そんな香里が好き

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845SS職人@見習 ◆SSLuvQ3.
新婚訪問

「ただいま」
といって、俺は自宅であるマンションの扉を開いた。
外から寒い風が入り込んできたので、慌てて扉を閉める。
「おかえりなさいっ祐一さん」
いいながら、エプロン姿の栞が出迎えてくれた。
「外、寒かったでしょう?」
俺が差し出したカバンを受け取りながら、栞が心配そうに言う。
「それよりも栞・・・」
俺はコートも手渡しながら、声を低めて言う。
「な、なんですか?」
ただならぬ雰囲気を感じ取ったのか、栞が後ずさりをした。
「暖めてくれぃっ!」
と俺はスーツを脱ぎ捨てながら、栞に飛び掛った。
栞を優しく廊下の上に押し倒し、覆い被さる。
「きゃぁあああ!?」
そう栞が(本気の悲鳴か嬉しい悲鳴か知らないが)悲鳴をあげた刹那―――。
スパァアアアアアン!!!
といい音が鳴った。
「いいかげんにしなさいよっ!このド外道がっ!!」
ぐ・・・不覚。
と呟いて、俺の意識は暗転した。
846SS職人@見習 ◆SSLuvQ3. :01/12/17 22:37 ID:zKR1yNMe
「ったく・・・本気で殴るなよなぁ・・・たく、この馬鹿力」
といまいましげに義姉―――香里を見やる。
「もう一発喰らいたい?」
香里は不適な笑みを浮かべながら、手にしたスリッパ(先ほどの凶器だった)
を手に構えた。
「いや、遠慮しておく」
あんなの何べんも食らったら脳味噌がとろけちまう。
断ると、香里はさも残念そうな顔つきで、「あら、残念」とだけ呟いた。
「それよりも栞・・・あなた、祐一君に毎日あんな事されてるの?」
真顔で香里が栞に尋ねる。
手にはスリッパを握ったままだ。
ちなみに言うと、栞と結婚した時から、香里は俺を苗字ではなく名前で呼ぶよ
うになった。
それはともかく―――。
まずい。
殺られるかもしれない。
いや、かなりの確立で殺られる。
身の危険を感じた俺は視線で栞に合図する。俗に言う、アイコンタクトという
やつだ。
が―――しかし、栞は顔を赤らめ、「えぅー」と情けない声を上げた。
「ち、違う゛ぇっ!」
慌てて否定しようとしたが、もう時既に遅し。
言い切る前に、香里のスリッパが俺の脳天を叩き割った。
フローリングの床に広がっていく自分の血を見ながら、俺はただ、死なない事
だけを祈った。
847SS職人@見習 ◆SSLuvQ3. :01/12/17 22:38 ID:zKR1yNMe
あの後、栞に手当てしてもらい、俺は何とか回復した。
「それで、わざわざどうしたんだよ?」
と俺が尋ねると、香里はカーブがかったその髪を掻き揚げ、笑った。
「あら、可愛い妹とついでに義理の弟の様子を見に来て、悪い?」
「ついでとはなん・・・いや、なんでもない」
その『ついで』という言葉に反論しようとしたが、さすがにもう懲りた。
っていうか香里・・・スリッパは手に持つものではないと思うのだが・・・。
「ま、確かに最近は美坂の家に顔を出してないからな。しょうがないか」
「あなた達、新婚で嬉しいのは分かるけど、たまには顔を出しなさいよ・・・」
呆れたように香里が呟く。
「分かった。なるべくそうするよ」
「お願いね。さて、それじゃそろそろ私はお暇するわ」
香里がコートを手に取り、立ち上がる。
「なんだよ、一緒に夕飯食ってけばいいじゃないか」
「あ・・・お姉ちゃんの分ももう作っちゃいました」
俺と、栞で引き止めると、香里は「しょうがないわね」と言いながら、また席
に着いた。
「それじゃ、久しぶりに栞の絵みたいな料理でも食べさせてもらいますか」
香里がそういうと、栞が膨れ面になった。
「うー・・・最近じゃお料理、上手になったんですよー・・・まだお姉ちゃん
には敵わないけど」
「どうなの?祐一君としては」
香里が不敵な笑みで、俺に確認を取るように尋ねる。
「うーん」
ちらっと栞を見ると、瞳を潤ませ、えぅえぅと今にも泣きそうだった。
「いや、本当に美味いぞ。これは真実だっ」
と力強く断言する。
香里は呆れたように、「あらあら、ご馳走様」とだけ言った。
848SS職人@見習 ◆SSLuvQ3. :01/12/17 22:38 ID:zKR1yNMe
深夜―――。
明日は休日、という理由にかこつけて、俺達は3人で酒を呑んでいた。
が、予想通りに一番最初に栞がダウンし、ベッドに寝かせると、香里が呟いた。
「ね、相談が・・・あるんだけど」
そして、ウイスキーが入ったグラスを回す。
カランっと小気味よく、氷が爆ぜた。
「その為に―――今日は来たんだろ?」
俺は確認するようにそう言ってから、グラスを呷った。
「お見通し―――ってわけね」
少し、照れたように香里が笑う。
「まあな」
今日、香里が見せた笑顔の合間に、翳りが有ったのを俺は決して見逃さなかった。
だから、こんな遅くまで引き止めたのだ。
「んで、どうしたんだよ?」
「・・・北川君にね、プロポーズされたの」
俺の問いに香里は消え入りそうな声で、ぼそっとだけ呟いた。
「・・・そうか。よかったじゃねぇか」
俺は何の気無しにそう答えた。
二人が付き合っていたのは知っていた。
栞の病気が治り、やがて俺達が学校を卒業する時に、北川が俺、名雪、そして、
香里の前で告白したのだから。
そして、香里もそれを良しとしたのだから。
足掛け5年の長い恋愛だ。
そろそろ、結婚してもいい時期だろう。
849SS職人@見習 ◆SSLuvQ3. :01/12/17 22:39 ID:zKR1yNMe
しかし、香里は俺の答えを聞くと、急に声を荒げだした。
「よかった!?本気でそう思うっ!?」
その言葉に俺は戸惑う。
「ど、どうしたんだよ?」
慌ててそう尋ねると、香里はさらに声を荒げ、俺に詰め寄った。
「5年、彼と付き合ったわ!・・・それは彼の事が好きだから。愛しているから!
でも・・・不安なのよ。私は!あなたと栞のように大恋愛したわけじゃないっ!!
普通に好きだったから付き合った。ただそれだけなのよっ!!」
一気にまくし立てると、香里はテーブルの上に置かれたアイスストックの中の氷を
見て、呟いた。
「私と北川君の間に・・・貴方達のような強い絆があるか・・・不安なの・・・」
パァンッ。
その呟きを耳にした瞬間、俺は思わず香里の横っ面を平手で打っていた。
「痛いわねっ!何するのよっ!?」
香里が殴られた頬を手で抑えながら俺を睨みつける。
その瞳には涙が浮かんでいた。
しかし、俺はそれを目にしながらも、怒鳴っていた。
「不安っ!?馬鹿野郎っ!誰だって不安だよっ!もちろん俺だって、栞だって!」
びくっと振るえた香里の肩を荒々しく掴み、さらに怒鳴る。
「何時だって不安だった!・・・今もそうかもしれない。いつ、栞の病気が再発し
やしないか、毎日怯えて暮らしてるっ!でもなっ!それでも俺は栞を信じて、毎日
頑張って働いてる!栞とずっと一緒に居たいからなっ!」
「あ・・・う・・・」
何も言い返せない香里の目を見据え、俺はさらに続けた。
「信じてやれよ。そりゃ、あいつはちゃらけた部分もあるさ・・・でもな、あいつ
はお前に関しては何時だって真剣だった。高校の時から。もちろん、今でもな」
と俺はすっと居間の入り口を指差した。
850SS職人@見習 ◆SSLuvQ3. :01/12/17 22:39 ID:zKR1yNMe
「香里・・・」
呟くように、北川が香里を見ながらそういった。
走ってきたのか、額に滝のような汗を浮かべ、またその息は荒々しかった。
「北川、君・・・どうして・・・?」
香里が信じられない、とばかりにそう問い掛ける。
「栞ちゃんから電話を貰ったんだ。ついさっき」
北川のその言葉に、俺は隣の部屋に向って言った。
「栞、もういいぞ」
言うと同時に、スー、と襖を開け、栞が暗い部屋から、姿を見せた。
「お姉ちゃん・・・私も、不安なんです。確かに病気は治りました。でも、それで
も!不安・・・なんです」
涙を堪えるように、口をひん曲げていたが、俺が抱きしめると『えぅー』と情けな
い声を上げて栞は泣き出してしまった。
「不安無しでは生きていけないんだ。生きている上で、どうしても不安な事は出て
くるんだ」
諭すように、香里に向ってそういう。
「ひ・・・ぐ・・・でも・・・でも!それでも!・・・一緒にいたい」
栞が泣きながら、呟いた。
その言葉に全てが込められていた。
喜びも、怒りも、哀しみも、楽しみも、すべて分け合って、二人で生きていく。
それが、人を愛すると言う事だ。
「香里・・・あの時、冗談に聞えたのなら済まない。でも、あれは俺の本心なんだ。
栞ちゃんの言う通り、それでもずっと、一緒にいたい」
北川が香里を正面に見据え、はっきりと伝えた。
その表情には微塵にも、冗談や嘘偽りなどは無かった。
「・・・私も・・・一緒に・・・いたいよ・・・一緒に・・・いたいよっ!」
わぁっ!と泣き声を上げ、香里が北川の腕の中に飛び込んだ。
俺は栞とともに、その光景を見守っていた。
851SS職人@見習 ◆SSLuvQ3. :01/12/17 22:40 ID:zKR1yNMe
夜が明け、香里と北川が帰る準備を整えていた。
「いいのか?少し辛そうだが」
俺が北川にそういうと、北川は少し青ざめた表情をしながらも虚勢を張った。
「だ、うぷっ・・・大丈夫だ」
あの後、4人で再び明け方まで酒をしこたま飲んだ為か、北川はいまにも胃の中の
ものを全てぶちまけそうだった。
「北川君・・・大丈夫?」
心配そうに香里が北川の背中をさすった。
その姿はどこから見ても、夫を心配する妻そのものだった。
もう大丈夫だ。心配要らない。
俺と栞が、これまで努力してきたように、二人も努力し、支えあい、お互いを想い
ながら、ずっと、暮らしていけるだろう。
そう確信した。
「なあ、俺と香里が結婚するってことは・・・」
不意に北川がにやり、と笑う。
「ああ・・・」
俺もそれに笑い返す。
お互い肘をぶつけ合い、同時に声を上げた。
『兄弟だっ!』
それに香里と栞が「あっ」と声を上げた。
朝日が窓から差込み、俺達を照らし出した。
それはまるで、俺達を祝福しているかのようだった。

―――了。