■SS投稿スレcheese3

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第二十一話 イノリ

 ナユキのいた所を中心として、爆発が起こった。
 爆風に吹き飛ばされ、俺は幾度となく背を土に打ちつけながら、ナユキのいた場所から離されていった。
 破片が幾筋も紅い跡を肌に刻みつける。
 鋭い痛みが体中を走った。
 不意に、それが鈍痛に変わる。
 吐き出せない息が喉を締め付けた。
 どうやら、剥き出しの岩に背中を打ちつけたようだ。
 背骨からの恐ろしい圧迫感が肺を潰す。
「か…はっ…」
 満足に呼吸もできない。
 一瞬の爆風から解放されても、指一本動かせなかった。
 腕がひとりでに下ろされる。
 背中を岩に預けたまま、意識が遠のいていくのがわかる。
 このまま目を瞑り、息を止めれば、きっと楽に…

 違う。
 俺は誓ったんじゃないのか?
 もう二度と、ナユキから離れないと。

 それが、誓いだと。
 矛盾している俺に残された、最後の秩序…。
 その思いは、僅かに残った俺の生命力を増幅した。
 四肢に力が行き渡る。
 意識が彼岸から戻ってくる。
 視界が、紅いヴェールに包まれながらも、だんだん像を結ぶ。
 …今なら、動けるか?
 ためしに足に力を込めてみる。
 心地よい筋肉の緊張。
 大丈夫だ。俺は動ける。
 下肢に力をこめて、俺は立ち上がる。
 他の箇所は大丈夫か…?
 右手を振るう。
 …痛みは無い。
 次は、左手。
 …無痛。
 腕どころか、体全体に痛みは無い。
 強く打ちつけたはずの背中にも、痛みの残滓しかない。
「脳内麻薬でも…でてるのか?」
 その割に意識は安定している。
 前にもこういう経験はしたことがある。
 まだ戦場に慣れていない頃、コンバット・ハイに精神を冒されたことが。
 だが、その時は今のような落ち着きは無くただ高揚感だけが体を支配していたはずだ。
「だとしたら…」
 なかば、奇跡だ。
 時速50km以上で岩に打ち付けられて、無傷だなんて。
「…ナユキ……」
 ナユキ。
 その言葉が脳裏に閃いた瞬間、俺は駆け出していた。
 吹き飛ばされた方を、逆に。
 ナユキがいたはずの場所へ。

―――
 思い出があったはずの場所に。
 木の根元に。
 その木の根元に。
 今はもう無い、その木の根元に。
 少女は立っていた。

「…泣いているのか?」

 声が少女に問い掛ける。

「ゴーストの中のゴースト、GHOSTたるお前が」

 少女は答えない。
 ただ、弱々しく頭を振るだけ。
 その軌跡から涙の雫がこぼれた。

「今からここに、彼がくることになる」

「それは誰も止めようのないことだ」

「待つなら、そこで待っているがいいさ」

「誰も、決められた大きな流れは変えられない」

「俺も…、奴も…、GHOSTのお前ですらも」

「違うよ」

 初めて少女が口を開いた。

「流れは変えられなくても、それが辿り着く所は変えることができる」

「それが、大きな力であるほど、そらすのは簡単だから」

「だから…ボクは信じる」

「運命は、変えられるよ」

「きっと」

―――
 きっと、ナユキは生きている。
 きっと、あの瞬間に逃げ出したに違いない。
 調子に乗って、思いっきりスピード出すもんだから、とてつもなく離れた場所に行ってしまっただけだ。
 とてつもなく離れた場所…。
 俺は激しく頭をふってその単語を追い出した。
 ナユキは見つかるから。
 絶対にナユキは見つかるから。
 そう祈るのなら、きっと…!
 俺は草原を探しつづける。
 どこかに隠れているだろう彼女を探しつづける。
 でも、手掛かりすらそこには無かった。
「ナユキーーーーッ!」
 ありったけの大きな声でナユキを呼ぶ。
 木霊が斜面を払っても、それでも、何の返事も無い。
「聞こえてるなら返事しろーーーーッ!」
 乱暴に薙ぎ倒された草の根元を。
 抉り取られて表出した土の表面を。
 削られて形の変わった岩の裏側を。
 いくら探っても、ナユキはそこにはいない。
 止まない風が、俺しかいない斜面を吹き降りていく。
 被害を逃れてまっすぐにたつ草が、風にさらわれてさあっと音を立てた。
 ふと。
 ふと、その音の中にナユキの髪が揺れるような音がして。
 俺は駆け寄った。
「ナユキいっ!」
 そこにあるものを全力で揺らす。
 青い髪が揺れる。
 …起きろ。
 …いつまでも寝てるんじゃない。
 起きろ、起きろ、起きろ、起きろ、起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ起きろ…。
「目を、覚ませえええええッ!」
 さらっ。
 風が、凪いだ。
 頭上を木陰がよぎる。
 見上げると、
        そこは、森の中だった。
「……」
 無言であたりを見渡す。
 さっきまでいた丘とは全く違い、かつよく似た空気。
 …そうだ。
 ナユキは、どうしたんだ。
 手元を見ると、そこにナユキはいなかった。
 かわりに、誰かの足が見える。
「誰だ…」
 それにそって、視線を上に上げていく。
 そこにいたのは、見慣れた顔の女性だった。
「…アキコさん」
「お疲れ様です。ユーイチさん」
 女性はにっこりと笑うと俺の目の高さにまでしゃがみこんだ。
「まだ、貴方にはやるべきことが残っていますけどね」
「……」
 その視線が、俄かには理解できず、次いで混乱が俺を覆った。
「え…、あの…ナユキは」
「ああ、ナユキなら」
 アキコさんは自分の胸に手を当てる。
「ここに、います」
「……」

「わたしは、ナユキのゴーストなのですよ」
「順を追って説明しますね」
 アキコさんは言う。
 俺はといえば、何も出来ず、ただアキコさんがしゃべることだけに集中していた。

「…本物の、本来のアキコ・ミナセは今も病院のベッドで昏睡状態となっています」
「それは不幸な事故の結末でした」
「その事実に耐え切れるほどの成熟を見せていなかったナユキは、大変悲しみました」
「心の奥底の、ゴーストに語りかけることが出来るようになるほどに」
「…その結果、ゴーストである私が生まれました」
「それはとても巧妙にナユキを騙していました」
「例えば、携帯電話」
「私は、少しならナユキの行動を制限することが出来ました」
「それを利用して、ナユキには私の元に掛けさせている気にさせていたのです」
「自分の中の私の声を、電話からの声だと錯覚させながら」
「…前に、ユーイチさんが私とナユキがいっしょのところを見たことがない、とおっしゃいましたね」
「正にそのとおりなんです」
「私は…ナユキと正面から向き合ったことはありません」
「いつも、声だけの存在でしたから」
「…それで」
 俺は一言、アキコさんの独白を止めた。
「あの爆風の中、なぜ生き残れて…」
 話を変えないと、知ってはいけないはずのことまで辿り着きそうだったからだ。
「この子のおかげですよ」
 アキコさんは、傍らの鉄屑を取り上げた。
「例の蛙人形…」
「K−Ro−Pといってあげてください」
 アキコさんはやんわりと注意した。
「この子が、爆発の瞬間に庇ってくれたんですよ」
「そうだったんですか…」
 俺は相槌を打つ。
 それをきっかけとして、俺も少しずつ話せるようになった。
「でも、なぜ今俺の前に姿を?」
「…気づかれてしまったからです」
 アキコさんは答える。
「ナユキに…私の存在を」
「だからといって、どうして?」
「これ以上、嘘はつけませんから」
「……」
「それに、ぜひ私の口から言っておきたいことがありまして」
「なんですか?」
「…気づかれた以上、私ももう長くはありません。ですから――」
「……俺なら、できるでしょうか」
「ええ、きっと」
 言われなくてもわかる。
 俺が託されたのは、幽霊の祈り。
 ナユキを、守ってやれ、と。
「ユーイチさん」
「はい」
「例の作戦、遂行するつもりはあるんですか?」
「例の…?」
「作戦名『核となる幽霊』。その内容は、ゴーストの力の元となるGHOST、彼女の捕獲、もしくは…」
「……処分」
「今、答えてください。それだけは、最後に知っておきたいですから」
「できることなら、助けてあげたい。でも、俺にはまだ彼女の目的は…」
「おいおい、わかると思いますよ。いえ、」

「思い出す、が適当かもしれませんね」

 それが、ゴーストであったアキコさんの、最期の言葉だった。