第十四話 探索・前編
ナユキを部屋に寝かしつけ、俺は一階の居間に戻ってきた。
「ご苦労様でした」
それをアキコさんが出迎える。
「では、そろそろお話しましょうか。これからの予定を」
おそらく少し物騒な話が始まろうというのに、アキコさんの表情は今までのものとあまり変わっていない。
こういう事には慣れているのだろうか。
アキコさんに案内されて奥のソファーに腰掛ける。
隣にはカオリ、正面にアキコさんといった格好になった。
「それでは、これからの作戦の概要をお話します」
アキコさんは模造紙大の地図をガラステーブルの上に広げた。
「これは…」
「この町の地図ね。それも、かなり正確な」
「なぜ正確だって事が?」
「…私の記憶と矛盾しないから」
「へぇ」
「ほら、ここの通りなんてきっちり15.75メートルよ。道幅にも全くの誤差が無い」
「んなこと言われてもわかんねえよ」
他にも感心すべき所はあるのか、カオリは何度も頷く仕草をしていた。
「――現時点でこちらが手に入れている情報ですが」
「はい」
アキコさんの指がある地点を示す。
「まずこの地点。ここが本拠地といわないまでも重要なポイントであると思われます。ですから、ここの壊滅は余裕があれば、ということになりますね」
「余裕、無いんですか」
「ありません」
「…笑顔で言われても困ります」
アキコさんの指が地図上を滑っていく。
「結論から言うと、この施設を壊滅に追い込んでくれれば、それですむことですね」
「え!」
この建物は、もしや…。
「そのとおりよ、アイザワ君」
「カオリ…」
「私たちは今まで、ずっとその極めて近い所で日常生活を送っていたことになるわ」
「…なんてことだ…」
アキコさんが示した箇所には、俺達の学校が存在していた。
「頭を潰せば大抵の生物は死に至ります。組織というものに生物の論理が通用するかどうかはわかりませんが、少なくとも大打撃を与えることができるでしょう」
「でも、ここは一般市民がそれこそ数限りなく出入りする場所ですよ」
「そうですね。組織がこの場所を選んだのは、だからこそ、なのかも知れません」
「衆人環視という状況で、いわば不在証明(アリバイ)を手に入れ、目を外部にそらす…か」
それにしてはリスクが高すぎる。
おそらく、それ以上の理由が隠されているのだろう。
「…組織はその殆どが夜に動くわ。その理由は今まで知らなかったけど、こんな所にあったんじゃあ当然ね…」
「カオリ、それも例のソースからの情報か?」
「いえ、実体験よ」
「……」
カオリの言う実体験が、どれほどの物であるのかは知りようが無い。
ただ、それが『極めて信頼に値する情報である』事は間違いないようだ。
その理由は、これまでにもうすうす感じていたものだが。
今ここで言っても、意味の無いことだろう。
そしておそらく、アキコさんもそのことはわかっているはずだ。
承知の上なのだ。全て。
「そして、まずあなた方にしてもらう行動は―もうおわかりだと思いますが―この地点における施設の入り口の発見です」
「なるほど…」
そこまではアキコさんの情報網を持ってしても掴めなかったわけか。
「明日より作戦行動を開始してもらいます。向こう三日以内に入り口を発見すること」
「急ぎますね」
「三日もあれば十分よ」
カオリは自身ありげにそう言った。
「なお、お決まりの台詞ですが、君、もしくは君の仲間が組織に発見、拘束されて不当な扱いを受けたとしても、私たちは一切感知しませんので。悪しからず」
「…殆どスパイ映画の世界だな」
「こういっちゃ不謹慎だけど、ちょっとワクワクするわね」
全くもう、これから命をかけた潜入なのになんて緊張感が無いんだこいつは。
「確かにな。スニーク・ミッション(潜入作戦)は久しぶりだから腕が鳴るぜ」
…俺もな。
「では、今夜はゆっくり休んで、明日からの活動に支障が出ないようにしてくださいね」
「わかりました」
「ミサカさんは、二階にある空き部屋を使ってください」
「私は、別にソファーでも構わないんですが…」
「いいんですよ。部屋は使ってもらうためにあるのですから」
「では、お言葉に甘えます」
「それでは、今夜は解散します。ゆっくり休んでくださいね」
カオリが二階に消えたのを見計らって、アキコさんに話し掛ける。
「はい、なんでしょう?」
どうしても、作戦に入る前に、一つ聞いておかなければならないことがある。
「いつだったか、夜の校舎の中にいたマイ・カワスミという戦士…ご存知ですね」
「ええ」
予想に反して、アキコさんはすんなり答えた。
「アキコさんは知っていたんですか?」
「何を、でしょう」
「学校が敵の本拠地であることを」
「おそらくは、とは思っていました」
「では、彼女が夜間に校舎の中にいることは」
「調査のためです。もっとも、入り口を探してもらっていたわけではありませんが」
アキコさんは頬に手を当てると、ふう、とため息をついた。
「なんだか尋問されているみたいですね」
「そんなことありませんよ、ただ、作戦の遂行に必要だと思われる情報を訊ねているだけです」
「ご質問は他にもありますか?」
「彼女、マイは今夜も…?」
「はい。中止命令が出るまでは」
「そうですか…」
俺は椅子から立ち上がり、部屋を後にする。
「質問はもうおしまいですか?」
「はい。後は明日、本人に直接会って訊きます」
そう。
あの夜、彼女はあの学校の制服を着ていた。
リボンの色から判断すると、おそらく上級生に当たる人だろう。
「そうですか」
「一つ言い忘れていましたが」
「なんですか?」
「彼女は攻撃担当になりました。それが、おそらく中止命令となるでしょう」
「……」
「明日、正式に通達が伝わるはずです」
「……」
俺はもう階段を上り始めていた。
少し、軋んだ。
俺は暗い部屋のベッドに横になり、今までの事を整理することにした。
駅前でのナユキとの邂逅。
この町の秘密。
いびつな学校生活の始まり。
カオリの不可解な力。
謎の多い二人の戦士。
とある密輸組織の壊滅。
アユ。
『核となる幽霊』作戦。
明瞭でない記憶。
倉庫。
学校の正体。
そして…今この闇の中に至る。
順番に思い返してみると、そこに何か大きな力が働いて、自分はそれに流されているような気がしてくる。
こんな感覚は初めてじゃない。
いや、よくあるものだと言ってしまえばそうなのかもしれない。
誰かに命令されて、その通りに任務をこなしていく生活。
自分の意志とは全く無関係に何かが裏で進行している。
それは俺にとってけして珍しいことではない。
ただ、今回は…。
「あまりに大きすぎるものが、そこにいるような気がしてならない…」
俺が漠然と感じている不安はそういうものだろうか。
それとも、ただの考えすぎなのだろうか。
「どちらにしろ…」
暗闇の中に手を突き出す。
照明も、月や星の光も無い部屋の中では、目の前にあるはずの腕すら輪郭がはっきりしない。
…果たして、そこに指はあるのだろうか。
俺は何度も手を握ったり、顔に触れたりしてその感触を確かめた。
「確かなものはこの体が感じ取るものだけ、か…」
わかりきったことを呟くと、いくぶん気が楽になったようだ。
目を瞑り、息を止め、眠る。
眠りが体の輪郭を曖昧にする。
体が夢の世界の中に融けていき、安息の世界に包まれていく…。
そこで、俺は誰かの夢を見た。
一体誰なのだろう。
確かめようとすると、それは光のようなものとなり、幽霊のように消えていった。
その最後の瞬間に、幽霊は何かを呟いたようだ。
俺には、聞き取ることができなかった。
翌日。
厚い雲の隙間から僅かな太陽光が射す教室の中。
俺とカオリ、おまけにキタガワが一人。
今はただ、何をするでもなく…。
「これで、チェックメイト」
一体のナイトが敵のクイーンを射程圏内に入れる。
唯一の味方であるポーンは戦域外で弱弱しく立ち尽くす。
既にクイーンに生き残る道はなかった。
「ぐおおっ! お、俺のシシリアン・ディフェンスがここまでにも完膚なく!」
「キタガワ、カオリ相手にそれは無謀だ。大技だろうがそれは」
「強力な戦法も、軍師の腕によってはまるで逆効果になるのよ。覚えておくのね」
カオリはそうクールに言い放つと、席を立った。
…交代の時間か。
「カオリ、チェス強いんだね。盤面からでもわかるよ」
入れ替わりのようにナユキが入ってくる。
時間どおりだ。
「というか、キタガワが弱いんだな」
「うるせえ」
キタガワは、恨めしそうに俺を睨みつける。
「これで、キタガワは五戦連敗、だな」
「くそー…、どうせ今日は暇だからってチェスを持ってきたのが裏目に出ちまった」
なぜかは知らないが、今日は大抵の授業が休講になっているのだ。
アキコさんが裏に手を回した…のかどうかは定かではないが。
ともかく、絶好のチャンス。
「俺は二日、カオリは三日分の昼食代が浮いたって訳だ」
「じゃ、私もやろうかなー」
「せめてナユキには勝って、おれの負担を少しでも軽くしてやる」
「程々にしてやれよ、ナユキ」
そう言って、俺もこの場から離れる用意をする。
あくまで自然に、見咎められないように…。
『ユーイチが自由になれる時間を稼いで欲しいの?』
『ああ。例の事とは別件だが、どうしても確かめておかなきゃならないことがあるんだ』
『わかったよ。じゃ、10分だけ。それ以上は、多分クラスのみんなにも怪しまれると思う』
『10分か…。それだけあれば十分だと思う』
『無理はしないでね、ユーイチ』
ナユキのポーンが一歩前に進む。
それに応対するようにキタガワが駒を掴む…と、その時。
「あ、ごめん。電話だ」
着信に気づいたナユキは、ポケットから例の携帯電話を取り出すと、窓際に移動し、口元を抑えて通話をはじめた。
たぶん、アキコさんからだろう。
「む〜〜〜〜…」
キタガワは真剣にボードとにらめっこをしていた。
「キタガワ、こういうときにイカサマはだめだぞ」
「まだ駒が3つしか動いてないのにそんなことできるかい」
返事も適当にキタガワはにらめっこを再開した。
(笑うと負けよ、あっぷっぷ…)
笑えなかった。
俺が自分のギャグの寒さ加減に一人震えていると、ナユキが戻ってきた。
「よかった。俺は一人で凍死してしまうところだったぞ」
「何のことかわからないけど…、とりあえず、待たせてごめんね、キタガワ君」
「こっちとしてもなかなか有意義な時間だった…と、ミナセさん、その携帯は?」
「これ?」
「見たことない機種だな〜。ちょっと見せてもらってもいい?」
「いいよ」
ナユキは、キタガワに携帯電話を手渡す。
「お母さんの特注品なの。だから、世界にたった一つ」
「へぇ…」
キタガワはしげしげとそれを見つめる。
「っと、こんなことをしてる場合じゃなかった。俺の次の一手は…こうだっ、と」
そう言えば、俺もこんなことをしている場合じゃなかった。
あまり人の目に付かないように教室を抜け出す。
彼女…マイに会うために。