果たして。
人間の存在の軽さを。
人間の代替え可能性を。
そういうものを歌っていたんだろうか。
歌っていたのかもしれない。そうかもしれない。
でも、少なくともそこで終わらない。彼等の曲は。
それらを暴いた、その先に見ようとしたものがある。
暴かなければ見えない何か。それを掴もうとしていた様な。
もがきながら、足掻きながら、のた打ち回りながら。
陰鬱とした歌詞だって、それは希望を捨てきれないからこそ。
何もかも捨てられて、ただただ生体機能を維持しているだけの生を送っている人には決して書けない。
明日を落としてもいいと本気で思っているのなら、わざわざそう言わない。歌わない。
そんな気がする。
よく絶望的とか鬱的とかって評される。
絶望って何?一体どんな状態?って思う私は多分、本気で“絶望”した事が無い。
ネガティブ思考で人の他愛無い言葉すら真に受けるけど、“絶望”ってどんなものか解らない。
だからそういうキャッチコピーには違和感を感じる。
違うだろう。違う筈だ。
『翌日』よりも、『Rebon』よりも、『My Song』が一番深く響く。
私にとって彼等の究極の歌。私の歌。