―雨雲を切り裂き、炎を纏った白い槍が、遥かな天空を目指し駆け上っていく。
長い年月の間風雨に晒され、あちこち塗装の剥がれた機体。
劣化した個体燃料は時折咳き込み、吹き荒れる雪混じりの雨はその機体を翻弄する。
しかし、そのたびにバランスを崩しそうになりながらも、それは上昇を止めようとはしない。
それは、考えるロケットだった。
ある一つの使命のため……そして自らの『願い』のために、それは必死で天空を目指す。
重い雲を突き抜けたその先には、満天の星空。
……その時、それの挙動に異常が起こった。
先端部フェアリング排除(パージ)。本来のタイミングより六百秒は早い。
フェアリングの下、厚い石英硝子に覆われたその先端。光学樹脂で作られた緑色のターレットレンズが、星空を見つめるかのようにきゅっと細まる。
―それを知るものは、『彼女』の他には誰も居ない。
中高度軌道に到達。ブースター切り離し。キックモーター作動。
『彼女』を押し上げてきたそれが、炎の輪となって遠ざかっていく。
外殻が割れ、『彼女』の本来の身体がその姿を現す。
……『彼女』は、対衛星ミサイル(ASAT)。
まるで生きているかのように、その姿勢をくるりと変える。
彼女は軌道上の一点、太陽の光を受けて鈍く輝く、その光点に向かって突き進んでいく。
目標、気象破壊兵器衛星。目標までの距離三〇〇〇。
雨が降りしきる夜空を見渡せる、小さな高台。
百人にも満たない人々が、雨に濡れるのもかまわず、『彼女』が飛び去った天空を見つめていた。
その中に、顔に深い皺を刻んだ、一人の老人がいた、
右足には杖のような義足を嵌め、その手には小さな箱を握り締めて。
老人は思い出していた。彼女が『意識』を取り戻した時の事。
彼女に告げた、辛い事実。
そして、彼女の言葉。
―ほんとうにみんなの幸のためならば、わたしのからだなんか百ぺん灼いてもかまわない―
彼女は、そのような事を言った。
気象破壊兵器に備えられた、自己防衛用レーザーの光の刃が『彼女』を襲う。
『彼女』は瞬時にその照準点を算出し、僅かに軌道を変えて攻撃を避ける。
人間の反射速度を超えた、機械と機械の腹の探り合い。
何発かのレーザーが『彼女』の身体を掠め、黒く焼け焦げた跡を残す。
それでも、『彼女』は諦めない。
彼女を見守る人々の……そして、彼女自身の『願い』を果たすために。
そして……着弾。
『彼女』が砕け、無数の破片と化すその刹那。『彼女』は地上へ向けて短い通信を放った。
―それを知るものは、『彼女』の他には誰も居ない。
…………『お客さま……どうか、お元気で』…………
かつての『月』を思わせるような、ぼんやりとした大きな輝きが、厚い雨雲を照らした。
十年以上、この星を覆い続けた厚い雨雲。その雲が僅かに途切れた。
そして、切り取られたその隙間には……
満天の星空と、無数の流星。
雨雲が徐々に、まるで流星によって掃き清められるかのように消えていく。
遥か天空に立ち上る天の川。その中に雄雄しく立つオリオン。
彼の眼前に立ちはだかる雄牛。その肩の女神(プレアデス)達。
オリオンに付き従う、二匹の猟犬。そして彼らを見守る、双子の少年……
久しく地球から失われていた星座の世界が、見上げる大空に蘇っていく。
人々の間に、雄叫びにも似た歓声が上がった。
ある者は抱き合って泣き、ある者は拳を突き上げ、またある者は唄をもって『彼女』の功績を讃える。
とっておきの酒が注がれたグラスをぶつけ、喜びの宴が始まる。
老人は無言のまま、喜びに沸く人々の輪から離れた。
右足を引きずりながら、高台の端に立ち、降り注ぐ流星を見つめている。
皺がれた口元がわずかに動き、老人は『彼女』の名を呼んだ。
「…………ゆめみ…………」
―あとは、ただ無言で。
彼はただ無言で、満天の星空を見つめていた。
- Fin.-