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274Starting Over・1

 プロローグ.長森

 その冬、浩平は同じクラスの里村さんと付き合い出した。
 同じクラスとはいえ、里村さんはおとなしすぎるほどおとなしい人で、
 わたしには今一つどういう人なのか分からない・・・。
 でも、浩平が選んだんだから、きっと、いい子なんだろうと思う。
「これで、わたしもお役ご免かな」
「いや、朝はおまえじゃなきゃだめだ」
「そんなあ、勝手だよ、浩平」
「茜は家の方向が違うからな」
「なんだ、それだけなの」
「・・・それだけだ」
 大丈夫だよ、浩平。
 わたしは・・・傷ついてなんか、いないよ・・・。
『うそつき・・・』
 
 1.浩平

 その日は朝から雨が降っていた。
 濡れた傘を振り回しながら教室に入ると、住井が声をかけてきた。
「あれ、雨なのに今日は里村さんと一緒じゃないのか?」
「ああ、今日は会わなかったな。いつもの空き地にもいなかったし。どうしたんだろう」
 住井はニヤニヤして言う。
「なんだ、心配なのか、折原」
「な、なんで、オレが心配なんかするんだよ」
「へえ。心配じゃないんだ」
 それには答えず、オレは窓の外を見る。目は無意識に茜のピンクの傘を探していた。

 髭が教室に入ってきて出欠確認をする。
「んあー。里村は休みか?誰か何か聞いてないか?」
 オレは思わず住井と顔を見合わせた。


 2.長森

 一時間目が終わると、心配そうな浩平がわたしの席に来た。
「うん、わかってるよ。里村さんの家に電話してみるね」
「・・・頼む」
 うなずいて、小銭入れを手に席を立つ。
 電話は食堂か事務室の前まで行かなければ、無い。
 短い休み時間なので、わたしは急ぎ足で昇降口手前の事務室に向かう。

 昇降口から3年生の男子数人がこちらに向かって歩いてくる。
 伸ばした髪を染めてたりして、ちょっと苦手なタイプの集団。
 無意識に彼らから距離を取るようにして、すれ違う。
 と。
 すれ違う瞬間、彼らの会話が断片的に耳に入ってきた。

「・・・絶対・・・でると・・・・・・」
「・・・だったなあ・・・」
「・・・まさか処女・・・とは・・・」
「・・・ごには・・・だったぜ・・・」

 彼らが行ってしまってから、なぜかわたしの心に、じわじわと不安がひろがってきた。
 ・・・まさか、ね。関係ないことだよね・・・?
 そう自分に言い聞かせながら、足はほとんど駆け出していた。
 わたしは祈るような気持ちで、電話の受話器をひったくるように取り、
 彼女の家の番号を押す。
275Starting Over 2:2000/08/19(土) 01:03
 3.浩平

「はぁっ、はぁっ、こ、浩平っ、ちょっと、来て・・・」
 息を切らせた長森が廊下からオレを呼ぶ。
「どうしたんだ?」
 オレは腕をぐいぐいひっぱられ、人気のない階段の踊り場まで連れてこられた。
「家は普通に出たんだって」
「ということは、途中で事故にでもあったのか?」
「でも、通学途中だよ?制服着て、身分を証明するものも持ってる時に
 事故にあったら、学校にも家にも連絡がないなんて、そんなはずないよ」
「ということは・・・どういうことだ?」
 一瞬、黙った長森が、躊躇したように話し出す。
「・・・関係ないかも知れないけど、ううん、関係ないと思うんだけど、
 電話をかけに行く時にね・・・」
 すれ違った上級生の男子の集団。断片的な会話。
 オレは話を全部聞き終わる前に、昇降口に向かって駆け出した。
 すぐに長森も後を追いかけてくる。
 チャイムが鳴り、教室へ戻る人波に逆行して、オレと長森は走りつづけた。

「可能性のある場所って、どこだ?」
「人が普段出入りしないような場所、だよね」
「体育倉庫とかか?」
「うん、そういう線だと思うよ」
 昇降口から出て、校庭の端にある体育倉庫を覗くが、そこには誰もいない。
「浩平、運動部の部室とかはどうかな」
「鍵かかってるんじゃないか?・・・一応念のため見とくか」
「じゃあ、わたしは他に何かないか探してみるよ」
 オレは部室群の方へ走り、鍵のかかっていない部屋を片っ端から見て回る。
 全てが徒労に終わり、杞憂だったか、と思いかけたその時。
 遠くで、長森の悲鳴のような声が聞こえた。
「・・・里村さんっ!!!」
 その声が聞こえた瞬間、オレは駆け出していた。


 4.長森

 浩平が運動部の部室の方へ走り去った後、わたしはぐるりと校庭を見まわして
 もう一度考えてみる。緑色に淀んだ水で満たされたプールが目に入る。
 この寒いのに、プールのことなんか考えたくないな・・・とぼんやり思った時、
 私の頭の中に何かが引っかかった。
 プールの隣にある水泳用の更衣室。
 夏場は塩素と汗の匂いで蒸せ返るようなその場所は、今の季節には
 全く忘れ去られて、廃墟のような佇まいを見せている。
 わたしは恐る恐るその扉に手をかける。鍵はかかっていなかった。
 ガチャリ、と重い音を立てて扉が開いた次の瞬間、わたしの喉は悲鳴にも
 似た声しか上げることができなかった。
「・・・里村さんっ!!!」
 搾り出すように名前を叫んだ後、わたしは動くことも話すこともできずに、
 立ちすくんでいた。暑くもないのに背中に汗がつたうのが分かる。
 涙がにじんでくる。膝が震えている。動揺したまま、よろよろと彼女の方に
 足を踏み出しかけた時。遠くから、浩平が走ってくるのが気配で分かった。

 いけない。
 浩平にこれを見せちゃ、いけない。
 浩平だけには、決して見せてはいけないんだ。

 ・・・それは彼女にとって、あまりにも残酷すぎるから。

 わたしは踏み出しかけた足でくるりと振り返り、浩平の前に立ちはだかる。
「お願い、それ以上は来ないで」
「な、長森?茜はいるのか?だったら・・・」
 何かを言おうとしている浩平を無理矢理さえぎる。
「保健室の先生を連れてきて。ここはわたしがなんとかするから」
 わたしはほとんど泣きそうだったと思う。浩平は何か言いたそうだったけど、
 わたしの様子をみて何かをさとったのか、しぶしぶといった感じで校舎のほうへ
 走り出す。
276Starting Over 3:2000/08/19(土) 01:04

 ふう。わたしは溜息を一つついて、更衣室の中へ入る。
 ・・・まだ、足は震えているけれど。
 浩平が保健室の先生を連れて戻ってくる前に、彼女のこの酷い状態を
 なんとかしてあげないと。
 わたしが近づいても、彼女の瞳は感情を失ったかのように、見開かれた
 まま凍りついている。
 目尻から頬にかけて幾筋もの涙の後がついていて、痛々しい。
 わたしはまず、柱に縛り付けられている両手首のロープを解くことから始める。
「・・・ひどい・・・」
 手首についたロープの跡は紫色の痣になり、ところどころロープで擦れて
 血が吹き出していて、彼女がどんなに激しく抵抗していたかを物語っていた。
 血のついたロープを解きながら、また涙がこぼれてきた。
 出血は手首だけではなかった。あちこち破られたスカートがまくれあがり、
 露わになった下半身は、さらに痛々しい状態だった。
 血と精液で汚されたその部分を、ポケットに入っていたハンカチを水で
 濡らして拭き取る。
「冷たいと思うけど・・・ごめんね」
 返事も反応もなかった。
 一度ハンカチを水ですすいで、涙と泥で汚れた顔や他の部分もひととおり拭く。
 上着とブラウスは乱暴に引き裂かれていて、衣服としての役割を果たしそうに
 なかった。わたしは自分の上着を脱いで彼女の上半身を覆い、乱れた髪を
 手櫛で整える。彼女は瞳を動かすこともなく、感情のない人形のように、
 されるままになっている。わたしの涙は、止まらなかった。


 5.茜

 目を覚ますと、私は見なれない場所にいた。
 白い天井。
 消毒薬の匂いのするベッド。
 腕には点滴の管がつながれている。
 ・・・どうやら病院らしい。
 ぼんやりとした頭でなぜ自分が病院にいるのか、
 目覚める前なにがあったのかを思い出そうとして・・・・・・。
 なにがあったのか。
 なにが。
 ・・・・・・。
「いやああああああぁぁぁぁぁっ!!」
 思い出したくもないことを思い出してしまった瞬間、私は発作的に点滴の管を
 腕から引き剥がして泣き叫んでいた。


 朝。
 雨の朝。
 いつもの空き地を外から見つめる。
「おまえは、ふられたんだ」
 そうはっきりと私に言ってくれた人。
 その人のことを思い出して、私の心に、ぽうっ、と灯がともるような暖かさが広がる。
 私は少しだけ微笑んで、空き地の中に入らずに学校へと向かう。
 いつもの雨の日のように、少し早く家を出てしまったので、学校に着くのも早かった。
 まだ人がまばらな昇降口で、上履きに履き替えようと靴箱を開いたとき。

 誰かが後ろから私を羽交締めにした。
「なにを・・・!」
 するんですか、と言おうとした私の口を大きな手が塞ぐ。
 一人じゃない。
 暴れようとする私の手足を何人かの腕が押さえつける。
 恐怖で喉が枯れ、身体が震える。
 取り囲まれたような状態で、私の身体はその場から連れ去られた。

 薄暗くてかび臭い部屋に連れ込まれる。
 私はこれから自分が何をされようとしているのか、ぼんやりと理解し始めていた。
 絶対に嫌だ。
 なんとかここから逃げ出さないと。
 そして、口を塞いだ手が離されたとき、私は出来る限りの大声で悲鳴をあげた。
 次の瞬間、私の身体は跳ね飛ばされていた。
 左の耳が一瞬聴覚を失い、頬が焼けるように熱くなる。
 思わず手をやると、唇が切れて血が流れていた。
 本気で叩かれたらしい。
 絶望と恐怖で頭がくらくらする。
 身体が震えて、起き上がれそうにない。
 近づいてくる数人の黒い影。
 涙が頬を伝う。
(助けて、浩平!)
 心の中で何度も叫んだ。決して届くはずのない言葉を。
277Starting Over:2000/08/19(土) 01:05

 両手を柱に縛りつけられ、上着とブラウスが乱暴に剥ぎ取られ、
 ブラジャーが捲り上げられる。
 無駄だと知りながらまだ抵抗しようともがく私を、冷たい目が嘲笑っている。
「へへ、意外に胸大きいじゃん」
 無骨な手が胸を弄ぶ。
 ・・・嫌・・・!
 私に触らないで・・・!
 私に触ってもいいのは、あの人だけ・・・。
 脳裏に浩平の顔がよぎる。
 その時。
 恐ろしい考えが私の頭に浮かぶ。

 あの人に、私がこんなことをされているのを知られたら・・・?

 嫌・・・それだけは、絶対に、嫌だ。
 ・・・死んだ方がまし。
 今、舌を噛み切ったら、汚されることなく死ねる。
 そうだ。
 死のう。
 そう思った瞬間。私の口に、何かが無理矢理押し込まれた。

 むっと鼻を突く青臭い臭気が喉の奥までを満たし、私は吐き気を覚える。
 私の胸の上に馬乗りになった男が、自分の性器を私の口に押し込んだのだ。
 乱暴に私の髪を掴んで、口の中をメチャクチャに突き回す。
「痛っ、歯を立てるんじゃねえよ!」
 髪が抜けそうなくらい強く引っ張られ、痛みと屈辱で涙がこぼれる。
 本当は噛みちぎってやりたい。
 でも私の身体は震えが止まらず、歯の根が合わない。
 私は、死ぬことすら、できない・・・。
 その時の私には、もう抵抗する気力さえ残ってはいなかった。
 ただ絶望だけが暗く心を満たしていた。

 スカートを捲り上げられ、下着を脱がされ、足が大きく開かれる。
 そして、何の前触れもなく、いきなり挿入された。
 身を裂くような強烈な痛みに、無意識に身体が暴れる。悲鳴が漏れる。
「なんだ、処女かよ・・・へへ、きつくて気持ちいいぜ」
 そう言って男は私の様子を気にすることもなく、乱暴に腰を突き動かす。
 痛い。
 助けて。
 お母さん。
 詩子。
 誰か。

 浩平・・・。

 私は、考えるのをやめた。
 そうしないと、心が、壊れてしまいそうだったから。

 あとは、痛みと恐怖だけが心を支配していた。



・ 気がつくと、また、白い天井。
 手足が動かない。ベッドに縛り付けられた状態。
 さっき目覚めた時、私は点滴を引きぬき、大声でわめきながら部屋の中のものを
 片っ端から投げつけ、大暴れしてしまった。
 看護婦さんとお母さんが飛んできて私を押さえつけるまでそれは続き、
 私は泣き叫びながら気を失ったのだ。
 この状態じゃ、やっぱり舌を噛み切るぐらいしかできることはない。
 私は自虐的に笑う。
 舌を噛み切る?
 今更、一体何のために。
 私は、ひどく疲れていた。
 もう何も考えたくなんかなかった。
 もう何も感じたくなんかなかった。
 何もかもが、とても遠くに感じられる。
 私とこの世界との間に薄い壁があるかのように。
 ・・・どうでもいい。
 何もかも、もう、どうでもよかった。
278Starting Over:2000/08/19(土) 01:06
 6.長森

「ごめんなさい、今はまだ誰かに会ったりできる状態じゃないんです」
 申し訳なさそうに、里村さんのお母さんが告げる。
「・・・いえ、いいんです。これ、お見舞いのお花です。渡しておいてください」
 それだけ言って、離れがたそうな浩平を促して、病院をあとにする。
 こんな時、わたしにできることなんて、何一つない。
 里村さんに対しても。浩平に対しても。

 あの時。浩平が保健室の先生を連れて戻ってきたそのあと。
 先生は救急車を呼んで、一旦校長室へ報告に行った後、わたしたちに
「このことは決して口外しないように」
 と言い聞かせて、里村さんとともに病院へ行った。
 わたしたちは校長室に呼ばれて、私服の刑事さんに事情を聞かれた。
 校長は、これ以上里村さんを傷つけるようなことはしたくないからと、
 この事件を極秘のうちに収めたい、と言った。
 確かに大事になると里村さんは今以上に傷つくことは間違いないとは
 思うけど。なんだか釈然としない。
 校長室を出たあと、教室に戻る気がしないわたしと浩平は、
 どちらからともなく屋上へ向かった。
 身体に突き刺さる冷たい風に、大きく身震いしながら、浩平に話しかける。
「・・・あの上級生の処分はどうなるの」
「退学、は間違いないだろうけど。あとは警察に任せるしかないんじゃないか」
「・・・死刑になればいい」
 浩平が驚いたような顔でわたしを見る。
 わたしは流れる涙を拭うこともできずに吐き捨てる。
「だって、あんなの、女の子にとったら殺されるのと同じだよ。
 それよりひどいかもしれないよ」
 浩平は、震えながら泣きつづける私の頭を、自分の胸にそっと押しつける。
 浩平の腕の中で、彼の肩も震えているのが分かった。
 でもそれが寒さのせいなのか、怒りのせいなのか、悲しみのせいなのか。
 自分たちにも分からなかった。


 あれから浩平はめっきり口数が少なくなってしまった。
 いつも何かを考え込んでいるようで、話しかけても返事すらしないことが多い。
 なんだか・・・昔を思い出してしまう。初めて浩平に会った頃。
 泣いてばかりいて、一緒に遊んでくれなくて。
 わたしはそれが悲しくて、浩平と約束をしたんだっけ。
(・・・約束?)
 そう、確かに約束をしたはずだ。
 でも、何を?

『永遠はあるよ』

 突然、頭の中で声が響く。
 幼い女の子の声。

『ずっと、いっしょに居てあげるよ、これからは』

 ああ、これはわたしだ。
 そう、約束をしたんだったね・・・。
 なぜ今まで忘れていたんだろう。

『それは、浩平が瑞佳以外の人を好きになるなんて、思ってもみなかったからだよ』

(・・・え?)
 わたしは思わず辺りを見まわす。
 違う。この声は頭の中から響いてくる。

『だから、悔しかったんでしょう、瑞佳?』
『里村さんなんて不幸になればいいと、思ってたんでしょう?』

(・・・何を、言ってるの)

『里村さんがあんなことになって、嬉しいでしょう?』

(・・・違う)

『あんな汚された身体じゃ、もう浩平が彼女を愛することなんてないと思って、
 喜んでるんでしょう?』
『あれが、あなたの望みだったんでしょう?』

(違う、違う、違う、違う、違う!)
(わたしはそんなこと、望んでない。望んでないよ・・・)

『ふふふっ・・・本当に?』

 嘲笑するような声。
 わたしの・・・声。

 本当に・・・?
 足元が崩れるような感覚。
 急速に現実感が失われ、世界が歪んでゆくような錯覚。
 錯覚?
 本当に錯覚なんだろうか。

『里村さんが憎かったんでしょう?』
『里村さんを好きになった浩平も憎かったんでしょう?』
『あの二人が苦しんで、いい気味でしょう?』

「やめて、やめて、やめてーーーっ!!」
 頭がおかしくなりそうだった。ううん、もうおかしくなっているのかもしれない。
「違うよ・・・そんなひどいこと思ってないもん・・・違うもん・・・」
 わたしは自分の身体を抱きしめて泣きながら、力なくつぶやきつづけていた。
279Starting Over:2000/08/19(土) 01:07
 7.茜

 意識はあった。
 なのに私は話すことや動くことはおろか、表情を動かすことすら
 億劫になっていた。
 何も見たくなかった。
 何も聞きたくなかった。
 誰の顔も。
 誰の声も。
 生きていることすら思い出したくなかった。

 なのに。
 私の脳はその人の姿を認識してしまう。
 扉の前に立つ、その人の姿を。

 ずっと、会いたかった。
 会って、抱きしめてほしかった。
 本当に、そう思っているのに。

 私の喉は反射的に叫び声をあげてしまう。

 まるで心が二つに引き裂かれたみたい。
 彼を心から求めている私と、何もかもを拒絶してしまおうとする私と。

 お母さんが飛んできて、浩平に謝りながらその場から彼を引き離す。
 看護婦さんが私をベッドに押さえつける。私の叫び声はまだ止まらない。
 浩平は悲しそうな顔で扉の前から姿を消す。

(浩平・・・ごめんなさい)
 8.浩平

 どうしてこんなことになってしまったんだろう。
 オレにできることは、何もないのだろうか。
 病室の前から連れ去られながら、オレの方こそ叫びたかった。

 感情を失ったような瞳で叫びつづける茜をこの目で確認したことは、
 想像以上にオレを動揺させていた。白い部屋に横たわる、痩せて
 やつれた、青い顔をした女の子。それは、封印していた悲しすぎる
 記憶を思い出させるものだった。


 また、ぼくは、こんな悲しいことに直面してしまった。
 どうして?
 何のために?

 こんな現実なんか、いらなかった。
 もう二度とあんな辛い思いはしたくないと思っていたはずなのに。
 なのに、ぼくはまた、こんな場所に居る・・・。

 ・・・幸せなはずだったこの世界を壊したのは・・・誰だ?





 冬の朝は夜明けが遅い。
 まだ薄暗い窓の外を眺めて白い息を吐きながら、オレは制服に着替える。
 バタフライ・ナイフを、しばらく手の中で弄んでから、ポケットに入れる。
 そして部屋を出ようとした時。

 そこに青い顔をした長森が立っていた。

 見られたかな・・・。
 こいつのことだから、きっと止めようとするだろうな。
 だけど、長森は何も言わなかった。いや。言えなかったの方が正確だ。
 なぜなら、長森自身が混乱していたから。
「浩平・・・わたし、どうしよう・・・どうすればいい?」
「どけ、長森」
「浩平・・・」
 とたとた とオレの後について来る長森。
「ついて来るなっ!」
 びくっとして、一瞬足を止めるが、またすぐ小走りについて来る。
「浩平、どこいくの?ねえっ」
「来るなって言ってるだろ!帰れ!」
 オレはポケットの中のナイフを握りしめる。


 9.長森

 わたしは、浩平とずっと一緒に生きていきたいと、望んでいた。
 最初から。初めて会った時から。
 泣いてばかりいる、純粋な瞳をした男の子。
 わたしがずっとそばにいてあげる。

 そう、『わたし』が望んだのだ。
 浩平との永遠を。
 そこから、世界がはじまったのだ。

 ・・・幸せなはずだったこの世界を壊したのは・・・誰?
 せっかく『わたし』が築き上げた、この世界を壊したのは・・・誰?

 何が現実かなんて、わからない。
 わたしの頭の中だけが、わたしにとっての現実だ。
 なぜ、狂い出したんだろう。
280Starting Over:2000/08/19(土) 01:08

「待ってよ、浩平っ!」
「来るなって言ってるだろ!」
 浩平がポケットからナイフを出す。
 わたしは息を飲んで浩平の手元を見つめる。
「浩・・・平・・・?何を・・・する気なの?」
「危ないからこれ以上ついて来るな」
 そう言って、学校の近くのコンビニの駐車場に入っていく。
 来るなって言われたって・・・。
「なんだ、てめえは!?」
 駐車場から大声が聞こえ、わたしは駆け出していた。

 いったい、どうやって探し当てたんだろう。
 わたしは浩平の里村さんへの想いと執念に衝撃を受けていた。
 そこにいたのは、里村さんに乱暴をした上級生のグループだった。
 リーダー格と思われる一人が、頬から血を流していた。
 浩平は血のついたナイフを握り締めて立っている。
「てめえ、ふざけんな!」
 数人が浩平に向かって躍り掛かる。
 その手にもナイフが握られていた。

「やめてえええっ!」
 わたしは思わず駆けよって浩平に抱きついた。
 そして、次の瞬間。
 ナイフはわたしの脇腹に突き刺さっていた。

「な・・・長森っ!長森っ!長森ぃっ!」
 浩平が、わたしの名前を呼んでいる。
 わたしなら、平気だよ、浩平。
 浩平の骨ばった大きな手が、わたしの背中を抱いてくれている。
「わああああっ!!ながもりいっ!目を開けろおっ!」
 わたしは遠くなっていく意識の中で、確かめるように目を開ける。
 ・・・浩平が、泣いてる。
 わたしのために、浩平が、泣いてくれている。
 言いようのない幸福感の中で、わたしは浩平に微笑みかけながら
 ゆっくりと目を閉じた・・・。





 暗転。

 緑の光が点滅している。

 それはまるで文字のようだった。
 『GAME OVER』
 点滅する文字は、そう読めた。

 わたしはゆっくりと身体を起こす。



・「長森さん、残念でしたねえ」
 眼鏡をかけて白衣を着た男性がわたしに話しかける。
 わたしは夢から覚めたような気分で自分の腕を見る。
 ・・・皺だらけの、老人の腕。
 少しずつ、現実が戻ってくる。
 そう、わたしは長森瑞佳。
 今は70歳だ。
「疲れたでしょう。少し休憩しましょう」
 さっきの男性が暖かい紅茶を持ってきてくれる。
 この人は、このゲームの開発者だ。
 わたしは紅茶を受け取り、砂糖と牛乳を入れてかきまぜる。
281Starting Over:2000/08/19(土) 01:09

 このゲームは、人生をシュミレートできるというもので
 わたしにはよくわからないけれど、仮想現実とかなんとか
 いうものらしい。
 五感全てがまるで現実のように感じられる。痛みも。幸福も。
 そこで人は、思うようにはならなかった現実の人生を
 自分の希望に添った形でやりなおせるのだ。
 ただ、自分の行動や思考によって、展開は変わる。
 必ずしも思ったとおりの展開にはなってくれないのだ。
 だから、このゲームの虜になった人は、何度でも繰り返し
 ここにやってくるのだ。わたしのように。
 もういちど、やりなおそう。
 わたしと浩平の物語を。

 本当は、子供の頃わたしの家の隣に引っ越してきて
 まもなく拒食症のようになって衰弱死してしまった
 可哀想な男の子の物語を。
 わたしは再びゲーム用のヘッドギアを手に取る。
「じゃあ、はじめましょうか。長森さん」





 暗転。
 泣きじゃくっている、男の子。
 わたしはなんとかその男の子と遊ぼうと窓に石を投げる。
『わたしが、ずっといっしょに居てあげるよ、これからは』



・ 何度でも、やりなおそう。
 わたしと浩平の物語を。

FIN