■SS投稿スレcheese3

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「さて」
 アマノの名残が目の前から消えてなくなった頃、唐突にカオリが口を開いた。
「いきなりなお願いで驚くかもしれないけど…」
「なんだ」
「私を一人にしてくれないかしら?」
「え?」
 唐突な言葉。
 目の前のカオリは少し笑っている。
 意味不明の微笑み。
「違うのよ…貴方が思っているような意味じゃなく」
 カオリは腕を抱く。
 前髪が揺れた。
 スカートの裾が僅かにはためいた。
 吹くはずのない風が少しずつ届き始めてきた。
 誰かの心が…ざわめいているからか。
「私がここにやってきた理由、まだ話していなかったわね」
「そう言えばな…」
「本来なら、私がここにいる意味と言うのは――」
 ごくっ、と、誰かの喉を鳴らす音が聞こえる。
 或いは、俺の喉の音。
「――元から、あなた達とは別の物だったのよ」
 ざわめきが、強まった。
 さあさあ、ざあざあと風の音が耳にこだまする。
 鏡のように平らだった世界に、揺らめきが現われる。
 石を投げ込まれた水面のように、その波紋は閉じることなく…広がる。
 その最中にカオリはいる。
 ざわめきに揺らされること無く。強固に立ち続ける。
 ――最後の言葉が告げられた。
「妹を、奪い返しに行かないといけないから」

 ナユキの髪を、頬を、首を、腕を、指を、腰を、足を、爪先を、吹きすさぶ風が渦を巻いて通り過ぎる。
 奪われそうになっているのはその心か。

「奪い返しにって…何を?」
 その疑問に答える義理はカオリには無い。
 もともと、彼女はアキコさんの下で働いてはいるが、直属というわけではない。
 だから。
「答えられないわ。今は、ね」

 その言葉を置き土産に、彼女は背を向けた。
 ナユキは、
 自らの生む風に
 阻まれていた。

第十九話 シンセイ・甲
 風の向こう。
 歩くことが出来る方向へ。
 ナユキは進んでいく。

 誰も自分を阻まない。
 自分も自分を阻まない。

 心の風の辿り着く場所へ。

「ユーイチ…」
「ん」
「どうして」
「……」
「一緒にいてくれると思った人が、私からいなくなっちゃうんだろうね」
「……」
「……」
「…俺は」
 離れないから。
 言おうとして、言えない事。
 約束も出来ないのに、言えないこと。
 ぎゅっと、喉の奥に呑み込んだ。
 返答の代わりに、俺はあるものを手渡す。
「これは?」
 一粒の小石。
「お守りだ」
「何の?」
「二度と離れないと誓ってくれた友人の置き土産だ」
 ナユキは、足を止めることなく前に進む。
 俺の渡したお守りを握り締め。
 偽物の、気休めのお守りを握り締め。
 加護なんか…きっと無いから。
 だから。
(誓うのは…俺だ)

 示された場所は体育館。
 中庭を突き抜け、水の無いプールを横目に見ながら、その道は続く。
 お互いに、無言。
 風が冷たかった。
「寒いな…」
「あ」
 ナユキが声を上げる。
「だめだよ」
「?」
「そんなこと、口にしちゃ」
「そうだっけな」
「そうだよ。余計寒くなるんだから」
「……」
「……」
「…おまえも言ってるじゃないか」
「…そうでした」
「全く、自分から言っておいてすぐだめにするんだからな、ナユキは」
「ぜったい、そんなことないよー」
 ぜったい、の部分に過剰な強調をこめながら、ナユキは言った。
「お前がそう言うんなら、そういうことなんだろ」
「そういうことなんだよ」
 その顔は、少し笑ってくれていた。
 俺たちは旅をする。
 どこともしれない偽物の世界の中を。
 当ても無く。
 目の前に示されるがまま。
 最後に渡された道標を頼りにして。
 そして。
 道標は最終地点を示す。

「ここは…」
 一面の野原。
 そうとしか言い様の無い場所に俺たちは立っていた。
「見たことあるよ、わたし」
 ナユキは遠くの地面を指し示す。
「ほら、あれがわたし達の学校」
「そうらしいなぁ…」
 俺も目を凝らしてその方向を見る。
 いつの間にか見慣れた建物が、ミニチュアのように在った。
「ここは、学校の裏山みたい」
「来る途中で、空間が捻じ曲がっていたのか…」
 気がついたら、俺たちはここにいた。
 アマノよりもずっと長い距離を飛び越えて。
 ふと、――殺気。
「!」
「ユーイチ、どうし…きゃっ!」
 俺はナユキを抱えて横っ飛びに飛んだ。
 そのまま丘の斜面を転がり降りる。
 コンマ数秒の差で、スナイパーライフルの弾丸は丘の土を抉り取った。
 弾痕の仰角は23度…上か!
 懐に入れたクナイで牽制する。
 影が一つ飛び上がる。
 牽制を避けたそれは、俺たちを飛び越えて、眼前4メートルの所に着地した。
「誰だ?」
「誰か、だと?」
 挨拶の代わりに銃弾が数発叩き込まれる。
 俺に向けられたそれを、つけてきた手甲で叩き落す。
 ナユキを庇いながら、俺は前に出た。
「敵?」
 俺の背後でナユキが言う。
「その通りだ」
 それは空になった弾装に弾丸を入れながら、余裕の表情で答えた。
「悪者だよ」
 二三度瞬きをする間にリロードを終えた相手は、即座に銃口を俺たちに向ける。
 躊躇い無く引鉄が引かれた。
 俺は踏み込んでそれを受ける。
 キキキンッ!
 乾いた音が鳴った。
 俺はさらに踏み込む。
 周囲の光景が加速して、流れ線のようになる。
 集中線の向かう先は、敵。
「おあああああッ!」
 渾身の力をこめた拳を振り上げる。
「ふん…」
 奴は身を屈めてそれに応対する。
 俺の拳が届くよりも早く、やつはライフルを逆手に持ち替え、薙いだ。
 危うく俺の胴を掠める。
 回転の勢いを殺さず、身体を半回転させてライフルの向きを変える。
 俺は全速で射線上から退いた。
 体勢の崩れかけた相手へクナイを投げつける。
 奴は完全に体勢を崩すことでそれを避けた。
「ッ!」
 慌てて手を放し、その場を離れる。
 三秒遅れて。
 爆発が、20メートル離れた地点で起こった。
 俺が逃げ出すのを確認して、遠くに投げ捨てたらしい。
「戦い慣れてるな…」
「まあな」
 声は後ろから聞こえた。
 頭を薙ぎ払うブラックジャックの一撃を、前転してかわす。
 ほんのわずかな間だけ身体が相手のほうを向く、その一瞬を狙う。
 俺は懐から布を広げ、相手の視界を奪うように投げ広げる。
 それは、相手の顔を狙いどおりに包み込んだ。
 風の流れを計算しての行為だ。
 布が顔から離れる間に、俺は奴からある一定の距離を開いた。
 奴の弾丸は当たらず、俺が踏み込めばコンマ数秒でたどり着く距離。
 俺の必殺の間合い。
 奴もそのことはわかっているらしく、銃口をポイントしたまま、じっと動かない。
「これで、形勢逆転だな」
「そう思うか?」
 言いながら、奴は別の拳銃を抜き打ちで撃った。
 弾丸の直線的な動きは俺の目なら見極めることが出来る。
 複数の射線が生み出す空間の中に、俺は体を畳み込む。

 びしっ。
 視界の向こうに、斜に血飛沫が舞った。

 どうっ。