Keyシナリオ批評スレッド #2

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 うーん。「消費され続ける感動」という部分には同意するが、その内容について
「ネガティブ面が多数」という判断にはいささか違和感がある。

 「ポジティブ面が多数だ」と言いたいわけではない。それを最初に断っておこうか。
ONEなどのソフトの出た時期と完全に切り離し、「世間の流れ」ということで見ると
『五体不満足』『だから、あなたも生き抜いて』『プラトニック・セックス』あたりが
「ノンフィクション感動ものとして売れた作品」と言っていいと思う。
 これらに共通しているのは「著者自身がいるポジションは、決して低くない」という
事実だ。(執筆当時で)早大生、弁護士、(汚れ役などでない)芸能人だからね。
悪い言い方をすれば、「高いポジションにはいあがった奴が、かつての低い(と見られる)
ポジションを回想する形だから、読み手が安心して感動できるんだ」という議論だって、
出来なくはない。
 『五体不満足』については、「障害者であることにポジションの高低は議論として
おかしい」という面が確かに存在する。それについては、ひとまずこう返答しようか。
「あの著者の置かれた立場は、『障害者』という枠を取り除いて考えても相当に恵まれた
ものだとは思わないか?」

 言ってみれば「喪失とネガティブな感動を与えられるような体験をした奴が、
最後にポジティブな感動を与える役回りになる」ものを、喜んで受け入れている
図式があるわけだ。実にねじくれているとは思うが、「単純なことでは感動させ
にくい」ということではなかろうか。
 フィクションについては、まだ十分な考察はしていないので、おれの及ぶところ
ではない。
(上記の考察も実は既出だけどね。中央公論6月号、赤坂真理の書いたものを
読んでみてくれ。おれよりずっと整理されてるから)