668 :
裏葉支援SS:
隙間から差し込む光が眩しい。
まるであの日のように。
頬を抜ける風が心地よい。
それはあの日のようで。
だからだろうか、
「ひさしぶりに、空でも見たい」
そんな、わがままを言ったのは。
木立の下に寄りかかると、寄り添うように、小柄な影達が支えてくれる。
上を見上げると、天空高く、鳥が舞っていた。
こんなところまで、あの日のようで。
心配そうに見つめる周囲を余所に、裏葉は穏やかに微笑んだ。
「御母堂様、お加減は……?」
「御母堂様、もっとこちらに体重を……」
齢、十と半ばくらいの少女たち。
今、裏葉を支えているのはこの曾孫たち二人だった。
周りを見渡すと老若男女、様々な顔ぶれが見て取れる。
柳也との間にもうけた男子は、齢八十を超え、今なお現役の方術師として都で活躍し、
陰で翼人の情報集め等に邁進している。
彼には4人の娘がおり、彼女らも皆、名うての方術師としてこの山で生活していた。
さらにさらにと続けること四代。
今、裏葉の周りには実子一人だけを除く、二十余名の家族が一堂に会していた。
無論、彼らが皆この山に住まうわけではなく、それぞれ急いで駆けつけてきてくれたのだ。
「ありがとう」
思ったままを口にして、素直に曾孫たちの好意に身をゆだねた。
669 :
裏葉支援SS:2006/01/27(金) 04:39:51 ID:D/Lg6pik0
ふせってからもう三月ほど経ったであろうか、一人で起き上がることが困難になったあの日から、
もういつ逝ってもおかしくない年齢の自分なぞのために、あれよあれよと皆が集まってきてしまった。
昨夜、最後の孫夫婦とその娘達が来た。
そこで新しくまみえた曾孫達に神奈達の物語を聞かせると、ここに残り本格的に方術を学びたいと申し出てきた。
その言葉を聞いて、裏葉は、いくことを決めた。
正直なところを言えば、あの日の柳也の真似事をしつつも、裏葉にはまだ余裕がある。
おそらく、このまま安静にしていれば、まだしばらくは持つであろうことを自覚していた。
けれども、
今日が最後。
そう心に決めていた。
優しい子供たち。
見たこともない神奈さまと柳也さまをしっかりと想って、
その意思を継いでくれると皆が揃って口にした。
だから今日、自分は自分の想いを「容‐カタチ‐」にしようと、
それをするには、もう時間が、力が足りなくなると、分かったから。
そう心に決めた。
「曾お祖母様、触ってみてください。やや子がお腹をけるのが分かります」
斜めに座る二十半ばの曾孫が、幸せそうに裏葉の手をとる。
ぽこん、ぽこんと、命の振動が手の平に伝わってきた。
「あらあらまあまあ…」
これで曾曾孫。なんともはや、少し長く生き過ぎたのかもしれない。
退屈に口を大きく開き、気だるげに欠伸をしながら自分を待つ、眠そうな夫の姿が目に浮かんだ。
「せっかくですし、やや子に『あれ』を見せてさしあげましょう。
今、あの人形を持っているのは、誰でしょうか?」
あの人形と聞いて、一人の童が懐から薄汚れた綿を詰めた人形を取り出した。
この場で方術を習う者の初期の手遊び兼修行として、
ここにいる皆が通過したこの人形繰りは、今はその少年が使い手なのであろう。
裏葉が息子のために作った物から、少しずつ充て布を増やし、中身の綿を交換しながら、
それは次の世代へと着実に伝わっている。
「うふふ……」
嬉しくなって、笑いがこぼれてしまった。
膨らんだお腹の上に置かれた人形にそっと手をかざすと
人形はすっと立ち上がって、てくてくと歩き出す。
ただひたすらに、一定の調子を保ちながら、てくてくてくてく歩き続ける。
全盛期には十を超える人形を、それこそ自在に宙で操り、踊らせていたあの頃の力はもう無い。
最近は神奈に掛けられた呪を受け流すことすら困難になり、病状は逐一悪化の一途をたどっていた。
(この歳まで生きると、呪いも何も無い気がいたしますが……)
ふと、集中力が途切れると、それだけで人形はぽてりと動かなくなった。
それでも皆喜んでくれた。幸せだった。
「皆も、見せてはくれませんか?」
そう願うと、一人一人と手の上を、肩の上を、頭の上を滑らせるように
受け渡し、操る、受け渡し、操る。
操っているその者と会話を交わし、その顔をじっと見つめる。
何かに刻むように。何かを残すように。
順々に続いていく人形劇。熟練の差はあれど、皆上手に操るものだと、裏葉は素直に感心した。
最後に今の持ち主である先の少年が手に渡り、
そこからてくてくと裏葉のひざ下まで辿り着き、動きを止めた。
その人形を見つめ、そして皆をもう一度見渡す。
心からの微笑みを浮かべ、
「わたくしは幸せものですね」
心に浮かんだ、唯一つのことを、最後に伝えた。
そして、燃え尽きてかけていた命をさらに絞る。
ふたたび、人形が踊りだした。
くるくると、くるくると回る。
それと共に、周りが光に囲まれるのを感じた。
皆の輪郭がぼやける。叫ぶ声が聞こえるけど、何も聴こえない。
(わたくしは卑怯かもしれませぬ)
何気なく一人胸に問うてみた。
あの人のように、忘れてもいいとは言えなかった。
むしろ、心に強く想い続けて欲しいと、こんな真似でまでしている。
けれどそれでいい。自分が否定したとき、あの人は、本当に嬉しそうに微笑んでくれた。
それでこそ俺の連れ添いだと、言ってくれた。
だから、ただ、自分の意思を伝えればいい。
目の前のこの子たちは皆、受け継いでくれると言っている。
柳也から数えて四代。その全ての子が想いを継いでくれている。
此れほどの幸運があるだろうか。
これほど幸せな人生があったであろうか。
この後、程なくしてこの子たちは最初の試練を迎えるだろう。
出来るならば、自分が最初の『神奈さま』に出会い、
この手でお助けしたかったとも思うが、それは致し方ない。
残念ではあるが、流石に百二十までは生きられなかった。
試練を越えて、なお継ぐ必要があったとき、この子たちがどうするかは分からない。
けれど、強制は出来ないし、する必要も無いだろう。
だって、こんなにも多くの子たちがいるのだから。
どこかで、きっと繋がってくれる筈。
そう、信じることが出来た。
「母上!」
ああ、懐かしい声。あの子も、駆けつけてくれたのか。
「わたくしは幸せでした」
空に大切な人が消えたあの日の約束通り、
そして、その人を探しに大切な人が空へと旅立ったあの日の約束通り、
「本当に、末永く、幸せに生きました」
だから―――
その後の言葉は続かず、ただただ、空を見上げた。
夏はもう、すぐそこまで来ていた。
規制?
人形に、残った全てを詰め込み、美しい老婆は消えた。
周囲の者たちに、悲しみと、愛と、想いを遺して。
その意思は朽ちることなく
そして千年の後
一人の少年がまた
想いを受け継いだ
空を見ていた。
吹き抜ける風を感じた。
舞い降りてきた真っ白な羽を、つかまえようとした…
ふと気が付くと、そこには平原が広がっている。
それは平原ではなく、真っ白な雲の塊で、遠くにはさんさんと照らす太陽が正面に見えた。
それはいつか、神奈さまと、柳也さまと、歩いた、山百合が咲き誇るあの平原に似ていると思った。
横を見ると、あの人がいた。
「…はは」
いつかの様に軽く笑う。
「…ふふふ、どうなさいました?」
だから、いつもの様に微笑んだ。
「いや、何でもないよ」
いつもの様に、柳也も笑ってくれる。
そして、光の方向に振り返った。真っ直ぐに前を見つめて。
「そろそろ、行こうか」
「あの空の向こうで、神奈が待っている」
答えは決まっていた。あの、誓いの日と同じ。
だから、それを素直に口にした。
「ええ。お供いたしますわ」
「ずっと、どこまでも…」
右手に感じるぬくもりを確かめながら、ゆっくりと前に進む。
どこまでも、どこまでも高みへ。
そこに待つものを目指して。
陽光が揺らいだ。
ひとひらの羽がひるがえり、空を舞っていた。
その先はもう、まぶしくて見えない。
だけど、手前でたゆたう、影を見つけた。
一羽の鳥が、大切な小鳥が、空で待っていた。