1 :
名無しさんだよもん :
ONEからのファンでずっと現keyスタッフの作品は買い続けていますが
Hシーンの薄さには慣れました。
なぜかHシーンになると体型が異様に変化するのにも慣れました。
しかし、テキスト中さっぱり女の子側が感じている描写がないのが残念です。
せいぜい良くて「濡れている」程度の描写しか無くて・・・。
「ずっと痛みに耐えていてくれた」ばっかりですがそれで良いのでしょうか?
やはりお互いが気持ちよくなれてこそのHだと思うんですけど。
主人公だけが気持ちよくなって女の子はマグロでお人形さんで
ひたすら痛いのを我慢してる、というのではあまり気分が良くないです。
みなさんはどう思いますか?
…処女…だよねぇ…ほとんど(全員?)のキャラ
このスレッドはKEYファンにとっては煽りにならないんじゃない?
鍵っ子がエロ無くてもいいって大騒ぎしてる事例から分かるように、
エロを重視してないし、むしろ薄い描写の方が好まれてるからね。
漏れ的にはLEAFゲーのエロの濃さもKEYの薄さもどっちも捨てがたい。
処女が喘ぐのは嫌だな。
5 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 07:36
1さんはMOON.をやってみれば?
主人公(女)はびっくりするくらいエロエロです。
6 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 07:39
さんざん都合のいいキャラに甘えてるんだからさ
セクスだって都合よくてもいいじゃん
相手も感じてる方が嬉しいなぁ
1は同棲もMOON.も、やってないのか
どちらも女の方から誘って喘ぎまくります。
これも、同棲やMOON.なら…という話題だな。
9 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 07:50
つーか、Hの上手そうな男主人公なんていないじゃん。
10 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 07:54
せめてフェラッチョだけはエッチに盛り込んでくれ〜
11 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 07:55
12 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 07:59
>>11 七瀬は良かった。でも、1タイトルに最低一回はフェラが欲しい。
1は結局、自分が童貞であることを訴えたかったんだろ
14 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 08:10
Keyには「ノルウェイの森」的な作品を作ってほしい。
こんな感じのHだったら鍵っ子も納得しそうだけど。
ノルウェイの森は村上春樹が駄目になりはじめた最初の作品だよ。
あれ以来言葉が一人歩きする傾向が見られる。
鍵っ子が納得するってなぜだろう……?
Keyキャラが不感症なのではなく、主人公が下手糞なだけ。
17 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 22:22
Kanonがとらハ級のエロさをプラスしてくれたら俺的には究極無敵のエロゲーなのだが。
とらハは好きだがそれほどエロくないぞ。特に2は一度も抜いてない。
19 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 22:46
とらハと言えばshinにーちゃんだな。
もしここも見てたらkeyもエロエロな方が良いかどうかぜひ話しておくれ。
20 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 22:50
>なぜかHシーンになると体型が異様に変化するのにも慣れました。
俺はまだ慣れねぇ。あれはさすがに無理だ(w
21 :
名無しさんだよもん :2000/10/06(金) 23:24
エロシーンにディーオーを差し替えてくれと切に願うなり(藁
22 :
14 :2000/10/07(土) 03:24
>>15 Hが世界観を出す道具の一つとして機能してる、
という意味で鍵っ子は納得出来るのではと思いました。
村上春樹はどうかなあ。
「ノルウェイの森」から性描写もちゃんとするようになったけど、
かなり浮いてたと思うな。
「ノルウェイの森」自体評価してないので何とも言えないけど。
「羊をめぐる冒険」の耳にこだわってたりする
訳わかんないノリの方が好きだな。
「ダンス・ダンス・ダンス」のラストなんかもう
ワケ分かんねーっつーか意味不明だしな。
「ダンス・ダンス・ダンス」は初期三部作に泥を塗る駄作でし。
26 :
祐一 :2000/10/07(土) 22:45
俺が開発したぜっ!
27 :
名無しさんだよもん :2000/10/08(日) 09:23
村上春樹も萌え萌えエロゲと一緒に語られては泣くだろう。
村上春樹だったら最初の4作、特に「羊をめぐる冒険」を読むといいんだな。
「世界の終わりと〜」は失敗作って言われてるけど好きなんだな。
主人公の意識は最後に自らが作り出した意識下の世界に飲みこまれてしまうんだな。
これを自閉と読み解くと、ONEとちがって帰って来れないってのが面白いの。
作者はちがうって言ってるけどね、にははっ。
うわ、書いてる途中に上げられた。
不感症というスレッドで村上春樹についてのカキコがみられるのは
やはり何かの符号が存在しているからなのだろうか。
>30
村上春樹って、確か子供いなかったしね。
しかし、「世界の終わりと・・・」を失敗作なんて誰が言うの?
どう考えても最高傑作の1つだと思うが。
32 :
名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 11:10
つーか「世界の終わりと…」の続編はどうしたの?
何かのインタビューで書くって言ったたような…。
密かに村上春樹のテイストと麻枝のテイストってちょっと
近いかも。
観念的な描写と泥臭い描写が混ざっているという意味で。
(ねじまき鳥と舞シナリオとかね)
34 :
名無しさん@1周年 :2000/10/08(日) 11:14
内面世界に現実世界の自分が取り込まれるって観点から見ると
「世界の終わりと…」と「ONE」は結構似てるかも。
ONEの方が多分にファンタジックではあるが。
村上春樹も相当にファンタジー色の強い作家だと思うよ。
「世界の終わりと…」で書かれてる内面世界と「ONE」の永遠の世界には
相似性を感じるな。
36 :
名無しさんだよもん :2000/10/09(月) 05:55
で、結論としては、不感症でいいのかな?
37 :
名無しさんだよもん :2000/10/09(月) 05:57
いや、良くない。良くないからこそSSでは感じまくらせてるんだ!うおおおお!!
「世界の終わりと…」は間違い無く村上春樹の最高傑作だと思うな。
でも、本人が全集の解説でこの作品は不完全だって言ってたんだよね。
どこらへんのことを言ってるんだろうか。
39 :
名無しさん :2000/10/09(月) 13:06
>5
同感。
MOON.はねぇ…。これぐらいHなのもよい。
それよりも、AirとMOON.のシナリオライターが同じというのは信じ難いな。
次の作品では普通のHシーンを書いてくれ。 >KEY
40 :
名無しさん :2000/10/09(月) 13:11
村上の方が上にきまってるだろ。
エリートが幅を利かせてる って話のやつとか読んでみ。
41 :
名無しさんだよもん :2000/10/09(月) 13:27
ONEは現実受容と他者性の回復が話のおおまかな流れ。
対して「世界の終わりと…」は自我の解体と再生。
ONEの方が古典的だけどわかりやすいな。
「世界の終わりと…」は難しいので分からないが、再生のプロセスが
可能性を提示しただけで終わってるのが不完全なのかもしれない。
どっちが上かと言ったら村上春樹なのだろうが、そんな比較は無意味だろう。
実は上で書いたことはちっとも分かってないので、詳しいかた教えてください。
「世界の終わりと…」の評論を読んだら、
>意識は、終末に閉じることによって、真に始められる。
とか
>最終的に人間個人がいかに生き残りうるかに関する物語
という文があった。
これを読んで自分なりに考えたところ、「ハードボイルドワンダーランド」が
現実世界、「世界の終わり」が内面世界。
または表層的な自我と深層心理(フロイトとかのあれ、用語は間違ってるかも)
みたいな関係になっていると思う。
主人公は最終的に「世界の終わり」に引きこまれてしまうわけであるが、
冒頭の引用文と照らし合わせると、社会と密接に関わる自我を一度解体することに
よって、始めて再生が可能なのだということなのだろうか。
<村上春樹 世界の終わりと>
http://mentai.2ch.net/test/read.cgi?bbs=book&key=962726060&ls=50 村上春樹は上記スレッドでも若干語られてるが、欧米的な個人主義を持った作家である
という解釈が一般的らしい。
他者の拒絶による自意識の解体が、真の自意識の再生につながるというのが、
「世界の終わりと…」で示されている村上春樹なりの自意識確立へのプロセスだという
理解でよいのだろうか?
対して「ONE」でも話の構造的には似たものを持っていると思う。
過去のトラウマが原因となって、変化することのない「日常」を求めた浩平は
自らの作り出した内面世界に引き込まれてしまう。
(ONEの優れている点は悲劇の演出としての別れの舞台に、内面世界を
持ちこむというはなれわざをやってのけた点にあるのかも知れない。
オタ的な分野(自虐的な言いかただが)であるエロゲーにこうしたものを
持ちこみ、エンターテイメントとして完成させたのはまさに麻枝の力量に
よるものであろう。)
しかし、構造的には「世界の終わりと…」と「ONE」は似通ったものを持っているが、
そこで語られているものはだいぶ異なっているのではないだろうか。
「ONE」においては、過去のトラウマから変化することの無い「日常」を
求めた浩平が内面世界にとらわれてしまう。
しかし、他者を喪失することによって得られた、変化することの無い「日常」は
無意味であることに浩平はヒロインとの関わりの中で気づく。
他人との絆を得ることによって得られるものこそが大切なもの、「輝く季節」
だということではないだろうか。
すなわち42で述べたように他者性を回復することによって、浩平は現実へと
復帰するのである。
(この点についてはKEY・TACTICS考察スレッドでも過去に議論されている。
本文を引用すればよりきちんと考察できると思うが、ひとまずはこんなところです。)
つまり両者が示しているものは構造的には似通っていながら、実は全く正反対のものである。
「ONE」は他者を受容することによる自我の再生の物語。
「世界の終わりと…」は他者の拒絶による自我の再生の物語なのである。
<おまけ>
42で「世界の終わりと…」が再生の可能性を提示しただけで、そのプロセスを
描いてないのではないかと自分なりに結論付けているが、文学板の23が同じような意見を
述べている。
物語は意識を終末に閉じるところで終わっているが、続編があるとすれば
その再生のプロセスを描くことになるのであろうか。
…などと長々と書いたけど、実際よくわからないので(自我とか使い方間違ってると思う)
詳しい人教えてね。
44訂正。「42で述べたように」ではなく「41で述べたように」ですな。
で、長文の意味は、こうした逆のものが存在し得るってのが、おもしろいってことです。
あとは麻枝はすげえなあっていう信者的意見。