■SS投稿スレcheese3

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第十三話 彼方から、此方へ

「ナユキのやつ、遅ぇ…」
「そうですね。一体どこまでお買い物にいったんでしょうね」
 アキコさんはそう言うと、湯飲みに入ったお茶を一口啜った。
「…アキコさん、ナユキのこと信頼してるようですね」
「どうしてですか?」
「見た感じですが…あまり心配していないようにも」
「これでも、結構心配なのですよ」
 アキコさんは人形焼をつまんでそう言った。
「私の娘ですから、信頼はしてるんですけどね。それでも、少し心配です」
「そういうもんですか」
 俺も人形焼を頬張った。
「そういうものです」
 アキコさんは湯飲みをテーブルに置いた。
 結局、あの後買い物にいったナユキを商店街において、俺とカオリはミナセ家作戦本部に帰ってきたわけだが。
 ナユキは、一時間経っても帰ってこなかった。
「こりゃあ、かわいそうだがあいつは戦場(ここ)に置いていくしかないな…カオリ、ヘリを出せ」
 場を和ませるために下手な冗談を言う。
「ハインドDでいい?」
「……」
 素で返された。
 俺の心、カオリ知らず。
「なんだったら、私なりのルートでF16とかも用意してきていいけど」
 カオリは少し笑ってそう言い返してきた。
「そのルートを教えろ」
「秘密、よ」
「けち」
「まあまあ、ユーイチさん」
 アキコさんが中に入った。
「攻撃用ヘリならうちの物置の中にいくつかありますから、自由に使っていいですよ」
 アキコさんはしれっとそう告げた。
「ま、使うときがありましたらね…」
 と言いつつ、こっそりヘリを使うシミュレーションを立ててみる俺なのだった。
 シミュレーションが遂に敵地潜入! というところまで進んだ所で、カオリが茶々を入れる。
「でも、シェルターの壁についた組織のレーダーが隙間無く監視しているはずだから、空中からの攻撃はおそらく不可能よ。撃墜されて鉄屑になるのがオチ」
「それは初耳だ」
「もともとはGHOSTを探す為のセンサーだけだったらしいんだけど、改良してレーダーも一緒になってるわ。シェルターの壁には、都合14万4千個のレーダーがついてるから、潜入するなら陸路ね。―あ、でも、ヘリを囮にするならいいかもしれない」
「やけに詳しいんだな」
「まあね。こういうことは情報が大事だから」
「その情報源を教えてくれと言っても、多分教えてくれないんだろうな」
 俺はソファーに深く体を静めながら、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「謎の多い女だ…」
「お互い様よ」
 カオリは、どうやら笑っているらしかった。
「そういえば」
「はい?」
「アキコさんとナユキって、親子なのに一緒にいるところをみたことないような気がするんですよね」
 そう、俺の記憶が確かならば、二人が一緒にいるところを見たことはこれまでに一度もない。
「そんなことありませんよ。ユーイチさんが覚えていないだけです」
「いえ、でも俺には…」
「ユーイチさんは覚えています」
 アキコさんは俺の目の前に手をかざす。
 すると急に視界が水の向こうに見える風景のように歪み始めた。
「おぼえていーる、おぼえていーる…」
「あ…、う…」
「そうですよね、ユーイチさん?」
 ……。
 ……。
 なんだか、急にそんな気がしてきた。
「今朝だって、一緒に朝ご飯食べていたじゃないですか」
「…えーと」
「ほら、思い出しました?」
「…あ」
 確かに、今朝はナユキとアキコさんと一緒に朝食を囲んだ…気がする。
「おかしいな、そんなに俺の記憶って不確かだったっけ…」
「少し疲れているんじゃないですか? ここの所ずっと何かを警戒しているようでしたし」
「うーん、そうかもしれませんね…」
 なぜか強引に理由をつけられた気がしないでもないが、とりあえず俺は納得した。
「ナユキ、とんでもなく遅いですね」
「これは何かあったと考えるべきなのかしら? 普通の商店なら、もう店じまいの時間よ」
 カオリはちらりと時計を見る。
「この国は、店じまいが早いんだな」
「多分、ここの夜は何処よりも早く訪れるからよ。そして、ここの夜は何処よりも暗い」
「妙に格好つけるな」
「事実を言ったまでよ。アイザワ君」
「……」
「……」
「言われてみればアユも遅い…」
「私は何も言ってないわよ?」
「いや、今のは確かにお前の声だ。お前の心の声が俺に届いた」
「…私はテレパシストじゃないわ」
 カオリはジト目でこちらを睨んだ。
「聞こえたものはしょうがない。ということで、これからは俺に言いたいことがあればなんだって心の中で呟いていいぞ」
「あきれた…」
 カオリの見せた表情は言葉どおりのものだった。
「あ、そのことでしたら大佐さんからお話は伺っています」
「大佐はなんと?」
「アユちゃんはこれから私たちと別行動になるそうですよ。なんでも、守護役と攻撃役が一緒にいるのはまずいだろうって」
「…そうですか」
 言われてみれば確かにそうだ。
 ただ、そうならそうと、あのときに言ってくれればアユに妙な気を遣わずにすんだものを。
「…それは少し失礼だと思うわ」
「なにっ? まさか、お前やっぱりテレパシストなのか?」
「自分で独り言を言っておいて何を言うのよ」
「え?」
「さっきから聞いてると、下手な冗談だとか、シミュレーションがどうだとか、アユに妙な気を遣わずにすんだとか」
「…そうなのか?」
「その、自分が考えることをいちいち口に出す癖、直した方がいいわよ」
「アキコさんは知ってたんですか?」
「便利でしたから今までずっとほっときました」
 マジらしい。
ただいま〜」
 玄関の方から力無い声がする。
「あら、ナユキが帰ってきたようですね」
 俺はその声に反応して玄関のナユキを出迎えた。
「おかえり。ずいぶん遅かったんだな。何してたんだ?」
 言ってみてその台詞が何処となくその辺の頑固な父親臭いなーと考えて、少し恥ずかしくなった。
「なんだか、すごく疲れたよ…」
「まあ、この時間まで出歩いてるんだからな」
「くー」
「玄関で両手に荷物を下げたまま立ち寝するなっ」
「じゃあ、荷物降ろす…」
「玄関で立ち寝するなっ」
 ばたん。
「くー」
「玄関で寝るなっ!」
 だめだ。
 ナユキお得意の半レム睡眠モードになっている。
 こうなったが最後、ナユキにまともな社会生活をさせることはできまい。
「ユーイチ、なんかすごく失礼なこと言ってる…」
 よく見るとナユキに見えないでもない青い放射状の物体は、それでも、自分のことに対する感覚はしっかりしていた。
「ユーイチさん、すいませんがナユキを部屋まで連れて行って寝かせてあげてくれませんか」
「え、でもこれから話があるんじゃ」
「ナユキには明日私のほうから話しておきますから、お願いします」
「わかりました」
 腰をおろし、ナユキの肩を自分の肩に乗せる。
 ナユキの長い髪が、ばさっと頬にかかった。
「ほら、ナユキ。自分でも動け」
「ん〜…」
「結構お前重いんだからな」
「わたし、そんなに重くない…」
「だったらはよ動け」
 ゆっくり、ゆっくりとナユキの足が交互に動く。
 そのおぼつかない足取りで、ミナセ家の階段を上っていく。
 どうやら、本当に疲れているらしかった。
「ナユキ…」
「…なに…」
「今まで一体何してたんだ?」
 ナユキの眠ろうとする意識を阻害しないように、小さな声で囁く。
「閉店直前謝恩特別大売出しセール・ファイナルリミックス…」
「それでこんなに遅くなったのか」
「……」
「……」
「…ファイナルリミックス?」
「……」
「…ナユキ?」
「…すー」
 返事は無かった。
 かわりに、穏やかで規則正しい寝息が耳をくすぐる。
 もう眠ってしまったようだ。
 俺はナユキの足が段差にぶつからないように、少し抱え挙げた。
 さっきはああ言ったけど、実はナユキの身体はかなり軽い。
 別にナユキが動かなくても、俺だけの力で十分に上ることができる。
「今度は、そうしてやるか…」
 起こさないように、聞こえないように、俺はそう密かに宣言した。
 ナユキの部屋のドアをゆっくりと開ける。
 目覚し時計に囲まれた、いつもどおりのナユキの部屋。
 そこに、主であるナユキが帰ってくる。
 それまでざわめいていた時計たちが、それに気づいて静かに部屋の中に落ちついた…ように見えた。
 部屋の真ん中にあるベッドに、眠り姫のナユキを横たえる。
 その穏やかな寝顔に、戦いの使命がある少女の面影は無い。
 今はただ、眠りの世界に。
 開いたままのドアから外に出ようとすると、ナユキの寝言が夜風に乗って聞こえてきた。
「窓、開きっぱなしだったかな」
 確認のため、もう一度部屋の中に入る。
 窓枠を見ると、そこにはかすかに隙間が開いていた。その隙間から風が吹いてきたらしい。
「う…ん」
 窓の鍵を閉める俺の横で、ナユキが寝返りを打った。
 ナユキの身体はちょうど俺のほうを向く。
 悲しい夢でも見ているのだろうか、ナユキは顔をしかめていた。
 とは言っても、よく見ないとわからないほどの小さな歪みなのだが。
「……」
 黙ってナユキの毛布をかけなおす。
「…おかあ、さん…」
 どうやら、ナユキはその怖い夢の中でもお母さんと一緒のようだ。
 それなら、きっと大丈夫だな。
 俺は安心してもう一度部屋を出ようとした。
「お母さん…どこ…?」
「え…」
「どこ…どこにいるの…」
「…ナユキ…」
 少し、心配になった。
 けど、俺にはこうやって傍観することしかできない。
 どんなに頑張っても、ナユキの夢の中に入ることはできないのだから。
「おかあさん…」

 ―その時、ナユキの目からこぼれた涙の意味を、俺は知らなかった…。