ぶっちゃけて言うと、全てのアルバムを通しても、
「黒夢っぽさ」と呼べるような一貫性は見当たらないね。
彼らのやっていることがすなわち「黒夢」だった。
俺の中で「SADS=清春一人でやってる黒夢」という図式があるのは、
黒夢が確固たる「らしさ」を持たないバンドだったからなのかもしれない。
もし黒夢が何かしら一貫性のあるイメージを確立していたなら、
SADSではそれと違う方向性を示すことで、「元黒夢」という肩書きを
容易に払拭できたような気がする。
まぁ、ひとつの型にはまるのを嫌がる清春だから、
こういう仮定は無意味だとも思うけどね。