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324伝説の名無しさん
客:繁美夫人の話も上レスで出てるみたいだけど、尾崎が夫人の心を確かめる為に太らせようとし
、外見的に男が寄らなくなるようにしたり、一緒に出掛ける時に、他の男に顔が見えないようにす
るため、下を向かせる、夫人のファッションも地味な服しか許可しないようになり、自分の気に
入らない夫人の服は捨ててしまう、仕事上の仲間にさえ夫人が顔を見せることを嫌がる、…これら
は繁美夫人の『親愛なる遠いあなたへ』(東京書籍)に書かれていることだけど。尾崎の凄まじい
「猜疑心と嫉妬」はニューヨークから戻ってひどくなった。クスリのせいじゃないかと夫人は書い
ている。
主:人の心や物事に、必ず隠された本当がある、というのは尾崎豊に限らず、文学に向かう原動力
になる筈で、そういう〈本当のこと〉を無限に見ようとする傾向は尾崎の場合、創作の力にもなった
ろうし、でも日常や仕事上では、猜疑心や独占欲になって、人間関係を破壊する方向に向かったと
思う。絶えず親しい人の心を確かめずにはおれない心性は、無二の仲間だった須藤晃や田島照久
にさえ自分の専属になることを要求し、断るとキレる、という事件を死に近い頃に起こしている。
それは、〈表面と裏側〉のイメージに取り付かれていく、その傾向が激化したせいじゃないか。それは
夫人にも向かったし、仕事上の仲間にも最後は向かった。
客:それは先頃亡くなった思想家の吉本隆明が、乳児期・胎児期に母親の心が刷り込まれる時期
があり、何らかの現実の困難があって、目をつむり閉じ籠ることが長期間続くと、子供が生長して
から、リアリティについて絶えず不安や疑惑にさらされる。だからそれは実は不健康なことだ、
と言っている。芸術家の場合には原動力になるんだけど。尾崎豊の場合、その母親との関係で受け
たリアリティに稀薄さと渇望が、同時代的だったことが、同時代の共感の根底にあったのかもしれ
ないな。
主:その可能性はあるよ。その謂ってみれば〈病気〉が、尾崎豊の作り物ではない〈本物性〉だった、
とね。