【フィッシュマンコズ/ Fishmans 12】

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209イノマーの追悼文
オリコン99年4月15日号より

ヴォーカルの佐藤伸治の死でフィッシュマンズは何の予告もなく終焉を迎
えた。素晴らしい音楽を作り続け、たくさんの素敵な思い出をくれたフィッ
シュマンズ。何にも返すことが出来なかったボクから、佐藤くんに最後の手
紙をこれから書こうと思う。最初に言っておきます。静かにお眠りください。
もう無理しなくていいんだから
210今日は命日だっけ?:05/03/15 05:42:43
きっと、こうやってフィッシュマンズについての原稿を書くのはこれが最
初で最後だろう。冷たいようだが、佐藤くんが死んだと聞いたときにまず最
初に思ったのが不謹慎にも「もうフィッシュマンズの新曲が聴けないのかよ!?」
というものであった。佐藤くんが死んだという事実よりも、ボクはフィッシ
ュマンズというバンドがもう二度と永遠に僕らの前に現れてはくれないとい
う事実に愕然としたのであった。よくこういう原稿では「佐藤くんは死んで
もフィッシュマンズは心の中で永遠に生き残る」みたいなことを書くのだろ
うが、それはたぶん、嘘だ。もちろん、彼等は思い出という形で残るものか
もしれないが、ボクたちは真実と向き合わなければいけない。佐藤くんは死んで、
フィッシュマンズはもう無いのである。信じられないけど本当の話だ。
もう彼らの新曲は聴けないし、あのドキドキするようなライブを見ることは
できない。ライヴ中、佐藤くんが「ゴックン」と音が聞こえてきそうなくら
いに美味しそうにミネラルウォーターを飲む姿をもう見ることはできないし、
「チャンス」で本当に楽しそうにラッパを吹く佐藤くんの姿を見ることはで
きない……泣かないと思ってたけど涙がこぼれてきたわ。チキショー。何だ
よ、バカ野郎。勝手に死にやがって。どうすりゃいいんだよ!!
211追悼age:05/03/15 05:43:37
生き残っているボクらは「死」を事実として受け止め、生き続けなければ
いけない。こういう仕事を始めてから追悼の文章を誰かのために書くと言う
ことが初めてなもんで、何をどう書いていいのかこんがらがって、頭の中が
パニックになっています。こういう頁を作ることもどうなんだろうと思うし、
死んだ人にかける適当な言葉も持ち合わせていないボクはただただ途方に暮
れています。でも、最後に彼に何かを言いたくて、本当に個人的なワガママ
で頁をもらい、書かせてもらっています。ですから、この頁はボクから佐藤
くんへの個人的な手紙のようなものです。今さらここでフィッシュマンズの
素晴らしさを吹聴したところでどうにもならないし、ボクが葬儀に出席した
ところでどうしようもないじゃないかと思ったので見送りはしませんでした。
でも、何か書かずにはいられなかったのです。だから、今、こうしてフィッ
シュマンズのアルバムを引っ越したばかりの家の中に散乱している段ボール
箱の中から探し出して片っ端から聴いています。佐藤くんが死んだと聞いた
日から一週間以上経っていますが、しばらくは聴く気になれずにいたので、
こんなにまとめてフィッシュマンズの音源を聴くのは久しぶりです。机の上
に並べられたアルバムの数々を見ていると、何か嘘みたいで変な気分です。
彼は一流の音楽家で、ボクは三流の物書きで。だから、たくさんの素敵な気
持ちをプレゼントしてくれた彼に、最後にボクは自分の言葉で見送りをした
いと思い、こうしてワープロの前にいるのです。
212お茶目なイノマー:05/03/15 05:44:57
フィッシュマンズの三人と初めて会って話をしたのはボクが本誌の編集長
になったばかりだから1996年1月14日のことだったと思う。でも、正確には
1995年9月19日のリキッドルームのライヴ終了後の打ち上げが正しい。レコ
ード会社の人に佐藤くんを紹介されて、数秒だけ話をした。基本的に打ち上
げとかは苦手なタイプなんで出ることは滅多にないんだけど、あの時はなぜ
か残ってて一緒に乾杯したのを覚えてる。とにかく大好きなバンドだったん
で何を喋っていいかわからずにあたふたして、佐藤くんに「今度表紙にして
ください」って言われて「絶対、約束します!!」って言っちゃったっけ。だか
ら、ボクが編集長になったら彼らを表紙にしようと思ってた。それが現実に
なるのはそう遠いことじゃなくて、その数ヶ月後にボクは編集長になり、フ
ィッシュマンズを表紙にした。ボクが編集長になって初めて自分の意志で表
紙をやりたいと思ったアーティストがフィッシュマンズだった。反対も当然
あったけど、やるしかないと思ってた。ギリギリまで他の表紙候補と争って、
最後は編集長権限でごり押しした。これが売れなかったら降格になってもい
いやと思った。結果は売れ行きもそこそこでクビはつながった。それから数
年後、ボクは井出らっきょさんと自分の連載頁で全裸になり、チンポ問題で
副編集長に降格になり今に至ってる。やれやれ。
213犬と遊ぶ幼稚園児佐藤:05/03/15 05:45:49
「約束通り表紙取材に来ました!」って言ったら佐藤くんはニコニコしなが
ら「ありがとう」って言ってくれた。都内の幼稚園で撮影をして、天気は良
かったけど冬の寒い日で、冷たい風がビュービューと吹いていた。埃や砂が
舞うからボクはホースで校庭に水を撒いた。カメラマンは今でも仲の良い相
田さん。良い写真が撮れたと思う。動物が好きな佐藤くんは撮影の合間に幼
稚園で飼っている犬と遊んでた。レコード会社の人と事務所の人とボクとカ
メラマンとモンチャックという数人で取材は行われ、無事終わった。上手く
言えないけど、ものすごく幸せな気分だった。夢のような時間だった。ポカ
ポカと暖かかった。3人とも初めて会うという感じがしなかった。一方的か
もしれないけど、昔からの友達みたいな感じだった。そう、あれはちょうど
彼らのレコード会社移籍第一弾「空中キャンプ」発売のタイミングだったん
だ!! あれから3年か……。フィッシュマンズもそうだったけど、ボクもいろ
いろあった。トホホってなことばかりだけど、忙しいのが大嫌いだった佐藤
くんはこれでノンビリできるわけだ。
214まだ若かった佐藤:05/03/15 05:47:22
 2つの帽子が重なり合ってるジャケットのデビューアルバム「チャッピー・
ドント・クライ」。2曲目の「ひこうき」が大好きだった。この世界観こそが
フィッシュマンズだったと未だに思う。佐藤くん自身も大好きだったと思う
「チャンス」も収録。ボクも一生懸命話す娘や、本当は暗いボクを盛り上げ
てくれる楽しい娘が好きです。次にリリースされたのが4曲入りのミニアル
バム「コーデュロイズ・ムード」。「あの娘が眠ってる」は良く聴いた曲。2
枚目のアルバム「キング・マスター・ジョージ」。16曲も入ってる大作(?)。
お茶目な部分ものぞかせるニンマリな一枚。「頼りない天使」「土曜日の夜」
なんていったフィッシュマンズ・ファンおなじみの名曲を聴くことが出来る。
で、お次が彼らの活動を第一、二、三期と分けて考えた場合、第二期フィッ
シュマンズ突入!って感じの、最高傑作「ネオ・ヤンキーズ・ホリディ」。
彼らの名曲中の名曲「いかれたbaby」が収録されていることもさることなが
ら、このアルバムにはボクがフィッシュマンズで一番好きな曲「walkin'」が
収録されていることが一番でかい。クククッ。これが良い曲なんだよね。幸
せな二人は何も考えずに歩くわけだ。そこには何も要らないんだな。うん、
うん。ベンチに座って10円玉で買ったコークを飲み干せば世界は上手く回っ
て行くんだ。そんなことを教えてくれたのがこの曲だった。いつか彼女がで
きたら、こんなデートがしてみたいな〜、なんていつも思ってた。で、この
前後のフィッシュマンズの作品は、もうどれもこれもすごいよ。目回っちゃ
うよ。「ゴー・ゴー・ラウンド・ディス・ワールド」「メロディ」とマキシ
シングルが続くわけだけど、この2枚は内容・存在・意義、全てに関して日本
のマキシ・シングルを代表する2枚だからね。この2枚はマキシシングルとい
う形でしかありえなかったし、この2枚以外、マキシという形態が抱え込んで
いる「なぜにマキシなのか?」というクエスチョンに答えていないと思う。
嗚呼、それにしてもなぜにこんなに名曲が多いのか。
215ハカセのオルガン最高:05/03/15 05:50:11
93〜94年にかけて、
フィッシュマンズ、特に佐藤くんのメロディメーカーとしての才能は全開バリ
バリ溢れだし、誰にも止めることはできない。そしてその才能は4枚目のアル
バム「オレンジ」で大爆発、大炎上を起こす。もう、ここにはデビュー当時
のかわいくてポップでほわほわしててというフィッシュマンズはいない、音
楽をひたすら追究して、愛する彼らの姿がバッチリ見える。「もう、好きな
だけ音楽やらせてもらいます!」ってな決意ビンビン、自信満々の作品。そ
してそれは初のライヴ作品となった「オー・マウンテン」でしっかりと証明
されている。代表曲が16曲ぎっしり詰まった贅沢なアルバム。普通のライヴ
アルバムとは全然スタンスが異なる彼らにしか作り得なかった作品。
216ハカセのオルガン最高:05/03/15 05:51:02
この作
品を最後にフィッシュマンズはレコード会社を移籍し、またまた新たなる境
地に達したアルバム「空中キャンプ」を完成させるわけである。このアルバ
ム前と後では「同じバンドか!?」と思うくらいバンドの匂いが変わったような
気がする。この時期が第三期の突入で、この第三期というのはどんどん枝分
かれし、細分化していくこととなる。ハッキリ言って、第一期第二期のフィ
ッシュマンズでは日本のロックの名盤中の名盤、1トラック35分16秒という
「ロング・シーズン」を完成させることは不可能だっただろう。そして、こ
の曲で忘れられないのが96年12月26日の赤坂ブリッツのライヴで演奏され
たときのこと。音楽ってすごいなって思った。そして、ものすごく崇高なも
のだって思った。神様が降りてきて、皆を幸せなところへ連れていってくれ
た。涙が止まらなくなった。考えてみれば、ボクは2回佐藤くんに泣かされた
な。今、原稿を書きながらと赤坂ブリッツと。そしてフィッシュマンズはそ
の勢いのまま本当に静かな静かなアルバム「宇宙日本世田谷」を作り上げる。
このアルバムでフィッシュマンズは「静」というものを自由に操る術を身に
つけた。その後、「ウォーキング・イン・ザ・リズム」の4ヴァージョン違
いのマキシシングルをリリースしたフィッシュマンズは、実質的に最後にな
ってしまったライヴアルバム「8月の現状」を98年8月19日にリリースして、
99年3月15日、ヴォーカルであった佐藤伸治の死と共に静かな終焉を迎える
こととなった。初めての音源V.A.「パニック・パラダイス」に2曲参加してか
らちょうど10年目のことだ。
217伝説の名無しさん:05/03/15 06:10:36

       /⌒ヽ
⊂二二二( ^ω^)二⊃
     |    /    うんうん
      ( ヽノ
      ノ>ノ 
  三  レレ
218↑連投できず困っていたので39:05/03/15 06:13:39
「ミュージシャンとは何たるものかって考えたんだよな。そしたら、もっと、
やっぱ自由にって言うかさー、ミュージシャンは音楽を作る人っていう感じ?
 それで、音楽はもっと音楽のためにって言うか。公平であるべきだと思う
のね。商売であるべきではないし」

これは生前の佐藤くんの言葉で一番印象的だったものだ。不幸なことに、
悲しいことに、今、音楽は音楽のためだけには存在していない。あるものは
企業のため、あるものはスポーツのため、あるものはファッションのため、
あるものは社長のため。ほとんどの音楽はお金のために存在し、音楽のため
に存在している音楽なんて無いのかもしれない。ロックミュージシャンさえ
もそれを否定したふりをして受け入れている。ボクがここ最近、特に怪訝に
思うのがスポーツやファッションのために存在している音楽について。クソ
だ。消えてくれと思う。ボクは音楽とスポーツを一緒にとらえている人間と
は3分と同じ空気を吸う気にならない。これだけはハッキリしている。スポー
ツの選手生命やファッションというものは極端に短いし流行廃りで消えてし
まう。あっと言うまだ。そのために存在している音楽も同様だ。さようなら。
ごくろうさん。でも、音楽が音楽のためだけに存在しているのなら、その音
楽は永遠だ。オリンピックやサッカーW杯なんてものをテレビで見てて思っ
たが、あれは人の死なない国家間の戦争みたいなもんだ。音楽はスポーツじ
ゃない。
219イノマーありがとう:05/03/15 06:14:26
「音楽は音楽のためにあるべきだ」
 それをボクに教えてくれたのはフィッシュマンズであり、佐藤くんであった。

 フィッシュマンズが無くなって悲しいことは、彼らの新曲がもう聴けなく
なったことと、もう一つ。彼らのライヴで本当に気持ちよさそうに、上手に
ダンスしている人たちの姿を見ることができなくなったことだ。皆、音楽が
好きで、フィッシュマンズが大好きな人たちばかりだった。皆はどんな思い
で佐藤くんの死を受け止めたんだろう?

 佐藤伸治、享年33歳。スポーツ新聞の片隅にひっそりと死亡記事が載って
いた。ボクはそれを高円寺のそば屋で読んだ。不思議な気持ちになって何回
も何回も読んだ。でも、その記事は何回読んでも、最初に読んだときと変わ
りなく、正確に人の死を不特定多数の人間に無表情で報せていた。残忍な殺
人事件と下衆な芸能ゴシップに囲まれて、佐藤くんは、そこで死んでいた…
220ラスト。佐藤ありがとう:05/03/15 06:15:29
 新聞をカバンにしまい、ボクは新宿へと向かった。福島三郎脚本演出の芝
居を見に行かなければならなかった。佐藤くんが死んだとしても、ボクは約
束を守らなければならない。強い雨が降って、おまけに劇場の場所がわから
なくて、ボクは頭からつま先までずぶぬれになってしまった。それは「サニ
ー・コースト・セレナーデ」という芝居で、素人がバンドを組むという内容
だと言うことしか知らなかった。悪いけど、正直そんなに期待して見に行っ
たわけではなかった。ある人との約束を果たすために行ったようなものだ。
ところが芝居の中、素人が一生懸命楽器を演奏して、1曲を完成させるその姿
に感動して、最後には泣き出してしまった。「佐藤くん、音楽ってこれでい
いんだよ。こういうことなんだよ」って。

「音楽は何のために鳴り響きゃいいの?」
 佐藤くんはアルバム「空中キャンプ」の「新しい人」でそう歌っていた。
その答えは以外にも何の気無しに見に行った舞台の中にあった。バンドは生
きることの素晴らしさを歌うべきだ。そして、音楽はそのためだけに鳴り響
けばいい。それを教えてくれたのは、フィッシュマンズであり、佐藤くん、
あなただったんだから。生きることの素晴らしさを大きな声で歌えなくなっ
たら、バンドは音楽をやめるべきだし、ステージに立つべきではないと思う。
少なくともボクはそう思っている。

 この静かな世界で、音楽は心震わす人たちと手紙を待つあの人に届けばい
い。90年代の日本にそう歌ったミュージシャンがいた。その人の名前は佐藤
伸治と言って、忙しいのが嫌いで、動物と車が大好きな青年だった。ボクは
その名前を一生忘れないだろう。(イノマー 1999.3.28.)