JoyDivision_02

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859ピーター・フック:2009/05/18(月) 01:34:30

「時々思うことがある。

 もしイアンが生きていたとしても、そのバンドはニュー・オーダーも含めた最終的な活動期間
 ほど長くは続かなかっただろう、と。

 彼がそのペースについていけた可能性は無きに等しいよ。それは残酷な問題だった。
 俺達はあまりにも速く疾走しており、彼にはついていけなかったんだ」

「(イアンの遺体に)会いに行かなかったことを今も後悔している。死んでから。

 別れを言えばよかった。とても後悔しているよ」
860バーナード・サムナー:2009/05/18(月) 01:36:40

「イアンがまだ生きていたとしても、バンドはそれほど長くは続かなかったと思うよ。
 彼の状態を考慮しなくてもね。ずっと前に終わっていたはずさ。

 ある意味、彼の死によってバンドの寿命は延びたのかもしれない。
 彼の理性は耐えられなかっただろう。

 つまり、フッキーはかつての俺達のようにもっとギグがしたいとうるさく言い続けるけど、
 イアンは一番初めにギグ漬けの生活から脱落するということだ。
 たとえ、俺達を失望させたと感じずに脱落できたとしても。

 ある意味、彼はより平穏な生活を望んでいたんだ。彼は本屋をやりたいと話していた。
 もし彼がどうにか生きていたとしたら、想像するに、彼は小説を書いていて、ロック・スター
 の生活は送っていなかったと思うよ」
861ジャズ・コールマン:2009/05/18(月) 01:41:55

「ロンドン大学で初めて(ジョイ・ディヴィジョンと)共演したんだ。 それで ―― 
 俺達のファンが大勢いたんだ。 地元だからな。
 ガラの悪い連中ばかりでキリング・ジョークには狂ったように盛り上がっていた。

 ジョイ・ディヴィジョンには全員が直立不動、ただ観ていた。 催眠術にかかったように…」

「俺が憶えているのはハイ・ウィッカム(のギグ)での印象的な出来事だ。

 確かリハーサルがすべて終わってからイアン・カーティスに挨拶したところ、
 彼は美しい女の子と手を握っていて、明らかに恋をしている様子だった。
 強く握りしめているので、(彼を冷やかして)小突いたんだ。

 相手が誰だったのかは知らないが、とにかく彼は ――
 その子に、とても強い気持ちをもっていたのが分かった。
 ハイ・ウィッカムでの、その姿が頭に焼きついているんだ、彼のその最後のイメージが。

 四半世紀もの間、俺の心に残っている。 変だよな」
862伝説の名無しさん:2009/05/18(月) 10:56:23
シャドウプレイヤーズのだなこれは。
俺もこのコメントは焼きついた。
863伝説の名無しさん:2009/05/18(月) 23:44:05
今日はイアンの命日
ブルーマンデー

(2006年11月18日 - ブエノスアイレス『 クラブ シウダ 』でのギグで
 フッキーのスピーカー・キャビネットに書かれた落書き)


『 THE END 』

865『http://www.barks.jp/』:2009/05/22(金) 01:28:39
(2006年11月24日のニュース)

『 ニュー・オーダー「最後のショウだったかも」


 ニュー・オーダーのメンバーが、バンドのこの先の活動について否定的な発言をしている。
 彼らは先週(11月18日)、アルゼンチンのブエノスアイレスで行なわれたフェスティヴァル
 <Personal Fest>でプレイしたが「これが最後のコンサートになるかもしれない」と話して
 いる。

 ドラムのスティーヴン・モリスは『Pagina/12』にこう語った。
 「いまニュー・オーダーでいるのは変な感じだよ……。数年前はよかった。
 “ゴッド・ライク・ジーニアス”なんて呼ばれて(NMEから同名のアワードを受賞)、ファン
 はバンドを認めてくれていた。でも、ある意味、いまじゃたくさんのニュー・オーダーが
 いるからな。
 俺たちは、近所のおじさんって気がするよ。だから、しばらくやめて、彼らに俺らの場所を
 受け渡すべきだって思うんだ」。
 
 活動休止なのかと問われたモリスは「うーん……、この先2年は何もないって言える。でも
 俺たち、計画を立てるのが苦手だからね。どうなるかな」と続けた。

 またベースのピーター・フックは、こう話している。
 「(ブエノスアイレスが)俺たち最後のショウになるかもしれない」
 「もしかして、(再活動までには)17年、30年かかるかも……」。

 フックは、この先の予定として、プライマル・スクリームのマニと元ザ・スミスのアンディ・
 ルークと結成したバンド、フリーベースの活動に専念したいと話している。ベーシスト3人
 が集まったこのバンドは、すでに17曲を完成しているという 』
866『http://www.vibe-net.com/』:2009/05/22(金) 01:32:32
(2007年1月12日のニュース)

『 New Order 解散報道を否定!


 ニュー・オーダーが、解散説を否定した。'06年末、『Pagina/12』誌に対してバンドは将来を
 静観していると語ったドラマーのスティーヴン・モリス。
 誌面には「我々はしばらく活動を停止すべきだ」とのモリスのコメントが引用されている。
 しかし、彼はこの度ファンサイトWorldinmotion.net上で「そんな事を聞いたのは初めてだ……
 我々はアルバムを完成させなくてはならないし、映画も公開するというのに」と解散説を否定。

 さらに、ジョイ・ディヴィジョンの映画『Control』のサウンドトラックにザ・キラーズが参加する
 ことにも言及。
 「 ザ・キラーズはアルバム用にすでに『Shadowplay』のカヴァーを作ってくれたんだ。
 まだまだたくさんの素晴らしい作品が収録されることになると思うよ」とモリスは語っている。

 一方で、『Control』の監督を務めたアントン・コービンは、ニュー・オーダーのメンバーとの
 確執報道を激しく否定。 
 ベーシストのピーター・フックは彼の独裁的なやり方に “大いにうんざりさせられた” と
 『Pagina/12』誌に語ったとされているが、コービンは「ニュー・オーダーと私、もしくはHooky
 と私の間には意見の衝突など一切ない」と反論している。(NME) 』


867『http://www.barks.jp/』:2009/05/22(金) 01:33:58
(2007年5月11日のニュース)

『 ニュー・オーダー、ついに解散?


 ニュー・オーダーが解散したようだ。「ようだ」というのは、バンドからはまだ正式な発表が
 なされていない。しかし少なくとも、ベースのピーター・フックは「終わった」と宣言している。

 フックは週末、Xfmの番組でバンド解散をにおわす発言をしていたが、水曜日(5月9日)それ
 を後押しするような声明をMyspaceのブログに発表した。「ほら、いろいろ忙しい週になったな。
 クリント・ブーン(XfmのDJ)とのインタヴューが始まりだ。
 ペリー・ファレルのサテライト・パーティのシングルについて訊かれて……、話してるときに
 ニュー・オーダーの解散について触れた。
 俺が口にしたことで、ついに公になったってわけだ。ホッとしたよ。ひどい秘密抱えて、何でも
 ないようなフリし続けるのは嫌だからさ。前に進むことにしようよ」

 フックは、バンドの解散を悲しむファンの声に動かされたとも続けている。
 「若い奴が俺のとこに来てハグしながら“フッキー(フックの愛称)、ニュー・オーダーのことは
 残念だ”って言うんだ。感動したね。ペットのセキセイインコが死んだみたいじゃないか!」
 ほかのバンド・メンバー、およびレーベルからはまだ正式な発表はなされていない。

 フックは現在、DJ・ツアー中。
 昔レコーディングしたセッションがファレルのニュー・プロジェクト、サテライト・パーティの
 デビュー・アルバムで使用された彼は、フェスティヴァルのステージで彼らにジョインするようだ。
 また、シンガーのバーナード・サムナーは元ザ・スミスのジョニー・マーとプロジェクトをスタート
 したといわれている」

868『http://www.higher-frequency.com/』:2009/05/22(金) 01:37:57
(2007年5月23日のニュース)

『 Peter Hook が New Order を脱退


 New Order のベーシスト Peter Hook は今週、バンドを脱退することを明らかにした。
 なお彼は MySpace のブログ上で「バンドを抜けることは随分前から考えていた」と話している。

 「あるラジオ番組で Perry Ferrell の新しいバンド Satellite Party の新曲 “Dog Star” の
 ことを話してたら、思わず口が滑って New Order が解散するって言っちゃったんだ。オレが
 ラジオで話しちゃったことが切っ掛けで、みんなにバレちゃったって感じかな」
 「ずっと胸の中にしまってた秘密を告白出来て、正直ホッとしたよ。これからはソロで頑張って
 いくよ」

 メンバーがそれぞれソロ活動に力を入れていたため、'90年代から常に「解散するのでは?」と
 メディアに報じられていた New Order だが、4年前に Skurfff が行ったインタビューで Hooky
 こと Peter は「解散をしたことは一度もない」と語っていた。

 「何か問題が起きる度にお互い責任をなすり付け合ってたし、いつ解散してもおかしくない状態
 だったよ。New Order から脱退することで、ソロ活動にまた力を入れられるのは嬉しいね。ただ
 ソロで活動するのは苦労も多いし、バンド時代どれほど恵まれていたかもよく分かったよ。
 New Order のメンバーになってから気づいたんだけど、オレは音楽を演奏することは大好きだけど
 ビジネス的な面は大嫌いなんだ。
 バンドで活動してる間は、音に専念することが出来たから良かったよ」……』

869『http://www.higher-frequency.com/』:2009/05/22(金) 01:42:54
(2007年5月23日のニュース)

『……Ian Curtis の自殺後、 New Order の前身バンド Joy Division をダンスシーンに導いたとも
 言えるベルリン在住のSkrufff ライター Mark Reeder は、New Order に敬意を払いながらこう語る。

 「彼らがダンスカルチャーに与えた影響は計り知れないよ。
 彼らはギター・ロックとエレクトリック・ディスコを見事に融合させたんだ。
 彼らの代表曲“ Blue Monday ”は、今までディスコ・ミュージックで踊る事を恥ずかしいと思って
 いたロックキッズの心をも鷲掴みしたんだ。
 その結果、伝説のクラブ『 Hacienda 』が出来上がり、それが後にレイヴやテクノに発展していった
 のさ」

 「New Order はインディー・バンドの中でも、真の音楽好きに認められる象徴的存在だったんだ。
 彼らは常に信頼出来るエッジの効いたサウンドを作っていたし、アートワークやデザインのシンプル
 さも受けてたんだろうね。
 それに Bernard のボーカルに合わせて一緒に歌えるところも人気の秘密さ」

 「Hooky は New Order が解散するって言ってるけど、もしかすると彼が New Order から脱退する
 だけかもしれないよ」と Mark は付け加える。

 なお、 New Order 側はホームページ上で、バンドの解散については否定している』
870『http://www.barks.jp/』:2009/05/22(金) 01:49:12
(2007年6月21日のニュース)

『 ニュー・オーダー、 解散の理由は 「 個人的なこと 」


 先月、ニュー・オーダーの解散を宣言したピーター・フック(ベーシスト)が、解散について
 コメントした。
 メンバー間で何が起きたのか具体的に言及しなかったものの 「 個人的なことだ 」 と話し
 ている。

 フックは、BBCにこう語った。
 「 ホントに悲しいことだよ。 (解散を)受け入れるのもとても大変だった。
 30年もやってきたんだからね。 でも、 起き上がってホコリをはらい、 再出発だ」
 解散の理由を問われた彼は、ただ 「 個人的なこと 」 とだけ答えたという。

 今週<MOJO Honours List>で、ニュー・オーダーの前身ジョイ・ディヴィジョンが音楽への
 貢献を称える Outstanding Contribution To Music を受賞したが、授賞式に出席したのは
 フックとスティーヴン・モリス(ドラム)のみで、バーナード・サムナー(ギター)の姿はなかった。

 このとき主催者の『 MOJO Magazine 』が行なったインタヴューを読む限り、フックとサムナー
 の不仲が原因のようでもある。
 mojo4music.com のニュースによると、ニュー・オーダー解散が事実なのかと問われると、
 モリスは 「 込み入ってる。 パズルみたいだ。 ルービック・キューブみたいな…… 」 と言葉を
 にごしたものの、フックは 「 (解散は)間違いない。 俺たちはもうプレイしない 」 と断言したと
 いう。
 またフックは、カンヌ映画祭でジョイ・ディヴィジョンのフロントマン、故イアン・カーティスの
 バイオグラフィ映画『Control』のプレミアに3人揃って姿を見せたものの、「バーナードは
 その間、俺には全く話しかけなかった 」 とも付け加えている。

 『 Control 』 は、 10月に英国での公開が予定されている』

871『http://ro69.jp/』:2009/05/22(金) 01:53:57
(2007年7月21日のニュース)


『 …クラブ・ハシエンダを立ち上げ、ジョイ・ディヴィジョンやハッピー・マンデーズらが、かつて
 所属したレーベル 「 ファクトリー 」 のオーナーとして知られているトニー・ウィルソンだが、
 現在腎臓ガンと闘っている。

 彼は、今年1月に腎臓を摘出し化学療法を行ったところ効果が芳しくなかったため、医師から
 新薬スーテントの服用を勧められたという。
 治療のためには、1ヶ月あたり3,500ポンド (約88万円) という大金が必要となるのだが、治療費
 を工面するためハッピー・マンデーズの元マネージャーであるネイサン・マックゴーと、 
 現マネージャーのエリオット・ラッシュマンら友人たちが奮起、基金を設立し5ヶ月分の治療費は
 確保できたという。

 マックゴーは 「 トニーはこのエンターテインメント業界で尊敬に値する人物だ 」
 「 私が(資金援助を)お願いした人はみな、仕事関係者であろうと金融機関であろうと、すぐに
 援助を申し出てくれた。
 みんな、見返りや感謝の言葉を求めているんじゃなく、 ただトニーを助けたいだけなんだよ 」 と
 NME.com に語っている。

 「 ファクトリーは何も所有せず、 アーティストが全てを所有する 」 というポリシーを第一優先と
 して、 利益よりも重んじていた 「 ファクトリー 」 レーベルを運営していた、 トニー・ウィルソン
 らしいエピソードが未だ生まれ続けているといえるかもしれない 』
872伝説の名無しさん:2009/05/24(日) 06:23:50
343 :トニー・ウィルソン:2008/05/07(水) 00:52:44

「私が未熟だったのは、いや、後悔はしてないが。


こういう男だからなw
873伝説の名無しさん:2009/05/24(日) 20:25:16
712 名前: トニー・ウィルソン [sage] 投稿日: 2008/12/30(火) 09:02:34

(ハシエンダが取り壊され、跡地に高級マンションが建造されることが
 決まったときのコメント)

「私は過去を保存しようとする、博物館的感覚は持ち合わせていない」



715 名前: トニー・ウィルソン [sage] 投稿日: 2009/01/08(木) 01:25:52

「僕は(ハシエンダ)閉鎖の時も泣かなかった。夜に行き場がない時も泣かなかった。
 オークションにかけられた時も泣かなかった。

 でも(再現されたハシエンダの)セットに入った時は泣いてしまったよ」



確かに、こういう人は嫌いになれない
874『http://www.barks.jp/』:2009/05/26(火) 22:21:41
(2007年8月13日のニュース)

『 マッドチェスター生みの親、 トニー・ウィルソン死去



 8月10日(金)、ジョイ・ディヴィジョンやハッピー・マンデーズらを世に送り出した
 ファクトリー・レコーズの創立者の1人、トニー・ウィルソンが心臓発作のため亡くなった。
 57歳だった。

 80年代終わりから90年代初めにかけて巻き起こった“マッドチェスター”ムーヴメント。
 その中心地となったナイトクラブ、ハシエンダの創始者でもあるウィルソンはケンブリッジ大学
 卒業後、グラナダ・テレビジョンやBBCのニュース・リポーターとして活躍。
 その後、音楽番組のプレゼンターを務めた後、ファクトリー・レコーズやハシエンダを設立し、
 マンチェスターのミュージック・シーンの裏の立役者となった。
 “ミスター・マンチェスター”とも呼ばれた彼のマッドチェスター時代の姿は、映画「24 Hour
  Party People」の中でも描かれている。

 ウィルソンは昨年、腎臓ガンを診断され、ひと月3,500ポンド(約75万円)かかる薬(Sutent)を
 服用するよう勧められたが、NHS(National Health Service/国民保険サービス)はこの費用を
 負担することを拒否。代わりにハッピー・マンデーズの元マネージャーや彼と親しくしていた
 バンド、友人たちが治療費を援助していた。

 BBCラジオ・マンチェスターのプレゼンターは、「 No Tony Wilson, No Manchester music scene
 (トニー・ウィルソンがいなければ、マンチェスターのミュージック・シーンはなかった)」との
 的確なコメントを発し彼を追悼している』
875『http://ro69.jp/』:2009/05/26(火) 22:24:52
(2007年8月13日のニュース)

『 ニュー・オーダーやハッピー・マンデーズらの生みの親、 トニー・ウィルソンが死去


 ニュー・オーダーやハッピー・マンデーズらを見出し、マッドチェスター・ムーヴメントの立役者
 となるなど、UK音楽シーンに大きな影響を与えてきたトニー・ウィルソン(本名:アンソニー・
 ハワード・ウィルソン)が8月10日、心臓発作のため入院先の病院で亡くなった。享年57歳。

 トニー・ウィルソンは、1950年にマンチェスターで生まれた。ケンブリッジ大学卒業後、グラナダ・
 テレビジョンやBBCのニュース・リポーターや音楽番組のプレゼンターとして活躍。その後友人と
 共同でファクトリー・レコーズを設立し、ジョイ・ディヴィジョン(後のニュー・オーダー)や
 ドゥルッティ・コラム、ザ・ストーン・ローゼズといった地元マンチェスターのバンド達に脚光が
 当たる大きなきっかけを生み出した。

 また、1982年に伝説のクラブ、ハシエンダをオープン。同クラブは、1980年代後半終から1990年代
 初頭にかけて巻き起こったマッドチェスター・ムーヴメント の大きな原動力となり、その様子は
 映画「24アワー・パーティ・ピープル」(2002年、監督:マイケル・ウィンターボトム)の中でも
 描かれている。

 7月21日付のNews Todayでお伝えしたように、ウィルソンは昨年から腎臓ガンのため闘病生活に
 入っていた。
 ニュー・オーダーのベーシスト=ピーター・フックが、サマーソニック07に出演するため訪れていた
 日本で自身の公式 MySpace に追悼の意を書き込んだほか、アラン・マッギーやシャーラタンズの
 フロントマン=ティム・バージェスなど多数のUK音楽関係者が、NME.comなどのメディアに追悼
 コメントを寄せている』





876ティム・バージェス:2009/05/26(火) 22:26:38

「 音楽上の父親を亡くした気分だ 」

877マニ:2009/05/26(火) 22:29:19

「トニーは(ブレイク前の)俺たち(ストーン・ローゼズ)を、 自分の番組に出してくれた。
 マンデーズの直接のライバルだったにもかかわらずだよ。

 インディ界で彼に恩義を感じてない奴などいやしないよ」
878スティーヴン・モリス:2009/05/26(火) 22:30:08

「彼がいなかったら、ジョイ・ディヴィジョンもニュー・オーダーも存在していなかった」
879ピーター・フック:2009/05/26(火) 22:31:20

「心が張り裂けそうだ、 自分の父親をまた亡くしたみたいだ」

「向こうでイアンに、 俺からよろしくと伝えてくれ」


「俺の一部、 マンチェスターの一部、 モダン・ブリティッシュ・ミュージックの一部が
 
 今晩、 死んでしまった」


「彼はビジネスマンなんかじゃなかった。 彼はただ音楽を愛していたんだ」



(『A MEANS TO AN END The Music of Joy Division 』
 トニー・ウィルソンによるライナー・ノーツ)

『この世界には、何よりも素晴らしいと思えるものがある。

 少なくとも我々の世界の範疇では、ロックンローラー・コースターは何よりも素晴らしいものだ。
 誰もがお互いに影響を与え合い、そして受け合っている姿は、小川が大きな川に流れ込んで
 いくようにも見える。
 そしてその川は我々皆を流し去ってしまうのである。

 その例としてエルヴィスがいかにカントリーとR&Bを融合させてロカビリーを生み出したか、
 ビートルズがいかにロックンロールとティン・パン・アレイのポップ音楽を融合させたか、
 そして、いかにボブ・ディランがビ−トルズとウディ・ガスリーの両要素を合体させたか、
 などが挙げられるだろう。

 それらについて語ることは、学究の徒である私にしてみれば決して難しいことではない……。

 さて、愛するジョイ・ディヴィジョンについてだ。……』
(『A MEANS TO AN END The Music of Joy Division 』
 トニー・ウィルソンによるライナー・ノーツ)

『……最近のイギリスのバンドは誰の影響を受けたかを自覚している。
 だがその一方で、今日はさほど影響を受けていなくても音楽をやれる時代でもあるのだ。

 そういう意味でこのアルバム ( 『A MEANS TO AN END The Music of Joy Division 』 ) を
 聴いて、私はひどく驚いたものだった。
 さて、このアルバムのサウンドはどうだろうか?

 もう最高の出来だとしか言いようがない。

 大西洋の向こう側で頭がおかしくも才能にあふれた連中がジョイ・ディヴィジョンの優れた音楽
 を聴いて育ち、しかもそれを理解しているという事実は実に喜ばしいことである。
 これをお聴きの皆さんは当然彼らの音楽を理解していることだろうが。

 また、本アルバムは単なるジョイ・ディヴィジョンヘのトリビュート・アルバムではないということ
 を言っておきたい。
 今は亡きマーティン・ハネットの魂に捧げるアルバムでもあるのだ。

 このアルバムに参加したミュージシャン、プロデューサー、そしてエンジニア達はマーティンが
 バンドのために作り出した音空間をほぼ完全に理解している。……』




(『A MEANS TO AN END The Music of Joy Division 』
 トニー・ウィルソンによるライナー・ノーツ)

『……マーティンが1981年にナッシュヴィルから帰ってきたときのことを私は覚えている。
 「どうだった?」という問いに対し、彼はこう答えたのである。

 「どいつもこいつも俺のドラム・サウンドを真似してやがる!」

 彼はそれを喜んでいた。彼はきっとこのアルバムを聴いても喜んでくれることだろう。
 いったいアメリカでは何が起こっていたのだろうか?

 おそらく80年代末期に太平洋沿岸北西部でロックンロールの欺瞞・弱点が発見されたのに
 違いない。
 そして彼らは世界に向かって「ファック・オフ!」と宣言したのだ。

 それから数年が経ち、ジョイ・ディヴィジョンのようなバンドが登場するべき時代が到来したの
 だろう。

 学究の徒として私が語るべきことはそんなところだ。 あと私が言いたいことはひとつだけ。

 「ありがとう」 』


885アラン・マッギー:2009/05/27(水) 00:32:01


「彼がいなくては、もうこの世界にインディー・レーベルなんて残っていないよ」

886『Factory Records catalogue number』:2009/05/27(水) 00:36:20
(トニー・ウィルソンの葬儀と棺に付けられた、
 おそらく最後のファクトリー・レコーズ・カタログナンバー)


『 Factory FAC 501 』

887『 Factory FAC 501 』 :2009/05/27(水) 00:38:51
(トニー・ウィルソンの葬儀で捧げられていた、弔花に書かれたメッセージ)


『 So it goes 』 (すべては流れゆく)




『受け継いだものは はるか彼方
 いつの日か もっと良くなるだろう
 不滅の財産を僕らは遺した
 僕たちは 上手くやった方だった
 二人は同じように自由
 僕はいつもあなたに頼っていた…

 僕たちは一緒に並んで
 正しいもののために戦った
 僕たちの友情は決して死に絶えたりしなかった
 あらゆる階級の人々が押し寄せて
 僕たちのヴィジョンは天まで届いた
 証明すべき目的を持った不朽の名声を持つ人たち
 僕はあなたを信頼していたんだ…

 外国の地にある どこかの家で
 年老いた恋人たちが叫んでいる
 これがあなたの目的地なの?
 あなたの最後の望みなの?
 犬やハゲタカどもが餌を漁るようなこんな場所が?
 それでも僕は行かないわけにはいかない
 僕はあなたを信頼していたんだ…あなたを…

 あなたを信頼していたんだ…あなたを…』
889『http://www.vibe-net.com/』:2009/06/04(木) 01:03:51
(2007年10月10日のニュース)

『 New Order 俺たちに明日はない!?


 ニュー・オーダーのベーシスト、ピーター・フックが、バンドに “ もはや未来はない ” と語った。
 去る5月、ギタリストのバーナード・サムナーおよびドラマーのスティーヴン・モリスとの決別を
 明らかにしたフック。
 その後、サムナーとモリスはフック抜きでニュー・オーダーとして活動を続けると宣言したものの、
 フックがこれを認めず。 その決意は今もまったく揺らいでいないようだ。「ニュー・オーダーに
 未来などない。 要するに、、かつてのバンドとはもう別モノだってことさ。 もしヤツら(モリスと
 サムナー)が “ニュー・オーダー2” を結成したいと言うのなら、そのようにみなされるべきだろ」
 とフック。

 さらに彼は、サムナーとモリスがニュー・オーダーの存続を発表した意図がわからないと話した。
 「そんな状態でニュー・オーダーたりうるとは思えないね。 イアン(・カーティス)抜きでジョイ・
 ディヴィジョンを続けるようなもんだぜ。
 それこそ俺たちが絶対にやるまいと話してたことなのにさ。だからこそ、あの2人がなぜそんなこと
 を言うのか理解できないんだ。 それがニュー・オーダーじゃないってことは極めて明白なのにさ」。

 ちなみに、ニュー・オーダーとの決別の理由に関して、フックは残りのメンバーの “ 態度 ” が気に
 入らなかったからと明かしている 』
890『http://www.vibe-net.com/』:2009/06/04(木) 01:12:10
(2007年12月11日のニュース)

『 New Order ジョイ・ディヴィジョンのヴォーカリスト、イアン・カーティスを描いた衝撃の話題作


 ニュー・オーダーの前身として今や伝説のバンド、ジョイ・ディヴィジョン。
 そのヴォーカリスト、イアン・カーティスが駆け抜けた短くも波乱の生涯を描いた衝撃の話題の映画
 「 Control 」が完成した。
 '80年5/18、全米ツアー出発の朝、イアンは23年という短い人生に自ら終止符を打った…。
 ロック・スターとして激しくステージで歌う裏で、イアンは原因不明の痙攣、妻デボラと愛人アニーク
 との関係に悩む。 自分自身をコントロール出来ずに苦しむ天才アーティストの若さゆえのはかなさ
 が、観る者の魂をえぐる内容だ。

 同作は、U2、 デヴィッド・ボウイ、 ビョークなど名だたるアーティストのフォトグラフ&PVを手がけて
 いるアントン・コービンの記念すべき初監督作品。
 イアンとも親交のあった彼が < 音楽映画ではない映画 > にこだわって作った本作は、青春期の
 若者の心の痛みを描いた一級のドラマとして各国で大絶賛。 
 英国インディペンデント映画賞で最多5部門を受賞した他、新人監督の登竜門であるカンヌ国際映画
 祭カメラドール/スペシャル・メンション賞をはじめ、海外映画祭でも数々の賞を受賞している。

 主人公イアンを演じるのは、新人のサム・ライリー。 イライジャ・ウッド、 キリアン・マーフィを抑えて
 抜擢されたサムは、恵まれた容姿と神々しい魅力でブレイク直前だ。
 そして音楽は、 ジョイ・ディヴィジョンの残されたメンバーが結成したニュー・オーダーが全面協力
 しているほか、 デヴィッド・ボウイなど豪華アーティストの楽曲が満載。 物語が進むにつれ、イアンの
 歌詞は悩める魂を切り取った言葉で紡がれ、 観る者の心に切なく訴えかける。
 '08年春、 シネマライズほかにて全国順次ロードショー公開される 』
891アントン・コービン:2009/06/04(木) 01:16:29

「本当のことを言えば、最初は断るつもりでいたんだ。

 もし僕がこのような映画を監督すれば、人々はきっとそれを『ロック映画』と呼ぶだろうし、
 そうなることで多くの観客を遠ざけてしまうだろうと思ったから。

 でも数ヶ月経って考えが変わったんだ。 自分がこの映画の監督を務めるべきだと。

 なぜなら、ジョイ・ディヴィジョンは僕の人生において、それほど重要だったから。
 ある意味で、僕は自分の為にもこの作品を手がける必要があったんだよ」
892アントン・コービン:2009/06/04(木) 01:21:34

「当時ジョイ・ディヴィジョンは決してカッコいいバンドではなかった。

 でも数十年経った今でも、その魅力は色あせないままだ。
 極めてシンプルかつ素直で、しかも美しく忘れがたい音楽だから。
 イアンの歌は今なお、僕たちの心に響いてくる、個人的なことを歌っても共感を呼ぶんだよ。

 当然、作品中には音楽を使っているけど、ミュージック・ビデオではないんだ。
 作品を観る人にも、分かってもらいたい。
 今回、僕が撮ったのはロック歌手のバイオグラフィーではないと。この作品は映画なんだよ。

 僕が映像にとらえるのはステージ上での恍惚感ではなく『 創造 』の一瞬……。
 『 音楽 』が生み出される瞬間。
 あるいは、壁に阻まれても必死に前に進もうとする人の姿なんだ。

 70年代の英国の貧しさを目の当たりにして、僕は当時ショックを受けた。
 そして、自分の心の中に何かが響き渡るのを感じたんだ。
 写真を撮ること以外に何の興味もなかった。
 アートについて同じ感覚を持つ彼らと出会い、『 絆 』を感じたんだよ」
893アントン・コービン:2009/06/04(木) 01:32:20

「ボートが流れてきて、こっちに来てくれって感じてロンドンに渡ったんだよ。
 そして、そのボートの名前が『 Unknown Pleasures 』だったんだ(笑)。

 やはり僕自身、ジョイ・ディヴィジョンの音楽に心を揺さぶられたし、僕をオランダからロンドンに
 引っ張ってくるだけの力のある音楽だったんだと思う。
 実際、イギリスに渡って、写真家として生活することになったわけだから、自分の人生を変えた
 バンドの作品を作る必要性を感じていたんだ」

「僕は彼らに思い入れがあった。
 監督としての経験や知識は不足しているが、この思い入れで補えるはずだと思ったんだ。
 これが原動力やエネルギーとなって足りない所を埋められるだろうと」
894アントン・コービン:2009/06/04(木) 01:35:48

「元々、僕は映画製作に興味があった。

 以前にキャプテン・ビーフハートの短編を作ったんだけど、それは彼らのことが好きだった
 という理由と同時に『 これは自分しか出来ない 』と確信したからなんだ。

 今回もその気持ちは常に持ち続けていたと思う。
 また、この作品はイアン・カーティスの映画ではあるけど、自分ではラブ・ストーリーを撮った
 つもりでいるんだ。
 制作中は、見た人がそのように感じてもらえるように心がけていたよ」
895アントン・コービン:2009/06/08(月) 01:41:28

「これはイアンの映画だ。

 ジョイ・ディヴィジョンの伝記だと一般的に言われているがそうじゃない。
 伝記だったら、違うものができたはずだよ」
896アントン・コービン:2009/06/08(月) 01:48:05

「必然的に1970年代が舞台になった。 1973年〜80年までのイアンの半生を描いたから。
 そして生まれたのはヒューマン・ストーリーだ。
 夢を追ったが押しつぶされた青年とその悲しい愛の物語なんだ。

 音楽ももちろん出てくる。
 僕はいわゆる伝記映画をよく知らないし、今回も学ばなかった。
 だから、おかしな言い方だけど本能に従って作ったんだ。

 思い返してみると、彼らの写真はモノクロのものばかりだ。
 当時の雑誌では主流だったんだろう、本当に記録はモノクロばかりだった。
 ビデオで撮影した、いくつかのライブ映像やテレビの映像以外はね。

 だから、やはりモノクロで描こうと思ったんだ。
 イギリスはグレーな国だと僕も初めて来た時に思ったしね」

「モノクロにすると制作費が安くすむからだと思っている人が多いようだけど(笑)、実際は
 そうじゃない。僕の記憶の中のジョイ・ディヴィジョンがモノクロだったんだ。

 実際、 彼らはいつも黒っぽい服を着ていたし、 当時撮影されたジョイ・ディヴィジョンの
 写真は、全てモノクロだった。
 
 また、僕にとっての70年代のイギリスのイメージがとても灰色なんだ。
 だから、モノクロにするのが正しいと思ったんだよ。」
897マット・グリーンハール:2009/06/08(月) 01:50:45

「ニュー・オーダーは好きだけど、ジョイ・ディヴィジョンは一世代前のバンドだった。
 僕にとってはニュー・オーダーが人生のサウンドトラックだったんだ。

 (脚本の)仕事を受けたのもイアンが好きだったからじゃない。
 当時はイアンに興味がなかった」

「僕はニュー・オーダーに会わなかった。もしも会ったら、圧倒されてしまうと思った。
 僕のヒーローだからね。
 執筆中に会ったら、話の方向がずれてしまう。

 イアンに集中すべきなのに、彼らのことを考えすぎてしまうと思ったんだ。
 ずっとファンだったし、パーティーで遠くから見ていたこともあるよ。
 だから彼らの性格は大体把握していた、あとはうまくはめ込むだけだった」
898アントン・コービン:2009/06/08(月) 01:59:54

「確かに、この映画はあの本(原作『タッチング・フロム・ア・ディスタンス』)を映画化したもの
 じゃない。 あの本は、情報源として非常に重要な役割を果たしていた。

 生前のイアン・カーティスは映像での取材を全く受けてなかったから、映画を作るにあたって
 僕達はあらゆる情報が必要だったんだ。
 彼の母親、妻、愛人、トニー・ウィルソン、バンドメンバーなどから情報を集めることで、
 イアン・カーティスの人間像を浮かび上がらせようとした。

 でも、それはなかなか困難で、特にニュー・オーダーに関しては3人の記憶が全く異なっていた。
 もちろん、遠い昔の話ということもあるけど、80年代にはドラッグが蔓延してたからね…(苦笑)。
 だから、3人のうち2人が同意すれば、それは事実とみなしたんだ。」
899マット・グリーンハール:2009/06/08(月) 02:02:16

「曲を聴かずにイアンの話は書けない。彼の書いた歌詞を人々は覚えているからね。
 それで彼らの音楽の世界に浸りきったよ。 だいたい1週間くらい。
 リサーチとして最初にやったのがそれなんだよ。

 詩が頭に残って、当時の彼の心境が分かりはじめた。
 辻褄が合ってきて役柄が見えたんだ」
900アントン・コービン:2009/06/08(月) 02:10:17

「適切な撮影監督を選ぶのは僕にとっても、とても重要な仕事だった。

 今回撮影監督を頼んだマーティン・ルーエはコールドプレイやデペッシュ・モードのミュージック
 ビデオで一緒に仕事をした友人で、素晴らしい美的感覚を持っている。

 でも、決して独りよがりな人間ではない。そして僕がよく知らないようなことを教えてくれる存在で、
 ぶつかり合うようなことは全くなかった。

 僕らはクランクインの4週間前から撮影の準備に入ったんだけど、お互いの意見を尊重して、2人
 で出したアイデアのいい方を採用したんだ。
 ちなみに今回はストーリーボードを一切作らなかった。

 彼は今ジュリー・デルピーの映画を撮影しているんじゃないかな。
 次の映画も彼とやりたいと思っているんだ。 彼との共同作業はとてもポジティブな経験だったよ」
901アントン・コービン:2009/06/08(月) 02:13:44

「僕は写真を35年、そしてミュージックビデオも長年数多く撮ってきている。

 だから、映像や写真を通じて物語を語ることは、僕にとって新しい経験ではないんだ。
 だけど、俳優を使って物語を語ることは初めての体験だった。

 それに、この映画はフィクションではなく、実話を基にしたストーリーだ。
 登場人物たちは皆が知っている人間なので、ある程度の説得力がなければならない。
 だから、配役にはとても気を遣ったよ。

 僕は少し心配だったんだけど、今ではとてもいい俳優たちに恵まれたと思っているよ。
 セットにいた俳優たち皆がこの映画を完成させたい、そしていい映画にしたいと思ってくたし、
 リハーサルでも僕がやろうとしていることに対して、とても心を開いていてくれた。

 特に女性2人、アレクサンドラ・マリア・ララとサマンサ・モートンには助けられた。
 僕自身、この映画を作るにあたって、俳優たちにはかなり助けられたと思ってるよ。
 とてもいい人たちだった」
902アントン・コービン:2009/06/08(月) 02:19:21

「この作品は実際の人物にすごく忠実に作ったつもりなんだけど、実はイアン・カーティスの映像
 が意外に残っていなくて、ライヴ以外の部分 ―― たとえばインタビューされているところとか、
 歩いてるような姿っていうのは、全然残っていなかった。

 だから原作でもあるデボラの本から、いろんな情報を使わせてもらったんだけど、彼女の本では、
 彼女から見たイアンや、生活や、人生っていうことが語られていて、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・
 カーティスや、アニークとつきあっていたイアンというのはあまり知らないんだよ。

 ジョイ・ディヴィジョンのメンバーは今ニュー・オーダーになってるから、そういう部分はアニーク
 からイアンの生活を詳しく聞いたり、トニー・ウィルソンやイアンの母親や妹にも協力してもらって
 いろんな情報を得ることができた。

 サマンサ・モートンは本当に素晴らしい女優だから、彼女にどうこうしろってこともなかったし、
 デボラのことをコピーするのではなく、彼女なりの解釈で演技をしてもらった。

 同じようにイアン・カーティスを演じたサム・ライリーにも、彼なりの理解で演技してもらったし
 彼にはあまり俳優らしくない部分があったから、彼なりの性格がすごく演技のなかに出てて
 ちょっとドキュメンタリーぽい感じにできたと思う」
903アントン・コービン:2009/06/12(金) 00:20:18

「まずひとつ否定しておきたいのは、確かにイアン役のキャスティングの為に数人に会ったけど、
 噂になっているジュード・ロウには会ってないし、彼の起用も考えたこともなかった。

 サム・ライリーの魅力は、彼があまり俳優らしくなくて、人間らしかったところなんだよ。
 実際、僕が彼に出会った時、彼の人生はそれほど特別なものではなかった。
 だから、イアン役がサムに決まった時、彼は全ての時間をこの役作りに費やしたんだ。

 作品の撮影は、ある時は23歳、ある時は17歳、ある時は悩みを抱え、ある時は幸せで…と全く
 時間に沿わずに行われたけど、サムはどの時のイアンも演じ切った。

 この作品を見れば誰もがサム・ライリー以外にあの役をこなせた人はいなかったと思うはずだよ。」
904サム・ライリー:2009/06/12(金) 00:22:31

「5年も音沙汰がなかったエージェントから電話があって、この伝記映画があると聞いたんだ。
 まず、マンチェスターでキャスティング・ディレクターに会い、それから(監督の)アントン・コービン
 に会ったのは3度目のオーディションだった。

 小さな部屋で何シーンか演じた後、踊ってくれと言われた。
 僕は踊りながら、もしこれで役がもらえなかったら、今までで最高に屈辱的なオーディションになる
 だろうって思ってた(笑)。

 そしたらアントンが最後に、“髪は切らないでおいて”と言ったからチャンスはあるかもと思ったんだ」

905アントン・コービン:2009/06/12(金) 00:25:38

「サムはイアンと体つきや顔が似ていた。 北部出身でもある。
 彼ならイケるという予感があったよ。

 ジョイ・ディヴィジョンと初めて会った時を思い出すほど似てたんだ。
 彼らはコートの下にシャツ1枚の薄着姿で、震えながらタバコを吸っていた。
 サムもまったく同じだったんだ。12月だったけど、やはり薄着で不健康そうな感じがした。

 当時の彼らと同じようにサムのタバコを吸う姿が、イアンに重なったんだ」

906サム・ライリー:2009/06/12(金) 00:31:01

「10代の頃といえば、僕はオアシスの大ファンだった。
 “Love Will Tear Us Apart”が、ラジオで時々かかっていたのは覚えているけど、
 ジョイ・ディヴィジョンのファンというわけではなかった。

 僕がイアン・カーティスの名前を初めて認識したのは、今思えば偶然だけれど、
 僕がミュージシャンとして活動しはじめた時だった。パブで演奏した時、そのポスターに僕らの事が、
 “イアン・カーティスがローリング・ストーンズをやっている”って表現されていたんだよ。
 で、イアンがジョイ・ディヴィジョンのリードボーカルだってことを知ったんだ。

 でも今回、役作りのために彼らのライブの映像を見たら、彼らが僕が心から楽しめるバンドだという
 ことに気が付いた。 “Transmission”を歌っている時のイアン・カーティスの姿には、首筋の毛が
 逆立つような気がしたよ」
907アントン・コービン:2009/06/12(金) 00:33:34

「撮影中は影響を受け過ぎないように、あえて映画を見ないようにしているんだけど、
 ある時、気にして見た作品が一本だけあるんだよ。

 それは、ケン・ローチ監督の『ケス』という作品なんだ。

 その作品の主役の少年の演技力は、ドキュメンタリーかと思わせるほどのもので、
 私はサム・ライリーにもそのような要素を望んだんだ。」
908サム・ライリー

「主演すると決まった時、偶像を演じるのは大変だよ、って忠告しに来る人がいたよ。
 でも、考えないようにした。

 確かにイアンには生きてる時からファンや信奉者がいた。
 でも、偶像化されたのは彼の死後さ。 才能こそあったけど北部出身の普通の青年だったんだ」

「これは僕の役者としての初めての本格的な仕事だった。
 それでいてサマンサ・モートンが共演だったから、かなりプレッシャーだったよ。
 インターネットで僕が主役になったことが発表された時には、ちょっと逃げたくなったね」

「いろんな意味で、正直怖かったよ」