【メル】グランドファンクレイルロード【ドン】

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1名盤さん
グラファンについて語ってください。
個人的には1st〜3rd、LIVEが好き。それ以降はだめ。
2名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/01 02:29 ID:???
やった!2ゲトー!
3名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/01 02:42 ID:???
だいたいの記憶をたどると初期作品がいいかな?
レコードあんまりもってないけどね・・・
?な部分も後期にはあるかもしんない。
そんなこと思っててもやっぱいいもんは(・∀・)イイ!
いまどきの曲に毒された耳には新鮮かも。
つまり、ヤパーリ奴等は偉大ってことだYO!
(温故知新)
藁ってそういえる日がくるのはいいことだ!
4GFR:02/06/01 03:18 ID:8hkWsfqg
LIVEもいいけど、アメリカンバンドもいいぞ!
5名盤さん:02/06/01 12:15 ID:ps0te2Qo
アメリカンバンドの頃になると(まあ、嫌いじゃないけど)
計算されたバカロックになるよね。
ホントにバカだった頃が一番よかった。
6名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/01 18:58 ID:jaxP794E
Caught in the Act お薦めします
7名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/01 21:20 ID:???
メルとドンでなんでマーク・ファーナーがないの?
8:02/06/02 09:28 ID:mAEoFZjI
>>6
あれが苦手なんすよ。ベースの音も普通だし。
>>7
いや、ただ書き込めなかっただけ。
9名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/02 13:22 ID:r2xmlwEU
2枚目のアルバムが、どの輸入CDショップに行っても見つからん
10名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/04 16:32 ID:???
やっぱHeartBreakerだろ?
しかし、ヤシは胸毛がスゴイよナーw
11名盤さん:02/06/05 02:14 ID:Pf80MKzo
再評価される時はくるのかね?
12名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/09 22:45 ID:ezUjE7FU
孤独の叫びが一番好きだったような記憶がある・・・カヴァー曲ではあるけどもさ
13  :02/06/09 23:41 ID:ceTiAEz6
孤独の叫びは良すぎ
14GFRファン:02/06/11 01:19 ID:cWM6baqU
>>1
個人的には
「LIVE ALBUM」
が一番良かった。
15:02/06/11 18:25 ID:mCNas39U
>>14
いいっすよね。
これ聴くとホント、ロックは勢いだ!と思い知らされる。

下手と凄いは紙一重だなあ、と。
16名盤さん:02/06/12 11:54 ID:/CJufuuc
もう何年前だろうか。
マーク・ファーナーのコンサート(渋谷公会堂)に行ったことあり。
ダフ屋のおじさんからチケットを定価で買って入ったが、やはり満員では
なかったなあ。GFRの曲は受けてたが。
俺も「ライブ・アルバム」が一番すきかな。
17名盤さん:02/06/16 11:19 ID:pvyT2GwA
age
18名無しさん@お腹いっぱい。:02/06/23 06:04 ID:???
71年、後楽園球場のライブは感動的であったぞ。
19リアルタイム:02/07/01 22:56 ID:2t59OBCY
前座が終わって、さあこれからという時に、それまでメチャ暑かったのに、
急に冷たい風が一塁側から吹いてきて、ステージ前のGRAND FUNK RAILROADの看板が飛んでいっちまったんだ。
そして稲光に始まって、土砂降りの雨、そのあと大粒の霰まで降って、中止も覚悟したほどだったけれど、
会場の雰囲気は更に盛り上がり、「雷がゴローゴロー鳴ってます、こんばんは糸井五郎です」みたいな
寒いダシャレに、会場からはブーイング。
散々待たされた後のライブが盛り上がらない訳が無い。
その後、後楽園ライブは数あれど、あんなに見事な「自然の演出」には出会っていない。
20名盤さん:02/07/17 13:01 ID:Fxa9Up46
「俺が若かりし頃GFRの伝説の後楽園ライブに逝って・・・」という会社の上司は
デブっちゃてサイコーにかっこ悪い。
昔の事はいいから、体重を15キロ減らせよ、おっさん!!
21名無しさん@お腹いっぱい。:02/07/18 21:02 ID:???
ちなみに後楽園のライブは全部テープだった、というのは有名な話
22名無しさん@お腹いっぱい。:02/08/07 03:15 ID:KW1hkS8M
"Grand Funk"を初めて聴いた。まじカッコよすぎてビビった。
80年代ポップスの流れが途絶えて聴くものがなくなって、
仕方無しで聴いたツェッペリンに心底おどろいた、あの感覚
が久しぶりによみがえった。「おれはこんなかっちょいいロ
ックを見過ごして今日まできたの?」っていう感じ。

ただ、ネットで試しに落としてみた 「ハートブレイカー」と
「アメリカンバンド」はクスリともこなかった。残念。

でもまあいちおう「ライブ」はさがして買ってみようと思った
んだけど、心配なのはきちんとベースが跳ねているのか?というこ
とです。このバンドの魅力の7割はリズム・セクションが担って
いて、そのうちの多くの部分をベースが占めていると個人的には
思っているので、音の収録バランスがギターとボーカルよりだとち
と辛い。教えて
23名無しさん@お腹いっぱい。:02/08/07 05:17 ID:anAtpomI
>>22
2nd 「Grand Funk」 聴きなされ。

ところで、liveって再販されてるの?
昔、人に貸したまま行方不明になってしまった・・・・・。
それ以後中古屋でも見つけられないんだけれど。
2423:02/08/07 05:19 ID:anAtpomI
あ、スマソ。まさにそれを聴いたのね。
よく読んでなかった、本当にスマソ。

数年前の再結成ライブ、逝った人居る?
おっ、グランドファンクのスレがあるとは。
4人編成になったからのビデオをもってるけど3人編成時より洗練せれちゃって
このへんはプロドューサーのトッドラングレンの手腕かな。
以前の野暮ったさやイモっぽさ(いい意味で)が彼らのよさでもあったが、
3人と4人と他の人はどっちが好きかな?
ちなみに自分は最初聞いたのが4人編成時のライブアルバムなもので4人の頃が
好きなんだが。
26伝説の名無しさん:02/08/31 15:13
>>25
プロデューサーの手腕だな。3人編成と4人編成の音がかなり違うのは。
別のバンドになったといっても良かったんじゃないかな。
27伝説の名無しさん:02/08/31 22:51
そういえばバンド末期にはフランクザッパもプロデュースしてましたね。
28椎名町花子:02/09/01 20:16
3人編成時代カコイイ(・∀・)イイ! アーユーレディ♪
29伝説の名無しさん:02/09/07 22:35
 
30伝説の名無しさん:02/09/23 23:48
age
31伝説の名無しさん:02/09/29 02:39
やっぱ、二枚組みライブがたまらん!今日も聞いてマスタ。
ボーカルバンドだからね、ベースが上手い。
32伝説の名無しさん:02/10/02 00:03
G.F.R.のライブビデオが欲しい。どっかにいいのないんか!
33伝説の名無しさん:02/10/02 22:32
4人編成時のビデオ持ってるよ。
34伝説の名無しさん:02/10/04 00:06
↑見たいけど、三人のがいい!
35伝説の名無しさん:02/10/04 01:06
おまえらに教えていただきたいのですが、
LIVE ALBUM 並に血沸き肉踴るような激しく
かっこいいライヴアルバムを挙げてくらさい。
よろすくおながいしまつ。
36伝説の名無しさん:02/10/16 11:07
|∀・)ぽめーり・・・
372チャンネルで超有名:02/10/16 11:10
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2002.8.28 グランド・ファンク・レイルロ-ド登場 \1,800 TOCP67001
2002.8.28 グランド・ファンク \1,800 TOCP67002
2002.8.28 クロ-サ-・トゥ・ホ-ム \1,800 TOCP67003
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2002.11.27 サバイバル \1,800 TOCP67005
2002.11.27 戦争をやめよう \1,800 TOCP67006
2002.11.27 不死鳥 \1,800 TOCP67007
2002.11.27 アメリカン・バンド \1,800 TOCP67008

以降未定スマソ。
39伝説の名無しさん:02/11/14 22:00
>>35
FOGHATの「FOGHAT LIVE」 がいいよ。
いかにも1970年代のブルースロックバンドだね。
完全燃焼。正にその言葉がピッタリくる一本気のあるライブだ。
しかし、彼らはこの後本当に燃え尽きて失速してしまうのだけど。。。
過去何度か再発されてるので、機会があれば入手できるかも。。。
40伝説の名無しさん:02/11/17 22:50
Lonelinessのライブが聴きたくてBosniaを注文したのだが、
さんざ待たされた挙げ句、入手不可の連絡がきた。
だれか持ってる人いる?
41伝説の名無しさん:02/11/20 22:28
やっぱドンが肝だと思うが・・・
into the sunバンドでよくカバーしたなぁ・・・
42伝説の名無しさん:02/12/09 11:39
G.F.Rは私が始めて行ったロックのライブね。
そう激しい雨が降ってきた。
あの頃は男子トイレは混んでても、女子トイレはすいていたっけ。
テープだったって噂は、すぐ流れてきたけども本当なの?
でも、楽しかったし、いいよね。「孤独の叫び」が好き。
43伝説の名無しさん:02/12/11 07:37
ツェッペリンのアメリカツアーで前座やって、
当時人気急上昇だったから、アンコールに応えちゃったりなんかして、
あとでツェッペリンのメンバーに殴られた。って話ほんと?

殴ったのロバート・プラントかな。ボンゾでも痛そう。
44伝説の名無しさん:02/12/14 01:10
誰かコレクタービデオ買った人いる?画質が心配です。
45アッシュ:03/01/07 17:24
ん?こんなスレあったんだ!
>19 :リアルタイムさん
看板が飛んだ・・・のは
前座のマッシュマッカーン演奏中だったんじゃなかったっけ?
あっしはそん時、1塁側のスタンドに居ましたわい。(笑)
46山崎渉:03/01/13 23:54
(^^)
47伝説の名無しさん:03/01/14 15:26
Closer to Homeのリマスター盤買った
ボーナストラックのライブ最高♪
48山崎渉:03/01/21 14:46
(^^)
49伝説の名無しさん:03/01/27 18:38
何年か前の復活ライブ、赤坂でまん前で見た。大声で歌いながら泣いとったらメルさんが驚いた顔しとった!
50伝説の名無しさん:03/02/04 22:03
このスレ、もうちょっと上がって欲しい。
今回、どどっと再発されたんで当時買えなかったアルバムも含め
片っ端から買って聞き直したけど、あらためて泣ける。
「クローサー〜」とか「サバイバル」なんかでは、
結構マークがオルガンやエレピを弾きまくってたんだね。
そんなに滑らかなプレイじゃないんだけど 彼の愚直さが出てて
そこがまた泣ける・・・・・
51伝説の名無しさん:03/02/05 17:12
昔はゼッペリンやパープルの下と見られてたけど、30年後はGFRしか聴く気がしない。
52伝説の名無しさん:03/02/05 19:38
モップスの「傘がない」はアレンジもストレートに
「ハートブレイカー」をパクってて潔くてイイね。
3月にはアルバム再発第3弾! それまでこのスレが持ちますようにっっ
75年のライブ楽しみ!
53伝説の名無しさん:03/02/26 00:21
|∀・)ぽめーり・・・
54伝説の名無しさん:03/03/04 19:54
アルバム再発第3弾 3月26日発売!!!
「輝くグランドファンク」
「ハードロック野郎」
「ツアー75」
「驚異の暴走列車」
http://www.toshiba-emi.co.jp/international/release/index_j.htm
ボーナストラックはさすがにやや少なめ
リアルタイム派のおじさん 厨房工房のみんな
帰ってきてくれーーー
どっこい彼らは生きているぞっ
55 ◆1SPEARL/yo :03/03/04 21:40
おお!!もっと知名度あがんねーかな
56伝説の名無しさん:03/03/05 20:29
マジで奴らは生きていた!
2002年ツアーのプロモビデオがあったよ↓
http://www.grandfunkrailroad.com/video.htm
ドンもメルもいいオッサンだが元気だ。
がしかし そこにマークの姿は・・・無いのであった  ショボーン
最近の再発アルバムのライナーによるとマークと他の二人は
冷戦状態にあるんだそーだ  ハァー
57山崎渉:03/03/13 17:02
(^^)
58伝説の名無しさん:03/03/19 23:00
マークファーナーカムバック
59伝説の名無しさん:03/03/20 21:08
久しぶりに人が来てくれた。
もうヤケクソで再発秒読みage!
60伝説の名無しさん:03/03/23 21:13
きっとマークはどこかで反戦デモをやってるはず
再発まであと3日age
61伝説の名無しさん:03/03/24 22:09
「戦争をやめよう」ってそのまんまなメッセージソングもあったが・・・
30年経っても世の中ちっとも変わってないぞ ゴルァ
再発まであと2日age
62伝説の名無しさん:03/03/25 20:27
Are You Ready?
再発はいよいよ明日だ!age
63伝説の名無しさん:03/03/26 19:22
俺は逝けてないんだが・・・ とりあえず今日
再発第3弾が店頭に並んでいるハズ
よみがえれ グランドファンクレイルロード!
64伝説の名無しさん:03/03/27 00:56
新曲はないの?
65伝説の名無しさん:03/03/27 21:03
まだまだ俺は買いに逝けてないんだが
とりあえず発売記念abe

新曲?!・・・・・
今の状況からは望み薄かなー
(アルバム出してツアーやってるストーンズはエライね)
とりあえず再評価はされて欲しいんだが・・・・
66伝説の名無しさん:03/03/28 19:58
よーうやくCD屋で買ってきたよー
グランドファンク後期の名盤4枚!
俺としてはこの時期のポップさが一番好きなんだけどね
特に75年のライブはすり切れるほど聞いたなー
アナログ板は2枚組だったけど今回のリマスター板は
CD収録ギリギリの79分だーっ!
冒頭のサウンドチェックの部分はは
さすがに収めきれずにカットしてあるけど
Closer to Home から Heratbreaker のメドレーを
レコードひっくり返さずに聞けるのが新鮮
まだまだ頑張ってageるぞ!
67伝説の名無しさん:03/03/29 20:52
ひさびさに聞き返した感想age
「輝くグランドファンク」(74年)
タイトル曲の Shinin' On 今聞いても不思議なよく分からん名曲
それにしてもトッド・ラングレン色が全開だー
この人は何故こんなにエフェクトをベチャベチャかけまくるのか?
でもこの人の手腕でアルバムも売れたのか・・・・
今聞くとかなり薄味だなー
68伝説の名無しさん:03/03/29 21:40
age
69伝説の名無しさん:03/04/02 22:27
ageてくれた人スマソ 引き続き感想
「ハードロック野郎」(74年)邦題がどんどんダサくなるんだが・・・
プロデューサーは替わってジミー・イエナーで当時の大御所だそーだ
ポップ路線は相変わらずだが本作の方がゴージャスかな?
もはやどこがハードロックか分からないが
ブラック寄りのカバー曲なんかに彼らのルーツが見えて
けっこう俺は好きだったなー
それにしてもヒットシングルだった Bad Time のキャッチーさよ!
改めて聞き返して思ったが
こ れ じゃ ほ と ん ど サ ザ ン だ !
でもマークのウエットなヴォーカルはいいなぁー
70伝説の名無しさん:03/04/05 16:27
去年だったかロス郊外のブレアでGFのフリーコンサートありました
とにかくロックっていうとGFだよ
イーグルス、ドゥビーなんて、、、、
71伝説の名無しさん:03/04/05 16:51
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72伝説の名無しさん:03/04/05 22:15
>>70 それはもしかしてマークの居ない新生グランドファンク?
今年もツアーをやるようなことを聞いた気がするが
ドンとメルは若いなー
73伝説の名無しさん:03/04/09 19:05
しばらく書けなかったけど
いつの間にか業者さんも含め人が少し増えた?
・・・・・・・・気のせい?
前に書き忘れたんだが「ハードロック野郎」の最終トラックに
隠しボーナストラック?として75年ライブのカットされた
イントロダクションの部分がが収録されてたよ。
サウンドチェックやメンバーの話し声から花火にいくくだりなんだけど
アナログ盤をすり切れるほど聞いた俺としては非常にうれしー
しかしこんなことで喜ぶのも俺ぐらいか・・・・・・・・
74山崎渉:03/04/17 12:02
(^^)
75山崎渉:03/04/20 06:03
   ∧_∧
  (  ^^ )< ぬるぽ(^^)
76伝説の名無しさん:03/04/21 21:46
久しぶりのアルバム感想age
「驚異の暴走列車」(76年)
原題 Born to Die ジャケットも棺桶だ・・・・・
名実ともにラストアルバムとなってしまった
移籍してから出した「熱い激突」のほうが先に録音が終わっていたが
ミックスに時間がかかり
このアルバムが先にリリースされてしまったんだそうだ
地味で重っ苦しくて閉塞感溢れるこのアルバムを評価する人なんか
かなーり少ないだろうな
自分にとってはかけがえのない名盤なんだけどね
彼らのアルバムの中でも一番洗練された
何とも渋い奥行きのあるマッタリした音楽だと思う
確かアダルトなんとかロックって言うのが流行りだした時期だろうか
(ボズ・スキャッグスとかドゥービーとかがガラッと変わった時期)
彼らは結局そんな道を選ばず終わってしまったけれど
それで良かったんだよね?
イーグルスは「ホテルカリフォルニア」がラストアルバムか?
なんて騒がれつつ けっこうしぶとく生き延びたけど
彼らは自分たちの音楽をしっかり成熟させて 潔く終わった
けっこうカッコいいよね
77伝説の名無しさん:03/04/22 04:42
78マーにいちゃん:03/04/23 09:58
>18,19
実は、それが日本における初のスタジアムコンサートだっていうのは余りにも有名。
79伝説の名無しさん:03/04/26 07:42
GFR、この3文字がカッコイイ 僕はストーンズとエルビスとGFR 狂ったな〜
マークはギターを選ぶセンス凄かったね。ひょうたんギターが最高
あとテッドニュージェントも好きだった
その後PUNKに行ったけどGFRは全然色あせない
80伝説の名無しさん:03/04/26 20:36
今のロックビジネスの基礎はほとんどGFRガ形作ったそうです
もっと再評価されてくれー

今度の再発では訳詞がついているので無精者には有り難いね
ついでに英文ライナーも訳してくれるともっと嬉しかったんだけど・・・
メンバーの証言なんかが豊富でちゃんと読めば面白そうだ
「ジャニス・ジョップリンとはダチだったゼ」とか
「ブリティッシュの連中が何をイノヴェイトしたって言うんだい?
奴らのはアメリカのイミテーションだぜ」などなど
英語力が厨房程度なんで間違ってたらスマソ・・・・・・・・
81伝説の名無しさん:03/05/01 19:57
せっかくだから歴史に残らない末期の名盤
「驚異の暴走列車」をまったりと
M-1 Born to Die
タイトルもストレートだが メルトクレイグのユニゾンで始まる
イントロがひたすらヘヴィーだ
マークの従兄がバイク事故で亡くなったのをきっかけに作ったんだそうだ
M-2 Dues
多少音楽に熱を帯びてくるけど まだまだ暗いぞ
「オレは代償を払うのを止められないのかー」とドンが吼える
M-3 Sally
ここで突然ふつーのポップなラブソングになるので凄くホッとする
マークは最初中音域でリラックスして歌い後半いきなりオクターブ上げて
歌っている
ハイトーンでもヒステリックにならずに歌いきる奴のノドは凄いね
M-4 I Feel For Your Love
ひさびさに聞き返して再発見したんだけど
連中が当時流行りのソフト&メロウを演っている・・・・・・・・?!
前半のドンのソフトな歌い方もマークのギターもモロそのまんまだ
もっとも後半はしっかりGFRサウンドに戻るんだけどね
でも 奴らの音楽的な幅の広さは侮りがたし
M-5 Talk to the People
クレイグのピアノとサックスが絡むイントロが渋い
「人々に話しかけているのに誰も聞かないよ」と言う
何ともかんとも時代の閉塞感に溢れた曲だなー
後半サックスのソロと絡むマークのギターがホントによく歌うね

と言うことでA面おしまい
82マーにいちゃん:03/05/04 16:19
B面はどうした。
漏れは多分聴かないが
83伝説の名無しさん:03/05/04 23:50
んじゃまぁ 誰にも期待されないままB面へ
M-6 Take Me
しかしアルバムは佳境へ クライマックスへと上りつめるのであった
ようやく来たーっつう感じのスリリングなイントロ
この重量感 疾走感 紛れもないGFRサウンドだーっ
シングルチャートは全くパッとしなかったらしいが
んなこたぁどうでもいい ひたすらカッコイイ
M-7 Genuvieve
よく分からんインストナンバーでボルテージがちょっと落ちる
アナログ盤を聞いてた頃もこの曲は抜かしてたなぁ
しかし今聞き直すとクレイグのオルガンがやたら妖気を放っている
仲間内ではクレイジークレイグで通ってたんだそうだ
キテる奴 と言うか逝っちゃってる奴と言うか・・・そんなプレイだ
M-8 Love is Dyin'
またタイトルが暗いんだがTake Meに続くエネルギッシュなGFRサウンド
ドン渾身の名曲だそうだ
ウエットなツインギターが泣ける
84伝説の名無しさん:03/05/05 00:18
あと2曲
M-9 Politician
政治家センセイ 頼むから俺たちを騙さないでくれ
って言う 何のひねりもないマークのメッセージソング
そこが彼らしいところか・・・・・
アップテンポなんだけどちょっと薄味
M-10 Good Things
全体的にウエットでダークな雰囲気の中 この曲だけドライで異質な感じ
移籍してからのアルバム「熱い激突」の感じに近いかな?
地味なんでこれも余りよく聞いてなかったが
今聞き直すとけっこうファンク色が濃い曲だ
これも時代って言うやつか
85伝説の名無しさん:03/05/20 22:46
ううっ やっぱり下がる一方か・・・・
86伝説の名無しさん:03/05/20 23:37
孤独に叫んだるぅぅぅぅぅ〜〜〜〜〜〜〜
87伝説の名無しさん:03/05/20 23:52
ぎみー しぇるたぁああああ〜〜〜〜〜
88伝説の名無しさん:03/05/21 02:54
何でギミシェルターなの?
89マーにいちゃん:03/05/21 10:28
引きこもり、したいんとちゃうか
90伝説の名無しさん:03/05/21 23:17
つっこみサンクスコ
75年のライブだと孤独の叫びからギミーシェルターに行くんで
オレの頭の中では対になって回ってる・・・・・
本家のストーンズのもいいけどGFバージョンもカッコイイ
91伝説の名無しさん:03/05/21 23:28
はぁぁとぉぶれ〜〜かぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜
92山崎渉:03/05/22 01:36
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
93マーにいちゃん:03/05/22 09:20
ギミはストーンズの’72のブート・ライブが最高(温室は??)
誰でも聞けるわけじゃないがな。

GFRのベストテイクはLIVE ALBUMのハートブレーカーと思うよ
94伝説の名無しさん:03/05/22 22:40
廉価版のDVDで最近のストーンズのツアーを見たけどカッコよかったよ
サポートメンバーがしっかりしてるとは言え奴らは不死身か?
まあGFRにそれを望むわけじゃないが 還暦で現役は凄いね

マーにいちゃんはリアルタイム派なの?
95マーにいちゃん:03/05/22 22:43
漏れはGFRを知ったのはロコモーションがラジオでヘヴィローテしてたころ。
リアル厨でつた。
96伝説の名無しさん:03/05/22 22:50
なんかうらやますいな
熱い時代だったんだろうな
97まっくん:03/05/22 23:01
俺もコテハンでいこう マーにいちゃんと少しかぶるけど勘弁
厨房で初めて買ったアルバムはアメリカンバンドだったよ
2.3年遅れだけどね
後楽園リアルタイム派はもう50代越えてるのかー
98伝説の名無しさん:03/05/23 00:06
GFR解散後マークを除いたメンバーでフリントと言うバンドがあったのを
憶えてるかな?
99伝説の名無しさん:03/05/23 22:35
今ライブアルバム買ってきたよ〜。
で聴いてるんだけど馬鹿でけー音量と音圧に圧倒。

トッドラングレンと組む前の彼らの楽曲は粗雑の極み。
当時の評価が低かったのもなんとなくわかる。
100まっくん:03/05/23 22:47
フリントは名前だけ聞いたことがあるんだが
実際はどんな音楽やってたの?

ちなみに俺は解散後に出たマークのソロアルバムを持ってるけど
聞き返した覚えが無いので全く印象に残って無い・・・・・・
101マーにいちゃん:03/05/24 10:51
>>99
当時の評価はアメリカン・バンドなんて愚にもつかないポップ・チューンやりやがって!
Rがなくなったってことはロックを捨てたな。RはROCKだろ。
ってこと言い合ったもんだが?
102伝説の名無しさん:03/05/24 16:38





103まーちゃん:03/05/24 18:02
仮コテまーちゃんで(ホントはコテあるけどw)

あたしはおかんがそういう世代だったみたいで
10代の時ハートブレーカーにガアツンとやられました
104マーにいちゃん:03/05/24 22:17
「20世紀ギタリスト伝説」(By Pete Prown and HP Newquist Foreword by Joe Satriani)
という本からの流用。

批評家から徹底的に嫌われ、ラジオでも殆どエアプレイをもらえないロックン・ロール・バンドは、
大抵は行き場を失って消滅するのが関の山だった。しかし、ミシガン州フリント出身のパワー・トリオ、
グランド・ファンク・レイルロードはこうした扱いを受けながらも活動を続け、70年代初期のアメリカで
最も人気の有るハード・ロック・バンドの仲間入りをしたのである。
音楽的に言えば、初期のグランド・ファンクはハイ・ヴォリュームのリフを連発しているばかりだったが
それにも拘らず、彼かのアルバムが出れば群れをなしてレコード屋に買いに走るような、
膨大な数のオーディエンスがついたのである。
その構図はまるで、評論家が彼らを嫌えば嫌うほど、ファンは彼らに対して愛情をつのられる、
という具合だった。
105伝説の名無しさん:03/05/25 08:59
アメリカンバンドはよくラジヲでかかったなぁ
小学6年くらいかな。
それであの金色LP買いました。
豪華ライナー付だったね。
106伝説の名無しさん:03/05/25 15:06
ビデオを整理していたら、MTVで録画したコンサートの映像が残ってました。
サテンのパンタロンを穿いて、アメリカンバンドを歌ってました。
107まっくん:03/05/25 22:26
スタジオ盤で言うと2枚目あたりが一番ハードロックらしいか?
でも他のアルバムはもっと音楽の幅が広いね
メロディアスなポップロックバンドっていうのが
案外彼らの本質なような気がするが
>>99 そんなあなたには75年のライブがおすすめ!
108まっくん:03/05/25 22:54
今度の再発盤の英文ライナーに 「クリームやジミヘンはブルースが
ベースだが 俺たちの音楽はR&Bがベースなんだ」って言う
メンバーのコメントがあったが・・・・
まあ何となく分かるような分からんような・・・・・

>>105 確かアメリカンバンドにはステッカーがオマケでついてたね
ライナーは連続殺人の永山ナントカの手記が引用されててコワかった
厨房の俺は「ロックってのはヤケに小難しいな」って感じだったが
音楽はそれとは全く無縁にカッコよかった
あのカウベルを交ぜたドラムのイントロは
全国の厨房工房ドラマーがこぞってコピーしてたんでは?
109山崎渉:03/05/28 16:58
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
110105:03/05/29 08:00
>>108
そうそう、なんか聞いたことない日本人ライターが
アンリ・ルフェーブル(仏・哲学者)とか引用して
「今は夏真っ盛り」とかって小難しいこと書いてたよね(www
あと「輝く!」の切り抜き飛び出し色めがねも
CDで復刻してほしかったなぁ・・・

ちなみにアメバンのあのイントロのDのリフを
あこぎでコピーしてたのは厨房の俺です。
111伝説の名無しさん:03/05/29 14:48

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
俺様用・しおり
  ∧_∧   
 ( ・∀・)< 今日はここまで読んだ      
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

112まっくん:03/05/29 22:47
アコギのアメリカンバンドは凄いねー

マークのギターリフは俺程度の腕前でも
結構すぐに弾けたりしたんだが
アメリカンバンドはよく分からんかった

ハートブレイカーは十八番だったなー
113伝説の名無しさん:03/05/30 09:58
このバンドとかイギリスだとUヒープって
「評論家」筋からはほんと叩かれたよね
でもGFRはガレージとはちがう「下手のど迫力」があって
結構楽しめます。
逆にヒープはアレンジとかが半端に凝ってるんで
つまんなかったりする
114マーにいちゃん:03/05/30 23:16
それが、米英の違いだったりするね。
ストレート、一歩間違えるとスッカラカーンなアメリカと
エスプリ、一歩間違えるとへそ曲がりみたいなイギリスとか言う感じ。

5年ぐらいの差があるけど日本でいう、NWOBHMとLAメタルもおなじだったりするね
115113:03/05/31 08:51
GFRは「うわ!あぶねーなぁ」ってトチリもどきが多いけど
いいんだよねぇ。
イギリスものだとサバスなんかは今でも結構聞けるけどね・・・
バッドカンパニーの国内盤帯に
「最強のアメリカンハードロックバンド」とかって
コピーがあるのはまじで笑えます

ちなみにザッパのプロデュース盤って復刻されていませんよね
116まっくん:03/05/31 15:48
久しぶりにCD屋をのぞいてきた
フランク・ザっパ、プロデュースの Good Singin' Good Playin'は
輸入盤があったよ (移籍先の会社は忘れた・・・)
国内盤が出たら俺も欲しいんだけどね
GFRのスペースもGreatful Deadの再発ラッシュに侵食されつつあるな
ボスニアのライブ盤はやっぱり無かった・・・・・
マークのソロシングルは奇特な人に買われていった模様
もう入らんだろうなー
以上、都内タワーレコードにて でした
117113:03/05/31 16:37
>>まっくん
レポートさんきゅです
118まっくん:03/05/31 20:23
ちなみに今日買ってきたのは
林檎タンの「売笑エクスタシー」
119まっくん:03/05/31 21:05
スレ違い反省
Good Singin'は今ではコアなファンも出たことすら忘れているであろう
変人ザッパとバカ正直者GFRの取り合わせが結構そそるんだが
何の奇もてらわないストレートなロックアルバムだったね
全体的には地味で通好みな感じだけど
A面2曲目のロックンロールがメチャクチャカッコよかったー
B面2曲目ではザッパのギターが大フューチャーされてた
タイトルは多分Out of get Youだったか?
俺はザッパ自身のグループの音楽はよく知らないんだけれど
ウネウネしたフレーズで充分変態ぶりを発揮してた
ザッパのソロのあとをマークのギターが引き継ぐんだが
これがまた正反対のバカ正直なソロ・・・・・
なかなか興奮できるギターバトルだったなー
120伝説の名無しさん:03/05/31 23:53
スティーブヴァイ(弟子)とザッパ(師匠)のインタープレイは
ザッパのオフィシャルリーダーアルバムに音源が残ってますな
明らかにザッパの勝ち(当たり前か)

だけど

なんでGFRのアルバム製作を請け負ったのだろうか???
金に困ってたわけないし・・・アルバム聞いてみたいですっ!!!
121まっくん:03/06/01 12:08
激レアだけどオモロイものを見つけてしまった
http://user.tninet.se/~qna975p/terry.htm
GFRの前身のローカルバンド
写真のどこかにマークとドンがいるはずなんだが
マッシュルームカット・・・・・・・・・・・・
122伝説の名無しさん:03/06/04 07:10
いまさらだけど
やっぱしKbが入る前のほうが勢いがあっていいな
123伝説の名無しさん:03/06/08 07:31
うんうん
124伝説の名無しさん:03/06/09 18:41
うんうんうん
125まっくん:03/06/11 21:33
ご無沙汰でした
とりあえず浮上
126伝説の名無しさん:03/06/14 17:06
あげ
127まっくん:03/06/19 20:13
リアルタイム派の皆さんは年代的にもお忙しい毎日と思います

最近CD聞く時間もなくなってしまった・・・・
けど とりあえずage
128伝説の名無しさん:03/06/25 07:52
ひさびさ赤ジャケの2枚目聞きました。
厨房以来だから30年ぶりくらい・・・w
孤独の叫びは
プログレ=クリムゾン好きだった当時は
「なんか稚拙でがさつだなあ」と思ったけど
今聞くと「お!荒くていいじゃん!」ってかんじです。
129まっくん:03/06/25 22:42
赤ジャケはいいですなー
自分は再発の廉価版(1500円)で聞きましたが
安いステレオだと低音がびびりまくりでした
今度の再発CDであらためて聞き返したら
意外に音がハイファイに聞こえた・・・
へヴィメタル一色って言う感じでしたが
インニードがやたらグルービーで好きでした
130めっくん:03/06/26 05:08
1stや2ndのあのベースって、たぶんジャックtoジャックで
直にアンプにつないであると思うけど
もしかしたら
ブースターとかのエフェクター通してるのかなぁ
それぐらい重くてひずんでるね
ギターは恐らくナチュラル歪だよね?
131まっくん:03/06/26 20:18
初期の頃のギターはボリュームペダルとワウぐらいですかね?
CDのライナーによると2ndからampex?の16trレコーダーを導入したらしい
自分のようなイタいファンには涙モノですが
当時のトラックシートも載ってました
ハートブレイカーはきっちり8トラック
2ndoのリムジンドライバーは10トラックぐらいだったかな
ドラムに3.4トラック割いてたような
1stはけっこう「やっつけ」だったらしいですが
2ndはかなりサウンド的に作り込んだ とのこと
132伝説の名無しさん:03/06/26 23:02
再発のLIVE ALBUMってナレーションとかカットされてるって本当ですか?

あのGRAND FUNK BANDって言った後のベースの入り方が好きなのに
133めっくん:03/06/27 06:56
>まっくん

さんきゅです
うーむ、あの重くて厚い質感を出すうえで
完パケまでには意外と手がかかってたのねw
1〜2枚目は「せーのっ!」でかぶせなしだと思ってました
134まっくん:03/06/27 21:47
>132
70年のライブは曲順を当時のプログラムに合わせて入れ替えた以外
オリジナル通りだと思います
75年のライブの花火がドカドカ上がるイントロダクションは
収録しきれず残念ながらカットされてます

>めっくん
私めの厨房英語力でアテになりませんが
1stのハートブレイカーはデモトラックをそのまま収録しちゃった・・・
っぽいです
あの「スカ」っていう冴えないギターのカッティングに
やるせなくなるのは私だけでしょうか?
135めっくん:03/06/28 07:06
やるせないけど、ミョーにそそられますよねw
136まっくん:03/06/28 21:25
うーん 確かに・・・・・
137伝説の名無しさん:03/06/29 00:38
ていうか聞きたいのですが、
伝説の初来日
後楽園でも甲子園でもかまいませんが
経験したと言う人、レポキボンヌ、
伝説の嵐のライブは口パクだったというのは真実なんでしょうか、
138伝説の名無しさん:03/06/29 15:24
過去ログ
139まっくん:03/06/29 22:14
まあ自分も当時リアル消防なんでなんですが
やっぱり野外で雨が降ると
感電とかマジでやばいのかな?
140アシッド寺の和尚さん:03/06/29 22:40
>>137
口パクはホンマみたい。
で、その口パクに最初に気付いて金網に登りだしたんが
灰野敬二さんっていう話はホンマか?
141伝説の名無しさん:03/06/30 06:55
灰野が?いたの?
水谷孝もいたのかなぁ?
142伝説の名無しさん:03/06/30 10:36
まさか!
143まっくん:03/06/30 21:47
アングラ、前衛バリバリの人でしたっけ????
70年前後っていうのは熱かったんですね
当時消防にとっては万博しか印象にない・・・・・

渋谷陽一氏のモノ書きデビューはグランドファンクだったそうですが
どんな感じだったですか?
144伝説の名無しさん:03/07/01 07:00
保守あげ
145めlっくん:03/07/01 19:10
>まっくん

当時の渋谷センセの文章は読んだことないですね
「ロック喫茶では必ずライブをリクエストした」って
書いてますけどね。
146まっくん:03/07/01 21:38
>めっくん
ありがとうございます
自分がラジオを聞き始めた頃、センセイはすでにFMに移っていて
やたらツェッペリン、ツェッペリンとのたまってらっしゃいました
番組内では一度もGFRを聞いたことがないです

評論家にとことん黙殺されるGFR・・・ ショボーン
147伝説の名無しさん:03/07/02 07:54
age
148伝説の名無しさん:03/07/02 11:10
>>149
そんなあなたに>>104
149:03/07/02 11:12
スマソ
149→146です
150めっくん:03/07/03 07:18
名前既出だったみたいだけど
ユーライアヒープ(英)も評論家に無視・黙殺・嘲笑・罵倒されながら
ファンが多かったバンドだよね。特に日本で。
151まっくん:03/07/03 19:16
うーーーーん ひとつ無理を承知でGFR擁護してみると・・・・

当時のジャーナリズムとしてはGFRに限らず大音量で客を熱狂させる
ロックそのものが非常にうっとおしかったんでは?
社会現象としては論じられても音楽自体の価値や意味を理解できる
評論家が少なかった とか
>>104の文章にある「ハイ・ヴォリュームのリフを連発」って言うのが
紛れもなくロックの一番メインな手法だと思うんだけどね
音楽もビジネスも試行錯誤を続けていた過渡期に
急先鋒的にデビューしたからって言う状況は
かなり風当たりが強かったのかな?

やっぱりちと無理がありますか・・・・・・
152伝説の名無しさん:03/07/03 20:32
クィーンもボヘミアン・ラプソディ出すまでは日本以外では人気なかったし
評論家には酷評されてたよね。グラムロックの生き残りとか言われて。

ボヘミアン出したとき評論家の手のひら返しには笑えたね。
(テオトリアッテ日本語バージョンも笑ったけど)
153伝説の名無しさん:03/07/04 02:34
先に行っとくがGFRは好きだったし、コピーもしたけど、やっぱギターがあまり旨くなかったのが、評論家受けしなかった原因ではないの?
当時はギターヒーロー全盛時期でジェフベックグループやクリーム、ツェッペリン、と聞いてきた耳にはマークのギターはちょっと( ̄ー ̄?).....??アレ??
孤独の叫びなんか顔が赤くなるくらいきつかった。(スイートのライブを見た時もギターソロになるときつくて下向いちゃったもんね)
でも、そんなギターだから厨房のσ(°ン °) ワタシにもコピーできたんで感謝してまつ。
あと、ブリティシュ派からするとブルースの香りがあまりしないのも物足りなかったかしら
154めっくん:03/07/04 06:47
ギターバンドではなかったよね
強いていえば大音量ガレージバンドとでもいうか…(苦笑
ただGFRは例えばブルーチアーみたいに「ぶっ壊れていない」から
パンク世代にもまったく受けないけど。
あと確かに“黒さ”は不思議と希薄だよね。

ハードロックということになってる(た)けど
今考えると位置づけのビミョーなバンドですなぁ
155まっくん:03/07/04 22:37
うーーーーーん 初期のアルバムはさすがに突っ込みどころが満載か
当人たちもそつなくまとめようなんて言う気はさらさら無さそうだ
むしろライブの音量感というか音圧感をを
如何にレコードで再現するかに苦心してたようだ
マークは徐々に味のあるギタリストに成長していったと思うけどね
「これしか出来ん!」て言うところがサンタナにも通じるような・・・
バンドのポジションが微妙って言うのは
やっぱり再評価されにくいって言うことかな
エアロスミスみたいに突如振って沸いたように蘇るのは無理か・・・
156めっくん:03/07/05 08:06
>まっくん
>「これしか出来ん!」て言うところがサンタナにも通じるような・・・

これ、同感です。ホントいい意味でのVSOPですね。
タイプはちがうけど、例えば
最近また復刻されたマウンテンのレスリーウエストなんかも
「テクニシャンではないが味のあるギタリスト」では?
まあ、つまるところ“個性”ってやつです。

ちなみに
シャイニ オンの中間でソリッドに切り込んでくるソロなんて
かなりイケテますよ。
157伝説の名無しさん:03/07/06 08:18


      〃⌒ ⌒ ヽ、
      l  f∩ハ)))))∩
       | 「「「〕 l |リ「「「〕  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
        ヽ./ /ー~ノ ) /  < 良スレageます。
      〃 ノ)∨( )ノ    \______
        ゝ ( )〔X〕( )
       /,,,,,,,9,,/|:,,9ゝ
       く//〃ハヘヽゝ
        `|ニ|_|ニ|_´
       (_f_)f_)


158まっくん:03/07/06 22:24
>めっくん
なんか今までの人生が報われたような・・しみじみ嬉しいっすよ
厨房時代もさすがに三大ギタリストより上手いとは思い込めませんでしたが
やっぱり最高にマークはカッコよかった
ボーカルも含めてしっかり自分の歌をもっていたっていう感じですかね
しかし あの重量感のあるギターの音色はどうやって出るんだろう
厨房の頃は単にレスポールかと思ってましたが 形がだいぶ妙かな?
ハムパッキングの音でしょうけどね
159伝説の名無しさん:03/07/07 09:36
マークってヘンにマイナーなギター嗜好だよね。
マイクロ・フレッツとかメッセンジャーとか
160伝説の名無しさん:03/07/07 11:31
トッドラングレンが加工しない方が
生々しい音圧でよかったなぁ
161_:03/07/07 11:34
162伝説の名無しさん:03/07/08 06:04
age
163まっくん:03/07/08 21:51
「戦争をやめよう」(71年)の英文ライナーによると
このアルバムではHumble PieのSteve Marriottから贈られたギターを
プレイしている とのこと
Humble Pieってどんなバンドだったっけ?
164伝説の名無しさん:03/07/08 23:01
165まっくん:03/07/08 23:43
>164 どうもです
スモールフェイセスが前身で
ピーター フランプトンが在籍・・・
彼は確かボスニアのライブにゲストで出てたような
166めっくん:03/07/09 06:53
>まっくn

ポールウエラーちゅうひとが師と仰いだのが
スティーブマリオットですな。
元祖モッズです。
スモールフェイセズつーバンド名は
この人が“小顔”だったことに由来してます

60年代のイギリスの中の中〜下くらいの階層の、中・高卒の若者が
いや〜な仕事が終わった週末に
モータウンとか聴きながらつるんでいました。
「モダンな僕たち私たち」ということで
“モッズ族”と呼ばれていましたとさ。

しかし、マークファーマーとはほとんど接点ないようだけど・・・
>>163は初めて知りました
167伝説の名無しさん:03/07/09 17:35
>スモールフェイセズつーバンド名は
>この人が“小顔”だったことに由来してます

違います。
「スモール」はメンバー4人の身長が165センチ以下だったから。
「フェイセズ」は「顔役」ってことです。

後にこのバンドはロッド・スチュワートが加入して
フェイセズと改名します。
168伝説の名無しさん:03/07/09 17:50
スティーブ・マリオットもロニー・レーンも亡くなっちゃったんだよなぁ…
俺はフェイセスよりも断然スモールのが好きだから寂しい。

あ、GFRと関係ないのでsageときます。
すんません。
169めっくん:03/07/09 19:02
>>167
え!?そなの?これまた失礼しましたw
かれこれ30年くらい>>166だと思い続けてきました(^^;

たしか何かで読むか誰かから聞くかしたんだけど
間違った思い込みだったんですねぇ・・・
訂正さんきゅです。ちなみに板ちがいごめんなさい。sage


170まっくん:03/07/09 19:16
皆様 詳細なレスどうもです
GFR以外はたいした知識がないので勉強になりますた

ハンブルパイもかなりブラック寄りだったようですが
ブリティッシュ勢の方がアメリカ勢より
ブラックミュージックをきっちり消化していたのかな?

ピーター・フランプトンがGFRの弟分、みたいな印象があるので
そのつながりですかね?
171伝説の名無しさん:03/07/09 19:36
>ピーター・フランプトンがGFRの弟分、みたいな印象があるので

え、どうして?
172伝説の名無しさん:03/07/09 19:50
GFRのデビューより以前に、既にピーター・フランプトンはハードで世に出ていますが。
173伝説の名無しさん:03/07/09 20:56
っていうか、ピーター・フランプトンとGFRってつながりあるか?
174まっくん:03/07/09 22:52
ツアーを一緒にやってたような・・・
詳細はよく分からない 失礼
175まっくん:03/07/09 23:14
ピーターの公式ページよりコピペ(改行が変だったら失礼)

Humble Pie's 'Performance - Rockin' The Fillmore' album.
We were on fire. We played with so many different people.....
and I guess that playing Shea Stadium in the the summer
of '70, with Grand Funk, was one of the biggest thrills
because we were actually the first band to play
Shea Stadium since the Beatles. So it was pretty historic for us.
176伝説の名無しさん:03/07/10 16:30
別に煽ってるわけではないが、ツアーで一緒だったなんて言い出したらきりがない。
そもそも音楽的にも人脈的にもつながりないし、ましてやピーターは弟分なんかじゃない。
というか普通に考えてショービジネスの世界では先輩でしょ。
ま、このネタもういいや。

ところでトッドがプロデュースした「アメリカン・バンド」なんかはどう思われてるのかな?
発売当時は賛否両論だったが…


177伝説の名無しさん:03/07/10 18:54
GFR、てゆうか
マークのルーツミュージックって何ナノかな。
まあいずれR&BやらR&Rやら・・・なんだろうけど。
ふと思いました。
178まっくん:03/07/10 19:32
遅ればせながら追記

71年にNYのシェアスタジアムでの伝説的なコンサートの
オープニングアクトを務めたのがハンブルパイ
当時のギタリストは若きピーターフランプトンであり
彼は数年後に自力でスタジアムを満杯にするアーチストになる

昨年出た未発表ライブのライナーより引用
ここら辺が接点でギターを贈られたのかな?

>>177
彼ら自身は「オレたちの音楽はR&Bがベースだ」と言ってますね
後期のアルバムでは何曲かR&Bのカバーもやっていたような・・・
179めっくん:03/07/11 06:50
>まっくん
ふーむ…前座ですか…
音的にはほとんど接点がないような気がしますが
こうしたちょいとした縁で仲良くなったのかもしれませんなあ…

ジミヘンもエンゲルベルト・フンパーディンクとゆう
トムジョーンズみたいなヴォーカルの人とツアーして、
その歌が気に入って袖でみてた、なんて
エピソードもあったような・・・ま、関係ないですけど(w

ストーンズがR&Rではなく「R&B」バンドを自称してたのは有名ですが
GFRもそうなんですか? まあ、言われてみるとってカンジですね
アメリカンバンド所収の「ブラック・リコリス」(だっけ?)なんかは
それっぽい匂いがあります。
180まっくん:03/07/11 08:15
>めっくん
曲調は違うけどストーンズのブラウンシュガーってとこですかね
ギミーシェルターはほとんどアレンジも変えずにやってますね

ジミヘンのエピソードは面白い!
やたら神格化されるとそういう素顔が見えにくいですよね
GFRもデビュー当時フェスティバルなどでニアミスがあったらしい・・
181伝説の名無しさん:03/07/12 04:02
マークってネイティブアメリカンの血をひいてるんでしょ。
昔、ジャケ見てなんかこの人インディアンぽい顔してるなーと思ったら、
マジ者だった。
カコイイ!
182めっくん:03/07/13 10:54
ジェシ・エド・デイヴィスも
確かフルブラッドの先住民族でした・・・よね?
どっちも
ヘアバンドがきまってますねぇ!カコイイ!
183伝説の名無しさん:03/07/14 07:36

184まっくん:03/07/14 18:32
My mother's grandmother was full-blood Cherokee,It's my heart.
だそうです
チェロキー族 カコイイ!
185伝説の名無しさん:03/07/14 18:39
>まっくん
>It's my heart.

これ、泣かせますね
GFRにはなんかアフロアメリカンミュージック(黒)とは違う
ルーツを感じます
186まっくん:03/07/14 22:29
>185
・・・ですね
体力勝負だけではない彼らの魅力も
もうちょい認識されて欲しいもんです

マークが自分のルーツを歌った曲は余りないですが
Americanbandのラストの曲 Lonelist Riderはけっこうヘビーでした

真実は失われ あるいは意識的に忘れ去られる
歴史上の英雄は一方的に取り上げられる
テントのあった場所は今は町になっている
187伝説の名無しさん:03/07/14 23:35
初期のドンのバスドラムの音はパスンパスン音録れてて最高だよね
全体的にドラムとベースが前に出てるし、ハイハットの音もヂャリっと聞こえてくるし
zeppelinだったら絶対ああいう音では録らなかったよね
後追いの俺にとってGFRはこれぞ70年代っていう音なんだよなぁ
188めっくん:03/07/15 06:52
>まっくん

>真実は失われ あるいは意識的に忘れ去られる
歴史上の英雄は一方的に取り上げられる
テントのあった場所は今は町になっている

なぜ、あらためて「俺らはアメリカン・バンドっ!!」と
マニフェストしたのか・・・今になってわかるような気がします…
あと「クローサートゥーホーム」とかも
ルーツへの回帰を歌っているわけですね。

しかし「アメリカンバンド」は結構シリアスな曲揃いですね
オーバープロデュース云々はさておき
初期の2、3枚とは違う質感ですが、やはり、重い!
189伝説の名無しさん:03/07/15 07:31
全体に音が硬すぎる感じ>アメリカンバンド
曲的には好きなの多いんだけど
190山崎 渉:03/07/15 11:16

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄
191伝説の名無しさん:03/07/15 12:27
エフェクトが過剰なせいかも。
プロヂューサーの趣味でしょう。
192伝説の名無しさん:03/07/15 19:08
age
193まっくん:03/07/15 22:26
>めっくん
3枚目のCloser to homeは今度の再発でようやく聞くことが出来ましたが
初期のアルバムの中ではかなりの完成度だと思います。
どうしても2枚目の赤ジャケとライブにはさまれて埋もれがちですけどね
しかし一年でアルバムを3枚っていうのも凄いですが
試行錯誤の状態からアルバムごとにクリエイティビティ全開に
なってゆく勢いも凄いです
タイトル曲はライナーによればベトナム戦争に出征していった
兵士達の心情に重ね合わせた詞、らしいです
ただマークはかなりこの曲に思い入れがあるらしく
ソロになってセルフカバーしたりボスニアのライブでは
ラストナンバーとして(恐らくオーケストラ入り)など
30年以上演奏し続けていますね

まあ、自分としては、辞書を引いたり対訳を読んだりしても
なかなかこの曲の意味合いが掴みにくいので結構口惜しいです
194めっくん:03/07/16 03:40
>まっくん

う〜ん…一般に、辞書的に「意味」が把握できても
詩として共感-体感できるか否か、難しいところですよね…
私的には、このHOMEって、陳腐・月並みかつクサイ言い方ですが
やっぱし“母なる大地”みたいなニュアンスで勝手に解釈しています(w


195伝説の名無しさん:03/07/16 18:08

196伝説の名無しさん:03/07/16 21:10
アメリカんにとっては HOME は STATES でしょ
197伝説の名無しさん:03/07/16 22:10
そうじゃない血族もいるんじゃないかなぁ
198まっくん:03/07/16 23:19
知ってる人には今更かも知れませんが
この曲はI'm Your CaptainとCloser to Homeの2部に別れてます

前半は
「みんな聞いてくれ
私は君たちの船長なんだ ひどい船酔いにかかってはいるが
どうか私に船を返してくれ・・・・
漂流を始めてから一体何日経ったのか
これは悪夢なのか それとも本当の反乱か
私から船を奪おうだなんて・・・・」って言う感じ

後半は
「故郷がだんだん近くなる・・・・」
このフレーズを延々3〜4分リフレインしています

当時は後半部だけシングルカットされたようです
199めっくん:03/07/17 07:06

STATESに同化できない違和感・喪失感etc.と
HOMEに対する郷愁・憧憬etc.の背反が感じられます。
(・・・なんちて、エセインテリぽくってすみませぬ)

200伝説の名無しさん:03/07/17 13:09
とりあえず200ゲト
201まっくん:03/07/17 19:17
>めっくん
うーん 視点をを変えると壮大なメッセージが浮かび上がる・・・
ライナーにもmeaningfulな曲、とありますね

ちなみにドンはロードマネージャーに
「キミたちが普段やっていることを曲にすればいいじゃん」と言われ
Americanbandを作ったそうです

理想主義者のマークと現実主義者のドン・・・
こういうキャラクターの取り合わせもGFRの強さかも
202めっくん:03/07/18 04:07
>まっくん
「故郷がだんだん近くなる・・・・」

この曲
ストリングスの使い方も
控えめでよさげですね
ワウも効果的でした
マークって生ギターの弾き語りとか好きなのかも。
この曲も弾き語りでシミジミ聴いてみたいです。
203_:03/07/18 04:13
204伝説の名無しさん:03/07/19 21:55
暫定あげ
205伝説の名無しさん:03/07/20 16:20



            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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 〃:\  ̄ \   \./ \_(´∀` ||)   |__|∴
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206伝説の名無しさん:03/07/21 11:52

207まっくん:03/07/21 21:03
久々に2枚目の赤ジャケを聞いた(ちゃんとスピーカーからデカイ音で)
3曲目のブルースロック カコイイ

捜したらあったマークの公式ページ
http://www.markfarner.com/

ListenをクリックするとマークのソロやGFRのナンバーなど
いろいろ試聴できます(ほとんどフルコーラス)
上から2番目あたりのアルバムで「男が女を愛するとき」のカバーあり!
オジサンは泣きました・・・・・・・
何て言うか大地の匂いがします
物まねでも小手先でもないでっかい歌があります

下の方にはGFR以前のローカルバンド時代のレア音源多数
ドンやクレイグの若々しいプレイも聴ける
ついでに GFR初期のマネージャー、悪名高いテリーナイトの
情けない歌声まで聴けちゃう!
(マーク達は彼のバックバンドだった・・・・)

結構なボリュームなので時間のある時にゆっくりどうぞ
208伝説の名無しさん:03/07/22 22:51

アーシーなカンジね
悪くないね
209伝説の名無しさん :03/07/22 23:15
こんなスレがあったとは....
つい昨日、CAUT IN THE ACTを聴いて
「ロコモーション」をギター片手に口ずさんだばかりだというのに...
210まっくん:03/07/23 22:12
>208
これでもかって言うくらいバカ正直なとこが泣けます
普通はもっとメロディーをいじり回す、よね?

>209
あれはつくづく名盤ですな
初期ファンの評価は辛いみたいですが
ポップだけど丸くなっちゃいないと思います
ロコンーションもアメリカンバンドもロックンロールソウルも
後期のヒット曲はスタジオ録音より数倍カコイイ!
211伝説の名無しさん:03/07/23 23:44
Caught In The Actのアメリカンバンドでカウントしてるのって誰?
ドラムオンリーで入る曲なのになんでカウント?って感じなんだけど
212伝説の名無しさん:03/07/24 09:15
タイコから出る曲でもテンポを確認し全員が入りやすくするために
カウントから入ることはあったYO!

213まっくん:03/07/24 19:32
ダミ声のカウントはドンですね
肉体派ライブバンドらしいって言うか
「ダサい」の一歩手前でカコイイ!
214伝説の名無しさん:03/07/24 20:23
>212
なるほど
しかし、4小節もドラムあるんだから
その前の4カウントが無くてもテンポ取れそうだけど(ワラ
215212:03/07/25 07:11
煽りじゃないよ(念のため
sage

>214
バンドやってたひとならこゆうケイケンなかった?
タイコのひとってカウント出すまえに
自分で「・・・・」て無言でテンポとったりするひといませんでした?。
アメリカンバンドのアタマもなんの「きっかけ」もないとたたき出しにくいと思う訳

これがギターのカッティングやベースや鍵盤のリフだと
カウントなしで出(れ)るんだけどね。

まあこれでこの話題はおしまいにしますわ(ワラ
バイバイ
216伝説の名無しさん:03/07/25 15:07
ドラム出だしでカウントとろうがとるまいがどーでもいい
GFRと関係ないことで必死になんなよwww
ジエンだろ?
217伝説の名無しさん:03/07/26 16:33
>>215
なるほどね
普段はカウント取ってるからクセで出ちゃうってとこかな?
ビミョウに納得

>>216
バカですか?
CAUT IN THE ACTのハナシなんですが?
アタマ悪スギによって死んでください
218まっくん:03/07/26 21:44
新旧のライブアルバムでも大体ドンのカウントが聞けるから
トレードマークみたいなもんでは?
ステージモニターが今ほど良くなかったってのもあるのかな?
219まっくん:03/07/26 21:56
http://hem.passagen.se/railroad/farner.htm
マークの非公式ファンサイトらしい・・・・
テキスト中心なので英語に堪能な方どぞ
ちなみにマークの好きな車はMazdaだって
好きなシンガーはアレサ・フランクリンにスティービー・ワンダー
何となく分かるような・・・・・

トップページに入ってしばらく待ってると
マークのギターソロがイキナリ響き渡る
時期は不明だけど結構とんがっていてカコイイ!
220めっくん:03/07/26 23:02
ちなみにJimi Henもフィルモアかなんかのライブで
BBキングのカヴァーやるときに自分の4CHのリフから出るのに
「へへへ(注:笑ってます)・・・1.2.3・・・」ってカウントとってますね
でもノエル・レディングはあんまし(カウントを)聞かないで
「4」のタイミングでむちゃなおかず入れてジャストで入ってます(苦笑

>まっくん
>好きなシンガーはアレサ・フランクリンにスティービー・ワンダー
>何となく分かるような・・・・・

う〜む・・・
マークの歌い方は、確かに今思えば
「なるほど、この線か!」ってカンジですね。
R&Bがルーツなんですね、やっぱ。

221めっくん:03/07/27 09:58
誰も気にしていないでしょうが勝手に訂正します
>>220
ノエル・レディング(b)×
ミッチミッチェル (Ds)○

でした
222まっくん:03/07/28 22:52
>めっくん
そういうフェイントかけて喜んでるバンマスいますね
でもそれも「生」なればこそ
最近はライブと言ってもクリックに合わせて操り人形よろしく・・・・
みたいな事が多いのかな

>>207のページでマークの共演歴を見ていたら
Billy Preston Steve Cropperの名前が!!
GFRのメンバーは十代のころ地元のR&Bのラジオステーションを
聴きまくってたそうですが 長じてから斯界の大物と共演
っていうのも なかなかいい音楽人生送ってますね
223めっくん:03/07/29 08:38
>Billy Preston Steve Cropper

マジすか?
すごいっすねぇ!特に後者!
日本でいえば寺内タケシか井上孝之かってカンジの(ちがう???)
“その道”の超大物ですもんねぇ!
224マーにいちゃん:03/07/29 13:51
あの王様がやってくれましたよ

めっちゃ陽気な鉄道伝説〜俺達はアメリカ人の楽団/ピカピカに光れ!/準備はいいかい?/ふられた 王様

チョッと笑える
225伝説の名無しさん:03/07/29 15:04
唐突だがGFRとかCCRとかってバンドやデッド並にもっと評価されてもいいと思う
226まっくん:03/07/29 19:06
>>223 詳細は分かりませんがこんなバンドです

Northwest All Star Band
Mark Farner - Guitar, Vocals
Steve Cropper - Guitar
Felix Cavalaire - Keyboards, Vocals
Billy Preston - Keyboards, Vocals
David Santos - Bass
Wendy Moten - Vocals
Lou Gramm - Vocals
Liberty DeVito - Drums

時期は95〜96年ぐらいらしい・・・
Northwestはノースウエスト航空のことらしい・・・・
ボーカルのウエンディ・モートンはホイットニーみたいな娘だったっけ?
けっこうマックロなバンドっていう感じがしますが・・・
マークはリンゴスターのバンドでもビリー・プレストンと共演してますね
227まっくん:03/07/29 19:17
>>224
知らなかった!!!! まったくノーマークでした・・・
まさかGFRまではやらんだろう と思ってました
「妄想狂」や「おいらは船長」も涙モンですが
「黒い漢方薬」!?  やられましたねー
惜しいことに発売は96年・・・・中古屋でゲット出来るだろうか?
何はともあれマーにいちゃん多謝!!!

>>226 まったくですな!
228伝説の名無しさん:03/07/30 09:02

229伝説の名無しさん:03/07/30 13:44


230伝説の名無しさん:03/07/31 00:22
>>227
おいおい これを落としちゃいかんぞ
なんたってマーク・ファーナーがゲスト参加してるんだから
231めっくん:03/07/31 07:24
ツアー75

実は未聴なんですが、よさそうですね。
これ、ちょうど2回目の来日をした頃に
2枚組でリリースされませんでしたっけ?
当時、東芝洋楽部におじさんがつとめてる友達がいて
来日公演の生テープを聴かせてもらった記憶があります。
しょっぱなはアメリカンバンドでした
232伝説の名無しさん:03/08/01 07:10
保守あげ
233まっくん:03/08/01 20:38
>>231
確かに2枚組でしたね GFRの集大成といった感じで代表曲満載
来日時のレパートリーともほとんど同じようです
しかしその時のライブテープとはうらやましい
友達の家にあったMusic Life誌だかに
来日記事が載っていたのを思いだします
今度の再発ではひそかに未発表曲を期待してましたが残念・・
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
235伝説の名無しさん:03/08/02 09:33


            / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
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 〃:\  ̄ \   \./ \_(´∀` ||)   |__|∴
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  :  〃\  ̄ \  :\ / \ \///  ∵ ∴
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〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


236伝説の名無しさん:03/08/04 14:18
あげます
237伝説の名無しさん:03/08/05 19:27
夏バテにつきage
238伝説の名無しさん:03/08/05 20:59
age
239伝説の名無しさん:03/08/06 22:15



240伝説の名無しさん:03/08/08 12:13
メンテあげ
241まっくん:03/08/11 23:32
電子辞書購入記念age
盆休みにマターリと英文ライナーでも訳しますか
242めっくん:03/08/12 18:14
よろしこたのみます
243伝説の名無しさん:03/08/13 11:48
age
244伝説の名無しさん:03/08/15 13:51

245山崎 渉:03/08/15 22:05
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
246山崎 渉:03/08/15 22:46
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
247伝説の名無しさん:03/08/18 08:38
メンテあげ
248まっくん:03/08/21 20:50
マターリしすぎましたがご無沙汰です 1stのライナーより超意訳にて失礼

1969年、ロック界はミシガン出身の注目すべき
パワートリオGFRに早くも気づき始めていた。
その年コテコテの共和主義者であるニクソンが
合衆国の第37代大統領に就任した。
アメリカの宇宙計画が月まで到達するのと同じくして
この国はアジアでの戦争を続けており 多くの市民は
この戦争に納得がいかなかった。
ロックが生活に不可欠な若者たちにとって
ウッドストックは共通のシンボルとなった。
これがGFRデビュー当時の政治的、社会的状況であり
そのタイミングがまさに正しかったことを証明している。
物語はすでに語られていた。69年からほんの数年間で
バンドは絶大な人気を得るが、それはビートルズが
台頭してきた頃の状況を思わせる。
以下のようにして全ては始まった。
249まっくん:03/08/21 20:52
フリントはデトロイトから北へ車で1時間の所にある。
60年代当時はブルーカラーの街として栄えていた。
その経済はアメリカの自動車工業ブームによって
支えられていた。フリントの自動車工たちは
誇りを持ってビュイックを生産し世界に送り出していた。

フリント出身のドンは65年当時高校生で 地元の
Jazz Mastersと言うバンドでドラムをプレイしていた。
彼とバンド仲間はあるパーティーで深夜放送の
人気DJのテリーナイトに会った。
ナイトは野心溢れるシンガーでもありラジオの仕事を
離れたがっていた。彼は自分をバンドのリードシンガーに
してくれるよう頼み ドン達はそれを承諾した。
「よし、この男はオレ達に何かしてくれるだろう
って言うのがテリーと組んだいきさつだよ」
とドンは回想する。
250まっくん:03/08/21 21:45
テリーはバンドに加わりバンド名もThe Packに変えた。
まもなくバンドはTerry Knight & The Packとして
知られるようになった。
彼らは演奏活動を開始し ミシガンのみならず
クリーブランドやニューヨークにも足を伸ばした。
テリーは60年初頭にすでにDJとして大きな影響力を
持っていたが そこから抜けたがっていた。
「彼は実際にストーンズと旅をしていた
彼が言うにはBrian Jonesのごく親しい友人だったそうだ」
ドンはテリーがフルタイムのDJだった64〜5年当時の事を
後年テリーに確かめていた。

バンドは65年にレコーディングを開始し 66年には
フリントのマイナーレーベルと契約した。
66年初め17才のマークがバンドに加わった。
(彼とドンは同い年だがテリーはその中で
一番オッサンの23才だった)
251まっくん:03/08/21 22:21
マークは彼の姉とダンスの競技会に出場するほど
優れたダンサーだった。高校時代にはギターを独習していた。
彼の初期のバンドのひとつはDerelictsという。
その社交的な性格に隠されてはいるが 彼は9才の時以来
個人的なトラウマを抱えていた。
フリントの消防士だった彼の父は乗り合わせていた列車の
衝突事故のために亡くなってしまったのだ。
皮肉にもその鉄道の名前はGrand Trunk Railroadと言い
テリーによればGrand Funk Railroadのバンド名は
それに由来するのだという。
マークは高校時代フットボールをやっていたが
教師にパンチを繰り出したため退学になってしまう。
彼はよく「ハイスクールをクビにされた」と話している。
マークは当初ベーシストの代役としてバンドに加わったが
元のベーシストHerman Jacksonが戻ってくるとすぐに
Dick WagnerのバンドThe Bossmenに加わった。
252まっくん:03/08/22 19:24
テリー達は66〜7年に何曲か中西部でのローカルヒットを楽しんだ。
そのヒット曲の中にはTop 40のリメイクもあった。
彼らはまたYardbirdsやThe Rolling Stonesのような
新しいBritish Invasionのバンドにも素材を求めた.
彼らはYardbirdsのBetter Man Than Iと
The Rolling StonesのLady Janeをレコーディングしている。
彼らはこの二つのバンドを一度に取り入れ
ドンとマークにとっては名声の何たるかを味わう最初の経験になった。
「オレはハイスクールに通いながらテリーのバンドで
国中を旅していた」ドンが回想する。
「テリーはまったく凄いプロモーターだった
オレ達はjazz MastersからThe Packへと変わってから
たくさんのローカルな成功に恵まれた
オレ達は上手くやった。テリーには疑いもなく
あらゆる物から最良の利益を得る勘があった」
しかしテリーが以前ラジオDJの束縛から逃れたがったように
彼は次第にThe Packを率いるのに不満を募らせるようになり
バンドから抜けたがった。
マークがギタリストとして再び加わった67年初め
テリーの感情はますます露骨になっていった。
にもかかわらずテリーは未だにリードシンガーであり
その事がマークには受け入れられなかった。
253まっくん:03/08/22 19:29
72年のNEWSDAYの記事でロック批評家のRobert Christgauが
その時の状況をまとめている。
「バンドはとても成功したが よくある利己的ないさかいが
それを邪魔した。テリーはマークのファン達がふさわしいと
考えるよりも前に出すぎていた。テリーは利口で
マークもドンも嬉々として彼に従い彼の言うことを聞いていたが
二年もしないうちに激しい憎悪がバンドを引き裂いた」
テリーはソロになったが悪戦苦闘した。マーク、ドン達は
バンド名をThe Fabulous Packに変えた(後日また
The Packに戻している)。マークはボーカルを担当し
キーボードにクレイグを加えた。しかし彼らもまた悪戦苦闘した。
マークは曲を書き始めていたが バンドはまだ多くのカバー曲を
プレイし続けた。Land Of A Thousand Dances,Harlem Shuffle,
モータウンヒットのCome See About Me,
Jim Hendrixの曲までやった。彼らはそれをNext To Your Fire
のタイトルでシングルとしてレコーディングした。
問題は まったく成功しなかった事だ。
「John Rhysがオレ達のためにThe Pack名義の
アルバムを作ってくれた」マークが回想する。
「彼はキャピトルレコードとプロダクションの取引があった。
そのアルバムにはHeartobreakerとAre You Readyが
含まれている。多くの曲の中でその2曲はGFRの最初のアルバムに
収録された。彼はThe Packのアルバムをリリースしてくれるよう
キャピトルに提出したが突き返された」
254伝説の名無しさん:03/08/23 06:28
(つづく)
255まっくん:03/08/23 20:37
マークとドンはR&Bからより多くの音楽性を得ていた。
その他のどんな音楽も彼らにとってはカッコよくなかった。
彼らはCape Cod(木造住宅?地名?)の外でほとんど凍死しそうに
なったり ボストンで僅かな稼ぎの仕事にありつうこうと
奮闘しながら やり方を変えねばならないことを悟った。
彼らは 新しいベーシストを見つけ Blue Cheer,
The Jimi Hendrix Experience,畏怖すべきCream(彼らは
68年末に解散していたが)のようなパワートリオに
バンドの編成を変えることを思いついた。
「HendrixやCreamはなんかはblues-basedのバンドだ
彼らはスリーコード進行から逸脱しなかった」
ドンが説明する。「彼らは音量を上げ 態度を変えて
彼らのロックの詩情を表現した。オレ達はR&B-basedだ。
オレ達はR&Bを指向して それをもっと刺激的にしたり
それと同じことをしたり といったやり方を選んだ。
それが彼らとオレ達を分けているところなんだ」
サウンドはしっかりしてきたがThe Fabulous Packの連中は
経営能力皆無で彼らに努力を促してくれる人間もいなかった。
「テリーと縒りを戻して新しいバンドを上手くスタートさせて
くれるように頼まないか」とドンが提案した時にマークは
尻込みをした。ドンはテリーに手紙を書いた。
「ドンがその手飼いを書いた」マークが言う。「オレはそれに
関しては何もしていない。ドンはオレに 自分はずっとテリーと
接触を保っていて奴は音楽業界にいくつかコネがあり
オレ達のバンドの為に何かしてやれると思っている、と言った。
テリーへの手紙は書かれた。ドンの家の前の車の中でテリーについて
話したのを覚えているよ。オレ達は何を失ったんだ? オレ達は
ここから何処へも行けないじゃないか みたいな話をした。
256まっくん:03/08/23 20:42
テリーは ドン、マーク、そして新しいベーシストのメルが
どれほど頑張っているかを見定めるために ニューヨークから
フリントへ戻ることを承諾した。メルはほんの17才の子供で
バイク好きの元リズムギタリストだった。彼はQuestion Mark
& The Mysteransというグループの後期に少しの間ベースの
穴を埋めた。そのグループはしばらくして後、96 Tearsという
大ヒットを放っている。メルはマークと顔見知りで マーク達に
Musicians Union Hallで3人でリハーサルをしようと頼まれた時
彼は大喜びした。

「それは正真正銘の本物だ」テリーは初めてトリオを聴いた時の
印象を語る。「しかしその日 私は自分の聞いたものが何か
分からなかった。私が言っているのは 聞こえてくるものが何か
分かる手がかりを持っていなかった という意味だよ。
そのパワーはまったくもって完全に並外れていた。
勿論私はCleamを聞いた事がある。Blue Cheerも聞いた。
こんなのは今までに聞いたことが無かった。


  (明日ぐらいで訳し終わる・・・・かな?)
257伝説の名無しさん:03/08/23 22:09
↑楽しみにして読ませて貰ってます。
感謝です。
258まっくん:03/08/24 20:47
この時テリーは未だキャピトル所属のシンガーだった。
彼は69年初めに自身のレコーディングでCleveland Recording
CompanyのエンジニアKen Hamannと仕事をした。
テリーはバンドのマネージメントを引き受け マーク、ドン、メルに
バンド名をGrand Funk Railroadにするよう言った。
彼らは契約にサインをしテリーはマークの作品2曲
(そのうち1曲はHeartbreaker)をレコーディングするため
69年4月に彼らをCleveland Recordingに連れていった。
「あれは自分が書いた最初の曲っていうだけのものさ」マークは
彼の気まぐれなバラードHeartbreakerについてこう語る。
「以前、Dick Wagner & The Bossmenにいた頃に書いたんだ」
リストにあるHeartbreakerのレコーディング日時は69年4月16日。
Ken Hamannは テリーが今度はGrand Funk Railroadという
バンドとともにクリーブランドのダウンタウンにあ彼のスタジオに
戻ってきた時のことを回想する。「自分はThe Packとは率先して
仕事をすることはなかった。しかしテリーが彼らを連れてきて
デモを作ってくれるよう頼んできたとき テリーはすでにキャピトル
レコードのプロデューサーとしてリストに載っていることを確信した」
259まっくん:03/08/24 20:50
Hamannは彼のスタジオで何曲かシングルをレコーディングしていた。
The OutsidersのTime Won't Let Me Human Beinzの
Nobody But Meを含むキャピトルのシングルはヒットしていた。
The Lemon Pipersのヒット曲Green Tombourineもまた
Cleveland Recordingで作られた。にもかかわらずテリーがここで
歌手として作ったレコードはヒットしなかった。Hamannは
テリーが気に入っていた。そしてテリーにはプロデューサーとしての
可能性があると思っていた。
「彼には材料が必要だった」キャピトルの幹部連中を動かすために
Humannは指摘し そしてこのレコーディングエンジニアは
テリーを助けたい気持ちになった。
「最も初期のGrand Funkの録音は8トラックマルチで制作された」
彼は回想する。Hamannはバンドのレコード契約にけりがつくまで
スタジオ料金の請求を延期することをテリーに約束した。
「おお!何と慈悲深いことか!Hamannは私と知り合いという
事だけでそのように取りはかってくれた」テリーは言う。
テリーはキャピトルの人々にデモを聞かせた。彼は 最初に
会社から待たされた上シングルを出すことだけを提案された。
テリーは彼らに それでは仕事にならない、と言った。
彼はGFRのフルアルバムを出す契約を取り付けねばならなかった。
テリーは言った。「私はクリーブランドに戻って残りの8曲の録音を
始めたいんだ。メンバーはもう準備が出来ている。このデモが
気に入ったのなら彼らを好きになるはずだ。予算の裁可さえ
無いのなら 私はクリーブランドに戻ってこのバンドのために
自分の全てを投げうつ」
260まっくん:03/08/24 21:04
周知の通り物事はうまくいった。テリーはマーク、ドン、メルを
従えてHamannのスタジオに入った。そして彼らは
マークによって書かれた残りの曲をレコーディングした。
In To The Sun,Can't Be Too Long,Time Machineなどだ。
レコーディングは6月に終わった。そしてすぐ いくつかの大規模な
野外ロックフェスティバルで世界にお目見えするための準備にかかった。
出演料はタダだがとにかく目立つことが出来る。
「その後の曲は真新しいAmpexの16トラック2インチレコーダーで
制作された」Hamannが回想する。「そいつは高価な機材で
2万ドルはした」バンドのデビューアルバムであるOn Timeは
8月にキャピトルからリリースされた。そのLPの10曲は
合計52分にも及びその時代のアナログ盤としては注目すべき長さだった。
33年が過ぎた今 このCDのリスニング体験は
オリジナルのアナログ盤とはまったく別モノだ。
このようにしてGrand Funk Railroadは始まった。

by Steve Roeser

  これにて1stは完結
  かなり強引な脳内変換もやってますのでCDを持っている方は
  原文もサラッと見てみてください
  2ndも出来れば近いうちに・・・
261伝説の名無しさん:03/08/25 12:41
ボックス売ってるけど大きさの割に4枚組・・・?
262伝説の名無しさん:03/08/26 12:24


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263まっくん:03/08/27 19:43
>>252
テリー達がYardbirdsやThe Rolling Stonesのカバーをやってたくだり
びみょーにズレて誤訳してました
「彼らもまた少なくともこの2つのバンドには寛容であった」
ぐらいな感じかな?
アメリカのチャートを侵略しまくっているBritish Invasionの連中だが
この2つのバンドはまあ許せるか・・・・みたいな
264めっくん:03/08/30 08:19
保守あげ

やっぱアニマルズを聞いて
孤独の叫び(クサイけどこの邦訳スキです)を
レパートリーにしたんですかね?
265伝説の名無しさん:03/09/01 22:58
ブートのビデオ買ったんだがだから買わないか?w
266伝説の名無しさん:03/09/02 16:03

         .┌┐
        / /
      ./ / i
      | ( ゚Д゚) <たまにはageてください
      |(ノi  |)
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      \_ヽ_,ゝ
        U" U


267伝説の名無しさん:03/09/03 07:35
アニバーサリーBOXってどうですか?
268伝説の名無しさん:03/09/05 23:23
age
269伝説の名無しさん:03/09/11 15:43
ライナー邦訳キボン
270まっくん:03/09/12 20:11
よーーーーーうやく規制解除! 2ndライナー一気に逝きます

「実のところオレは常々British Invasion(英国の侵略)という奴が
一般的に言われる事に少し憤慨しているんだ」GFRのマークは言う。
「何だって!? ブリティッシュの連中がしたのは
アメリカのRock 'n' rollの模倣だ。別に侵略なんかしてない・・・
The Beatlesの影響を自分も受けている事は分かっているけどね」
GFRは今まさにアメリカの若者文化への侵略を開始しようとしていた。
しかし彼らの攻撃計画は自国内に限られていた。実のところGFRは
無名から1969年のロック界を震撼させるには至っていなかった。
彼らは貧しい労働者の街であるミシガン州フリントを抜け出したのだ。
マネージャーのテリーはかつて同じバンドで過ごしたマーク達の音楽を
多くの聴衆にのもとへ届けるための目算を立てていた。
マーク、ドン、そしてメルは野心にあふれ 証明すべき何かを持った
パワフルなロックトリオだった。音楽はすでにずっと彼らの人生の
大きな部分を占めていた。それは天職、使命とも言えるかも知れない。
今や彼らは彼ら自身の仕事を為すことを望んでいた。

GFRとしての1stアルバムはOn Timeと題され準備万端整い69年8月の
リリースを待っていた。テリーはすでにもう一枚アルバムを作るために
数ヶ月間彼らを録音スタジオに連れ戻す計画を立てていた。
しかしバンドは まず外へ出て人々に彼らの資質を見せるべく
出来るだけ多くのステージをこなさなければならなかった。
アメリカはGFRを認知しつつあった。
271まっくん:03/09/12 20:13
マークは回想する。「夏のポップフェスティバルの現場を経験し
オレ達なんか聞いたことがない聴衆のリアクションに触れてみて
彼らはただ音楽が聴けさえすればいいって言うことをつくづく納得
させられた。そしてオレ達はオレ達自身の個性に気がついたんだ」
Atlanta Pop FestivalでのGFRの激しいオープニングステージは
強烈な印象を与え 次の二晩も演奏を依頼されるほどであった。
続いてTexas International Pop Festival, West Palm Beach
Music Festval, Strawberry Fields Festival in Canada, で演奏して
取りわけこのバンドに対する興奮は 明らかに相当な熱気を帯びて
盛り上がっていった。

60年代後半を振り返ると ロックビジネスやレコード業界を支配する
原理や方法論は現代とは違っていた。当時はひとつのバンドが
一年の内に1枚以上のアルバムを作るのはそれほど珍しくなかった。
GFRの場合 最初の2枚のアルバムは6ヶ月の間を置いて録音された。
「当時こんなやり方をしてた」ドンが言う。「オレ達はスタジオに入り
1週間で1枚のアルバムを作った。実際それをミックスして
完パケまでいったよ。その前にたくさんリハーサルをしたけどね。
オレ達はスタジオ入り前の1ヶ月をリハーサルと曲作りに費やした。
しかしオレ達はスタジオ入りして1週間でアルバムを完パケすると 
すぐ旅に出たもんだった」ドンは回想する。「テリーはオレ達に
多作であることを望んでいたと思う。そしてキャピトルは明確に
それを望んでいた。契約書に年間2枚のアルバム制作があるのは
こんな事情さ」
272まっくん:03/09/12 20:16
GFRの2ndアルバムはもう少しで無くなるところだった。
もし神の御心による介在が無ければ アルバムOn Timeがこのバンドの
唯一の記録となったことだろう。しかしマークは69年の夏の間
ガーディアンエンジェルの見張りをつけなければならなかった。
「マークがたった独りで あるバイク集団と話しているのを思いだすよ」
テリーが回想する。「連中はマークの長い髪をかっらかっていた。
彼は窮地に陥り相当ひどく殴られた。泥まみれで見分けがつかない
ほどにね。連中は彼の髪の毛を一握り引っこ抜いた」テリーはこのひどい
事件の結果マークが負った肉体的な目立った損傷を誇張してはいなかった。
しかし全ての仲間達にとって幸運だったことにマークはその日を生き延び 
比較的すぐに回復して 10月にはバンド仲間とスタジオに戻り
レコーディングを再開出来るまでになった。

「曲作りの必要性が出てきたんだ」ドンは彼とマークが以前いたバンド
The Pack(別名The Fabulous Pack)がついに解散し GFRが
まさに始まろうとしていた過渡期の68〜69年について話していて
こう思い返す。「オレ達はThe Packというバンドに在籍して
こんなふうに達観した。安定したギャラのためにカバーバンドに徹し
何者にもならないか もしくはオレ達自身の才能を始動させるか、
のどちらかだ。オレ達自身の素材で挑戦してみようじゃないか とね」
彼らはGrand Funkとして2番目の道を選択した。
「どこからオリジナルのネタを仕込んでくるかって?
マーク君、シンガーであるキミからだよ」
これ(歌手自身が曲を書く事?)がGFRがデビューした当時の状況で
オレ達が目をつけていたやり方だった、とドンは言う。マークは
オリジナル曲を書く事を期待され このギタリストはそれに同意した。
273まっくん:03/09/12 20:18
ドンは回想する。「フリントのMusicians Union Hallで3人で
練習に励んでいる時、オレ達はこんな風にマークに取り入った。
オレ達には曲が必要だった。オレとメルはよくマークに言ったもんだ。
『オレ達はマクドナルドへ行ってお前にビックマックを買ってくるよ。
オレ達が戻ってくる頃にはいいアイディアがいくつか浮かんでる
だろ?(笑)』そしてオレ達が戻るとヤツは何かを思いついてるんだ。
『コイツはどうだい?』ってね」マークはいつも3人で進められるような
いくつかのリフや音楽的なアイディアを考え出した。

彼らは大慌てで曲作りに励んだので 必然的にあちこちから少しばかり
無断借用をし事をドンは認めている。On TimeのB面1曲目Into The Sun
(The Pack時代はGetting into The Sunと呼んでいたが)はいくらか
「Steppenwolfもどき」だとドンは自認する。おそらくInto The Sunの
メインのギターパートはそのグループの初のビッグヒットである
Born To Be Wildから思いついたのだろう。しかしGFRはそこに
彼ら自身のオリジナリティを交えている。
274まっくん:03/09/12 20:20
GFRの2ndアルバム(シンプルにGrand Funkと呼ばれている)の
1曲目は 将来を考え70年代に進んでいこうとする前のThe Pack末期の
感覚を表現している。マークが書いたGot This Thing On The Moveを
マークとドンはThe Pack時代にプレイしていて 後にメルに教えた。
「メルはまったく大した奴だった」ドンは彼らの若きバンド仲間が
10代だった頃を思いだして言う。「メルがThe Packを見に立ち寄った
時のことを覚えているよ。まるでThe Packのファンのようだった。
彼はいくつかの違った場所にも立ち寄ってくれた。Bay City
(ミシガン州東部の?)でも彼はいつも来てくれた。オレが彼を初めて
知った時は こんなガキが聴衆の中にいるぞって言う感じだった」
アルバムGrand Funkはリリース当初からそのジャケットの色によって
ファンはRed Albumと呼んでいる。皮肉にもそのジャケットのメルの
イメージはマーク、ドンよりもずっと目立っている。あごひげを生やした
メルは中央右寄りに背が高く描かれ 波打つ水玉のシャツとダラリとした
黒っぽい帽子を身に付け 彼の強力なベースギターを弾いている。

「心に留めておいてくれ」テリーが指摘する。「現在heavy metal
として知られる音楽を形作ったのは あの当時GFR, Black Sabbath
Led Zeppelinだけだった。それらが無かったらheavy metalは
消え去ってしまっただろう」
275まっくん:03/09/12 20:22
マークの書いたParanoidが2ndアルバムのセッション中に録音された。
(この曲はInside Looking Outとともに最もへヴィで激しいGFRを
象徴している)Black SabbathにもまたParanoidという曲があり 
彼らの2ndアルバムのタイトルになっている。しかしそれは純然たる
偶然である。「他にParanoidっていう曲があるなんて知らなかったよ」
マークは言う。「オレ達はいつもラジオをよく聞いていたわけじゃ
なかったからね」しかしながら10分近いファイナルトラックの
Inside Looking Outは連中がラジオでよく聞いていたに違いない曲だ。
Eric Burdonによって歌われたのが数年前の1966年で アメリカで
Top 40 ヒットになった。このブリティッシュグループはThe Packでも
称賛されていた。GFRバージョンをその強烈なべースパートで煽り立てた
メルはずっとAnimalsのベーシスト Chas Chandlerのファンだった。
The Packが習慣的に他のグループのカバーをしたように 2ndアルバムは
この曲でしめくくり(カバーをする事の?)GFRの先例となった。
それは彼らの多くのカバーの中で最初のものであり成功に恵まれた。
GFRバージョンのInside Looking Outはイギリスのシングルチャートで
40位になり結局イギリスで最も成功した記録となった。
276まっくん:03/09/12 20:24
「我々はこうしたセッションのための 適切で効率の良いシステムを
すでに作り上げていた」テリーが信頼するレコーディングエンジニアの
ケン・ハマンは語る。(Cleveland Recording Studioは
オハイオ州Cleveland Euclidのダウンタウン1515にあった)
「なぜなら私はすでにJames Gangなんかと仕事をしていたからね」
The James Gangの1stアルバムはJoe Walshがフィーチャーされ
前年にCleveland Recordingで制作されていた。
「ケンはオレが思っていたよりずっとオープンマインドだった」
ドンが語る。「彼のアプローチはこんな感じだ。『これはrock 'n' roll
なんだよ。いつも伝統的な方法でやる必要は無いよ。どうしたら
マークの金切り声をあげるボロボロで凄まじく卑猥なギターサウンドを
このWestのアンプから出せるだろう。どうやってコイツをテープに
収めようか?』彼は挑戦する事をためらわなかった」
マークとドンは(ケンに)指摘した。「ボロボロでイカした
このMessengerのギターを弾くのさ。そうすればそういう
サウンドが出せる。あとワウワウペダルも使うよ」
現在 Euclid通りの以前Cleveland Recordingがあった場所に行き
さらに北へ数ブロック歩くとRock And Roll Hall Of Fameがある。
そこで 栄光あるdirty soundを紡ぎだしたマークのMessengerの
ギターを見ることが出来る。
277まっくん:03/09/12 20:25
GFRについての書籍An American Bandの著者Billy Jamesは
マークの曲であるIn Needについて「一夜にして得た成功に対して
彼らが面と向かって受けたバンド仲間や知り合いの反応である」
と言っている。Jamesはまたその著書の中で LPリリースの数ヶ月後
(69年のクリスマスの数日後)バンドはHugh Hefner司会のTV番組
Playboy After Darkで Red AlbulmのA面からPlese Don't Worryと
Mr.Limousin Driverの2曲を口パクでやった と述べている。
「オレ達は まだ製作中の曲は決してショウでは演らなかった」
マークは言う。知っての通りオレ達はレコード盤になっていなければ
決してそれを試してみようとはしなかった。
Plese Don't WorryはRed Albumでマークとドンの両方の名前が
クレジットされた曲のうちの1曲だ。多くのGFRナンバーが
書かれたが マークとドンの共作はこの曲が一番最初である。

スタジオアルバム第二弾Grand Funkは69年10月にほとんど
レコーディングされ その2ヶ月後には店頭に並んでいた。
On Timeほど長時間ではないがRed Albumはそれでも50分近くあった。
今やGFRは90分近いコンサートの為のオリジナルレパートリーを持ち
彼ら自身がメインのショウをやる準備が整った。一方 DJ出身の
テリーは 彼のラジオ界での影響力をレコード業界のために行使した。
「一晩に2時間は電話をかけていた」テリーは言う。「おそらく5人か
6人だったか 国内中の主要なDJ達の専有回線にね。そして彼らを
おだて上げて頼んだ『Into The Sunをかけてもらえないかい?
私からのリクエストとして。それかInside Looking Outを・・・
どうかオンエア用のレコードを買ってくれないか?』こういう内職を
昼も夜もたくさん続けたよ」
278まっくん:03/09/12 20:27
ドンは 初期GFRのサウンドが素朴であればあるほど、そして制作が
早急であればあるほど これらのアルバムには自分たちの個性がはっきり
出ている、と感じている。そしてドンは自分の関わりを誇りに思っている。

「Clevelandはいつも中西部を出てNew Yorkへ向う第1歩だった」
ドンは言う。「そしてそこには明らかに音楽に対するより進歩的な姿勢が
あった。ケンのCleveland Recordingには広いレコーディングブースが
あった。そして楽器のすぐ近くにマイクを置かないようにしていた。
マイクを遠くに離せば部屋の鳴りを収録することが出来たんだ。
そしてテリーは後ろに立って全体を聞き編曲した。オレ達はケンに
とにかくデカいギター、ベース、ドラムサウンドを望んだ。正直なところ
London風やNew York風やL.A.風にしようと試したけど やっぱり
少しばかり中西部風になってしまった。でもオレ達は ささやかな
自分たちの居場所を切り開いた。テリー、ケン、マーク、メル、ドン、
この5人の組み合わせ、全体の人間関係は本当の家族のようだった。
そしてオレ達がそれを築き上げた」
「On Timeは実験のようなものだった」メルが語る「オレはRed Albumが
1番気に入っている。まさにGFRの全てを音楽的に表現していると思うよ」
GFRは1年を経ずして成功した。1st 2ndアルバムのレコーディングを
通して 彼らはまさに動き始めた(gotten this thing on the move)。

Steve Roeser
279まっくん:03/09/12 20:31
以上 物凄い勢いの連続カキコ 失礼!
>>270-279
おつかれさまです。最高!!
281めっくん:03/09/16 10:58
拝読しました。ありがとうです!

アニマルズの重さ・タメは
確かに初期GFRに通じるものがありそうですね
282伝説の名無しさん:03/09/18 07:55
age
   _、_
 ( ,_ノ` )      n
 ̄     \    ( E) グッジョブ!!
フ     /ヽ ヽ_//
284まっくん:03/09/20 08:24
今度の規制はけっこう短めでしたが、蛇足です
>>277に出てくるIn Needの歌詞はこんな感じ

  お袋ったら 一体なんでそんなに青くなってしゃべる続けるんだ?
  オレはまだ若いけど覚悟を決めなきゃならない
  過去を振り返らずにね

  昔の友達に会えばイキナリ「だいぶ稼いでるんだろ?」だってさ
  まったく 友情なんて信じられないね
  
  キミには心を許せる親友がいるかい?
  いたとしたら羨ましいよ
  それは本当にいい友達だろうから

サウンドはモロR&Bというかスタックス風というか
ギターもSteve Cropperというか
オーティスあたりが歌ってそうな感じです
個人的にはツボにハマる曲です
285伝説の名無しさん:03/09/22 11:59
保守age
286伝説の名無しさん:03/09/25 13:03


         .┌┐
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      | ( ゚Д゚) <たまにはageてください
      |(ノi  |)
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      \_ヽ_,ゝ
        U" U

287伝説の名無しさん:03/10/04 14:02
                         o        o
   ______________    |        |
  │お そ れ い り ま す が.|   r'ニニニ‐‐'┐
  ├────────────┤   |o .,、. o |て)/
  │こ の ま ま し ば ら く .|   L =__|__,/
  ├────────────┤ _/ ̄ lll `ー、ヽr┐
  │お 待 ち く だ さ い  つニ -7 R. lll ○  ヽ! |
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ./   lll    ノ=!
                       /_==lll=- .,_/ /l
                       `'‐-ニ_''‐-ニ〆_.」
                         |  |`i'''''T"
                        ∠_ヽ|_|
                        く_/// /」
    


288伝説の名無しさん:03/10/04 18:22
age
289伝説の名無しさん:03/10/04 18:57
ドン・ブリュワーの揉み上げ
290伝説の名無しさん:03/10/05 07:26
マーク・ファーナーの胸毛上げ
291?U¨?A´?-?n:03/10/08 21:19
ご無沙汰です
10月中ぐらいには何とか・・・・・・・
292まっくん:03/10/08 21:21
↑化けてしもた・・・
293伝説の名無しさん:03/10/11 07:12
GFRのお勧めを教えて下さい。
回りに話が出来る人が本当にいないんです!
今、大学2年です。女子大だからか、洋楽を聴いている人さえいません。
うざかったらすいません。

294伝説の名無しさん:03/10/12 17:50
>>293

   _、_
 ( ,_ノ` )      n
 ̄     \    ( E) グッジョブ!!
フ     /ヽ ヽ_//

295伝説の名無しさん :03/10/12 18:09
>>294
コピペに反応すんな
GFRの部分を他のバンド名に変えた奴とかが氾濫してる
296まっくん:03/10/25 20:42
  さすがに下がりすぎて心配になってきたので
  とりあえず3rdのライナーの最初の部分だけうpします
  なるべく間が空かないようにがんばってみます

「ヘヴィメタルの歌詞がいつも暗くて取り乱していなきゃいけない事はない」
ベーシストのメルは語る。「マークは素晴らしいmessage musicを書いた」
GFRが3rdアルバムのレコーディングの準備をしていた70年代初頭
マークは 恐らく彼の作品のなかで最も素晴らしいメッセージソングを
作曲した。

「真夜中に目が覚めたんだ」マークは70年の冬の特別な日を回想する。
それはちょうどGFRの2ndアルバムがリリースされた後だった。
「そして歌詞を書き上げた。その時はそれを詩だと考えていた」
「朝起きるとオレはフラットトップのギターを持ってキッチンに行った
テーブルに足を投げ出してコーヒーを飲みながら朝の時間を過ごした
朝日が差し込んでくる 分かるかな? オレは一人でギターを
つま弾いていて そしてコイツが聞こえたんだ(マークは彼が
説明している曲の最初のギターリフを歌って見せた)
それからオレはその曲をかき鳴らし始めたんだ」
「作曲はさらに進んだ(よし、コイツには昨晩のあの歌詞が
合いそうだぞ)おれは歌詞を乗せて歌い始めた それからギターと
歌詞を一緒に合わせてみた オレはこの曲をドンとメルの待つ
リハーサルに持って行った あとは歴史が示すとおりさ」
マークが語っているのは勿論I'm Your Captainの事だ。
それはGFRの3rdアルバムの中心となる曲であり 曲の後半で
何度も何度も繰り返されるI'm Getting Closer To My Home
の部分はアルバムタイトルに冠されている。
297伝説の名無しさん:03/10/28 01:23
毎度乙カレー!
298伝説の名無しさん:03/11/01 07:28
『ロック魂 AMERICAN ROCK ’70−’75』という
コンピレーション・アルバムの1曲目に「アメリカン・バンド」が入ってるね。
でもGFRの曲がコンピレーション・アルバムに入るときって
なんで「アメリカン〜」なんだろ?
もっと他にもGFRらしいのあるし・・・・・
299まっくん:03/11/07 19:07
 3rdアルバムライナー その2

フリント出身の作家、映画製作者であるMichael Mooreは
VHIのドキュメンタリーでGFRについてインタビューを受けた時
70年にベトナム戦争で戦っていた何千もの男達にとって
I'm Your Captainがいかに意味深長な曲であったかを
熱く語っている。(彼らの多くはミシガン出身であり
何とか生き延びて家に帰れるように毎晩祈っていた)
GFRの曲は兵士達それぞれに語りかけ、また代弁していた。
Clocer To HomeはGFRの音楽的な可能性についてもまた違った面を
見せてくれる。それはテリーと彼の右腕であるケンの貢献によるものだ。
1年以上前ケンはテリーとSt.Paulというレコードを制作した。
テリーは大望ある歌手でありレコーディングアーティストとして
ささやかな成功を享受していた。St.Paul.はテリーがPaul McCartneyに
ひっかけて書いたもので Beatlesのさまざまな曲を引用していた。
この曲でテリーの夢想を実現するためアレンジャーのTom Bakerは
クリーブランド交響楽団の演奏者をレコーディングに起用した。
さて、素晴らしい新曲であるI'm Your CaptainでBakerとテリーは
GFRでも同様に事をしようとした。
キャピトルのスタジオログファイルによれば GFRの3人は
I'm Your Captainのベーシックトラックを70年4月10日に
Cleveland Recordingで録音している。それから1週間後の
聖パトリックデーに この野心的なアルバムを最終的に完成させる
オーケストラセクションがレコーディングされた。
しかしケンによると この時オーケストラのメンバーはNew Yorkに
借り出されていてクリーブランドには居なかったのである。
300まっくん:03/11/08 21:53
 3rdアルバムライナー その3

ケンは 素のままのI'm Your Captainのテープが入っているケースを
膝の上に置き ニューヨーク行きの飛行機に乗った、と言う。
長い年月の後では100%確実ではないが オーケストラパートの録音は
おそらくRecord Plantのスタジオで行われたとテリーとケンは
思っている。彼らは彼らの責務を1日以内で遂行した。
ケンはオーケストラを録音すると それらを編集しLPを仕上げる為に
クリーブランドへ飛んで帰った。「行ったり来りだったよ。テリーは
Don Bakerと我々がそこに行くのにリムジンを雇った。甘味な
オーケストラセッションを終えると 我々はリムジンに飛び乗って
空港へ逆戻りさ!」ケンは語る。
このような慌ただしい次第でなければ LPは6月中にリリースされる事は
なかった。テリーは4月中にGFRのニューアルバムをキャピトルに
提出するために ケンに出来るかぎり早く Closer To Homeの制作を
終わらせる事を要求した。こんな訳でケンとテリーはI'm Youra Captain
のベーシックトラックの左の不注意なミスに気づかなかった。
彼らは編集作業中にミスのある演奏テイクを採用してしまった。
そしてそのミスは注意深く聞くと判別することが出来る。
曲頭から1分位のところ、マークが歌っている間に男の声が何かを
喋っているのが聞こえるだろう。この曲の反響が熱狂的になり始めた頃
この事に気づいた当時のファンはこんな風に解釈したかも知れない
メルかドンのどちらかが演奏に集中する余り他の誰かを煽り立てたのだと。
301まっくん:03/11/11 18:16
 3rdアルバムライナー その4

しかしそれは違った。リイシュープロデューサーのDavid Teddsは
その声を分離し それがテリー・ナイトの声であることを突き止めた。
テリーが何を言っていたか・・・「よし、そこでストップだ」である。
彼は恐らくスタジオのトークバックマイクを通して ケンかバンドの
メンバーのどちらかに話しかけていた。そしてその声が録音を
キズモノにしてしまった。しかしバンドはプレイを続け ケンも
録音を続けた。
まったく故意にではなくテリーの声が残されはしたが
それは素晴らしいテイクだった。ケンはオーケストラセクションの
テープと共にニューヨークから戻ると すぐにトラックの編集作業に
かかり、カモメの鳴き声と波の音を付け加えた。
「その晩にそれをミックスしたんだ」ケンはRecord Plantから
クリーブランドに戻った、まさにその当日の事を話している。
「私は『その日!』の終りまでひどく朦朧としていた。こんな訳で
あのミステイクを見逃してしまったのさ」
I'm Your Captain(後になってI'm Your Ca;tain/Closer To Home
とも呼ばれた)はこのアルバムのクロージングトラックの座を得た。
もうひとつの長時間LPであるGrand Funkに比べこのアルバムは
約45分であるが 最後にこの曲が奮闘している。「それは最後に
輝きを添えるもの、と言えるかも知れないね」このアルバムの
エンジニアを務めて32年が経た後でケンがそう指摘する。
「その他の全ての曲はプリミックスされ準備が整っていた」
302まっくん:03/11/13 23:28
 3rdアルバムライナー その5

I'm Your Captainに対するファンの反響は このレコードに
関わったあらゆる人間を興奮させるものだろうと予想されたが
このアルバムの他の7曲の中にはさらにいい曲があった。
「多くのGFRファンは Closer To HomeにGFRが大成功するに至った
全ての要素が含む彼らの最高傑作アルバムであると見なしていた」
GFRのバイオグラフィーAn Americann Bandの著者の
Billy Jamesはこう語る。
I'm Your Captainの対をなす1曲目のSin's A Good Man's Brotherは
その詩にマークのスピリチュアルで沈思黙考する一面をのぞかせている。
その静かなイントロに騙されてしまうが 数秒後にバンドはロックの
エネルギーを解き放つかのように大爆発する。それはまさに
出世を遂げた彼らを表しているようだ。
303まっくん:03/11/13 23:38
 少し修正 それでもまだ日本語がヘンだ・・・・

「多くのGFRファンは Closer To HomeはGFRが大成功するに至った
全ての要素を含む彼らの最高傑作アルバムであると見なしていた」
304まっくん:03/11/14 20:25
 3rdアルバムライナー その6

「メルがWestのアンプを持ち込んだんだ」ケンが回想する。
それはマークの友人でフリントに住むDave Westのブランドのものだ。
「それは勿論すさまじい高出力を出せるアンプだった。我々はそれで
近所中を震わせた。スタジオの窓は外に向って開け放されていたんだ。
そして隣のオフィスビルの連中が文句を言い始めた。でもこうした
レコーディングセッションは週末か深夜に行われていた」
「最初の頃のメルは基本的にドンとつるんでいた」テリーが回想する。
「そして、そうあるべきだったんだ。ベースとドラムは固い絆で
結ばれていなければならない。一方が音楽的な要素を、一方がリズムを
担当するが 彼らが同じ感覚でプレイすることは不可欠なことだ」

マークのギタープレイは進歩を続け、Aimless LadyやNothing is
The Sameのような曲で卓越したプレイを再び披露している。
キーボードもまたこのアルバムでは重要な要素だ。
キャッチーなインストゥルメンタルであるGet It Togetherは
マークが弾く、いくらかジャズ的なエレピとオルガンのリフによって
構成されている。それはヘヴィなGFRスタイルからの もう一方の
発展だった。(曲の後半では)ソウルフルな女性コーラスが起用され
ボーカルの幅を拡げている。
305まっくん:03/11/17 23:22
 3rdアルバムライナー 完結!

スタジオ録音のMiean Mistreaterある。この年のうちには
この曲のライブバージョンのシングルがリリースされている。
この待望のフルリマスターCDで 我々はMiean Mistreaterの
ボーナストラックを楽しめる。それはエレピと同じぐらいマークの
オルガンがフィーチャーされている。何故彼らはこのアルバムの
曲順を決める時に この曲のオルガンパートを抜くのを選択したのか
ちょっと不思議だ。この曲はオルガンがあった方がいい、というのは
今や多くの人が同意するところだろう。
Closer To Homeは70年6月15日にリリースされると あっという間に
トップ10アルバムとなった。こんなチャートランキングはこのバンド
初の事である。アルバムが出てからおよそ1年というもの、GFRは
I'm Your Captain/Hooked On Love/Get it Togetherの3曲を
メドレーで演奏した。このアルバムリリースの時点で バンドは
すでに充分成功していたが、Closer To Homeは彼らを成層圏の
高みにまで打ち上げた。
306まっくん:03/11/17 23:23
「ダークブルーの新しい70年型サンダーバードを買ったよ」
バンドがブレイクして 初めて受け取った莫大なギャラを思い起こして
ドンが笑いながら言う。「そいつは最高だった。メルとマークは両方とも
リンカーンを買った。しかし運転しているのがヒッピーみたいなオレ達
だから そんな車は他ではなかったな。どうだい?そいつはちょっと
アヤシイもんだったよ!」
まったくもってアヤシイ。ミシガンに本拠を置くCreem Magazineに
寄稿していた著名なロック評論家のLester Bangsは マーク、ドン
メルに触れて「世界で有数のグループになったミシガン州フリント
出身のイカした3人の若造」と書いている。この評論からは
あるかなきかの気乗りのしない称賛しか伺われないが GFRは
こうした連中からも期待されるようになった。大した事ではない。
重大なのはCloser To Homeがバンドのコアなオーディエンスである
ブラザー、シスターから世界的に受け入れられた事だ。
それは大いに重大だ。疑いもなく。

Steve Roeser

我々はCloser To Homeをベトナムに出征した全ての勇敢なアメリカ人に
捧げる

-Mark, Don & Mel
307伝説の名無しさん:03/11/18 18:54

   _、_
 ( ,_ノ` )      n
 ̄     \    ( E) グッジョブ!!
フ     /ヽ ヽ_//

308まっくん:03/11/18 19:18
 オマケ アルバムジャケット裏にあるテリー・ナイトのコメント

去年の今ごろ、GFRは単なる3人の無名な若者に過ぎなかったが
彼らはミシガンのホームタウンにある暗い煉瓦造りのリハーサルホールで
自分たちの新しいサウンドを追及していた。
今やGFRの名前の意味するものは 国中で最も敬意を払われている
大きなコンサートホールを満員にした聴衆の叫びやスタンディング
オベイションである。
確かにGFRは成長を遂げた。そしてその事がこのアルバムの
全てである。彼らの音楽は明らかに世界の歴史上最も見識が高く
最も成熟した世代を反映している。人々が受け継いだのは 世界を
暴力と公害と無法者と死にかけた老人たちで満たすことだった。
こんな時代にGFRの3人は生きている。1stアルバムでは
「オレが目にしている現実はこうだ」と叫び 2ndアルバムでは「オレは
こう感じるんだ」と語るまでに成長した。そして今、この3rdアルバムで
彼らは何百万ものブラザー、シスター達と手を取りあって「これが
自分の向う場所なんだ」と語っている。
New Cultureに属する彼ら3人は死につつある世界を抜ける最後の航海に
出発しようとしている。
我々全てにCloser To Homeをもたらす道を探し求めるために。

Terry Knight
Producer
309伝説の名無しさん:03/11/27 05:59
ナイトとマネージメントで泥泥にもめようとは・・・

この当時は関係者はだれも思いもしなかったろうね
310?U¨?A´?-?n:03/11/28 20:24
 Live Albumライナー その1

GFRの非凡さと そのオリジナルメンバーであるマーク、ドン、メルは
70年の春には、合衆国において事実として認知された。当時は
ポップ、ロック史上極めて特異な時代だった。Jimi Hendrix,Janis Joplin,
Jim Morrisonといった伝説的なアーチスト達は皆存命中で現役であり
大いなる象徴としその時代の若者文化に貢献していた。
GFRはロックコンサートを回る旅程でJanisやJimiとすれ違っており
マーク、ドン、メルは彼らの両方と間近に出くわしている。
「オレ達は友達だったんだ」マークはJanisとの関係をこう語る。
その気まぐれなシンガーはこの年の10月に悲劇的な死を遂げ それから
3週間もしないうちにJimi Hendrixが亡くなった。
「彼女がGFRのショウに来ていたんだ。ある時オレは具合が悪くて
ドンのドラムソロの間オフステージにいた。気持ちが悪くなって
化粧室に駆け戻った。オレは自分の出来ることは全てやって空っぽに
なってしまった(笑)。オレが戻ってくると彼女が言った。
(マークはJanisの話しぶりを真似た)『坊やったら具合が悪いの?』
オレは言った『サイアクだよ!』『そう これをちょっと飲んでみて』
彼女は自分のペイズリーのハンドバッグに手を伸ばすとRippleのボトルを
サッと取り出したんだよ!」
「オレ達がJanisと会ったのは第1回のWest Palm Beach Pop Festival
だった」ドンが回想する。「彼女はひどく飲んでいて疲れ切っていたっけ」
GFRの3人はまたある時喜ばしい経験もした。NYCのFillmore Eastでの
GFRのショウのバックステージにJimi Hendrixが顔を見せ 彼らの才能を
称賛してくれたのだ。JimiのベーシストのNoel Reddingが彼のバンド
Fat MattressでGFRのオープニングを務めていた。
311まっくん:03/11/28 20:28
これらはGFRが登場した遥かなる1970年の状況のほんの一端でしかない。
しかし、何回かこうしたコンサートに行った事のある人なら このGFRの
Live Albumに心を奪われるだろう。このアルバムが初めて店頭に並んだ
あの当時も、そして長い年月が経った今も再び 3人は容赦のない
エネルギーでバカでかいサウンドを炸裂させている。そして勿論
GFRの熱狂的なファン達が それに負けないエネルギーをバンドに
ぶつけ返している事実を過小評価することは出来ないだろう。
それは言葉では表せない共生関係だった。

「原始的な本能をふるわすようなこうした熱狂がオレは好きだった。
ステージ上での出来事に聴衆は反応した。GFRは芝居じみたバンドだ。
オレはプレイする時 ステージ上で動いたり飛び上がったりおどけた
仕草をしてその曲の主人公を表現した。しかし大ゲサだったな」
マークが笑いながら言う。「つまりね 後ろの方にいる客にも
何をやっているか分かるようにだよ。自分はこの事を早くから
身に付けた。これがLive Albumでのバンドの実態さ」
312まっくん:03/11/28 20:29
クールなジャムナンバーであるMark Say's Alright(これは他の公式
アルバムでは聞くことが出来ない)を例外として Live Albumにおける
全ての曲はバンドがクリーブランドのスタジオで録音していたものだった。
4曲は1stアルバムから 3曲は2ndアルバムから 全て1969年に作られた
オリジナルである。残る1曲のMean Mistreaterは最も新しい曲であり
3rdアルバムのColser To Homeに収録されていた。Live Albumでの
この曲の演奏は 画期的なアルバムColser To Homeのリリースから
1ヶ月も経たないうちに録音されている。なぜならLive Albumの
いくつかのトラック(大部分ではないが)はColser To Homeの
プロモーションキャンペーン中に録音されたからだ。そのプロモの
主たる内容はいま一度記述されるべきであろう。そしてそのスゴい
内容とは マーク、ドン、メルの有名な巨大看板がNYCのTimes Squarsに
作られたことだ。
313まっくん:03/11/28 20:32
「私が最初にTimes Squarsのビルボードを見たのはニューヨークに
初めて行った60年代の初期だった」70年当時、GFRのマネージャーであり
プロデューサーのテリー・ナイトが回想する。「私が見た時は
Shen Conneryの007が掛かっていた。私はそれが忘れられなかった。
そして自分に言い聞かせた。『あの場所はオレのものだ。これから
やる事であいつを手に入れてやる』」
「テリーにはそのアイディアがあった」ドンが言う。「キャピトルに
それを実行するよう要求している場に オレ達は確かにいたよ。
実際にそれを最初にやったのはThe Rolling Stonesだった。でも彼らは
全面を使ったわけじゃない。彼らはアルバムの宣伝のためにビルボードの
『一部分』を使った最初のグループさ」さて、テリーはこの事実をもって
キャピトルに働きかけた。今や彼には売り出し中のイカしたバンドある。
「テリーはキャピトルに着くと行った『アンタがたに頼みたいんだが
GFRとこのニューアルバムのためにビルボードの全面を買いきって
くれないか』それは実際に市街の1区画の長さだった。オレ達は
キャピトルのための大作アルバムを作り上げ 彼らはバンドのレコードを
売り込むことに熱中していた」
このビルボード一面にデザインされた60フィートの高さを誇る顔写真
(左から右に向ってメル、ドン、マーク)は全く仰天させられる
代物だった。(ドンとテリーが総計を確認しているが)10万ドルの
コストの内 7万ドルがスペースのレンタル料に、3万ドルが労働者と
設置料金当てられたという。この申し分のない作品はBloadwayに
位置し きっちり45th Streetと46th Streetの間隔分の長さがあり
バンドメンバーの顔がじっと夕陽を見つめている。
314まっくん:03/11/29 22:16
 Live Albumライナー その2

「彼らは1ヶ月分の料金をしぶしぶ払っていた」ドンが言う。
「そうしたらストライキのために看板は3ヶ月もそのままに
されていたんだ。凄かったね。オレ達はそれでだいぶ得をした」
「看板塗装工組合が完全ストに入ったんだ」テリーが回想する。
「そしてビルボードは彼らなしには塗り替えることが出来なかった。
まったく前代未聞の信じられない休止だったよ」
考えても見て欲しい。3ヶ月の間にTimes Squarsを通りすぎる 恐らく
100万以上の旅行者がGFRの広告を目にする。地元に住んだり仕事を
したりしている全ての住民達は言うに及ばず、だ。New YorkはGFRの
最も忠実なファンがいる恐らく最大のマーケットだった。
彼らはFillmore East(席数2,500)で何日間かプレイすると、Madison
Square Garden(20,000)でメインアクトを務め、Shea Studium
(55,000)を満杯にした。ある時点では New York Daily Newsが
行った人気投票の結果 GFRはアメリカのベストロックグループとなった。
記事によれば フリント出身の若者たちは Creedence,(CCR?)
Led Zeppelin, The Jackson 5, Santana, The Who といった他の
ポピュラーなアーチスト達を屈辱的に引き離し全体の75%もの票を得た。
315まっくん:03/11/29 22:18
ギタリストで音楽ジャーナリストでもあるLenny Kayeは 70年12月の
Rolling Stone誌の見出し記事で その月の11日と18日にMadison Square
Gardenの外で GFRを見に来た若者たちにインタビューをしている。
その時はLive Albumの発売から数週間経っていたが その2枚組のLPは
熱心なファン達が考え込まなくてもすむような低価格だった。
「彼らの音楽が1番好きだよ」ある若者がに語る。「そのビートに
ジーンと来るよ。自分の血管の中を流れてるみたいだ」
「彼らはアルバム毎に良くなっているね」別のファンが言う。
「3rdアルバムは本当に最高だよ。Live Albumもそれと同じぐらいいいね」
何人かの若者は 特にLive Albumに収められているInside Looking Outに
如何に感動したかを語っている。「Eric Burdonがレコードを出した時は
それがカッコよかった。だけど今じゃ(GFRと)比べ物にならないよ」
ある若者はその音楽を「脳ミソを直撃する」と言い、別の若者は
「奴らの演奏ぶりは・・・葉っぱをキメてるね!」とうっかり喋っている。
Lenny Kayeは 古くからロックミュージックの批評を書いている
自称「評論家」達よりも ずっとオープンマインドで独立していた。
彼は GFRの絶大な人気を考慮したうえで自ら進んで彼らにある程度の
名声を与えた。バンドのファン達は、この国の流行仕掛け人達が愚かにも
気づかない事を分かっているのだ、と彼は結論づけている。

「あの当時はね」ドンが語る。「評論家達は バンドと観客がひとつに
なってゆく その全体の中に全く入っていかなかった。彼らはバンドを
見に来るのが常だった。そして考える。『うん、あのミュージシャンは
良かったな。彼の弾くフレーズを聞いたかい?』ってね」
「彼らにはこういうコンセプトが全く理解できなかった。『外に出て
大イベントを作り出そう。そしてバンドと観客とでアリーナでの
大コンサートを分かち合おうよ』という考えをね。彼らが理解するのには
少し時間がかかったけど オレ達がやったのはまさにこういう事さ。
これがGFRとは何かっていう事だよ」
316まっくん:03/12/05 19:53
 Live Albumライナー 完結!

オリジナルのLive Albumの見開きのレコードジャケットには 3人が
プレイしているところをステージの後ろから撮った写真が使われている。
その写真は 彼らにとって2度目のお目見えとなる1970年7月5日の
Atlanta International Pop Festivalのものであることが分かる。
ちょうど1年前、3人は熱気溢れるこのAtlanta Popのオープニングで
(ノーギャラで)演奏する機会を得た。当時バンドは無名だったが
彼らはこの絶好のチャンスを生かした。彼らの音楽は大群衆に響き渡り
その結果大評判となった。「GFRが一般に認められたのは初めてAtlanta
Pop Festivalに出た後だった」マークが回想する。「あれは申し分のない
出来だったよ」
69年から70年にかけて火花は炎となり、そして全開で燃え始め
GFRとその音楽の熱烈な支持者達の荒れ狂う大火へと変わっていった。
要するに彼らは僅か1年でロック界最大のニュースとなったということだ。
熱烈なファン達はこのバンドのコンサートのマジックを体験するために
合衆国のどの場所でも集まってきた。彼らはバンド自身がそうであるように
他のGFRファン達とも精神的に強い絆で結ばれていた。
「70年のLive Albumはまさにライブレコーディングだった」ドンが言う。
何のごまかしもしてないしオーバーダブも無しだ。録音をコントロール
しようという試みは全くしなかった。『おい今夜はレコーディングだぜ。
間違えないようにやろうな』分かるかい? 70年のこのアルバムは
こんな感じだった。『オレ達はこれから3日間ライブをレコーディング
する。だけど客の誰もレコーディングしている事なんか気にしやしない。
オレ達はショウをやるんだ。レコーディングは二の次さ』そして
Live Albumは自由奔放にプレイするパワートリオのピークを捉えている
とオレは思っている。そしてこれがLive Albumの真実さ」
317まっくん:03/12/05 19:56
Live Albumのオリジナルリリースから30年以上がたった今 この
最もヘヴィなサウンドのロックバンドのドキュメントは 我々を
ポストウッドストック時代へと即座に連れ戻してくれる。2枚組LPの
アナログ盤4面は 新しい1枚のリマスターCDにギリギリ収まっている。
だからマーク、ドン、メルや我々みんなが若くてイカれていたあの頃の
GFRのコンサートを蘇らせるのは簡単だ。単にプレイボタンを押し
ボリュームを上げイスに腰を下ろせばいい。そしてGFRのショウの
カタルシス、マジック、熱狂を もう一度どこでも好きな場所で
楽しむことが出来る。

「ステージ上のサウンドは良くなかったよ。いずれにしろ当時の
モニターシステムのサウンドは恐ろしくヒドかった」ドンが説明する。
「普通、ステージ上ではとにかくボーカルが充分に聞こえるようにする。
出来る限りの大音量でプレイしていたオレ達もそうだった。だから
何もかもがちょっと調子外れだった。でもみんな慣れっこになっていた。
何しろ毎晩のようにやっていたことだからね」

2002年、ついに初めて71年のGFRのライブレコーディングを集めたCDが
発売された。「Live-The 1971 Tour」はAre You Ready, Paranoid,
T.N.U.C, Inside Looking Out, Into The Sun といったLive Albumにも
収録されて親しまれているナンバーが含まれている。今やこの2枚の
ディスクは オリジナルパワートリオであるGFRのファンにとって
極めて重要な記録である。バンドがこうした曲をLive Albumが出た後も
ずっとプレイし続けていたという事実は、これらの曲がバンドと観客の
両方にとって如何に大切であったかの証拠となっている。
これらの曲の演奏の素晴らしさからいえばLive-The 1971 Tourだろう。
その前年に収録されたLive Albumは多分ギリギリの状態で演奏している。
初期のライブレコーディングには初々しさや新鮮さ、野性味が感じられる。
318まっくん:03/12/05 19:59
Live Albumは とてつもないサウンドで骨の髄までゾクゾクさせてくれた
バンドに対して 全国のGFRファン達が、好意的な評価を(おかしな
言い方に響くかも知れないが 彼らの感謝の意を)表現することが
許された初めての機会を象徴している。70年11月の新聞記事によれば
Live Albumの先行予約の総計はレコードが75万枚 それにプラス、
カセットが25万本だったと言う。当時キャピトルレコードのどんな
タイトルもこんな記録的な数字は出していなかった。テリー・ナイトと
バンドのメンバーはこの2枚組のレコードに安い小売価格をつけるよう
要求してそれを実行させた。その年のクリスマスシーズン 何百何千もの
若者たちが大挙して彼らの地元のレコード屋に押し寄せて お気に入りの
バンドによるこの特別な記念碑的レコードを手に入れるために 喜んで
1ドル札を5枚支払った(70年の価格相場としても格安だ)。
子供たちの多くは 恐らくまだGFRのショウを見たことがなかったに
違いない。彼らは子供すぎたし他の理由からも彼らの両親は子供たちを
そんな所へは行かせようとしなかった。しかし今、ついに彼らは
次善のものを手に入れた。
「こういうことさ」ドンが伝説的な初期のライブレコーディングを語る。
「GFRと聴衆が一体となっていく事が全てだった。分かるだろ?
オレ達はみんな『ひとつ』だったんだ」

Steve Roeser
319まっくん:03/12/05 20:10
 オマケ ジャケット裏にあるコメント

このグループ自身の真に歴史的なドキュメントをお贈りするために
本来の姿を編集することは避けた。このレコードの全ての曲は
オリジナルテープから全く修正を加えずに収録された。
このレコーディングにおいては エコーのようなものまでテクニカルな
助力は一切ない。そしてここで聴ける全ての事象は 彼らがしたこと
そっくりそのままである。
このアルバムは現実のコンサートにおけるGFRのライブレコーディング
である。曲間の中断は無いように整理されている。


 ・・・という事でここら辺あたりが一連のライナーノーツの中の
 白眉なのでは?と思われますが 相変わらずアヤシイ脳内変換です
 ツッコミどころがありましたらご教示ください
 Americanband位までは何とか辿り着きたいもんです
>>296-319
おつかれさまです。最高!!
>>296-308
おれとかもサードがいちばん好きです。最高!!
>>310-319
おれとかが、なんでGFRが大大好き好きなのか、
改めてわかってきた気がします。
321まっくん:03/12/06 09:31
>>320
3rdの話題を余り聞かないので淋しかったのですがいいアルバムですよね
(っていう自分は今回の再発で初めて聞いた・・・)
次の「サバイバル」はさらに評判を聞きませんが捨てがたいです
今年中には何とか訳してみます
322伝説の名無しさん:03/12/22 01:21
保守
323伝説の名無しさん:03/12/22 13:57
>>321

(゜o゜;) ドキドキ...
324まっくん:03/12/27 23:09
やっぱり年内は無理でした・・・・_| ̄|○

来年は結成35周年(多分)
それまでしばらく落ちてきます
皆様よいお年を
325伝説の名無しさん:03/12/29 15:01
昨日ライブアルバムっていうレコード350円で買ってきたよ!
凄いかっこいいねこのバンド得した得した
326伝説の名無しさん:03/12/29 20:05
ome
327まっくん:04/01/07 22:02
あけおめです!!!
な・な・なんとマークが自分のバンドで2月に来日するらしい!?
とりあえず東京は中野サンプラザ あとは大阪、名古屋らしい
余りに唐突な事で実感が湧きませんが まずは一報まで
ホンマかいな?
328加護は考えた。:04/01/08 09:09
>327
ttp://www.zak-tokyo.co.jp/artest/Mark/Mark.html
そう、おれとかももちろん中野サンプラザに見に行く予定!!!!
329まっくん:04/01/09 22:08
早速11日のチケットをゲットしました!!!
まさかマークを生で見れる機会が来るとは・・・
未だに実感がわきません
ちなみに全席指定の¥7.500なり!
330ウエスト:04/01/12 07:12
初参加です。GFRのリマスターCDを聞きましたが、随分音質がクリアー
になってます。特にベースの録音レベルが上がっているようです。
1度御視聴下さいな。
331まっくん:04/01/12 23:35
マークのジャパンツアー!!
主催はニッポン放送、及びInter FM
ニッポン放送ではぼちぼちスポットを流してるようです
Mark Farner of The Original Grand Funk Railroad Japan Tour
と銘打っているところをみるとドン達の新GFRとはやっぱり微妙な関係か?
果たしてAmericanbandは演るのか?っとその前に客席は埋まるのか?
さまざまな憶測が乱れ飛ぶ公演1ヶ月前だーっ!!!
332伝説の名無しさん:04/01/16 17:43
思い出すのは22年前の再結成武道館ライブ。
あの時の感動と興奮が蘇る。。。

なんちて。当時漏れは小学生だったけどね。マクロスと飯島 真理に夢中ですた。

後から知人のFMライブエアチェックしたので聴いた。そのときはじめてハードロック
なる音楽を聞いた。正直、よくわからなかった。当時はキッスさえも暗くて怖かった。
YMOばかり聞いていたのに、YMOはすぐ解散してしまって興味が失せた。
そんなときクラスの奴から貸してもらったのがレインボーとこのGFRのライブだった。

レインボー(アイサレンダー)にはすぐにハマったけど、GFRは?だった。
メロディーが無くて単調で金切り声で絶叫だったがテクノの反動で泥臭くて汗臭い
ブルース系のロックに次第に惹かれていき。。。いつしかメタラーに。。。






でも当時ストーンズに出会ってなくてホントによかったと思う。あやうく人生踏み外すところだった。
333まっくん:04/01/18 18:24
GFRの公式ページ(ドン達の方)にドンのインタビューがあったので
ちょっとだけ訳してみました。実際はかなりな量です。
おそらく去年のツアー中か?

Q さて 今やあなたの星条旗コスチュームは(新生GFRの)ステージで
定番となっていますね? それは実際あなたにとって何を意味しますか?
A オレの時代掛かったファッションの意味かい? 単なる星条旗
コスチュームではなくオレの毛皮のコートと帽子・・・みんなオレの
十八番だよ。誰でもちょっとした十八番が必要なものさ
Q それは今現在の愛国的、政治的な空気を含んでいるのですか?
あなたはアメリカ人であることを誇れますか?
A いいや、それは単に仕事だと思っている。それは単にどういう音楽か
っていう表明だよ。オレ達のロゴがそれを表現している。オレ達は
1973年の昔から星条旗仁「指差し」をあしらってきた。「合衆国は
君を望んでいる、そう、オレ達も君を望んでいる」と言う意味さ。
オレ達はアメリカンバンドだ。オレ達はそれを誇りにしているし
アメリカの全てを誇りにしている。それはただ単に9.11のためじゃない。
オレ達は常にそうだった。それが全ての英国バンドからオレ達を
特徴づけるものだった。「ヘイ!オレ達はアメリカンバンドだぜ」ってね。


この辺の彼らの心境はやはり複雑なのだろうか?
マークはドン無しでもアメリカンバンドを演るのだろうか?
334まっくん:04/01/18 23:36
 続きです

Q 我々の読者や 11日のあなた方のコンサートに行くであろうう
聴衆の多くは軍の関係者です。ここは2.3の軍事基地から数マイルしか
離れていないのでね。彼らの多くがあなたの曲We're An Americanband
を彼らと共に異国の土地に持っていくのを知ってどう思われますか?
あなたの書いた曲がある種の賛歌のようになっていくのをどう感じますか?

A 分からないな。そういうやり方であの曲を書かなかったことは
とても幸運に思うよ。オレ達がこの曲のアイディアを考え出し そして
それは全てに英国バンドとEinglish Invasionに対するある種の反抗
だった、という風聞はいつもあったよ。でもそれは全然違うよ。
あの歌はまったく無邪気なものだよ。
オレはギターは上手くないけど暇つぶしにコードを弾いていた。
オレ達はアルバムPhoenixのツアーに出ていて 次のアルバムの
シングルを考えつかなきゃならなかった。そしてオレ達の背後は
壁に直面していた。テリー・ナイトはオレ達を訴えていて あらゆる
ところでオレ達は訴えられていた。オレ達には将来がどうなっていくのか
分からなかった。そしてこんな考えがオレの頭に浮かんだ。「オレ達は
ツアーに出ている。みんなの町に行ってパーティーの手伝いをするんだ」
こんな感じだ。オレ達が色々な町に着く。そうしてこう言うんだ。
「来いよ パーティーに来いよ こっちだぜ。オレ達はAmericanbandさ」
それが頭を転がりだしてコードをつけるとサウンドがイカしてきた。
オレはプレイしてみた。それからツアーがどんな風だったかの断片を
付け加えた。
335まっくん:04/01/18 23:38
オレ達はFreddie Kingとツアーをした。彼は偉大なブルースマンだ。
そしてオレ達はFreddieとショウをやる事を本当に望んでいた。
しかしオレの生涯で出会ったもっともクールな事のひとつになるが
彼が「オレのバンドは毎晩オレとポーカーをしなきゃならんぞ」と
言い張ったんだ。それはつまり彼がバンドに払ったギャラを
勝って取り戻せるようにだよ。みんないつも破産していたっけ。
だからFreddieとポーカーをやらずして彼のバンドにいることは出来ない。
そして彼から支払われたギャラは また彼に巻き上げられてしまう。
これが次の一節の元になったんだ
Up all night with Freddie King and I gotta tell you Poker's his thing.

These four young chiquita's in Omahaはもうひとつのエピソードだ。
ホテルのロビーに4人の女の子がいたんだ。勿論オレは詩を少しばかり
膨らませてエキゾチックで面白く響くようにした。
これが当時のいきさつの全てだよ。オレは本当に賛歌のようなものを
意図して作るつもりはなかったんだ。でもそれは(Americanbandが賛歌
のように解釈されるのは の意か?)素晴らしいことだと思うよ。
驚くべきことだね。

オレ達はアメリカ文化の結晶の表現だと本当に思うよ。オレ達は単なる
ガレージバンドさ。オレはミシガンのシュワルツクリーク出身で
そこはフリント郊外の小さな町だった。いつもバンドをやっていたよ。
いつも自分の家の地下室で仲間と練習をしていた。そして近所の人達は
みんなオレが何をやっているか知っていた。そしてみんなバンドを聞き
騒音やたわ言を我慢してくれた。それはアメリカの風土の一片だった。
そしてGFRはその一部分だったんだ。だからこの曲はまさにオレ達が
何であるかを表現していると思うよ。
336まっくん:04/02/04 21:23
マーク来日まで1週間! 辛くも復活 ドンのインタビュー続きです

Q 多くのバンドが世に出ましたが ただのバンドに終わらずに
ロックの象徴にまでなったのはどんな気分ですか。
こんな風になるなんて思っていました?

A オレは全くそんなふうに見ていないよ。全くね。オレは自分を
ミシガン生まれのただの男だと思っている。そして素晴らしい妻と
子供たちに恵まれていて そんなたわ言は引っ込めるよ。とても幸運だと
思っている。We're An American Bandについても同じように考えている。
オレはこの曲を作り歌った男で 30年以上過ぎてもこの曲が巷で
流れている事をとても幸運に思う。まったくオレにとっては「おお!
これは恐ろしくスゴい事だな」っていう感じさ。
とりわけ70年代は全ての批評家がオレ達を酷評していた。Rolling Stone誌
はオレ達を嫌っていた。そしてこの曲は未だに巷で流れ オレ達は未だに
聴衆を引きつけることが出来る。みんなオレ達の曲を知っていて
曲が始まるとたちどころに歌詞を歌いだすんだ。スゴい事だと思うよ
オレ達は本当に恵まれているよ。

Q そのネガティブなマスコミがまさに 10代の若者をさらにあなた方の
レコードを買うように駆り立てたとは思いませんか。

A その通りだと思う。ああいった酷評がオレ達の音楽を気に入った
人々の意志をさらに頑なにしたんだと思う。人々は批評家のたわ言が
不公平で個人的な物だということが分かっていたからだろうね。
「アンタらはGFRが気に入らないっていうわけかい? オレは奴らが
好きだね! まったくアンタらはゴタクばっかり並べやがって ブッ」
337まっくん:04/02/08 22:35
 マーク来日3日前に辛くも規制解除! 続きです

Q 何千もの恐らく同じくらい才能のあるバンドが消えていった中で
GFRが成功できたのは何故だと思いますか? アイドルの二番煎じ
といった連中の事ではないのですが。

A ただ単に時と場所が正しかった と言う事だろうね。ちょっとした
要素の組み合わせが合っていて正しい時にそれが進行したと言う事だね。
そしてそれが正しい道の判断を生み出す。
オレとマークで以前に組んでいたThe Fabulous PackをやめてGFRを
結成する時に オレ達はある重要な決断をした。(当時)オレ達は
カバーバンドになりつつあった。金を稼ぐためにカバー曲ばかりを演奏し
クラブやその類いの店にハコで入っていた。そうやってオレ達は金を
稼いでいた。しかしメルを加入させてGFRを結成した時に オレ達は
カバーバンドにはならない事を誓ったんだ。(当時)Grandee Ballroomや
Fillmore等といったThe hippy placesが現れてきていた。オレ達は
デトロイトのGrandeeに行ってそこに出ているバンドを観察した。
そして こうしたアングラムーブメントの動向を目の当たりにした。
全てのバンドはオリジナル曲を演奏していた。そして聴衆も総じて
それを受け入れていた。こうしてオレ達は たとえ飢え死にしても
カバーバンドにだけはなるまい と決意したのさ。そしてオレ達は
まさにそれを実行した。オレ達は遂に本当に厳しい時期をやり抜いた。
カバーバンドになりたくなかったからね。人は決断を下さなければ
チャンスを掴めないものさ。これがオレ達がした最大の決断だね。
それは確かにいい結果を生んだ。おかげで否が応でもオレ達は
オレ達自身にならなければいけなくなった。
338まっくん:04/02/08 22:37
Q 今、奮闘しているミュージシャン達に そのこと(オリジナリティを
持つこと?)を推奨していただけますか?

A いいや。時代が違ってしまったからね。それはあの当時の時代の
ムーブメントだったから オレ達はその時流に乗ることができた。
当時はレコードもアーティストも他と違っている事によって世に出ていた。
もし他の連中と違うものを思いつければ それでラジオの電波に乗る事が
出来た。今はそのやり方じゃ無理だね。誰もそんな曲を流そうとしないよ。
全く時代が変わってしまったね。だから今この時代に個性が必要だなんて
言う気は全然ないよ。オレはそもそも今どうやってバンドが世に出るのか
知らない。業界のシステムがどうなっているのかも知らない。ラジオ局は
みんな休業してしまったね。バンドをやっている連中と話すと 彼らは
みんな当然のように自分たちのウェブサイトを持っている。そして
ごく限られた取り巻き連中の輪を作ろうとしている。あっちこっちの
クラブで演奏しCDは彼らのウェブサイトで売るのさ。でもどうやって
そこから全国的に知られるようになるんだい? オレには分からないね。
339まっくん:04/02/08 22:38
Q あなたはGFRとして演奏しなくなった年月を残念に思いますか?
バンドを離れた時は嬉しかったですか?

A イエイ!とても嬉しかったよ。オレ達が現役中にバンドを解散
(休止?)する事を決断できたのは ある種幸運だったとオレは思う。
実際のところはディスコブームの到来でオレ達は最後の決断をした。
オレ達はただ話した「ディスコブームにはついて行かない。ここで
もうやめよう。もし将来 機会が巡ってきたらまた演ろうぜ」
そしてオレ達は解散した。それがベストの選択だったとオレは思うよ。
オレ達は80年代の初めにカムバックしようとしたけど 当時はまだ
早過ぎたね。まったくヒドイ時代だったよ。みんなオレが言うところの
リアルロックから離れていって産業ロックの方に行ってしまった。
そんなわけでオレ達にとっては悪い時代だった。そしてオレは幸運にも
Bob Segerの仕事を得て 外の世界から企業の一員となった。だから
オレはオレ達のしたことが正しかったと思う。それにしても こんなに
クラシックロックのラジオ局やアーティストのCDが溢れるようになるとは
夢にも思わなかったよ。当時の誰もこんなことを考えていなかった。
誰も予想は出来なかったけれど 全てが戻ってきた時には オレ達は
みんな年を取っていて何とか家族を養っていた。そしてオレ達は
ここにいる。「ヘイ 外へ出てプレイするなら今だぜ」 スゴい事だね。
340まっくん:04/02/09 22:15
 いよいよあさってか・・・・ 続き

Q 60年代から70年代初頭にかけて GFRは疑いもなく大きな現象であり
ロックの革新者でした。あなたの考えではGFR現象とは何でしたか?

A そうだね。当時は2.3の動きが進行していた。オレ達はその時に
生れたパワートリオのうちの1つだった。オレ達はJimi Hendrix
Creamといったパワートリオの後に続いた。Johnny Winterでさえ
トリオで演っていた。しかし彼らは皆ブルースをベースにしていた。
彼らはまさにブルースを取り入れ それを白人的なやり方で演奏した。
そしてアンプの音量を上げ当時のヒッピーのように派手にした。
オレ達はデトロイト郊外のフリントで育った。だからブルースよりも
R&Bに強い影響を受けている。オレ達はMotown, Muscle Shoals,
Memphisといった音楽にのめり込んだ。Howard Tateにも影響を受けた。
そしてマークの曲であれカバーであれ(ずいぶんカバーをしたもんだよ)
オレ達は自分たち流に料理しようとした。オレ達のやり方とはこうした
R&Bの影響を保ちつつ ボリュームを上げ強烈なロックスタイルで
プレイすることだった。この事がオレ達をまさに個性的にしていたと
オレは思うよ。スローグルーヴであればヘヴィスローグルーヴに
速いグルーヴだったらもう踊りだしたくなるくらいに、でも当時は
踊りだす人はいなかったね。踊るのはその後のディスコブームが
到来してからだった。それにしても ブルースよりもR&Bに強い影響を
受けた事は ずいぶんオレ達をユニークにしていたと思うよ。
341まっくん:04/02/09 22:16
Q 自分たちの音楽に満足していましたか。それとも他に夢想する
ものがありました?

A 音楽は夢想なんかじゃなく まさにオレ達は何であるかという
ものだったと思う。それがオレ達の音楽に対するアプローチの方法だった。
オレ達がEric Burton & The Animalsのアルバム(ブルース色が濃い
60年代スタイルだった)で聴いたInside Looking Outを取り上げた時も
オレ達流のやり方で演った。オレはヘヴィメタルという言葉を使うのが
嫌いなんだ。ヘヴィメタルは80年代にならないと出て来ないのに 皆は
初期のGFRの音楽をこのジャンルで括りたがるようだね。でももう一度
言うけど オレ達はパワートリオで実際にオレ達がプレイしていたのは
当時で言うところのハードロックだったんだ。そしてそれがまさに
オレ達の音楽のやり方だった。オレ達はもう座っていられなくなった。
「これこそがオレ達だよ。このやり方で行かなくてどうするって
いうんだい?」オレ達はフリントのスタジオで練習した。そして
ショウの為の練習であれアルバムの為の曲作りであれ 全ては
ジャムセッションから始まった。スタジオに入るとすぐに延々と
ジャムを繰り広げたもんだった。それから「イェイ!さっきのヤツは
良かったな。あれはイカしたサビになるぞ。あいつをこの曲に使おう」
っていう感じでジャムから曲を構成してアレンジするんだ。
全てはジャムる事からだったよ。
342まっくん:04/02/09 22:18
Q もし当時に戻って何かを修正するとしたら何を修正しますか。

A 何ひとつ無いね。今振り返れば そういう時代だったということさ。
80年代のバンドはみんな随分誤魔化しが上手くなったね。彼らのレコードの
サウンドも良くなった。それに引き換えオレ達の初期のレコード 特に
1枚目から3枚目はかなり荒削りだ。それがなおさらアルバムを良くして
いるようにオレは思う。だからそれは見方の問題だね。あの頃オレ達は
数日間でアルバムを録音していたもんだった。リハーサルは2.3週間で
そこで出来る限り欠点を無くすようにした。それからスタジオ入りして
数日間でアルバムを作り上げたんだ。ミスもそのままにしてね。
それからオレは ラジオからアルバムの曲が流れてきてこうしたミスを
聴かされるハメになるんだ。「ウワー 神様 やっちゃいました」
でも誰も気づかなかったね。それが全く正直なところだし凄いと思うよ。
今や過去に戻って変えたいものは何もないね。
GFRはオーバープロデュースではなかったから 聴衆に訴えかけるものが
多くあったんだろうね。それはオレ達のまったく偽らざる表現だった。
Todd Rundgrenやもっと商業的なプロデューサーと仕事をした時でさえ
オレ達はなおもロックンロールバンドであることに徹していた。
オレ達は後戻りして手直しをするのに多くの時間を費やす事はなかった。
もし何かあってもそのままにしておいた。
343まっくん:04/02/09 22:21
Q 恐らく(当時)ガレージバンドをやっていた連中は「いったいGFRは
どうやってこれを演奏してるんだろう」と頭をひねった事でしょう。
そしてあなた達のミスを一生懸命コピーしようとした。

A オレ達のミスを完コピ? まさかね。

Q そうしたミスも含めGFRのユニークなサウンドが他のバンドによって
模倣されることはありませんでした。それは何故でしょう。

A オレ達は全くのガレージバンドだったからね。オレ達はニューヨークや
ロス、シカゴといった大都市の出身じゃなかった。オレ達は敬意を払われる
大スタジオのミュージシャンでもなかった。当時は(そういった)
スーパーバンドが出てきていたが オレ達はミシガン出身の平凡な男達
であり その事でオレ達はローカルの壁を突き抜けるたんだ。
その当時でさえオレ達はミシガンが本拠のバンドっていう以上の存在
ではなかった。実際デトロイトのバンドでさえなかった。オレ達は
どちらかといえばデトロイトの郊外にいたからね。だからMC5
Nugentといった多くのバンドはデトロイトが本拠だが オレ達は
そうした音楽シーンの一角にすらいなかった。オレ達は町の片隅で
結成された全くのガレージバンドだった。だから多くの人達がオレ達に
本当に共感してくれたんだと思うよ。「おお なんて普通の男達なんだ」
と皆は言った事だろうね。オレ達の音楽やレコードから伝わったのは
そういう事だった。
344まっくん:04/02/10 18:27
 マークは今ごろ都内でスシかなんかつまんでるんだろうか?
 いよいよ明日!!!!

Q あなたがこの仕事を始めた時 何がやりたかったのですか?
スターになりたかったのか それともただプレイしたかったのか

A オレはいつもロックスターのなりたかった。まだほんのガキの頃
からね。エド・サリバンショーでプレスリーがBlue Suede Shoesを
演っているのを見たんだ。よくプレスリーの物真似をしたもんだった。
親父はオレをバーに連れて行くとジュークボックスにコインを入れて
Blue Suede Shoesをかけた。そしてオレをテーブルの上に乗せて
言うんだ。「ほら お前の物真似をやって見せろ」そしてオレは
そいつをやったもんだった。最初にバンドを始めたのは確か9才か
そこらだった。それで学校のコンテストに出たんだ。本当にバンドが
やりたかったよ。学校の上級生がやっていたバンドにエラく感動したのさ。
彼らの名前は覚えていないけどね。しかし彼らはJerry Lee Lewisや
Chuck Berryの曲をやっていて オレは「あの人達がやっている事は
なんてカッコいいんだ」となったわけだ。そうしてオレはとにかく
バンドがやりたくなった。運良くバンドを始めプロになって金を
稼ぐようになってからも ロックンロールはまだカッコいいものだった。
オレは15才で運転免許はなかったけど パーティーなんかで演奏して
金を稼いで家に帰った。そしてオレは「ワオこれは素晴らしいじゃないか」
と思ったんだ。
345まっくん:04/02/10 18:30
Q 後の多くのアーティスト達は GFRから大きな影響を受けたと
言っていますが あなたの作曲や演奏に影響を与えたバンドは何ですか。

A CreamとJimi Hendrixからは オレ達は常に大きな影響を受けた。
Motownのヒット曲もそうだ。The Young Ras calsからも影響を受けた。
彼らはR&B的だったからね。そしてニューヨーク的だった。彼らに
ベース奏者がいないのを オレはいつも興味深く見ていた。ハモンド
B3オルガンとそのベース鍵盤であらゆる事をこなしてしまうんだ。
それが凄くカッコ良かったよ。そしてFelix Cavaleriのボーカルは
R&B風 Blue Eyed Soul風だった。Dino Danaliは好きなドラマーの
1人だよ。彼には夢中になったな。エド・サリヴァンショーで見たんだけど
彼はドラムのスティックをステージの天井近くまで高く放り投げて
落ちて来たところを受け止めるのさ。それがえらくカッコよかったんだ。
346まっくん:04/02/10 18:31
Q バンドにとって最もポピュラーな曲の作者があなたである という
事実が あなたとマークとの間の軋轢の原因だったのですか?

A かつてはいくらかそういう事もあったかも知れない。でもそれは
違うんだ。オレが曲を提供し始めたのはFMラジオ局が台頭してきた
後のことだった。FMラジオはアングラ的な風潮を新しいコマーシャルな
Top 40に変えつつあった。そしてオレが曲を提供し始めるより前は
オレ達は基本的にアルバムの曲やステージ用の曲作りに専念していた。
当時は7分の曲でもラジオ局はちゃんと流してくれた。それから72年の
終りごろになると もうどこも流してくれなくなった。曲は3分か3分半で
売れセンでキャッチーなサビとコーラスがある。こうした曲じゃなきゃ
いけなくなったんだ。オレが乏しい知識や才能で作曲を始めた頃の状況は
こんな風だった。しかしおよそ心もとない素質だったけど オレが
作り出したのは よりコマーシャルな曲だった。

Q ガレージバンドというロックの新ジャンルをどう思われますか?
今はガレージバンド専門のラジオ局さえあるのですが。

A 凄い。それは素晴らしい事だね。レコード会社はMP3が普及した
おかげで危機的な状況にある。彼らは保持している音源の流通経路を
失ってしまった。そしてラジオ局は売り上げに左右されずにレコードを
かけることが出来る立場にある。レコードを流すのに 今までとは全く
違ったシステムが出来てきているんだね。それは無限の宝箱のようだよ。
それにひきかえ中波の広域放送のような所は新しい才能を見いだしたり
新しい曲をかけたりする事をしないできた。こういうラジオ局で
何か新しいものを聴く事はめったにないね。だから世間の人々は
うんざりして ラジオを聴くのをやめ そうした事を変えようとしない
ラジオ局の広告をサポートするのもやめる、とまで言っている。
彼らは変わらないだろうね。オレはこういうラジオ局をアメリカ中にある
ショッピングモールのようなものだと常々思っている。どこへ行っても
同じものばかり。人々が同じものにうんざりするようになるまでは
何も変わらないだろうね。
347まっくん:04/02/10 19:12
斜め読みのつもりがだいぶハマってしまった・・・ ソースはこちらです
http://www.grandfunkrailroad.com/lkinterview.htm

以下私めの雑感

ドンやメルにとって今の新生GFRは
野球のマスターズリーグみたいなものだろうか
そこら辺がマークとは相容れないところだとしたら
何となく分かる気もします。
マークはマイナーながらもアルバムを作り続け
ライブをやり自分の音楽を捨てることはなかった。
恐らく死ぬまで現役っていう信念があるんでしょうね。
明日は名実ともにドンの曲であるAmricanbandはやるんだろうか?
やってくれれば嬉しいですが やらなければそれはそれで潔いかも
何十年ぶりかで彼らの音楽を聞き直して
ますます彼らの男気に惚れ込んでしまった自分としては
今のこうした状況は残念ではありますが
40周年にまた何かやってくれることを期待!

という事で明日です!
このトシになってこんな機会が巡ってくるとは!
マークの熱いギターと歌が生で聴ける!?
イカン だんだん浮き足立ってきた・・・
348加護は考えた。:04/02/11 13:24
>>333-347
いつもいつも、おつかれさまです。thx!!  最高!!

おれとかも、これから、中野サンプラザに行ってきま〜〜す!!
349まっくん:04/02/11 21:20
皆さん お疲れさまでした 今帰宅しました
とりあえず Thank you Mark!! カッコよかったぜ!

声の若々しさ シャープさは予想していたとはいえ凄かった
おっ そろそろキツそうだな と思っていると
イキナリ復活してガツーンと来るのには
彼の底知れないパワーを感じました
350まっくん:04/02/11 21:35
余韻が残っているうちに曲順を書いときます(すでにアヤシイですが・・)

1. Are You Ready
2. Rock'n Roll Soul
3. Footstompin' Music
4. Time Machine
5. Heartbreaker
6. Into The Sun
7. Mean Mistreater
8. We're American Band
9. Sin's A Good Man's Brother
10. Bad Time
11. Loco Motion
12. Some Kinda Wonderful
13. Inside Lookin' Out
14. Closer To Home
351まっくん:04/02/11 21:58
真ん中あたりの曲順はあやしいです 補足お願いします
Americanbandは何のてらいもなくやってくれた・・・
(つまらん事書いてスミマセン)
あと 会場にサビになると星条旗を振ってた人たちがいた
最初のお約束の3曲もタイトでしたがラスト2曲の密度は凄かった
Closer To Homeで会場から歌声が起こったのには涙・・・
(大合唱とまではいきませんでしたが)

全体で1時間半ほどのショーでした
初日で機材の調子も悪かったようですが
今夜は楽しんでってくれ!ていう心意気が伝わってきました
自分としてはマークの勇姿を拝めただけでも充分涙、涙でしたが
マークはこれからどこへ向かうのだろう

名古屋、大阪の方 よければレポよろしくお願いします
352伝説の名無しさん:04/02/11 22:34
・1階は後ろ3列ぐらいを除いてほぼ埋まってた。
 俺の席から2階は見えなかったけど、2階は開放してたの?

・マークはルックスはともかく、声はCDと一緒。
 あの年代のハードロック歌手で、あれだけ声が衰えてないのは凄い。

・1階の前の方は、足腰が立たない人達の集会ですか?
 お前ら何しにハードロックのコンサートにきてるのかと。俺と席変われと。
 中央の彼女連れのニーチャン一人が頑張ってたような。


・アメリカンバンドで星条旗を振って会場を盛り上げてた客は、
 係員に注意されて旗を引っ込めさせられてた。
 もう係員アホかと。
353伝説の名無しさん:04/02/11 22:50
一番聴きたい曲で前回演らなかった「INTO THE SUN」やってくれたのは
嬉しかったけど、ちとショボかった。
354伝説の名無しさん:04/02/12 00:44
マーク・ファーナーよかったよーーーっ!
30年以上聴き続けてるファンです。
オレが高校の時に1番感化されたバンドのリーダー。
涙でたー!
しかも今回は前から3列目
マークにSome Kainda Wonderfulの時マイクを指された!
この年になってもうれしい!
しかし今日はキーボードの調子が悪かったみたいね、残念。
「パラノイド」やって欲しかったが無理か。
名古屋も大阪も行きてー!
355伝説の名無しさん:04/02/12 02:32
まぁ、後楽園逝った俺としてはそれなりに感慨もあったし楽しかったよ。
でもN'rGのライブと同じメンツなの?あれ。
なんかリハ不足って感じがチラホラしたんだけど・・・
それにキーボードだけじゃなくてギターもなんか調子悪かったみたいで
何度もスタッフに渡してたね。
それにしてもギターのスペアくらい持ってこいよなぁ(w

赤坂ブリッツでやったParanoid今回もやって欲しかったなぁ。
でもInto The Sunやったからいいや。出来たらアンコールにやって
欲しかったけど。

1階席の最後部で一人でぎゃーぎゃー騒いでたのは俺です・・・
でも、今日もそうだったけど、この手のオールドタイマーな来日ライブ行くと
いかにもかつてはロック少女でしたって感じの中年女性いっぱいいて
結構色っぽく見える人が多いのはやはり昔の輝きが蘇るからでしょうか?
そういうのを見るのも、この手のライブの楽しみの一つだったりします、正直。
でもそういう女性の輝きに比べて男は「おっさん頑張ってるなぁ」とか「なんか
無理してるなぁ」とかしか思えないのはなんででしょ?・・・
356伝説の名無しさん:04/02/12 03:18
ドラムへただったけど、アンコールのドラムソロでドン・ブリューワーの
ドラムソロを真似してみせるサービスの良さは、気が付いた人少なかった
みたいだけど誉めてあげたかった(w
357まっくん:04/02/12 19:03
今ごろは名古屋もヒートアップしている頃?

Heartbreakerの前あたりでマークが
「オレがギターを引き始めたのは・・・12・・・・・いや15位か・・・・」
「みんなこの曲を覚えているかな オレがこの曲を作ったのは
16・・・・・・・・・・いや18だったっけ・・・・・・・」
機材の不調で少し間が空いたとき客席から「タップリ行けーー」の声
マーク「Ah・・・・・・・・・・Ha・・・・・・・・・・」
こんな感じだったかな? 何となく微妙に笑えました
ラストあたりのマークのメッセージは
I hope・・・・・Music・・・・Peace・・・・・We're dhildren.
みたいな感じでしたか? よく聞こえなくて残念

私の周りはみんな大体立って拳を突き上げてましたが
身じろぎもしないで座ったまんまの若い子がいてチトワラタ
まあ、オジサン、オバサンがノリまくる
異様なシチュエーションではありましたが・・・・
358伝説の名無しさん:04/02/12 22:22
>>352
>あの年代のハードロック歌手で、あれだけ声が衰えてないのは凄い。
>1階の前の方は、足腰が立たない人達の集会ですか?
 お前ら何しにハードロックのコンサートにきてるのかと。俺と席変われと。
 中央の彼女連れのニーチャン一人が頑張ってたような。

同意!
中央のにーちゃんも頑張ってたが、その少し右後ろの若そうなねーちゃんも
頑張ってた!えらい!
ちなみにオイラも頑張ったぜ!
マークが客席に投げたドラムスティック拾った人だれー?
359伝説の名無しさん:04/02/13 01:12
>>357
HeartBreakerのイントロ弾き出す前に
「みんな、この曲思い出してくれるといいな・・・いや、俺も思い出せるといいな」って
笑い取ってたね(w
ロコモーションでは3コーラス目の歌詞間違えてたし。
360伝説の名無しさん:04/02/13 01:32
明日の難波ハッチ、当日券あるかな?
361伝説の名無しさん:04/02/13 20:11
前の方にあれだけ座られると、演奏してる方もやる気なくすよなぁ。
ライブ全体のノリに水を差されたかんじ。
俺は一番後ろの方だったけど、最前列真ん中のお兄さんが
一緒にきてる女の子に「ほら立とうよ、ほら!」と言ってる様子が
伝わってきて微笑ましかったっす。

>>355
一人でクネクネ踊ってた方ですか?
362355:04/02/14 00:31
いや、クネクネはしてないすよ(w
声はよく出したけど、両脇も狭いので上体揺らすか時々手叩くか

ちなみにCloser to homeで客に歌わせたとき、周りで声出してたのは
俺だけですた・・・

ところで名古屋行った人はここ来ないのか?
363伝説の名無しさん:04/02/14 19:33
Closer to home
中野サンプラザ前列は合唱だったよ。
364まっくん:04/02/15 20:42
旨い日本食は食べれたかい?
Good Luck. Mark!
また来てくれよーーー
365伝説の名無しさん:04/02/15 21:05
来日ツアーがあったのに、この書き込みの少なさはなんなのよー(涙)
366伝説の名無しさん:04/02/15 21:20
名古屋や大阪の情報が知りたいです。
367伝説の名無しさん:04/02/15 21:33
私は、2/11の中野サンプラザのコンサートに行ってきました。始めはガラガラじゃないかとビクビクしてました。
そうしたらほぼ満員で非常に嬉しかったです。コンサート前のBGMにツエッペリンが
かかってたので少し驚きました。コンサートの内容は素晴らしかったと思います。つくずくマーク(=
GRAND FUNK)は優れたエンターティナーだと思いました。
368伝説の名無しさん:04/02/15 21:46
MARK SAYS ALRIGHT のドラムが聞けてうれしかった。SINS A GOODMANS BROTHER
が丸々聞けるとは。INTO THE SUNも良かったヨ。
369伝説の名無しさん:04/02/15 21:55
NAGOYA & OSAKA にはグランド ファンク ファン は居ないのかな。淋しいよ。
370まっくん:04/02/15 22:13
マークの公式ページに東京のコンサートのレビュー?が
アップされてました。速っ!

Wow! 東京、中野サンプラザ、2月12日の夜の何と素晴らしかった事か。
ショウの終りまで100%GFRのナンバー、それはまさに私が聴きたかった
ものだった。とくにLive Albumを聴き倒していた頃を思いださせる
古いナンバーを私は評価したい。30年余り経った後でも それらの曲は
未だにエキサイティングで 永久に残るであろう古典であることを証明
している。私はWe're An American BandやBad Timeが聴けるとは
予想もしなかった。そしてそのドラムソロには全く驚かされた。
私は会場で売られていたN'rGのライブCDを買ったのだが それ以来
ずっとそれを聴き続けている。それはボスニアのライブよりもずっと
エキサイティングに聞こえる。そんなわけで私はボスニアを再び
聴いてはいない。N'rGのライブは素晴らしい録音だ。世界中の
GFRファンの為にもっとメジャーなレーベルから発売されるべきだ。
その夜の興味深いことの1つはショウにやって来た聴衆達だった。
彼らはまさに大挙して押し寄せた。彼らの平均年齢は40代半ばから
50代であろう。「入り口の看板に40代以下はお断りってあったぜ」
というジョークさえ耳にした。
興味深かったことのふたつ目は 2階席にいた誰かが1階の聴衆を
見下ろして「まるでオセロのゲーム板みたいだな」と言った事だった。
(白髪のオジサンが多いっていう事かな?)
私は最前列のセンターに席を取った。それはいい席だった。PAの死角
であることを除けば。だから私はマークの歌や彼のギターアンプが
炸裂するのを充分に聴くことは出来なかった。HubertとLawrenceは
GFRのナンバーを生き返らす為に全く素晴らしい仕事をした。
マークに祝福あれ。そしてKeep rockin' !!!
371伝説の名無しさん:04/02/15 22:17
中野はこじんまりとしてスペースでTシャツ&帽子を売ってたみたいだけど、
開始直前にいったら、全部売り切れでした。どんなんだったの?
372伝説の名無しさん:04/02/15 22:37
キーボードプレーヤー一瞬クレイグかと思った。
373まっくん:04/02/15 22:41
N'rGのCDとマークのバイオ本が会場で販売されてましたね
私もあれ以来CD聴きまくっています
当日のラインナップに加え
Aimless Lady / Paranoid / He Sent Me You(ソロの時の曲?)が聴けます
バイオ本の方はなかなか興味深い内容ですが
私の厨房英語でまともに読もうとすると10年はかかるな・・・・・
本のオマケでCDが付いていて
これは言わばマーク流のゴスペルミュージックか?
カントリーロック風のポップなものからやたらヘヴィなブルースまで
なかなか面白かったです(音質はそれなり)
374伝説の名無しさん:04/02/15 23:16
いや、俺もそれなりに良いと思ったし、マークの歌も相変わらずソウルフルで
衰え知らずで良かったんだけどさ・・・ケチは付けたくないけど何かが違う・・・
途中でメル・サッチャーのベースが無いからだって思った。
特にGFR初期の曲でなんかちゃっちく聞こえちゃったのはあのドライブ感の
塊みたいなベースが無いからだな。
昔のライブなんかあらためて聞いてつくづく思ったけど、GFRの魅力の
半分はマークの歌だろうけど、残りの半分はあのドライブ感ビンビンの
リズム・セクションだよね、絶対。
今、GFR本家の方はマークとは別にやってるみたいだけど、オリジナル
メンバー3人での再結成激しくキボ!!!
375伝説の名無しさん:04/02/15 23:25
初期のGFRの影(?)の功労者はメルだと思う。中期,後期はクレイグ
376伝説の名無しさん:04/02/15 23:28
タイムマシーン演ってたけどハイファルティーンウーマンの方がいいな。
377伝説の名無しさん:04/02/15 23:44
ゴッド・ジス・シング・オン・ザ・ムーーーーーヴ!  聴きたい。
378伝説の名無しさん:04/02/15 23:46
ライブのハートブレイカーがすきだったなー
379伝説の名無しさん:04/02/16 00:00
MARK SAYS ALRIGHT 全部演奏して欲しかったナー。ダークな感じだけど
COUNTRY ROADなんかもライヴで演ってもらいたかった。あと戦争をやめようとか。
380伝説の名無しさん:04/02/16 15:33
やはりどうしても初期の曲に偏るのはしょうがないよ。
Mark say’s alrightはドラムソロのついでにさわりやっただけでしょ。
Don Blewerの真似っぽいフレーズは確かにやってたね。
381伝説の名無しさん:04/02/17 02:17
382伝説の名無しさん:04/02/17 03:10
仕事で行けなかったが行っとけばよかったな大阪。
383伝説の名無しさん:04/02/17 19:35
グランドファンク、ベストなライヴは?
オレ的には1975年かな、あとは1982年JAPAN!
384まっくん:04/02/18 22:00
あれからはや1週間
マークのオフィシャルページよりレビューをもういっちょ
(東京の曲順もアップされてた)

私は今日、本当に彼のショウを楽しんだ。
私が言いたいのは マークがまさにモノホンのロックバンドで
プレイしているということだ。
恐らく皆はマークが懐メロをドン、メル無しで演るというだけのものだと
思ったことだろう。私もショウが始まった時はそう思っていた。
しかし それは全く真実ではなかった!!
とにかくショウに来て彼らのAmerican Bandやinside Lookin' Outを
聴いてみるがいい。それらの曲は力強い生き物のようだった。
まったく素晴らしい。あなたは圧倒されるだろう!!
マークのサポートバンドはサポートバンドではない。
あなたも何故マークが彼らとプレイするのを選んだのか分かるだろう。
彼らはまったくもってテクニシャンでその上デカイ音でプレイする。
まさに皆はこれを望んでいたのではないだろうか。
とにかく彼はこの極東の地で素晴らしいパフォーマンスを繰り広げたのだ。
ありがとうマーク! とにかく彼を見よ!!

Nate, T
385伝説の名無しさん:04/02/21 08:43
私が高校生の時グランドファンクが初来日しました。当時外タレのコンサートに
行くなど発想すら湧きませんでした。それだけに後楽園球場へ行った同世代の人達の行動力を凄いと思
います。ツエッペリン,パープル,ヒープ等ひとつも行かなかった。後悔してます。

386伝説の名無しさん:04/02/21 09:31
アンデルセンだっけ、そんな名前のアイドルバンド?がライブで(アーユーレディ)
を演奏しているのをTVで見た。何か驚いた。GFR全盛期のヒトコマです。
387まっくん:04/02/22 20:14
厨房の頃はギターといえばフォーク(ド田舎ゆえ・・・)
エレキはおろかギターアンプすら目にしたことがなかった
ひたすら彼らのレコードの音とジャケ写からロックを体感しようと
あがいていた当時 まあそれも青春ってところでしょうか
いいトシしてまた彼らの音楽にのめり込めるのも
そういうトホホな時期があったからこそか と思います
リアルタイムな体験を持っている方はやはり羨ましいですけどね

久々の中古盤屋巡り 幻の「ボスニア」を捜すも収穫なし
ガックリして帰ろうかっていう時に邦楽盤の新譜の棚で
偶然見つけてしまった「王様伝説」(ベスト盤)!
入ってましたよ!「アメリカ人の楽団」
マークのギターも元気だ!そうる透氏のドラム最高!
ツボにハマッてしまったのはメドレーに入っていた

 ふ〜られた〜〜 か〜た思い〜〜
 ふ〜られた〜〜 落ち込む〜〜〜

何とかオリジナル盤で他の曲も聴きたい!!
388まっくん:04/02/22 21:16
何やらマークのオフィシャルサイトは空前の更新ラッシュだー
サンプラザのコンサートの写真などがたくさんアップされてます
トップページはTimemachineの時の写真かな?
http://www.markfarner.com/
389まっくん:04/02/22 21:36
たびたび失礼・・・大阪の写真もあった
こうやってあらためて写真で見るとやっぱり老けたかな?
旨い日本食もサケも楽しんだようですね
マークのやたら丁重なメッセージは社交辞令ばかりとも思えないので
ツアーの感触はけっこう良かったのでは?
もしかして来年あたりまた来てくれる・・・・かな?
390伝説の名無しさん:04/02/22 22:46
マークのコンサートは直前まで行こうか行くまいか大いに悩んだ。失望するんじゃ
ないかと非常に怖かった。でも思い切って行って良かった。
コンサートの写真をあらためて見ると又感動が蘇るよ。
391伝説の名無しさん:04/02/23 12:05
今回はパスした。やはりドンとメルは来て欲しいね。
前回の赤坂ブリッツ公演が、良かっただけに・・・
392伝説の名無しさん:04/02/24 22:22
[ON TIME]というと、CANT BE TO LONGとUPS AND DOWNSを思い浮かべちゃうんです。
有名じゃないけど、何故か心引かれます。あと2枚目のWINTER AND MY SOULとか
[SURVIVAL]のI CAN FEEL IN THE MORNINGとか[WE ARE AN AMERICAN BAND]の
AINT GOT NOBODY 地味だけどいいですね。
393伝説の名無しさん:04/02/25 18:46
おおっ かなり聞き込んでらっしゃいますな
マークの作るリフやアレンジは結構ウマイと思う
394伝説の名無しさん:04/02/25 20:36
AINT GOT NOBODYのリフなんかスゴイデスヨネ。黒光りしてるって感じで。
自分は楽器の事は良く分からないけど、マークは上手いと思うんだけど。
昔から下手だの何だのと言われているのが釈然としない。
395ウエスト:04/02/25 21:02
エイントガット・・もいいけど、最後の曲のロンリエストライダーも気になる。特に詞が良い。 
396伝説の名無しさん:04/02/25 21:05
グランドファンクの初期(3人)の映像が観たい。今までみたのは、有名な孤独の叫びを演奏してる
20分位のやつ。映画「ウイークエンドレベリオン」を20分位に編集したのとか、
アメリカのTVのドキュメンタリー番組。そんなところだ。シエアスダジアムの映像が
有るとCDの解説に書いてあったが、本当なら早くみたい。
397伝説の名無しさん:04/02/25 22:21
マークの歌詞はいいですね。自分はウインター・アンド・マイ・ソウルが好きです。
暗く重い詩が多いですね。
398伝説の名無しさん:04/02/26 09:21
「戦争をやめよう」もよくこんな曲が発表できたなと思う。1971年当時は、反戦ムード
がたかまったせいもあるだろうけど。業界で干されたりしなかったんだろうか?
399伝説の名無しさん:04/02/26 11:02
私が生まれて初めて買った輸入盤は「アメリカン・バンド」。中野ブロードウエーの3階
でのこと。でも今思い出してもあんな所にレコード屋なんて無かったのにあれは何屋さん
だったのだろう。金ピカのジャケットのいい、真っ黄色のレコード盤といい度肝を抜かれた。
肝心の中身は正直?で納得出来なかった。ガツーンと来る物が無かった。良さが解るまで時間
がかかった。ともあれ、初めての輸入盤体験は感動的だった。
400まっくん:04/02/26 20:39
あれから2週間・・・未だにGFRナンバーがアタマの中を回ってます
マークのバイオ本 From Grand Funk To Grace より

Chapter 9 Heavy Music
GFRは当時のどのバンドよりも大規模な機材を所有していた。
彼らの楽器に加え、20.000Wのフルステレオサウンドシステム、
さらに12本のマイクロフォンと2.000Wのモニターシステムを
持ち運んでいたのだ。彼らはまさしく最も音のデカいバンドだった。
彼らのユニークなサウンドはオーバードライブさせたWestのアンプを
ステージの両サイドそれぞれ7.000WのP.A.システムで可能なかぎりの
高出力で音量を上げることで得られた(それはほとんどのバンドが
やっていたことだった)。聴衆はそれを好んだが このような大音量に
長くさらされていると慢性の難聴になる危険性が 当時少なからず
認められたた。「神の御加護があったんだろうね。オレにはしっかりした
音程で歌うための聴力が必要だから。オレはピンが落ちた音さえ
聴く事が出来る。みんなは驚くけどね。オレ達は大量の機材を
持ち運んでいたけど それで最大音量まで上げることはしなかった。
だからみんなはクリアな音で聴く事が出来た。大規模なサウンドシステム
だと 小規模システムのように目一杯までドライブさせる必要がない。
だから良質で正確なサウンドが得られる。限度を超えた音量の楽器音の
中からボーカルを聞き取るのは難しい。マイクロフォンは アンプやら
そばで鳴っているあらゆる音を拾ってしまうからね。オレ達は全員
楽器の音を歪ませて演奏していたから そのアンプの轟く歪みは
そのまま保ちつつクリアなボーカルの音を得るのが主たる問題だった」
(噂ではテリーとメルは彼のユニークなディストーションベースサウンドを
編み出すために何日も苦労したという)
401まっくん:04/02/26 20:42
ミュージシャンが直面する最も大きな危険は感電のリスクだ。とりわけ
雨天の野外での演奏がそうだ。バンドのメンバーは電気ショックの
未経験者ではなかった。その事故は日本での演奏中に起こった。
GFRが日本の空港に着いた時 彼らを歓迎するために大挙して
押し寄せた大勢のファンにもみくちゃにされた。彼らは1971年7月17日
ロックバンドとして初めて東京の後楽園球場で演奏しようとしていた。
この特別なイベントは大型の台風によって台無しになった。
風は大変激しく球場へ行くために彼らが乗ったリムジンはマンホールの
フタが宙に吹き飛ばされるのをよけなければならなかった。報道によれば
暴風雨によって都内の主な5つの鉄道の路線が不通になった。しかし
Grand Funk鉄道は違った。彼らが球場に着いた時 外で何千もの人々が
すでにソールドアウトとなったショウを見ようとしていた。
(チケットを持たないファン達はゲート近くの電信柱を叩いて訴えたり
球場に入れてくれるよう泣きついたりしていた)
402まっくん:04/02/26 20:50
マークは回想する。「日本側のプロモーターがやって来てオレ達に言った。
『Ah-so さあ始めてくれ』オレ達は彼らに雨の中では演奏できない
と訴えた。まったく信じられないほど激しく雨が降っていた。しかし
さらに信じられない事には4万もの傘を持った観衆が豪雨の中を座って
いたんだ。彼らは何が何でもショウを見るつもりだった。だから
オレ達は出ていってプレイした。あのコンサートは素晴らしい経験だった」
常識的な慎重さを放棄して バンドは無情の豪雨の真ん中にある
ほとんど覆いのないステージに向かった。彼らは用心のためにラバーの
底の靴をはいた。ステージ中央の低い場所には何インチもの雨水が
たまっていた。ドンがドラムを叩くと水が弾けとんだ。ギターなどの
楽器とマイクロフォンは別々の電源回路になっていて 立ち位置によっては
非常な危険がつきまとった。(・・・・マークの立ち位置!)
マークはマイクロフォンとの距離を保つことを充分心得ていたが ある時
少しばかり近づきすぎて マークの唇からマイクロフォンに青い火花が
走った。これにはマークもかなり動揺した。メルは茫然自失だったが
ショウは続けられた。バンドにとって驚くべきことに聴衆の多くは
英語で歌い続けていた。マークは常に日本の人々の礼儀正しい手厚い
もてなしを受けた。日本は彼が訪れたりツアーをした国の中で 好きな
国のひとつだ。(現在でもマークとGFRは日本で高い人気を誇っている)


今さら気づくのもアホですが コンサート会場で買ったこのバイオ本の
表紙の裏にマークのサインが〜〜〜〜!!!!!!
しかし何だか製本が安っぽいので(ハードカバーじゃないです)
読んでいくうちにバラバラになりそうな悪寒・・・
403伝説の名無しさん:04/02/26 21:34
いつもありがとう。
404まっくん:04/02/28 23:17
同じく前書よりクレイグが加入したあたりの微妙ーーーな状況

Chapter 7 Four's A Crowd
GFRは独裁者テリー・ナイトから離れて新たに見いだした自由な活動と
彼らの音楽的な地平を拡げる事を熱望していた。彼らは4人目のメンバーを
グループに加えることを検討した。最初にHumble Pieのギタリストである
Peter Framptonが考えられたが Peterはやがて大成功する事になる
ソロ活動を開始させるのに忙しかった。問題は音楽と とりわけ
アルバム志向のFM局(その放送スタイルはGFRの様なグループに
適していて以前は彼らの曲のエアプレイを確約してくれていた)が
急速にAM局のTop 40スタイルを取り入れた事だった。通常の番組で
長い曲をかけたり アルバム一枚を丸ごと中断なくかけていたような
FM局のほとんどは もはやこうした自由や贅沢を提供しなくなった。
GFRはふたたび「適応しなければ死ぬ!」という可能性に直面した。
彼らはしぶしぶ適応することを決意した。(こうした変化は最初
バンドを空前の商業的な成功に至らせたが 最終的にはこのグループを
ここまで昇りつめさせた本質的なものを死なす事となった)

最終的にかつてのThe Packのメンバーだったクレイグが バンドの
キーボードを拡大するために選ばれた。クレイグは回想する。
「ある晩オレがプレイしていたフリントのクラブにドンが入って来た。
そしてマークの家に来て一緒にジャムセッションをしてくれるよう
オレに頼んできたんだ。コトは進んでオレはバンドに加わった」
この幸運に興奮しはしたが クレイグは突然巨大なアリーナの何千もの
観衆の前でプレイする事になり少なからずビクついた事を認めている。
405まっくん:04/02/28 23:19
クレイグをバンドに加入させるという提案にマークは動揺した。
マークは純粋に音楽的な見地からこのアイディアに異を唱えた。
マークは子供の頃からクレイグを知っていて本当に彼を好きだった。
この事がマークのクレイグ加入反対の意図をなおさら分かりにくく
している。しかしながらバンド内での決定は民主的に行われた。
マークが説明する。「ドンがクレイグ加入を提案しメルはそれに同意した。
ここでオレ達の対立が始まった。クレイグとオレは長い間ずっといい友達
だった。しかし彼のバンド加入を望まないオレの気持ちをクレイグが
気づいていた事でオレ達の友情が変化したんだと思う。もし彼をGFRの
一員にする事が無かったら オレ達は普通に仲良くしていられたと
オレは確信している。この事があってからバンドの信頼関係にある種の
緊張が持ち込まれた。オレ達はまだ一緒に楽しんでいたにもかかわらずね。
アルバムPHOENIX以後 オレ達はもはやパワートリオではなくなった。
何とかキーボードが加えられると オレ達は人々がオレ達の音楽の中に
見い出し、そしてたくさん愛してくれていた個性的なダイナミックさを
失ってしまった。(クレイグが加入した事で)ステージ上でのオレの負担は
いくらか軽くなった。クレイグに(パートを)引き継いでもらって
オレは制約なくいられるようになった」
マークによれば クレイグは言わばパーマネントのサイドマンとして
バンドに加わったのであり バンドの実質的な正式メンバーには決して
なっていない、と言う。(クレイグはバンドが崩壊する1976年まで
バンドに留まった)
406まっくん:04/02/28 23:21
「バンドがビッグになるにつれて ドンはバンドの為に曲をもっと
提供する事を強く望むようになったようにオレは思う。彼のそのような
行動の動機のいくらかには こうした曲のロイヤリティを共有し
もっと金を稼ぐ事があったと思うよ。オレが曲を書く時は詩も自分で
書く事を望んだ。この事についてドンは決して(自分も曲を作って利益を
享受する意志を?)明らかにしなかったし オレに対しても何も
言わかった。でもオレは ドンがオレ達の間の事をクリアに公明正大に
しておきたかったんだと信じている。(マークとの共作を嫌った?
借りを作りたくなかったとか?)この事を彼に言った事はなかったけれど
オレの直感では彼はもっと曲が書きたくなって一緒に曲を作ってくれる
誰かが必要になったんだね。彼はもし我々がクレイグのバンド加入を
必要としたら クレイグこそが自分の作曲を手伝える人物だと
感じたんだね」クレイグはこのドラマーの鼻歌を採譜して音楽的に
アレンジしたり彼の詩に曲をつけたりする事でドンの曲作りを助けた。
マークは言う。「ドンとオレの友情は残った。しかしAmerican Band
以降は深い友情ではなくなった。ドンがまだ農場をやっていて三輪自動車に
乗っていた頃は オレ達は湖で水上スキーなんかをしたものだった。
でも今やオレ達は2人の間のこうした距離に気づいてしまっていた。
大部分の時間 オレ達はベストを尽くし上手く付き合っていた。しかし
別のところでは ドンはクレイグとつるみ始め オレはメルと
以前に増して一緒につるむようになった」
407まっくん:04/02/29 00:11
蛇足 私めの深読み
Phoenixでせっかくクレイグがキーボードで参加したにも関わらず
アルバム1曲目のド派手なオルガンのイントロはマーク
American Bandの3曲目Cleepin'の印象的なエレピのイントロもマーク
ライブのCaught In The ActのFootstompin' Musicではわざわざ
ハモンドB3オルガンを2台ステージに乗っけてマークは自分のパートを
弾いている(クレイグもそっくり同じリフを弾いていて これはこれで
なかなか贅沢でゴージャス・・・・か?)
この辺はやはりマークと他のメンバー間で見えない火花が散っていた?
マークがキッチリ自分のポジションを固守しているように感じます
これが実質的なラストアルバムBorn To Dieになるとマークは
キーボードを全てクレイグに任せていますね
終りの予感があったのか すでに最後の決断を下した後だったのか
そんな状況がマークをそうさせたような気がします
イントロなどにクレイグの印象的なプレイが目立ちますね
自分としてはこのアルバムの4人のバンドアンサンブルの密度が
1番濃いように感じます
結局彼ら自身のレクイエムのようなアルバムになってしまいましたが

しかしロックバンド崩壊の経緯としては余りに「ありがち」な展開
GFRに限ってこんなナイーブな人間模様は無いと思ってました
連中のノー天気なだけじゃないところを垣間見れたのは新鮮!
408伝説の名無しさん:04/02/29 13:30
GFRにもこんな内部対立があったんですね。
でも最後まで、メンバーチェンジが無かったのは救いでした。
409伝説の名無しさん:04/02/29 13:35
410ウエスト:04/02/29 17:26
そう言えば、Born To Dieのジャケット写真の撮影時に、マークだけが目を開けている
写真を使うことをマークが要求し、メンバー同士でモメたと言う話を当時の雑誌で読んだ
覚えがあります。その時既にマークはソロ活動をすることを決意しており、末永く音楽活動を
行う意思表示をする為にその写真を使いたがったらしい。
411伝説の名無しさん:04/02/29 19:42
BORN TO DIEのジャケットって縁起悪いですよね。
マークだけが眼を明けていたらなおさら不気味でしたね。
412伝説の名無しさん:04/02/29 22:26
なんかクレイグがかわいそう。フェニックス・ツアーのビデオ(海○盤)を
観るとこの人凄いんだよね。ウルトラ・テクニシャン。もうちょっと評価されても
いいと思う。性格がおとなし過ぎたのかもね。
413まっくん:04/03/02 20:36
後書きに各メンバーのその後がありました(恐らく2001年当時)
クレイグは78年からボブシーガーのSilver Bullet Bandに加入
現在に至るまでずっとメンバーとして留まっている(凄いね)
クレイグは彼の娘によっておじいちゃんにされてしまった(オメデト)
彼の息子は親父の後を継いでミュージシャンの道を歩みつつある
ドンはフロリダに移った。興味深い事にやはりボブシーガーの
バンドに加わっていますね(83年と86〜87年)
さらに興味深い事にFrank Zappa(!)やPat Traversと
レコーディングセッションをしていたらしい
一時法律を勉強したが現在の法制度に幻滅したとの事???
最初のカミさんとは別れフロリダのラジオ局で人気のあった(DJ?)
Sunny Quinnと再婚。現在娘がふたり
メルは長年に渡りヴィンテージカーのレストアに情熱を注いでいる
またミュージックストアのチェーンを所有している
さらに鳥獣保護区の管理人もやっている
メルはマークと同じく敬虔なクリスチャンであり 彼の息子は
クリスチャンヘヴィメタルのバンドでプレイしている!
414伝説の名無しさん:04/03/02 22:54
四人共凄いミュージシャンなのに、浮ついた所があまり無く
地に足がついた生き方をしてるのが嬉しい。
415伝説の名無しさん:04/03/06 13:02
「ロコモーション」は「シャイニン・オン」完成後に出来たらしいですね。
むりやりアルバムに入れた?せいかこのアルバムバランス悪いと思いませんか。
「ディスティチュート・アンド・ルージン」は「ロコモーション」にはじきだされた?
とゆーとオリジナル?の曲順はどんなだったんでしょう。
1.シャイニン・オン
2.トゥ・ゲット・バック・イン
3.プリーズ・ミー
4.キャリー・ミー・スルー
5.ディスティテュート・アンド・ルージン
6.ミスター・プリティ・ボーイ
7.ゲッティング・オーバー・ユー
8.リトル・ジョニー・フッカー
違うかな。長々スミマセン
416教祖猫を噛む:04/03/06 17:45
ライブアルバムって奴良かったよ
ほかにオススメあったら教えてね

ザッパとやってるのってどう?
417伝説の名無しさん:04/03/06 19:19
>>416
「熱い激突」?私はあまり好きじゃないです。ぜい肉を削ぎ落としたサウンド等の
評価は有るんですが。美味しいとこもついでに捨てちゃったような風で。
曲は悪くないんですが。グランド・ファンクはぜい肉の魅力だったりして。
418伝説の名無しさん:04/03/07 07:37
去年アメ盤で出たリマスターのコートインジアクトをの
中古をレコファンでゲト
懐かしいなー昔も好きだが今聴いてもいいね
これ1000円は安かった
元気いっぱいの軽薄アメバンイメージがあるが
フロスト君のキーがプログレぽくていい
419まっくん:04/03/09 20:43
少し御無沙汰でした。 このバイオ本は私にはオモシロ過ぎます
辞書を引くのももどかしい・・もう少しスラスラ行きたいもんです

Chapter 10 Stoned On Stage
多くの人々の予想に反して GFRは聴衆の前では(マリファナで)
ハイになってプレイする事は滅多に無かった。彼らのキャリアの初期に
ほんの数回やった事はあった。そして彼らをその事をひどく後悔している。
彼らはアトランタのギグの前にいくらかマリファナを吸った。彼らは
曲のどこを演っているのか分からなくなるほどひどく酩酊した。
(演奏は)まったく脈絡が無くなりかなり混乱した。聴衆はそうした
彼らのパフォーマンスを喜んだが 彼らはそれがひどく嫌だった。
ファン達が頻繁にドラッグをステージに投げつけるので クスリの
作用は煽り立てられ、その場の状況はさらに厳しいものになった。
Bruce Bowles(GFRのローディ)は回想する。「ファンはマリファナの
包みをステージに投げつけた。マークの足は全くダンサーのように
機敏だった。彼はチラッと見ただけで良質なタバコを判別できた。
そして足で正確にそれを指し示してステージ横にいるローディ達の
誰かがまがい物に騙されず手に入れられるようにした。聴衆は
その類いのものを何でもステージに投げつけたものだった。オレ達は
ショウが終わってからそれを集めた。その飛んできたものだけで
スーパーの買い物袋5個分ぐらいは満杯になった」
420まっくん:04/03/09 20:44
またある時 彼らはハリウッドのWhisky A Go-Goでプレイしていた。
ショウの前に何人かの女の子がフリードリンクのスクリュードライバー
(ウオッカとオレンジジュース)をお客に勧めて歩き回っていた。
マークは少し用心して飲まなかった。「オレは全然飲まなかった。
みんなは飲んでいたよ。オレはコークなんかを飲んでいた。誰かが
一服を盛るのが分かるようにね」彼はバンドの連中に注意を促した。
メルもドンもテリーもマークの警告に全く注意を払わなかった。
彼らのローディのTom "Bookman" Deanだけはその忠告を聞いた。
(彼の体には多くの漫画のキャラクターの刺青があってコミック本の
ようなのでBookmanのニックネームが付いた)バンドには気づかれない
ように スクリュードライバーにLSDが盛られた。メルはベースのネックが
蛇のようにくねって掴むことが出来なかった、と後になって語っている。
メルとドンは曲の途中で止まってしまったり曲が終わっているのに
プレイし続けたりした。マークはその晩バンドの中で独りぼっちに
なったような気がした。音楽はひどく非現実的になったが 聴衆は
ますますハイになり喜んだ。
421まっくん:04/03/09 20:46
ステージ上でハイになったが故の喜ばしくない体験がもうひとつある。
バンドはハワイのホノルル国際競技場でプレイしていた。ドンの
ドラムソロの間に観衆の誰かがメルにマリファナの包みを手渡した。
マークはメルがその包みの中の1本を取るのを見た。そして彼を
非難するかわりにこう頼み込んだ。「そいつをオレに残しておいて
くれないかい? オレにも少しくれってば! 一緒にやろうぜ」
それは悪名高きハワイのMaui Wowieに違いなかった。マークとメルは
ドンのドラムソロの後 再び曲に加わった。ドンは曲の終りの合図に
いつものダウンビートを叩いた。しかしマークとメルは2人とも
それを聞き逃し曲が終わった後も演奏を続けた。観衆が気づいたり
心配したりしたのか定かではなかったが とにかく彼らは我が身を恥じ
二度と聴衆の前でハイになって演奏するまいと誓った。それ以来彼らは
いつもショウが終わってから マリファナや酒をやるようにした。
マークは言う。「オレ達はステージに対しては矢を射るように
真っ正直だった。集中力はひどく酩酊している時としらふでいる時では
同じではない。集中するためにはあらゆる身体的、精神的エネルギーが
必要だ。オレ達は一生懸命金を稼いでコンサートに来てくれたお客を
騙すようなまねは本当にしたくなかったんだ」
クレイグは言う。「バンドの中で誰もハードドラッグにハマったりせず
そうしたドラッグが深刻な問題にならなかったのを オレは幸せに
そして誇りに思うよ」
422伝説の名無しさん:04/03/10 04:39
>>398

当時は欧米でも日本でもNO WARだったんすよ
423まっくん:04/03/11 21:08
ジャニスの思い出

Chapter 10 Joplin Jokes
GFRはフロリダのWest Palm BeachでのMusic And Arts Festivalで
演奏する予定があった。3日間のイベントが1969年11月末に開催され
こうしたフェスティバルを象徴する面々が顔を揃えていた。
Johnny Winter, Iron Butterfly, Jefferson Airplane,
Country Joe And The Fish, Steppenwolf, Ten Years After,
Sly And The Family Stone, Vnilla Fudge, Janis Joplin,
Jimi Hendrix, The Rolling Stones, その他
伝えるところではジャニスはひどく酔っぱらっていて自分の出番の
直前まで無防備に歩き回っていたという。ストーンズの出演予定は
彼女のショウの時間と近かった。

それはいつになく蒸し暑い日だった。GFRの連中もジャニスも
特にストーンズの大ファンではなかったので 彼らは早々に
引き上げることにした。出演者をホテルに送り届けるために
かなり豪華な座席のある大型ヘリが用意されていた。
ホテルの裏にある海岸でヘリを降りてから マークはジャニスが
いないことに気がついた。彼はヘリに戻って彼女を探すことにした。
424まっくん:04/03/11 21:11
マークは順を追って話してくれた。「プロペラの下をくぐって
オレはヘリに近づいた。窓からジャニスがいるかどうか覗いてみた。
ジャニスがシートをこすっているのが見えた。オレは一体なんで
彼女が座席をこすっているのか不思議になった。何事も無かった
かのように立ち去ることも出来たが オレはヘリの後ろによじ登った。
そこはかなりうるさかったので 彼女はオレが戻ってきたのに
気がつかなかった。オレは大声で『何をやっているんだい?』と叫んだ。
彼女は振り返ってオレを見てびっくりしていた。彼女はひどく汚れた
チョコレートバーの包みを握っていた。高温によってチョコレートは
ひどく溶けていた。ジャニスは豪華な布の座席を溶けたチョコレートで
すっかり汚してしまっていたんだ。『何でこんな事をするんだい?』
オレは訊ねた。彼女は大笑いしながら言った。『ストーンズが
最後の出番だから次の便のヘリでここに来るわ。私、ミックのお尻を
いじめてやりたいのよ!』ミックはその夜白いサテンのパンツを
はいていた。何が起こったのかオレは全然聞いていないけど
彼女は目的をたやすく果たしたと思う。チョコレートで覆われた
シート以外に座れる場所はなかったからね。ジャニスがストーンズを
それほど好きでない事は知っていたけれど 彼女がその晩した
イタズラには全く呆れたね。その晩 オレ達は2人ともずっと
その事で笑い転げていた」

それはマークがジャニスと会ったごく最後の機会のうちの1つとなった。
ジャニス・ジョップリンは1970年10月4日、カリフォルニアのホテルの
一室で ヘロインを多量に摂取したために死亡した。彼女はまだ27才
だったが 彼女の代表的な録音となったPiece Of My Heartと
Me And Bebby McGeeを残していた。ドラッグによって死んだ
マークの友人は彼女だけに留まらなかった。
425まっくん:04/03/11 21:12
マークは言う。「ジャニスの死はオレに大きな影響を与えた。全く
ひどく打ちのめされたよ。ジャニスの死はジミの16日後だった。
そしてそれから僅か5日後がオレの22回目の誕生日だった。オレは
業界のアーティスト達や オレのバンドメンバーの誰よりもジャニスと
親しかった。ジャニスとオレはすごく仲が良かったんだ。ジャニスと
一緒にいるといつでも高揚してくるんだ。彼女はあらゆる事が
いつも風変わりだったよ。彼女が死んだ日はオレにとってはとても
辛い日だった。最初にそのニュースを聞いた時は受け止められなかった。
『信じられない!嘘だろう。彼女が死ぬ筈がないよ。彼女は死ぬには
余りに風変わり過ぎるよ』くり返し言えたのはこれだけだった。
オレはもっと自分がジャニスの役に立つような努力をしなかった事を
後悔した。ジャニスがオレに興味がある事は分かっていたからね。
彼女は普段オレ達が話しているよりも もっとオレに話したい事が
あったように見えた。だから振り返ってみるとオレ達はもっと
親しくなれたかも知れない。オレは今でも時々彼女の事を考えたり
彼女の友情を恋しく思う事があるよ。オレのジャニス・ジョップリンの
思い出は素晴らしい思い出だ」

West Palm Beachでのフェスティバルの次の週、ストーンズは
サンフランシスコ郊外のAltamont Speedwayでのフリーコンサートで
演奏した。そこで暴動が起こり死をもって決着がつけられた。そして
2年半前にカリフォルニアのモンタレーで始まった ピースフルな
ロックフェスティバルの流れは断ち切られた。この事件と群衆を
管理する事の困難さが 近い将来のロックフェスティバル終演の
発端となった。
426まっくん:04/03/14 20:53
ちょっと長いですが マークの回想 ジミ編

Chapter 10 Mark's Jimi Hendrix Experience
1969年の春 ベースをやめてリードギタリストに戻りパワートリオとして
プレイするというマークの決意は ジミ・ヘンドリックスのトリオでの
ギターの演奏スタイルが大きな要因である。その年の12月、GFRは
伝説的なニューヨークのFillmore Eastで演奏した。ショウが終わって
マークは彼の楽屋に向かった。彼は楽屋のドアを開けた時に見たものを
説明してくれた。「ジミ・ヘンドリックスがオレの楽屋にいたんだよ!
オレは自分が見ているものが信じられなかった。オレは圧倒された!
その場で凍りついてしまった。オレがようやく言えたのは「あのもしもし」
だった。ヒッピーの新参者が話すような間延びした口ぶりでね。
とにかく言葉を失ってしまった。オレがボーッとしているのに
彼が気づいていたかどうかは分からない。彼は明らかにハイになって
いたからね。彼に挨拶するために手を突きだしてオレは言った。
「あなたは素晴らしいギタリストだ」彼はまだ何も話していないのにね!
オレがこんな言葉を言ってしまった自分を責めるより先にジミが言った。
「そしてお前さんはたいしたシンガーだな」新人だったオレにとっては
この上ない激励だった。ジミが楽屋を出ていった後もずっと
彼の言葉がオレの耳に残っていた。

1970年7月17日、GFRはニューヨーク市郊外でのRandall's Island Pop Festivalでプレイした。予定されていた何組かのアーティスト達と
事なり GFRはプロモーターが契約書にあるギャラの全額を払わなかった
にも関わらず、彼らのファンを裏切らないためにそこで演奏した。
ジミ・ヘンドリックスもまたプログラムに名前があった。ジミは
バックステージでマークを見つけた。2人は握手をして他愛の無い
話を始めた。ジミは彼の楽屋にマークを誘ったが彼のアシスタントに
止められた。そのアシスタントはジミに 彼が会場に遅れてきて
はやくショウの準備をしなければならない事を思いださせた。
アシスタントはマークの肩からジミの手を取ると言った。「心配するな
ジミ。オレがコイツの面倒を見るよ。あんたは行って準備をしてくれ」
こうして2人は別れた。
427まっくん:04/03/14 20:55
アシスタントはマークを脇に連れて行くと小さな銀紙の包みを
マークの手に置いて言った。「コイツはJimi's blendだ」
マークが回想する。「オレは困惑した。彼が何を言っているのかも
分からなかった。あの頃は一日中マリファナをやっていてもオレは
平気だった。しかしハードドラッグをやるのは怖かった。とりわけ
オレは67年に徴兵逃れのためにそれを経験した後だった。しかし
この男がくれたのは何と言ってもJimi's blendだ。オレは試してみたい
気持ちになった。振り返るとオレの中には大物と同じ事がしたいという
気持ちがあったのかも知れない。オレの手の中にはスーパースターの
ドラッグがあるんだ。ジミはコイツをやっているからあんな風にギターを
弾けるんだろうと思った。オレはこの男が言ったのはスピードボール
か何かだと信じていた。(実際にはそれはコカインとヘロインの
組み合わせだった!)オレは男の部屋に行って ほんの僅かな量、
マッチ棒の先ぐらいの量を鼻から吸引した。ジミのショウが
始まりそうだったのでオレは急いでショウがよく見えるいい場所を
さがした。機材車の屋根の上だ。何が起こっているのか分かるより前に
オレは夢の世界にいた。そのマッチの先であっという間にオレの頭は
グルグル回りだした! それはメリーゴーランドに乗っているような
感じだった。オレは本当にジミの演奏に期待していた。ミュージシャンの
立場からオレはジミが心配になり始めた。「おい、彼はこんなヤツを
やったままプレイできるのか?」ジミはステージに立つと見事に
曲をプレイし始めた。オレは彼の体はいつもコイツをやっているに
違いないと想像していた。それがジミを見た最後になった。
次にオレが覚えているのは地面に横たわって見覚えの無い人々を
見上げていた事だった。オレ達のアシスタントのTom Deanと
Mike Swartzはオレの有り様に度肝を抜かれた。彼らによればオレは
青白くなって意識を失っていたらしい。彼らはオレをリムジンに乗せ
正気に戻すためにオレの部屋へ連れて帰ってくれた。
428まっくん:04/03/14 20:57
マークはその日、Jimi's blendを生き延びた。しかし2ヶ月後、24才の
ジミ・ヘンドリックスはそのように幸運ではなかった。1970年9月18日
イギリスのロンドンでジミ・ヘンドリックスの死が発表された。
薬物中毒による吐瀉物を喉に詰まらせたためである。ジャニスのように
ジミもロックフェスティバルシーンで聴衆に大変愛されていた。
Purp;le Haze, All Along The Watchtower, Flxy Lady, Hey Joe等の
録音における彼の独創的なフィードバックやディストーションは
マークを含む多くにギタリストに深く永続的な影響を残した。
「ジミとオレは友達というよりは顔見知りに近かった。ジミはオレを
気に入ってくれていてオレも彼が好きだった。そしてオレはジミの
ロックンロールに対する貢献をはっきりと認めていた。しかしオレ達は
団結する事はなかった。だからお互いを本当に知りあう事はなかったし
それ故彼の死はジャニスの死のようにオレを打ちのめす事はなかった。
Jim Morrisonに関して言えば、オレはソウルのある音楽以外は
聴こうとしなかったので The Doorsの音楽を聴くことはなかった。
Morrisonの死の場合、その影響でオレはより一層ハードドラッグに
反対するようになった。彼は音楽業界における長期の統計の
また別の値である。

ドラッグやアルコールを濫用したり常用したりする事は音楽の世界では
何も目新しい事ではない。Charlie Parker, Billie Holiday, Judy Garland
などがその先例だ。殊に60年代後期にはドラッグはオープンになり
風俗として容認されるようになった。不幸な事にドラッグによる死は
より多くなった。The WhoのKeith Moon, Led ZeppelinのJohn Bonhum,
The Beach BoysのDennis Wilson, そして王者その人であるElvis Presley
60年代中期の多くの人々にとっては ドラッグは精神世界を拡張する
実験や陶酔する為のものだった。その他の人々はよりハードなドラッグや
それを常用する事に身を落としていった。
429まっくん:04/03/14 20:59
ドラッグの服用は精神的な儀式を課するようなもので 多くの
ミュージシャンにとっては絆を深めるための方法でだった。それは
ミュージシャンの仕事のストレスを紛らす為の方法でもあった。
それはカウンターカルチャーやしばしば芸能界での会員証であり
流行であった。有名人である事はいつもちやほやされる事ではない。
世間と気楽に相対する為の方法のひとつがクスリを使う事だった。
芸能界で仕事をしている多くの人々は心の治療の為にそれをやった。
彼らはいくつかの理由から必死になってクスリを切望していた。
おそらくそれは 多くの愛や世話を受けられなかったり 早いうちに
両親を亡くしたりといった理由だろう。明らかに芸能人のほとんどは
観衆の前でのパフォーマンスにナチュラルハイを見い出すか、クスリに
手を出そうとしなかった。時々ハイな状態から戻るのが難しくなったり
ある時は短いショウが終わってだいぶ経っても本人はハイな状態を
持続しようとしたりする。だから彼らはささやかな"helper"を探している。
そして大抵は誰かが手助けの準備をしている。それはこの業界の
悪しき循環であり現在もある落とし穴だ。

こうした状況や厳しい結果となった出来事はマークにドラッグの
危険性を思い起こさせる。「10代の若者や子供達が過去のこうした
ロックヒーロー達を知って彼らのライフスタイルを読んだりしても
その創造性の理由を彼らが浪費したドラッグだと捉えないで欲しいと
オレは望むよ。ドラッグをやったからといって何か個性的なものを
創造できるわけではないからね。才能はすでにそこにあるものだ。
ドラッグは彼らに才能も能力も与えはしない。彼らはそれを失って
しまう。ドラッグがそれは失わせるのさ!多くの才能が我々の前から
失われてしまったのは悲劇だ。もしそうした人々が今も生きていたら
まだ我々の文化に寄与していることだろうね」
430まっくん:04/03/14 21:15
Chapter10 死とドラッグとロックンロール
どうにか完訳です
ドアーズに言及しているあたりは面白いですね
ジム・モリソンのくだりの最後の1節が
どうしてもニュアンスがつかめなかったので
どなたかご教示ください >>428中段です

He was anther statistic in the long line of statistics
in the music industry.
431まっくん:04/03/14 21:38
たびたびスミマセン 誤字です
もしよろしかったらどなたかお助けくださいませ

He was another statistic in the long line of statistics
in the music industry.
432ウエスト:04/03/23 22:10
最近動きが有りませんね。各々が思う各アルバムのベスト1投票でもやりませんか?
みなさん悩むと思いますよ〜。ではど〜ぞ!
433伝説の名無しさん:04/03/23 23:45
はぁーーーとヴレイカァーー
434伝説の名無しさん:04/03/23 23:56
[オン・タイム]・・[ハート・ブレーカー]・・〔裏)[キャント・ビー・トゥ・ロング]
[グランド・ファンク]・・[孤独の叫び]・・(裏)[ウインター・アンド・マイ・ソウル]
[クローサー・トウ・モーム]・・[アイム・ユア・キャプテン]・・(裏)[アイ・ドント・ハブ・トウ・シング・ザ・ブルース]
[グランド・ファンク・ライブ]・・[イン・トゥ・ザ・サン]・・〔裏〕[マーク・セイズ・オールライト]
[サバイバル]・・[フィーリン・オールライト]・・〔裏〕[自由が欲しい]
[戦争をやめよう]・・[戦争をやめよう]・・〔裏〕[ロンリネス]
[不死鳥]・・[ロックン・ロール・ソウル]・・〔裏〕[フライト・オブ・ザ・フェニックス]
[アメリカン・バンド]・・[アメリカン・バンド]・・〔裏〕[エイント・ガット・ノーバディ]
[シャイニン・オン]・・[シャイニン・オン]・・〔裏〕[プリーズ・ミー]
[世界の女はご用心]・・[サムカインド・オブ・ワンダフル]・・〔裏〕[ライフ]
[ボーン・トゥ・ダイ]・・[ボーン・トゥ・ダイ]・・〔裏〕[ミスター・ポリティシャン]
[熱い激突]・・[熱い想い]・・〔裏〕[パス・イット・アラウンド]
435伝説の名無しさん:04/03/25 15:20
ずいぶんアルバム出しましたね。
今考えるとたいしたものだと思います。
436伝説の名無しさん:04/04/16 13:00
437伝説の名無しさん:04/04/22 00:15
438伝説の名無しさん:04/04/22 00:15

70年代洋楽42曲!CD2枚組「セブンティーズ」−21日発売
http://www.sanspo.com/geino/top/gt200404/gt2004042103.html
━━━━
disc1(19)アメリカン・バンド  グランド・ファンク  73
439伝説の名無しさん:04/05/17 16:00
440D−130:04/05/22 07:15
ファーストアルバムから順に聴いてみるとわかるけど、メルのベースはすごい!うねりまくりのリードベースと言っても良いくらいだ。
マークのギターがしょぼい部分を補っていると思う。なぜあまり評価されていないのか不思議だし、最近、この手の音を出すベーシストが皆無なのがさびしいかぎりです。
441名無しさん?:04/06/05 18:00
442伝説の名無しさん:04/06/16 03:19
なにげに凄いスレなのでage
443D-130:04/06/21 18:28
GFRのアルバムの中で、「ボーン・トウ・ダイ」のCDが今まで出されなかったのはなぜだろう。誰か知っている方は教えてください。
444伝説の名無しさん:04/06/21 19:19
「ボーン・"トウ"・ダイ」では仮面ライダーが許さなかったからじゃないかなぁ
445伝説の名無しさん:04/06/21 20:33
過去にホントに成功した外タレ
ボブサップとこいつら
これだけは譲れない
446伝説の名無しさん:04/07/08 14:17
後楽園age
447DonDonDon:04/07/27 17:13
マーク抜きのGFRでアルバムはリリース
されているんですか?
昔のFLINTみたいな?
448伝説の名無しさん:04/07/27 18:00
GFRスレ発見(・∀・)

俺も3rdまでのが好きだよ。
Sin's A Goodman's Brother最強
449伝説の名無しさん:04/08/03 17:29
個人的には「不死鳥」がなぜかフェバリットアルバムです。
音的にはいまいちですが。
450伝説の名無しさん:04/08/11 12:10
マークの身長を教えてください。
451伝説の名無しさん:04/08/16 14:46
age
452伝説の名無しさん:04/08/17 16:09
グランドファンクといえばジャケットにこだわりがありましたね。
一番好きなジャケットは不死鳥のジャケット。
意気込みともの悲しさのバランスが見事な味わいを醸し出していました。
後期の世界の女はご用心、驚異の暴走列車当たりはもう一つかな。

ところで熱い激突のCDはでてるんでしょうか?
453伝説の名無しさん:04/08/17 18:29
めっまっふぃーーーーおーーーーらーーーーーーーーーーーーぃーーーー
めっまっふぃーーーーおーーーーーーーおーーおーーおおおーおーーー
いえっすおーいえっすおーいえっすおーいえっすおーあああああーーーーーーー
454伝説の名無しさん:04/08/23 14:34
ドンが一番ふけたなぁ
マークはだいぶ後退したなぁ。頭が。
455伝説の名無しさん:04/08/24 16:46
昔はグランドファンクが好きだというとバカにされてました。
でも、そんなに下手?
456伝説の名無しさん:04/08/24 23:27
パンkよりはかなりうまい
457伝説の名無しさん:04/08/26 14:46
Walk Like a Man
458伝説の名無しさん:04/09/01 11:36
保守age
459伝説の名無しさん:04/09/04 15:04
70年代に帰りたい・・・
460伝説の名無しさん:04/09/07 16:56
DAT落ち阻止age
461伝説の名無しさん:04/09/08 13:07
GFRの情報求む
462伝説の名無しさん:04/09/09 11:06
情報っつてもなー。
いまは、マーク以外のメンバーが勝手にGFR名義の
ツアーやってるからマークと勝手にGFRのメンバーとの仲は
最悪らしい。
ビジネス上の連絡以外は交流もないらしい。
463伝説の名無しさん:04/09/09 11:39
元祖と本家の争いですな
464伝説の名無しさん:04/09/09 16:15
>462

マークもGFR名乗ってるんじゃ?
465伝説の名無しさん:04/09/10 11:01
GFRの再結成はもうないんでしょうかね?
466伝説の名無しさん:04/09/10 22:58:02
グランドファンクレイルロード登場! は名盤
467伝説の名無しさん:04/09/10 23:23:21
unun
468伝説の名無しさん:04/09/13 09:40:06
当時の国内盤はジャケットの裏側がライナーノーツだったのが懐かしい。
469伝説の名無しさん:04/09/14 15:30:25
GFR初期のメンバーのヘアはカツラだったって本当ですか?
ライブが口パクなのは知ってましたけど。
470伝説の名無しさん:04/09/14 17:14:38
おぉ!こんなスレがあったのか!
俺、ライブアルバムの「アーユーレディー」が大好きです。
いきなりあのテンションでライブが始まるなんて、実際に観てたらションベンちびるぐらい
感動すると思います。
471伝説の名無しさん:04/09/15 16:39:42
>470

禿しく同意!
472伝説の名無しさん:04/09/16 14:05:17
俺はLIVE ALBUMはジャケ買い。
なんかハードロックの本質を表してるかんじがする。
カッコーE
473伝説の名無しさん:04/09/17 08:17:07
昨日TVでマイケル・ムーアのドキュメンタリーやってたね
フリントの町もだいぶ荒廃してしまったらしい・・・・
一応ageとこ
474伝説の名無しさん:04/09/18 16:57:04
漏れは当時GFRとTレックスが命でした。
475伝説の名無しさん:04/09/21 21:08:01
age
476伝説の名無しさん:04/09/22 03:38:35
>>470
外道の1stもちょっとだけちかいもんがあるYO
477伝説の名無しさん:04/09/22 03:46:56
グラムロックとかベルベッツ周辺のが好きだった俺にとっても
グランドファンクは別格でした。
478伝説の名無しさん:04/09/23 07:28:02
やっぱロックて「勢い」だよねぇ
GFRとかCCRとかって確かに古臭い&野暮芋くさいイメージあるけどw
シンプルなだけにいつまでも劣化しない破壊力があると思う罠
70年代末〜80年代のPUNK/NEW WAVEって今きくと
大体薄くてペナペナなんだよね
(そうじゃないのもあるけどさ)
479伝説の名無しさん:04/09/23 10:46:35
伝説板へのID導入を考えよう
http://music4.2ch.net/test/read.cgi/legend/1095900011/
480伝説の名無しさん:04/09/25 19:00:04
>70年代末〜80年代のPUNK/NEW WAVEって今きくと
大体薄くてペナペナなんだよね

同意。特に打ち込み系は陳腐化が激しすぎる。
481名無しさん?:04/10/16 17:00:18
482伝説の名無しさん:04/11/03 17:44:07
大好きです。
483四八九:04/11/07 11:44:55
マネージャーでプロデューサーのテリー・ナイトが亡くなったそうで。 61歳。
刺殺されたんですって。 自分の娘を、娘のボーイフレンドから守ろうとして。
ソースは、www.rollingstone.comで。NEWS・・・IN BRIEF
484加護は考えた。:04/11/09 23:59:59
なんてこった。葬式でみんなあつまるのか。

  〜
  |
485名無しさん?:04/12/16 01:00:00
486伝説の名無しさん:04/12/26 06:04:57
ザッパのプロデュース盤って国内復刻まだ?
487伝説の名無しさん:05/01/10 23:01:22
まだです
488名無しさん?:05/02/05 18:00:00
489名無しさん?:05/03/17 12:00:00
490伝説の名無しさん:2005/04/11(月) 06:02:42
なにそれ!?
491名無しさん?:2005/05/28(土) 10:00:00
what's funk?
492伝説の名無しさん:2005/05/29(日) 13:43:39
A Ha?
493伝説の名無しさん:2005/06/09(木) 21:45:58
GFR
494伝説の名無しさん:2005/06/11(土) 13:23:15
1976年8月発売
曲目
ジャストクジュントウェイト、キャンユードゥイット、パスイットアラウンド、ドントレットエムテイクユアガン、ミスミーベイビー、ビッグバンズ、アウトトゥーゲットユー、クロスファー、1976、リリースユアラヴ、ゴーインフォーザパスター、*ラバーネック

プロデュース              :フランク・ザッパ
ボーカル、ギター、ピアノ        :マーク・ファーナー
ベース、バックボーカル         :メル・サッチャー
ボーカル、ドラムス           :ドン・ブリューワー
キーボード、バックボーカル       :クレイグ・フロスト
ギター、バックボーカル         :フランク・ザッパ
*CD盤ボーナストラック
495伝説の名無しさん:2005/07/03(日) 21:59:49
age
496伝説の名無しさん:2005/07/04(月) 04:29:27
昔はゼッペリンやパープルの下と見られてたけど、
今はどっちも聴かないがGFRは聴く。
497伝説の名無しさん:2005/07/04(月) 21:54:52
パンクを通過した今GFRは聴けるけど…ry
498名無しさん?:2005/07/26(火) 00:00:00
499伝説の名無しさん:2005/09/03(土) 15:55:11
age
500伝説の名無しさん:2005/10/16(日) 12:08:07
グランドファンクって最低だよな
501伝説の名無しさん:2005/11/05(土) 18:49:11
私は49歳です17歳の高校生とき後楽園のコンサートを見に行きました。記憶をたどってみます。
前座は鈴木たかみつのいたモップスで月光仮面は誰でしようなどを演奏していました、つぎに登場したのは
当時 霧の中の2人がヒットしたマッシュマッカーンというグループが登場、いよいよメインのグランドファンクが登場までの
休憩中に事は起こった。突然突風が吹いた、ステージ前の看板が吹き飛んだ、そのご親指大のひょうが観客全員をたたきつけた
ひょうが収まった次の瞬間とつぜんのスコールかさを持ってきている観客はほとんど
おらず、時間になってもやつらの演奏は始まらない、チケットには雨天決行と書いてある。
観客は興奮ネットが引きちぎられる寸前、演奏が始まった。これか゜伝説的なコンサート
です。


502名無しさん?:2005/12/11(日) 17:00:00
503伝説の名無しさん:2006/02/03(金) 19:35:55
>>501
グランドファンクが出てくる前の事しか書いてないw
50450才:2006/02/05(日) 08:58:04
私はグランドファンクのハートブレイカーを聴き、あの曲を弾いてみたいと思い
ギターを始めました。今はベースを弾いてますが....
505伝説の名無しさん:2006/02/05(日) 14:05:36
>>500
渋谷乙
506伝説の名無しさん:2006/04/13(木) 05:22:31
507ドン ドン ドン TNUC:2006/04/13(木) 11:09:39
懐かしい 検索してたら出てきた ドン のドラムス にしびれていた
誰か DVD 手に入らない 知りませんか?
508伝説の名無しさん:2006/04/19(水) 22:26:33
age
509伝説の名無しさん:2006/04/23(日) 05:50:06
メル・テイラーとドンウィル・ソン?
510伝説の名無しさん:2006/06/28(水) 00:13:31
【音楽】グランド・ファンク、DVD付きベスト盤をリリース
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1151323407/

DVDにwktk
511伝説の名無しさん:2006/07/03(月) 12:12:49
>>510
すぐに消えてんじゃん
512伝説の名無しさん:2006/07/23(日) 08:46:45
513おれは赤い字を書く。:2006/09/02(土) 16:30:00

Grand Funk Railroad - Are You Ready - 1969
http://www.youtube.com/watch?v=83QXyzClJ40
It was Labor Day weekend, 1969, two weeks after Woodstock,
and thousands of hippies and lovers of peace and music
converged on the small town of Lewisville, just north of Dallas,
at the Texas Pop Festival.

ここ、これは初めて見た!!
514伝説の名無しさん:2006/09/12(火) 15:57:43
HeartBreaker
515伝説の名無しさん:2006/09/20(水) 22:16:26
516伝説の名無しさん:2006/10/15(日) 16:14:47
2ちゃんで「ウソをウソと見抜く」のはほぼ無理 2
http://life7.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1156247846/
517伝説の名無しさん:2007/01/26(金) 17:50:44
 
518名無しさん?:2007/04/05(木) 07:00:00
519伝説の名無しさん:2007/04/19(木) 02:14:21
携帯唯一のKISSファンサイト
http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=KISSLINE
520おれは赤い字を書く。:2007/07/09(月) 17:00:00
521伝説の名無しさん:2007/07/25(水) 20:15:57
さすがに還暦をすぎると声も衰えが見られるか・・。
それでもあの高音をよくその年までキープできたな
すばらしい。
522伝説の名無しさん:2007/07/27(金) 15:15:26
日本人アーティストだと下手くそも美徳のうち
みたいな価値観があるんだが
GFRはテクニカルな面とワイルドさを両立させてるのが
すばらしい。
523名無しさん?:2007/10/31(水) 13:00:00
524伝説の名無しさん:2007/11/04(日) 15:24:15
hosu
525名無しさん?:2008/02/22(金) 19:30:00
526伝説の名無しさん:2008/04/16(水) 10:14:25
あげておきます

527伝説の名無しさん:2008/05/21(水) 16:24:16
age
528伝説の名無しさん:2008/06/22(日) 14:33:25
BSJのおじロックでおやじロックバンドがグランドファンクやっていたな。
意外にかっこいい、、、かったかどうかは別というか

神宮球場での伝説のライブで話が盛り上がったりして
あれは共通体験としていまだに語り継がれていることに驚いた
529伝説の名無しさん:2008/06/22(日) 22:01:09
いまどきの2チャンねらーロッカーが伝説のグランドファンク
神宮球場ライブなど知っているはずも無い。
おじロックなんてマイナーなBSデジタル番組を観ているはずもない。
530伝説の名無しさん:2008/06/22(日) 23:44:26
井上揚水の「傘がない」て
神宮球場でのグランドファンクの土砂降りの中の「ハートブレーカー」
大合唱ライブのことを歌ったものなのかな?やっぱしそうなのかな?
531伝説の名無しさん:2008/06/22(日) 23:54:35
>>5258-530
やべ、後楽園球場だ
見に行ってないので、なぜか神宮だと思ってた

532おれは赤い字を書く。:2008/10/12(日) 00:00:00

レッド・ツェッペリンが好きだ。
だけれども、
もちろん、
ホントのホントに心の底から大大好き好きなのは、
グランド・ファンク・レールロードだ。
533伝説の名無しさん:2008/12/13(土) 19:42:52
知り合いがコピーバンドやってるよ。かなりマニアックで同じ機材というかそのものを使ってるものも在るみたい。
HPで詳しく解説してるから時間が有る人覗いてみたら面白いかも知れません。
534伝説の名無しさん:2008/12/13(土) 20:59:56
だったらリンク書いてよ  )`。´(
535伝説の名無しさん:2008/12/14(日) 16:22:20
個人のHPなのでここでアドレスは書けないよ。検索すれば出てきます。
536伝説の名無しさん:2009/02/11(水) 19:29:19
GFRのスレあったんだ
予想通り過疎ってるなw
GFRはLiveだな
537伝説の名無しさん:2009/02/11(水) 22:28:23
>>532
>ホントのホントに心の底から大大好き好きなのは、
グランド・ファンク・レールロードだ。


おいらはグランド・ファンク・レイルロードのほうが好きです (*゜Д゜*)
538伝説の名無しさん:2009/02/12(木) 00:31:33
アタイはカクタスが好きですた
539伝説の名無しさん:2009/02/23(月) 00:06:12
グランドファンクのベーシスト(メル・シャッカー)は、カクタスのベーシス
ト(ティム・ボガート)の弟分、ていうかティムはメルの親分みたいなベー
スだよね。
540伝説の名無しさん:2009/03/06(金) 08:30:24
全員集合!

黄金の洋楽ライブ グランド・ファンク
03/07(土) 後11:30 >> 深01:00  NHK衛星第2
アメリカン・バンドやハートブレイカーなど名曲満載
出演者/GRAND FUNK マーティ・フリードマン

541おれは赤い字を書く。:2009/06/08(月) 13:00:00
ttp://apollonmusic.com/eastwood/messenger.htm
おれに ¥118,650(税込) があれば...
でも、なんで MINI Humbuckers なんやろ...
542伝説の名無しさん:2009/07/09(木) 17:32:43
保守
543伝説の名無しさん:2009/07/29(水) 18:02:23
ソフトバンクのCF効果がありますようにw
544名無しさん?:2009/12/04(金) 08:30:00
545伝説の名無しさん:2010/01/21(木) 07:15:09
グランド・ファンクのライブ・アルバムを、ヘッドフォンで爆音で聞いてたら、いつの間にやら難聴になってしまいました…
546伝説の名無しさん:2010/08/04(水) 03:12:00

LIVE ALBUMといえば、
LIVE ALBUMの白い字のななめなのと、
LIVE ALBUMの白い字のななめじゃないのと、
ありますよね。なんで?
547伝説の名無しさん:2010/12/18(土) 19:23:31
またソフトバンクのCMに再起用されたな。
ノーランズは不評だったかインパクトが強かったのか
(SMAP抜きにしても)

そういやあビーズってユニットが(ry
548 【28.5m】 電脳プリオン ◆GDSZsj1GHk :2012/03/10(土) 18:43:42.39 BE:729734898-PLT(12078)

  ∧_∧
  ( ・∀・)   | | ガッ
 と    )    | |
   Y /ノ    人
    / )    <  >__Λ∩
  _/し' //. V`Д´)/ ←>>75
 (_フ彡        /
549伝説の名無しさん:2012/03/17(土) 04:11:35.40
550伝説の名無しさん:2012/03/28(水) 01:07:19.35
551 忍法帖【Lv=4,xxxP】(1+0:8) :2013/09/08(日) 04:12:27.65
  
552 忍法帖【Lv=61,xxTP】(1+0:8) :2014/06/18(水) 03:16:20.67 BE:994492451-PLT(36155)
  
553伝説の名無しさん:2014/08/17(日) 07:49:49.84
1枚目、2枚目あたり
荒っぽくてスカスカだけどリズム隊の音圧、勢いがすごいね
ガレージに通じるものがある
554伝説の名無しさん:2014/08/17(日) 16:47:09.48
3枚目の1曲目、グッドマンなんちゃらが好き
555伝説の名無しさん:2014/08/17(日) 22:03:44.53
Sin's A Good Man's Brother
556伝説の名無しさん:2014/08/21(木) 21:29:20.59
これはかっこいい曲だな
ベースもブンブンだし歌もトンガッてるし
最近の若い子、こういうのカヴァーしようと思わないのかな
557伝説の名無しさん
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