最初にミソをつけたのがギタリストの不透明な脱退劇で、そこには00年代の芸能界の非情な
論理が見て取れたし、何よりロックバンドの華であるギタリストを新たに加入させなかったことが、
フルバンド編成としての整合感を失った。これでは「バンド」単位での求心力も損なうだろう。
VISION FACTORYというレーベル自体の求心力も低下しており、昨今では事務所の仕掛けが
見えるようなアーティストに対してリスナーが醒めていることもブレイクを阻んだ一因だろう。
他にもネガティブな出来事がいくつかあり、どれだけ売り上げ・動員に影響を与えたかは不明だが、
ネット時代には些末な事までボディブローになりえることも無視できない。
何より、楽曲面で時流をとらえられなかったことが最大の敗因だろう。外人作家提供の曲には
普遍的なキャッチーさを持った曲があったが、全体的に作風が古く今日的な魅力は希薄だったと思う。
脱力系がウケる長期不況の時代に、AYAKOのようなしゃかりき系キャラは時代にマッチしていなかっ
たとも言える。一方でプリプリを知る30代以降や吉田拓郎ファンなどの評価が高かったことが皮肉だ。
AYAKOは「ギャルバンだからとナメられるのがイヤ」で無理にシャウトし続けた結果、声帯腫瘍で
燃え尽きるように活動休止を余儀なくされた。単なる職業病の範囲を超えた過剰なスピリットが
AYAKOの魅力だったと思う。その古き良き女性ロッカー像がロートルファンにも眩しく映ったのだろう。
このバンドは寄せ集めからスタートしたが、AYAKOの情熱によってバラバラだったプレイヤー集団は
魂の宿ったチームになりえた。プリプリも同様の成り立ちだっただけに、見切りの早さが悔やまれる。
ともあれ、バンドはすでに終止符を打ってしまった。もう少し長い目で育てる手もあっただろう。
アルバム3枚の結果次第で無情に決定をくだす、彼女らはそういうシビアな世界で勝負していたこと
を痛感する。惜しくも徒花に散っていったこのバンドを記憶にとどめておきたい。