■SS投稿スレcheese3

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この日――3月14日!
「さて……」
俺は机の上に置いた紙袋を見て、ウム! と強くうなずいた。
今日は俗にいうホワイトデー。そう、バレンタインのお返しに、男が女にプレゼントをするという、
なんというか実にアレな日である。
この紙袋の中にも、ご多分にもれずたくさんのプレゼントのたぐいが詰まっている――
といっても、ほとんどが食べ物であるのだが。
「ま、渡す相手が相手だからなァ……」
あいつほど、『色気より食い気』を体現している女を俺は他に知らない。
チラと時計を見ると、ちょうど2時半を指している。
「今から行けば、おやつどきに間に合うな」
俺は紙袋を手に取って、部屋をあとにした。
この後に起こるやっかいごとを、知る由もなく……

廊下に出ると、ちょうど隣室のドアが開き、部屋の住人が滑り出てきた。
「よう、ぴろ。あいかわらずもこもこだな」
「うなぁ〜〜」
「……って、なんでぴろにだけ挨拶するのよぅーっ!」
と俺にむかって唇を尖らせたのは、隣室の主である猫のぴろの飼い主であり、この家の
居候である沢渡真琴にほかならない。
ちなみに記憶喪失だったり俺を怨んでいたりするのだが、さしあたってそれはどうでもいい。
「おおっ。真琴もいたのか。ぜんぜん視界に入らなかったぞ」
「なんですってぇーっ!」
「心配するな。それだけ影が薄いってことだ」
「これっぽっちもフォローになってないわよぅっ――!」
「ま、そゆことで。俺急いでるから、またなっ」
「どこ行くの?」
「う、それは――」
真琴の目が俺の手にした紙袋に向けられる。
「なにそれ――?」
「い、いやなんでもないぞ。真琴には金輪際、縁のないシロモノだ」
「そんな言い方されると、すごく気になるわよぅ――」
「……しょーがないな。じゃあ、この肉まん味のキャンデーをやるからおとなしく山にお帰り」
「真琴は野犬じゃないわよぅッ……でも、ありがとーっ(ト駆け去る)」
「ちゃんとぴろにも分けてやれよ……」
玄関まで来たところで、俺はふと思いなおす。
(待てよ……)
真琴は、まあどうでも良かったが、家主であり、叔母さんである秋子さんに
何も渡さないのもどうかと思えた。
それに、先月のバレンタインデーには、特製チョコケーキをご馳走になっているのだ。
「ちょっとくらいお裾分けしても、問題ないよな……」
そう思って、食堂にむかった。
「秋子さん――」
と食堂に足を踏み入れて2秒後、俺はぐるりときびすを返した。
「――何でもないっす」
そのままてくてくと出ていこうとする。
「……って、祐一君っ、露骨にもほどがあるよっ」
「アハハ! 冗談だヨ、あァゆゥウウ……」
「その独特のアクセントはなんなの……」
「気にするな。気にしすぎるとやつれて痩せて、ただでさえ切ないプロポーションがひときわ哀愁を漂わせるぞ」
「うぐゥ……ほっといて……」
「仲が良いわね」
「秋子さんの独創的な解釈に感服」
……いつのまにか水瀬家にあがりこんでいた近所の知り合い、月宮あゆと
当家の家主・秋子さんにむかって、俺はかるく息をついた。
「ところで、なにか?」
「あ――、えーとですね。今日はいちおうホワイトデーってことで……」
「わぁ、お菓子、お菓子〜〜」
「……『秋子さんに』、『バレンタインのお礼を』しよーと思いまして」
「うぐぅ……なんだか独自のアクセントを駆使してボクに何かを伝えようとしてるよ……」
「あゆらしくもなく明察だな。ま、いいや。とりあえず、これ……」
「ありがとうございます、祐一さん」
俺が手渡したクッキーを手に、秋子さんは顔をほころばせた。
「祐一君」
「ホワイトデーのお返しなんて、ひさしぶり」
「いやー、喜んでいただけると俺も嬉しいですよ」
「ねえ、祐一君」
「じゃ、俺これからちょっと出かけてきますんで。ジャッ!」
「うわーんっ! ユウウウイチイィくぅゥ〜〜んッ!!」
「って、半泣きで袖ひっつかんで訴えんじゃないっ。
 俺があたかも未来からきたネコ型ロボットであるかのごとくっ」
「ボクに、お返しは?」
「あゆよ――」
俺はすこしだけ優しい気持ちになって、彼女の頭を撫でた。
「こういうことわざがあるのを、知っているか?
『借金には貸し手があり、復讐には仇がいる』」

「うぐ……知らない……」
「そうか。じゃ、この機会に憶えておくのがキチだ。
 俺はお前にバレンタインのチョコか何かを貰ったか?」
「ううん、あげてないよ」
「だったら、俺がお前にホワイトデーのお返しをする必要はあるのか?」
「ないよ」
「だったら問題ないだろーがっ」
「だって……」
「だって?」
「すごく、お菓子が欲しかったんだよ……」
「泣かすぞこのうぐぅ小僧がやってきた現在進行形っ」
「よくわからないけどひどいこと言われてるよッ・……」
「祐一さん、意地悪しないであげて?」
「つか秋子さん俺がいつどこで意地悪っ。意地悪を……」
「はい、あゆちゃん。わたしのクッキーあげるから……ね?
 ごめんなさいね、祐一さん」
「いえ――」
「あの……秋子さん、いいよ、ボク――」
「いいのよ。わたしは、祐一さんの気持ちだけで、十分だから」
「でも、ボク……」
「……」
俺は、はア、とため息をついて、紙袋の中からたいやき味のマシュマロを取り出した。
「ほら」
「あ……、でも……いいの?」
「いいさ……そのかわり、来年はきっちりチョコよこせよな」
「……あ、うんっ!!」
あゆはマシュマロを受け取ると、弾けるような笑みをうかべて、椅子から飛びあがった。
「そ、それじゃ……ボク、そろそろ帰るねっ。お邪魔しましたっ」
「おい、そんなに――」
「またね、あゆちゃん」
「はいっ……祐一君―ー」
「ん?」
「ありがとうっ……!!」
ばたばたと騒がしく廊下を駆けながら、あゆは行ってしまった。
「何なんだ? いったい――」
「……祐一さんから、お菓子を受け取りたかったんですよ」
「え……?」
俺の問いかけの視線には答えず、秋子さんはかるくほほ笑むと、家事に戻っていった。
(……? ま、いいか)
小首をかしげつつ、俺は水瀬家をあとにした。
時刻は――2時45分。
(ちょっと、急ぐかな……)
ずったった、と小走りに角を曲がりかけたとき――
ふいに、人影が飛び出してきた。
「……っと!」
「きゃ……あっ!」
ドサッ……!
あやうく衝突は免れたが、お互い手にしていた荷物を落としてしまった。
「あ、ああっ!!」
相手は、あわてて地面にしゃがみこみ、落ちた品々を集めはじめる。
「す、すみませ……んっ?」
「いえっ……あ、あれ? 祐一さん――」
こちらを見上げたその顔は、クラスメイト美坂香里の妹、栞だった。
「ごめん、ちょっと急いでたもんでな……大丈夫か?」
「あ、いえっ、はいっ、平気ですっ」
なぜかむやみやたらと焦りつつ、栞は手にした紙袋の中に、散乱した中身を放りこんでいる。
「あ、俺も手伝うよ」
「あっ、その――すみませんっ……」
そそくさと荷物をまとめた栞は、色白の肌に朱をさして、
「そ、それじゃ祐一さん、わたしちょっと用事があるので――」
「あ、ああ、ごめんな、ほんと」
「いえっ……それじゃっ!!」
ぴゅーんっ、と擬態語をつけたくなるような勢いで、栞はずったばったと駆け去ってしまった。
「あいつ、身体弱いくせに……大丈夫かぁ?」
俺はそう案じつつ、紙袋の中身に目をやった。
「泥とかついてねーだろーな……んん?」
中にひとつ、見覚えのない箱が入っている。
何やら、医薬品のようだが……
「栞のやつ、間違えたのかな……ん、んっ……!?」
その箱を手にとって、俺は、絶句した。
そこに描いてある売り文句は――

『ズンズン大きく! パンパン膨らむ! 夢の豊胸薬・CHA―RA!
 すべての微乳女性に捧げます――』
「……見たんデスね」
「ひっ……いっ!?」
いつのまにか舞い戻ってきていた栞の声に、俺はあやうく箱を落としかける。
「なっ……何をだ、栞!? 俺、俺は、何も見てないなぁ――」
「そう……それならいいデス……」
心なしか激しく冷厳な栞の口調に、俺はダラダラと脂汗を流す。
「そのお薬……いったいどうするんデス?」
「こ……これか? そうだなあ〜〜……」
俺はふだん使わぬ頭をフル回転させ、この場を切り抜ける策を練るッ……
(そうだッ……)
「わ、悪いんだけどさ、栞。これ、香里に渡してくれないか?
 その、なんだ、ホワイトデーってことで」
「……なるほど。了解デスー」
薬を受け取った栞は、雪解け後の野山のようにたおやかにほほ笑んだ。
「そ、それとこれ、つまらんものだけどさ。バニラアイス味のチーズケーキ。
 良かったら食ってくれよ」
「わー、嬉しいですー。ほんと、ありがとうございます、祐一さん」
栞はぺこんとお辞儀をすると、すたすたと立ち去っていった。
「・……」
(まさかマジで渡さないよな? な? 着服するンだよな? な?)
俺は無言で、彼女の背中にそう呼びかけた――――
(けっこう遅くなっちまったなあ……)
もう、おやつの時間には間に合わないかもしれない……
(ま、無理に急ぐこともないのか……)
また誰かとぶつかったりしたらシャレにならない。
すこし速度をゆるめて歩いていると、ケーキ屋の前に通りがかった。
日が日だけに、ホワイトデー関係の看板やらがたくさん置いてある。
「あんまり大した品揃えじゃないな……」
と、近くでビラを配っていた着ぐるみが、こちらをクワッと振り向いた。
「……!」
そして、そのまま一目散に俺に突進してくる。
「うおっ!? す、すみませんっ、つい手より先に口から本音が暴言とっ!?」
俺の釈明も聞かばこそ、その高野山平安村のマスコットキャラである『がおまげ』のマゲを
ポニーテールに変えたような奇怪な着ぐるみに、ぐいと肩をつかまれる。
「ヒイィーッ!? ♪がおまげにがおまげに飛びつこうっ、がおがおっ!?」
『祐一〜〜』
「ヒイッ!? そのうえボクの名前をご存じのあなたはいったいどこのがおまげ様ッ!?」
「……わたしだよ〜」
と着ぐるみをカッポと脱ぎ捨てて顔をあらわにしたのは、俺のいとこで同居人であるところの
水瀬名雪その人だった。
「なぁんだ、名雪か……って、なんでおまえそんなカッコしてんだよ。一人高野山平安村ごっこか?」
「そんなことしないよ〜……」
いや、お前はしかねない。
「ちょっとしてみたい気はするけど……」
ほらな。
「ここ、お友達の家なんだ。ちょっと人手が足りないからって、お手伝いしてるわけ」
「なるほどな。てっきり俺はお前が春の陽気に浮かれてさわぎ、自発的にがおまげを演じているのかと思ったよ」
「それじゃただの危ない人だよ……」
「まあな……」
「でね、祐一。ちょっとお願いがあるんだけど……」
「ん……?」
「わたし、ちょっとお買い物してこないといけないんだよ。
 だから、そのあいだ、かわりにこれ着てチラシ配っててくれない?」
「……お前、ムチャなお願いをサラッと言うな」
「いやだったら、べつにいいよ?」
「……そういうわけじゃ、ないけどな」
どうせ、このまま行ってもおやつどきには間に合わない。
それなら、名雪の用をすませてから行っても、同じことだろう。
「じゃ、よろしくね〜」
『ガオ……ガオッ!』
「……べつに、キャラ作りまでしなくてもいいよ」
それはそうだが、思わずこだわってしまうのが、俺の悲しい気性なのだ。
『ガオ、ガオー』と連呼しつつ、道行く人にビラを配ってゆく。
(うーん、しかしこれ、けっこう熱いもんだな)
(……)
(なんだ? リンスの香り……)
(……名雪の、残り香……)

(…………)

(・……)

「……おまたせ〜、祐一〜。もう脱いでいいよ?」
「いや……その、ちょっと待てガオ」
「ん? どうしたの?」
「……気に入ったんで、もうちょっと着てていいかガオ?」
「う〜ん? べつにいいけど……」
「すまんな……その、おさまるまで……」
「え?」
「……こっちの話だガオ……」
「……やれやれ」
日はすでに傾き、夕暮れも間近だ。
思わぬ足止めを食ってしまったせいで、かなり時間をくってしまった。
「まー、しょうがないか……」
ぼやきながら、俺は疲れた足取りで歩きつづける。

クン、クン……

「ん……?」
鳴き声のほうに目をやると、一匹の犬が、俺のほうを物欲しげに見ている。
腹をすかしているらしい。
「……ダメダメ」
俺は紙袋を抱えるようにして、犬の視線から隠した。
ただでさえ減ってしまったのに、これ以上戦力を損耗するわけにはいかない。

クゥ……ン……

「…………」
俺は、空を仰いだ。
「……しょーがねーなあ」
俺はため息ひとつ、紙袋からごそごそと牛丼味のライスチョコを取り出し、
封を切った。
「ほら……これ食ったら、もう行けよ」

はぐはぐ……

犬は、たちどころにライスチョコをたいらげてしまった。
なお、尻尾を振りながら、俺をじっと見つめている。

「あのな……」

「…………」

「…………」

「ごめんな、舞・……」
「……というわけでっ」
灯りに照らされた玄関先で、俺は手を合わせて頭を下げた。
「手ぶらで来ちまったんだ。ごめんっ!」
「…………」
舞はじっと俺を見ている。
怒っているようでもあり、呆れているようでもある。
ムリもない。俺だって、いったい何しに来たのかわけがわからない。
「この、埋め合わせは――」
「大盛り」
「……え?」
「牛丼、大盛り」
言いながら、舞は玄関を閉め、俺の手をとった。
「……行かないの」
「あ、いや……い、行くよ。行くって」
(助かった……やっぱり、色気より食い気だなコイツは)
「祐一に、食べさせてもらうから」
「……はい?」
「あ〜ん」
「……マジですか川澄さん」
「マジ」
「……やっぱり、怒ってるんですね川澄先輩」
「……怒ってない」
「でしたらこの手にこめられた万力のよーな力はいったいどう説明を川澄姐さんっ――!」


結局――
「牛丼あ〜んの刑」は2、3口で堪忍してもらったが……
(やっぱり、怒らせると怖いヨ……)
そう痛感した春の一日ではあった――


(余録)
「はい佐祐理さん、ホワイトデーのお返し」
「ありがとうございますーっ、祐一さん」
「はい……佐祐理」
「……って、なぜお前も?!」
「あははっ♪ ありがとう、舞っ」
「しかもナチュラルに受け取ってるし!?」

(余録2)
「おい相沢」
「なんだい北川」
「美坂が呼んでるぜ。校舎裏に来いってさ」
「北川よ」
「なんだ」
「短い付き合いだったな」
「ああ、そうだな」