顔を見合わせる。
電話の呼び鈴が鳴り響く部屋で、柊勝平と神尾観鈴はその薄気味悪い事象に戸惑っていた。
一定のリズムを刻むそれは、いつまで経っても止むことはない。
そもそも電話なんて連絡手段を使えるということを、彼等は知らなかったから。
・・・もしかして、ここに人がいるかを確かめるためにかけているのだろうか。
それとも命の危機に晒され、助けを求め必死になって連絡を取ろうとしているのか。
分からない。どうすればいいか、勝平が思い悩んでいる時であった。
座っていた観鈴がすくっと立ち上がり、電話の方へ歩いていく。
「お、おい」
「とりあえず取らないと、皆起こしちゃうし・・・」
怖くないわけではない、でもこのままだとせっかく休んでいる仲間に迷惑がかかってしまう。
それが観鈴の結論であった。
ゆっくりと受話器を持ち上げ耳に当てる観鈴の後ろ、やはり気になるのか勝平も構える。
「・・・もしもし?」
観鈴の問いかけ。返事は、即座に返ってきた。
『た、助けてください!』
「え?え??」
『鎌石小学校にいます、今変な人に捕まっちゃったんです・・・っ、お願いします、助けてっ!!』
「あ、あの・・・」
「何、悪戯?・・・ちょっと貸して」
勝平には相手側の声は聞こえていないようで。
ただしどろもどろしている観鈴の様子に苛立ったのか、無理矢理受話器をひったくった時だった。
受話器の向こう側から上がる悲鳴、それと同時に『何してやがるっ!』といった男の罵声も聞こえてくる。
「お、おい!もしもし?!」
慌てて受話器を耳に押し付けるものの、既に通話は切られていて。
呆然。何が起きているのか理解する前に、勝平の中に走ったのは「これはヤバイ」という不安であった。
もう一度、二人顔を見合わせる。
観鈴も感じたのだろう、「どうしよう・・・」という眼差しを勝平に送ってくる。
戻されていない受話器から流れる機械的な音だけが、場を支配していた。
一方。鎌石小中学校、職員室にて。
「ン〜、由衣ちゃんは悪い子だなぁ。勝手に外に連絡とっちゃうなんて、これはお仕置きモノだぞ?」
「ひ、ひぃっ」
ガタガタという震えが止まらない。
携帯電話を抱きしめるように身を小さくし、名倉由衣は男から逃げるよう後ずさりをした。
だが尻餅をついてしまっている状態だったため、ずかずかと歩いて詰め寄ってくる男から離れることはできない。
髪を掴まれ顔を寄せられる、由衣は男の成すがままになるしかない。
「ほ〜ら、熱いキッスをくれてやる。顔こっち向けろ」
「い、嫌です!」
「たっく、ノリが悪いな・・・ほら、じゃあ自分から股開けよ」
「い、いやです、もう止め・・・」
「愚痴愚痴言ってんじゃねえ!!大体こんな小さい身なりで非処女なんてヤリマンの証拠じゃねえか、あぁ?」
「う、うぅ・・・」
引き裂かれた物の代わりにこの学校で手に入れた制服も、今は所々破かれ大量の白い染みに侵されていた。
服だけではない。体中も男に撫で回された不快感が拭えず、それは由衣の心をズタズタに引き裂いていく一方で。
・・・最初は優しい笑顔だったはずの男は、この場所に由衣以外の人間が本当にいないと分かった途端彼女を押し倒した。
由衣は状況が理解できないままに身をもみくちゃにされ、何度も何度も犯されることになる。
そんな経緯から、男にとって由衣のそれは今更の抵抗であった。泣き叫ぶ由衣の姿を見るのもまた余興。そんな、心境。
約一時間前、仲間を増やすべく由衣が電話をかけた先・・・それに出たのが目の前の男、岸田洋一であった。
余程近い場所だったのか、彼が由衣の元に辿り着いたのは三十分ほどで。
こんなにも早く味方を見つけられるなんて・・・と、彼女が思うのも束の間。
岸田の変貌は本当に早かった。
花梨や由真を取り逃がしたことによるフラストレーションを抱えていた時に、運よく現れた由衣という小動物。
それが、名倉由衣。岸田は彼女にそれをひたすらぶつけた、由衣自身にとってはたまったものではない。
・・・だが、それでようやく岸田は。本来の調子を取り戻せたような、そんな気分になることができていた。
「まぁ、やっちまったことは仕方ねえなぁ。くっくっくっ、ちょうど刺激が足りなくなってきた所だあ!いっちょ揉んでやるかっ。
さーて、由衣ちゃんの呼んだお仲間が来るまで・・・気持ちいいこと、してような〜」
「いやああああぁぁぁっ!!!」
由衣の悲鳴は止まらない。
彼女の地獄は、まだ始まったばかり。
318 :
補足:2006/11/26(日) 00:31:14 ID:Vswhbewy0
柊勝平
【時間:1日目午後11時45分】
【場所:C−5・鎌石消防分署】
【所持品:電動釘打ち機16/16、手榴弾三つ・首輪・和洋中の包丁三セット・果物、カッターナイフ・アイスピック・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:呆然】
神尾観鈴
【時間:1日目午後11時45分】
【場所:C−5・鎌石消防分署】
【所持品:フラッシュメモリ・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:呆然】
岸田洋一
【時間:1日目午後11時45分頃】
【場所:D−6・鎌石小中学校・職員室】
【所持品:カッターナイフ】
【状態:女>ゲーム】
名倉由依
【時間:1日目午後11時45分頃】
【場所:D−6鎌石小中学校・職員室】
【所持品:鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)、
カメラ付き携帯電話(バッテリー十分)、
荷物一式、破けた由依の制服】
【状態:全身切り傷と陵辱のあとがある・このゲームで傷ついた人への介抱を目的にしているが、今はそれどころじゃない】
【備考:携帯には島の各施設の電話番号が登録されている】
(関連・178・394・477)(B−4ルート)
485・お手本執筆者様へ
よろしければB-4でも該当させたくて、B-4用の改変版を上げさせていただきたいのですがダメでしょうか・・・?
>>318 丁度読んでましたw
本人証明出来ないけど485作者です
ご自由に改変どうぞー
ありがとうございます!
まとめさんへ
以下の改変をしたB-4用の485を、B-4ルートに入れていただければと思います。
お手数おかけしてすみません、よろしくお願いします。
9行目
×
出来れば柏木姓の人間達と合流し、自身を守る強力な「盾」としたい。だがこの掲示板で自分達の場所を知らせる事は自殺行為だ。
そんな事をすれば、柏木の人間達だけでなくやる気になっている者達まで呼び寄せてしまいかねない。
↓
○
出来れば柏木姓の人間と合流し、自身を守る強力な「盾」としたい。(と言っても、もう残りは一人しかいないが)
だがこの掲示板で自分達の場所を知らせる事は自殺行為だ。
そんな事をすれば、柏木の人間だけでなくやる気になっている者達まで呼び寄せてしまいかねない。
20行目
×
(言葉遣いは……あの方らしくはありませんが敬語で統一した方が良いでしょうね。レインボーという方との関係が分かりませんから)
↓
○
(言葉遣いは……あの方らしくはありませんが敬語で統一した方が良いでしょうね)
321 :
別離:2006/11/26(日) 02:17:56 ID:6daNxx7A0
空が明るくなり始めた頃の海の家。
そこで柳川は見張りを続けながら銃の手入れをしていた。
「おはようございますっ」
背後から明るい声が掛けられる。振り向くと佐祐理が微笑みながら立っていた。
「む、随分と早いな」
「佐祐理はお昼にも寝てたから、目が覚めちゃいました」
「ああ、そう言えばそうだったな」
それだけ言うと、柳川はまた銃に目を戻し、手入れを再開した。
柳川達の武装は充実していたが、その分念入れに手入れする必要がある。
いくら強力な武器でも戦闘中に故障したら堪らない。
「ふむ……。どうやら銃の方は問題はないようだな」
点検を終え、一息つく。
梓や琴音との激しい斬り合いの所為か出刃包丁に若干傷みが見られた。
だが銃火器類の武器には特に問題が見られない。
「柳川さん、ちょっと良いですか?」
「ん、なんだ?」
声を掛けられた方を向くと先程と同じく佐祐理が笑顔で立っている。
違うのはその手に救急箱が握られている事だった。
「包帯を取り替えませんか?リサさんの代わりに佐祐理がやりますよ」
「そうだな……奴も疲れているだろうし、頼む」
柳川はそう言うと、M4カービンを床に置いた。
「…………」
「…………」
「………………」
「………………」
「……どうした?始めないのか?」
「あの……。佐祐理が脱がせるのはちょっと…………」
それで初めて柳川は自分が上着を着たままだった事に気付いた。
佐祐理は少し顔を紅潮させながら、困ったように苦笑いしている。
柳川は慌てて、「す、すまん」と言いながら上着を脱ぎ捨てた。
322 :
別離:2006/11/26(日) 02:19:07 ID:6daNxx7A0
「それじゃ、始めますよーっ」
佐祐理は柳川の包帯を外して消毒液を取り出した。
消毒を済ませた後、新しい包帯を巻きつける。
柳川から見てもそれはなかなか見事な手際だった。
「どうですか?」
佐祐理が不安そうに尋ねてくる。
柳川は確かめるように肩を動かしてみたが、特に違和感は無かった(もっとも傷の痛み自体は残っていたが)。
「大丈夫だ。リサ程ではないが、上手いな」
「あははーっ、ちゃんと出来て良かったです」
佐祐理は安堵したような表情を浮かべた後、満足そうに笑っていた。
昨日は戦いの連続で余裕がなかったが、今日の佐祐理は終始笑顔だった。
多分これがこの少女の本来の姿なんだろうなと、柳川は思った。
無愛想で生真面目な自分に対してもこの少女は微笑んでくれる。
昨日から緊張の連続だった柳川も幾分か表情が柔らかくなっている。
貴之と一緒にいた時とはまた違う安らぎ。こういうのも悪くないな、と素直に思う。
だがこうしてる間にも殺人ゲームは進行している。いつまでもゆっくりとしている訳にはいかなかった。
「よし……、そろそろ出発するか」
「あ、そうですね。それじゃ、リサさんと栞さんを起こしてきますね」
佐祐理が部屋を後にする。柳川も荷物をまとめ、後に続く。
寝室に入ると、息を乱している栞の傍でリサが座り込んでいた。
「どうしたんだ?」
「分からないわ。朝起きたら、苦しそうにしてたの」
「へっちゃら、です……」
栞はそう言ったが、その言葉とは裏腹に彼女は青ざめた顔をしていた。
柳川は荷物を置いて右手を伸ばし栞の額に当てた。冷や汗と共に熱が柳川の手のひらに伝わってくる。
「……熱があるな」
「そのようね……」
「佐祐理、救急箱に解熱剤が入っていないか見てきてもらえないかしら?」
言われて、佐祐理は慌てて救急箱を取りに行った。
「どうだ?何の病気か分かるか?」
323 :
別離:2006/11/26(日) 02:20:49 ID:6daNxx7A0
柳川がリサに尋ねる。病気の類は彼の知識の範疇の外の事だった。
「多分、ただの風邪ね。でも楽観視は出来ないわ……」
生まれつき体の弱い栞にとっては、ただの風邪でも軽く見ることは出来ない病気である。
おまけにゲームのせいで疲労も溜まっている。命に関わる程ではないがとても動き回れる状態ではないだろう。
リサは爪を噛みながら考え込んでいた。
そこで佐祐理が戻ってきて、救急箱をリサの前に差し出した。
リサは急いでその中を探し始めた。
「Shit……、どこにも見当たらないわ」
中から出てきたのは包帯と消毒液。後は目薬や正○癌などの、風邪には役に立ちそうもない薬ばかりだった。
「……何かおかしいな。解熱剤は無いにしても普通は風邪薬くらい入れてあるものだ」
「主催者が意図的に最低限の物しか用意してないようにしてるのかもしれないわね」
そうしてる間にも栞の息遣いが激しくなっていく。
リサは部屋で見つけたハンカチを水で濡らして栞の額に当てていたが、効果はあまりないようだった。
「……柳川、出発しましょう」
「この状態でか?」
視線を栞の方にやると栞は前以上に苦しそうにしていた。
とても、歩き回れるような状態とは思えない。
「Yes.このままじゃ埒があかないわ。私は栞を背負って診療所に行くわ。柳川と佐祐理は首輪を外せる人間を探して頂戴」
柳川は眉を持ち上げ、怪訝な顔をした。
一人で栞を背負って診療所まで行く?決して近くはないのに?
「それは危険だろう。俺達も一緒に診療所に行った方が良いんじゃないのか?」
だが、リサはあっさりと首を振った。
「いいえ、そんな余裕はないわ。こうしてる間にもどんどん人が死んでいくのよ。貴方達は貴方達で今する事をするべきだわ」
「でも……」
佐祐理が異論を挟もうとしたがリサはそれを待たずに話し続ける。
「大丈夫。私はそう簡単にやられたりしないわ」
「……分かった。ならせめてこれを持って行け」
柳川はほんのわずかの逡巡のあと、M4カービンを差し出した。
「良いの?」
「良いも何も、これはもともと美坂の物だ。それと合流場所を決めておくぞ。今日の22時に平瀬村分校跡に来い」
「OK,ありがとう。それじゃ私達、もう行くわね」
324 :
別離:2006/11/26(日) 02:23:04 ID:6daNxx7A0
リサはM4カービンを受け取り栞を背負って、海の家の外に出た。
柳川達も荷物を回収して後に続く。
「リサ、貴様は貴重な戦力だ。変な所で野垂れ死ぬなよ」
「貴方もね、柳川。佐祐理をしっかり守らないと駄目よ?」
リサは笑みを浮かべつつ人差し指をたてている。
柳川は肩を竦めながら、ふんと笑った。
「余計なお世話だ」
ぶっきらぼうに、そう言い放つ。
リサは最後に柳川と佐祐理に向けて少しずつ頷いてみせ、柳川達とは別の方向へと歩いていった。
栞を背負ったリサの後姿は力強く頼もしく、だが同時に何故かとても儚げなものに感じられた。
「どうかお気をつけて……」
佐祐理は柳川とは対照的に、心底心配そうにしていた。
それでも柳川が佐祐理に視線をやるとすぐに彼女は頷き、柳川達もまた海の家を後にした。
「おい倉田、これを持っておけ。護身ぐらいにはなるだろう」
柳川が歩きながら懐から二連式デリンジャーを取り出し佐祐理に差し出した。
佐祐理は少し戸惑っていたが結局それを受け取った。
佐祐理が人を撃てるか正直疑問だったが、吹き矢では護身用の武器としてあまりに不足だった。
備えは万全にしておくに越した事はない。銃ならばただ持っているだけでも敵にとっては脅威となる。
そして佐祐理がデリンジャーをポケットに入れた所で、島中に例の放送が響き渡り始めた。
「これは……」
「ああ、有り難いホームルームのお時間が始まるようだ」
そして2回目の放送が流された。
夜の間ならば、皆寝静まっているのではないかと。
それならば、人はあまり死んでいないのではないかと。
放送に聞き入りながら二人は願う。
だがその願いは果たされず、それどころか最悪の現実を突きつけられる事になる。
聞き終わった時には柳川も佐祐理も言葉を失っていた。
325 :
別離:2006/11/26(日) 02:24:53 ID:6daNxx7A0
優勝者に対する褒美………好きな願いを叶えられる。これはすぐに嘘だと思った。動揺するような事では無かった。
だが、その放送で呼ばれた名は余りにも多すぎた。実に20人以上もの人間が一晩のうちに命を落としたのだ。
一回目の放送とあわせると約40人、既に参加者の3分の1の人間が死亡した事になる。
そしてその中には栞の姉―――美坂香里の名前があった……。
佐祐理は放送を聞き終えるとすぐにリサ達が歩いた方向に振り返っていた。
「引き返しましょう、栞さん達が心配ですっ!!」
だが、引き返そうとした佐祐理の腕を柳川が掴む。
「冷静になれ、倉田」
表情を変えないままとても静かな声で、それだけ言った。
「柳川さん、どうして止めるんですか!?」
「リサも言っただろう…、俺達は一刻も早くこのゲームを止めないといけないんだ」
「でもっ!」
柳川はもう佐祐理の反論を相手にせず一人で歩き出した。
「どうしてっ……そんなに落ち着いていられるんですか……」
佐祐理は彼女にしては珍しく険しい表情をしながらも何とか感情を抑えて、柳川を追った。
……だが、佐祐理はすぐにある事に気づいた。
柳川の手から、強く握り締められた拳から、僅かに血が垂れている。
よく見ると微かに肩も震えている。
それでようやく佐祐理は彼の本当の気持ちを察した。
(馬鹿です、私…)
佐祐理は視線を足元に落としたがすぐに顔を上げた。
そして一言謝罪し彼の横に並んで歩き始めた。
その拳は柳川と同じように強く、握り締められていた……。
回避
327 :
別離:2006/11/26(日) 02:28:00 ID:6daNxx7A0
リサ=ヴィクセン
【時間:2日目午前5時50分頃】
【場所:G−9、海の家付近】
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式×2、M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)】
【状態:栞を背負いつつ診療所に向かっている】
美坂栞
【時間:2日目午前5時50分頃】
【場所:G−9、海の家付近】
【所持品:無し】
【状態:酷い風邪で苦しんでいる】
倉田佐祐理
【時間:2日目午前6時10分頃】
【場所:G−9】
【所持品:支給品一式、救急箱、二連式デリンジャー(残弾2発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】
【状態:健康、移動先はお任せ(リサ達とは別方向)】
柳川祐也
【時間:2日目午前6時10分頃】
【場所:G−9】
【所持品@:出刃包丁(少し傷んでいる)】
【所持品A、コルト・ディテクティブスペシャル(5/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了したが治りきってはいない、移動先はお任せ(リサ達とは別方向)】
(柳川関連の過去の話でコルト・ディテクティブスペシャルの弾数の推移に異常があったので修正(参照:76話・114話・118話))
(関連73・417・479)(B-13ルート)
>>326 ありがとう、助かりました
「こんな所に本当にパソコンが置いてあるのかしら……」
環が呟く。
彼女達は鎌石小中学校の昇降口を昇っている最中だった。
校舎は木造で、パソコン等の電子機器とはまるで無縁に思える。
「正直怪しい所だけど、とにかく探してみるしかないんじゃないかな」
「……そうですね」
英二に言われ、環は頷いた。
あれこれ悩んだ所でパソコンが目の前に現れはしない。
今はこの学校を探す他、無かった。
階段を昇ると、すぐ右の突き当たりに職員室らしき札が掛けてある部屋の扉が見えた。
左側には廊下が伸びており、教室の扉らしきものが複数ある。
また階段はさらに上に続いている。
「まずは職員室を調べてみよう。パソコンがありそうな場所だしね」
英二が職員室の扉を開き、安全を確認する。続いて部屋の中に入っていく英二一行。
そこはこざっぱりとしたよく見る職員室の風景。
だが肝心のパソコンは…見あたらない。
「どうやらパソコンは無いみたいですね」
「仕方ない。別の場所もまわってみるか」
一同は落胆しつつ、職員室を後にする…
「あ、あの」
「どうしたの観鈴さん?」
「あの、その…なんか寝息が聞こえませんか?」
一同は観鈴の指摘に耳を澄ます。
「……すー、…すー」
確かに職員室の奥の方から寝息らしき音が聞こえる。
「…誰か寝ているみたいね」
「俺、見てきます」
「念のため気をつけろよ」
英二の言葉に頷きながら祐一が慎重に職員室の奧へと向かう。
そこにいたのは。
(!?)
「どうした?」
「すいません…どうやらここで寝ているのは俺の…知り合いみたいです」
「何、そうなのか」
「着ている制服は違いますけど…多分俺が知っている栞って子です」
「そうか…だが念のため、彼女の荷物を調べてくれ。」
「!? まさか栞を疑うんですか!」
「いや、君の知り合いだからと言ってゲームに乗っていないとは限らない。万が一だ」
英二に促されしぶしぶ彼女の荷物を調べる祐一。
中にあったのは…食べ物と水、携帯電話、そしてまた祐一にとっては見慣れない制服。
おかしい、祐一は思った。栞はこんな服は着ていたことはない。いったいどういうことなのだろうか。
あらためて栞とおぼしき少女をみる。暗闇で正確にはわからないが寝顔、髪、背格好。どれを見ても少女は栞だという答えを祐一ははじき出す。
「おい、どうした?」
荷物を調べるといってなかなか反応がないことで英二が再度声をかける。
「……武器は持っていないみたいです」
祐一は静かに英二たちに伝えた。
「……この祐一の知り合いって子はどうするの? 起こす?」
「いや、俺が起きるまで見ている。パソコン探しは英二さん達が頼む」
「おいおい、彼女がまだ安全だって決まっているわけでは」
「俺の知り合いを武器もないのに疑うんですか!」
「……わかった。でも相沢君だけじゃ不安だな。環君は相沢君と一緒にここで待っててくれるかな」
「私も……待機ですか?」
「ああ。もちろん相沢君が保証しているから大丈夫だとは思うけど、念のためね。
それにこれだけ大きな建物だ……誰かが来る可能性も十分あるからね。もしもの時は相沢君と一緒に切り抜けてくれ」
「分かりました」
「それじゃ、行ってくるよ」
そう言い残して英二達は外へと出て行った。
「ふぅ……」
英二達が去ってから暫くして、環が軽く溜息をついた。
全くやる事が無かった。だけど…。
「栞…」
祐一のそばで今も寝ている少女(栞?)に対する祐一の態度がどうしても気になっていた。
二人はどういう関係なのかは祐一には聞いてない。
ただ、祐一のつぶやきから少女が病弱だということだけ。
改めて少女の並べられた荷物を見定める。
その中でも目を引くのが少女が着ていたものらしき制服。
上着もスカートも何かに切り裂かれたかのように大きく前の部分が無くなっている。
この状態から想像できることは…考えたくもない。
いったいこの半日の間に少女はどんな脅威に晒されていたのだろうか。
「…ん」
栞とおぼしき少女がぴくりと身体を震わせる。
「栞? 起きたのか」
「ふぇ…」
少女がゆっくりと身体を起こす。と同時に何かが少女の髪から落ちる。
細長い布のような…りぼん?
「ふぁ……わわわわわわわわわわわわっ」
突然栞とおぼしき少女がびっくりしながら一気に私たちから後ずさる。
「!? その声は栞…じゃないのか」
祐一が告げると同時に私はとっさに少女に対して銃を向ける。
「動かないで。できれば手荒な真似したくないの」
その頃――
3階の奥にある一室で木造の校舎には不似合いなIT教室―――デスクトップ型のパソコンが大量に置かれている部屋があった。
「これも駄目か……」
「が、がお……」
そこで、英二は頭を抱えている。
英二達はフラッシュメモリの中にあったファイルの中身を確認しようとした…が、困ったことにファイルが開けない。
理由はファイルの情報を示す拡張子が存在しないため、そのままではこのパソコンで中身を閲覧することができないからだ。
このため英二は思いつく限りの拡張子…txt、doc、csv、xls、html等をファイル名の末尾に付加して開こうとしてはみた。
だが大概はファイルが開けない旨のエラーが表示されるか、…運良く開けても意味不明な文字の羅列しか表示してくれない。
「芽衣ちゃん、わかる?」
「ううん。お兄ちゃんだったらわかるかも知れないけど…」
英二の苦闘ぶりに芽衣&観鈴は何とかしてあげたいのだがどうすることもできないでいる。
フラッシュメモリには説明書などは付いていない。
だから本来ならば特に何かをしなくてもファイルの中身を見ることができるのだろう。
しかし現状でファイルを開くには…英二の頭では考えつかない。これがパスワード形式であればまだ希望がもてたかもしれないのだが…。
「観鈴君、すまない…相沢君たちを呼んできてはもらえないか。相沢君たちならもしかしたらこのファイルの開け方がわかるかも知れない」
回避
回避2
回避
もう出掛けるので取り敢えず落とせるだけ回避を落としていこう……ってことで回避その4
ラスト回避
「しかし…本当に似てるな栞に」
「そうなんですか? そこまで言うんでしたらちょっと栞さんに会ってみたいですね〜」
相沢君の知り合いかと言われた彼女=名倉由依はいつの間にか相沢君と雑談に興じている。
私が銃を名倉さんに向けた際には緊張感が走っていたのだが、お互い敵意がないことを確認した途端、名倉さんが色々と話しかけてきたからだ。
どうもそのやりとりのうちに相沢君は名倉さんへの警戒をいつの間にか解いている。
でも私は…まだこの名倉さんを信用はしていない。
相沢君は名倉さんを栞さんとだぶらせているからかもしれないけど、その分私が警戒するに越したことはない。
「へえ〜その携帯電話って島内ならどこへでも連絡できるのか」
「この電話だけの特別な機能みたいです。カメラもついているんですよ〜。あと電話以外にもメールや多分ネットもできると思うんですけど…」
なぜだろう名倉さんの声が心なしか突然小さくなる。
「そうだよな、いくらこっちから通信ができると言っても、相手先がわからなければどうしようもないしな」
「いえ、あの…」
名倉さんが続けて何か言いかけようとしたところで、階段の方から足音が聞こえてきた。
私と相沢君は警戒し、銃を構える。
(一人? でもこの足音は…)
職員室の扉がゆっくりと開けられる。
そこには…神尾さんがあたふたした様子で立っていた。
「ごめん、相沢さん、環さん…英二さんが力を貸してほしいって」
「本当に一人で残るのか」
「わたしたちと一緒にいた方がいいよ」
相沢君と神尾さんは自分たちと一緒に行動しないかと名倉さんを誘う。しかし
「ごめんなさい。あたし…実はここで人を待っているんです」
私はそれを聞いて唖然とした。
どうやらこの子は島内どこへでも連絡できると言われる携帯でどこの誰かもわからない人をここに招き入れたばかりか、会おうとまでしているらしい。
「あなた本当にわかっているの?こんな状況で電話だけで人を信じるなんて!」
「それでも…何もしないで立ち止まっているよりはいいと思います」
「それはどうかと思うわよ。私がマーダーなら、電話されてもゲームに乗っていない、協力したいっていうわよ。それで仲間になってから裏切った方が楽だもの」
そんな考えでいたらまたあの制服を着ていたときのようになるわよ、と言おうとしたがやめた。
「でも、とりあえずは信じることにしているんです。誰も信用できない、身内が殺された、だから人を殺すしかない、
…もしそんな状態に陥ってしまった人を説得するには…あたしの方から信頼を見せるしかないですから」
その言葉には同世代の女子高生が発しそうな軽さは無かった。相沢君と神尾さんも、そして私自身もそれを感じ取る。
「大丈夫ですよ。これでも修羅場はくぐってますし、こういう場所での身の避け方って慣れてますから。あ、でも見つかっちゃったら何もできないかもしれないですけど…」
…この子は今までいったいどういう人生を歩んでいたのだろう。私はそれ以上考えるのをやめた。
「これ、名倉さんのだろ?」
相沢君が職員室を出る際に名倉さんに何かを手渡す。
それは不釣り合いに二つに千切れた黄色いリボンだった。
彼女はひどく残念そうにしていたけれど、すぐに相沢君に対して感謝を伝えていた。
「信頼ある人でしたら皆さんに紹介しますからっ。ただ…もし…どうしても本当に信頼できる人でなかったら」
名倉さんの言葉がいったん止まる。
「逃げます。皆さんに迷惑をかけないように…あたしだけでなんとかしますから」
この申し出は私たちにとって非常にありがたかった。ここでの目的を達成しないうちに危機に遭ってしまっては元も子もないわけだし。
「それじゃあ…そっちも頑張ってね」
そう言い残して私たちは職員室を後にした。
「ちきしょー、わからねえ…」
「すまない…俺の知識では常識的な範囲でしかわからなくてね。相沢君や環君だったら解決するかと思ったのだが」
英二たちと合流した祐一&環はどうにかファイルを開くために思いつく限りの拡張子を入れてみたが…
やはりエラーが表示されるか、または意味不明な文字の羅列しか表示されなかった。
「どうやらこのファイルには何か暗号か特殊なフィルターがかかっているか…あるいはこのフラッシュメモリを読み込む装置がパソコンでは無いのかも知れないな…」
一同は消沈した。手掛かりは一切無い。せめて何でもいいから情報が得られれば…
「待てよ…」
祐一は突然フラッシュメモリのフォルダを閉じたかと思うとインターネットを閲覧するソフトを立ち上げ始めた。
「相沢君?」
「おいおい、ここって、ありとあらゆる情報から隔離されているんじゃなかったか」
「確かに外部との情報は遮断されていると思う。でも」
――へえ〜その携帯電話って島内ならどこへでも連絡できるのか」
――この電話だけの特別な機能みたいです。――あと電話以外にもメールや多分ネットもできるとあるんですけど…
あの言葉が事実なら、必ず内部ネットワークみたいなみたいなものが用意されているはず。
そこに何かヒントがあれば…
祐一が画面を確認すると閲覧ソフトは既に立ち上がり最初に読み込むホームページを表示させようという段階のようだ。
祐一をはじめ後ろの面々もパソコンの画面を食い入るように見つめる。
しばらくして何かのページらしきものが本の少しずつだが画面に表示されてきた。
その小出しに小出しに現れるページに息を飲みながら見守っていたその時、一つの銃声が校舎に響き渡った。
「何っ!?」
「これは銃声だ……」
「まさか…」
祐一と環はお互い顔を合わせる。
――信頼ある人でしたら皆さんに紹介しますっ。ただ…もし…どうしても本当に信頼できる人でなかったら
――逃げます。皆さんにまで迷惑をかけないように…あたしだけでなんとかしますから
祐一は銃を手に取る。
「どこへ行くの?」
環は慌てて教室を飛び出そうとするや否やの祐一を制する。
「どこって決まっているだろ」
「待ちなさい! 何かあったらあの子は一人で何とかするって言ったじゃない。それにあなたが出て行ったらここはどうするの?」
「誰かが襲われているのがわかっていながら見過ごすとなんて俺にはできない。それに俺がいなくても英二さんたちがいればここは大丈夫だ。パソコンの件は頼みます」
そう言うと祐一は一気に教室を飛び出していった。
環は祐一の行動が理解できなかった。
あの子とはほんの一時しか言葉を交わしていないのに…信用できるかわからないのに。
――元々の友達とここで出来た仲間。天秤になんてかけれねーよ。
以前の祐一の言葉
でも…どうして信用なるかわからない人にまで、そう動くことができるの?
――でも、とりあえずは信じることにしているんです。誰も信用できない――もしそんな状態に陥ってしまった人を説得するには…あたしの方から信頼を見せるしかないですから
ああ…もう面倒くさい!
私は銃を取り緒方さんの顔を見やる。
そして緒方さんの頷く姿を確認すると同時に、私は教室を飛び出したのだった。
緒方英二
【所持品:ベレッタM92・予備の弾丸・支給品一式】
【状態:健康、表示されるページを確認する役目】
春原芽衣
【所持品:支給品一式】
【状態:健康、怯え】
神尾観鈴
【所持品:ワルサーP5(8/8)フラッシュメモリ、支給品一式】
【状態:健康、怯え】
相沢祐一
【所持品:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(15/15)支給品一式】
【状態:体のあちこちに痛みはあるものの行動に大きな支障なし、職員室へ向かう】
向坂環
【所持品:コルトガバメント(残弾数:残り20)・支給品一式】
【状態:健康、職員室へ向かう】
名倉由依
【所持品:鎌石中学校制服(リトルバスターズの西園美魚風)
カメラ付き携帯電話(バッテリー十分)、荷物一式、破けた由依の制服】
【状態:全身切り傷のあとがある以外普通、職員室で誰かを待っていた→状況不明
【備考:携帯には島の各施設の電話番号が登録されている】
→440 →445
⇔446 ⇔486
ルートに採用できるか否かは感想スレで(アナザー含)
【時間:2日目午前1:30ぐらい】
【場所:D-06 鎌石小中学校】
【備考1:由依は祐一たちに誰と会うかまでは教えていない】
【備考2:パソコン上に何が表示されたかどうかは後述を書く人へ】
【備考3:フラッシュメモリのファイルの仕様については後述を書く人へ】
>>333-337 早朝お忙しい中、本当にありがとうございました。
343 :
318:2006/11/27(月) 01:49:04 ID:1f1iHwHD0
大変失礼しました、考察板にて訂正いただいた箇所を直しました。
(何故か昨日から考察板に書き込めないので、投稿板にて失礼します)
まとめさんへ、すみませんが以下の改変をお願いします
467話
タイトルの諒→椋
486話
由衣→由依
引き裂かれた→切り裂かれた
以下の文を貼り付けて直していただければと思います、お手数おかけします;
引き裂かれた〜はニュアンス的なものとして捉えていたもので、違和感を与えてしまいすみませんでした。
一方。鎌石小中学校、職員室にて。
「ン〜、由依ちゃんは悪い子だなぁ。勝手に外に連絡とっちゃうなんて、これはお仕置きモノだぞ?」
「ひ、ひぃっ」
ガタガタという震えが止まらない。
携帯電話を抱きしめるように身を小さくし、名倉由依は男から逃げるよう後ずさりをした。
だが尻餅をついてしまっている状態だったため、ずかずかと歩いて詰め寄ってくる男から離れることはできない。
髪を掴まれ顔を寄せられる、由依は男の成すがままになるしかない。
344 :
318:2006/11/27(月) 01:49:52 ID:1f1iHwHD0
「ほ〜ら、熱いキッスをくれてやる。顔こっち向けろ」
「い、嫌です!」
「たっく、ノリが悪いな・・・ほら、じゃあ自分から股開けよ」
「い、いやです、もう止め・・・」
「愚痴愚痴言ってんじゃねえ!!大体こんな小さい身なりで非処女なんてヤリマンの証拠じゃねえか、あぁ?」
「う、うぅ・・・」
切り裂かれた物の代わりにこの学校で手に入れた制服も、今は所々破かれ大量の白い染みに侵されていた。
服だけではない。体中も男に撫で回された不快感が拭えず、それは由依の心をズタズタに引き裂いていく一方で。
・・・最初は優しい笑顔だったはずの男は、この場所に由依以外の人間が本当にいないと分かった途端彼女を押し倒した。
由依は状況が理解できないままに身をもみくちゃにされ、何度も何度も犯されることになる。
そんな経緯から、男にとって由依のそれは今更の抵抗であった。泣き叫ぶ由依の姿を見るのもまた余興。そんな、心境。
約一時間前、仲間を増やすべく由依が電話をかけた先・・・それに出たのが目の前の男、岸田洋一であった。
余程近い場所だったのか、彼が由依の元に辿り着いたのは三十分ほどで。
こんなにも早く味方を見つけられるなんて・・・と、彼女が思うのも束の間。
岸田の変貌は本当に早かった。
花梨や由真を取り逃がしたことによるフラストレーションを抱えていた時に、運よく現れた小動物。
それが、名倉由依。岸田は彼女にそれをひたすらぶつけた、由依自身にとってはたまったものではない。
・・・だが、それでようやく岸田は。本来の調子を取り戻せたような、そんな気分になることができていた。
「まぁ、やっちまったことは仕方ねえなぁ。くっくっくっ、ちょうど刺激が足りなくなってきた所だあ!いっちょ揉んでやるかっ。
さーて、由依ちゃんの呼んだお仲間が来るまで・・・気持ちいいこと、してような〜」
「いやああああぁぁぁっ!!!」
由依の悲鳴は止まらない。
彼女の地獄は、まだ始まったばかり。
ダラダラと引き延ばして申し訳ありませんでした。
359、391、427の続きです。
長引くと思いますので、連投回避にお付き合いください。
「さ、どないするんや? 敬介はうちの味方やで。自分がここで手をこまねいている内に娘さんはえらい目におうてるんやろうなぁ……」
「……ちっ」
お互いの拳銃で牽制して、迂闊に動けぬよう地へと縫い付けられる古河秋生(093)と神尾晴子(024)。
一見対等な構図に見えるが、実のところ一方に偏られているのだ。
余裕の笑みで拳銃を構える晴子と、右肩に傷を負った秋生ではどちらが有利か言わずとも知れている。
さらには、橘敬介(064)が危険人物かもしれないと分かった今、敬介と共に行かせた秋生の娘である古河渚(095)の安否も怪しいものだ。
そして、拳銃の残弾数。残り一発という状況を晴子に悟られてしまえば、秋生の圧倒的不利は容易に覆すことが出来なくなる。
(―――マジぃな……。銃弾一発に薙刀でどうにかしなきゃなんねぇってことか)
渚達の元へ行くには、どうしたって晴子を無力化しなければならない。
立ち塞がるような彼女の肩口の先を、秋生は焦燥に顔を歪めて眺め見る。
敬介の善良そうな顔立ちを思い出すだけで、自身の迂闊さを呪いたくなってくるというものだ。
晴子と橘の確執に飛び込んだことは明らかに余計な横槍だったと、そう思わずに入られなかった。
(ま、渚の手前。しゃあねぇか……)
自分一人ならば恐らく見捨てた可能性もある。
いや、妻であった古河早苗(094)を失った今、殺人者に復讐する権利だってあった。
だが、彼にはまだ娘の渚がいた。
身体が弱いくせに根は何処までも素直で強い、母親譲りの自慢の娘だ。
殺伐とした環境でも決してめげず、早苗を殺した者にまで諭す度胸のある娘だ。
そんな渚が懇願して秋生に助力を申し出たのだ。普段我侭を極力言わない彼女の言い分を聞いてやらなくて何が父親か。
言ってしまえば、娘の手前格好が付けたかったという話だ。
調子の良い自分に、つい状況を忘れて苦笑してしまった。
晴子は、それを面白くなさそうに怪訝な表情で見詰める。
回避一番乗り!!
「……何がおもろいんや? なめとんのか」
「ん? いやなに、娘のことを思うとな……」
「余裕やんけ。その娘が敬介と一緒におるいうのにな。みたやろあの顔? あんな無害な顔しとって平然と嘘つける男やで?
えげつない男やないか。役立たずかと思うたが、存外に利用価値があるってモンやな」
「―――ふん。役立たずとか利用価値とかよ、テメェそれでも子の親か?」
「あ? 何が言いたいんや」
秋生の言葉に晴子は目を細めた。
「主催者に言い様に躍らされて娘を守るだぁ? はっ、テメェが殺してきた奴等の関係者に娘が殺されても文句は言えねぇぜ?
被害を抑えて共に脱出しようとする心意気ぐらい見せやがれってんだ」
「やかましいっ。われも参加者全員殺して娘を生かそうって心意気ぐらいみせんかい。死んでからじゃ遅いんや。思う壺も関係あらへん。
こんなヘンピなトコで、観鈴を死なすわけにいかんのや。自分が死んでも娘を生かす、それが親心ってもんやろが!」
晴子の言葉は揺ぎ無いほどの決心を固めて発せられる。
秋生が娘達と共に脱出しようと考えていることも、晴子が娘以外の参加者を皆殺しにしようとしていることも、どちらも娘を想ってのことだ。
それは決して相容れぬものだが、どちらが正否なのか判断できる者は自身でしかない。
晴子の決意の篭もった双眸と交差したとき、この見解の相違はどうあっても交わることがないと秋生は自覚する。
彼女を説得することは不可能だ。
―――ならば、押し通るのみ。
素早く地面に目線を走らせて、目的のものを発見してから晴子へと視線を戻す。
「……そうか。テメェの意向をどうにかすることは無理ってことか」
「今更なんやねん。アホか? もうええやろが。この立ち位置もええ加減疲れたわ……はよ死ねや―――」
「―――待て!」
秋生の能書きに痺れを利かせたのか、晴子は構える拳銃の引き鉄に指をかける。
だが、銃弾が発射されるよりも早く、彼は薙刀と拳銃を前方に突き出すようにして静止の言葉を掛けた。
「命乞いかい、なっさけないやっちゃな。とっとと逝てまえ」
「だから待てと言ってんだろうが! わかった降参だ降参。ほらよ」
投擲した薙刀が二人の中間地点に突き刺さる。
あっさりと秋生が獲物を放棄したことに晴子は唖然とするが、直に侮蔑の視線を寄せた。
「なんや……偉そうなこと言っておいて結局は身の可愛さかい。父親の風上にもおけんわ……」
「うるせぇよ。俺だって死にたくないし、死ぬわけにはいかねぇんだよ。ヤル気がないってことを誠意で持って示さなきゃなんねぇだろ?」
汚らわしいものを見るかのような晴子の視線に飄々と答える秋生。
彼の脱出という意見には賛成できないまでも、同じ親として真の父親を見た気がしたが、先の発言には流石の晴子も失望した。
それに拳銃を残しておいて、何が誠意かと。
そういった感情の篭もった刺々しい視線が秋生へと突き刺さる。
晴子の様子を察する限り、拳銃を手放したが最後、何の躊躇もなく秋生を殺害するに至るだろう。
そんなことは既に承知の上だ。
「ま、構へんよ。われには失望したわ。はよ拳銃手放して何処へなりともいけや」
「そうか。ほら」
「―――っ!?」
逃がすわけもない。無防備になったら即撃ち殺す算段だったが、当の秋生が何の予備動作もなく拳銃を前方に放ったことで晴子は一瞬硬直してしまった。
晴子の視線が宙に浮く拳銃へと目を逸らしたとき、秋生は前方斜め横へと転がるようにして飛び込んだ。
「―――こんのっ!?」
慌てて銃弾を放つが、照準が合わさっていた位置には既に秋生は存在しておらず。
秋生の姿を知覚した時には、何故か彼は晴子に背中を向けて蹲っており、何やら構えを取っていた。
「おらよっ!!」
「―――っぁ!?」
無防備だった筈の秋生の背中へ怒りに任せて銃弾を浴びせかけさせようとするも、それよりも早く振り向き様に彼の腕がぶれた瞬間、晴子の膝下に激痛が走る。
アンダースローの水平投擲から拳大の石が正確に晴子の足を直撃していたのだ。訳が分からぬうちに彼女は姿勢を崩しそうになる。
必死に痛みを堪えて顔を上げるがもう遅い。
秋生は怯んだ晴子の隙を狙って突き刺さった獲物を引き抜くと同時、手に持つ彼女の拳銃ごと射程の長い薙刀で薙ぎ払う。
吹き飛んだ拳銃には気にも留めず、畳み掛けるように翻した薙刀の柄で驚愕に顔を顰める晴子の鳩尾へと突き刺した。
晴子は膝を落とす。
「―――くっ……ぁっ、か」
「寝てろっ!!」
酸素を強引に吐き出されて息も絶え絶えな晴子の意識を断つべく、秋生はその首元へと渾身の手刀を放つ。
だが、晴子は危険を寸でのところで察知したのか、痛みを噛み殺しながら這い蹲るようにして転がり、攻撃を逃れることに成功する。
秋生は仕留め切れなかったことに小さく舌打ちするが、それでも道は開けた。
近くに落ちた自身の拳銃を広い、晴子の拳銃も拾おうとしたが、結構な距離を弾き飛ばされた拳銃は茂みへと身を隠している。
「―――クソっ」
探す手間もないし、なにより吹き飛んだ拳銃は平瀬村とは逆方向だ。
秋生は止む無く諦めて、平瀬村へと疾走した。
「ぁ、く……。こすい真似しくさりやがって……っ! ま、ちぃやぁ!!」
晴子は痛みを堪えながら立ち上がる。
腹の痛みは一時的なものであるし、膝の痛みも我慢すれば走れないこともない。
すぐさま飛ばされた拳銃を拾って彼女もまた怒りの形相で追走する。
回避
****
暗闇に沈んだ平瀬村で、水瀬秋子(103)は音もなく走り抜ける。
保護した少女達の助力のために、彼女は平瀬村入り口付近で行われているはずの殺し合いを止めに行こうとしているのだ。
秋子は一直線に目的地を目指すことはせず、少し迂回するようにして向かっていた。迂闊に村の道筋を通ってやるほど秋子は馬鹿ではない。
幾ら走っているとはいえ、マーダーに捕捉される可能性は無きにしも非ず、余計な道草も泥沼な乱戦も得策ではないのだ。
彼女の向かう現場に極力人を集めたくないという思惑もあるが、それ以上に自身の姿を確認されるわけには行かない。
秋子の目的は無力な少年少女の保護。そして、ゲームに乗った者の排除である。
保護した少年少女達の知り合いとて例外ではない。
そして、この先で行われている闘争の渦中となっている人物は橘敬介の知り合いと、古河渚の父親だ。
秋子は別れる間際に洩らした敬介の言葉を思い返す。
―――虫の良い話だが、出来れば彼女を止めてほしい―――
聞くつもりはなかった。
別に虫が良い話とは思わないが、ただ頼む相手を見誤っただけのこと。
秋子は決めたのだ。ゲームに乗った愚か者は一切の猶予も与えない。
安易に奪ってきた人の命の重みを知らしめる為に、決して楽には死なせないと。
だから、敬介が懇願したとしても秋子の意向は動かない。
ここで有り難い慈悲の精神を見せて漬け込まれでもしたら全てが後の祭り。
(―――不安材料は刈り取るが一番。一刻たりとも生かしては置けませんね……)
マーダーに改心の余地があろうがなかろうが関係ない。
危害を加える可能性がある者や、一度悪意に染まってしまった者に安楽の道はないのだ。
そんな輩を島中にのさばらせては、罪も力もない子供達が危険に晒されてしまい、下手をすると命まで落としかねない状況なのである。
とてもじゃないが、一母親としても見過ごすことは到底出来ない。
対象者の選出は簡単。正当防衛ならば許し、他は全て斬って捨てる。
秋子の目的は至極単純で、ある意味凶悪ともいえる思考だ。
彼女の主観次第で、それこそ無関係な被害者を生み出すかもしれない。
例えば敬介だ。彼の言う娘を守るために鬼となった母親を秋子が殺してしまったとしたら、一体どういった影響を及ぼすかは想像に難しくない。
秋子とて一人の母親だ。娘の為に全てを投げ打ってゲームに乗ることは同調できる。
だが、無差別というのならば話は別だ。自分の娘達に火の粉を振り掛けるつもりなら、そこに一切の容赦はしない。
彼女は、矛盾した自身の思考に自嘲の笑みを浮かべた。
(……わたしとて、名雪を失くしてしまえばどうにかなりそうなものを……)
秋子に残された唯一の宝もの。
それを失ってしまえば、自身は復讐に走らずに正気を保っていられるのだろうか。
自虐的なことを考えずに入られなかった。
秋子は自覚しているのだ。自分が偽善的なことをしているということを。
娘の生死次第で容易く傾いてしまう感情は、不安に感じるほど危ういものだった。
そうならないためにも、秋子は盲目にマーダーを刈り続ける。
娘達を死なせないためにも、彼女は被害者の恨みまでも買う覚悟だ。
マーダーが引き返せぬ道を進んだように、秋子も決して止まれぬ境地に踏み込んでしまったのだ。
ゲームを加速させる駒として自分が暴走していることを、既に彼女は自覚していた。
そして、民家の隙間を潜りながら徐々に距離を詰めていた秋子の視界に、一つの影が通り過ぎた。
(―――……なに?)
暗闇の中、遠目ではあるが確かに何かが通り過ぎた。人影である。
訝しげに茫然と見ていた秋子だが、その影を追走する形で新たな人影が通り過ぎたことで我に返った。
(―――抜けたの!? 方角は……しまった……っ)
―――迂闊だった。
珍しく顔を歪ませた秋子は、踵を返して元来た道を引き返し始める。
来るまでに時間を掛けすぎた。未だ争っていると思ってしまったばっかりに、容易く見過ごしてしまった。
争っていたのは二人。人影も二人。
先駆していた影が古河渚の父親だったとしたら、娘の無事を想って駆けつけるのは至極当然のこと。
だが、マーダーが追って来ていると分かった上で、娘との合流を果たそうとするだろうか―――ありえない。
普通ならば入り組んだ民家を利用してマーダーを撒こうと考え付くべきだ。
それをしないということは即ち、追っ手の存在に気付いていないということか。打倒したと油断したのか。
次にマーダーが先導していた場合はどうか。
敬介達に引導を渡すべく止めを刺しに言ったのか。もしくは、追って来る古河渚の父親を罠に誘い込む為か。
回転する頭が様々な可能性を弾き出すが、全てどうでもよかった。
問題は彼等が向かう方角だ。
秋子に焦燥の思いを逸らせるのは、娘達がいるべき場所へと彼等が向かっていること。
(―――くっ。名雪っ、澪ちゃん……っ)
秋子は残してきた少女達の安否を願いながら、漆黒の闇を荒らんだ足音で疾走する。
kaihi
『神尾晴子(024)』
【時間:1日目午後11時頃】
【場所:G−3】
【所持品:H&K VP70(残弾数12)・支給品一式】
【状態:秋生を追走。膝下に打撲傷】
『古河秋生(093)』
【時間:1日目午後11時頃】
【場所:G−3】
【所持品:S&W M29(残弾数1/6)・薙刀・支給品一式】
【状態:渚達と合流。左肩裂傷手当て済み】
『水瀬秋子(103)』
【時間:1日目午後11時頃】
【場所:G−3】
【所持品:IMI ジェリコ941(残弾14/14)・支給品一式】
【状態:普通。二人を追って名雪達と合流】
>>347>>351 回避感謝感謝
続けていきます
次で終わりですので、再び連投回避よろしくです。
もういっちょ回避
さらに回避
頑張ってください回避
殺意の視線に蠢く影。
それがルーシー・マリア・ミソラ(120)を狙っていると分かった時には、理性など吹き飛んで彼女を突き飛ばしていた。
その結果、雛山理緒(083)の胸を容易に貫いた銃弾の一撃が、彼女に決定的な生死を隔てることになる。
庇ったのは衝動的なものだった。
「―――あ、ぅ……」
「お、おい!! マジかよっ」
「―――大丈夫!?」
地に伏した理緒へと、慌てた春原陽平(058)と霧島佳乃(031)が屈みこんで彼女の身体を起こさせる。
古河渚(095)は青褪めながら悲鳴を噛み殺し、突き飛ばされたるーこは尻餅をついて未だに唖然としていた。
理緒へと触れた時の生暖かい感触が全てを物語っており、春原は留まる気配のない血液に息を飲み下す。
「こ、これヤベェって……っ。と、ともかく血を止めないと―――」
「必要ないわよ。その子はもう死ぬわ」
混乱の極みに達した春原の耳朶を、凛とした女性の声が夜の闇を切り裂いた。
悠々と現れた襲撃者―――来栖川綾香(037)は、冷酷な瞳で彼等を眺め見る。
我に返ったるーこは、彼女こそが襲撃者ということにいち早く気付いて腰を浮かそうとするが、綾香の向けた拳銃に動きを止めざるを得なかった。
「ストップ。あなた達の生殺与奪は私が握っているのよ? 長生きしたかったら質問に素直に答えることね」
「……何のつもりだ」
唸るように呟いたるーこの眼光を、この状況で何を今更、そう言いたげに一笑に帰す綾香。
「つもりも何も、一参加者としてルールに従ったまでのことだけど? 本当は貴女を狙ったつもりだったんだけど……命拾いしたわね?」
「……ゲームに乗ったということか」
「……そうね。私はゲームに乗った。だから殺すのよ……悪い?」
ゲームに乗ったという一言に少し眉が顰めさせたが、それでも綾香は悪びれもなく言い放つ。
春原は余裕の態度を見せる綾香へと、怒りが篭もった敵意の眼差しを向けた。
それでも回避
「なんでこんなことすんだよっ! お前頭おかしいよ! なんだって―――」
「―――うるさいのよ。今すぐ死にたいの?」
「う、ぐ……」
拳銃の照準がるーこから春原へと正確に向けられて、彼は萎縮したように顔を引き攣らす。
下手に綾香を刺激して拳銃を発砲されるのだけは、春原としても控えたかった。
根性無しと、自身で罵りながらも、彼は気丈に綾香を睨みつける。
渚は懸命に震えを堪えているようだが、やはり恐怖は隠しきれていない。
診療所の惨劇が彼女の脳裏を過ぎったからだ。
それは佳乃も一緒のことだが、何よりも母親を失った渚の方が精神的の差異を比べるまでもないほど磨耗している。
そして一番冷静であるるーこは、好機の瞬間を見計らっていた。
銃は突き飛ばされた勢いで後方に転がっていおり、手を伸ばせば届かない距離ではない。
だが、少しでも不審な動きを見せれば、恐らく綾香を躊躇いなく引き金を引くだろう。
無闇に行動してしまったばっかりに、この膠着を悪い方向へと傾けたくはない。
今は、大人しく様子を見るべきだ。
幸いなことに、綾香は問答無用に彼女達を殺すつもりはないようで、何やら訪ねたいことがある模様。
四人は警戒気味に押し黙って、綾香の言葉に耳を傾けることにする。
「それでいいのよ。ちょっと人探しをしていてね、今から上げる名前に心当たりがあれば答えて頂戴」
「…………」
「朝霧麻亜子、鹿沼葉子、川澄舞、小牧愛佳、沢渡真琴、広瀬真紀、観月マナ。
そしてルーシーの九人」
「っ!?」
春原がるーこを覗き見るが、彼女自身は表情に変化はない。
渚と佳乃にも顔が一致する名前があった。
その四人の反応に、綾香は満足気に微笑んだ。
「いくつか知っているようね。で? 教えてもらえるかしら」
「…………」
明らかにそれらしい素振りをしておきながら、彼女達は一様に口を閉ざす。
綾香はスッと目を細めて、るーこに照準された銃口をこれ見よがしに上下させる。
「ふぅ。わかったわよ……さよなら―――」
「―――待ってよ!!」
彼女の決して威嚇ではない真剣な表情に、慌てて佳乃が制止の言葉を掛ける。
綾香は先を促すように、佳乃へと視線を移す。
「余計な手間を取らさせないでもらえる? 心当たりがあるのなら知っている限りの情報を吐きなさい」
「い、言うから……。あたしと渚ちゃんが知ってるのは鹿沼葉子って人だよ」
「……それは身長が中学生ぐらいの幼児体系な女なの?」
綾香の問いに、佳乃は訝しげな表情を見せながらも首を横に振って否定する。
二人が遭遇した鹿沼葉子(023)の体系を幼児とするには流石に無理があったため、そこは素直に答えておいた。
それ依然に、葉子に対して庇う余地などあるわけもなく、渚に至っては恨む事情さえあるのだ。
包み隠さず喋ったところで、彼女達には何の不備もない。
嘘を吐いている様子がなかったため、綾香は渚と佳乃から視線を外した。
「貴女達はどうなの? 一方は確実に知ってそうな雰囲気だったけど」
「……名目上、るーがルーシー・マリア・ミソラだ」
「名目? るー? あぁ、貴女が……るーこね。じゃあ、そっちの男が春原陽平かしら?」
「な、なんで知ってんだよ……?」
「……どうだっていいでしょ、そんなことは」
どんどこ回避
るーこと春原は、綾香が面識のない自分達を知っていることに驚いた。
聞き出そうとするも、彼女は途端に苦々しい表情を形作って目を逸らす。
綾香が二人のことを知っているのは当然だ。
巳間晴香(105)の情報通りだとすれば、二人は浩之一行の中にいた筈である。
だが、晴香のことを想うと、どうしても忌々しい少女の顔を思い浮かべずに入られなかった。
怒りに震えそうになる感情を強引に振り払い、平常心を保ちつつ再度尋問に移る。
「ともかくルーシーは違うのか……他には?」
「小牧愛佳。同じクラスだが、幼児体系ではなかった筈だ」
綾香は淡々と答えたるーこの言葉に頭を巡らせて考え込む。
その際に春原にも視線を寄せるが、彼は心当たりがある名前が無かったために小さく否定の言葉を洩らした。
何故、このような問答を綾香が行っているのか。
それは他でもない、綾香の怨敵の情報を少しでも多く探るためだ。
綾香に与えられた情報は数少ない。
外見的特長と、あと一つ―――
「―――それじゃ、まーりゃんという渾名に心当たりは?」
「……確か、うーささの……」
「―――知ってるのね」
綾香の顔が凄惨に歪んだ。
歓喜の笑みを浮かべる綾香を見て迂闊だったかと、るーこは眉を顰めるに留めたが、春原に渚、そして佳乃の三人に至っては余りの笑みに身を引かせた。
「私が先に上げた名前の中にまーりゃんという人物はいるの?」
「知らん。名前に覚えはない」
「じゃあ貴女の言ううーささってのは誰のことよ?」
実際まーりゃんという人物は知っていはいたが、本名に関しては聞き及んでいない。
だが、これ以上情報を分け与えていいものなのだろうか。
一瞬不安が脳裏を過ぎるが、一度口に出した以上素知らぬ振りは出来ぬだろう。
るーこは止む無く口を開く。
「……久寿川ささらだ」
「久寿川ささら……ね。そのささらさんは、まーりゃんといった人物と仲はいいの?」
「…………」
雲行きが怪しくなってきた。
まーりゃんという言葉を綾香が発した途端、空気が極端に重くなった気がする。
それは決して勘違いではなく、瞳をぎらつかせながら言葉を待つ綾香の姿に執念が感じられた。
それもその筈。
綾香の最優先目的。最上級の標的。それがまーりゃんという名の少女。
だが、綾香は少ない材料で彼女を探し当てなくてはならないのだ。
先に挙がった九人の名前は、まーりゃんという渾名をつけても可笑しくはない人物名を抜粋したもの。
酷く短絡的ではあるが、渾名というものは得てして単純なものであるために、一概には見当違いとは言えない。
流石に本名以外から渾名を拾ってきたのならお手上げだが、それでも綾香自身は気付いていなくともまーりゃんの本名とて挙がっているのだ。
そして、るーこの情報。これには綾香も喜ばずにはいられない。
目的達成に一歩近づけたと、彼女の陰鬱とした感情が滲み出ても無理もないということだ。
「……どうなのよ? 親密なの? そうじゃないの? まぁ、悪い関係じゃなさそうってことは確かね」
沈黙を深めるるーこの様子は、まーりゃんとささらの二人は無関係とはいえないことを言外に語ったいた。
それは間違ってはおらず、綾香も既に確信している。
さらには、るーこの関係者ということで対象を狭めることにも成功していた。
「ねぇ、ささらさんは貴女と同じ学校なんでしょ? つまり、その制服ってことよね」
「……ああ」
ここまでくれば、もはや隠し事に意味はないだろう。
諦めて頷いたことに、綾香は更に笑みを深めた。
どうやらまーりゃんなる人物は綾香の姉である来栖川芹香(038)と同じ学校の関係者のようだ。
ここまで分かれば、彼女の目的遂行に必要な情報は集まったといえる。
まーりゃんなる人物の名前は、次の機会で訪ねればいいのだ。
綾香が表情を消したことに気付かないで、二人の応答を緊張して聞いていた佳乃が焦った様に口を開く。
ばんばん回避
「ね、ねえ。もういいでしょ? 早くこの子の手当てをさせてよっ」
「そ、そうだよ! 早く治療しないとコイツ……」
同調したように春原も口を開く。
二人の手の中には、血の気を失い既に息もか細くなっている理緒が生命活動を必死に繋ぎとめていた。
渚も懇願する瞳で綾香を上目遣う。
「あぁ……まだ生きてるの? 言ったでしょ……もう死ぬって。その前にすることがあるんじゃない?」
だが、理緒の存在そのものを今思い出したかのような言動は、酷く無慈悲で容赦のないものだった。
「―――貴方達も時期にそうなるんだから、御祈りなり命乞いなりしたらどうなの?」
「なっ!? おいっ、話が違うじゃないか!!」
「ははっ。話? どこにそんな余地があったのよ? 慈悲深い私が延命させてあげていたの間違いでしょうが」
「そ、そんな……っ」
情報を摂取した以上、彼女達の利用価値など既にない。
春原に渚、佳乃は綾香の言葉に愕然とし、るーこはやはりそうなったかと苦虫を噛み締める。
人一人を瀕死に追い込んでおいて、目撃者を残す事自体が有り得ないのだ。
そもそも、綾香は始めから好戦的であった。
接近にも気が付かなかったことから、やはり水瀬秋子(103)に先導されてた時には張り付かれていたのだろう。
別段綾香とて、当初の目的では彼女達を皆殺しにするつもりなどなかった。
情報を聞き出して、彼女達が目的に沿う人物ならば殺すといった方針であったが、四人の合流の展開を見た時に一変したのだ。
「だって、おかしいじゃない? 精一杯生き残ろうとしている人を貴方達は死地に向かわせたんでしょ?」
「な、なんのことだよ……」
春原が困惑気味に問い掛けるが、それこそが罪だと言わんばかりに綾香は鼻で笑い飛ばす。
「だから甘いってのよ。聞くけど、さっき駆けつけて行った傷だらけの人……あれは何なのよ?」
「あの人は……お父さん達を助けに行って……」
「行って? 行かせたの間違いでしょうが! 私はね、自分で出来ることをしない人間が大嫌いなのよ!
子供だから、怪我してるから……そんな理由がまかり通るほどね、このクソッタレなゲームは甘くないのよ!!
貴女達みたいな思考停止した他人任せな人間が、何でのうのうと生きてんのよ? ねぇ……恥かしくないのっ!?」
綾香は銃口を突きつけていたるーこへと歩み寄り、容赦なく下段蹴りを噛ます。
るーこは座り込んでいたために、当然その矛先は頭部に相当し、綾香の蹴りは彼女の頬を抉った。
吹き飛びそうになる身体をなんとか地に手を付けて押し留めるも、口内を切ったのか、唇の端から血が滴り落ちてくる。
悲鳴一つ上げなかったるーことは反対に、佳乃と渚は小さく悲鳴を洩らした。
そして、綾香の仕打ちに血が昇った春原は理緒を佳乃へと任せて飛び掛かかり、彼女を捕らえようと手を伸ばす。
だが、それよりも早く銃口が彼へと向いたことでやはり足を止めてしまう。
「―――う、ぐ……」
「そうよ。そうやって激情の赴くままに行動すればいいのよ。何もしない馬鹿よりは幾分かマシでしょうしね。
後から後悔しても遅いのよ! 自分の手を汚す覚悟で! 全てを投げ打ってでも生き続ける必要があるのに何で動かない!?
もしかして綺麗なまま生き残ろうと夢を見てんじゃないでしょうね? そんな奴は一回死んで一生寝てればいいのよ!!
殺すのよ! 大切な人を守るなら他は殺すべきなのよ!!」
「じゃあお前みたいに人を殺し続けることが正しいって言うのかよ!? どいつもこいつもさぁ! 生き残るために殺しあって満足してんのかよ!
僕は嫌だね! お前結局逃げてんじゃん……まあ殺すほうが簡単だもんな!?」
「何よそれ、寝言? 安易に他人任せのアンタらが偉そうな口を利かないでもらえる!? 逃げるって……私が? ホントに何それ」
加熱した二人は、顔を突き合せながら睨み合う。
どちらも自身が正しいと思い、一方を間違っていると避難する。
決して纏まらない不毛な言い争い。
銃を突きつけられた状況を忘れたかのように、春原は怒声を飛ばす。
「未だ寝惚けているアンタにじゃあ言ってやるよ! 逃げてるね!
完全無欠に現実が怖くて恐ろしくてガクブル震えながら負け犬のように尻尾をプルつかせて逃げてるね!!
確かに僕らだって情けないさ! 踏み出す勇気がなくて手をこまねいてるさ!」
相容れぬ彼女へと、春原は自身の情けなさを自覚しつつ指を突きつける。
「でもさ、アンタよりはマシじゃん。
積極的に行動しているつもりなんだろうけどさ、結局はあのウサギ野郎が用意したルールに従ってるだけだろ?
アンタこそ自分の考えを歪めてまで、ゲームを始めた主催者の殺し合えって一言を素直に守ってるじゃないか。他人任せな思考だよね!?
関係ない人殺して、意味もなく殺して……それで守って綺麗にオチつけられんのかよ!? 守った人間が生き延びる保障があるのかよ!」
「あるのよ!! 少しでも人数を減らせばそれだけ生存率が上がるでしょうが!! あんた達はそういった努力をすればいいのよ。
それに私は綺麗に終わるつもりなんかないの……。言ってなかったから教えてあげる……」
怒りに顔を歪めた綾香が、心底忌々しげに呟いた。
「―――巳間晴香……知ってるでしょ?」
「うーはる……?」
「し、知り合いなのかよ?」
少しの間しか共にいることが出来なかったが、晴香とは情報交換をした仲だ。
彼女はこの殺伐とした状況でも冷静な思考を崩すことはなかった覚えがあるが、暴走した柏木梓(017)を追って行ってそれっきりの関係だった。
何故その晴香の名前が挙がるのかは不思議に思えたが、単に知り合い、もしくは春原達の前後に遭遇したのだろうと当たりをつけていたのだが。
しかし、綾香の口からは予想だにしないことが飛び出してきた。
「―――彼女ね……死んだわよ?」
「……は?」
「なんだと……」
さくさく回避
一瞬何を言われたのか把握できなかった。
今まで襲撃されたことはあるものの、まだ知人が死に瀕した場面に遭遇してこなかったために、その言葉は酷く非現実的に感じられた。
そして、綾香が余りにも無表情に呟くものだから、春原は彼女が晴香へと手を掛けたのかと疑ってしまうのも無理からぬことだ。
「おい! 巳間にも僕達と同じように情報を聞きだした後に殺したってことかよ!?」
「殺した……? 殺されたのよ!!」
込み上げた怒りを発散させるが如く、綾香は睨み合っていた春原を左手で殴り飛ばした。
女性とは思えぬ強烈な一撃。春原は唖然としながらたたらを踏んでよろめいた。
今まで女性から物を投擲されたことや蹴り飛ばされたことは多々あれど、拳で殴られる経験は始めてである。
綾香は憤怒の表情に顔を歪めながら、溜まりに溜まった怨み言を彼女達へと向けた。
「晴香はねえ! 腹に銃弾受けて喉元掻っ捌かれたのよ!! 冗談ぐらいに血を撒き散らして死んじゃったのよ!!
それをやったのが笑えることにぃ! 私より一回りも小さいチビガキだってんだからもうお笑い種よね!?」
「……まさか」
「そうよっ!! あんたの学校の関係者でまーりゃんとかいうふざけたクソガキよ!!
あんな奴に油断した私が馬鹿だったのよ! 気を許した私が愚かだったのよ! でもね、そのおかげで気付けたわ。
進んでゲームに乗った奴こそ生存率も高まり、数を減らしてこそ大切な人だって守れるってことをね!」
綾香を果敢に睨みつけるるーこへと再度近づき、彼女は銃口の先端で殴りつける。
怒りに狂った綾香をこれ以上刺激させぬためには、抵抗しないで無防備を甘んじる以外方法はなかった。
その一撃が額を切ったのか、パックリと割れた箇所から血が滴って彼女の顔の半面を濡らす。
先は止めようとした春原も、今は晴香の死に動揺してしまって展開に付いていけてなく、他二人も綾香の暴君振りに怯えてしまっている。
綾香は濁った瞳で全員を舐め回す。中でも、るーこに対しては凄みを利かせて睨みつける。
「―――だから私決めたのよ……。ゲームに乗ったアイツを、ゲームに乗った私が惨く殺してやるってね。
コケにし腐ったあの餓鬼の顔を恐怖と絶望に歪ませて救いのない遣り方でぶっ殺してやるのよ!! あなたにはこれでも感謝してるのよ?
ヤツの交友関係に、学校まで突き止めとめることができたんだから。確か、ささらさん? 殺す……絶対ソイツも殺す!!
そしてアンタと同じ学校のヤツも尋問して関係者かどうか吐き出させる。当然殺す!! でね? 殺した奴等の一部を持っていくのよ。つまり証拠よ。
あなたが殺し損なった来栖川綾香はこんなにも貴女のために頑張りましたよってね!! 見せびらかしてやるのよ!
最悪でしょ? でも叶えば最高よ。フフ……そしたらあの餓鬼どんな顔するのかしら?」
「お、おかしいよぉ……」
余りにも綺麗に笑うものだから、佳乃は背筋が薄ら寒くなるのを止めることが出来なかった。
それは先程正気を疑っていた春原も同じであり、るーこの反応も似たり寄ったりだ。
だが、渚は震える身体を唇を噛み締めながら堪えて、気丈にも口を開いた。
「そんなことしたって意味なんかありません! な、亡くなっちゃった人だって望んでいる筈がありません!!」
「……何言ってんのあなた?」
言うに事欠いて説教かと、綾香は嘲笑しながら渚を見下ろすが、彼女は瞼の下に涙を湛えながらそれでも懸命に言葉を掛ける。
「わたしもっ……わたしもお母さんが殺されちゃいました!」
「え……嘘だろ……早苗さんが?」
渚の言葉に唖然としたのは春原だ。
自分の馬鹿な頼みを聞いてくれた心優しい女性、早苗の印象が悪い筈もない。
その女性が殺されたという事実に、また一つ現実を喪失した気がした。
現場に居合わせた佳乃も痛ましげに顔を伏せる。
「そう。ならあなたも当然殺した奴らに復讐するつもりよね?」
反対に、綾香は先の発言との矛盾に不思議そうな顔をするも、彼女ならば自身に同意するものだとばかり思っていた。
だが、渚は否定するように頭を振った。
ばしばし回避
「そんなつもりはありません! わたしが郁未さん達に追い縋ることをお母さんは望まない……。
だからわたしは間違っていると分かっていることは絶対にやりません。苦しいけれど……絶対に諦める道には進みたくありません!!」
「何よ……何なのよ? どいつもこいつも逃げただ間違ってるだ諦めただ……何簡単に言ってくれちゃってんの!?」
渚の淀みのない真っ直ぐの瞳は、嘗て天沢郁未(004)を苛ただしく思わせ、そして今も綾香を癪に障らせていた。
一度決めた事だ。郁未や綾香が厳しく糾弾したとしても、渚の信念を揺るがすことはない。
「だからわたしは、あなたにもそんなことはしてほしくないです……。復讐なんてしても誰も喜びませんし、悲しいことばかりです」
「あああぁぁ!! うるさいうるさいうるさいっ!!」
「だからっ!! まだ大丈夫です、あなたも―――」
「―――黙れって言ってんでしょ!! その定型的なテンプレ文句をこれ以上口に出すな忌々しい……っ!!
誰も喜ばない? 悲しい? 知ったことか! 私が満足できればそれでいいのよ!!
これは私の後輩や晴香の弔い合戦……今更引き返す道なんてありゃしないわよ!」
禅問答は終わりだと言わんばかりに、遂に綾香は拳銃を本気で構える。
銃口の先は、彼女の目的に当て嵌まるるーこだ。
これで一人目と、悲願達成の序章に向けて舌なめずりをした綾香が引き金を引こうとした。
―――その時だった。四人が背にする民家に電灯が唐突に灯ったのは。
「―――っ。なに……?」
外窓やドアの隙間から光を洩らす一軒の民家。その正面に位置していた綾香は、暗闇に慣れきって視界が突然の光量に眩んでしまう。
それは又とない絶好の機会。
それこそるーこが待ち望んでいた好機の合図。
綾香にただ無防備に頬を蹴り飛ばされた訳ではない。獲物を拾うロスを計算し、銃に手が届く位置に陣取れるようわざと体勢を落としたままなのもそのためだ。
そして隙を見せた今だからこそ、後方に落ちた短機関銃を、るーこは腕を伸ばして手に取った。
膝を崩した状態で、彼女は何の躊躇もなく両手で構えた銃の引き金を引く。
頑張れ春原回避
「ちっ!!」
視界が光に遮られたとしても、動きがあったことを見抜けぬほど綾香とて油断はしていない。
迎撃する時間は無い。危険を察知した綾香は視界に入っていたある少女の下へと転がり込んだ。
直後、綾香の側面を通過する数発の銃弾。
るーこと春原から距離を取り、その二人より少し離れたい位置にいる渚と、重症の理緒に付き添う佳乃。
綾香の標的は単身佇む渚の姿。転がり込んだ勢いのまま渚に掴みかかり、息つく間もなく彼女の腕を取って後方で固めた。
渚の身体を前面に押し出す。さながら盾のようにだ。
『―――渚ちゃん!!』
春原と佳乃の悲鳴に近い言葉が重なった。
綾香の腕に首元を圧迫されて羽交い絞めにされた渚は、苦しそうに吐息を洩らした。
「―――甘いのよ。誰も抵抗なんて許しちゃいないってのに、跳ね上がってんじゃないわよ……」
「ぅ、くぁ……っ」
綾香の抑えた声色と共に、渚を押さえつける腕にも力が篭もった。
勝ち誇りの笑みを浮かべる綾香は、るーこへ向けて手に持つ拳銃の先端をクイッと左右に揺らせて見せる。
つまり、武装解除の仕草だ。
「ほら、とっとと手放しなさい。この子の脆弱な首なんて十秒もあれば容易く落とせるのよ?
仲間思いで絶対に殺し合いをしない春原君? 早くその女を説き伏せて拳銃を下ろさせなさいよ」
「ぐ、くそ……。るーこ、下ろしてくれ……」
先の発言を根に持っていたのか、綾香は皮肉気に春原へと笑いかける。
るーこの銃が失われてしまうと圧倒的不利を覆すことは難しくなるが、渚の命には変えられない。
この後どういう仕打ちが待っているかは想像に難しくないが、それでも見捨てることは出来なかった。
春原は悔しそうにるーこへと銃を下ろすよう促すが、彼女は依然として動かない。
全員が怪訝とるーこに視線を移してギョッとした。
がりがり回避
まったり回避
「―――勘違いしてもらっては困る」
るーこの無機質で冷酷な表情に皆が驚く中、彼女はやはり躊躇もなく銃を撃ち放つ。
「えっ……」
パンっという銃撃音は、綾香ではなく、正確に渚の太腿へと吸い込まれていった。
渚は理解できずに呆けた顔のまま、下半身は力を失ったかのように崩れ落ちた。
地に膝をつけることが出来たのは、るーこの予想だにしない行動に唖然とした綾香が腕の力を緩めため。
無防備になった綾香の姿に目を光らせて、再度短機関銃が火を噴いた。
「―――!?」
夜の闇を切り裂くけたましい銃撃音は、綾香の胸部や腹部に着弾させる。衝撃を吸収しきれずに、彼女の身体を後方へと吹き飛ばしていた。
倒れ伏した綾香を一瞥して、硝煙が立ち込める銃を下ろしたるーこは春原へと向き直る。
「危ない所だったなうーへい。今度ばかりは駄目だと思ったぞ」
「お、おい……なに言って……」
左目を血で濡らし、何処か誇らしげにるーこは微笑んだ。
綾香はともかく、渚を平然と撃っておいて何故そこで笑うのか。春原には理解できなかった。
佳乃は理緒を一端横たえて、慌てて渚の下へと駆け寄る。
「渚ちゃん! 大丈夫っ!?」
「うぅ……だい、じょうぶで、す……」
渚の強がりも、涙を湛えながら顔を顰めていては効果はない。
撃たれた直後は痛覚がなかったものの、息を吐いてからが激痛を伴わせた。
今まで味わったことのない痛みと湧き出る血液の量に、渚は顔を青褪めながら目を逸らすように瞼を閉じる。
苦しそうに呻く渚のことを省みないるーこへと、佳乃は怒りが篭もった視線でキッと睨み付けた。
ひたすら回避
「どうして撃ったの!? 他に方法だってあったかもしれないのに……っ」
「……そうか? るーにはあれが最善だと思えたぞ。全滅するのとどちらがいいのか分かるだろう?」
「る、るーこ……。お前何を簡単に……」
佳乃の言い分が心底理解できないと、るーこは不思議そうに首を傾げてみせる。
渚を撃つしか開放する方法がなく、止む無く攻撃した。これはいい。
だが、人を撃つ以上、そこに普通は躊躇いが生じるものだ。それが顔に出るものなのだ。
なのにるーこは一切の遠慮もなく渚を撃ち抜いた。仕舞いには彼女を労わる素振りさえも見せない。
佳乃には、それが何よりも許せなかった。
「何でそんなに平然としてるのっ!? キミが渚ちゃんを撃ったんだよ? 渚ちゃん、こんなに苦しんでるんだよ!? なのに何で―――」
「―――うーも勘違いしている様だから言おう」
必死で訴える佳乃を少し鬱陶し気に遮って、るーこは口を開く。
「るーはうーを探している。うーたまやうーこのも探す必要があるだろう。そして逸れたうーひろやうーみさ、うーゆきとも合流したい。
今はうーへいと行動を共にして皆を探している途中だ。何故だか分かるか? 仲間だからだ」
「る、るーとかうーとかなに言ってんの……」
何かの固有名詞なのか。言葉の都合上うーというのは人物名だというのは分かる。
だが、独特であり奇抜とも言える口調を至極淡々と口にする様は、佳乃が見なくとも不気味に思えるだろう。
ましてや無表情に呟くものだから、正気を疑うもるーこの視線は並々と佳乃へと降り注いでいたために、迂闊に目を逸らすことさえ出来ない。
そして、るーこは何の気なしに言葉を紡ぐ。
「だが、お前たちは知らない。遭って数分だ、出会いに意義があったとも思えない。るーとうーへいの足枷でしかない。
仲間じゃないから義理もない。それなのに文句を言われるとるーも不愉快だ」
「―――ふざけないでよ!!」
めきめき回避
るーこかっこいー
さすが戦士
続けて回避
るーこのあまりの言い草に、佳乃は怒声を上げた。
普段の佳乃を知る者からしたら、それは驚くほどの感情の起伏だ。
確かに彼女達はろくに言葉を交わす間もなく現在顔を付き合せており、渚と春原を除いた面々は顔と名前が一致しない現状である。
それにしたって、るーこの言い分は幾らなんでも倣岸不遜とも思える態度だ。
関係がないからと言って、仲間外の者を蔑ろにしていいはずがない。
そして、るーこの価値観の較差に一番愕然としたのは春原だった。
確かに彼女は普通とは言い難い感性を持っていたものの、藤田浩之(089)達五人と行動を共にしていた時は仲間想いの変わった少女という印象だったのだ。
そんな人間が、実のところ興味に値しない人物に対しては、こうまで冷たく接するものなのか。
今までの印象を翻された春原は、それを誤魔化したい心情でるーこに厳しく指摘する。
彼女の認識は一時の気の迷いであるという願望を込めて。
「おいるーこ! それは言いすぎだよっ。確かにるーこと渚ちゃんは関係ないかもしれないけど、僕の知り合いでもあるんだぞ!」
「む……。そうだったな。すまないことをした」
謝罪とは言い難い簡素な言葉に、当然納得できるはずもない。
顔色一つ変えないるーこの様子に、まるで本気が感じられなかった。
佳乃の見解は、るーこから見れば渚と自分は取るに足らない見下された存在という認識である。
―――許せるはずもない。
るーこの態度を咎めようと春原は再度口を開きかけるが、それよりも早く佳乃が憤慨した様子で顔を歪めた。
そして、綾香が手放した拳銃を拾ってるーこへと向ける。衝動的に向けてしまった。
「―――ちゃんと謝ってよ! ちゃんと渚ちゃんに謝って!! じゃないと撃つよ! 撃つからね!?」
「か、佳乃ちゃん……。わたしのことは、いいから……」
佳乃の行き過ぎといえば行き過ぎの行為を押し留めるべく渚が弱弱しく声を掛けるも、興奮した彼女の耳はるーこの謝罪以外の声を意図的に遮断している。
思えば、診療所からここまで渚と佳乃には気の休む暇さえなかった。
緊張に次ぐ緊張で、佳乃の精神の負担は半端ではなく、無駄に疑心を高まらせていたのだ。
渚はまだいい。母親を亡くした事実は確かに心身を苛ませたが、彼女には共に支えあう父親が居た。
だが、佳乃には溜まりに溜まった感情を吐露すべき相手がいないのだ。
出来ることなら姉の霧島聖(032)や友達のポテト、国崎往人(035)を探し出したい。
しかし、渚の父親である古河秋生(093)に保護されていた以上、気安く助けを請うことも出来ない。
この殺伐とした環境のせいで、ストレスを押し殺していた秋生は近寄り難いということもあったために、道中会話自体が交わされることもなかった。
結果、深層意識では既に追い詰められていた佳乃の精神が、更なる刺激を持って表立つ。
極限状態に高まった不安と恐怖、そして警戒心が佳乃を過剰な手段へと駆り立てるのだ。
何処までも真剣で、今にも殺意が滲み出る彼女を、それでもるーこは問題外とばかりに目も向けない。
「うーへい。何故か家の電気が灯った。寝ていたうーあきの娘が起きたのかもしれないぞ。ともかく混乱を招く前に事情を説明しに行くべきだ」
「ちょ、待てよるーこ……。渚ちゃんの治療もして、その子も置いていけないって―――」
「わかっている。だが、今はここから離れる方が先決だ。こんな暗闇の中だ。電気が灯った民家は酷く目立つ。
―――治療など、後から幾らでも出来る。死にはしない、死なないように撃ったからな」
「っ!?」
るーこの言い分は至極正しい。
だが、佳乃の本能は今や完全に彼女を敵対視していた。
認めない人間は意識の隅に追い遣る行いや、あくまで優先事項を徹底する人とは思えぬ冷徹な思考。
―――既に我慢ならなかった。
佳乃とて当初は本気ではなかった。威嚇して謝ってもらえさえすれば、それだけで精神の安定が取れる筈だった。
しかし、彼女の感情が耐え切れなくなって遂に破裂した。
「―――馬鹿にしてええぇぇ!!」
ごろごろ回避
背を向けたるーこへと佳乃は引き金を引く。
背後から強襲する一発の銃弾は、るーこの長い髪を抜けて耳朶を貫いた。
自制の聞かない感情を従わせる術はなく、それでも震えていた手元が照準を乱して頭部を外させたのだ。
それは、佳乃にとって幸運だったのか、不運だったのか。
唯一つ言えることは、これ以上精神の修復は不可能ということだ。
「―――佳乃……ちゃん」
「お、おい……るーこ大丈夫―――」
佳乃の危うさは誰が見ても一目瞭然ではあったが、まさか本気で撃つとは春原も思っていなかった。
異常に逸早く気が付いた渚だからこそ、拳銃を手にした佳乃を引き止めようとしたのだ。引き止めることは叶わなかったが。
そして、るーこだ。敵意を放った者を無視できるほど彼女は寛容ではない。
耳朶を半場で喪失したるーこは、今度ばかりは振り返った。
血に濡れた冷徹な表情で、下ろした銃を再び持ち上げて。
「―――あ……」
るーこの双眸と交差したとき、撃たれると佳乃は何よりも理解した。
彼女は自分にとって害悪にしかなりえない存在を排斥すべく無感情に撃つつもりだろう。
それは間違いではない。命を奪うつもりはないが、手足は打ち抜いて無力化する必要はあるとるーこは思っていたからだ。
彼女はこの中で仲間と認めた人間は春原陽平ただ一人。それこそ、命の重さを天秤に掛けても言わずもがな。
錯乱気味の佳乃をここで捨て置いた場合、百害あって一利なしとも言える状況なのだ。
この先自分達が生き延びる確立性を検討するならば、佳乃は不要であり、言ってしまえば渚までも邪魔でしかない。
一般的とは言い難い、何処か機械を思わせる懸け離れた思考。
だが、るーこ自身はこれが当然の帰結と考えており、春原も同調してくれると本気で思っていたのだ。
「―――おい! 早く逃げろっ!!」
「……うーへい……?」
さらさら回避
なのに、春原から飛び出した声は、るーこを制止する声でも心配に心痛める声でもない。
何処かショックを受けた表情でるーこは小さく春原の名前を洩らしたが、聞こえていなかったのか、彼はこちらを見向きもしなかった。
るーこに見切りをつけて、茫然とする佳乃へと必死に言葉を掛ける春原の姿。
何故認めてくれないのかと、動揺に震えていた瞳が徐々に鋭くなっていく。
―――感情が冷え込んだ。
自分の価値観を信頼する仲間に否定された気がした。
危険な自分を遠さげるよう佳乃を促す春原ではなく、言葉を掛けられている彼女が一番許せなかった。
形容し難いドス黒い感情が、彼女の精神をどっぷりと浸す
振り切るように目を閉じて、開いた時には冷酷な双眸が浮んでいた。
「―――もういい」
「―――え」
命は保障して無力化するつもりであったが―――やめた。
理解できぬ感情に支配されたまま、るーこは抗うことなく銃弾を放った。
―――一発。二発、三発と佳乃の身体を容赦なく蹂躙していく。
銃声が鳴り止むと、座り込む渚の横へと佳乃は目を見開きながら倒れこんだ。
彼女にとって唯一幸いと思えたことは、早々と心拍を停止させて痛みを感じる間もなく逝けたことだろう。
「え……佳乃ちゃん……?」
自身が感じる痛みも忘れて、渚は無垢な赤子のように呆けていた。
先程まで確かに人間であったものが、今や感情を感じさせない人形のように横たわる。
それを冷然と見下ろするーこには、罪の意識があるようには到底見えない。
恐れか怒りか、春原は身体を震わせながらるーこの肩を掴んで振り向かせた。
「何やってんだよるーこ!! お、おま、お前……何やったか分かって……」
だが、肩に掛かる春原の手をるーこは振り払った。
「……騒ぎが大きくなった。うーあきには悪いが早々と離れることにしよう」
るーるー回避
るーこは春原へ極力目を合わさないようにして、その場から離れようとする。
もうるーこが何を考えているのか理解できなかった。
声を震わせながら、最後の望みを掛けて声を掛ける。
「―――渚ちゃんは……渚ちゃんはどうするんだよ……?」
るーこは春原の声に歩みを止めはしたが、決して振り返らずに答えた。
「見捨てる。生き残るためだ、余計な負担は掛けられない」
「―――っ!?」
間髪入れないるーこの簡潔な言葉。それは予想できた言葉であり、望まない返答である。
俯いていた春原が顔を上げたときには、怒りとも悲しみともいえない曖昧な表情で顔を引き攣らせていた。
春原の視界が真っ白に染まり、気が付いたときにはるーこの背にスタンガンを押し付けていた。
「うーへいっ!? お前―――」
ビクンと、電流が駆け巡ったるーこの身体を一際大きく跳ねさせた。そのまま糸が切れたように地へと倒れ付す。
一瞬視線が交差したとき、裏切られたように彼女の瞳が揺れていた。
春原はるーこの視線に込められた意図に気付いていたからこそ、負い目を感じて彼女から目を離す。
立て続けの展開に声も出ない渚へと、彼は駆け寄った。
「渚ちゃんっ。傷見せて……」
「す、春原さん……佳乃ちゃんは、佳乃ちゃんはもう……」
「……ごめん」
誰に対して謝ったのか、当の本人も分からなかった。
佳乃の遺体や倒れたるーこらには目を向ける勇気がなかった春原は、二人を視界に収めぬよう脂汗を浮ばせる渚の容態を確認しだす。
見たところ、銃弾自体は彼女の右の太ももを貫通していた。体内に銃弾が残っていなくて幸いだった。
だが、この場に治療具などあるはずもないので、今は血止めをすることしか出来ることはない。
春原は足から流れ出る血液の量に動転しながらも、逸らしていた佳乃の亡骸を目にした時、その左手に巻きつけられたスカーフの存在を思い出した。
借りるよと、言葉を吐くことも叶わぬ彼女へと小さく声を掛けて、慎重に結びを解いていく。
るーるーるー回避
るーるーるーるー回避
るーるーるーるーるー回避
「それ、佳乃ちゃんの……」
「……うん。渚ちゃんの為に、使わせてもらうよ……」
民家から洩れる光を頼りにして、痛々しく赤に染まっていた白磁のような柔肌へと黄色のスカーフを慎重に巻いていく。
痛みを堪える喘ぎのような吐息に、スカートから伸びるしなやかな太腿に触れていると、欲情心が高まってくるのを自覚する。
こんな状況でなければ、春原が親友と思っている岡崎朋也(012)を差し置いてどうにかなってしまいそうだった。
不謹慎な感情を気力で自制して、何とか結び終わることが出来た。
「……ごめんなさい、春原さん……」
「いや、るーこを止められなかった僕の責任でもあるから、さ……」
お互いが言葉を失くした様に顔を俯かせる。
暗い表情を浮ばずには入られなかった。るーこのある意味蛮行な乱心に佳乃の死。
何もかもがやるせなかった。
無力な喪失感を抱えながら、これからどうするべきかと二人は頭を悩ませる。
―――その時、渚の視界を何かがちらついた。
なんだろうと思い、目を凝らして間もなく驚愕に硬直する。
「―――春原さんっ!!」
「―――え?」
渚の切羽詰った声に春原が疑問を感じる暇もなく、彼の即頭部に強烈な衝撃が走った。
膨れ上がる混乱をそのままに、春原は衝撃に吹き飛ばされて昏倒する。
渚の瞳には、足を振り抜いた姿勢のままで不適に笑う綾香の姿が映っていた。
「いっ、てえ、ぇ……」
「大人しく見ていれば仲間割れ? 笑わせないでよ」
「ど、どうして……」
るーこに撃たれた筈の綾香が、何故か五体満足な姿に渚は身を凍らせる。
地に頬をつけた春原も、信じられないような視線を寄越した。
二人の視線に満足そうな笑みを浮かべて、彼女は服の上からお腹を擦って見せる。
るーるーるーるーるーるー回避
「ホント、ダニエルには感謝ね。衝撃は吸収し切れなかったけど、銃弾は防ぎきれるようだし」
「ぼ、防弾チョッキ……」
納得がいったことに対する満足感などあるはずもなく、この構図は限りなく絶体絶命であった。
膝に上手く力の入らない春原と、同じく立ち上がることが難しい渚。
少量の抵抗で如何にかできるほど今の綾香は温くないだろう。
綾香は立ち上がろうと足掻く春原へと悠々と歩み寄り、その背を問答無用に踏みつけてやる。
「―――げっ、ぇえ……」
「あら、さっきまでの勢いはどうしたのよ? 偉そうな能書きを垂れ流していたわりには情けないんじゃないの」
潰される形になった春原を、今度は脇腹を蹴り上げて仰向けに転がせた。
彼は大きく咽ながら、表情を口惜しげに歪ませる。
抵抗する術のない春原を、綾香は思いのまま足で嬲っていく。
頭部を蹴り上げ、肩口に踵を落とし、胸を抉って、腹を蹴り飛ばす。
自由に動けぬ渚が、悲鳴混じりの声で制止を訴えるが、聞いてやる必要などありはしない。
「―――うぁ! がっ。ぐっぁ……っ」
「はははっ。大ぼら吼えてたあんた達も形無しね!? ほらっ! ねぇ、現実を見たでしょ? っと! そこのるーことか言う女も野蛮極まりなかったわよね!?
ある意味っ! 大したものよ! でもね、間違っちゃいないのよ! 実際っ! 馬鹿なコトしてんのはアンタ達なのよ!!」
口を開いても、彼女は蹴ることをやめない。
身体を丸めて痛みを耐える春原の必死な抵抗を、嘲笑うかのような防御の隙間を狙って攻撃していく。
春原には散々好き勝手に言われたのだ。鬱憤を晴らすかのように綾香は蹴り続ける。
「ホント最ッ悪! 私が早急にゲームに乗ってればねっ! あんなクソガキなんて秒殺なのよ! 殺したモン勝ちよねっ!?
情けないったらありゃしないわよ!! あんた達も! 早くねっ、気付きなさいよ!!
この島にはねっ! 上手いこと人を殺す悪者と! まんまと騙されるぅ! 馬鹿しかいないってことをね―――っ!!」
「ひっ、ぐぁ! っあ、う、や、やめ―――」
「―――酷いですっ! やめてっ、やめてあげてくださいっ!!」
るーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるー回避
憂さ晴らしの対象は春原だけではない。
自分を騙した朝霧麻亜子(003)の怒りも今ここで発散していた。
綾香の猛威を一身に受ける春原は溜まったものではなく、血反吐を吐きながら身体を固める。
だが、それに意味はなく、頭を庇ったら脇腹を。蹴られた箇所へと手を伸ばすと、待ってましたとばかりに頭部を炸裂する渾身の一撃。
「ほらっ! ほらっ!! 女に好き勝手嬲られる気分はどうっ!? 悔しいでしょ! 憎らしいでしょ!!
言わなくても分かるわよ! でもね! そんな顔してもダメよ! 馬鹿なあんたが死んでいくのは馬鹿なあんた自身が悪いのよ!!」
「やめてください! やめてください!」
「―――は、はぁ、はっ。……ふん、ヘタレ野郎が。そこで見てなさいよ……」
反応が薄くなったてきた春原に面白みをなくしたのか、ようやく暴行の手ならぬ足を止めた。
渚があまりにも懇意に叫ぶものだから、鬱陶しく思ったという理由もあるが。
そして、その矛先が渚に向かうのは不思議ではない。
「―――結局ね。貴女みたいに叫ぶだけで何もしない奴が一番気に食わないのよ、私は」
座った眼つきで歩み寄る綾香の姿に、今度は自分の身に危険が迫っていることを自覚して、渚は恐怖に駆られる感情を隠せずにいた。
近づく綾香を必死に遠ざけようと駄々をこねる様に後退るが、民家の壁にぶち当たって容易く追い詰められた。
ゆらりと、綾香の両手が渚の首へと掛かる。
喉仏を押し潰すように、ギュッと握りこんだ。
「―――っ、あぁ……」
「ふふ……。あんたなんかね、どうせ直ぐ死ぬに決まってるわ。銃で撃たれたらきっと痛いわよ? 喉を切り裂かれたら物凄い激痛かもよ?
でも安心して……私が一時の苦しみと引き換えに優しく殺してあげるから―――っ!!」
握り潰すかのように押し込んだ両手が、渚の顔色を土気色に染めていた。
掠れるような吐息を洩らし、悲鳴を上げようにもそれさえも許されず。
全身ぼろぼろとなった春原が、軋む身体に無茶を利かせて立ち上がろうとするも、二人は手が届かぬ位置にいる。
苦しみから解放されるべく、渚の視界が霞んできた時に。
ザッと土を踏みしめる音が彼女達の膠着を切り裂いた。
るーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「―――こ、これは一体……」
肩口を押さえた男性―――橘敬介(064)だ
何発かの銃声に止む無く引き返してきた敬介の眼前には、まさに死屍累々といえる光景が広がっていた。
現在進行形で首を絞める見知らぬ少女に、絞められる先程逸れたばかりの渚。
るーこと春原は蹲り、佳乃に至っては血塗れで倒れ付していた。
そして、一番理解したくない光景が目に映ったとき、敬介は我を忘れて絶叫する。
「―――理緒ちゃんっ!?」
「ぁ、……ち、ばな、さん……?」
敬介の悲痛なその叫びは、生死を漂っていた理緒を虫の息で覚醒させる。
不鮮明な意識の中で、確かに彼女は口を開いた。
その声が敬介に聞こえていたのかはともかく、彼は理緒へと我先に駆け寄ろうと走り出す。
「―――ちっ。戻ってきたのか……」
駆け寄ってくる橘の姿に舌打ちし、渚の首に掛かる両手を乱暴に振り払った。
渚は頭を壁に打ち付けながらも、開放された首元を押さえて咽込んだ。
綾香の優先度の対象が敬介へと移行したため、まずは佳乃の近くに転がった自身の拳銃を拾おうとこちらも駆け寄った。
視界に嫌が応にも入ってくる綾香の姿に、この惨状を引き起こした原因は彼女であると敬介は当たりをつける。
そして、綾香が拳銃を目指していることには気が付いており、まずは彼女をどうにかするべきだとは分かっていても、既に拳銃までは目と鼻の先。
間に合わないと、半場諦めかけていた時に、走っていた綾香の膝がガクンと落ちた。
綾香は倒れそうになる身体を何とか掌を地に付けて留め、引力を感じた脚部へと振り返る。
「―――なっ。まだ動けて……っ!!」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
何と綾香の足首を、理緒が横たわりながら握り締めて行動を妨害していた。
とっくに死んだものとばかり思っていた綾香は、予想外の横槍に慌てて理緒の手から引き抜こうともがく。
だが、最後に振り絞った力は存外に強く、抜けないことに若干動転していた綾香は、理緒の動きも見過ごした。
理緒は震えた手付きでポケットから鋏を取り出し、精一杯もう一方の腕を振るって地を滑らせる。
意図に気付いた敬介も、彼に向かって放られた鋏を足を止めないで回収して綾香に迫った。
同時に、未だ足首を掴まれて動けぬ綾香が痺れを切らし、始めからこうしていればよかったと言わんばかりに理緒の鼻っ面に拳を叩き込んだ。
鼻骨が折れたのか、ゴキリという嫌な音を響かせて鼻血を盛大に散らせた。
「鬱陶しいのよ死に損ないが! 放しなさいよ……!!」
「―――離すのは君だ!!」
「っ!?」
ようやく緩んだ理緒の腕を蹴り払うが、既に敬介は綾香へと肉薄している。
光物を女性に向けるには抵抗があったが、それでも判断を見誤らずに敬介は彼女の左の肩口へと鋏を突き刺した。
「っあああぁぁ―――っ!?」
「―――理緒ちゃんっ!!」
肩口を中心に広がる激痛に、綾香は地面を転げまわる。
その隙に理緒の傍へと寄り、彼女の小さな身体を抱き起こす。
「理緒ちゃん! 理緒ちゃん!! くっ、どうしてこんなことに……っ」
微かに開いた理緒の眼は、焦点が合わさっていないように彷徨っている。
―――地へ撒き散らす鮮血の水分。素人目から見ても、どう転んだとて助かりそうにない。
彼女の目を逸らしたくなるような凄惨な容態に、敬介は後悔の残る表情で歯を食いしばっていた。
この状況。敬介が判断しても、これでは全滅ではないか。
あの時、幾ら慌てていたとはいえ理緒を残してきたことは失敗だったのだろうか。
彼は今日一日で幾多の参加者と遭遇したが、それでも類稀な幸運で生き延びてきた。
そして、そんな敬介に同行を申し出たのは他でもない、理緒である。
彼女は言っていた。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
―――私は、一人の女の子の犠牲の上で生きているんです
澄んだ瞳で、何処までも真っ直ぐに進もうとする彼女の心意気。
頑張ることだけが取り柄だと、一切の誇張なく誇らしそうに語っていた純粋な姿。
その時点で、敬介にとって理緒との関係は保護者ではなく、この異常な半島で生き残るべく、協力し合う心強い仲間であった。
苦労や災難を共に乗り越えて、何時か年の近い娘と仲良く話す姿を、彼は夢見ていたのだ。
だが、その矢先の出来事。
もうそれが叶わぬことと思ってしまうと、理不尽なやるせなさに涙が込み上げてくる。
敬介は感情の吐露すべき相手を、半身を起こして此方を睨みつける綾香へと定めた。
理緒を優しく横たえさせて、感情を爆発させたように綾香へと飛び掛る。
綾香は、挙動無しに襲い掛かってきた敬介に反応できずに、勢いのまま押し倒された。
両の手を押さえつけるように、綾香を馬乗りの姿勢で拘束する。
「―――何故こんなことをした……?」
「くっそ……っ。はな、しなさいよっ」
四股が束縛された以上、彼女の抵抗は難しい。
片足や片腕という一方が使用できる状況ならば、寝技でも反撃でも出来ようものだが、流石に純粋な大人の力を退けるような怪力は綾香とて持ち合わせてはいない。
敬介の言葉には耳を貸さず、拘束を解こうと暴れ狂う。
―――彼は激情した。
「―――何故こんなことをしたと聞いている!!」
「っ!? な、何なのよ……」
綾香は敬介の迫力に蹴落とされて、抵抗の力をピタリと止めてしまう。
「理緒ちゃんが何かしたのか!? 彼らが何かしたのか!? どうして殺し合いなんて真似が出来るんだ!」
「五月蝿いのよ優男が! あなたも助け合うとか甘いことを夢見るクチなワケ? はっ」
敬介の言葉に、綾香は心底馬鹿にした態度でせせら笑う。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「……何が可笑しいんだい」
「何から何まで可笑しいわよ。いい大人が馬鹿じゃないの? こんな状況になってまで覚悟を決めないなんて正気の沙汰とは思えないってことよ。
一体ゲームに乗った奴が何人いると思っているの? そこに殺意がある以上、人が死なないなんてある訳ないじゃない。
それとも何、あなた自殺志願者だったりするの? そうじゃないなら、積極的に殺し合いした方が利口だし長生きできるわよ」
「じゃあ、君は正しいと思って人を殺しているのか……? それが利口だと思うからゲームに抗わないのか……っ!」
淀みなく言葉を滑らせる綾香の意見は、敬介の意見と真っ向から対立する。
年端も行かぬ少女が、こうまで物騒な物言いを平然と口にすることが驚愕に値した。
そんな敬介の視線に当てられても、彼女は事もなく口を開く。
「私? 私の目的は復讐よ。正しいと思っているかって? そうでも思わないとやってられないわよ。
……私はね、もうこれ以上偽善的なことをして馬鹿を見るのは沢山なのよ。だからね、嘗ての馬鹿だった私を見ているようで、あなた達は不愉快なの」
同類嫌悪と近いものだ、綾香の感情は。
敬介とて始めから説得が出来るとは思っていなかったが、こうまで価値観の食い違いがあると驚かざるを得ない。
先程相対した神尾晴子(024)の方がまだ分かる。
過激な手段ではあるが、あくまで娘を生かそうとする奉仕精神があるのだから。
だが、綾香は復讐と同時、受動的なことに疲れを見出していた。
積極的に行動しない輩を、何よりも積極的に動いている自分が嫌悪してしまうのは致し方ないこと。
つまり、情けない人間を見ていると、無性に腹が立ってくることと大差ない。
ある意味最も人間らしく、狂気に走った正常な少女といったところか。
ともかく、綾香は何とかして拘束の手が緩まないものかと試行錯誤する。
四股が不自由なこの状況、綾香自身が好転させるべきことは存在しない。
地に倒れる春原と渚もしばらくは立ち上がれそうにもないだろう。どの道、綾香にとっては二人とも敵なのだが。
即ち、捕らえる当の本人が何かしらの要因で手を緩めなくてはならない。
そして、それは唐突に到来した。
無論、綾香にとっては好機と呼べること。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「―――渚あぁぁっ!!」
「お父さんっ!」
古河渚の父―――古河秋生が神尾晴子の妨害を振り切って現れた。
秋生の双眸は、まず始めに渚を捉える。太腿を打ち抜かれて、座り込んだ渚の姿を。
次いで、綾香に馬乗りになる敬介を眉を吊り上げて睨みつける。
「テメェ……上等じゃねェか橘敬介ぇ!! 」
それは、敬介が現れた時とまるで構図が逆だ。
烈火の如く怒りの表情を浮ばせる秋生に、それこそまったく心当たりがない敬介は当然困惑する。
何故敬介の名を名指しで罵っているのか、疑問に尽きるが今は謂れのない事実を否定するべく言葉を洩らす。
「な、なにを言ってるんだ……。この少女は―――」
「―――早くこの男を!! これ以上死人は増やしたくないのよ私は!」
してやったりと言わんばかりに敬介の言葉を遮った綾香は、秋生から見えない角度でさも愉快気に笑みを形取る。
信じられない瞳で敬介は綾香を直視する。それは、渚と春原も同じこと。
確かにこの状況ならば、敬介が綾香に危害を加えるべく襲っているようにしか見えない。
マーダー像を植えつけられた敬介より、現在切羽詰った様子で言葉を掛ける綾香の方が説得力があるというものだ。
綾香の不自然のない擬態に、秋生は傷付いた渚も相成って興奮の度合に拍車を掛けた。
「そこぉ動くんじゃねェぞ馬鹿野郎が……! 嬢ちゃんは……クソっ! やられたのか……っ」
さらに近くに転がる春原にるーこ。そして、血塗れで倒れる同行者の佳乃の姿。
秋生の敬介を見る目は、完全に大量殺人者を既に疑ってはいない視線だ。
「待ってくれ! 僕じゃない! そもそも急に何故そんなことを……」
「お、お父さん……この人はわたし達を助けようと―――」
「―――黙されるな渚!! コイツはな、人が良さそうな顔で近づいて不意打ちを噛ます悪徳非道な輩なんだよ!!」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
晴子と遭遇したときは何も言わずに助けてくれた筈なのに、この翻した態度は何だ。
彼女に何か吹き込まれたのだろうか、そう思わずにはいられなかった。
綾香の戯言に驚きはしたが、我に返った渚は弁護の口を開くも、秋生は聞く耳を持たない。
秋生からしたら、無条件で人を信じ込んでしまいそうな人柄の渚は、敬介にまんまと騙されているとしか思えないのだ。
「本当に待ってくれ!! 僕は今の今まで不意打ちなんてやっちゃいない! 何かの間違いでは……」
「じゃあ、この惨状をどう説明つけんだよ!」
「僕が来たときには既にこうなっていた!! 理緒ちゃんだってこの女の子に―――」
「なっ……酷い! ちょっと待ちなさいよ、私に罪を擦り付けるの!?」
「き、君は何を言って……」
「テメェ……言うに事欠いてツラが厚すぎんじゃねぇのか……」
綾香が加わる激化した罪の罵りあいに、誰の真偽が正しいのか判断がつかなかった。
春原と渚の二人は、敬介がマーダーかはともかくに綾香が間違いなく人を殺していることは直に体験したから疑うべくもない。
だが、衰弱気味の春原は口を開く事も億劫で、渚のか細い声では加熱する激論に口を挟む余地もないのだ。
言えることは、敬介にとって有利な点は見当たらないということである。
「なら聞くけど、どうして僕を疑うんだ! 確かにこの状況なら疑われるのは仕方ないとは思うけど、これは必要処置であって―――」
「―――天野美汐って子にあったかよ?」
「あ、会ったよ。彼女がどうしたんだ……?」
「そうかい。俺も会ったぜ。テメェから命辛々逃げ延びたっていう天野美汐にな……!!」
「―――なっ!? そんなバカな……」
秋生とて、美汐の眉唾ものの話をすんなりと受け入れるつもりはなかったが、都合よく襲い掛かっている現場を見てしまえば事実を頷かざるを得ない。
春原や渚、そして綾香までもその話に驚きの表情を浮かべた。
そして綾香は、敬介にしか聞こえぬ声量で呟きかける。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「へぇ……。何よあなた同類? あの餓鬼と同じ手法に騙されるなんて……。やってくれるじゃない」
「やってくれたのは君だろう……っ!!」
「グダグダ言ってんなよ!! いいからテメェはその嬢ちゃんを離しやがれ!」
―――駄目だ。
どう弁解しても、秋生の勘違いを今は正すことが出来ない。
そして、秋生の要求を聞いてやることも出来ない。
危険な思考を持つ綾香を解放するわけにもいかないのだから、ますます疑惑も深まって自身の命までも危うくなってくる。
秋生は牽制のためか、既に拳銃を敬介へと向けていた。
苦虫を噛み締めた表情で、敬介は自問するように秋生の銃口を眺め見る。
―――それは、綾香にとって絶好の隙。
意識が拳銃に逸れていた敬介は、綾香が右腕に力を込めたことに遅まきながらに視線を寄せるも、既に片腕は切り払われた後だった。
密かに背で隠していたものを自由になった右腕で握り、躊躇なくそれを敬介の腹部へと突き立てる。
「何時までも乗っかってんじゃないわよ!!」
「―――ぅが……!?」
敬介は腹から広がる苦痛を感じる間もなく、綾香に強引に振り払われた。
地を転がる敬介の腹には、彼自身が綾香へと突き刺した鋏が突き刺さっている。
生憎と刃渡りの短い鋏であったために、それは致命傷とは成りえぬが、下手に刺さっていたものだから激痛を催す効果は充分にあった。
嘗て椎名繭(053)を刺し、綾香を刺し、そして敬介を刺すといったまるで鋏としての用途とは懸け離れた使用方法。
生活用品が凶器へと変わる様は、まさしく凄惨な殺し合いと言えた。
その鋏を敬介は歯を食い縛りながら引き抜いて、既に難を逃れて勝ち誇る綾香を仰ぎ見る。
「残念だったわね? ともかく……そこのおじ様、助かったわ」
「ああ。気にすんな―――」
「―――ち、がい……ます……!!」
友好的な笑みを浮かべる綾香と秋生を遮って、か細い声が空気を震わせた。
もう生きているかどうかすら判別できぬほどの青白い顔色で、夜空を仰ぎ見ながら倒れ伏す理緒が口を開いた。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「―――っ……ないで。……わ、ない……で」
「まだ生きてんのかっ!?」
佳乃以上に血液の池を作り出す理緒の身体に、もう息を止めていたと思っていた秋生は純粋に驚いた。
その秋生が吐く言葉と同じでも、意味合いが異なる意見を持っていた綾香は、何故まだ生きていると言わんばかりに眉を引き攣らせる。
何を口に出すか分からぬ以上、止めを刺しておきたい所だが、拳銃を持つ秋生がいる以上迂闊には動けない。
「―――理緒、ちゃん……」
理緒が何かを訴えようとしていた。
視界もまともに定まらない状態で、それでも何かを訴えようとしていた。
―――頑張ることが彼女の取り得。
入院していた母の代わりに、弟や妹を養っていた雛山理緒は文句の一つ言わなかった。
勤労少女と言える彼女は、それでも多忙に根を上げることなくやるべき事を貫き通してきた。
彼女の取り得は、場所が何処であろうと変わりはしない。
優しく受け入れてくれた敬介に対して、まだ自分は頑張れることがあるはずなのだ。
犬死で死んでやるほど、彼女は恩知らずではない。
手足は動かない。視界も定まらない。聴覚は既に曖昧だ。痛みなど始めから感じていなかった。
だから、彼女は最後に想いを告げる。
―――息を大きく吸って、大きく吐いて。
本当に深呼吸が出来ていたかを認識できる程、彼女の神経は既に機能していない。
それでも理緒は、生涯で一番心を落ち着かせた気がした。
思いの丈を、微かに聞こえる敬介の息遣いへ向けて、精一杯喉を奮わせる。
「―――っばな、さんを……。たちば、なさんを! わるく、言わないで……っ!!」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
その一声は、敬介に留まらず渚に春原、綾香に秋生にまで確かに響いた。
余計なことをと、内心苛立たせる綾香とは反対に、秋生は理緒の真偽を確かめるべく耳を傾けた。
敬介のことは当然疑っている。理緒がいい具合に騙されているとも言えない。
なればこそ、瀕死な身体に鞭を打ってまで言葉を連ねようとする彼女の意思だけは、決して蔑ろにすることは出来なかった。
片や焦燥に聞き入る者や、素直に受け止めようとする者、様々な聴衆の中、震える口を従わせて理緒は言葉を投げかける。
「……たちばな、さん。き、こえてますか……?」
「聞こえてる! 聞こえてるよ理緒ちゃん……!!」
腹部を押さえた敬介は、夜の闇から囁きかかる真摯な声を一句洩らさず聞き取った。
もうこれが最後だと、漠然とした直感が脳裏を巡る。
彼女が敬介へと笑いかけることも、言葉を交わすことも、これが最後。
「……私、こんなに、なって……迷、惑ですよね。……めん、なさい」
「君が……どうして君が謝るんだ……。僕の判断ミスだ! 迷惑だなんて、決してそんなことはない!!」
「えへへ……。ホント、に、優しい人……。わ、たしね? ちゃん、と人……助け、られたんだよ……?」
「……そうか。うん、そうか……っ」
口許を綻ばせて、理緒は誇らしそうに笑った。
敬介は緩んだ視界で、何度も彼女の言葉に肯定してみせる。
その姿は理緒の視界には届くものではないが、彼女の心に確かに伝わった。
父親に褒められたように、理緒は嬉しそうに表情を緩める。
「―――わたし……あの子、に……顔向け、できるかな? 報い、ること……でき、たかな?」
「勿論……勿論だよっ」
「でも、でもっ……やっぱり、頑張り、たりないよ……」
「……人を一人助けた。後悔しているかい……?」
小さく首が揺れた気がした。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「うん、そうだね。この島で、君は素晴らしいことをした。立派に胸を張れる行いだ! 君が頑張っていないなんて……そんなことは僕が言わせない」
「ふふ……うん、うんっ。嬉し、いな……。わた、し……まだ、沢山お礼しな、きゃ……。―――あ、ダメだ……し、した、よくまわら、ないよ……」
「―――理緒ちゃん!! 僕は此処にいる! ちゃんといるから……っ!!」
敬介の言葉は、もう理緒には届かない。
―――でも、理緒はそれでも構わなかった。
「あ、ぅ……あ。み、すずさんと会え、たら……仲良く、なれた……かな。……れ、たら、嬉しい、かも……」
「当たり前だろう! いい子なんだ……二人ともっ、いい子なのに……っ!」
―――敬介は確かにそこにいて、今も理緒を見守っていると確信がもてるのだから。
敬介の娘―――神尾観鈴(025)と戯れる姿を夢想して、理緒は幸せそうに目を閉じた。
「―――たち、ばなさん。こ、んな……私と、一緒してく、れて―――」
―――どうも、ありがとうございました!
彼女は、そうして口を閉ざした。
呆気のない最期であるが、未練など数え切れないほどあるが、それでも後悔だけはしなかった誇り高い姿だ。
彼女の想いは、確かに敬介の胸へと届き渡る。
敬介は溢れ出る涙は決して零さぬよう、目元を掌で覆い隠して項垂れる。
秋生と春原は、美しくも思える気高い最期に圧倒されて言葉を失くし、渚に至っては貰い泣きだ。
―――だが、そんな神聖とも言える空間を、土足で踏み散らすかのように肩を震わせる女性がいた。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「―――くっ。くく……っ」
「……?」
腹を押さえて苦しそうに震えていたのは、綾香であった。
訝しそうな秋生に構わず、遂に耐え切れなくなったように失笑する。
「く、くはっ。アハハハハっ! な、何これ? 何なのこのセンチメンタルな空気は? あんた達……此処に何しに来てるのよ?」
堪えきれないといった風に腹を抱える姿は、誰がどう見ても嘲笑しているようにしか見えない。
余りにも不謹慎といえる綾香の態度に、秋生は凄みがある睨みを利かせる。
「おいコラ! 何がおかしいんだ!!」
「―――しいて言えば全部? もう我慢できないからぶっちゃけるけど、私に意味もなく殺されたその子が報われるわけないじゃない」
「なっ、んだと……っ!?」
あっけらかんと何の悪気もなく種明かしをする様に、眉を吊り上げる秋生。
だが、気にも留めない様子で彼女はゆっくりと歩を進めた。
何処か自然に、そして不自然さを装わないようにして。佳乃の遺体の傍に転がる拳銃を視界に収めて着々と距離を縮める。
「もう無駄死も無駄死。何も出来なかった奴が無様に死んでいっただけの話でしょ? 見ていて私は惨めに思えたけどね。
私が言うのもなんだけど、せめて一人でも道連れにしないと普通は満足しきれないわよ」
「テメェ……乗ってたのかよ……っ?」
「私の目的に沿う人間と、それを邪魔する奴は当然殺すわよ。この島では常識よね? こちとら一度痛い目見てるから手は抜けないのよ」
「渚を撃ったのも、そこの小僧と嬢ちゃんをヤッタのも全部テメェかよ……!?」
「あー、それは違うわよ。その女は勝手に死んだのよ。あなたの娘だって私は何も手を下しちゃいない。ねぇ、そうでしょ?」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
春原を嬲り続け、渚の首を絞めといて調子のいい物言いだが、確かに理緒以外には致命傷を浴びさせてはいない。
理緒を蔑ろにする綾香に小さく非難の視線を寄せていた渚だが、四人の確執に関しては直接的には無関係であったために口も挟めず顔を俯かせる。
反論のない渚を見て、綾香の言い分は強ち間違っていないことは一目瞭然であり、あの時の敬介の弁に至っては真実ということだ。
何という失態。秋生は見誤った自身の判断を悔やむが、これで明確ながらに敵対関係が見えてきた。
綾香にとっては全員が敵。秋生は綾香は敵であり、敬介は依然として警戒すべき対象だ。
ある意味選り取り見取りで気楽な綾香は、自身あり気に笑みを浮かべていた。
秋生の表情を見る限り、まだ人を殺すことに対する甘さが見え隠れしている。問答無用で拳銃を撃たないのがいい例だ。
そして、既に敬介を綾香は問題としていなかった。
理緒を失って悲しみに暮れ、完全に腑抜けたと思っていたからだ。
「現実はまったくもって非情ね。私なんかが手を下さなくともバタバタ人間が死んでいくんだから。
言ってしまえばね、その子は死期が早まっただけでしかないのよ。
あなたの娘も、今死んだ奴も……今後苦しむことを前提にして早々と殺してやったほうが幸せってモンでしょ?
目的ないんだから、グダグダ生き残ってても仕方ないわよね」
「―――黙れ」
「は?」
綾香が声のしたほうに振り向くと、そこには一切の陰りのない敬介が面を上げていた。
真っ直ぐに彼女を射抜く視線は、決して腑抜けてはいない。
「―――もう、僕がどう疑われたって構わない。だけど―――」
鈍痛が広がる腹部を顧みず、彼は綾香の前に立ち塞がった。
夜の闇に溶け込むようにして、静寂に息を閉ざす理緒を眺め見る。
数時間というほんの僅かでしかない協力関係。
元の生活では交わることのない人生を、それこそ数奇なる偶然を経て巡り合った敬介と理緒。
後悔なく逝った彼女と、その出会いに価値を見出す敬介以外の人間が―――
「―――理緒ちゃんを冒涜することは! 絶対に許しはしない!!」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
そんな彼らの絆を否定することは、何人たりとも蔑ろにすることを容認できない。
揺るがない決意を固めて、綾香の眼前に立つ。
進行上、邪魔としか言えない敬介の姿に、彼女は鼻で笑いながらも眼光を鋭く尖らせる。
「許さない? 許さないと具体的にどうするのかしら」
「―――止めるさ。僕も精一杯頑張ってみるつもりだ……」
「―――面白いじゃない。満身創痍で何が出来るのか拝見したいものね?」
綾香は上手く動かぬ肩口へ強引に力を流し込み、左右両手を拳で固める。
脂汗を滲ませる敬介も、一歩も通さないと言わんばかりの心構えで、彼女の動きを見落とさぬよう冷静に頭を落ち着かせる。
緊張高まる二人を横目に、比較的自由に行動できた秋生は渚を回収すべく走り出した。
「―――渚! 今行くっ!!」
お互いを敵視していた敬介と綾香が相対している以上、少なくとも秋生に対する警戒が若干薄まることを分かった上で、彼は走り出した。
この分が悪い状況下で、秋生からしてみれば彼女達と戦おうとする必然性はない。
正直な話、渚を拾って早々と離脱することが今は得策と考えていた。
殺された佳乃を弔うべく復讐を行うか、自身の娘の安全性を優先するか。どちらを考慮するか、言うまでもなく後者を選ぶに決まっている。
敬介はともかく、虚を突く形となった綾香を出し抜いている状況で、彼が渚の下へと辿り着くことに何の障害もないはずなのだ。
―――問題がなかった筈の秋生へと、空気を裂く一条の銃弾さえなかったら、問題もなく辿り着けたのだ。
疾走していた秋生が転倒した。
「―――お父さん!?」
「いって……何だ……?」
じぐじぐと痛みと熱が急速に発生した脇腹へと手を伸ばすと、ぬちゃりと生暖かい水分が掌に纏わりついた。
撃たれたということをまずは認識し、次いで背後を振り返る。
悲鳴を上げた渚も、発射された銃弾の始点へと正しく視線を向けていた。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「―――はぁ、はぁっ、はぁ……。自分速過ぎや……。えらい手間取ったやないか」
秋生が突き放した筈の、神尾晴子がそこに立っていた。
全速力で追い縋ったのか、吐息を荒げながらも、秋生へとニヤリと不敵な笑みを差し向けている。
「くそ……っ! 完全に忘れてた……」
「ほう、忘れとった? いけずやなぁ……うちはこうしてけったくそ悪いわれの為に駆けつけたっちゅうのに」
秋生は苦々しい顔で立ち上がり、仕方なく晴子へと拳銃を向けて視線を交差させる。
笑みの表情の裏面で決して浅くない怒りを浮上させる晴子に、背後を見せて無防備を晒すという真似は流石にできない。
「は、晴子……」
「……あなた確か、あの時の……」
敬介は勿論のこと、晴子との面識は綾香にもあった。
晴子もそれに気付いたのか、一度綾香に邪魔された経験のある彼女は眉を潜めて睨みつける。
「なんや……数時間ぶりやな? 邪魔すんなら今度ばっかしは容赦せんぞ」
「はぁ? 尻尾巻いて逃げたのはどこのどなたかしら? 私の記憶上、目の前のオバサンしか該当しないけれど……」
「聞こえんかったな……なんやて?」
「老化現象が進行してんじゃないの醜いババアが。引っ込めって言ってんのよ」
「―――あー、あかんわ……ぶっ殺す」
「晴子っ! もうやめろ……っ!!」
「あん?」
この集団の中では限りなく影が薄い敬介を、今気付いたとばかりに目を向ける。
そして、秋生が洩らした敬介マーダー発言を思い出し、周囲をざっと見渡した。
死人の理緒と佳乃、生死が判別できぬるーこに傷だらけの春原と渚。
晴子と遭遇したときの態度は擬態で、実の所冷酷で残忍な人間だったのだろうと、見当違いの認識を彼女は浮かべた。
少なくとも敬介は娘の観鈴を大切に想っていることだけは、気に喰わなくとも認められる。
ならば、お互いの見解と方針のために手を組むのもやぶさかではない。
晴子は満足気に怒りを引っ込め、意外と役立ちそうな彼の利用価値に感心したように頷いた。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「敬介ホンマやるな……。水臭い、協力するなら嘘言わんでもええやんか」
「……僕ではない。大半はそこの子が原因だ」
実際は晴子の考えは的外れもいいところなのだが、今この状況で必死に弁解したとしても晴子の機嫌を損なわす恐れもあったために、強く言い返すことはしなかった。
変わりに、その矛先を綾香へと向かわせる。
晴子も危険だが、今は極めて危険な思考や方針を定める綾香のほうが始末に終えない。
秋生には辛うじて敵対視はされていないし、晴子に関する対処も何とか説得して説き伏せるつもりだった。
つまり、一番扱いづらいのはヤル気満々の綾香であり、一番何とかしたいのも彼女である。
その当の本人である綾香は、一斉に視線が集まっても肩を竦めるだけで表情に変わりはなかった。
「諸悪の根源みたいに言わないでもらえる? 間抜けなコイツラが自爆したようなものじゃない」
渚と春原を見下したように嘲笑う。
二人は悔しそうに唇を噛み締める。
そして、昼に遭遇した時との余りの温度差と変わり様に、晴子は不思議そうな眉を寄せた。
「なんやねん、その一変した態度。狂ったか……?」
「うるさい。やっていることはあなたと大差ないわよ」
「確かになぁ……。自分も覚悟きめたいう訳か」
「―――っ!」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
手強い敵と成り得た綾香に、納得したように頷いていた晴子の姿を隙と見たのか、秋生が駆け出そうとする。
だが、それよりも早く秋生の眼前の地面が銃弾で弾け、彼の動きをせき止めた。
「こら、勝手に許可なく動くなや」
「じゃあ許可くれよ」
「やるかアホ」
秋生が動いたことにより、各々の緊張が膨れ上がる。
際立った面々は綾香に敬介、秋生に晴子の四人。
綾香を除いた三人は、どれも子の親であることと目的意識という二つの事項に関する共通点に誤差は殆どない。
守るべく三人と、自身の欲を優先させる一人の人間が、ぶつかり合おうという直前。
民家の入り口付近で転がっていた春原の耳に、ギィっという開閉音が耳朶を打つ。
―――一つの家の、扉が開いた音だった。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
****
―――……ぃっ。ぉ……
なんだろうか。
身体が揺れている気がした。
―――……き! ……ろっ
でも、それは無視することにする。
この身を漂わせるような安らぎが堪らない。
全身を包む温もりに、さながら丸くなる猫のように安穏と笑みを浮かべる。
―――……きろっ。……ぃ! く、きろ!!
その声は煩わしく思う反面、何処か心を癒してくれるものであった。
揺れが激しくなり、貝のように塞いでいた耳は徐々に遠くなって。
―――…………
そして、揺れが収まった。
これで妨げるものは何もない。
偉大なる欲求に任せて、再び真なる安らぎを得ようと旅立とうとしたところで―――
「―――名雪起きろおおおおぉぉ!!」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
水瀬名雪の頭部に衝撃が走った。
目から火花が出るほどの痛みに、彼女は飛び起きる。
名雪は寝惚け眼に涙を浮ばせて、まずは事態の把握に勤しんだ。
周囲を見渡すと、綺麗に整頓された室内に、縮こまったように横たわるカエルの縫いぐるみ。さらに、大小様々な目覚時計が錯乱している。
見違えるべくもない自身の部屋であった。
そして、何事もなく彼女の部屋から退出しようとする男性の姿。
「ううぅぅ……。酷いよ祐一ぃ……」
「酷いのはお前の寝相だ。朝食出来てるから、準備してさっさと降りてこいよ」
彼女に容赦なく拳骨を落としたのは、最近この家に引っ越してきた従妹の相沢祐一。
名雪の非難の声にまったく悪びれる様子のない祐一は、彼女を置いてさっさと下階に降りていった。
ぶつくさと文句を垂れ流しながらも、名雪は学校指定の制服へと袖を通していく。
祐一のせい、もとい祐一のおかげで、ある程度覚醒した名雪は寝惚けることもなく準備を終えて下の階へと降りていった。
リビングの扉を開けると、暖房の熱が名雪を出迎えた。
香ばしい朝食の匂いに、彼女は頬を緩める。
そして、第一声。
「おはようございます〜……」
「……相変わらず気の抜ける声出して……」
「おはよう。名雪」
「おはよっ! 名雪さん!!」
「……もぐもぐ」
既にテーブルで食事を開始していた面々。
溜め息を零しながら、食後のコーヒーを嗜む祐一。呆れ返った視線を向けていた。
優しげな微笑を浮かべて、頬に手を当てながら出迎えた秋子。名雪の母親だ。
最近になって朝食をご馳走になりに来る元気いっぱいの少女、月宮あゆ。
そして、こちらも最近家族の一員になった沢渡真琴。こんがり焼けたトーストに夢中でこちらに気付いていなかった。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「お母さん〜。わたしのイチゴ〜」
「はいはい。ちゃんとあるわよ」
秋子が用意した自家製苺ジャムを、それこそ山盛りにパンへと塗りたくる。塗るというより乗せているともいえるが。
「いただき〜ます」
カプリと食いついた。
口内に広がる甘酸っぱい苺の酸味が、名雪の舌を楽しませる。
見えているとも思えない糸目で、彼女は着々と自身の朝食を征服していく。
苺ジャムでご飯三杯はいけると豪語する名雪の捕食っぷりに、何時もながらに祐一は未知の生物を見るかのような視線を寄せる。
「よくもまぁそこまで喰えるもんだな……」
「ふふ。名雪の大好物ですからね。祐一さん、コーヒーの御代わりはいかがですか?」
「あ、お願いします」
「はい」
「あうー! 秋子さん、真琴にも頂戴!」
「えぇ。二人とも少し待っててね」
秋子は二人のカップを受け取って、ポットのあるキッチンへとへと向かった。
真琴は再びパンの攻略に取り掛かり始めるが、手持ち無沙汰な祐一が口を挟んだ。
「おい真琴。パンのカスを落としすぎた。もっと上品に食べられないのか?」
「うっさいのよ祐一の分際で! 真琴がどういう食べ方をしようが関係ないでしょ!」
「片付けるのはお前じゃなくて秋子さんだろうが。お前こそ居候の分際で態度がでかいぞ」
「祐一だって同じクセにーーー!!」
顔を赤くした真琴は、テーブルに広がるパンのカスを一つに集め始めた。
珍しく人の言葉に従ったなと感心したのも束の間、収束したパンのカスを掌に乗せ、あろうことか祐一目掛けて吹きかけた。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「―――ぶわっ!? おいこら何しやがる!!」
「べーーだっ」
慌てふためく祐一の姿に、ざまあ見ろといわんばかりに愉快気に笑う。
勿論、祐一とてここまでされた以上、友好的手段など既に皆無。
不気味な笑みを浮かべながら、あゆが食べていたパンの受け皿へと手を伸ばす。
「借りるぞあゆ」
「うぐぅ? そんなパンのカス何に使うのさ?」
「いやいや、馬鹿娘に怒りの鉄槌を少々……」
パンを咥えながら怪訝そうに見詰めるあゆは祐一の動向を見守る。
彼は口笛を吹き鳴らし、自然さを装って真琴の背後に立つ。
邪魔な奴がいなくなったとばかりに幸せそうにパンを齧っていた真琴だが、後方で愉悦に顔を歪める祐一の姿に気付いていなかった。
余りの邪悪な笑みに、あゆは頬を引き攣らせながらも祐一の行動を制止するつもりはないようだ。
正面に座るあゆの微妙な視線に気付いた真琴は、なんだろうと思った瞬間、彼女の長い頭髪が一気に舞い上がる。
高速に動いた祐一の指が真琴の首元の襟を引っ張って、さらに一方で持った受け皿の溜まりに溜まったパンの屑を情け容赦なくその隙間に投下した。
「ひぃぎゃあああああ―――!!」
素肌を通過するざらざらとした感触に鳥肌が粟立ち、真琴は溜まらず悲鳴を上げて飛び上がった。
「なになになに!? なんなのよーーーっ!!」
「盛者必衰……悪は滅んだ」
「うぐぅ……祐一君酷すぎるよ……」
苦笑しながらリビングに戻ってきた秋子から、冷静にカップを受け取って何事もなくコーヒーを啜る祐一。
真琴にパンのカス云々と言っていた祐一の方が、極めて傍迷惑であった。
そんな騒がしくも、平和な朝食風景。
だが、今日はまた一味違った。
ピンポーンと、家内に間延びした呼び出し音が鳴り響く。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「あら、どなたかしら……」
「俺が行きますよ」
「そうですか? それじゃ、お願いしようかしら」
「お願いされました」
立ちかけた秋子を制して、祐一が来客の対応をすべく玄関へと向かう。
真琴は依然と服から抜け落ちぬパンの屑に四苦八苦しており、あゆにまで手伝わせる始末。
まったくのマイペースで食べている名雪に、玄関の方を気にしている秋子。
そんな四人の耳に、驚いたような祐一が届いた。
『うおっ。どうしたんだお前ら……』
『たまには一緒に登校しようと思ってね』
『へぇ。……で? 何でお前までいるんだ?』
『酷っ!! この対応の差はなに!? とまあ、来てやった俺達を持て成せよ』
『なに言ってんだか。とりあえず上がれよ』
リビングに戻ってきた祐一は二人の来客を引き連れてきた。
「ん〜。香里に北川君だ〜。おはようございまふ」
「……水瀬、完全に寝てないかこれ?」
「やっぱりこの子は食事中も寝てるのね……」
名雪と祐一の同級生、美坂香里と北川潤だ。
「あらあら。二人とも、いらっしゃい。コーヒーと紅茶どちらがいいですか?」
「あ。秋子さん、おはようございます。紅茶をお願いします」
「おはようございます! ロシアンティーを一杯」
「また微妙なものを……」
秋子の朗らかなお持て成しに、香里と北川は遠慮なく甘えることにする。
無難な香里に比べて、調子のいい北川の采配に呆れた視線を寄せる祐一と香里。
だが、秋子の瞳が妖しげに光った気がした。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「あ、ならいいジャムがあるんですよ」
ロシアンティーを所望した北川へ、秋子は秘蔵の一品とも言えるジャムを取り出した。
北川を除く面々が凍りついた。
秋子が本当に幸せそうに取り出す瓶に詰められた特性ジャム。まさしくオレンジに輝いていた。
「あー!! 香里よく見れば時間がやばそうだな!?」
「え、えぇ。そうね早く行きましょうか!」
「え? え……?」
「ちょ、待ってよ〜。置いてかないで置いてかないで〜」
「馬鹿。食事はゆっくりと噛みしめて味わうものだぞ? 大丈夫! 先生には事情を説明してやるから」
「そうよ。抜かりはないわ」
「ご、極悪だよぉぉ……」
「え、いや。お前ら何をそんなに慌てて……」
顔を青褪めさせる名雪と、事態が掴めず混乱する北川。
真琴は隅で震え上がり、あゆに至ってはダッフルコートを羽織って既に帰り支度は万端だ。
滅多にない試食を行ってくれる人材に、心底嬉しそうな笑みを浮かべる秋子の姿に、祐一と香里は顔を引き攣らせる。
―――騒がしくもあり、平和である日常の一端。
何時でも笑みを浮かべて、親友達と過ごす毎日にご満悦な自分。
慌てながらも、それでも悪くないと思いつつ、名雪は母親である秋子へと口を開いた。
「ねぇおか……さん? え? な、なにやっているの……」
―――それは唐突に瓦解する。
「ふふ。名雪もいっしょにどうかしら? 楽しいワヨ?」
「ひぎっ! ぎぃ! がっ! あぅ!!」
秋子は楽しそうに名雪へと笑いかける。
―――真琴の指を一本一本包丁で千切り飛ばしながら。
「あ……な、にこれ? え?」
「―――どうしたの名雪さん?」
椅子からずり落ちた名雪の頭上から、あゆの言葉が掛かる。
ポタリ。ポタリと。彼女の座り込んだ膝に水滴が零れ落ちてきた。
仰ぎ見る。
「―――ひっ!!」
そこには異様なあゆの姿。
後頭部から眉間に掛けて抉られたような真っ黒な穴が広がり、踝からぱっくりと横に裂けて両の眼球が今にも零れ落ちそうだった。
鼻から上は原形を留めておらず、ドス黒い血液は笑みの形を浮かべる口許から滴っている。
「―――やぁぁぁ!!」
頭を振って後退る名雪だが、ドンっと何かにぶつかった。
恐る恐る振り返ると―――
「もう。気をつけなさいよね? 世話がヤけるンダかラ」
「あ、あぁ……」
首根が異常に捩れ曲がり、口の端から舌が垂れ落ちて、ギョロリギョロリと忙しなく動く眼球が名雪を様々な角度から覗き見ていた。
香里だった。
リビングは、何時の間にか血みどろの空間と化していた。
おかしい。おかしい。確かに自分は食事をしていたは筈。秋子の朝食を頬張っていた筈。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「うふふ。ツギは、足かしらネ?」
「は、ぎぎ……っが! がげぃ! きぃぁ! っぁ、ぅぁ!」
おかしい。おかしい。おかしい。何時もみたいに真琴が悪戯をして祐一は怒っていた筈。
「アハハハハは!! アハはハハ!! 目玉もどるかなもどるかな」
おかしい。おかしい。おかしい。おかしい。珍しいことに香里と北川までもが迎えに来てくれた筈。
「あぁ……あぁぁぁ……う、あぅあァウぁァァァ」
絶対におかしい。いや、おかしなことはなかった筈なのに、絶対におかしい。
そうだ。こんなのは違う。おかしいんだ。そうだ夢を見ているのだろう。そうにちがいない。
後ろからしな垂れかかってくる香里だって幻に違いない。
意を決して振り向いた瞬間。
ズドンという轟音とともに、あらぬ方向に歪んでいた香里の後頭部が吹き飛んだ。
髪の毛が付着した肉片が周囲を打ちつけた。
ピチャリと、名雪の顔面を真っ赤な塗料が降りかかる。
―――考えるな。
「どーん! どーん! とりあえずふっとべー。ふっとべー。水瀬もやろうゼ? どーんどーん」
よく分からない形状で、辛うじて銃だと思えるものを持った北川。
彼は、香里だけに留まらずに秋子やあゆに真琴を思うままに吹き飛ばしていく。自分さえも吹き飛ばしていく。
赤黒いドロのようなものが飛び散り、千切れた手首や手足が吹き乱れ、笑みで固定された顎が飛び交い、風船のように眼球が弾け飛び。
捻じ切れた腸が地を踊り、鼓動する生臭いものが抉れて潰れ、ピンクのぶよぶよした肉がめくれ上がって。
―――もう訳が分からない
部屋は名雪を残して真っ赤に染まり、ぞわぞわと人間―――否、肉の塊が蠢いていた。
―――足りない。まだ足りない。
「―――ぃち? ゆ、いち? 祐一? 祐一、ゆういちっ!!」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
祐一がいない。まだいない。まだ見てない。
右に左と、下に上にと首が千切れそうになるほど視界を回転させる。
―――いない、いない、いない!!
何故か祐一がいない。どうしてか分からない。どうしていいかわからない。
みんな肉に変わった。みんな泥に変わった。みんなゴミになった。
―――祐一もゴミ? 違う違う違う!!
腐乱した肉を掻き集める。掻き漁る。
「どこ祐一、どこ? いじわるな祐一どこなの? ねぇどこ? どこ、どこにいるの? いるの? ねえやだねぇ?」
巨大な肉団子としか思えない塊に顔を突っ込ませて覗かせる。
でもいない。いるわけがない。でも探さなくてはならない。
いる。絶対いる。何処かにいる。必ずいる。見つけるまでやめはしない。
―――漁る。彼女は漁る。赤が付着していない場所などないぐらい全身を濡らして彼女は漁る。
見つからない。でも見つからない。
でも、横から息遣いが感じれた。おかしい。さっきまでは聞こえなかったのに。
―――でもいいや。おかしくてもいいや。
「―――祐一!! さがして……た、んだ、え?」
「名雪」
振り返った名雪の目は、確かに祐一を捕らえた。ゴミなどではない、確かな祐一の姿。
嬉しい。嬉しい。やっと見つけた。でも―――
「あ、ぁぁ。―――あぁぁあああぁぁあああ!!」
肩口に刺さるナイフはなんだろうか。
能面のように微笑えんでナイフを刺している祐一はなんだろうか。
名雪の名前を小さく囁いて、彼はナイフを動かした。
スーッとナイフを縦に動かすと、これは不思議。
ポトリと、名雪の腕が落ちた。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「―――わ、たしの……うで、は?」
「名雪」
噴水のように迸る自身の血液を唖然と眺める。
―――あ、きれいだな……
放物線を描いて噴出する真っ赤な血に、心を震わせた。
そんな名雪の頬へと、祐一は手を伸ばす。
「名雪」
「―――あ」
ナイフが、胸を貫いていた。一緒に、下半身も抜け落ちていた。
上半身のみとなる名雪を、祐一は優しく抱きとめる。
そして、高く高く。それこそ父親が子供に高い高いをしているが如く。
祐一は名雪を持ち上げた。
「名雪」
「え、え。まって。まってよ祐一。潰すの? また潰すの。わたし、潰されるの? え? あの時と一緒? 違うよね? うん、ちがう―――」
グシャリと、名雪の身体が地に押し潰された。
―――いつかの雪ウサギのように。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
****
「―――っ!!!!」
ガバリと跳ね起きた。
異常と思えるほどに身体を震わせながら、水瀬名雪(104)は全身汗だくで目覚めから覚醒する。
喘息のように荒い吐息を吐き出して、彼女は混乱した思考で辺りを見渡した。
見渡すが、名雪の視界は漆黒で閉ざされている。自分が柔らかいベットに横たわっているという感触しか現実を把握できなかった。
「あ、あぁぁ……や、やだ。お母さん何処? 祐一? 何処にいるの……!!」
視界が定まらないと、思考を整理させないと。
―――嫌が応にも先程の悪夢を思い出さずに入られない。
もう一度思い出してしまうと、彼女の精神は恐らく保ちきることはできないだろう。
言い知れぬ不安に、名雪は真っ黒な闇を狂乱したように練り歩く。
何度も同じ場所を行ったり来たりしながら、幸運なことに電気のスイッチを発見する。
躊躇なく押した。
「―――ぅ」
途端に広がる電気の灯火。
急速の光量に中てられて、堪らず目を瞑る。
そして、恐る恐る見開いた先には、自身の部屋など存在していなかった。
「ど、どこ……ここ。わたし、知らないよ……」
回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
生活に必要な用品は揃っているものの、使われた痕跡のないモデルハウスのような小奇麗な一室。
―――そうして彼女は思い出した。
混乱の極みに達する映像を見せられ、そこから続けざまに狂った人間達に襲われたことを。
人をそれこそゴミのように見下ろす国崎往人に、哂いながらナイフを突き立てた伊吹公子(007)の姿が思い起こされた。
公子はともかく、往人に関しては完全に冤罪だが、あの状況での彼の顔立ちは名雪の混雑した主観をさらに狂わせる。
そんな悪漢と思っていた二人から命辛々逃げ延びた名雪であったが、確かに意識があった最後の瞬間、朧げながら母の温もりに包まれた記憶が残っていた。
「そうだ。お母さん、お母さんがいたんだ……」
期待の視線を周囲に寄せるものの、秋子の姿は一向に見当たらない。
「え……どうして? 隠れてるの、やだよ……酷いよ、酷い……」
カチカチと噛みあわない歯茎を揺らして、名雪は正気を失ったかのように髪を振り乱す。
自覚なく涙を散らせ、彼女は崩れ落ちるように縮こまった。
目を力いっぱい瞑って、耳を力いっぱい塞ぎこんで、広がる現実を否定するべく殻に篭もろうとする。
だが、甲高い音が鳴り響いた。びりびりと窓が震える。
「ひっ!!」
立て続けに連なるその音は、彼女がこの島で幾度となく耳にした音。
―――即ち銃声だ。
それも限りなく近い距離で。それこそ、自身が点在する民家の真正面で。
そして、聞こえる怒声と苦しむような呻き声までもが名雪の耳へと届く。
衝動的に立ち上がり、ベットに敷かれた布団に身を隠そうと手を伸ばすが、目前の光景に喉を引き攣らす。
「―――っぁ!?」
「……?」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
何時の間にいたのか、設置されたもう一つのベットに上体を起こした少女が存在している。
視野が狭まる名雪は、今の今までまったく気付かなかった。
少女―――上月澪(041)は蕩けた瞳を擦りながら名雪を茫然と見詰めていたが、はっと気が付いたように傍に置いていた自身の所持品へと手を伸ばす。
慌ててスケッチブックに何かを書き込む様を、名雪は何事か悲鳴を洩らしながら後退り始めた。
「なに、なにこの子? 知らない、こんな子知らない……っ」
「…………」
もどかしそうに筆を動かしていた澪だが、すべきことを終えたのか、名雪へ向けて勢いよくスケッチブックを差し出そうとする。
―――それがいけなかった。
名雪の脳裏が、返り血を浴びた一人の女性が襲い掛かってくる場面を反芻させた。
何かを突き出そうとする公子の姿と、何かを突きつけようとする澪の姿。満遍なく一致した。
「―――ああああああぁぁ!!」
「っ!?」
澪のスケッチブックを叩き落とし、彼女の小さな身体を思いっきり突き飛ばした。
体重の軽い澪は容易く吹き飛んで、ベットの角に頭を打ちつける。
苦痛に顔を顰める彼女の額からは、偶然切れたのか一筋の血が滴り落ちた。
勢いで危害を加えた名雪は、それこそ悪気など皆無の様子で舌足らずに言葉を繰り返す。
「違う、ちがうよ……悪くない私は悪くない―――!!」
客観的に見て、それは自己正当化にしか聞こえはしない。
だが、それこそが彼女の自我を保つ唯一の方法。
自分は決して悪くないと、何度も口に出して肯定しながら笑みを浮かべ始める。
泣き笑いともいえる表情で、彼女は今も騒がしい外の喧騒へと目を向けた。
「そうだよ……お母さんがいないはずなんてない。いるんだよね、そこにいるんだよね?」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
浮浪するかのような千鳥足で、名雪は扉へと歩み寄る。
家の外には確かに母親がいて、従兄の祐一までもが共にいるという妄想を抱いて。
希望に縋る凄惨な笑みを浮かべて、彼女はゆっくりと扉を開け放つ。
ギイッと開閉音を響かせて、室内の光が漆黒の闇へと飛び出した。
そよぐ夜風に晒されて、名雪は日常を探すべく目を凝らす。
「―――おか……」
広がる光景に絶句した。
血溜まりに沈んだ幾多の人間に、その身に血を濡らせて笑う幾人の人間。
―――それは役者の違う、先程の正夢といえる地獄絵図が展開されていた。
瞳孔が広がり、彼女の自我がとうとう弾ける。
「いやあああああああああぁぁぁ!!」
『―――っ!?』
地の底から滲み出るような狂乱の雄叫びに、相対していた四人、そして春原と渚は例外なく肩をビクリ震わせた。
警戒に緊迫した空気を唐突に破って現れた名雪に、皆は心臓を掴まれたような驚きを見せる。
そして、この中で刺激を与えた時に過剰な反応が返ってくる人間は二人。
ゲームに乗った綾香に晴子だ。
綾香が手段を持たず、持つのは拳銃を所持する晴子。名雪の目障りな甲高い声に、晴子は煩げに拳銃を発砲する。
「っ」
だが、晴子の行動も予見でき、尚且つ名雪の直ぐ傍へと控えていた春原が彼女を間一髪押し倒した。
自身の目の前で人が殺されるのは、これ以上耐え切れなかったからだ。
二人で縺れ合いながら地面を転がり、銃弾は開いた扉を抜けて室内に飛び込んでいった。
ガシャンと、何かが崩れる音が聞こえる。室内の家具に命中したのだろう。
晴子は小さく舌打ちをして、追い討ちをかけるべく倒れこむ二人へと拳銃を向ける。
―――場が再び動き出す。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
「やめやがれっ!!」
二人を狙う晴子へ向けて、秋生は上体を屈めて疾駆する。
握りこんだ薙刀を翻し、峰打ちを狙って彼女の頭部へと振るった。
一刀は晴子の前髪を浅く揺らすだけで、彼女は既に後方にステップを踏みながら回避している。
追撃しようと秋生は踏み込むも、眼前に銃口の先端と対面した。
「―――逝ねや!!」
秋生は踏み込んだ足を即座に横方へと力を込めて転がり、勢いを止めるために薙刀を地へと突き刺した。
直後に銃弾で弾ける地面を確認することもなく、晴子の視線は正確に秋生の姿を捉えている。
転がり先を予想していた晴子は、これで仕舞いとばかりに拳銃を放つ。
だが、秋生とてそれが格好の的だと理解しているのだから、当然対処を考えている。
地へと突き刺さった薙刀を両手で強く握り、さながら器械体操のように薙刀を起点にして身体を持ち上げた。
秋生に直撃することなく通過する銃弾を、晴子は目を見開きながら驚きに顔を歪める。
「ちっ! なんちゅう奴……っ」
地に足つけることなく上半身の腕力だけで身体を支えきり、そして両腕に更なる力が篭めて脚部を晴子へ向けて旋風する。
秋生の振り切った踵が晴子の頬を抉り、彼女の視界は強引に転換させられた。
たたらを踏むが、それでも倒れない晴子は即座に秋生を補足するべく目線を走らせるが、彼は既に懐に潜り込んでいる。
自身の腹で揺れる他人の頭髪に気付いた時には、勢いの乗った強烈な秋生の肘鉄が鳩尾に沈んでいた。
「―――!!」
「―――くっ」
晴子の身体は吹き飛んで一瞬足が地を離れるが、唯では転ばないとばかりに倒れ間際に銃弾を発砲した。
すぐさまサイドへステップを敢行するが、それでも数発は秋生の身体を掠らせる。
痛みで着地に失敗しそうになる秋生の隙を狙って、晴子は吐き気を催す身体を制して距離を取った。
秋生は追撃を諦め、突き刺さった薙刀を回収してお互いで睨み合う。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
正しく一瞬の攻防だが、その隅では拳銃を持たない敬介と綾香が隙を窺い、さらに春原も奮闘していた。
「お、おい! ちょ、暴れるなよ!! 中に避難したほうが―――」
「いやぁ! いやあ! 離して離して!! ああああああああ!?」
狂ったように暴れる名雪を、春原は軋む身体に我慢を利かせて羽交い絞めにする。
彼女の無茶苦茶に振り回す両腕や両足が、彼の腹や顔面を容赦なく叩く。
春原は怒鳴りつけたくなる衝動を堪えて、何とかして彼女を民家の中へと非難させようと四苦八苦していた。
正気じゃない彼女を混戦の場に置いていたとしても、良くて殺されるのが落ちだ。
下手にこの場に干渉させて、春原からしたら唯一の味方とも言える秋生の邪魔を仕出かした日には目も当てらない。
自身の衰弱した体力では、既に戦力とは成り得ないのだ。
なればこそ、無防備な名雪や渚、そしてるーこ達を率先して保護するのは自分の役目。
いや、役目以前にそうすることで彼もまた矜持を保とうとしていた。
考えを綾香に否定され、るーこを止めきれず、挙句の果てに死人までも出してしまったがために、不甲斐無さという苦悩が彼を苛んだ。
少しでもいい。
少しでも、理緒のように理想的な終焉を迎えるために出来ることをして満足がしたい。
今現在で、春原はまだ何も成し遂げてはいない。
手始めといってはなんだが、まずは狂気に身を任せた名雪をどうにかするべきなのだ。
「ぐぁ! 痛っ、痛いって……。クソ、大人しくしろよ!!」
「やああぁ! やああ!! 助けて! 助けて!」
「―――名雪っ!!」
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
だが、偶然は春原の都合を嫌うのか、名雪の母親である水瀬秋子(103)が凄まじい形相で現れた。
秋生の件といい駆けつけるタイミングに何とも都合が良い。
しかし当の本人からしたら、それは誤解を生み出す状況というほかなく、余りにも間が悪いといわざるを得なかった。
他を寄せ付けない名雪の聴覚だが、待ち望んでいた安息の声にとうとう動きを止める。
今までの抵抗が嘘であったかのように身体が弛緩し、ずれた焦点が徐々に秋子の姿を捉えていく。
お母さん、名雪はそう小さく呟いて、そして希望に満ち溢れた顔で絶叫した。
「―――お母さん助けてっ!!」
今までで甘えに縋ったことは多々あれど、それでも秋子は名雪の頼みごとを無碍にしたことはなかった。
だから、自身の精一杯の懇願を、彼女が受け入れないはずがない。
何時もの生活風景のように、何の迷いもなく秋子は口にする筈だ。
「了承」
―――了承と。
笑顔で頷く秋子の視界が切り替わる。
助けを求める娘を羽交い絞めにする存在。
ただ、それだけ。
老若男女関係なく、それこそ識別の必要もない。
名雪を襲っている、排除すべき人間。ただそれだけだ。
娘に見せた微笑から一変。その一線を隔した冷酷な表情が、春原を射抜いた。
「―――ひぅ。う……」
回避
まだ起きてるよ回避
純粋なる殺意を一身で受けてめて、春原は潰れた悲鳴を喉から洩らす。
絶対に逃がさないという凄惨な視線が、彼をその場に恐怖で縫い付けた。
ゆらりと、秋子の腕が持ち上がる。言うまでもなく拳銃が握られていた。
―――拳銃の先端から、躊躇なく銃弾が発射される。
気が付けば、春原の頬を抜けて背後の民家へ着弾していた。
焼け焦げたような匂いと痺れるような痛みが頬から伝わってくる。春原の頬を、銃弾が掠らせていた。
それは、威嚇なのか。もしくは牽制か。
秋子の眼光を直視している春原は、何れも違うということに気が付いていた。
―――先の一発は、単なる誤差修正。
秋子は銃口をほんの少し横にずらして、無常な黒い穴と春原の視線が交差した。
数秒後、彼の眉間へと鉛玉が突き刺さることだろう。
口をポカンと開けて、何処か他人事のように身を硬直させていた。
瞬き一つしない秋子の双眸に中てられて、足を動かそうという概念は根元から消失し、抗う気力さえ沸き起こらなかった。
嗚呼ここで死んじまうんだろうな、ぼんやりとそう思っていた春原に、それでも救いの手が差し伸べられる。
「―――春原さん!! 逃げて! 逃げてください……!!」
「っ!?」
渚の必死な呼び掛けに、春原は我に返ったように現実へと戻る。
急速に浮上した明確なる意思が改めたように思考を混乱させるが、それでも最優先事項だけは即座に弾き出す。
彼は一も二もなく即座に屈みこんだ。
チンッと銃弾が民家の壁を削り飛ばす。
「行ってください!」
「で、でも……」
「―――早くっ!!」
滅多に出さない渚の大声に背を押され、彼は感情が追いつく間もなく衝動的に駆け出した。
「なに逃げてんのよあんた!! 待ちなさいよ―――!!」
「ちっ」
弱弱しく逃走する春原の背を、それこそ烈火の如く感情を爆発させて怒る綾香。
散々好き勝手戯言を吐きかけておきながら、なんの落とし前もなく逃げ遂せるなどと許せるはずがない。
相対する敬介を放って、彼女は春原へと引導を渡すべく駆け出そうとする。
だが、それでも冷静さを保っていた綾香の視界の隅で、一人の女性の腕がぶれた瞬間を目撃した。
嫌な予感が脳裏を巡り、その直感を信じて彼女は走行を急停止させる。
眼前を、一発の銃弾が通過した。
忌々しそうな態度を隠すこともなく、弾の発射点を睨みつける。
「うざいわね……。アイツはわたしの獲物なのよ、引っ込んでなさいって言ってんでしょ」
「はんっ。あないな奴どうでもええねん。自分こそとんずらかいな」
「―――誰が。大人しくあのオッサンと戯れてなさいよ」
離脱を見逃さない晴子は、秋生を警戒しつつも綾香へ牽制の意味合いを込めて銃口を向ける。
晴子からしたら春原の存在などどうでもよい。
当然、この場に残るようなら排除するが、追ってまで殺そうとは思わない。彼女は面倒なことが嫌いなのだ。
そして、一々癪に触る綾香は易々と見過ごせないから、ここで白黒と決着をつけるつもりだ。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
さらにもう一人。
名雪の敵を仕留めるべく、秋子も春原を追走しようと地を蹴るが―――
「彼は無実だ。行かせてやってもいいだろう」
その直線状に、綾香のマークが外れた敬介が無謀にも立ち塞がる。
無表情の秋子の眉が、訝しげに垂れ下がった。
「―――どういうつもりかしら?」
「悪くない者を咎めるのは筋違いだろう? 彼は危害を加えるつもりはなかった筈だ」
そんな彼らの問答を尻目に、春原は民家の一角に飛び込むようにして姿を隠す。
綾香が舌打ちしながら地を蹴る音は、既に彼の耳には入らなかった。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー回避
光が灯った一軒の民家から持てる力を振り絞りながら走り込み、徐々に距離を離していく。
彼は痛みに悲鳴を上げる全身を完全に無視して、無我夢中で平瀬村を駆け抜けた。
今更ながらに、身体が恐怖で震え上がってくる。
秋子の色の灯さない無常な眼光を思い出すだけで、彼の足踏みは今にも止まりそうだった。
信じていた者からの冷酷な仕打ち。
そういえばと思う。
―――るーこも同じ気持ちだったのだろうか。
彼女の交わした最後の視線は、正しく今の春原と同じである。
だが、鏡を見てしまえば、るーこの視線の意味に容易く気付くことだだろう。
―――彼女の瞳は傷付いていた。信頼していた者からの仕打ちに。
―――そして、彼女の瞳は鋭かった。信頼していた者へと向ける怒りの視線が。
さらにこの状況。
るーこを守ると誓ったはずではなかったのか。
そう心で決めておいて、肝心の彼女をあの場へ放置するという体たらく。
これだけではない。馬鹿みたいに硬直していた自分を叱責してくれたのは、他でもない渚だ。
春原は無意識に思っていたのだろうか。
渚は保護されるべきの脆弱な存在で、自分が守らなければ生きていけないという強迫観念にも似た思いを抱いていたのだろう。
むしろ、自身が人を救うべく立場ということを支えにして、彼は自我と矜持を保っていたのだ。
そんな彼が、渚達を救済する役目を負っていると考えていた彼が、あろうことか保護対象者に守られる始末。
且つ、自分を危機から救った二人へ、何の気配りも浮ばずに無様に背を向けた行為。
もう、何を支えにしていいのか分からなかった。
彼は走った。直視できない光景から目を逸らして。
どのぐらいの時間を走ったのか。数分か、数十分か。
秒刻みの間隔ですら、今の春原には判別できなかった。
半場錯乱する思考を持って、それでも駆けていた彼は地面に足を取られて無様に転げる。
地に衝突したときに鼻を打ったのか、じんじんとした熱が鼻先を中心に広がっていく。
春原はうつ伏せに倒れ付すも、起き上がることはしなかった。
土に爪を立て、一筋落涙させる。
「―――うぅ、うぐっ……。ちくしょう、ちくしょう……っ」
決壊したように、彼の両の眼から幾重の涙が流れ落ちる。
自身の不甲斐無さに。余りの惨めな性根に、彼は身体を震わせた。痛みか悔しさか、恐らく両方だろう。
あの場に舞い戻ろうという蛮勇は既に一時も考えなかった。否、考えないようにしていた。
信頼していた少女が、躊躇なく人を殺す姿を思い浮かべて。
否定した少女に、好き勝手嬲られた姿を思い浮かべて。
仲間と思っていた女性から、殺意の視線を寄せられた姿を思い浮かべて。
それが怖くて恐ろしくて、身体が鉛のように吸い付けられた。
思い起こせば、自身はこの島で何かを成し遂げることは愚か、無様な失態ばかりを踏んでいた。
姿見ぬ襲撃者には浩之とるーこの機転が功を成して逃げ延びて、此度は第三者の介入で命を拾ってはまた逃げ延びて。
そして、彼はようやく自覚した。
「ヘタレ、ヘタレか……。岡崎や杏の言う通り、か……」
平和であった日常で、常日頃親友達から言われたからかい文句が、今の現状と一致して皮肉気に哂う。
島に着てからは逃げてばかりだった。
綾香に正論を告げていた手前、逃げているのは自分だけだった。
仲間や知人、今も戦っているはずの彼らを放って逃げ遂せる。
結果的に春原を救った渚までも放ってきたのだから、朋也に合わせる顔もなかった。
見苦しい後悔に苛まれ、今の自分の醜い姿を他人に目撃されることだけは耐え切れないから、彼には身を縮こませるしか手段はなく。
―――これから、何をすればいいのだろうか。
消えた目的に、決まらぬ目的を抱いて。
春原は地面に顔を埋めて咽び泣いた。
回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー
るー回避
****
春原が去ったことで、彼らの緊張感が限界までに膨れ上がった。
綾香はあからさまに舌打ちをし、苛ただし気に現れた秋子に鋭い視線を寄せる。
「ったく。次から次へと何なのよ……。邪魔な介入はホント迷惑ね?」
「君の方が唐突に表れた気がしないでもないけどね」
「まったくだ。余計に干渉したのはテメェだろうが」
「あら? こんな泥沼にしたのは仲間割れしたコイツラと、そこのオバサンを引き連れてきたアンタでしょうが」
「誰がオバサンやねん。ホンマ生意気なガキやな……」
彼らは再び対峙して、各々の獲物を構えだす。
先程とは立ち位置が変わっているものの、数人で相対している事態はさほど変わりはない。
だが、脅威が一つ増えたことで、余計な気力を削がれることだけは確かだ。
現れた女性―――秋子は互いの罵り合いへと口を挟む。
「くだらない問答は結構です。聞きたいことは一つ、あなた方はゲームに肯定しましたか?」
「全員似たようなものでしょ? まぁ特に極悪なのがね、この橘敬介って男よ。善良そうな顔して不意打ちをする見掛けによらない奴なんだから」
「また君はそんなことを……」
綾香の茶化すような言動に、実際謂れのない事実を押し付けられた敬介は非常に不愉快そうに頬を引き攣らす。
情報の出所たる秋生は、本当にそれが事実なのかは判断付けられなかったために沈黙する。
理緒に対する敬介の態度を見て、彼の評価を変えざるを得なかったのだ。
もしかしたら天野美汐(005)の言葉は悪質な戯言であり、なんの害もない敬介が疑われているかもしれない。
姿の見えない人物に第一印象を植え付けることは容易であり、それがパソコンを伝って島中に広がってしまった以上、敬介は今後とも苦難にまみえることだろう。
本当にそれが嘘であるならば、余りにも報われないのではないか。
秋生が頭を悩ませる傍ら、秋子は胡散臭そうに敬介を眺め見る。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー
るーるー回避
「……つまり、始めから隙を窺って猫を被っていたと?」
「そうそう。こんな非道な奴に容赦する余地も価値もないってことよ」
「―――もう君は黙ってくれ!!」
「ええやんか敬介。うちと一緒に観鈴守るんやろ? んなことどうだってええわ」
ゲームの円滑化を推奨しているのか、綾香はニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべて全員を煽る。
綾香からしてみれば、ここに連なる連中は皆覚悟を決めた者であるから、気に喰わなくとも生き方に容認はできた。
面白いと、今は復讐する気持ちを隅に追い遣り、戦う者としての気勢を猛らせる。
左右対称に警戒を寄せる各々であったが、不意に秋子が微笑を浮かべた。
「―――全員、不了承です」
秋子の腕が持ち上がった瞬間には、既に銃弾は発射されていた。
―――それが開戦の合図。
銃弾は真っ直ぐに敬介へと迫り、脇を掠らせる。
脇腹から漏れ出す血液が衣類を湿らせていることを自覚しながらも、敬介は秋子へ向かって疾走した。
敬介にとっての現時点での脅威は、銃を持たない綾香でも一応仲間と認められている晴子でもない。
見境なく襲い掛かろうとする秋子に他ならなかった。
まずは彼女を黙らせるべく飛び掛ろうとするが、背中に衝撃が走ってつんのめる様にして地面を転がってしまう。
「ほらっ。背中がお留守よ!!」
綾香の飛び蹴りが敬介を吹っ飛ばし、彼女は地面に着地して直ぐに横っ飛びに飛んだ。
瞬間、地へと抉るようにして銃弾が突き刺さった。
秋子の銃弾だ。彼女は綾香を散らせ、追撃の手を緩めずに絶好の的たる敬介に銃口を向ける。
だが、秋子は直ぐに手を引っ込めて、横方へ腰を捻らすように翻った。やはり通過する銃弾。
あのこ…わかっているのかしら? …何とかできるか…
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー
るーるー回避
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー
るーるーるー回避
「ちっ。暗いとよう見えんな……。とりあえず、敬介は一応うちのツレにする予定やから勝手に殺すなや」
恩着せがましい視線を敬介へと向ける晴子だが、秋子が問答など必要ないとばかりに拳銃を向ける。
晴子は円状に走り回って秋子の銃撃を回避しながら、自身の拳銃で応戦し始めた。
そして、敬介と距離を取らされた綾香の下へ、薙刀を握りこんだ秋生が疾駆する。
小さく舌を打ちつつ、綾香は傍に落ちていた元は佳乃の鉈を手に取って、秋生の振るう薙刀と鉈とを交差させた。
キンッと金属の衝突音を響かせながら、お互いを刃先で押し合うが、筋力隆々な秋生が競り勝つのは至極当然である。
だから、綾香は急激に力を抜いて鉈を引き、秋生のバランスが崩れた瞬間を狙って延髄蹴りを繰り出した。
「―――ハっ!!」
「っ」
渾身の綾香の一撃は、秋生の前腕に阻まれる。
秋生は予想外の威力に驚いた。
それでも痺れだした腕に構うことなく上体を落とし、片足立ちの綾香を転倒させるべく脚部を水平に地を走らせる。
「甘いのよ!!」
弧を描くようにして迫る秋生の払い蹴りを、彼女は片足一本で宙へと飛ぶことで回避し、そこから浮いた状態のままで柔軟な腰を捻らせて回し蹴りへと継続する。
腰を屈めていた秋生は一時薙刀を放り投げ、その姿勢から後ろ受身を敢行して彼女の脚撃を空に切らせた。
さらに息を付く暇さえ与えないとばかりに、顔を上げた秋生の視界には回転しながら飛来する鉈が眼前に迫っている。
首を逸らし、辛うじて避けるも頬を浅く切る。
鉈を投擲した綾香は、立ち上がる機会を失って硬直する秋生へと一瞬で詰め寄った。
「―――シッ!」
「―――ぐぅ……っ」
常人では悶絶しそうな掌拳が、正確に秋生の鳩尾へと突き刺さっていた。
しかし、全体重を乗せた一撃の割には突き通すような感触がない。いや、むしろ放った自身の肩口が痺れだす。
異様に固めた秋生の腹筋に阻まれたのだ。
何という強度と慄く綾香を考慮せず、取り残される形となる彼女の腕を引き寄せると同時に、身体を翻して彼女を背負う。
秋生の背中に密着した綾香を腰で蹴り、舞い上がって生じた慣性をそのままに上体を折って彼女を投げ飛ばす。
一本背負いの要領で、彼女を背面から地面へと衝突させるはずであった。
だが、身体が持ち上がる寸前で綾香は余った手で秋生の背中を勢いよく押し、ピンと直立したように足を掲げる。
そのまま秋生の引っ張る力を利用しながら地へと華麗に着地し、未だ掴まれた腕を切り払って秋生から距離を取った。
「―――なかなかやる……っ」
「ったく。とんでもねェ女だな」
秋生は綾香の予想外の身体能力に苦笑を滲ませつつ、放った薙刀を回収する。
実のところ、腹筋を固めたせいで抉られた脇腹が再び痛み出したのだ。
今も尚、痛みが継続していることもあって状態は芳しくない。
長期の戦闘だと無尽蔵とも言える体力は続いても、痛みに苦しむ身体は許さぬだろう。
決めるならば短期決戦。
薙刀と残り一発の拳銃、そして屈強な自身の身体を如何様にして上手く扱うか。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー
るーるーるーるー回避
内心事を欠伸にも出さない秋生と違って、綾香は幾分か楽しそうである。
異種格闘技大会を制した実力は伊達ではなく、実力で横に並ぶのは数人の身内だけ。
それこそ男女の垣根なく、彼女を楽しませるほどの強者は数える程しかいないのだ。
己を狂気に走らせたゲーム内で、自分と同等に渡り合える猛者と出会えたことは思いがけない幸運であった。
近接戦闘を存分に味わえる相手だ。
春原や渚のように口だけの存在ではなく、力量までもが備わっているのだから文句もない。
死との隣り合わせな殺伐とした喧嘩を、それこそ密度が凝縮した駆け引きを持って、彼と一緒に長期に渡って楽しみたいと思ってはいたが。
ここは彼女達二人だけのリングではなく、混戦極まる危険地帯ということを失念してはいけない。
現に秋子の猛攻を振り切った晴子が、綾香と秋生を一応打尽にするべく銃口を向けているのだから。
「―――纏めて死ねや!!」
綾香は名残惜しげに秋生から大きく距離を取る。
それに習う様に、彼も綾香とは反対方向へと飛び退った。
連射された銃弾は、彼等に致命傷を与えることはせずに、空気を裂くに留まる。
中々思い通りに行かぬ結果に、晴子は気分を害したように歯を噛んだ。
皆の銃撃は中々命中しない。
それは暗闇が視界が閉ざしているということもあるが、絶えず動き回る標的を素人が追いかけるのは大変難しいことなのだ。
何より、ここにいる連中は一際危機感と直感に優れており、心理的にも冷静で余裕があった。
ゲームの内容に右往左往する段階は既に過ぎ去っており、彼等の揺ぎ無い心構えと覚悟に遅れはない。
五人は例外なく一日目で修羅場を潜ってきた。
ある者は殺し、ある者は襲われ。それでも命を勝ち取り、しぶとく生き残ってきた面々が、一発の凶弾如きで倒れるような無様な姿は晒せない。
ゲームの趣旨を誰よりも理解している彼等だからこそ、銃撃には一際敏感であっても可笑しくはないのだ。
るーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるーるー
るーるーるーるーるー回避
回避
容量限界きたらまとめサイトのしたらば非難スレに続きで良いかも
綾香は晴子の銃撃を不規則にステップを踏んで掻い潜り、即座に拳が届く射程距離に侵入する。
地面を勢いよく蹴り、発生した推進力に乗って後方に留めた右腕を一直線に突き出した。
「ちぃ!!」
晴子がその唸る一閃を首を逸らしながら躱して間もなく、軸足を回して身体を反転させた綾香の肘鉄が迫る。
回転力を加えて鋭い角度から抉るようにして襲い掛かってくる猛攻を、晴子は膝を崩してやり過ごす。
懐にまんまと沈んだ晴子は、綾香の顎下へと銃口を向けた。
だが、綾香は脅威の反射神経で腰を落とし、背面を逸らしながら勢いよく後方に飛んだ。
視界が逆さまになり、夜空へ一直線に届かせる銃撃音を耳にしながら、浮遊する身体を制御しつつ両の手で勢いよく地面を跳ね返す。
左肩が痛んだが構やしない。クルリと後方回転をして、無音で地へと着地した。
晴子はすぐさま次弾を放出しようと構えるが、そんな彼女達へと銃弾の雨が降り注ぐ。
「―――っ!!」
「くぅ」
「―――うぉ」
「っと」
それは彼女達に留まらず、様子を窺っていた敬介や秋生にまで照射されていた。
まるで照準などは二の次と言うように、秋子は連弾といえる発射速度で無差別に銃弾を吐き出していく。
何発か誰かしらに命中したのか、それぞれ余裕のない表情を浮かべている。
皆は一番の要注意人物をまったく見境のない秋子と定め、固まっていることは得策ではないとばかりに各々その場から散った。
特に示し合わせたわけでもなかったが、流石に秋子一人に残らず駆逐されるのは彼等の誇りと尊厳が拒否をする。
晴子は引き続き秋子と銃撃戦を繰り広げ始めた。
走り回っては狙撃し、絶えず跳ねて転がりながらお互いの銃撃を躱していく。