【remote】池田貴族【holy noiz】

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1伝説の名無しさん
2伝説の名無しさん:2011/01/31(月) 09:19:28
定期的に死亡記事が出る人か。
3伝説の名無しさん:2011/02/01(火) 18:48:52
ブクオで心霊貴族CDジャケ買いしたけどなかなか面白い
90年代初期のいかがわしい雰囲気がいい
4伝説の名無しさん:2011/02/01(火) 18:53:36
ググったら98年だった
5伝説の名無しさん:2011/02/01(火) 22:06:53
6伝説の名無しさん:2011/02/01(火) 22:11:54
                  何もおかしいことはない!!!
                  全く当然のことばかり むしろ異常なのは>>87自身!!!
     _______   むしろ環境とは>>87自身!!
    (ll 〃〃〃r=≡=ヨ   それすら知らずにサン・グラスをかけて
.    /`'-‐'''''''"""ミ ミ ミ.|   やたら嘆くだけとは・・・
    /ニ ー-‐ ニ  ミ ミ ミ|   お前が退屈なのは当然!!!・・・
.   /ヘヽ  ̄r‐''ニゝ/ミ ミ |  
  〈==ソ  ==ァ  .|fう)ミ|  
.   |`プ  ニ゚-   リソl ミ|       / /        _..、-―_=-
   |`l   、 ヽ、 ├〈 ミ.|\      / /  -= '' " ̄`´     `ヽ
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    l     | | .|    / /           |    l `二.. ̄ /   |  | l__|__
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7伝説の名無しさん:2011/02/01(火) 22:12:38
                  何もおかしいことはない!!!
                  全く当然のことばかり むしろ異常なのは>>87自身!!!
     _______   むしろ環境とは>>87自身!!
    (ll 〃〃〃r=≡=ヨ   それすら知らずにサン・グラスをかけて
.    /`'-‐'''''''"""ミ ミ ミ.|   やたら嘆くだけとは・・・
    /ニ ー-‐ ニ  ミ ミ ミ|   お前が退屈なのは当然!!!・・・
.   /ヘヽ  ̄r‐''ニゝ/ミ ミ |  
  〈==ソ  ==ァ  .|fう)ミ|  
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                         >>87

8伝説の名無しさん:2011/02/02(水) 09:28:38
人を愛したことのない人間は、他人の気持ちがわからない。よかれと思って見当違いな言動をするのだ。
また、自慢話が多い。
人の話に耳を貸さず、一方的にしゃべりまくる。つまり、自己中心的なのである。そのことに気づいていないから、たちが悪いのだが………。

僕が僕であるうちに−−毎日新聞より
9伝説の名無しさん:2011/02/02(水) 22:26:18
10伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:24:40
中部版毎日新聞金曜コラム「僕が僕であるうちに」

【1999-05-04:末期がんを宣告された日に】

まだ、僕は僕である。
がん宣告、再発、他臓器への転移、手術不能の十数個のがん……。
この2年半で何度も死刑宣告をされてきたが、わりと落ち着いて過ごせている。
しかし、去年のクリスマスに投与された抗がん剤の強烈な副作用には、自分を失いかけた。
毎日続く痛みと発熱。快方に向かう気配は一向になく、先の見えない不安感、焦り。
それまでの入院中こぼしたことのなかった涙があふれた。
泣き叫びながら家族へも八つ当たりした(家族への叫び声は病棟中に響き渡ったらしい

肝臓に18個もがんがあるため、外科的手術という選択肢は僕にはない。
副作用を伴う抗がん剤治療を続けるしかないのだ。
それも、3カ月ごとに。
さらにこの先、特有の激痛も襲ってくるだろう。
そうなったら、もう僕は僕でいる自信はない。
いや、間違いなく僕は僕でいられない。
そうなる前に、少しでもやれることをやっておきたい。
そんな思いから4年ぶりにレコーディングし、6年ぶりにコンサートを行った。
ミュージシャンとして、もう一度活動したかったからだ。
11伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:25:36
そして、故郷名古屋でもコンサートをやることに決めた。
去年の12月、末期がんを宣告された日に企画を提出したのだ。
5月30日までは生きているかどうか自信がなかった。
でもやらなければならない出来事を自分に課せば、それまではなんとか生きられるのでは、という希望的観測(というか願望)もあった。
そして、その規模が大きければ大きいほどより効果的だと思い、無謀にも3000人以上収容の大ホール、白鳥センチュリーホールをコンサート会場に選んだ。
そのかいあって? まだ僕は生きている。
これで、追悼コンサートという最悪のシナリオは避けられそうだ。

〈貴族情報〉5・30白鳥センチュリーホール「貴族生前葬」前売り1980円、サークルKにて発売中。

今週から、末期のがんと闘いながら歌い続ける池田貴族さんのエッセーを毎週1回掲載します。
死と真正面から向き合い、チャリティー活動などを続ける池田さんの生き方には多くの人が感動し、これまでに多くの励ましの声が寄せられています。
ぜひ、池田さんへの声援やエッセーの感想を下記の連絡先まで送って下さい。

エッセーの題名「僕が僕であるうちに」は、池田さんの曲「遺言」からの引用です。
ご期待下さい。
12伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:26:55
【1999-06-01:一冊の本が人々を動かした】

昨年6月、娘、美夕(みゆう)が生まれて3カ月半、2度目の再発と肺に転移したことが発覚した。
多臓器への転移、それはガンが血液にのって全身にまわってしまったことを意味する。
告知を受けた夜、美夕の寝顔を見つめた。
涙があふれた。
その夜のことを歌った曲が先月発売したマキシシングル『MiYOU』である。

そんな絶望のもと、入院前日、星ヶ丘の実家に泊ったときだ。
1冊の本が目についた。
『お父さんがいるって嘘ついた』−−父親をガンで失った子供たちの悲痛の叫びがこめられた本だった。
子供に、その本のようなつらい思いをさせねばならない可能性の高い者としては、とても、最後まで読むことができなかった。

「人それぞれの感じ方があるんだからね。美夕がそう思うかはわからないよ」。
妻はすかさずそう言った。
妻なりの励ましであることはすぐにわかった。
そして、手術は無事終わり、退院後、東京に戻った。

数日後、高校の先輩である代議士、近藤昭一氏から電話があり、国会議事堂前にある議員会館を訪ねた。
サングラスに長髪がいけなかったのか、警備員に執拗(しつよう)なチェックをされた後、ようやく先輩の部屋にたどりついた。
事務所内の本棚を眺めると、見覚えのある本を発見した。
入院前、実家で読んだあの本である。
どうして、この本があるのか先輩に尋ねてみると、知り合いが関係している、とのこと。
13伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:28:14
これは、何かの縁だと思い、紹介してもらうことになった。
それが、ガン遺児を支援している民間団体「あしなが育英会」だった。
しかも、財政危機という。
僕に何かできないか、と思い、先輩に相談した。
それが発端で先日のチャリティーライブ「貴族 大生前葬」が実現したのである。
つまり、1冊の本が様々(さまざま)な人を動かしたといえよう。

〈貴族情報〉
『G1グランプリ〜最強モビルスーツ決定バトル』(ベストセラーズ)発売中
ソロアルバム&マキシシングル『MiYOU』発売中
14伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:30:45
【1999-06-02:ライブで感じた母校の温かみ故郷の優しさ】

センチュリーホールでのライブが終わった。
おかげさまで、客席は満員。
3000人以上集まってくれた。
前売りチケットは完売、当日券なし、と発表したにもかかわらず、会場に来た人もたくさんいた、と聞いた。
入れなかった人、ごめんなさい。
ロックとは無縁な年配の方々も結構いて、客層の広さに驚かされた。

名古屋に先駆けて、4月28日に行った東京でのライブ「貴族 ほんとうに歌えるのか!」が大盛況だった。
ゆえに、地元でのライブは東京以上のもの、東京以上の感動を与えねばというプレッシャーが襲った。
そう、気を抜くと、すぐにそのような間違った考え方に陥る。
よく見せよう、うまくやろう、という概念は音楽には無用の長物。
事実、東京のライブでは、何も考えず、ただ自分の歌を歌っただけである。
ありのままの池田貴族、いや等身大の池田貴で歌う。
それが「気持ちで歌う」であることを、ソロアルバムのレコーディングで学んだはずだ。

人間は愚かな生き物であるゆえに、すぐに間違う。
が、すぐに訂正できるのも人間である。
15伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:31:40
ステージの幕があくと、満員の客席が見えた。
昔なら、舞台から客席を見下ろすように歌っただろう。
でも今回は見上げるように歌った。
天に届け、と言わんばかりに。

高校の大先輩・舘ひろしさんと一緒に歌えた。
同級生のミュージシャンとも演れた。
そして、たくさんの後輩とも一緒に歌えた(このライブをセッティングしてくれたのは高校の先輩・近藤昭一衆院議員だった)。
母校の温かみを感じた。
故郷の優しさを感じた。
2時間半が過ぎた。
予定外のアンコールが会場中に響く。
思わず、ステージ上で美夕(みゆう)を抱いた。
こんなにたくさんの人が応援してくれているんだぞ、と見せるために。
16伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:32:50
【1999-06-03:今度こそ、体育館のステージに立つ】

まず、お礼をいわせてもらいたい。
先のセンチュリーホールのライブで、がん遺児らの進学を援助するために会場に募金箱を設置したのだが、なんと、150万円以上集まっていたことがわかった。
これには、寄付先の「あしなが育英会」の方々も驚き、そして、とても喜んでくれた。
みなさん、本当にありがとう。
なお、募金は引き続きダイヤルQ2でも受け付けているのでよろしく。
0990・5・88881で自動的に募金されます。

本来なら、抗がん剤治療をしているはずだったが、どうしてもやりたい仕事があったため、来月初旬に延期した。
出身校である若水中学から、講演&ライブの依頼があったのだ。
後輩たちの前で歌える幸せは、センチュリーホールで実感済みである。
しかも、今度は母校で歌えるのである。
17伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:33:48
当時(二十数年前)、若水中は公立の中学校でありながら、学園祭でバンド演奏をやらせてくれるロケンロールな中学だった。
「人間のおろかさ」(作詞・池田貴)というオリジナルで「中学生日記」に出演したり、鶴舞公園野外ステージで自主コンサートを開いたり、という積極的な活動をしていた「オーダーメイド」というバンドのドラムだった僕。
学園祭では、エリック・クラプトンのカバーなどをやって喝采(かっさい)を浴びた。
しかし、ドラムは体育館の舞台上ではなく、舞台ななめ前の床にセッティングされたのだ。
つまり、僕は体育館のステージには立っていないのだ。

「ドラムなんかじゃなく、リードボーカルだったら……」

その積年の想いを晴らせるときが来るのだ。
これは抗がん剤どころではない。
なにせ、抗がん剤の副作用はやってみないとどうなるかわからない。
入院の延期も十分ありうる。
そこで、6月30日の若中講演ライブを優先させることにした。
18伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:34:32
【1999-06-04:楽しいことは自分で見つける】

「このところ何をやっても楽しくない。
ステージで演奏していても、ただこなしているだけ。
何のために生きてるんだろう、とわからなくなりました」

ある女性ジャズピアニストから、こんな電子メールが届いた。
せっかく音楽がやれているのに、なんてもったいないんだろう、とは思ったが、行間からも孤独感があふれているメールだったので、どう答えるべきか返信に困った。

久しぶりの長期オフのおかげで、毎日、娘の美夕(みゆう)と遊んでいる。
そこで、美夕の不可解な行動に気づいた。
ビンに紙くずをいれてキャップをしめる。
すぐにキャップをあけて、紙くずをビンから出す。
また、紙くずをビンに入れてキャップをしめる。
この単純な作業を、繰り返し延々と続けるのだ。
しかも、楽しそうに。

そうだ、楽しいことはどこにでもあるのだ。
1歳4カ月の娘に教えられた気がした。
19伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:35:47
ふと、高校の修学旅行を思い出した。
夜、クラスのみんながホテルの大部屋に集まり、討論会めいたことが始まった。
なんで修学旅行まで来て、まじめに討論なんかしなくちゃいけないんだよ、と冷めた目で眺めていた。
が、ある女子の意見がぼくの逆鱗(げきりん)に触れた。
「楽しいことがないんだよね」

当時のぼくは、部活を追われ仲間を失っていた。
それでも、居場所を求めて、ライブハウスやディスコに出入りしたり、バイクで不良仲間たちとつるんだりして、必死にあがいていた。
それゆえ、ただ家と学校の往復をしているだけの生徒が何を言っているんだ!とむかついた。
で、つい一席ぶってしまった。

「楽しいことは自分で見つけるもんだ!」

そう、楽しみは与えられるものではない。
でも、探せばどこにでもある。
20伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:36:31
【1999-07-01:死ぬよりも治療の激痛の方がまし】

予定では、今日、抗がん剤治療が行なわれる。
僕の場合、足のつけ根の動脈からカテーテルを刺して、肝臓の動脈に直接薬をぶちこむ「動注療法」である。
これだと、飲み薬や点滴による療法と違い、身体全体のダメージは少なく、髪の毛が抜け落ちたりすることはない。
ひとくちに抗がん剤といっても、やり方、薬の種類などさまざまなのである。
ゆえに、副作用もさまざまである。
というより、やってみないとどうなるのかわからないのだ。
これまで、四回の抗がん剤治療を受けてきたが、すべて副作用の大きさが違っていた。
何でもなかった時もあれば、3週間たっても苦痛が消えなかった時もあった。
ただ、共通する症状はある。

薬を入れられた時に激痛が襲うこと−−これは、内臓をわしづかみにされるような痛みである。

投与された当日から翌日は、吐き気、発熱が続くこと−−食欲ゼロ、というか、食べられない。

三十数年生きてきて、これほどの肉体的苦痛を味わったことはなかった。
全身麻酔される分、手術の方がまだ楽だ。
ましてや、高校時代、サッカー部の夏合宿のしごきの苦痛など、今思えば、蚊に刺された程度でしかない。
21伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:37:25
筆舌に尽くしがたい、この苦痛を3ヵ月ごとに味わわねば生きられないとは、つくづく面倒な病気である。
そうはいっても、喉(のど)もと過ぎればなんとやら、で、人間はすぐに忘れる生き物だ。
なんだかんだと言いながらも、結局治療を受ける。
そして、苦痛は嫌だが、その先の見えない恐怖−−死の方がもっと嫌だ。
苦痛の方がましなのである。
そのように、対比して考えると楽になれる。
これは、自分より不幸な人間をみると安心する心理と同じである。
僕のような小心者の生きる術(すべ)、ともいえよう。
22伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:38:12
【1999-07-02:恐るべし、ホルムアルデヒト】

このところ、目がチカチカし、頭がボーっとする。
また、のどがイガイガし、体もだるい。
さらに、ちょっとしたことでイライラし、とまらない。
妻も同様な症状があり、喘息(ぜんそく)の発作のような咳(せき)を連発。
むしろ、僕よりもひどい状態である。

昨年夏、名古屋の病院で手術したため、東京の自宅を一カ月ほど留守にした。
帰宅してみると、目がチカチカして、とても部屋にいられる状態ではない。

「なぜ、急に、うちのマンションがこんなことに?」 わけが分からなかった。
しかし、何らかの化学物質が充満していることは分かった。
本で調べると、ハウスシック症候群(新築病)の疑いあり。
さっそく、保健所に来てもらい、部屋を調査してもらったところ、ホルムアルデヒドが厚生省の提示している基準値の3倍も存在していることが判明した。

気温の高い夏に、機密性の高い建物を閉め切って出掛けた、という悪条件が重なって、一気にホルムアルデヒドなどの有害物質が噴出したというからくりである。
壁紙、フローリングの合板などに、ホルムアルデヒド入りの接着剤が使われていたのである。
厄介なことに、約8年経過しないと蒸発しない物質なのだ。
23伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:39:03
この物質を吸引し続け、許容量を超えると、花粉症などのようにアレルギー的症状が出る。
一度症状が出ると、もう二度と治らないのが、このハウスシック病なのである。
対策はまめな換気しかない、と保健所の調査員に言われ、高価な米国製の空気清浄器を購入し、昼夜換気に努めたが、焼け石に水。
この梅雨どき、またしても噴出したのだ。

残された道は、引っ越ししかない。
が、築10年以上で、ずっとリフォームされていない賃貸物件など皆無に等しい。
都心で安全に住める家は、どこを探せばあるのだろうか……?

<貴族情報>ライブビデオ「貴族 歌えました!」7・16発売
アルバム&マキシシングル「MiYOU」発売中
24伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:39:50
【1999-07-03:ついに、がんの自覚症状か?】

自分の小心さには、ほとほと愛想がつきる。
このところ、下痢と吐き気が続いていた。
1週間も、である。
最近の検査で、肝臓のがんはさらに増殖し、20個以上あることも判明していた。
−−ついに、がんの自覚症状か?

3年前、食欲不振に襲われた。
おなかはすくのだが、いざ料理を目の前に出されると、食べるのが嫌になってしまう(とはいえ、食べるには食べるのだが)。
そんな状態が1カ月続いた。
肝臓にがんが発見されたのはそのころだ。

昨年の5月も、吐き気と食欲が減退した。
嫌な予感がした。
予感どおり、再発していた。
肺転移というおまけまでついて。

そんな経験があるゆえに、不安は募るばかり。
そこへ、中学時代の同級生医師から電話があった。
つい相談すると、「食あたりかなんかじゃないの? その下痢とがんは関係ないと思うけどなぁ」

軽い口調で言われた。
もちろん、気休めにもならなかった。
25伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:40:53
しかし、その夜、妻に異変がおきた。
ぼくと同じような下痢と吐き気が彼女を襲ったのである。
2人が同じような時期に、同じような下痢。
まさに、食あたりである。
同級生の見立ては正しかった。さすが、医者である。

そうとわかったら、急に食欲が出てきた。
まだまだ吐き気はあったのだが、現金なものである。

2週間前、当コラムで治療する予定と書いたが、結局、抗がん剤治療は名古屋の病院では行なわなかった。
仕事の拠点と住居が東京であるゆえ、看病する妻のことを考えると、東京の病院で治療した方がベターだからである。
正直言って転院は不安だったが、思いきって決心した。
そして、今日16日、東京の病院で抗がん剤が投与される。
26伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:42:22
【1999-07-04:人生、何が起きるかわからない】

ゴルフはやらないし、テレビ観戦もほとんどしない。
しかし、全英オープンだけは別だ。
ここ十数年、毎年見ている。
世界四大ゴルフトーナメントのひとつなのに、「THE OPEN」と名乗るイギリスっぽさがたまらない。
朝まで生放送というのもロックっぽくていい(単に時差の都合上だけなのだが)。

それにしても、今大会すごいドラマを見せてくれた。
病床のベッドだというのに、午前4時半過ぎまで見てしまった。
最終ホール時点で、2位とは3打差のバンデベルデ。
史上初の、マンデートーナメント(予備予選)から勝ち上がってきた選手の優勝、という歴史的瞬間を待つのみであった。
ところが、彼は信じられないミスショットを連発した。
まるで、大リーグボール養成ギブスをつけているかのような動きのスイング。
結局、トリプルボギーをたたき、プレーオフの末、優勝を逃した。
テレビ越しではあるが、勝負ごとの怖さを目の当たりにした。

予想していたより増殖したがんの数が多かったため、これまで効果のあった塞栓療法=抗がん剤を入れ、さらに血管を詰める療法=が使えなくなった。
それゆえ、リザーバーといわれる管を足の付け根に埋め込み、毎週抗がん剤を投与する動注療法に変更された。
末期がん患者の代名詞ともいえる治療法である。
27伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:43:14
−−あーあ、ついにおしまいか……。

正直言って、あきらめの気持ちがわいた。
しかし、全英オープンを見たら、弱気は消滅した。
バンデベルデの悔しさを思うと、こんなことで一喜一憂している場合ではない。
最後の最後で優勝を逃した悔しさは、察するにあまりある。

なにより、人生には絶対はない、ということを改めて実感させてもらった。
何が起きるかわからないのだ。

<貴族情報>
ライブ&ドキュメントビデオ「貴族 歌えました! 〜MiYOU〜」(ホリプロ)
好評発売中。
28伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:43:59
【1999-07-05:壊れかけた心を手紙が癒してくれた】

病院のベッドで、血管造営のX線写真に写った、数え切れないほどに増殖したがんを目の当たりにした。
毎週投与される抗がん剤の副作用である吐き気、微熱、内臓のむかつきが続く。
たった2週間の入院で、自分自身がだんだんと壊れていくのがわかった。

これはマズイと思い、いつものように独自の判断で退院した。
とはいえ、勝手に退院したわけではない。
ドクターも同意の上だ。

2週間ぶりの外の世界は、すっかりと梅雨明けし、35度を超える真夏日となっていた。
寝たきりの生活をしていた者にはこたえる暑さである。
テンションはさらに下がった。

自宅に帰ると、大きな郵便物が届いていた。
送り主は、名古屋流行発信。
5月末に行なった白鳥センチュリーホールでのライブ『貴族 大生前葬』の感想が書かれた手紙の束だった。
29伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:44:50
中でも、バックコーラスに参加してくれた高校の後輩たちのメッセージが印象的だった。

「初めは、面白そう、という軽い気持ちでしたが、本番が近づくにつれ、貴族さんの真剣さが伝わり、命について、ボランティアについて、自然と考えている自分に気づきました」

愛知県立千種高校の生徒課の高木巌教諭が、ライブへの生徒の参加を認めた理由を次のように語ってくれたのを思い出した。

「池田貴族の生き方に触れさせることも教育だ、と思ったから」

参加した後輩たちの手紙を読むにつれ、高木先生の教育方針が正しかったことを確信した。
自主性を重んじる千種高校の精神はいまだ健在であった。

八百余通の励ましの手紙を読むうち、壊れかけた心は癒(いや)されていた。
そして、まだまだやらねば、という決意に変わっていた。
みなさん、本当にありがとう。
30伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:45:56
【1999-08-01:それほどまでして、テレビに出たいのか?】

最近、新間正次氏がテレビによく出ている。
学歴詐称で議員辞職に追い込まれた、あの新間氏である。
彼の役どころは、野村沙知代氏の胸中代弁。
つまり、学歴詐称した人間は、学歴詐称した人間の気持ちがわかるだろう、という図式である。

コメンテーターたちが、まるで野村氏に尋問しているかのごとく新間氏に詰め寄る。
それに対して、またしても、恥の上塗りというか嘘(うそ)の上塗りめいたあいまいな発言「わたしは知らなかった」と、ごまかす新間氏。
哀れを通り越して、失礼ながら、「この人、どうかしてるんじゃないか」という感情を抱かずにはいられなかった。
駄目を押すように、彼の出演には、野村氏に対する怒りとか、公職選挙法について疑問を呈する、といった主義主張をもった姿勢が微塵(みじん)も感じられない。
ただ、テレビに出ただけ。
わざわざ、昔の罪を再燃させて、自分の家族に嫌な思いをさせる必要があるのか?
それほどまでして、テレビに出たいのか?
理解に苦しむ。

彼の終始困惑を浮かべた表情が、哀れに拍車をかける。
誰(だれ)が見たって、彼に野村氏の代弁をさせるのは無理だ。
気の毒すぎる。
やはり、顔はその人の心を表してしまう。
31伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:46:55
一方、野村氏の顔には、まるで、「フン、なによ!」という言葉が書いてあるようにさえ見える(あなたの周りにも、そういうオバチャンがひとりはいるはずだ)。
どれほど着飾っても、内面は隠せないのである。

「頼まれたから立候補してやったのよ」と、国民を、議会制民主主義を、いや国家を平然と侮蔑(ぶべつ)する人間が代議士になる可能性がある国、日本……。
我々こそが恥を知るべきなのだろう。
とにかく、政治家は嘘つきだ、というイメージを子供に抱かせるのだけは避けたい。
……無理な願望か。
32伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:47:56
【1999-08-02:「雲の上の人」ドラゴンズ選手と対面】

8月1日、星野監督と話ができる機会を与えてもらった。
少年ドラゴンズ会員であり、昭和57年の優勝時は私設応援団として外野スタンドで応援し、勢いあまって胴上げにも参加した僕である。
まさに、夢のような話だった。

監督と話ができるだけでも身に余る幸せなのに、ドラゴンズ選手の練習までも見学させてもらった。
初めて名古屋ドームの土(というか人工芝)を踏む。
ベンチの中にも人工芝が敷かれているのには驚いた。

「池田くん、こっちにおいでよ」

ベンチの隅っこにいた僕に、なんとOBの宇野勝氏が声をかけてくれた。

−−おいおい、僕のこと知ってるよ。

よく見ると、OBの小松辰雄氏、木俣達彦氏もいる。
オールスターのオンパレードだ。
小学生の頃(ころ)、野球部でレギュラーになれず、あげく退部した情けない男だった僕にとって、プロ野球選手はあこがれであり、今でも雲の上の存在である。
33伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:48:55
たとえ、相手がひとまわりも下である福留選手であろうが、つい敬語を使ってしまう。

「新人王、がんばってください」

せっかく紹介されたのに、緊張のあまり、しょうもないことしか言えなかった。

山崎選手のバッティング練習をゲージの真後ろで見た。
僕の横には、コワモテの水谷コーチが立っている。
部外者の僕がこんな場所で見ていては怒られそうな気がしたが、山崎選手の不振が心配だったので、がんばって見続けた。
不振に悩んでいるバッターとは思えないほど、会心の当たりを続ける山崎選手。
悩みに大小はないが、病気で悩んでいる人がたくさんいることも知ってほしい。
だから、結果が出ないことに悩まないで、思いきり好きな野球に打ち込んでほしいと願った。
34伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:49:44
【1999-08-03:10年ぶりの武道館で至福の時】

10年ぶりに武道館のステージで歌った。
「24時間テレビ 愛は地球を救う」に出演させてもらったからである。
久しぶりの武道館、8000人収容ではあるが、とても小さく感じた。

4月に某雑誌の取材で武道館をバックに撮影した際、またここで歌いたいな、とおぼろげに願ってみたのだが、まさか、本当にもう一度、ここで歌えるとは思ってもみなかった。
やはり、念ずれば願いはかなうものである。

僕にとって、武道館は特別な場所だ。
なんといっても、あこがれのビートルズが日本で公演した唯一の会場だから。
そう、聖地といっても過言ではない。
その地で、愛娘・美夕(みゆう)と一緒に歌うことができた−−美夕はきょとんとしていたが。
もうこれ以上の幸せはない、と思った。
が、それ以上の幸せは、まだあったのだ。
35伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:50:33
エンディングで、全出演者がステージに勢ぞろいして合唱するのだが、大好きな観月ありさがいるのを発見。
つい、一緒の画面に収まりたくて、せっかく前列にいた僕ではあったが、彼女の背後に移動した。
ちょっとストーカーっぽいかな、と危惧(きぐ)したそのとき、彼女は振りかえった。

うわっ、嫌な顔をされるか、と思った瞬間、なんと、彼女はニコっと最高の笑顔をくれたのだ。
もちろん、美夕に、であろうが……。

さらに、富田靖子、菊池桃子といった女優陣も、美夕をあやしてくれたり、抱いてくれたりするではないか。
あこがれの女優さんたちに優しくされ、すっかり仕事であることを忘れてしまった。
芸能生活10年の僕だが、これほどの至福の時は経験がない。
これもすべて美夕のおかげである。ありがとう、美夕。

ちなみに、募金は2億4000万円集まった。
あらためて、まだまだ日本も捨てたもんじゃない、と感じた。
36伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:51:40
【1999-09-01:購入したおもちゃに悪戦苦闘、返却】

郊外型大型店舗のおもちゃ屋にでかけた。
このところの酷暑続きで散歩に出かけられず、ストレス過多ぎみの娘(1歳半)のために、すべり台とブランコを購入するためである。
夏休みとはいえ、平日なので、店内は空いていて快適だ。
これが土日だったら、駐車場に入るのでさえ一苦労だっただろう。
自由業でほんとによかった。

下調べをしてあったので、目的の商品−−ジャングルジムとすべり台とブランコが合体した室内用の遊具はすぐに見つかった。

自宅に戻り、早速、組み立ててみた。
しかし、うまくいかない。
プラスチック製の筒をジョイントでつなぐ簡単な仕組みなのだが、一筋縄ではいかないのだ。
とにかく固い。
とても、手でさし込めないのだ。
付属の木製とんかちで、トントンやってみたが、びくともしない。
だんだん腹が立ってきて、ガンガンと力任せに叩(たた)いてみた。
すると、やっとはまった。
が、なんと筒の接合部分には、白くひび割れのような筋が浮かび上がっているではないか。
37伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:52:54
早速、メーカーに電話したところ、問題ありまへん、とあっさり言われた。

おいおい、明らかにプラスチックが伸びて疲労した証拠だろ?

そのくらい固くないと、はずれてしまうからだ、との理由に納得できないまま電話を切った。

再度チャレンジしたが、三つの筒をジョイントするのに30分以上もかかってしまった。
筒の数は全部で42本……。
もう限界だ!
購入店にクレームの電話をかけ、引き取ってもらうことにした。
対応した店員も、この商品はクレームが多いので困っている、とのこと。
ならば、売るとき、ひとことあって然りではないか。
お客のクレームを生かす、とはそういうことだ。

無駄な一日に憤慨!
38伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:53:34
【1999-09-02:「愛する者のため一生懸命何かやる」】

高校時代の同級生と近所の小料理屋で飲んだ。
飲んだといっても、僕はウーロン茶である。
がんが発覚してからは、酒もたばこもやめている。
別に禁断症状も出ることなく、自然にやめられた。

その同級生は僕同様、千種高校まで出ておきながら大学へも行かず、就職もせずフラフラしたあげく、バイクのチューンナップショップを営んでいる。
いわゆる、わが道を歩んでいる男なのだ。

彼とカウンターで飲んでいると、隣席の若者が声をかけてきた。

「池田さんですよね? こんなところで飲んでても大丈夫なのかなぁ、と思って……」

末期がん患者が居酒屋で飲んでいるのは確かに不自然である。
心配もしたくなるだろう。
でも、本人はいたって平気。
とはいえ、病状が良くなったわけではない。
むしろ、悪化している。
がんの増殖スピードは想像以上なのだ。
それなのに、夜遅く出かけていて平気なのか、と言われたら返答に困るが……。
39伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:54:18
「実は、僕の女房もがんなんです」

声をかけてきた若者が言った。
僕同様、闘病生活を3年続けているそうだ。
ひとりで飲んでいる若者が不憫(ふびん)に思えた。

「愛する者のために一生懸命何かをやるなんて、こういうことがないとできないじゃないですか?
僕は人間として素晴らしい生き方ができている、と思っているんですよ」

若者から力強い言葉が返ってきて驚いた。
僕は看病される立場なので、つい看病する側の苦労、さまざまな想(おも)いを忘れがちになる。
このように、看病する側の意見を聞くと自分を見つめられる。
やはり、閉じこもってばかりいるのではなく、外に出なければいけない、と実感した。

<貴族情報>メッセージ集「大生前葬LIVE」(名古屋流行発信)発売中。11日は千種高校の学園祭に遊びに行きます。
40伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:55:19
【1999-09-03:「熱気で圧倒…受け継がれている学園祭」】

わが母校、愛知県立千種高校の学園祭に行った。
講演、ライブの依頼といった仕事関係ではなく、プライベートで行ったのである。

若者の活気に圧倒されながら、体育館で演劇を見たり、音楽室で有志のバンドを見たり(飛び入りしたり)、各教室の展示をまわったり……。
あのころがよみがえってきた。

バンドを三つかけもちしていたので、クラス発表の演劇には一切かかわらなかった。
しかも、クラスの発表とバンドの出番が重なったので、クラスの演目『マクベス』さえ見ていない。
当然、クラスメイトたちの視線は厳しかった。
もともと、遅刻、早退、無断欠席と、まともに学校に行っていなかった僕に対して、彼らは異次元のものを見るような対応ではあった。

クラスには非協力的な僕だったが、学園祭全体を盛り上げるのには一役買っていた。

舟木一夫の『高校3年生』ではないが、学園祭のフィナーレはフォークダンスであった。
その前座として、「みんなで歌おう会」という有志バンドの演奏をプロデュースしたのだ。
運動場の指令台の上で歌うだけの粗末なステージなのだが、これが結構盛り上がった。
41伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:56:00
ヒット曲のメドレー形式で、ボーカルがそのつど変わる。
そして、トリは僕がつとめた。
「イモ欣トリオ」のハイスクールララバイだ。
当時、長江クンに似ているといわれて、調子に乗っていた僕。
そう、ただ自分が歌いたいから、という不純な動機でこのイベントを企画・プロデュースしただけだったのだ。

そんな「みんなで歌おう会」は、体育館で行なわれる学祭メインイベントとして立派に受け継がれていた。

でも、相変わらず、フィナーレはフォークダンス!

確かに、ヒップホップやトランスではないとは思うのだが……。
42伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:58:00
【1999-09-04:「タクシードライバーの親切に脱帽」】

栄の某ホテル前で近鉄タクシーに乗った。
目的地への進行方面とは逆だったが、風邪をこじらせており、交差点をわたるのが肉体的につらく、そのまま乗車した。
広小路通りなので、もちろんUターンは禁止である。
左折、左折、左折、右折という大回りをしなくてはならないわけで、料金メーターもその分上がる。

しかし、そのドライバー、広小路通りに出るまで、メーターをスタートさせなかったのである。

「お客さまに気持ち良く乗っていただくための気配りでございます」。
ドライバーは笑顔で語った。
なんと素晴らしい気配りであろう。
こういう些細(ささい)なことが、とても大きなサービスを受けた気持ちになる。

東京の自宅でタクシーを呼ぶと、待たされた揚げ句、配車できないと断られるケースが少なくない。
雨の日はまず断られる。
一方通行の多い入り組んだ住宅地のため、ドライバーが敬遠するのだ。
迷ってお客に文句を言われたくないから、とのことらしい。
実にふざけた話である。
また、到着したのにチャイムも鳴らさず、黙って待っているドライバーもいる。
オートロックなのに、だ。
そして、ドライバーが勝手に待っている間でも、メーター料金は上がり続ける。
東京は、到着した瞬間から料金が発生するのだ。
そう、1分でさえ待ってはくれない。
43伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 00:58:46
その点、名古屋は必ず来てくれるし、オートロックでなくとも玄関のチャイムは鳴らしてくれるし、待たせても嫌な顔もせず、メーターも上がらない。
サービスの向上を考えもせず、値上げばかりする東京のタクシーには怒りを覚える。

さて、栄で乗った近鉄タクシーだが、(千種区)仲田あたりで渋滞にはまった。
長年続いている(同)池下の工事のせいだ。

「すみません、混んでまして。メーター止めさせてもらいます」−−ちょっと、ちょっと、渋滞はあなたのせいじゃないのだから……。
そこまでされると恐縮である。
タクシードライバー歴50年という大ベテランは、つねにお客へのサービスを考えて走っているようだ。

50年間、無事故無欠勤という素晴らしい成績もさることながら、「私は名古屋を走っている車はみんな親戚(しんせき)だと思っております。そうすると、少々横着な走りをする車でも笑って許せてしまうんですよ」

その余裕に脱帽した。
ぜひ見習わねばならない、と思った。
44伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:00:04
【1999-09-05:公園のカラス1羽追い払えぬ「お役所」】

久しぶりに、娘と一緒に近所の公園にでかけた。
池のほとりの大きめな公園で、たくさんの木々が生い茂る心地よい空間である。
ここで子供たちを眺めていると、時間を忘れることができる。

砂場には、ノラ猫などの糞(ふん)害から守るため、おりのような鉄製の柵(さく)が設けられており、衛生的である。
一般の砂場は大腸菌などのばい菌がうようよで、安心して子供に砂遊びさせられないのだ。
これを神経質と笑うなかれ。
子供は砂を口に入れたり、砂に触った手を口に入れる。
つまり、食中毒のような症状を起こす可能性だってあるのだ。

さて、その公園に、とんでもない連中がたむろするようになってきた。
カラスである。
45伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:00:57
はじめの頃(ころ)はハトのえさを横取りしている程度だった。
数もそれほどではなかった。
それが、まるで「ゲゲゲの鬼太郎」の妖怪(ようかい)墓場のように、公園はカラスだらけとなっていた。
しかも、都会のカラスは強暴だ。
ただ、そこにいるだけ、なんてわけがない。
ごみ箱や、お母さんたちの自転車のかごをあさったりするのは当たり前。
なかでも、ひとすじの白い羽根を持つボス格のカラスは一味違った。
子供たちで賑(にぎ)わうジャングルジムに降りたつと、鋭いクチバシで子供たちを攻撃し、ついにはジャングルジムを占拠したのだ。

こんな危険な公園で子供を遊ばせることはできない!

さっそく区役所に電話したところ、「カラスを駆除することはできないし、巣を撤去するくらいしか手はないですね。それもうちではやっていないので、公園事務所に連絡してみてください」

案の定、お役所特有の逃げ腰の対応。
これは、もう石原慎太郎知事に直訴して、カラス駆除の条例をつくってもらい、退治するしか方法はないようだ。
46伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:01:53
【1999-10-01:ガンバレ山崎 ビールかけは来年だ】

11年ぶりにドラゴンズがリーグ優勝した。
もちろん、僕は神宮球場にいた。

実は、8月からずっと体調が思わしくない。
抗ガン剤の副作用なのか、吐き気、腹痛、一日おきの下痢にみまわれ、自宅で横になっている時間が長かった。

しかし、この一大イベントを前にして、寝ている場合ではない。
何と言っても、星野監督の胴上げなのだ!

逆転勝利での優勝に、体調不良など吹っ飛んでしまった。
やはり、気合である。

「約束、守ったろ!」
ビールかけ会場で星野監督が声をかけてくれた。
感無量で言葉を失った。

ただ、残念なこともあった。
山崎選手の骨折である。
日本シリーズ出場は絶対に無理という大ケガだった。

「悔しいけど、悲しいとは思ってません」
47伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:02:44
ビールかけ会場のプールサイドで、山崎選手は僕にそう言った。
はしゃぐ選手たちを見つめる彼の瞳に涙がにじんでいるのが見えた。
左腕には三角巾が痛々しく吊るされている。
またしても、僕は言葉を失った。

レコーディングとライブ直前にガンの転移、再発が発見され、手術と抗ガン剤を余儀なくされた僕には、彼の悔しさ、やり場のない怒りがよくわかる。

「どうして、これから、というときなのに!」
自分の運命を呪うだろう。

しかし、人生、ここで終わりではない。
まだまだ続きがあるのだ。
目の前では、次々と選手たちがプールに飛び込んでいる。
星野監督もプールの中だ。
山崎選手は胴上げにも参加できなかった。

「この借りは必ず返す」
彼はつぶやくように語った。
しかし、それはとても力強く感じた。

よし、ビールかけは来年にとっておこう。
君が復活すればV2はそれほど難しいことではないはずだ。

ガンバレ、山崎武司!
48伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:04:36
【1999-10-02:反論許さない「吸ってもいいですか?」】

5年前、イタリアにサッカー選手を取材に行ったときのことである。

日本のロックシンガーだと自己紹介すると、イタリア人スタッフも、サッカー選手たちも、怪訝な顔つきとなった。
そんなはずはない、と信じないのだ。
理由は次のとおり。

「プロのシンガーがタバコを吸うはずがない」

のどを使う仕事をしているのにタバコを吸うとは何事か!
自己管理ができないプロなどイタリアには存在しない、ということなのである。

日本では、喫煙(それも結構ヘビースモーカー)するシンガーは少なくない。
特にロック系は多い。
また、朝まで深酒をして騒ぐのがロックだと信じられている(なんのことはない、江戸っ子のやせ我慢みたいなもので、ちっともロックじゃないのに)。

先日、ドラゴンズ優勝祝賀会会場入り口にて、某主力選手がタバコを吸っているのを目の当たりにした。
脳裏に、イタリア人の言葉がよみがえった。
49伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:05:29
3年前、がんが発覚してあわててタバコをやめた僕なので偉そうなことは言えないが、夢を与える人たちはもっとその影響に対して自覚を持つべきだと思う。

肺がんでもあった僕の前で平然とタバコを吸う人もいる。
もちろん、断ってから吸う人がほとんどではあるが。
ただ、「吸ってもいいですか?」と聞かれ、嫌とは言いづらい。
本当は煙も臭いも嫌だし、すぐにむせるし、健康への害も気になるからやめてもらいたいのだが、目上の人だったりすると絶対に言えない。
また、以前喫煙していたから吸えないつらさもわかるので、余計言いづらい。

「吸ってもいいですか?」は「吸いますよ」なのである。
喫煙者はもっと他者に対して気を遣うべきではなかろうか。
50伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:06:39
【1999-10-03:他人の口座を取引停止にした「銀行」】

自宅のあるマンションに泥棒が入った。
三軒も被害が出たのだ。
そんなときに、僕は名古屋出張。
心配性の妻は預金通帳を調べた。
すると、東京三菱銀行の通帳だけが見当たらない。
全財産を預けている通帳である。
うちもやられたか!?
妻は慌てて銀行の休日専用窓口に電話した。
しかし、「今日は土曜なので大丈夫ですよ」と、深刻さのかけらもない返答をされた。
怒った妻は、「もう一度探してみます!」と、電話を切った。

他の通帳はあるし、印鑑、保険証はあるし、カードは僕が持っているし、まず泥棒ではなく妻の探し方が悪いとは思ったが、一度通帳を無くしている前科があるので安心できない。
僕は名古屋で和食をつまみながらドキドキしていた。

三十分後、妻から電話があった。

「オムツの粘着テープにくっついてた……」

全く人騒がせな話である。
しかし、問題はここからだった。

「あ、もう使えないように止めましたよ」

銀行に電話すると、いきなりそう言われたのだ。
口座番号、支店も知らせていないのに、である。
51伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:07:22
「月曜に窓口に行って、解除書類を提出してください」

冷たく言い放たれた妻。
火曜に銀行に行くと、店員が首をかしげた。
口座取引の停止がなされていないのだ。
では、休日窓口の男が言ったことは嘘か?

−−おいおい、冗談じゃないぞ。
間違いだったからよかったものの、もし泥棒だったらどうしてくれるんだ!

怒りがこみあげてきた。
調べさせると、同姓同名の口座を停止したことが判明。
なんと、二重のミスである。
金融ビッグバンと言われている今、こんないい加減な仕事ぶりでいいのか?
52伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:08:20
【1999-10-04:力強い、闘病の同士たちとの連帯感】

所属事務所のホリプロに、見知らぬ後輩から手紙が届いた。

「つい最近まで池田さんの病気のことを他人事のようにしか考えていなかったのですが、先日、私もがんを宣告されました」
二十四歳のOLには過酷すぎる運命といえよう。
しかし、がんは突然やってくるのである。
そして、それまでののほほんと過ごしていた生活を根底からひっくり返してくれるのである。

幸いなことに、彼女のがんは初期の初期であり、手術で摘出できたとのこと。

が、再発防止のため抗がん剤を投与され、吐き気と脱毛の副作用と闘い、2カ月以上も入院しているのだ。

それでも、担当医が高校の同級生で何でも話せること、会社が職場復帰を待ってくれていることなど、復活へのパワーが沸いてくる環境にあることがわかり、ほっとした。
彼氏も一緒に闘ってくれている、とのことなので、なお安心した。
こういうとき、恋人の存在は本当に大きいのである。
まさかのためにも、常日頃から恋愛はおろそかにしてはいけない。
とはいえ、入院中に恋が芽生える場合もあるので、恋人がいない患者も悲観することはない。
53伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:09:00
先日、NHK「スタジオパークからこんにちは」に出演させてもらった。
全国からたくさんのファクスをいただいた。
がんで闘病中の方や、その家族からがほとんどだった。
まさに、がんは他人事ではない、ということをあらためて実感させられた。
同時に、闘病の同志たちがたくさんいることは心強いと実感。
多くの同志たちが僕の活動に注目しているので、簡単にはくたばれない。
がんが六十個以上あろうが、関係ないのだ。

気がつくと、がん宣告されてちょうど三年。
まだまだ闘病は始まったばかりなのである。

<貴族情報>
10・31 大谷高校学園祭出演。14時〜
11・1 母校・若水中学学園祭出演。14時〜
11・3 星野書店近鉄パッセ店にてサイン会。14時〜
54伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:10:01
【1999-11-01:本気で女性を愛したことがないはずが…】

25歳になるまで、本気で異性に夢中になったことはなかった。
のめりこまないように、あえてブレーキをかけていたのだ。
それというのも、中学生時代の告白3連敗というトラウマからである。
しかし、彼女がいないのはカッコ悪いので、付き合えそうな女性に告白していた。
好きな相手と交際するのではなく、好きになってくれる相手と交際していたわけだ。

「本気で男性を好きになったことなんかないのよ」
母の口癖だ。
まるで自慢話のように語っていたのが印象的だった。

「この子も私と同じで、人を好きにならないのよ」
と、同級生のお母さん達に得意げに語っていたのも思い出す。

まるで、好きになるのが負け、と言わんばかりな思考である。
実際は、つまらぬプライドに支配された臆病者に過ぎないのだが。

人を愛したことのない人間は、他人の気持ちがわからない。
よかれと思って見当違いな言動をするのだ。

また、自慢話が多い。
人の話に耳を貸さず、一方的にしゃべりまくる。
つまり、自己中心的なのである。
そのことに気づいていないから、たちが悪いのだが……。
55伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:10:52
現在の妻は、2人目に夢中になった相手である。

「あなたには、人間として大切な思いやりの心が欠けているのよ!」

一緒に暮らし始めてすぐ、そう罵倒された。
デビューしてチヤホヤされているうち、いつしか女性をぞんざいに扱うようになっていた。
してもらうのが当たり前となっていた。
女性にきつい物言いをされたことがなかったので、新鮮だった。
以後、心を入れ替えるようになった。

だが、付き合いが長くなると気も緩む。
気がつくと、妻に対して命令口調になっている自分がいる。
まあ、だいたい無視されるのだが。

≪貴族情報≫
11・8  岡崎市立矢作北中学学園祭出演
11・10 「ガンを生きる」(幻冬舎文庫)発売
56伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:11:40
【1999-11-02:へこたれるな…スポーツ選手に教えられた】

実家に滞在中、姪の風邪を娘がもらい、それをうつされてしまった。
ただでさえ抵抗力のないがん患者である。
義妹にはもう少し気を使ってもらいたかったところだが、かかってしまっては何を言っても仕方がない。

鼻水、咳、のど痛、発熱、下痢、全身のだるさ、おまけに、ちょっと前から続いているよくわからない腹痛&肝臓の痛み……。
ヘロヘロな状態とはまさにこのことである。

そんなとき、オリンピック代表のサッカー中継を見た。
カザフスタンに前半リードされて劣勢かと思われたが、平瀬選手の2ゴールと中村俊輔選手の芸術的フリーキックで快勝した。
オリンピック出場を決めたのである。

試合後のインタビューで、普段ポーカーフェイスの中村選手が涙で言葉を詰まらせた。
本意ではないポジションをやらされ、かなりのプレッシャーがあったはずだ。
その複雑な想いが涙となって一気にあふれ出したのだろう。
彼の純粋な涙を見たら、思わずもらい泣きをしてしまった。

苦しみを乗り越えたからこそ、喜びがある。
その苦しみが大きいほど、感動も大きい。
57伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:12:21
同じ日、ワールドカップ女子バレーは、世界ランキング5位のイタリアに勝った。
手に汗握る攻防とは、まさにこの試合のことだった。
ミスをしても、ピンチになってもあきらめず、ファイトむき出しで戦う彼女たちの姿に、いつしか声を出して応援していた。
なかでも、黙々とトスをあげていた板橋選手の試合後の涙が印象的だった。
−−風邪や原因不明の痛みごときでへこたれている場合ではない。

またしても、スポーツ選手に教えられた。

貴族情報 ≫
11・10 「ガンを生きる〜ミュージシャンの孤独な闘い」(幻冬舎文庫)を本名の
「池田貴」で発売。
58伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 01:13:28
【1999-11-03:子供との約束、裏切るわけにはいかなかった】

今月8日、愛知県でも指折りのマンモス校、岡崎市立矢作北中学の学園祭にゲストとして呼ばれた。

先週、このコラムで記したように、風邪はピークを迎えており体調は最悪だった。
超鼻声で、とても歌える状態ではない。
加えて、肝臓のあたりに痛みもある。
東京からの移動だけでもつらいものとなりそうだ。

しかし、生徒との約束を破るわけにはいかない。
健康体の人なら、約束を反故にした埋め合わせをすればいいだろう。
だが、僕の場合、それができるかわからない。
それに、この出演は、大人との仕事の約束ではない。
将来のある子供との約束なのである。
彼らを裏切るわけにはいかない。
がっかりさせるわけにはいかない。

奇しくも、ボクシングの世界チャンピオンを初防衛した戸高選手の記事を朝刊で見た。
実は、38度以上の熱があったとのこと。
とても、そんな風には見えないファイトぶりだった。

やはり、気合なのである。
早朝、新幹線に乗り、矢作北中学へ向かった。
59伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 02:17:30
体育館に入場すると、千人以上の生徒の大歓迎を受けた。
あまりの熱い歓迎にとまどいを覚えたくらいだ。
これだけでも、来た甲斐があったというもの。
つい調子にのって、予定の講演時間をオーバーしてしまった。
終演後、控え室となっていた校長室に向かう途中、僕を追いかけてくる足音が。
振り返ると、保護者の方だった。

「うちの子供も小児ガンで……」

語尾は途絶えた。
涙ながらに僕の手を握った女性。

「あきらめないで、がんばってください」

それは、自分自身にも言い聞かせた言葉だった。

生徒だけではなく、こういった方も来てくれるのである。
まだまだ、がんばらねば、と再認識した。
60伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 02:20:25
【1999-11-04:大どんでん返しに感謝…でもまだ負けられん】

風邪は治ったが、腹の痛みはおさまるどころか日増しに強くなっていた。
特に、食後の苦しみは筆舌しがたいほど強烈だった。

実家で横になりながら、高校ラグビー愛知県大会決勝のテレビ中継を見た。
母校の千種高校が出場するからだ。
ラグビー部の連中には取材で世話になったので、顔見知りが多い。
余計、応援にも熱が入るというもの。

開始早々ペナルティーゴールで先制したものの、すぐに西陵商に追いつかれると流れは傾き、後半3対9と逆転された。
焦りから肝心なところでミスが出る。
まずいパターンである。
気がつくと、残り時間はあと1分。
やはり、進学校では、伝統のある強豪には勝てないのか……。

いや、むしろ、ここまでよくやった、と彼らをほめてやるべきだ。
あきらめの気持ちが広がった。

が、千種フィフティ−ンは決してあきらめなかった。
これでもか、としつこく責めまくった。
止められても止められても、ひたすら前に進む。
気がつくと、キャプテン日爪がトライを決めていた。
土壇場で1点差に追いついたのだ。
61伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 02:21:45
あとはゴールを決めれば、逆転だ。
しかし、ゴールをはずせば西陵商の優勝である。
キッカーは、元サッカー部の宮田。
2年生なのだ。
この責任重大なプレイを2年生が背負うのである。
とんでもないプレッシャーだろう。
見ているだけで、胃が痛むくらいだ。

だが、彼はやってくれた。
ボールはライナーでゴールを越えた。
そして、ノーサイドの笛。
劇的な初優勝に、僕は言葉を失った。
腹の痛みも消えていた。

がけっぷちの状態でも、奇跡の大どんでん返しがある、ということを見せつけられた。
本当にすごい後輩達である。
ありがとう。
でも、まだまだ君らには負けられん。
62伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 02:22:29
【1999-12-01:冠婚葬祭の持つ意味】

入籍の際、結婚式も披露宴もやらなかった。
妊娠と再発が重なって、とてもそれどころではなかったのだが、元来、式などやるつもりはなかった。
本人同士のことなのに、家同士のつながりのような古めかしい表現も好きになれなかったし、本人不在とも思える披露宴の進行も嫌いだった。
僕には無駄遣いとしか思えなかったのだ。
そして、妻も同じ考えだった。

しかし、ガン闘病の同志でもある友人に、「あんたたちはいいかもしれんけど、美夕ちゃんがさびしい思いをするよ。せめて、写真だけでも撮っておいた方がいい」と言われ、心が揺れた。

最近は、部屋に結婚式の写真を飾る家庭が増えたらしい。
幼稚園くらいになった美夕が友達の家でそんな写真を見たら……。

あるいは、「なんで、美夕ちゃんのおうちには、結婚式の写真がないの?」と、美夕が友達に言われたら……。

妻と相談し、早速撮影することにした。
名古屋駅西の高砂殿。
前日に選んだウエディングドレスとタキシードを着て、4Fのスタジオに入る。
仕事での撮影とは違い、何か厳粛な気持ちになるのが不思議だ。
それに、妻のウエディングドレス姿を見るのも悪くない。
育児と看病にやつれ気味の妻ではなく、モデル時代の彼女が戻ってきたように感じた。
63伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 02:23:57
まだ一歳九ヶ月なのに、ドレスを着たがった美夕。
さすが女の子である。
ママと一緒の純白のドレスを着せるとうれしそうな表情を見せた。

「これで、一美ちゃんも、やっと正式に家族の一員になったって感じがして、ほっとしたぁ」

義妹の言葉が印象的だった。
冠婚葬祭は無視できないことを実感。
64伝説の名無しさん:2011/02/03(木) 02:27:56
【1999-12-02:生き様に共感/充実した日々を】

池田貴族さんの人気コラム「僕が僕であるうちに」は池田さんの静養ため、しばらくの間、休載します。
池田さんの所属事務所は、病状の悪化でなく、最近、仕事で自宅のある東京と名古屋の往復が相次いだために疲れがたまったため、と説明しています。
池田さんの連載にはこれまで紹介した以外にも、多くの手紙やファクスなどが送られてきています。
今回は「番外編」として、読者からのお便りを紹介します。

愛知県刈谷市の女性は、池田さんがコラムの中で、母校の千種高の学園祭に遊びに行くと書いてあったので、同校まで出向いたそうです。
「会うことは出来ませんでした。……というのは、見かけたのですが、声をかけることはできませんでした」。
でも、元気な姿が見られただけで安心したといい、「今度、コンサートが名古屋であったら必ず聴きに行きますので、待ち望んでいます」と結ぶ。

本社にメールを送ってくれた女性は「私も2年前にがんの手術をしたので、池田さんのことを気にかけておりました」と記し、こう続ける。
「全体を読ませていただいて、生きる強い意思を感じました。
今、元気にしていて、改めて生きることの素晴らしさを認識しなければと思いました。
勇気をありがとうございます」
また、岐阜県土岐市の加藤ひとみさん(42)は、脳性マヒの影響で身体の自由がきかない。
いつ二次障害が訪れるのかも知れず、「だからこそ1日1日をとても愛おしく思いながら生きています。
(略)池田さんの今の生き様に共感を得ています。
(略)1日でも充実した日々が送られることを、
(略)願っている人達の1人です」
池田さんの紡ぐ言葉が、大きな反響を呼んでいる。
池田さん自身は、事務所を通して次のようなメッセージを寄せました。

「10、11月と様々なイベントで地方へ行くことが多く、少し疲れがたまってしまい、現在自宅にて静養しています。
ご心配をおかけいたしますが、1月ごろには復帰する予定です」

本コラムはしばらく休載します。
65伝説の名無しさん:2011/02/07(月) 23:34:24
なんで愛川さんだけ英語版Wikipediaに項目がw

http://en.wikipedia.org/wiki/Hiroki_Aikawa
66伝説の名無しさん:2011/02/12(土) 13:57:16
avexってギャル・ギャル男向けの音楽ばっかり売ってたんじゃないんだね
インディーズにしても異端な感じなのに→無我とかいうやつ
67伝説の名無しさん:2011/02/12(土) 19:13:00
>>66
cutting edgeとかmotorodとか、ロック系もリリースしてるレーベルも擁してたよ。
洋楽だったらMUSEとかもそうだし。
68伝説の名無しさん:2011/02/12(土) 19:31:30
余命宣告をされたとき、人の気持ちはどうなる?
2011年2月12日 10時11分

■余命宣告をされたとき、人の気持ちはどうなる?

人生のあらゆる局面で「ショックなこと」は起こります。
なかでも、一番ショックなことは、「自分の命が残り少ない」と知るときでしょう。
多くの人は死を忌み、普段はなるべく考えないようにして生きています。
しかし、「死」は確実に誰にでも訪れます。
その死が目前に迫ったとき、私たちはどんな行動をとるのでしょうか?

アメリカの精神科医師であるキューブラー・ロスは、著書『死ぬ瞬間』の中で、自らの臨床研究で余命を知った多くの患者たちが、次のような5つの心理的プロセスをたどったと伝えました。
これは、後に『受容のプロセス』として呼ばれるようになりました。
要約すると、次のような内容になります。

1.否認と隔離
死が近いと知ると非常に大きなショックを受け、「そんなことありえない!」「何かの間違いに決まっている」と否認する。また、孤立してコミュニケーションを避けるようになる。

2.怒り
「どうして私だけがこんな目にあわなければならないの!」「なぜあの人は元気なのに、私だけが!」というように怒りの感情が噴出する。そして、見るもの聞くもの、あらゆるものに対して怒りを感じ、その感情を周囲にもぶつける。

3.取引
何かを条件にすることで、延命や回復の奇跡を期待する。神にすがったり、何かのよい行いをすることで奇跡を得ようとする。「もう一度だけ○○ができれば、運命を受け入れます」など、期限を条件に願いをかけることもある。

4.抑うつ
死を避けることができないと知り、さらに病気の症状が悪化して衰弱してくると、絶望的になって非常に強く落ち込む。命とともに、築いてきたものをすべて失う喪失感が襲い、悲しみの底に沈む。

5.受容
体は衰弱しきり、感情はほとんどなくなる。誰かと話したいという気持ちもなくなり、自らの死の運命をそっと静かに受け入れ、最後のときを穏やかに過ごそうとする。
69伝説の名無しさん:2011/02/12(土) 19:32:21
迫りくる死の運命を知ると、衝撃、怒り、期待、絶望といった感情が噴き出します。
しかし、最後のときにはそうした一切の激しい感情から解き放たれ、静かに自分の運命を受け入れる、とロスは説きました。
後年、こうした心理的プロセスは、「障害」の事実を知ったときにも現れると考えられるようになりました。
それが、「障害受容のプロセス」と呼ばれるものです。

■障害の事実を知ったとき、人の気持ちはどうなる?

自分自身や家族、パートナーなどが、病気や事故の後遺症によって、または生まれつき「障害」があると知ったとき、その事実を受け入れるまでには、次のような5つの心理的プロセスをたどると考えられています。

社会福祉や障害者福祉に携わる人に知られる「障害受容のプロセス」です。
分かりやすくまとめると、次のような内容になります。

1. ショック期
事実を知ってショックを受け、なすすべもなく呆然とする。

2. 否認期
「そんなわけない!」などと強く否定し、認めたくないという気持ちになる。

3. 混乱期
否認できない事実と受け止め、怒りや悲しみで心が満たされ、強く落ち込む。

4. 解決への努力期
感情的になっても何も変わらないと知り、前向きな解決に向かって努力しようとする。

5. 受容期
価値観が変わり、障害を持って生きる自分自身を前向きに捉えるようになる。

「受容のプロセス」と同じように、事実を知った後はしばらくの間、複雑な感情が激しく噴出します。
しかし、その感情を十分に経験した後に、冷静になって現状を受け入れるように変遷していきます。

もちろん、すべての人が同じような心理的プロセスを経験するわけではありません。
しかし、多くの当事者にこうした心境の変遷が現れると考えられています。
70伝説の名無しさん:2011/02/12(土) 19:33:06
■支える側の複雑な心情はどうしたらいいの?

では、「大切な人」がこうした事実に遭遇したときには、どう接したらいいのでしょう?
当事者と同じように動揺し、特に初期には、同じような心理的プロセスをたどっていくことが多いと思われます。
しかし、支える側には「当事者の感情を受け止める」という重要な役割があります。
そのためには、気持ちを切り替えることが大切ですが、その難行を1人で行うのは非常に困難です。

まず、支える側が自分自身の複雑な心情を受け止めてもらうことが必要になります。
病院や専門機関のソーシャルワーカーなどに自分自身の不安な気持ち、やりきれない思いをすべて打ち明けましょう。
専門家なら必ず気持ちを受け止め、支えになってくれるはずです。
冷静さは、感情を吐露し、その感情をまるごと受け止めてもらうことで取り戻すことができます。

余命や障害などの事実を知ったとき、当事者が支えを期待するのは、多くの場合、やはり当事者がいちばん愛し、信頼している人でしょう。
その相手をしっかり支えられるよう、当事者と同じように湧いてくる複雑な感情を、まずは専門家にしっかり受け止めてもらうことから始めていきましょう。
そのうえで、よりよい支援の仕方を一緒に考えていくことです。

【ストレスガイド:大美賀 直子】

余命宣告をされたとき、人の気持ちはどうなる?(All About) - エキサイトニュース
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20110212/Allabout_20110212_1.html
71伝説の名無しさん:2011/02/20(日) 19:55:02.66
72伝説の名無しさん:2011/04/06(水) 00:35:44.27
懐かしい。
73伝説の名無しさん:2011/04/14(木) 22:02:47.22
「HIP」の頃だけどゴム嫌いでマイルーラばかりだったね。。。
74伝説の名無しさん:2011/05/18(水) 02:37:17.54
「響く七つの声が愛されてる証」ってどういう意味?
単なるモテ自慢w?
それともやっぱオカルト的な意味?
75伝説の名無しさん:2011/07/30(土) 07:12:59.16
スピリチュアルな何かじゃね。
76伝説の名無しさん:2011/08/21(日) 22:35:44.18
【メドレー】holy noiz/三上寛/友川かずき/とろ美 ‐ ニコニコ動画(原宿)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15158749
77伝説の名無しさん:2011/10/20(木) 22:28:03.31
一応、言っとくと、ドリアン助川のラジオでオカルト的な事は、
アホな事を遣っていたと否定してたけどな。
78伝説の名無しさん:2011/10/21(金) 03:48:30.77
こんな感じで?

ゆうこりん「頭おかしい」と完全否定(トピックニュース) - livedoor ニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/5942965/
79伝説の名無しさん:2011/11/12(土) 04:54:02.24
NEVER BEの歌詞知りたい
80伝説の名無しさん:2012/08/30(木) 00:25:18.17
当時のファンにも忘れられてる感がある
81伝説の名無しさん:2012/10/05(金) 12:15:13.10
心霊も怪しいが、音程はもっと怪しい人だった
82:2013/09/21(土) 07:48:48.86
貴族カムバック
83:2013/09/21(土) 07:50:11.40
頼むから戻ってきて。
84伝説の名無しさん:2013/09/21(土) 07:54:46.67
うぇんでぃ
85伝説の名無しさん:2014/07/12(土) 00:12:26.82
池田大作
86伝説の名無しさん
age