■SS投稿スレcheese3

このエントリーをはてなブックマークに追加
317もう一つの結末

栞の誕生日まであと一週間。
栞はもう、学校には来ていなかった。
かなり危険な状態であるとは、誰に言われなくても解かっていた…

「香里、今日も部活なのか?」
この時、香里に声をかけず帰っていたなら、運命は変わっていただろうか…
「相沢君、一緒に来る気、ある?」
信じられなかった。香里の口からそんな言葉が出るなんて。
「あぁ…でもいいのか?俺なんかが勝手に顔を出して」
「構わないわ。だって、部員はあたし一人なんだもの」

無言でドアを開ける香里に続いて、その部屋に入った。
薄暗い部屋の中央には、魔方陣のような模様が描かれている。
黒い空間に浮かぶ神棚のような物。
壁には不思議な絵や飾り、机には見慣れない怪しげな道具や分厚い本が散乱している。
そして、部屋の隅には蝋燭や、不気味な人形達…

部屋の中央まで歩くと、香里はゆっくりと腰をおろした。
そして静かに目を瞑り……祈る。
ただ、それだけ。
「いろいろ試したわ。……でも、どれも駄目だった」
香里が続ける。
「もうあたしに出来る事はこれ位しか残されていないのよ。
起きないとわかっている奇跡を、それでも信じて祈り続ける事ぐらい…
お祈りだなんて、子供じみてて馬鹿みたいだと思うでしょ?自分でも笑ちゃうけどね」

言葉が無かった。香里はどれだけの時間を此処で過ごして来たのだろう。
もしかしたら、入学以来ずっと…
香里を、死を目の前にした妹を拒みつづける薄情な女だと思っていた自分を恨んだ。
俺は……
318もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:04
「俺も手伝う。祈る事だけなら、俺にも出来るだろ?」
「時間の無駄よ。こんな事したって何の意味も無いって事、知ってるでしょ?
徒労に終わって虚しさを背負うだけ」
「じゃあ、なんでお前はこんな所でこんな事をやっているんだ?」
「…………」
「まだ、栞が生きているからだろ?まだ諦めて無いからだろ?」
「…そうかも…しれないわね…」
「だったら俺も祈る。神にだって仏にだって悪魔にだって祈ってやる。
俺も…栞の事が好きだからな……栞を助けたいんだよ」
「……そう。なら、好きにすればいいわ」
もう俺達には祈る事しかできないのか。来るべき別れの日まで…

それから毎日、放課後になると2人で部活に出掛けた。
2人だけの…あまりに滑稽な倶楽部活動。
俺と香里は、暗い部屋の中心に座り、ただ…静かに祈った。
奇跡が起こりますように、と。
栞が助かりますように、と。

妹の為に、自分を犠牲にしてまで、今も尚祈り続けるこの少女が幸せになれますように、と。
319もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:05
三月某日、晴れ。
俺達は学校の裏庭に立っていた。
まるで何事も無かったように…
「相沢君」
考え事をしていたせいで、呼ばれた事に気付くまでに時間がかかった。
「なんだ、香里」
「……やっぱり奇跡、起こらなかったわね」
「ああ……」

起きなかった奇跡。香里が今までして来た事は何だったのか。
栞の死は、香里が悪い訳じゃない。なのに香里は深い傷を負っている。
この少女だけでも救えないのだろうか……俺にそれが…出来るだろうか……

「ねぇ…雪だるま、つくらない?」
思考が遮られる。
「大きな大きな雪だるま。そうね…10メートル位の雪だるま」
「…………香里」
「それじゃ始めましょ」
そう言って小さく丸めた雪を転がし出す。それは段段と雪を絡めて大きくなっていく。
彼女は知っている筈なのに。それが叶わないと言う事を……

「もういいだろ、香里。お前は頑張った…もう……終わりにしよう」
一つの巨大な雪塊をそれでも押し続けようとする少女。
それは動いてはくれない。まだこんなに雪はあると言うのに。
風が一瞬、止まった。
「ふふふ……あははっ、馬鹿みたいね……あたし、何やってるの…よ……っ」
落ちる雫が、一つ、また一つと雪を溶かしてゆく。
震える肩を抱きしめたかった。一言声を掛けられれば良かったのかもしれない。
……出来なかった。 俺には、まだ…出来なかった………
320もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:06
「……君……相沢君っ!」
呼ばれて、ふと我に返る。
「行きましょう。早くしないと遅れるわよ」
既にいつもの香里がそこに居た。
そうだ…今日は終業式だった。
一つの終わり。そして始まり。
何度も繰返されてきた現実。
一つだけ違う事。
本当に好きだった人が、この世界から消えた事。
一つだけ確かな事。
奇跡が起こらなかったと言う事。
また日常が始まる。今までと同じように。
何事も無かったように。

栞、雪だるま、やっぱりつくれなかったよ。ごめんな。
俺は今、多分…好きな奴がいる。お前と同じ位、馬鹿な奴だよ。
そいつ、一人ぼっちなんだ。どうしようもない位、一人でね。
おまえの事、忘れようなんて思わないよ。
でも、いいよな?あいつの事、好きになっても…
なぁ栞、最後にあの台詞、本気で言ってくれないか?
俺はダメな奴だから…甘えてしまうんだよ、お前の思い出に。
だから一度だけ、一度でいい。俺に本当の嘘を吐いてくれ。

『そんなこと言う人、嫌いです』

春が近い。
雪ももうすぐ溶け始める……
321もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:07
「……夢……か…」
時計に目をやる。6時15分。少し早く起き過ぎてしまったようだ。
香里は暫く放心したまま、天井の模様から目を離せないでいた。

「助かる可能性は…やはり正直言って殆どありません。残念ですが…」
栞の誕生日まであと一週間をきっていた。
改めて聞くと、不思議と何も感じないものだと香里は思った。
(今のあたし、なんて冷静なんだろう。妹が助からないと聞いても何も感じない…冷たい女)
心の中でそう呟きながら医者の話を聞いていた。
「きせき」
その言葉が、こんなにも陳腐に聞こえた事などあっただろうか。
(奇跡なんて、起きないから奇跡っていうのよ)
…この時の香里はまだ知らない。
もう雪は少しずつ、それでも確実に溶け始めていると言う事を…
322もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:17

「信じられん!奇跡が起こったとしか言い様がない…」
何故だろう。不思議と涙は出てこなかった。
目の前で母親と父親に抱きしめられている妹。
それを遠くからただ眺めている自分。
黙って病室を出、自動販売機でホットコーヒーを買って、一口、二口と飲む。
一日振りに喉が潤される感覚。
…刹那、静寂の廊下に乾いた音が響いた。
手を擦り抜けた缶が床を転がる。
…泣いていた。溢れる涙を止められなかった。
全身が震える……子供のように声を上げて泣き出したかった。

ドアを開ける。
「お姉ちゃんっ!」
声が響く。大好きな妹の声。
「……………っ」
少しでも気を抜くと、大声で泣き出してしまいそうだった。
「お姉ちゃんっ……お姉ちゃんっっ!うわあああぁぁーーっん!」
「……………栞っ……」

それからどれぐらい泣いていたのかはよく覚えていない。
ただ、その時頭の中に聞こえた声は、今でも鮮明に覚えている…

『良かった。奇跡、起きたんだね』
『祐一君も、栞ちゃんも、香里さんも頑張ったから、奇跡が起きたんだよ』
『これはキミ達が起こした奇跡』
『神様が、最後まで諦めずに頑張ったみんなにくれたご褒美だよ』
『だから神様、ボクにもご褒美をくれるんだって』
『今まで諦めずに頑張ってきたご褒美に、一つだけ願いを叶えてくれるんだって』
『本当にいいのかな…』
『それなら、ボクの願いは……』
323もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:18
聞いた事のない声。でも確かに、はっきりと聞こえた。
あれは……

コンコン

ドアをノックする音で、意識を引き戻される。
「お姉ちゃん、起きてる?」
「起きてるわ。誰かさんじゃないんだから」
「……そんなこと言うお姉ちゃん、嫌いですっ」
これは夢?冗談混じりに頬を抓ってみる。
……痛い。
当たり前だった。これは現実なのだから……

「お姉ちゃん、ちょっと待って…今靴履くからっ…」
「待たない。先に行くわよ、栞」
「お姉ちゃん…嫌いですっ!わっ…うわわっ……」
ガシャーン!
傘立てが倒れる音。新品同然の制服で玄関から飛び出してくる少女。
「…何やってるのよ、まったく」
「あははっ、私にとって、今日は入学式みたいな物だからちょっと緊張しちゃって…」
「それはよかったわね。でも、早く行かないと遅刻するからあたしは先に行くわ。それじゃ」
「わっ、待って待って!今行くからっ……」

どこまでも澄んだ春空の下を、いつもより少し遅いスピードで歩く。
こんなに幸せでいいの?今、世界で一番幸せなのはきっと……
「……お姉ちゃんっ!待ってって言ったのに…いじわるー」
「そうかしら?あなたが勝手に置いて行かれただけだと思うけど」
「もうー!そんな事言う人っ……あっ…」
「どうしたの、栞?」
「雪だるま、もう溶け始めちゃってる…」
「……またいつでもつくれるじゃない。冬になれば嫌と言うほどね」
「うんっ。今度どっちが大きい雪だるまつくれるか、勝負です、お姉ちゃんっ」
「…そうね。それもいいわね……妹だからって手加減しないわよ」
「望むところですっ!」

そう、ゆっくり歩いていけばいい。
時間はたっぷりあるのだから……
324もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:19

「よっ、お二人さん!元気だったか?」
「久しぶりだねっ。香里、栞ちゃん」
「そんな久しぶりでも無いと思うけど…あなた達はいつも元気そうでいいわね」
「祐一さん、名雪さん、お久しぶりです!これから一年、宜しくお願いしますっ」
「おいっ、この北川様を忘れてないか?…そうか…忘れてるか…へっ、どうせ俺はサブキャラだよ…」
「うぐぅ、みんな、おはようっ!」
「……ん?今なんかうぐぅっとか言う音しなかったか?」
「そう言えば聞こえたわね。うぐぅ、とかうぐぐとか…」
「うぐぅ…みんな酷いよぉ…」
「お、お前はっ!!……誰だっけ?」
「うぐぅっ、祐一君のいじわるっ!ボクはあゆ、月宮あゆだよっ!!」
「わっ。あゆちゃん久しぶりだよ〜」
「あゆさん、お久しぶりですっ。栞です。憶えてますか…?」
「うんっ!名雪さんも栞ちゃんも久しぶりだよっ。ボクならずっと元気だったよ」
「…ちょっと、みんなこの娘と知り合いなの?」
「あ…そっか、香里は知らないんだよね、あゆちゃんの事」
「…ところであゆ、どうしてお前がうちの制服を着てるんだ?」
「うん。実はね……今日からボク、この学校の生徒になるんだよっ」
「何っ!?お前この学校に転向して来たのか?」
「わっ、そうなんだ。おめでと、だよっ、あゆちゃん!」
「そうなんですか?それはおめでとうございます」
「おめでとうって、あなた達ね……それより、今が何時か分かってる?」
「………げっ!やばいっ!もう時間ギリギリじゃないか!走るぞっ」
「あっ……待ってよ祐一〜」
「わっ、初日から遅刻するわけにはいきませんっ!待ってくださーいっ」
325もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:20
「ハァ…これじゃ先が思いやられるわ」
溜息混じりに、それでも少し嬉しそうに走り出そうとした時…

「美坂香里さんっ」
「えっ…」
「奇跡って、起こらない事が起きるから奇跡って言うんだよ」

微笑みながら少女が言う。
この声……どこかで聞いた事のある声……
あれは、確か――

「………あ…あなた……」
「初めましてっ!ボクは月宮あゆ。これからよろしくね、香里さんっ」

天使の羽が揺れる。

「…そう…あなただったの……ありがとう」

長い長い夢の終わり。 そして、始まり。
326もう一つの結末:2001/03/23(金) 05:26
『本当に…本当にいいの?』
『それなら、ボクの願いは………』


『この世界に生きるものすべてが幸せになれますように』